夕礼拝

ダビデの即位

5月21日 夕礼拝
「ダビデの即位」 牧師 藤掛順一 
・サムエル記下第2章1節-第3章1節
・マタイによる福音書第1章1-17節

神の救いの歴史の節目となったダビデ
 私が夕礼拝の説教を担当する日には、旧約聖書サムエル記よりみ言葉に聞いており、先月からその「下」に入りました。サムエル記上には、イスラエルに最初の王サウルが立てられたけれども、彼は主なる神のみ言葉に従わなかったために次第に没落していき、代って神が新たにお立てになったダビデが頭角を現していったことが語られていました。そして最後のところには、サウルがペリシテとの戦いにおいて戦死したことが語られていました。サムエル記下は、サウルの死後、ダビデがイスラエルの王となり、彼のもとでイスラエル王国の基礎が固められていったことを語っています。このダビデの子孫として、主イエス・キリストがお生まれになったのです。本日共に読まれた新約聖書の箇所、マタイによる福音書の冒頭のところの主イエスの系図は、アブラハムからダビデを経て主イエスに至る系図です。神の救いの歴史において、ダビデは大切な節目となった人物です。そのダビデがいよいよ王となるところを私たちは本日読んでいくのです。

ユダ族の王となる
 先ほどは2章の始めから3章1節までを朗読しました。そして本日の説教の題は「ダビデの即位」です。しかしこの第2章に、ダビデがイスラエルの王として即位したことが語られているわけではありません。4節に、ダビデが王となったと語られていますが、これは、ユダ族の人々がダビデをユダの家の王とした、ということであって、イスラエル全体の王になったということではないのです。つまりダビデは、サウルの死後、自分の出身部族であるユダ族の王として、1節にあるようにヘブロンで即位したのです。ヘブロンに上ることも主なる神の託宣、示しによることだったというのが1節です。ダビデはこの時、1章1節にあるように、ツィクラグという所に居を構えていました。それはペリシテの王によって与えられた町でした。ダビデはこの時イスラエルの敵であったペリシテ軍の将軍という立場にあったのです。しかしサウルが戦死したイスラエルとの戦いには加わっていませんでした。イスラエルの敗北で終わったその戦いの後、ダビデは出身部族であるユダの町ヘブロンに上ったのです。それは、ペリシテの王の下を離れて、今後はイスラエルの民の一員として歩むという意志表示です。しかし、それまではペリシテの陣営に属していたのですから、ユダの人々が、そしてイスラエルの人々が、自分を受け入れてくれるだろうか、という不安があったのでしょう。彼はこのことについての主なる神の託宣を求め、ユダへ上れ、さらにはヘブロンへという示しを与えられたのです。

ヘブロン
 ヘブロンへ、と主がお示しになったことには深い意味があります。ヘブロンは、先ほどのマタイ福音書における主イエスの系図にも出て来た、イスラエルの民の最初の先祖であるアブラハムが、妻サラの死に際して、その墓地とするための土地を得たところです。それが、アブラハムがこのカナンの地で最初に得た土地となりました。神が、あなたとあなたの子孫にこの地を与えると約束して下さった、その約束が実現し始めた記念の地がこのヘブロンなのです。そこに上れと神はダビデにお示しになったのです。ダビデはもうずいぶん前に、サムエルによって油を注がれ、あなたをイスラエルの王とするという主なる神の約束を受けていました。その約束はなかなか実現しませんでしたが、ダビデを殺そうとしていたサウルが死んだ今、ようやくイスラエルに戻ることができるようになった、その最初の一歩をヘブロンに記すことができたのは、アブラハムがこの地を得ていった歩みと重なるわけで、ダビデにとって希望を与えられる出来事だったでしょう。

