「主の力が共に」 伝道師 川嶋章弘
・ 旧約聖書:詩編 第146編1-10節
・ 新約聖書:ルカによる福音書 第1章57-80節
・ 讃美歌:351、182
命名物語とザカリアの賛歌
主イエスをお腹に宿したマリアは三か月ほど親類のエリサベトと一緒に暮らしました。その暮らしの中心には、マリアのお腹の子である主イエスがおられ、またエリサベトのお腹にも洗礼者ヨハネがいました。エリサベトが子どもを宿したのはマリアより半年前でした。ですから洗礼者ヨハネは主イエスの半年先を歩んでいたのです。さて、三か月ほどエリサベトと一緒に暮らしたマリアは、エリサベトが出産するのを待たずに自分の家に帰りました。その後、時が来てエリサベトは男の子を産みました。本日の聖書箇所は、57-66節までが生まれてきた男の子の名づけの物語であり、67節以下は生まれてきた男の子の父ザカリアの賛歌です。前者は物語であり、後者は賛美の歌であるため、別々のジャンルであるといえます。しかしヨハネの命名物語とザカリアの賛歌は決してばらばらのことではありません。ヨハネの命名物語とザカリアの賛歌を通して、私たちに伝えたいメッセージがある。そのことを私たちは見つめていきたいのです。
夫婦の物語からご近所の物語へ
エリサベトが男の子を産んだというニュースは近所の人々や親類へと伝わりました。彼ら彼女らは「主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った」と、58節にあります。当時、子どもがいないのは神さまから祝福されていないからだと考えられていました。エリサベトが子どもを身ごもったときに語った「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました」という言葉は、そのことを示しています。ですからもう子どもを授かることはないと思っていたザカリアとエリサベト老夫婦にとって、子どもが与えられたことは大きな喜びであったに違いありません。しかしその喜びは、単に親の喜びにとどまるものではありませんでした。そのことはすでに1・14節で主の天使がザカリアに言った言葉に示されていました。「その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。」ザカリアとエリサベト老夫婦に男の子が生まれたと聞いて、人々は集まり、生まれてから八日目にその子に割礼を施し、また名前をつけようとしたのです。生まれてから八日目の子どもに割礼を施すことは旧約聖書に記されていて、たとえば創世記17・12節には「いつの時代でも、あなたたちの男子はすべて、…生まれてから八日目に割礼を受けなければならない」とあります。おそらく生まれて八日目に割礼を施すことはスムーズに行われたものと思われます。問題が起こったのは、生まれてきた男の子になんという名前をつけるかについてです。
命名物語
59節について、研究者の間で色々なことが言われてきました。たとえば、子どもは通常父の名前ではなく祖父の名前がつけられたとか、生まれてから八日目の割礼のときにはすでに名づけられていたはずだとか、そのようなことが言われてきたのです。しかし私たちが見つめるべきことは、研究者の議論に整合性があるかどうかではありません。そうではなく聖書が私たちに告げようとしていることにこそ目を向けなくてはなりません。集まってきた人たちは男の子の誕生を喜びました。しかし彼らの喜びは、ザカリアとエリサベトの喜びと同じであるとはいえません。そのことが、59節以下のヨハネの命名物語において明らかにされているのです。集まってきた人たちは、生まれてくる子を父の名を取ってザカリアと名づけようとしました。しかし母エリサベトは「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言ったのです。そのときまで新しい子どもの誕生を喜び祝うおめでたい雰囲気であったに違いありません。習慣通り割礼を施し、生まれてくる子どもに父親の名前と同じザカリアと名づけるのが無難ではないかと思っていたのではないでしょうか。しかしそのようなおめでたい雰囲気の中でエリサベトは「いいえ、そうであってはならない」とはっきり言いました。かつてエリサベトは、子どもが与えられなかったために、人々の間で恥を感じて生きてきました。エリサベトだけではありません。彼女と共に生きてきたザカリアも同じです。二人とも人々の間でどこか負い目と引け目を感じていたのです。自分たちからなにか発言したり、発信したりすることもなかったでしょう。そのエリサベトが「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言ったのです。この彼女の「いいえ」こそ決定的な「いいえ」であるに違いありません。この「いいえ」が集まってきた人たちの喜びと、エリサベトとザカリア夫妻の喜びとを分かつものなのです。「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」という母エリサベトの言葉に人々は反発して言います。「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない。」これは、あなたの親類にはヨハネという名の前例はないと言っているのです。ヨハネと名づけることは今までの習慣や慣例から外れたことなのです。そこで彼らは、話すことも聞くこともできなくなっていた父ザカリアへ「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねました。するとザカリアは字を書く板を出させて「この子の名はヨハネ」と書いたのです。
