夕礼拝

神の民の祭り

「神の民の祭り」 牧師 藤掛順一

・ 旧約聖書:申命記第16章1-17節
・ 新約聖書:ルカによる福音書第22章1-23節
・ 讃美歌:317(1~4)、317(5~7)

主の過越祭  
 私が夕礼拝の説教を担当する日は、旧約聖書申命記からみ言葉に聞いております。本日は第16章です。この16章には、イスラエルの民が約束の地カナンに入ったら守るべき三つの大きな祭について語られています。本日はこの三つの祭についての教えからみ言葉を聞いていきたいと思います。  
 三つの祭の第一は1節にある「主の過越祭」です。「アビブの月」というのは、イスラエルにおける月の呼び方の一つで、後には「ニサンの月」と呼ばれるようになりました。私たちの暦で言えば三月から四月にかけての頃です。この月が一年の始まりの月つまり正月とされており、その月に「主の過越祭」が行なわれるのです。その祭を行なう理由が1節にこう語られています。「アビブの月を守り、あなたの神、主の過越祭を祝いなさい。アビブの月のある夜、あなたの神、主があなたをエジプトから導き出されたからである」。ここに簡単に語られている出来事を詳しく語っているのが、出エジプト記第12章です。その1~14節を読みます。「エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。肉は生で食べたり、煮て食べてはならない。必ず、頭も四肢も内臓も切り離さずに火で焼かねばならない。それを翌朝まで残しておいてはならない。翌朝まで残った場合には、焼却する。それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない』」。さらに21~36節を読みます。「モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。また、主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入ったとき、この儀式を守らねばならない。また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」民はひれ伏して礼拝した。それから、イスラエルの人々は帰って行き、主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。真夜中になって、主はエジプトの国ですべての初子を撃たれた。王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれたので、ファラオと家臣、またすべてのエジプト人は夜中に起き上がった。死人が出なかった家は一軒もなかったので、大いなる叫びがエジプト中に起こった。ファラオは、モーセとアロンを夜のうちに呼び出して言った。「さあ、わたしの民の中から出て行くがよい、あなたたちもイスラエルの人々も。あなたたちが願っていたように、行って、主に仕えるがよい。羊の群れも牛の群れも、あなたたちが願っていたように、連れて行くがよい。そして、わたしをも祝福してもらいたい。」エジプト人は、民をせきたてて、急いで国から去らせようとした。そうしないと自分たちは皆、死んでしまうと思ったのである。民は、まだ酵母の入っていないパンの練り粉をこね鉢ごと外套に包み、肩に担いだ。イスラエルの人々は、モーセの言葉どおりに行い、エジプト人から金銀の装飾品や衣類を求めた。主は、この民にエジプト人の好意を得させるようにされたので、エジプト人は彼らの求めに応じた。彼らはこうして、エジプト人の物を分捕り物とした」。これが「主の過越」の出来事です。エジプトで奴隷とされていたイスラエルの民が、ついにそこから解放され、脱出することができた。エジプト王がそれを認めたのは、主なる神がエジプト中の初子を、人も家畜も皆打ち殺すというみ業をなさったことによってでした。その時イスラエルの民の家では「過越の小羊」が屠られ、その血が戸口に塗られて、それが目印となり、主はその家を過ぎ越された、通り過ぎられたのです。このことによってついにエジプト王はイスラエルの解放を認めたのです。神によるこの大いなる救いのみ業を記念するのが「主の過越祭」です。その祭においては、2節また6、7節にあるように、羊また牛が過越のいけにえとして屠られ、それを皆が食べることによって、エジプトからの解放の恵みを思い起こし、感謝するのです。

除酵祭  
 この「過越のいけにえ」を屠って食べることと並んでこの祭において行なわれるのは、3節にあるように、七日間「酵母を入れないパン」を食べるということです。それは先程の出エジプト記12章にあったように、過越の出来事に恐れをなしたエジプト人が彼らを急いで去らせようとしたために、パンの生地に酵母を入れて発酵させている暇がなかったことに由来しています。本日の箇所の3節に「その際、酵母入りのパンを食べてはならない。七日間、酵母を入れない苦しみのパンを食べなさい。あなたはエジプトの国から急いで出たからである。こうして、あなたはエジプトの国から出た日を生涯思い起こさねばならない」とあります。このことからこの祭は16節にあるように「除酵祭」と呼ばれます。「酵母を除く祭」です。過越のいけにえを屠り、酵母を入れないパンを食べることによって、主なる神によるエジプトからの解放の恵みを思い起こし感謝するための祭が、アビブの月に行なわれるのです。

