夕礼拝

人間の思いと神の思い

説教「人間の思いと神の思い」牧師 藤掛順一
旧約聖書 列王記下第15章32節-16章20節
新約聖書 ローマの信徒への手紙第11章11-24節

14章の振り返り
 月に一度私が夕礼拝の説教を担当する日には、旧約聖書列王記下を読み進めています。先月は14章を読みました。本日は15章の終わりのところから16章を読みます。毎回お話ししていますが、列王記のこのあたりには、ダビデによって確立し、その子ソロモンの下で最も繁栄したイスラエル王国が、ソロモン王の死後、北王国イスラエルと南王国ユダとに分裂してからのことが語られています。南北両王国の歩みが並列して語られているのです。前回読んだ14章には、南王国ユダの王アマツヤの治世のことと、北王国イスラエルの王ヤロブアム二世の治世のことが語られていました。ユダの王アマツヤについては、「主の目に適う正しいことを行った」と言われており、イスラエルの王ヤロブアム二世については「主の目に悪とされることを行った」と言われていました。しかし14章を読むと、アマツヤは王としての思慮に欠けた愚かな人で、ユダ王国を危機に陥れました。そして彼は最後には家臣の謀反によって殺されてしまったのです。それに対してヤロブアム二世は、北王国イスラエルに空前の繁栄をもたらしました。このように14章には、主の目に適うことを行った良い王の下でユダ王国が衰退し、主の目に悪とされることを行った悪い王の下でイスラエル王国が繁栄したことが語られていたのです。

良い王と悪い王
 ここには、列王記を読む上で大事ないくつかのことが示されています。列王記は、南北両王国のそれぞれの王について、「主の目に適う正しいことを行った」良い王か「主の目に悪とされることを行った」悪い王か、という評価をしています。「主の目に適う正しいことを行った」というのは、バアルなどの偶像の神を拝むことなく、主なる神のみを礼拝した、ということであり、「主の目に悪とされることを行った」というのは、特に北王国イスラエルの最初の王ヤロブアムが、ダビデ王朝に反旗を翻して北王国を築いた時に、人々がエルサレムの神殿に行かなくても主なる神を礼拝できるようにするために、金の子牛の像を造って自国内に安置し、「これが主なる神だ」と言ったことを指しています。主なる神を目に見える偶像にすることは大きな罪です。北王国イスラエルの歴代の王はこの罪を継承していったのです。なので北王国の王たちは皆「主の目に悪とされることを行った」と言われており、南王国の王たちはおおむね「主の目に適う正しいことを行った」と言われています。列王記は王たちをこのように「良い王」と「悪い王」に分けていますが、この評価は、政治的な手腕や国を統治する能力とは関係ありません。要するに、信仰的に良い王でも無能な人はいたし、その逆の場合もあったのです。だから良い王の下では国が繁栄したというわけでは必ずしもないし、悪い王の下で衰退したわけでもないのです。だとしたら、列王記における「良い王と悪い王」という評価は無意味なのでしょうか。そうではありません。この評価は、歴史の大きな流れにおいて大事な意味を持っています。天地を創造し、歴史を支配し導いておられるのは主なる神です。他の神、偶像の神を拝むことをせず、主なる神のみを礼拝する者たちを、主は祝福して下さいます。反対に、自分の都合によって神を目に見える像に仕立てるような罪に対しては、主はお怒りになるのです。北王国イスラエルは始めからそういう罪の下にあり、そこから離れることなく歩みました。その罪のゆえに、北王国は最終的にはアッシリアによって滅ぼされてしまうのです。そのことがこの後の17章に語られています。「主の目に悪とされることを行った」国はやはり立ち行かずに滅びていったのです。
 それに対して南王国ユダは、北王国の滅亡の後もなお存続しました。それは、エルサレム神殿において主なる神を礼拝していた、つまり「主の目に適う正しいこと」を行っていたユダ王国を、主が守り支えて下さったからです。しかしユダ王国も、次第に周辺の諸民族の影響を受けて、偶像の神を拝んだり、後で触れますが主のみ心に反することを行うようになっていきました。つまりユダも結局は「主の目に悪とされること」を行うようになったのです。そのために、イスラエル王国の滅亡から150年ほど後に、ユダ王国もバビロニアによって滅ぼされてしまいます。列王記はそのユダ王国の滅亡までを語っています。列王記が語っている「良い王と悪い王」の区別、つまり「主の目に適う正しいことを行う」か「主の目に悪とされることを行う」かは、このように、国の命運を最終的に左右することだったのです。
 しかしそれは歴史の大きな流れにおいてです。短期的に見れば、つまり個々の王の治世を見るならば、14章に語られていたように、主の目に適う正しいことを行った良い王の下で国が衰退し、主の目に悪とされることを行った悪い王の下で繁栄する、ということが起っています。列王記がそのことを語っていることには意味があります。歴史の大きな流れにおいては確かに、主なる神を礼拝するか、主を離れて他の神々や偶像を拝むかは、その国の歩みが祝福されるか否かを左右します。しかし短期的に見れば、あるいは一人ひとりの人生においては、主なる神を礼拝していても苦しみにあうことがあるし、罪を犯している者が成功し、富み栄えるようなこともあるのです。列王記はそのことを醒めた目で見つめ、語っています。そのことから分かるのは、列王記は、「主なる神に従い、主を礼拝すれば幸せになれる。逆に主に従わず、主を礼拝しないと不幸になる」という単純な勧めを語ろうとしているのではない、ということです。