名づける信仰
私たちの多くは、自分たちの想いで子どもの名前を考えます。子どもが与えられたと分かると、どのような名前にしようかと思い悩みます。生まれてくる子どもがどんな子どもになるだろうかと思い浮かべ、またどんな子どもになって欲しいかと考え子どもの名前を決めるのです。しかしここで、母エリサベトが「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言い、また父ザカリアが板に「この子の名はヨハネ」と書いたのは、そのような自分の想いや考えで子どもの名前を決めようとしたからではありません。周りがなんと言おうと、自分たちには子どもにつけたい名前があるのだ、そのような自分よがりの思いによる言葉ではないのです。生まれてくる子をヨハネと名づけることは、ザカリアとエリサベト夫婦の考えや思い、つまり人の思いによるものではなく、主の天使がザカリアに「その子をヨハネと名付けなさい」と命じられたからです。エリサベトの「いいえ」が決定的な「いいえ」であるのは、彼女が勇気を振り絞って自己主張したからではありません。自分の意見を恥ずかしくて言えなかったけれど頑張って言ってみたわけでもありません。そうではなく、彼女の「いいえ」が決定的な「いいえ」であるのは、彼女が信仰によって主のご命令に従ったからです。彼女の「いいえ」は、「その子をヨハネと名付けなさい」という神のご命令に従ったことにほかなりません。この「いいえ」が決定的な「いいえ」であるのは、人の思いを否定して神のご命令に従う「いいえ」であったからです。エリサベトの子どもの誕生は、単に人の喜びであるだけでなく神のご計画の実現なのです。この「いいえ」こそエリサベトの信仰の決断を表すものにほかなりません。
信仰の決断
神さまに名づけなさいと言われて、その通りに名づける。そこにエリサベトとザカリアの信仰があります。周囲の常識的な意見に抗ってまで譲れない決断があるのです。もしこのことが、自分の思いや願い、こだわりであるならば、それは単に自己アピールに過ぎません。私たちは一日一日の中で、様々な場面で発言を求められます。ときには自分をアピールしなければならないこともあるでしょう。しかしそれが自分の思いや願い、こだわりに過ぎないのであれば他の人に譲ってしまっても構わないのです。お互いの話に謙虚に耳を傾け合い、ときには自分の主張を取り下げたり、修正したりすることもあるでしょう。けれども私たちには決して譲れないこともあるのです。それは、神さまのご命令に従うことです。私たちには譲れない信仰の決断、譲ってはならない信仰の決断があるのです。
その名はヨハネ
とはいえ、たかが子どもの名前ではないかと思われる方もあるかもしれません。親にとっては名前に特別な思い入れがあるとしても、成長すれば名前そのものよりも出会った人々との関係の方が大切になってくるでしょう。そのとき自分の名前の由来や意味について話題に上ったとしても、それがなにか特別なことであるわけではありません。しかしヨハネという名は、ザカリアとエリサベトの子どもの名であるだけでなく、イスラエルの民全体に、また私たちに告げていることがあるのです。ヨハネとは「主は恵み深い」という意味です。生まれてきた子を「ヨハネ」と名づけたことによって、20節で天使ガブリエルがザカリアに告げたことが実現しました。20節で天使は「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである」と言いました。「この事の起こる日」とか「時が来れば実現するわたしの言葉」とは、エリサベトから男の子が生まれることを指しています。しかしそれだけでなく、生まれてくる子がヨハネと名づけられることをも指しているのです。だからこそザカリアはエリサベトが男の子を産んだときではなく、彼が板に「この子の名はヨハネ」と書いたとき、たちまち「口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた」のです。ヨハネという名はただの名前ではありません。主が恵み深いことを告げる名です。その主の恵み深さが67節以下のザカリアの賛歌で告げられているのです。ヨハネは「主は恵み深い」という意味でしたが、ザカリアは「主は覚えていてくださった」という意味です。