「そして神に至る」 伝道師 川嶋章弘
・ 旧約聖書:創世記 第5章1-5節
・ 新約聖書:ルカによる福音書 第3章23-38節
・ 讃美歌:214、412
およそ三十歳
「イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった」と、本日の聖書箇所の冒頭にあります。ルカによる福音書だけが、いわゆるイエスの公の生涯がだいたい三十歳のときに始まったと記しています。このときから主イエスが十字架で死なれるまで三年ぐらいではないかと言われていますから、イエスの公の生涯はおよそ三十歳に始まり三十三歳に終わる、とても短いものでした。ルカによる福音書は、そのわずか三年ほどのイエスの宣教を、この3章の終わりから24章の終わりにいたるまで語っています。確かに福音書はイエスの生涯を語っているものです。しかしそれは、ただ生涯を書き記したのではなく、このわずか三年ほどに集中して、イエスが言葉と業とによって神の国の福音を告げ知らせたことを語っているのです。
それにしても「三十歳」になにか特別な意味があるのでしょうか。旧約聖書には、祭司は30歳から仕事を始め50歳まで働いたと書かれています。一人前の祭司として認められ神殿で働くことが許されるのが30歳であったということです。またダビデがイスラエルの王として即位したのが30歳でした。神さまから王として立てられその働きを始めたのが30歳だったのです。ダビデと重ね合わせられて、イエスはダビデが即位したのと同じ年齢で公の活動を始めたのです。よく知られていますが『論語』には「三十にして立つ」という言葉があります。三十歳になって、自分の立場がしっかりして自立する、というような意味です。それと似て、人間としての成熟度が増し、社会の責任を負うことができるようになり、言ってみれば一人前となり、神さまの務めを果たすのにふさわしい年齢となるのが30歳であった、そのように言えるかもしれません。
まことの人として
しかし祭司やダビデはともかくとして、イエスも人間の成熟度が問題となったのでしょうか。神の独り子であるイエスが人間としての成熟度を増して、30歳になったから宣教を始められたのだ、と言われるとどこか腑に落ちないのではないでしょうか。イエスに成長があり成熟があるのは、神の子にふさわしくないように思えるからです。けれども、神の子であるイエスが人としてマリアから生まれたと信じることは、つまりイエスが「まことの神」であり「まことの人」であると信じることは、私たちと同じようにイエスには成長があり成熟があったことを真剣に受けとめるということです。特にルカによる福音書は「まことの人」としてイエスが成長されたことを記しています。2章40節には「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた」とあり、2章52節には「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」とありました。イエスが人であることは、イエスが神の子であることの「おまけ」ではありません。イエスは「まことの人」として生まれ「まことの人」として育たれたのです。ある偉人には、生まれてすぐ歩き、話したという伝説が残されています。しかし聖書には、そのようなことは書かれていません。イエスは生まれたとき話せませんでしたし、歩けませんでした。イエスは「まことの人」として育っていく中で、歩けるようになり、言葉を覚え、話せるようになったのです。このことを真剣に受けとめるとき、神の子が私たちと同じところまで低くなってくださったことに、私たちは畏れを感じずにはいられません。しかしここにこそ神さまの愛があります。私たち一人ひとりの救いのために、神さまは独り子を「まことの人」としてこの世へ遣わしくださったのです。
神さまが定める時
主イエスが公の生涯を始めたときおよそ30歳であったのは、旧約聖書のいくつかの箇所によれば、30歳が神さまの務めを果たすのにふさわしい年齢であった、と考えられるからでした。そのことから、主イエスが「まことの人」として成長され、成熟されたことを受けとめるのは大切なことです。しかし30歳という年齢そのものには、あまりこだわらなくても良いように思えます。言い換えるならば、神さまの務めを果たすのにふさわしい年齢は30歳だと、決めつける必要はないのです。旧約聖書のコヘレトの言葉3章1節に次のようにあります。「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」私たちの人生におけるすべての出来事には、自分が選び決断したときですら、神さまがお定めになった「時」があります。旧約聖書には、定められた時に神さまから召される物語がいくつもあります。アブラハムが主の言葉に従って、生まれ故郷を離れて旅立ったのは75歳のときでしたし、モーセがエジプトで奴隷となっていたイスラエルの人々を解放するために用いられたのは80歳のときでした。また預言者エレミヤは、神さまから召命を与えられたとき「わたしは若者にすぎませんから」と反論しましたが、神さまは「若者にすぎないと言ってはならない」と言われました。イエスがおよそ30歳で宣教を始められたことに旧約聖書の背景があるとしても、より大きな旧約聖書の文脈の中で考えるならば、この年齢も神さまがお定めになった「時」なのであり、そのことをこそ見つめる必要があります。
