主日礼拝

聖霊に送り出されて

「聖霊に送り出されて」 牧師 藤掛 順一

・ 旧約聖書; イザヤ書、第52章 7節-10節
・ 新約聖書; 使徒言行録、第13章 1節-12節
・ 讃美歌 ; 10、165、411
・ 奉唱  ; 47

 
パウロ言行録?
 礼拝において、使徒言行録を読み進めてきまして、本日から第13章に入ります。先週読んだ第12章には、使徒ペトロがエルサレムにおいてヘロデ王の迫害から奇跡的に解放されたことが語られていましたが、ペトロの活動が語られているのはここまでで、本日の13章から先は、使徒言行録はもっぱらサウロの活動を語っていきます。サウロは、本日の個所の9節で「パウロとも呼ばれていたサウロ」とあり、この後の13節以下ではパウロとのみ呼ばれていきます。「サウロ」はユダヤ的な名前であり、「パウロ」はギリシャ・ローマ的な呼び方です。ちなみに本日の7節にローマ帝国のキプロス総督だった「セルギウス・パウルス」という人が出てきますが、この「パウルス」はパウロと同じ名前です。この人を「パウルス」と訳し、パウロをパウロと訳すのは実はちぐはぐなことで、前の口語訳聖書はどちらも「パウロ」でした。それはともかく、使徒言行録の13章以下は「パウロ言行録」と言ってもよいくらいの記述になっていくのです。

「パウロの伝道旅行」
 「パウロとも呼ばれていたサウロ」の活動がこのように前面に出て来るのは、ここから、いわゆる「パウロの伝道旅行」が始まるからです。聖書の巻末の付録に地図がありますが、その7、8、9は、パウロの宣教旅行と、最後にローマへと護送された旅についての地図です。13章以下にはこれらの地図に関わることが語られていくわけで、本日のところには第一回伝道旅行への出発と、最初の伝道地キプロスにおける活動が語られているわけです。しかしここで大事なことを確認しておかなければなりません。それは、私たちはしばしば「パウロの伝道(あるいは宣教)旅行」という言い方をしますけれども、そのように言うことは必ずしも正確ではない、ということです。

バルナバとサウロ
 彼らが最初の伝道地として向かったのがキプロス島だったこともこのことと関係しています。キプロスは、バルナバの出身地です。4章36節にそのことが記されています。キプロス伝道はバルナバにとっては郷里伝道であり、そこにはいろいろと昔からの知り合い、つながりのある人々がいたのでしょう。そういう人間的な「つて」は、伝道のための有効な足がかりとなります。ですから、先ずキプロスへということも、この伝道旅行の主導者がバルナバであることを示しています。そしてこれは後のことですが、第二回の伝道旅行に出かける時には、パウロとバルナバとの間に意見の食い違いが起こり、二人は別行動を取ることになります。その時には、パウロは陸路、シリアから自分の出身地キリキアを通って小アジア方面へ向かったのに対して、バルナバは再びキプロスに行ったのです。その時に彼らの仲違いの原因となったのが、本日の個所で二人が助手として連れて行ったヨハネでした。仲違いの事情についてはここではお話しする暇がありませんが、このヨハネのことについてはもう少し見ておく必要があります。このヨハネは、十二人の使徒の一人であるヨハネではありません。先週読んだ12章12節に、「マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家」というのがエルサレムにあったと語られていましたが、その「マルコと呼ばれていたヨハネ」のことです。このヨハネがアンティオキア教会にいたのは何故かということが、12章25節に語られていました。「バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った」。この、「エルサレムのための任務」とは何かは、11章27節以下にあります。飢饉が起こり、エルサレム教会の人々が困窮の中にあった時に、アンティオキア教会の人々が献げ物をして、援助の品を送ったのです。それをエルサレムに届けたのがバルナバとサウロでした。二人はその任務を果たし、その帰りに、エルサレムから、マルコと呼ばれるヨハネをアンティオキアへ連れ帰ったのです。そしてこのマルコと呼ばれるヨハネは、コロサイの信徒への手紙第4章10節によれば、バルナバのいとこだったと伝えられています。つまりバルナバが、自分のいとこであるヨハネをアンティオキアに連れて来て、そして伝道旅行にも同行させたのです。このことからも、この伝道旅行がバルナバの主導の下に行われたことが分るのです。