二つの祭の起源  
 学者の歴史的研究によれば、「過越祭」と「除酵祭」は元々別の起源を持つものだったようです。過越祭の方は牧畜の生活の中から生まれた祭であり、除酵祭は農耕の生活の中から生まれた祭と考えられるのです。過越祭は、春先に冬の牧草地から夏の牧草地に移動する際の魔除けの儀式を起源としているという説があります。除酵祭は、大麦の刈り入れを始める時期に、その初穂を神に捧げる祭だったのではないかと考えられます。そのことはレビ記23章に「除酵祭」が「初穂を捧げる」ことと結びつけられて語られていることからも裏付けられます。また9節にも、第二の大きな祭である「七週祭」について、「穀物に鎌を入れる時から始めて七週を数える」とありますが、これは具体的には過越祭、除酵祭から七週間を数えるということです。そこからも、除酵祭が「穀物に鎌を入れる時」であることが分かるのです。その年の最初の収穫を神に捧げて恵みを感謝し、豊作を祈り求めるという農耕の祭がその背後にあるのです。  
 このように、もともと起源の違う二つの祭が結び合わされたのが「過越と除酵の祭」です。しかしここで見つめるべき大切なことは、牧畜と農耕という違った起源を持つ二つの祭が、元々の牧畜的な意味も農耕的な意味も背後に退いて、一つの歴史的出来事とのつながりを得ることにおいて一つの祭となっている、ということです。その歴史的出来事とは、出エジプト、主なる神による奴隷状態からの解放の出来事です。過越も除酵も、このこととの関係において意味を与えられ、この出来事を思い起こし、神の救いの恵みを感謝して生きるための祭となっているのです。ここに、神の民イスラエルの祭の根本的な特徴があります。祭は、人間の文明と共に起ってきたものであり、祭を持たない民族はありません。農耕によって生きる民であれば豊作を祝い願う祭を、牧畜によって生きる民であれば家畜の多産を祝い願う祭を必ず行なうのです。しかしイスラエルにおける祭は、それらのことを起源としつつも、民の歴史、神の救いのみ業の歴史と結び付いています。このような祭を行ないつつ生きることによってイスラエルの民は、主なる神による救いのみ業の歴史を受け継ぎつつ、主なる神と共に生きていったのです。言い換えれば、地縁的血縁的関係に生きるのではなくて、神の救いのみ業こそが民の絆である神の民として歩んで行ったのです。

神の民が築かれていくために  
 このこととの関係において注目したのは、5、6節にこのように語られていることです。「過越のいけにえを屠ることができるのは、あなたの神、主が与えられる町のうちのどこででもよいのではなく、ただ、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所でなければならない」。つまり過越の祭を、それぞれが自分の家で守るのではなく、「主がその名を置くために選ばれる場所」で行なえ、というのです。そのことは他の二つの大きな祭においても語られており、それらをまとめて16節に「男子はすべて、年に三度、即ち除酵祭、七週祭、仮庵祭に、あなたの神、主の御前、主の選ばれる場所に出ねばならない」と言われているのです。それぞれの部族の中に主が選ばれた場所があったわけですが、そこに年に三度部族の男子全員が集うというのは、実際に行なうのは困難だったでしょう。これはむしろイスラエルにおける祭の理念を語っていると思われます。その理念とは、主なる神の民はその祭において、主の救いのみ業を記念するために一堂に会する、そこに主の民の絆がある、ということです。主なる神のみ前に共に集って、救いのみ業を記念する祭を行なうことによってこそ、神の民としての共同体が築かれて行くのです。