しかしザカリアは、主が覚えていてくださっていることを忘れていたのではないでしょうか。ザカリアとエリサベトの子ヨハネは、その名によって「主が恵み深い」ことを指し示します。そのことによってザカリアは「主が覚えていてくださった」ことを想い起すのです。このことはザカリアに限ったことではありません。彼は不信仰であったわけではありませんでした。すでに6節でザカリアとエリサベトは「二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった」と語られています。しかしそれでもザカリアは妻エリサベトが身ごもると告げられたとき疑ったのです。自分の名が指し示す「主が覚えていてくださっている」ことを信じられなかったのです。私たちは今も生きて働かれる主イエス・キリストを信じています。私たち一人ひとりを主が覚えてくださっていることを信じています。それでも私たちは、本当に主は私のことを覚えてくださっているのかと疑問を抱きます。神さまは本当に私のことを見ていてくれるのだろうかと不安になるのです。そのような私たちにもヨハネという名が与えられているのです。主が恵み深いことを私たちに告げているのです。
ザカリアの賛歌
64節の「すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた」に続けて、67節以下のザカリアの賛歌が続いてもまったくおかしくはありません。むしろ65、66節がないほうが話の流れとしてはスムーズです。しかし65節に「このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった」とあります。このことは、もともとザカリアとエリサベトの子どもの誕生という一つの家庭での出来事が近所の人々や親類へと伝わり、さらにユダヤの山里中で話題となった、そのように出来事の広がりを示しています。そしてヨハネの誕生は、67節以下のザカリアの賛歌でイスラエルの民全体に起こった出来事として語られているのです。ザカリアの賛歌は、ヨハネの誕生をイスラエルの歴史と結びつけイスラエルの民の救いを語ります。それは、もう子どもが与えられないと思っていた父親が、神さまのみ業によって自分に子どもが与えられたことを感謝している歌ではありません。また我が子洗礼者ヨハネについて語っている歌でもありません。そうではなくザカリアの賛歌は、主イエスと主イエスの救いについて、そして私たちの救いについて語っているのです。その中で、洗礼者ヨハネも位置づけられているのです。ザカリアは、アブラハムとの誓いを主が覚えていてくださり、その約束がすでに実現したと神を賛美しています。私たちは神の恵み深さを告げられた者として、ザカリアと共にこの賛美へと導かれているのです。
主は訪れ、解放してくださった
ザカリアの賛歌は、68-75節と76、77節、そして78、79節の大きく三つの部分に分かれます。68-75節は、さらに二つに分けられ、前半では救いについて語られ、後半では救われた者の歩みについて語られています。68節に「主はその民を訪れて解放し」とあります。「解放する」とは「贖う」という意味です。主は自ら私たちのところに来て贖ってくださるのだと告げられているのです。決して自分では贖うことのできない罪を抱え、罪に囚われている私たちは、自分たちから神さまに近づくことなどできません。それどころか神さまから離れ隠れようとしてしまいます。しかしそのような私たちのところへ、神さまは独り子である主イエス・キリストをお送りくださったのです。そして主イエス・キリストの十字架によって私たちの罪を贖ってくださいました。このことを、ザカリアは68節で、すでに起こったこととして語っています。主イエスはまだお生まれになっていません。しかしザカリアは、主イエスの十字架による私たちの罪の贖いをすでに実現したこととして語っているのです。
救いの角
このことを69、70節では旧約聖書の預言の成就として語ります。69節では「我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた」と語られています。これは、サムエル記下7・16節のナタンの預言の成就を語っていますが、この「救いの角」こそ主イエス・キリストにほかなりません。都会に暮らす私たちは動物の角を見ることも、身近に感じることも少ないと思います。しかしスペインの闘牛で角を突き合わせている牛をご覧になった方もあるのではないでしょうか。「角」こそ動物の力の最も集まるところなのです。主イエス・キリストが私たちの「救いの角」であるとは、救いの強い力が主イエス・キリストにあること、私たちの救いは主イエス・キリストにかかっていることにほかなりません。詩編18・3節で詩人は主を信頼し次のように歌っています。「主はわたしの岩、砦、逃れ場/わたしの神、大岩、避けどころ、わたしの盾、救いの角、砦の塔。」ここでも主は「救いの角」であると語られているのです。