教会の礼拝と祈りの中で
 このように、この第一回伝道旅行は、少なくともその出発において、パウロが中心となったものではありませんでした。しかし、パウロが中心か、バルナバが中心か、ということは実はそんなに大きな問題ではありません。確認しておくべき最も大事なことは、この伝道旅行は、バルナバであろうとサウロであろうと、個人の決意や意志によって始まったものではなく、アンティオキア教会の礼拝と祈りとの中で、聖霊によって示されたものであり、そのために彼ら二人が任命され、遣わされて開始されたものだ、ということです。そのことが、2、3節に示されています。「彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。』そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた」。

アンティオキア教会の外地伝道
 先ず第一に、「彼らが主を礼拝し、断食していると」とあります。断食は祈りのためになされることですから、ここには、アンティオキア教会の人々の礼拝と祈りが見つめられているのです。礼拝と祈りに生きる教会に、聖霊の示しが与えられます。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい」という示しです。聖霊の示しはバルナバやサウロ個人に与えられたのではありません。彼らが聖霊によって「伝道旅行に行きたい」という志を与えられたのではなくて、聖霊がこの二人を、「わたしが前もって決めておいた仕事に当たらせるために」指名されたのです。つまり、伝道旅行が行われることも、また誰がそのために遣わされるのかも、全ては聖霊が、即ち神様が教会にお命じになったことだったのです。アンティオキア教会はこの聖霊の示しを受けて、3節にあるように、「断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させ」ました。これは教会が、神様の示しを受け入れ、それに従ったということです。「手を置く」というのは、ただ祝福して、頑張って来いよと励ました、ということではありません。手を置くことを「按手」と言いますが、それは教会がある人をある務めへと立てることを表す行為です。つまりバルナバとサウロはここで、アンティオキア教会によって正式に立てられ、伝道へと派遣されたのです。アンティオキア教会は、礼拝と祈りの中で示された神様のみ心を受け止めて、それを教会の業として位置づけたのです。こうして、この伝道旅行は、バルナバのでもパウロのでもない、アンティオキア教会の働きとなりました。実際にそれをしていくのはバルナバでありサウロであったとしても、その働きはアンティオキア教会によって立てられ、派遣されてしていることなのです。ですからこれを「パウロの伝道旅行」と呼ぶのは正確でないのです。これらの伝道旅行は、アンティオキア教会の外地伝道の業なのです。

犠牲を払って
 「出発させた」と訳されている言葉は、「派遣した」という言葉ですが、同時に、「解放した、解き放った」という意味も持っています。そのことに注目すればこれは、アンティオキア教会が二人をこの伝道の業のために解き放った、と言うこともできます。バルナバもサウロも、教会の大切な指導者たちです。教会の人々に、また人口が80万にも達していたとされるアンティオキアの町の、まだ福音にふれていない多くの人々に、神様のみ言葉を告げ知らせる働きを担っていた人々です。できることなら彼らにずっとここに留まり、この町で伝道を続けていって欲しい、という思いもあったことでしょう。しかしアンティオキア教会の人々は、神様がお示しになった伝道の計画に従い、自分たちの大切な指導者を伝道旅行へと派遣したのです。自分たちの教会における働きから解き放ったのです。そういう犠牲を払ったのです。アンティオキア教会がこのように犠牲を払ったことによって、いわゆるパウロの伝道旅行が行われ、それによって地中海世界の各地に教会が生まれていったことを私たちは忘れてはなりません。教会が生きているというのはこういうことです。聖霊によって生き生きと生かされている教会は、常に、外に向かって、まだ主イエス・キリストの福音を知らない世の人々に向かって、それを宣べ伝え、人々を招き、迎え入れていく、という思いを持ち、またそのために、犠牲を払っていく姿勢を持つのです。教会がもしも、今集っている自分たちの交わりに安住し、その居心地の良さにあぐらをかいて、その居心地の良さを守ることばかりを考え、新しい人、外の人々に対して閉鎖的になるようなことがあるなら、それは、聖霊のお働きを失った、抜け殻のような教会です。そこに支配しているのは、自分の心地良さを求める人間の思いであり、神様のみ言葉の支配はどこかへ行ってしまっているのです。自分たちの心地良さを犠牲にしても、外に向かって福音を宣べ伝えていこうとする、アンティオキア教会に見られるこの姿勢を、私たちも受け継いでいきたいのです。