主なる神の憐れみ
 それでは列王記は何を語ろうとしているのでしょうか。それは、北王国イスラエルも、南王国ユダも共に、主がお選びになった神の民なのであって、主は彼らが主のみを礼拝し、主なる神の民として生きることを、つまり本来のあり方へと立ち返って、ご自分と良い関係を築くことをいつも願い、待っておられる、ということです。主の目に悪とされることを行っても直ちに滅ぼされてしまうことはなく、かえって国が繁栄することがあるのは、主が憐れみをもって彼らの立ち帰りを、悔い改めを待っておられるということだし、主の目に適うことを行い、主をのみ礼拝していても衰退してしまうことがあるのは、我々は繁栄や幸福を得るために神を礼拝しているのではない、幸福であろうと不幸であろうと、神の民である我々は主なる神を礼拝しつつ生きるのだ、ということを示すためだと言えるでしょう。

アザルヤ=ウジヤ
 さて、14章の振り返りが長くなりましたが、15章から16章を読む上でも、このことが土台となります。アマツヤが家臣の謀反によって暗殺された後、王位を受け継いだのはその子アザルヤでした。15章の1節から2節にかけてこう語られています。「イスラエルの王ヤロブアムの治世第二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった。彼は十六歳で王位につき、五十二年間エルサレムで統治した」。こにに語られている年の記述は正しくありません。ヤロブアム二世がイスラエルの王になったのと、アザルヤがユダの王になったのは、実際にはほぼ同時であると考えられています。また15章5節には「主が王を打たれたので、アザルヤは死ぬ日まで規定の病にかかり、離宮に住んだ。そのため、王の子ヨタムが宮廷長として国の民を治めた」とあります。新共同訳では「重い皮膚病」と訳されていた病が、聖書協会共同訳では「規定の病」となりました。アザルヤはその病にかかったので、途中からは息子であるヨタムが摂政となって国を治めたのです。そしてアザルヤが死ぬとヨタムが次の王となりました。このことを語っているのが、本日の箇所の冒頭の15章32節です。「イスラエルの王、レマルヤの子ペカの治世第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となった」。これも年の記述は間違いで、レマルヤの子ペカがイスラエルの王となったのはヨタムの子であるアハズがユダの王である時、つまりずっと後のことです。しかしそれよりも、ここを読んであれ?と思うのは、その前のところまではアザルヤだったのが、32節ではウジヤとなっているからです。アザルヤが突然ウジヤに変わっているのです。列王記の後の歴代誌下の26章においては、この王はウジヤです。何故このように二つの名前が出て来るのかは不明ですが、15章32節は、このアザルヤ=ウジヤ王が死んで、その子ヨタムがユダの王となったことを語っているのです。