71節では、その「救いの角」によってどのような救いが実現されたかが語られています。それは「我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い」です。ここで私たちは戸惑いを覚えます。私たちの敵、私たちを憎む者とはいったい誰のことだろうかと思うからです。私たちは戦場で敵に囲まれているわけではありませんし、迫害にあっているわけでもありません。あの人はどうしても好きになれないと思うことはあるかもしれません。しかし「我らの敵」や「我らを憎む者」とは、そういう好きになれない者たちなどではなく、主なる神を神としない者たちのことです。神でないものを神とする、つまり偶像を神とする者たちのことなのです。それだけではありません。「我らの敵」や「我らを憎む者」とは罪の力や死の力をも含むのです。私たちの周囲を見渡せば、偶像で溢れかえっています。また私たち自身、罪の力、死の力に支配されています。そのような罪の力、死の力の支配から「救いの角」である主イエス・キリストは私たちを解放してくださったのです。
生涯、主に仕える
74、75節では、救われた者の歩みが語られています。救われた者は「恐れなく主に仕える」のです。「仕える」とは「礼拝する」ことをも意味します。私たちは罪に囚われていたとき恐れずに主を礼拝することはできませんでした。しかし今や救われた者として恐れず主を礼拝することができるのです。それは生涯に渡ることです。「生涯」とは、直訳すれば「私たちの一日一日のすべて」となります。私たちは救われた者として、一日一日のすべてにおいて主を礼拝し、主に仕えるのです。
罪の赦しによる救い
76、77節で語られているのは、66節の生まれてくる子どもに対する「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」という問いへの答えであると言えます。つまり洗礼者ヨハネはどんな人になるのかが語られているのです。彼は、いと高き方の預言者と呼ばれ、主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせます。その中心は、彼が主の民に罪の赦しによる救いを知らせることにあります。しかしヨハネは、罪の赦しによる救いを実現するのではありません。彼は、主イエス・キリストこそ罪の赦しの救いを実現される方であることを人々に知らせるのであり、指し示すのです。66節の終りに「この子には主の力が及んでいたのである」とあります。直訳すれば「主の手が彼と共にあった」となります。「主の手が共にある」とは「主の力が共にある」ことです。ヨハネという名は主が恵み深いことを意味しました。つまり主が恵み深いとは主の力が共にあることにほかならないのです。洗礼者ヨハネは、主の力が共にあって、主が恵み深いことを指し示していくのです。
あけぼのの光
78節で、神の憐れみによって「高い所からあけぼのの光が我らを訪れ」とあります。主が私たちのところに来てくださったように、あけぼのの光も私たちのところに来てくださいます。私たちがなにかしたからあけぼのの光が私たちを訪れるのではありません。ただ神の憐れみによって私たちを訪れてくださるのです。その光が、「暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」のです。ザカリアは、自分は余りにも年を取りすぎているというあきらめと絶望の中にあったに違いありません。そのような暗闇をあけぼのの光が照らしたのです。私たちもどこかで諦めてはいないでしょうか。悩み苦しみ悲しみにぶつかる度に、主が恵み深いことを忘れるどころか、諦めてしまっているのではないでしょうか。主が、今も生きて私たちに働かれていることを、私たちの世界に働かれていることを諦めてしまっているのです。そこに絶望があり、暗闇があり、死の陰があります。神さまはそのような私たちの現実の只中にあけぼのの光として独り子主イエス・キリストを送ってくださったのです。この主イエス・キリストの十字架と復活によって、私たちは死に打ち勝つ希望が与えられ、永遠に生きる者とされているのです。あけぼのの光に照らされて、暗闇と死の陰にうずくまっていた私たちがその希望によって立ち上がるのです。その希望の内に生きることによって、私たちの歩みは平和の道へと導かれます。私たちが生きる社会は、たとえ夜中であっても多くの光に囲まれています。コンビニの光、ネオンの光などです。しかしそれらの明るすぎるほどの光は、絶望と暗闇と死の陰にうずくまっている私たちを救うことは決してありません。それどころか、これらの光は私たちの暗闇をより深くより濃くするのです。ただ神さまが与えてくださったあけぼのの光のみが私たちに希望を与えるのです。神の独り子主イエス・キリストのみが私たちの希望です。私たちはあけぼのの光に照らされて、たとえ苦しみ悩み悲しみが消えることがないとしても、主にある平安の道へと導かれていくのです。