伝道の進展
 さて、このようにして始まった伝道旅行の最初の伝道地キプロス島でのことです。5節にあるように、彼らはキプロスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせました。いわゆるパウロの伝道旅行を、異邦人伝道のための旅行だと考える人がいますが、それは結果であって、彼らは最初から異邦人に伝道しようとして出かけたのではありません。どの町でも、彼らが最初に訪れ、神の言葉を告げ知らせたのはユダヤ人の会堂でした。しかしそこから追い出されたりして、次第にユダヤ人よりも異邦人たちが彼らの語るみ言葉に耳を傾けるようになっていったのです。キプロスでもそうでした。ユダヤ人の諸会堂で語っていた彼らのことを、ローマ帝国のキプロス総督だったセルギウス・パウルスが聞き付け、彼らを招いて神の言葉を聞こうとしたのです。この人は勿論ユダヤ人ではない、異邦人です。その彼が、積極的に神様のみ言葉を聞こうとしたのです。このようにして、バルナバとサウロとのキプロス伝道は大きな進展を見せ、福音のための門戸が大きく開かれたのです。

妨害
 しかし、このように伝道が進展し、門戸が開かれるところには、必ず、それに対する妨害が起ってきます。彼らが直面したのは、バルイエスというユダヤ人の魔術師による妨害でした。彼は総督セルギウス・パウルスと交際していたと7節にあります。おそらく、魔術によって人々を驚かせることによって、自分を大きな力を持った特別な人物だと思わせ、総督の相談役のような地位を得ていたのでしょう。そこに、バルナバとサウロが現れ、総督もその言葉に耳を傾け始めたのです。バルイエスが魔術に基づいて語る言葉と、バルナバとサウロが語るみ言葉との間の対決がそこに生じたのです。バルイエスが語る言葉は、魔術を拠り所としていますが、魔術というのは、結局その人の力を誇示するためにしか働きません。魔術で政治問題が解決することはないし、魔術で飢えた人々が皆救われることはないのです。ですから魔術によってどんなに権威づけられても、彼の語る言葉は結局人間の知恵や常識の域を出ることはありません。つまりその内容はまことに陳腐なものなのです。よくテレビに出てくる、占いとかのいろいろな力を持っているとされる人の語る言葉が、まことに陳腐な、誰でも言えるようなことであるのと同じです。それに対してバルナバとサウロが語った言葉は、主イエス・キリストにおける神様の驚くべき恵みを語る言葉です。神の独り子が人間となり、私たちの全ての罪を背負って十字架にかかって死んで下さった。それによって神様は私たちの罪を赦し、恵みの内に置いて下さっている。そして主イエスの復活によって、私たちに新しい命、永遠の命の約束が与えられている。神様のそのような救いのみ業が既に行われた。主イエスを信じる者は自分のよい行いによってではなく、信仰によってその救いにあずかることができる…。これはもはや人間が考えて語れる知恵ではないし、誰でもが語れる陳腐な話ではありません。それは神様の恵みの良い知らせを伝え、救いを告げる神の言葉なのです。神様のみ言葉が語られる時、人間が自分の知恵や考えによって語る言葉の陳腐さ、虚しさが露わになります。総督の心は、自然にバルナバとサウロの方に傾いていったのです。焦りを感じたバルイエスは何とかして総督の心を信仰から遠ざけ、自分の影響力を保とうとします。8節の「魔術師エリマ」はバルイエスと同一人物と考えてよいでしょう。彼はあの手この手を使ってバルナバとサウロの伝道を妨害したのです。伝道には、このような妨げ、敵対が必ず伴います。伝道が進展すればする程、それに対するこの世の力の抵抗、妨害も激しくなるのです。妨げや抵抗のない伝道などはあり得ません。神様のみ言葉が語られるところには、必ず、この世の力、人間の支配との戦いが起るのです。

聖霊の戦い
 彼らはこの戦いに勝利することができました。そこにおいて、「パウロとも呼ばれていたサウロ」が前面に出てきます。彼がバルイエスをにらみつけて、10節から11節にあるように、「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう」と語ると、バルイエスの目はかすみ、見えなくなってしまったのです。サウロはこのように魔術師バルイエスに勝利しました。しかしそれはサウロの勝利ではありません。9節に、「サウロは、聖霊に満たされ」とあるように、ここで戦っておられるのは聖霊です。私たちは勘違いをしないようにしなければなりません。伝道には敵対、妨害が必ず伴いますが、それと戦うのは、私たちではないのです。戦って下さるのは聖霊です。では私たちは何をするのか。聖霊の戦いの手助けをするのでしょうか。それも違います。私たちは、聖霊の傍らでその手助けをすることができるような者ですらありません。むしろ私たちは、聖霊なる神様がそこで戦って下さる戦場を設定するのだ、と考えるべきでしょう。私たちが出かけて行って伝道をする、自分の知っている人、関わりのある人に声をかけ、自分がキリストを信じる者であることを告げ、教会に誘う、そのことによって私たちは、聖霊がそこで戦って下さる戦場を設定するのです。私たちが遣わされて伝道するのは、そこで私たちが戦うためではなくて、聖霊が戦って下さる場を設けるためなのです。そこで私たちは、聖霊のお働きを祈り求めます。また聖霊の力が十分に発揮されるように、つまり、自分の思いや不信仰が聖霊のお働きを妨げてしまうことがないように、自らを整えるのです。そのためには、神様のみ言葉が自分の内に本当に響き、自分の思いや願いがそれによって打ち砕かれ、ただみ心が成ることを祈り求めなければなりません。そこにおいてこそ、聖霊は自由に、のびのびと、その力を発揮して下さるでしょう。サウロが魔術師バルイエスと戦うことができたのは、この聖霊のお働きに身を委ねていたからなのです。