紆余曲折を経てダビデがイスラエルの王となる
 そのヘブロンで、ダビデはユダ族の人々によって王として立てられます。しかしそれはあくまでもユダ族のみの王、部族の長ということでした。8、9節にはこうあります。「サウルの軍の司令官、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを擁立してマハナイムに移り、彼をギレアド、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン、すなわち全イスラエルの王とした」。聖書の後ろの付録の地図4「統一王国時代」を見ていただきたいのですが、マハナイムは、ヨルダン川の東側、ギレアドの地にあります。ペリシテ軍に破れてヨルダン川の東まで逃げてきたイスラエル軍が、サウルの子イシュ・ボシェトを王として立てたのです。このようにして、イスラエルに、イシュ・ボシェトとダビデという二人の王が立てられたことになります。ユダ族の王ダビデと、その他のイスラエル諸部族の王イシュ・ボシェトです。この後、この二人の王の間で、全イスラエルの覇権をめぐる争いが続いていくのです。イシュ・ボシェトは、サウル王の息子という点ではイスラエルの王の正統な後継者です。しかしダビデは歴戦の勇士であり、イスラエル全体にも人望が厚い人物です。実力から言えばサウルの後を継げるのはダビデしかいません。この二人の覇権争いが長く続いたことが3章1節に語られています。「サウル王家とダビデ王家との戦いは長引いたが、ダビデはますます勢力を増し、サウルの家は次第に衰えていった」。つまりダビデはサウルの死後、すんなりとイスラエルの王となったわけではないのです。そこに至るまでにはいろいろな経緯があり、戦いがあったことをサムエル記は赤裸々に語っています。その争いに終止符が打たれ、ダビデが全イスラエルの王として即位したのは、5章1~5節においてなのです。そこを読んでみます。「イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。『御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。』イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した」。これが本当の意味での「ダビデの即位」です。本日はこの5章の始めまでのところを見渡しながら、ダビデがイスラエルの王となるまでの出来事を見ていきたいと思います。

サウル王家との対立
 さて2章8節にあったように、イシュ・ボシェトをイスラエルの王として擁立したのは、サウルの軍の司令官だったアブネルという人でした。このアブネルはサウル王のいとこでもありました。彼こそが、サウル王家の最高実力者だったのです。彼の下で体制を立て直したイスラエルは、2章12節で、マハナイムを出て、ギブオンに向かったとあります。ギブオンというのは、これも先ほどの地図を見ていただくと、サウルの出身部族であるベニヤミン族の町です。ベニヤミンのギブオンを拠点とするイシュ・ボシェトと、ユダのヘブロンを拠点とするダビデとが対峙するという状態になったのです。そして両者の間で激しい戦いが起ったことが15節以下に語られています。ダビデ側の将軍にヨアブ、アビシャイ、アサエルという三兄弟がいました。アサエルはこの戦いにおいて敵の司令官アブネルを激しく追撃しましたが、アブネルによって返り討ちにあい、殺されてしまいました。兄ヨアブはこのことで、アブネルに対して激しい憎しみを抱くようになります。さて3章に入ると、サウル王家において、アブネルがますます実権を握り、王であるイシュ・ボシェトとも対立するようになったことが語られていきます。アブネルが、父サウルの側女だった女性と通じたことをイシュ・ボシェトが非難したのに対して、アブネルは「誰のおかげで王になったと思っているのか。私を非難するなら、あんたの王国をダビデに渡してやる」というようなことを言ったのです。アブネルがサウルの側女と通じたことには政治的な意図があったと考えられます。つまり自分がサウルの後を継ぐ、という意志表示です。アブネルがイシュ・ボシェトを擁立したのも、サウル家への忠誠というよりも、ゆくゆくは自分が王になろうという思惑によることだったのでしょう。そういうアブネルですから、今度は、この王国をダビデに譲り渡し、そのもとで第一人者としての地位を得ようと考えたのです。彼はダビデに使者を送り、交渉をします。3章12節「わたしと契約を結べば、あなたの味方となって全イスラエルがあなたにつくように計らいましょう」。これに対してダビデは一つ条件を出します、それは、以前自分の妻であり、しかしサウルによって引き裂かれて他の男の妻となっていたサウルの娘ミカルを自分のもとに連れて来ることでした。ここには、アブネルに負けない、ダビデの政治的な意図があります。サウルのいとこであるアブネルが、全イスラエルを率いて自分のもとに来る、それは大いに結構だが、そうなると、サウルのいとこであるアブネルの立場が非常に強くなり、そのうちに自分こそ正当なサウルの後継者だと言い出しかねない。その危険をダビデは察知しているのです。それで彼は、ミカルを自分に返すことを要求したのです。自分はサウルの娘婿であり、サウルの後継者となるにふさわしい、と示すためです。そういう条件をつけて、アブネルを自分のもとに迎えようと言っているのです。つまりここには双方の政治的駆け引き、権謀術数があります。ダビデは最初の妻ミカルをいつまでも愛していた、などというロマンティックな話ではないようです。