預言者イザヤの召命
 このウジヤ王の死んだ年、つまりヨタムが王となった年は聖書において重要な年です。イザヤ書6章に、預言者イザヤが主なる神の召しを受けて預言者となったことが語られています。それは6章1節の冒頭にあるように「ウジヤ王が死んだ年」のことでした。この年に、イザヤは神殿において、「高く上げられた玉座に主が座っておられるのを見た」のです。人間が本来見ることを許されない主なる神の栄光のお姿を見たイザヤは、「ああ、災いだ。私は汚れた唇の者、私は汚れた唇の民の中に住んでいる者。しかも、私の目は王である万軍の主を見てしまったのだ」と言いました。しかし天使が祭壇の炭火を彼の口に触れさせて、「見よ、これがあなたの唇に触れたので、過ちは取り去られ、罪は覆われた」と言いました。そして彼は主なる神の声を聞いたのです。「誰を遣わそうか。誰が私たちのために行ってくれるだろうか」。イザヤはそれに応えて「ここに私がおります。私を遣わしてください」と言いました。こうしてイザヤは主なる神の預言者として立てられたのです。ウジヤ王が死んだ年にこのことが起ったと語られているのは、ウジヤ王の死と、イザヤが預言者としての召しを受けたことが深く繋がっていることを示しています。イザヤはウジヤ王の下で、その政治を担っていた者の一人だったと思われるのです。そのイザヤが、政治の世界を離れて預言者として主なる神の言葉を伝える者となった、そのきっかけがウジヤ王の死だったのです。
 このアザルヤ=ウジヤ王について、列王記はあまり語っていません。15章3節に「彼は父アマツヤが行ったように、主の目に適う正しいことをことごとく行った」とあるだけで、具体的なことは語られていません。歴代誌下の26章には、ウジヤ王の業績が詳しく語られています。それによれば、彼はとても有能な王で、彼の下でユダ王国は勢力を拡大したようです。しかし歴代誌は、ウジヤが成功と繁栄によって驕り高ぶるようになり、主に背いたために主の怒りによって規定の病にかかった、とも語っています。列王記はこれらのことを何も語っていません。先ほどの15章5節に、主が王を打ったので規定の病にかかった、とありますが、規定の病にかかること自体が主によって打たれることであり、それは必ずしも罪に対する罰というわけではありません。ですから列王記の記述からは、アザルヤ=ウジヤの治世の様子は分かりません。しかしウジヤ王の死が、イザヤにとって大きな転換点となったことは確かでしょう。

アハズ王の罪
 さて列王記下の16章には、ヨタムの後を継いでユダの王となったアハズのことが語られています。16章1節から2節の前半にこうあります。「レマルヤの子ペカの治世第十七年に、ユダの王ヨタムの子アハズが王となった。アハズは二十歳で王位につき、十六年間エルサレムで統治した」。先ほど申しましたように、ペカがイスラエルの王となったのはアハズがユダの王となった後です。それはともかく、2節後半から4節にはこのアハズについての評価がこう語られています。「だが彼は父祖ダビデと異なり、自分の神、主の目に適う正しいことを行わなかった。彼はイスラエルの王たちの道を歩み、主がイスラエルの人々の前から追い払った諸国民の忌むべき慣習に倣って、自分の子に火の中をくぐらせることさえした。さらに、高き所や丘の上で、また、すべての生い茂った木の下でいけにえを献げ、香をたいた」。南王国ユダの王としては珍しく、アハズは「主の目に適う正しいことを行わなかった」と言われています。「イスラエルの王たちの道を歩み」というのは、北王国イスラエルの王たちと同じように偶像を礼拝したということです。さらに「主がイスラエルの人々の前から追い払った諸国民の忌むべき慣習に倣って、自分の子に火の中をくぐらせることさえした」とも言われています。「自分の子に火の中をくぐらせる」というのは、子どもをいけにえとして献げる宗教的祭儀を行ったということです。日本でも「人身御供」ということが行われていました。得体の知れない力を恐れ、その怒りを鎮めたり願いを叶えてもらうために、人間をいけにえとして献げるのです。献げるものが自分にとって大事であればある程効果がある、と考えられたので、自分の子どもさえもいけにえとすることがなされていったのです。主なる神がイスラエルの民に与えて下さった約束の地カナンの先住民たちはそういう祭儀を行っていました。しかし主なる神は、ご自分の民イスラエルに、そういうことを厳しく禁じておられました。申命記18章9節以下にこう語られています。「あなたの神、主の与える地に入ったならば、そこの諸国民の忌むべき慣習を見習ってはならない。あなたの中に、自分の息子や娘を火にくぐらせる者、占い師、卜占する者、まじない師、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。これらのことを行う者をすべて、主は忌み嫌われる。この忌むべきことのゆえに、あなたの神、主は、諸国民をあなたの前から追い出される。あなたは、あなたの神、主と共にあって、全き者でなければならない。あなたが追い出そうとしているこれらの国民は卜占する者や占い師の言うことを聞いているが、あなたの神、主は、あなたがそうすることをお許しにならない」。アハズはこの主のみ言葉に背いて、子どもをいけにえとする祭儀を行ったのです。同じことが北王国イスラエルにおいても行われていたことが17章17節に語られています。これらの罪のゆえに北王国は滅びていったのですが、アハズはその罪を南王国ユダにも導入したのです。この後21章には、マナセという王も同じことをしたと語られています。ユダ王国も、これらの罪に陥ったために、滅びてしまうことになるのです。ですからアハズは、ユダ王国滅亡に向けての最初の一歩を踏み出した人だと言うことができるのです。