七週祭  
 さて、第二の大きな祭である「七週祭(ななしゅうさい)」について見ていきます。この祭は過越祭から七週間を経て行なわれます。七週間つまり四十九日を経て次の五十日目に始まる祭です。そこからこの祭は「五旬祭」(ペンテコステ)とも呼ばれます。この祭の意味は10節に「そして、あなたの神、主のために七週祭を行い、あなたの神、主より受けた祝福に応じて、十分に、あなたがささげうるだけの収穫の献げ物をしなさい」とあるように、収穫を感謝し、それを神に捧げるということです。この時期は小麦の収穫時期ですから、小麦の収穫感謝の祭ですが、しかしこの祭も、エジプトの奴隷状態からの解放の恵みと結び着けられていることが11、12節から分かります。主なる神に捧げた収穫物を主のみ前で、「息子、娘、男女の奴隷、町にいるレビ人、また、あなたのもとにいる寄留者、孤児、寡婦などと共に喜び祝いなさい。あなたがエジプトで奴隷であったことを思い起こし、これらの掟を忠実に守りなさい」と語られています。自分もかつて奴隷であり、主によってそこから解放されたことを覚えて、奴隷たちとも共にこの祭を祝うのです。さらにこの「七週祭」は後には、モーセの律法が与えられたことを記念する祭として祝われるようになりました。律法も、エジプトからの解放の恵みに基づいて、イスラエルが神の民として歩むために与えられたものですから、そのことによっても、神の救いのみ業を覚えるという意味がこの祭に加えられたのです。

仮庵祭  
 第三の祭は「仮庵祭」です。この祭は「麦打ち場と酒ぶねからの収穫が済んだとき」に行なわれると13節にありますが、それは秋です。秋の収穫感謝祭がその起源です。これが「仮庵祭」と呼ばれる理由はここには記されていませんが、レビ記23章39~43節にそれが語られているので読んでみます。「なお第七の月の十五日、あなたたちが農作物を収穫するときは、七日の間主の祭りを祝いなさい。初日にも八日目にも安息の日を守りなさい。初日には立派な木の実、なつめやしの葉、茂った木の枝、川柳の枝を取って来て、あなたたちの神、主の御前に七日の間、喜び祝う。毎年七日の間、これを主の祭りとして祝う。第七の月にこの祭りを祝うことは、代々にわたって守るべき不変の定めである。あなたたちは七日の間、仮庵に住まねばならない。イスラエルの土地に生まれた者はすべて仮庵に住まねばならない。これは、わたしがイスラエルの人々をエジプトの国から導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたたちの代々の人々が知るためである。わたしはあなたたちの神、主である」。「仮庵」とは具体的には木の枝で編んで葉で屋根をつくったような小屋です。それは元々はぶどう畑に立てられた番小屋か、収穫したぶどうを絞る作業が行われた小屋から来ているのだろうと思われています。そういう小屋を建てて七日間そこに住むのです。そしてこのことの意味も、「わたしがイスラエルの人々をエジプトの国から導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたたちの代々の人々が知るためである」と言われています。エジプトを出たイスラエルの民が荒れ野の旅路において天幕、テントに住んだということです。この祭もまた、エジプトからの解放の恵みと結びつけられているのです。またこの祭は、世の終わりに、全世界の民がエルサレムに集まって来て祝う祭であると語られている所もあります。ゼカリヤ書第14章16節以下です。「エルサレムを攻めたあらゆる国から/残りの者が皆、年ごとに上って来て/万軍の主なる王を礼拝し、仮庵祭を祝う。地上の諸族の中で、エルサレムに上って万軍の主なる王を礼拝しようとしない者には、雨が与えられない」。ここでは仮庵祭が、世の終わりの救いの完成を待ち望むための祭という意味を与えられているのです。それもまた、主なる神が歴史の中で行なわれる救いのみ業です。イスラエルにおける祭は、過去における救いのみ業を思い起こして感謝するだけでなく、将来に約束されている救いのみ業、救いの完成を待ち望む希望に生きる時でもあるのです。

生きた水  
 今読んだゼカリヤ書に、仮庵祭に上って来て礼拝をしない者には雨が与えられない、と語られていました。仮庵祭の時期は秋の収穫の完了の頃ですが、その後降る雨によって次の年の収穫が左右されたのです。ですからこの祭は元々、その年の収穫を感謝すると共に、次の年の収穫のために雨を乞い求める意味もあったのです。このように仮庵祭は水と関係があります。そこから、仮庵祭の時に、エルサレムで祭司とその供の者たちが立派な行列をなして「シロアムの池」から金の器に水を汲み、それを神殿の祭壇に注ぐ、という「水汲みの儀式」が行なわれるようになりました。そのことが、ヨハネによる福音書第7章37節以下の主イエスのお言葉の背景となっています。37節に「祭が最も盛大に祝われる終りの日に」とありますが、この「祭」とは7章2節にあるように「仮庵祭」です。それが最も盛大に祝われる終りの日というのは、今申しました水汲みの儀式が行われる日なのです。その日に主イエスはこのように語られたのです。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」。仮庵祭において元々祈り求められていた雨、水汲みの儀式において祭壇に水が注がれそこから流れ出すことによって象徴的に示されていた神からの命の水、その水は、主イエス・キリストご自身が与えて下さるものなのです。主イエスが与えて下さる水こそ、生きた水、命の水であり、それこそが私たちを潤し、生かし、またその水が私たちからも流れ出していって多くの人々を潤すのです。主イエスのあのお言葉の背後にこの仮庵祭があることを知ることによって、この祭は私たちにとっても身近なものとなるでしょう。