アブネルとイシュ・ボシェトの死
 さて、交渉のためにダビデのもとに来たアブネルは、帰り道で、弟アサエルを殺された恨みを抱いていたヨアブによって暗殺されてしまいます。ダビデはそれを聞いて大いに怒り、悲しみ、アブネルの死を悼みました。その結果を語っている3章37節には興味深い記述があります。「すべての兵士、そして全イスラエルはこの日、ネルの子アブネルが殺されたのは王の意図によるものではなかったことを認めた」。ダビデの怒りや嘆き、アブネルのための追悼の様子を見て、イスラエルの人々は、アブネル暗殺はダビデの命令によるのではなかったと納得した、というのです。これは裏を返せば、「これはダビデの陰謀ではないか」という多くの人が思ったということです。敵側の最高実力者アブネルを、平和的交渉のために招き、その帰りに暗殺させるという卑劣な手段をダビデが用いたのではないか、と人々は疑ったのです。ダビデの大袈裟とも思える嘆きや追悼の様子は、そういう疑いを払拭するためになされているのです。真相はどうであったにせよ、これでダビデにとって最大の障害となる人物がいなくなったということは確かです。

 アブネルを失ったイスラエル側は浮き足立ちます。そして、これはもうダビデの勝利は確定的だと見た者たちが、イシュ・ボシェトを裏切るのです。そのことが4章に語られています。イシュ・ボシェトの二人の家来が、彼を殺してその首をはね、ダビデのもとに持って来たのです。4章8節に彼らの言葉が記されています。「二人は王に言った。『御覧ください。お命をねらっていた、王の敵サウルの子イシュ・ボシェトの首です。主は、主君、王のために、サウルとその子孫に報復されました。』」。彼らは、イシュ・ボシェトの首をダビデに献上することで、ダビデに取り入ろうとしているのです。ダビデの勝利が目に見えているので、そちらに鞍替えして、自分たちの地位を守ろうとしているのです。そのために最もよい土産として、イシュ・ボシェトの首を持って来たのです。しかし彼らに対するダビデの答えは彼らの期待とは全く違っていました。4章9節以下です。「ダビデはベエロト人リモンの子レカブとその兄弟バアナに答えて言った。『あらゆる苦難からわたしの命を救われた主は生きておられる。かつてサウルの死をわたしに告げた者は、自分では良い知らせをもたらしたつもりであった。だが、わたしはその者を捕らえ、ツィクラグで処刑した。それが彼の知らせへの報いであった。まして、自分の家の寝床で休んでいた正しい人を、神に逆らう者が殺したのだ。その流血の罪をお前たちの手に問わずにいられようか。お前たちを地上から除き去らずにいられようか。』」。ここにも語られているように、これは、先月読んだ第1章で、サウルの死の知らせをダビデにもたらした者に対して彼がとった態度と同じです。あの時も、あの男はサウルの死をダビデへのみやげ話として持ってきたのです。しかもこの自分がサウルの止めを刺したと自慢げに語ったのです。彼も、自分を殺そうとしていた敵であるサウルの死の知らせをダビデは喜ぶだろうと思ったのです。しかしダビデは「主が油を注いで王として立てられた方に手をかけるとは何事か」と言って彼を処刑しました。このたびもダビデは、イシュ・ボシェトを殺した者たちを処刑したのです。その後、先ほど読んだ5章になります。イスラエルの全部族が、ダビデのもとに来て、ダビデを王として受け入れたのです。こうしてダビデは、イスラエル全体の王として即位したのです。

鳴くまで待とう、ほととぎす?
 サウルの死からダビデが王としての即位するまでには、このように様々な出来事がありました。ダビデがサムエルから油を注がれ、王となることを約束されてから、おそらく二十年近くの年月が経っていたでしょう。このようにダビデは、隠忍自重の末ついにイスラエルの王となったのです。そのダビデの歩みを私たちは、「鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ほととぎす」と言った徳川家康の姿と重ね合わせることができるかもしれません。木の実が熟して落ちるように、自然に天下が自分のものとなる時まで、家康は待ったのです。ダビデもそれと同じように、イスラエルの王位を自分から取りに行くのではなく、それが自然に自分のものとなるのを待ったと言うことができます。