このことは私たちにも当てはまります。私たちが主イエスに出会い、洗礼を授かり、主のみ業のために用いられるにふさわしい年齢があるのではありません。そうではなく、主イエスが私たちと出会ってくださり、私たちを主イエスと結びつけてくださり、み業のために用いてくださるのです。そしてその「時」は、人の力で早めたり遅くしたりできるものではなく、ただ神さまがお定めになるのです。
ヨセフの子と思われていた
23節には「イエスはヨセフの子と思われていた」とあります。ルカがこれまで記してきた主イエスの誕生物語から明らかなように、イエスはヨセフと血の繋がりがありません。4章22節では、安息日にナザレの会堂で主イエスが聖書を解き明かしたとき、故郷の人々は「この人はヨセフの子ではないか」と言っています。しかしルカは「イエスはヨセフの子と思われていた」と記すことで、そのような人たちに「あなたたちは間違っている」と伝えたかったのでしょうか。どうもそうではないのではないか。ルカは「イエスはヨセフの子ではない」と改めて強調したのではなく、ただ「イエスはヨセフの子と思われていた」と記しているだけなのです。そして「ヨセフはエリの子、それからさかのぼると、マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、…」と系図を記し始めるのです。ルカが人々の間違いを正したかったのであれば、この系図を記さなかったはずです。なぜならルカは、イエスとヨセフに血の繋がりがないことを重々承知で、つまりルカが記した系図がそもそもイエスとヨセフの間で途切れていることを分かっていて、それでもこの系図を記したからです。このことによってルカは、イエスがヨセフを父として歩まれ、成長されたことを告げているのです。想像をたくましくすれば、イエスが、父ヨセフのもとで大工の仕事を身につけていった情景を思い浮かべることができるかもしれません。そしてイエスがヨセフを父として受け入れていたということは、イエスがそのヨセフに流れていた人間の血をも受け入れていたということです。このことをルカは見つめているのです。だからその血筋を遡って、ルカは系図を記したのです。
イエスの系図
新共同訳では、ルカが記すイエスの系図はとても工夫されて訳されていて「イエスはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それからさかのぼると、マタト、レビ、メルキ、ヤナイ」と始まり、綿々と人物の名前が続いていきます。しかし原文のギリシャ語で読んでみると、新共同訳で「ヨセフはエリの子、それからさかのぼると」と訳されている、この「それからさかのぼると」という一文は原文にはありません。この文があることで日本語ではスムーズに読むことができるのですが、原文の書き方は少しぎこちなく「イエスは、息子、人々から思われていた」とあって、それに続けて、それは誰の子であったかを記しているのです。イエスは息子と人々から思われていて、誰の子かというと「ヨセフの、エリの、マタトの、レビの、メルキの、ヤナイの、ヨセフの、アタティアの、アモスの、…」とまだまだ続いていくのです。つまり「イエスはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、エリはマタトの子、マタトはレビの子、レビはメルキの子、メルキはヤナイの子、…」と言われているのです。
ところでイエスの系図は、新約聖書に二箇所記されています。一つが本日の聖書箇所で、もう一つは新約聖書の初め、マタイによる福音書1章1節以下です。その1節には「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」とあります。しかし同じイエスの系図であるにもかかわらず、マタイとルカの系図は読み比べてみるとずいぶんと違うことに気づきます。そもそもそれぞれの系図に記されている人物が違います。たとえば、マタイではヨセフはヤコブの子となっていますが、ルカではエリの子となっています。またマタイではイスラエルを統一した王であるダビデの子がソロモンとなっているのに対して、ルカではダビデの子はナタンとなっています。なぜマタイとルカで系図に記されている人物が違うのか、色々と説明がなされていますが決定的な理由は分かりません。しかし系図に登場する人物が異なることのほかに、もう一つ明らかな違いがあります。それはマタイの系図が、過去から現在へと下っていくのに対して、ルカの系図が、現在から過去へと遡っていくことです。マタイとルカでは系図を記す視点が異なっているのです。ルカの系図の起点は、根っこはイエスです。イエスから遡って系図が記されています。それに対して、マタイの系図の起点はアブラハムです。アブラハムからイエスへと下って系図が記されているのです。さらにマタイの系図はアブラハムから始まりますが、ルカはアブラハムを越えて遡っていくのです。
