「恵みと平和が教会に」 牧師 藤掛 順一
・ 旧約聖書; 詩編、第16篇 1節-11節
・ 新約聖書; テサロニケの信徒への手紙一、第1章1節
恵みと平和
「恵みと平和があなたがたにあるように」。テサロニケの教会の人々に手紙を書き送った使徒パウロは、その冒頭の挨拶において、この祈りあるいは祝福を述べています。教会に、そしてそこに連なる人々に、恵みと平和が満ちあふれるように、それが、伝道者として召され、立てられたパウロの心からの願いであり、また教会に連なる私たち一人一人の切なる願いです。それは裏を返せば、教会において、信仰者の歩みにおいて、恵みと平和がしばしば脅かされてしまう、見失われてしまう、ということでもあります。教会というところが、いつも神様の恵みに満ちあふれ、兄弟姉妹の間に平和な交わりが確立しているところであるならば、このような祈り願いは必要がないし、手紙の冒頭にこのようなことを書かなくてもよいのです。しかしこの地上を歩む現実の教会には、様々な問題が起こります。恵みが見失われてしまうことがあります。平和ではなく争いや対立が起こり、心をすり減らされてしまうようなことも起こります。それゆえに、「恵みと平和があなたがたにあるように」という祈りは、昔も今も、教会において切実な願いなのです。だからパウロは聖書に収められている多くの手紙において、必ず、この祈りを語っているのです。
テサロニケ教会と横浜指路教会
本日から当分の間、このテサロニケの信徒への手紙一を、主日礼拝においてご一緒に読んでいきたいと思っております。この手紙は、新約聖書に収められている諸文書の中で、最も古いもの、一番最初に書かれたものであると考えられています。福音書などが書かれるよりも前のものなのです。そういう意味でこれは記念すべき手紙であると言えます。しかしそういう理由でこの手紙を選んだのではありません。横浜指路教会の皆さんと共にみ言葉に聴いていくための最初の聖書箇所としてこの手紙を選んだ私の思いについては、読み進めていく中でだんだんにご理解いただけると思っていますが、今ここで、いくつかのことを申し上げておきたいと思います。第一にそれは、パウロがこの手紙を書き送ったテサロニケ教会の置かれていた現実と、横浜指路教会の現在の姿との間には、重なり合うものがあると思ったからです。そのように申しますと、テサロニケ教会には何か問題があった、それと同じ問題が横浜指路教会にもあるということか、と思われるかもしれませんが、そうではありません。パウロが、テサロニケの教会にこの手紙を書き送ったのは、何かそこに信仰上の、あるいは倫理的な問題が起っていて、それを指導して解決しなければならないと思ったからではありません。そういう意味ではこの手紙は、同じパウロが書いたコリントの信徒への手紙や、ガラテヤの信徒への手紙などとは随分感じが違うものです。それらの手紙は、教会の中で起っている倫理的な問題への叱責であったり、パウロの宣べ伝えている福音に反対し、パウロを使徒として認めようとしない人々に対する厳しい論争の手紙となっています。しかしこのテサロニケの信徒への手紙には、そういう対立や論争の口調はありません。2節以下を読んで下さればわかるように、この手紙の基調は喜びと感謝です。パウロは、テサロニケの教会の人々の信仰とその生活を喜びをもって、感謝しつつ見つめているのです。テサロニケの教会に、是正されるべき信仰上の問題があったのではありません。それならばパウロは何故この手紙を書いたのか。そのことを知るためには、テサロニケ教会の成立とその後の事情を、使徒言行録から学んでみなければなりません。
テサロニケ教会の成立事情
テサロニケは、今日のギリシャの北部、当時はローマ帝国のマケドニア州の州都でした。ローマと東方、いわゆるオリエントを結ぶ主要な街道沿いにある港町で、通商の盛んな大都市でした。横浜と似た所があると言えるかもしれません。今日でも、首都アテネに次ぐギリシャ第二の大都市です。このテサロニケにキリストの福音が伝えられ、教会が誕生したのは、パウロのいわゆる第二回伝道旅行においてでした。そのことが、使徒言行録の第17章に語られています。第二回伝道旅行において初めてギリシャに渡ったパウロらは、先ずフィリピで伝道し、そこに信徒の群れ、教会が生まれました。しかし敵対者たちによる騒動が起こり、投獄されたりして、フィリピを退去せざるを得なくなり、次に伝道がなされたのがテサロニケでした。17章1節には、「パウロとシラス」の二人がテサロニケに着いたとあります。シラスは、本日の手紙の冒頭の差出し人に名前のある「シルワノ」と同一人物です。そしてこの手紙の差出し人にはもう一人「テモテ」の名もあります。彼は、この第二回伝道旅行の前半に、小アジアのリストラという町でパウロに見出され、同行するようになった若者です。彼も共にテサロニケで伝道をしたものと思われます。彼らは、ユダヤ人の会堂に入り、十字架につけられて死に、復活されたイエスこそ、聖書に約束されているメシア、救い主である、という福音を語りました。その伝道によってキリストを信じるようになったのは、主に「神をあがめる多くのギリシャ人」だったと17章4節にあります。「神をあがめるギリシャ人」というのは、ユダヤ人でないギリシャ人、つまり異邦人だけれども、ユダヤ人の会堂に出入りし、旧約聖書の教えを学び、ユダヤ人たちの神をあがめるようになっていた人々のことです。そういう人々が、パウロたちの語る主イエス・キリストの福音に感銘を受け、主イエスを救い主と信じてパウロたちに従うようになったのです。これらのギリシャ人たちを中心としてテサロニケに信者の群れ、教会が生まれました。しかしそれはユダヤ人たちにしてみると、それまで自分たちの会堂に出入りして教えを学んでいたギリシャ人たちが、新しくやって来たパウロたちの語る教えの方に心を向け、自分たちのもとを去ってパウロらに聴き従うようになってしまった、ということです。