主のみ業を待ったダビデ
 しかし、このダビデの歩みには、もう一本別の筋が通っています。それは今読んだ4章9節に語られていることです。「あらゆる苦難からわたしの命を救われた主は生きておられる」。これが、ダビデの歩みを貫いているもう一本の筋です。ダビデは、ただ自分のところに王位がころがり込んで来るのを待っていたのではありません。その「ただ待っていたのではない」というのは、自分でもいろいろと策略を巡らし、働きかけてそうなるように仕向けた、という意味で言っているのではありません。そういうことなら、誰でもしています。徳川家康だって、何もせずにただ待っていたわけではありません。ダビデも、本日のところで見たように、いろいろな駆け引きをしているのです。ダビデの特徴と言えることは、そのような策略、権謀術数を用いつつも、その根本のところで、「主は生きておられる」という信仰に固く立っていたということです。主は生きておられる、それは、主なる神が今働いておられ、全てのことを導いておられ、み心を行っておられる。自分を王として立てると約束して下さったのは主なる神なのであって、それがいつどのように実現するかは、主のみ心によるのだ、ということです。つまりダビデは、自分を王として立てるのは、自分の力や策略でも、人々の思いでもなく、主なる神ご自身なのだ、ということをしっかりと見つめつつ歩んでいたのです。それが、ダビデの歩みを貫いているもう一本の筋、彼の信仰です。この信仰のゆえに彼は、サウルに追われて逃亡の生活をしている中で、サウルを殺す絶好の機会を得た時にも、それをしなかったのです。またサウルの死の知らせや、イシュ・ボシェトの首を持って来た者を歓迎せず、むしろ怒って処刑したのです。サウルとその王朝が退けられて、自分が王として立てられることは、人間の計画や行動によるのではなくて、ただ主なる神のみ業による、と彼は信じて、主がそのみ業を行なって下さるのを待ったのです。このことから考えると、あのアブネルの暗殺は、人々がかんぐったようにダビデがヨアブに命じてさせたことではなくて、やはりヨアブ個人の恨みによることだったのでしょう。ダビデはそのような手段を使って敵を取り除いて思いを遂げようとする人ではないのです。だからこそ、後にダビデがまさにそういう罪を犯したこと、それはこの後の11章に語られていることですが、それはダビデの生涯における最大の罪となったのです。

神の約束の実現を待つ
 ダビデはこのようにしてイスラエルの王となりました。このダビデの姿から、私たちは、信仰におけるいくつかの教訓を得ることができます。第一に、これはアブラハムの生涯からも教えられることですが、神の祝福の約束が実現するまでには、長い時間と様々な紆余曲折を経なければならないということです。私たちも、主イエス・キリストの十字架と復活によって与えられた神の救いにあずかり、その救いが終わりの日に完成するという約束に希望を置いて生きています。その約束は、昨日の約束が今日実現する、というようなものではありません。この約束が実現するまでには長い時間が必要なのです。それを待ち望みつつ歩む地上の生活において私たちは様々な困難に直面し、苦しみや悲しみを体験します。神の救いの約束など絵空事のように思われてしまうようなことが多々あるのです。そのような中で、「主は生きておられ、み業を実現して下さる」と信じて歩むことが私たちに求められている信仰であり、そこにこそ、希望へとつながる歩みが与えられるのです。
 第二の教訓は、それゆえに、主の約束を自分で、自分の力や工夫や策略で実現しようとしてはならない、ということです。生きておられる主なる神のお働きは、私たちが自分の力でそれを実現しようとするところには実現しないのです。私たちは、自分の力や判断で事を成そうとするのではなく、本日の箇所の最初でダビデがしているように、「主に託宣を求める」、つまり生ける神のみ言葉を求め、そのみ言葉に聞き従っていくことを大切にしていくべきなのです。その時にこそ主は「ヘブロンへ」の道を示して下さる、主の約束の実現への第一歩を歩み出させて下さるのです。

関連記事

TOP