アハズ王の下でユダ王国は守られた
 しかし、14章の振り返りにおいて見たように、アハズが罪を犯したから直ちにユダが滅ぼされたわけではありません。北王国はアッシリアによって滅ぼされていきましたが、南王国は主によって守られていたのです。5節にそのことが語られています。「その頃、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、エルサレムを攻めようと上って来た。だが、彼らはアハズを包囲したが、戦いを交えることはできなかった」。アラムつまりシリアと、北王国イスラエルが同盟を結んでエルサレムに攻めて来たのです。それは、当時東から勢力を拡大してきていた大国アッシリアに対抗するためにアラムとイスラエルが結んだ同盟にユダをも加わらせるためでした。しかし彼らはエルサレムを包囲したが、攻撃することはできませんでした。列王記はそのことを、7節以下に語られているように、アハズがアッシリアの王ティグラト・ピレセルに助けを求めたからだと語っています。敵の敵は味方、ということでアハズはアッシリアに助けを求め、アッシリアはその願いを聞いて、と言うよりもそれに乗じて攻めて来て、アラムの首都ダマスコを陥落させ、アラムは滅ぼされたのです。
 アラムとイスラエルの同盟軍に攻められて、アハズ王と人々の心は「森の木々が風に揺れ動くように動揺した」とイザヤ書7章にあります。イザヤは、アッシリアに助けを求めたりせずに、主なる神に信頼して「静かにしていなさい」とアハズに告げたのです。しかしアハズは静かにしておれずにアッシリアに頼りました。歴代誌下26章も、アッシリアに助けを求めたアハズを厳しく批判して、彼がそうしたことによってユダ王国は弱体化したのだと言っています。しかし列王記はそのようにアハズを批判しているわけではないようです。アハズの外交手腕によってこの時ユダ王国は確かに、アラムとイスラエルの攻撃から守られたのです。しかしそのアハズは先ほど見たように、主の目に悪とされることを行った悪い王でした。罪に満ちた悪い王の下で国が守られた。そのことを淡々と記すことによって列王記は、主なる神の遠大なみ心とみ業を語っているのです。主の目に適う正しいことを行うことによってこそ、長い目で見た時に、祝福された歩みが与えられます。主の目に悪とされることを行っていくところに将来は開かれないのです。しかし短期的に見れば、罪を犯した悪い王の下で国が守られることもある。それは、主なる神がご自分の民を憐れんで下さっているがゆえです。主は罪に陥った悪い王をも用いて、民を守るという恵みのみ業を行って下さっているのです。私たち人間は、目先のことしか考えることができず、短いスパンでしかものを見ることができませんが、主なる神は、遠大なご計画をもってこの世界と私たちを導いて下さっているのです。人間の思いと神の思いは違うのです。

神の遠大な救いのみ心
 共に読まれた新約聖書の箇所であるローマの信徒への手紙11章11節以下は、パウロが、主なる神の遠大な救いのご計画を見つめているところです。神に選ばれた神の民であるはずのユダヤ人たちが今、神が遣わして下さった独り子、救い主イエス・キリストを受け入れず、むしろ神の民でなかった異邦人たちが主イエスを信じてその救いにあずかっている。そういう現実を前にしてパウロは、そこに神の大きな救いのみ心、ご計画を見ています。神の民であるユダヤ人たちが主イエスを受け入れなかったために、その救いが今や異邦人にも及んでいるのです。ユダヤ人たちの不信仰は、主のみ心、ご計画の中で、異邦人が救われるために用いられたのです。しかしそれは、ユダヤ人たちはもう捨てられてしまったということではありません。このことを通してユダヤ人たちも、もう一度主イエスのもとに立ち帰り、救いにあずかるようになる。本来神の民だった彼らは、よりたやすく、救い主イエス・キリストに結び合わされ、その救いにあずかることができる。パウロはそう確信しています。人間の罪や不信仰は神の怒りと裁きをもたらす。しかし神は、人間の罪や不信仰をも用いて、ご自身の憐れみのみ心による救いのみ業を行って下さるのです。そのことは、北王国イスラエルと南王国ユダが結局どちらも罪のゆえに滅びてしまっても、主なる神の民の歩みはなお終わってしまうことなく、バビロン捕囚の苦しみの中でも、そしてそこから解放されてユダヤの地に帰還してからも続いていったこと、そしてその歩みの中に、救い主イエス・キリストが遣わされて、その十字架の死と復活による決定的な救いのみ業がなされたことにも示されています。神は人間の思いを超えたみ心によって、神に背き逆らう人間の罪を乗り越え、またそれをも用いて、この歴史の中で救いのみ業を実現して下さっているのです。私たちはこの神のみ心とみ業をこそ見つめていくのです。それによって、目先の出来事に振り回されることなく、歴史を支配しておられる主なる神に信頼して歩むことができるのです。

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