七週祭とペンテコステ  
 さてこれが仮庵祭と新約聖書の信仰との関わりですが、七週祭はどうでしょうか。七週祭は先程も申しましたようにペンテコステです。この日に、聖霊が弟子たちに降り、主イエス・キリストの福音を信じ、それを宣べ伝える教会が誕生したのです。七週祭は律法が与えられたことを記念する祭となったと申しましたが、律法は旧約聖書の時代の神の民イスラエルの結束の絆でした。それに対してペンテコステの出来事は、主なる神が聖霊によって新しい神の民である教会を主イエス・キリストの下に結集して下さったということでした。七週祭、ペンテコステに聖霊が降って教会が誕生したことはまことに相応しいことであり、この日に主なる神の救いのみ業が大きく前進したのです。

主イエスによる過越  
 第一の祭、過越と除酵の祭と新約聖書との関係は言うまでもありません。本日共に読まれた新約聖書の箇所、ルカによる福音書第22章がそれをはっきりと語っています。1節に「さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた」とあります。この祭が近づくと共に、主イエスを殺そうとする陰謀が進んでいったのです。7節に「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た」とあります。主イエスは8節にあるように弟子たちと「過越の食事」をなさるための準備をされたのです。この「過越の食事」がいわゆる「最後の晩餐」となりました。その晩餐において主イエスは、パンを取って弟子たちに与え「これは、あなたがたのために与えられる私の体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また杯も取って「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約である」と言われました。つまり主イエスはここで、ご自身がまさに過越の小羊として死んで、それによって主なる神の大いなる救いの出来事が実現することを見つめておられるのです。過越の小羊の犠牲によってイスラエルの民のエジプトでの奴隷状態からの解放が与えられたように、主イエス・キリストの十字架の死によって、罪の力にどうしようもなく捕えられており、そこから逃げ出すことができない私たちが、罪の支配から解放され、赦しの恵みを与えられ、新しく生かされるのです。つまり主イエスの十字架による救いは、新しい出エジプトです。主イエスによって、イスラエルの民だけでなく、罪に支配されてしまっている私たち全ての者に、解放の恵みが与えられたのです。過越と除酵の祭において覚えられ、記念されている救いの出来事は、主イエス・キリストの十字架において完成されたのです。  

主の日の礼拝において  
 私たちは今、この主イエス・キリストによる神の救いの出来事を記念する礼拝に集っています。イスラエルの人々が、過越と除酵の祭において、またその他の祭においても祝い、記念したエジプトの奴隷状態からの解放、主なる神の救いのみ業がさらに押し進められ、完成したことを、私たちは毎週の礼拝において祝い、記念し、感謝しているのです。この毎週の礼拝こそが私たちにとっての神の民の祭です。イスラエルの人々は年に三度、三つの大きな祭にいて主の前に集いました。私たちは毎週の主の日、日曜日に教会の礼拝に集います。それは、この主の日に主イエスが復活なさったことを記念してです。イスラエルの人々が記念した過越の出来事は、過越の小羊の死による救いでしたが、私たちのための過越の小羊として死んで下さった主イエスは、父なる神の力によって復活したのです。主イエスの父である神は、死の力に勝利して主イエスに与えて下さった復活の命を私たちにも約束して下さっているのです。主の日の礼拝はこのことを覚え、感謝する、新しい神の民である教会の祭です。主なる神は主の日ごとの礼拝において私たちを、主イエス・キリストの十字架の死と復活による救いにあずからせ、私たちを神の民として主イエスの下に結集し、主イエスと共に生かして下さっているのです。

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