ルカの系図を遡っていくと31節にはダビデの名前があります。新約聖書で主イエスは「ダビデの子イエス」と呼ばれることがあります。ルカによる福音書でも、エリコの近くで盲人が「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」(19・38)と叫びました。ダビデの直接の子ではないのに、イエスを「ダビデの子」と呼ぶのです。それは、イエスがダビデの子孫であることを意味しているだけでなく、イエスはダビデと結びつきを持っているということです。そしてダビデだけでなく、「ヨセフの、エリの、マタトの、レビの、メルキの、ヤナイの、ヨセフの、アタティアの、アモスの、…」と遡っていく系図において、そこに記されているすべての人物がイエスと結びついているのです。ですからこの系図で、イエスはヨセフの子であるだけでなく、エリの子でもあり、マタトの子でもあり、レビの子でもあり…、と読んでいくこともできるのです。この系図には、ダビデ、ヤコブ、イサク、アブラハム、ノア、アダムのように旧約聖書でよく知られている人物の名前が見られます。その一方で、まったく知られていない人物の名前もかなり見られます。この系図においてイエスは有名な人物と結びついているだけでなく、無名な人物とも結びついているのです。ヨセフに流れている血筋は、有名な人物ばかりのきらびやかなものではありません。しかしイエスはそのような血筋を引き受けてくださったのです。
神の子アダム
さらにルカの系図を遡っていくと、38節で「エノシュ、セト、アダム。そして神に至る」とあります。この「そして神に至る」も工夫された訳です。しかし原文では23節から38節までワンパターンで書かれていて、「ヨセフの、エリの、マタトの、レビの」で始まり「エノシュの、セトの、アダムの、神の」で終えられています。つまり38節では「セトの子エノシュ、アダムの子セト、神の子アダム」と言われているのです。ここでルカは、少なくとも書き方において、「アダムの子セト」とまったく同じように「神の子アダム」と記しているのです。この「神の子アダム」という言葉に私たちは驚きます。このように書くのは間違っているのではないかとすら思います。なぜならアダムが神の子であると、旧約聖書は語っていないからです。本日の旧約箇所創世記5章1-5節は「アダムの系図の書」の一部分です。創世記5章全体でアダムからノアまでの系図となっていますが、この系図は、ルカの系図とは逆に古い時代から新しい時代へと下っていきます。1、2節で「これはアダムの系図の書である。神は人を創造された日、神に似せてこれを造られ、男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた」とあります。これは創世記1章の創造物語で語られていることです。それに続いて3-5節で「アダムは百三十歳になったとき、自分に似た、自分にかたどった男の子をもうけた。アダムはその子をセトと名付けた。アダムは、セトが生まれた後八百年生きて、息子や娘をもうけた。アダムは九百三十年生き、そして死んだ」と記されています。この記述が一つのパターンとなって、所々に違いはあるものの6節のセトから32節のノアの父レメクに至るまでワンパターンの記述が続くのです。ここで記されているのはあくまでアダムの系図です。神さまはこの系図に含まれていません。1、2節で語られているのは、神さまが人を神に似せて造られたことであり、人が、つまりアダムが神さまの子であるとは決して語られていないのです。
神とアダムの断絶
ですから私たちは、ルカの系図が記すように「アダムは神の子」だなどと簡単に言えないことを知っています。それは第一に、創世記が語るように、アダムは神に造られたものでしかありません。アダムは人間であり、神は神です。神は無から世界を造られた方であり、人間はその方から造られた被造物に過ぎません。神と私たち人間は根本的に異なっているのです。しかし他方で神さまは人間を神に似せて良いものとして造ってくださいました。それは、人間が神さまと姿形が似ているということではなく、人間が神さまと向かい合う者として、つまり神さまと関係を持つ者として造られたということです。また「アダムは神の子」と簡単に言えない第二の理由は、その神さまと私たちの関係が、アダムの罪、つまり人間の罪によって、断ち切られてしまっていることにあります。