多神教と一神教
 12節には、「総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った」とあります。総督が非常に驚いたのは、敵対する者の目を見えなくすることができたサウロの力ではありません。「主の教えに非常に驚き」とあります。彼が驚いたのはバルイエスに勝るサウロの魔術的力ではなく、主の教え、神様のみ言葉です。魔術によって人を驚かすだけのこけ脅しの言葉とは全く違う、神様の恵みを告げるみ言葉を彼は驚きをもって聞いたのです。主の教えは真実に人を生かすことを知ったのです。彼が生きてきたローマの世界は、多くの神々が祭られる多神教の世界です。そこでは、神々は、人間のすることを励まし、支える存在です。あくまでも主体は人間にあり、神々は人間のすることを見守るだけで、口出しはしません。日本の社会における神仏の位置づけもそれと同じでしょう。そういう多神教の方が、神様と神様との間に喧嘩が起らなくてよいのだ、という考え方もあります。世界で起っている様々な宗教的対立や、それによる戦争やテロを見ると、それも一理あるようにも思えます。しかし反面、多神教の社会では、少しでも魔術的な力があると、そこに何らかの神の働きがあるように思われて、すぐにそれが影響力を持ってしまうということが起こります。総督パウルスもそのためにバルイエスの影響を受けていたのです。しかし彼はバルナバとサウロとの伝道によって、唯一人の、生けるまことの神様を知りました。この神様の下で生きるところにこそ、この世の様々な力、魔術的な力も含めて、人間の世界を支配しようとうごめいている無数の力に翻弄されることなく、しっかりと軸の定まった、支えのある、それゆえに本当の喜びと慰めとのある歩みが与えられることを示されたのです。多くの神々を祭り、この時はこの神様、あの時はあの神様の助けを求めるという多神教は、信仰を人生のアクセサリーとするにはよいかもしれません。しかし私たちの人生を、特にその危機において、真実に支え、慰めと導きを与えてくれるのは、唯一人のまことの神様の恵みを知る信仰以外にはないのです。
 聖書が語り、私たちが礼拝しているこのまことの神様は、独り子を私たちのためにこの世に遣わして下さり、十字架の死を引き受けることによって、神様に逆らう罪人である私たちに救いを与えて下さった方です。この方を本当に信じるならば、私たちは、神様に逆らう罪人の救いのために犠牲を払うことを喜ぶ者となります。敵対する者を戦争やテロによって滅ぼそうとするような生き方はこの方を信じる信仰とは相容れません。これまでも、そして今も起っている宗教対立による戦いやテロは、人間が宗教を、自分の主義主張のための錦の御旗として利用することによって生じているのです。唯一人の神様を信じることが争いの原因なのではなく、その信仰が人間の自己主張のために利用される時にそういうことが起るのです。

聖霊に送り出されて
 総督パウルスは主の教えを受け入れ、主イエス・キリストを信じる信仰者となりました。第一回伝道旅行の、と言うよりもアンティオキア教会の外地伝道の最初の実りがこのようにして与えられたのです。礼拝と祈りの中で教会に示された主のみ心が、このようにして、聖霊のお働きによって実現していきます。私たちも、それと同じ聖霊のみ業の中に置かれているのです。聖霊なる神様は、今度は私たちを、み業のために用いようとしておられます。今この礼拝から、聖霊が私たちをそれぞれの場へと送り出して下さるのです。聖霊に送り出されて、聖霊のお働きに身を委ねつつ歩むならば、私たちはそれぞれの与えられている場で、神様が教会に与えておられる伝道の使命を担う者となることができます。私たちの足はまことに罪深い、汚れに満ちたものでしかありませんが、聖霊が働いて下さる時、それが、平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられたと呼ばわる、美しい足として用いられるのです。

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