創世記で、人間が、神さまから与えられた自由を乱用し、神さまに背き、神さまを主人として生きるのではなく、自分を主人として生きるようになったことが語られています。これが聖書の示す人間の罪です。この罪によって神さまと人間の関係は修復不可能なほど壊れてしまいました。ですから神さまと人間の間には、つまり神さまと私たちの間には、決して乗り越えることのできない断絶があるのです。言い換えるならば、神さまと人間の交わりが断絶してしまったのです。それにも関わらず、ルカは「エノシュの、セトの、アダムの、神の」と記します。ルカは前回の箇所で「イエスは神の子」であると告げていました。さらにルカは、この系図において、イエスが神の子であることを、ヨセフからアダムに至る人間の連なりを飛び越えるのではなく、その連なりを遡ることによって示しているのです。ルカの系図を遡るならば、ヨセフからアダムに至る人間の連なりは、罪に支配され歩んできた者たちの連なりです。系図の中に、「神に従う無垢な人」であり「神と共に歩んだ」ノアの名が記されています。また「信仰の父」アブラハムの名が記されています。しかし、ノアもアブラハムも、そしてヨセフからアダムまですべての人物が罪の支配の下にあったのです。ノアもアブラハムも「死んだ」と聖書は語っています。創世記3章19節で、神さまに背き罪を犯したアダムに神さまは言われました。「塵にすぎないお前は塵に返る。」人間の罪によって、人間は必ず死ぬ者となったのです。ヨセフからアダムまで例外なく罪と死の力に支配されていたのです。
そして神に至る
しかしルカの系図は、イエスを出発点としてこの罪と死に支配された人間の歴史を遡ります。神の子と宣言されたイエスが、ヨセフの子であることを引き受け、その血筋を引き受け、ヨセフからアダムに連なる罪と死の支配をも引き受けるのです。ルカは、そのようにして系図を遡り「セトはアダムの子」と記すのとまったく同じ書き方で、ためらうことなく「アダムは神の子」と記すのです。系図を遡っていく中で、そこに記されているすべての人物はイエスと結びついています。系図を遡りその終わりで、イエスはアダムとも結びつきます。イエスこそ神の子であると、ルカは宣言したばかりです。それにもかかわらず、アダムは神の子であるとはばかることなく記しています。なぜルカは、そのように記すことができるのでしょうか。それは、まことの人となられたイエスが、アダムの罪を、つまり私たち人間の罪を担ってくださったからです。神さまは、私たちの罪の赦しのために独り子をこの世へとお送りくださいました。その主イエス・キリストが私たちの代わりに、私たちの罪を担って十字架で死んでくださったことによって、ヨセフからアダムに連なる人間を支配していた罪と死の力は滅ぼされました。それゆえルカは「アダムは神の子」と記すのです。だからといって、主イエスの十字架によって、神と人間の根本的な違いがなくなったわけでも薄まったわけでもありません。神は神であり、人は人であり、神は創造主であり、人は被造物に過ぎません。ルカが「アダムは神の子」と記すのは、私たちが自分の力では決して乗り越えることができない、神さまと私たちの間にある断絶をイエスが乗り越えてくださったからです。まことの人となれた神の子イエスだけがこの断絶を乗り越え、本来神さまと人間の間にあった交わりを回復することができるのです。この主イエスによって「アダムは神の子」とされ、私たちも神の子とされたのです。
「そして神に至る」という文は、原文にはありませんが味わい深い訳です。私たちは、罪によって神さまとの交わり、神さまと共に生きることができなくなりました。私たちは決して自分の力では「神に至る」ことはできません。ただ主イエス・キリストによってのみ「神に至る」のです。それは、神についてあれこれ考えても「神に至る」ことはできないということでもあります。言い換えるならば、主イエス・キリストに出会うことがなければ、「神に至る」ことも神を信じることもできないということです。私たちと神との間には乗り越えることのできない断絶がありました。決してこの系図を遡り「神に至る」ことができない私たちが、神の独り子である主イエスに結ばれて、「神に至る」ことによって、神の子とされるのです。そのとき、私たちと神さまの関係が、私たちと神さまの交わりが取り戻されたのです。そして私たちは、神さまとの豊かな交わりの中で、神さまと共に生きる者とされているのです。
全世界のすべての人への福音
そのような神さまとの豊かな交わりの中で、私たちは主イエス・キリストを告げ知らせていくのです。ルカの記す系図はアブラハムで終わらず、さらに遡っていきます。それは、この系図がイスラエルの民にとどまらず、全世界へと遡っていくことを意味しています。言い換えるならば、罪の赦しを告げる福音は、全世界を包み込んでいるのです。私たちは神さまと共に生きる者とされ、その喜びを、その恵みの大きさを、神さまが造られたこの世界のすべての人へと告げ知らせていくのです。