そのために彼らはパウロらをねたみ、ならず者たちを動員して騒ぎを起したと5節にあります。そのような騒ぎの中、パウロたちは急遽、テサロニケを去らなければならなくなったのです。パウロたちがテサロニケに留まって伝道をした期間はどれくらいだったのか、はっきりしませんが、長くても数カ月だったと思われます。パウロたちは、生まれてまだ数カ月の教会を後に残してこの町を去らなければならなかったのです。テサロニケの教会の人々の側から言えば、自分たちに福音を告げ知らせ、信仰へと導いてくれた、そして教会の土台を据えてくれた伝道者パウロが、数カ月で、しかも突然、いなくなってしまったのです。残された彼らは途方に暮れたことでしょう。教会が、しかもまだ生まれたばかりの、いろいろな意味で整っていない未熟な群れが、指導者、導き手を失ってしまう、そういう試練のもとに置かれたのです。「恵みと平和があなたがたにあるように」という祈りが、単なる社交辞令ではない、本当に切実な願いであることがわかります。テサロニケを去ることは、パウロの本意ではありませんでした。本来ならもっと長くここに留まり、教会の基礎をさらにしっかりと据えた上で、しかるべき者たちに後を託して次の町へ行くことを願っていたのです。しかし事情はそれを許さず、まことに中途半端な形で、急遽去らなければならなかったのです。ですからパウロはその後も、再三、もう一度テサロニケに行こうと試みました。しかしそのたびに様々な事情に妨げられてそれを果たせなかったということが、この手紙の2章18節に語られています。パウロは、後に残してきたテサロニケの教会のことが心配でならなかったのです。それで、当時アテネに滞在していたパウロは、共にテサロニケで伝道した仲間であるテモテをテサロニケに送りました。テサロニケの教会を励まし、その様子を知るためです。そのことがこの手紙の3章1節に語られています。そのテモテが、テサロニケからパウロのもとに帰って来たというのが、3章6節です。このことは使徒言行録の18章5節に語られていることと重なると思われますので、この時パウロはコリントに滞在していたと思われます。コリントにおいて、テモテから、テサロニケ教会の様子を聞いたのです。3章6節に、「テモテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました」とあるように、テモテがもたらした知らせは、パウロを喜ばせ、安心させるものでした。テサロニケの教会の人々が、パウロたちが去った後もしっかりと信仰に留まり、苦しみ、迫害を受けながらも主イエスに従って歩んでいる、ということをテモテは伝えたのです。その知らせを受けた喜びと感謝の内に、この手紙は書かれています。伝道者、指導者を失った教会が、しかしその後も、信仰に堅く立ち、しっかりと主に従って歩んでいる、そのことをパウロは心から喜び、その喜びの内に、この教会に恵みと平和があるようにと祈り願いつつこの手紙を書いているのです。
この、テサロニケ教会の現状と、横浜指路教会の現状とには、共通点があると言えるのではないでしょうか。主任担任教師を突然に失った、そういう困惑と途方に暮れる思いを皆さんは体験されました。それから1年半、しかしこの教会は、それでも、しっかりと主の福音に立ち、神奈川連合長老会の支えのもと、毎週の礼拝もしっかり捧げられ、伝道と牧会が、伝道師、長老会、執事会、主事の方々を中心としてなされてきました。私はそのことを遠くから見守ってまいりました。そして、パウロがこの手紙で、テサロニケ教会のことを喜びと感謝をもって見つめている、それと同じ喜びと感謝をもって、横浜指路教会のことを見つめることができると感じているのです。それゆえにパウロが、その喜びと感謝の内に、この教会に書き送ったこの手紙をご一緒に読むことは、今新しく歩み出そうとしている私たちの教会にとって意味深いことであると思うのです。
もう一つの願い
さらにもう一つ、この手紙を読んでいくに際して私が抱いている願いがあります。この手紙の差出し人は「パウロ、シルワノ、テモテから」となっています。ここには、同じくパウロが中心となって書き送られた他の多くの手紙の冒頭のところとは違いがあります。例えば先程ふれましたコリントの信徒への手紙やガラテヤの信徒への手紙、あるいはローマの信徒への手紙もそうですが、パウロはその手紙の差出人である自分のことを、「召されて使徒となったパウロ」とか「神の御心によって使徒とされたパウロ」と言っています。自分は神に召されて使徒とされているのだ、その使徒である自分がこの手紙を書き送るのだ、ということをそのように強調しているのです。しかしこの手紙にはそういう言い方がありません。ただ「パウロ、シルワノ、テモテから」とあるのみです。このことは、この手紙がパウロの数ある手紙の中で一番最初に書かれたということと関係があります。この手紙が書かれた頃にはまだ、パウロが主イエス・キリストの使徒であり、神に召され、遣わされた伝道者であることを疑ったり、その語る福音を否定したりする敵対者は起っていなかったのです。後になると、パウロが使徒であることを疑い、あれはもともと教会を迫害していた者ではないか、と言ってその語ることを拒む者たちが現れて来たのです。そういう敵対者との戦いの中でパウロは、自分がキリストによって立てられた使徒であること、神に召され、遣わされた伝道者であることを強調せざるを得なくなっていったのです。しかしこのテサロニケの信徒への手紙が書かれた時には、そういう問題は起ってきていません。テサロニケの教会の人々とパウロの間には、しっかりとした信頼関係があったのです。だからパウロは、手紙を書き送る時に、ただ「パウロから」と書くだけでよかったのです。伝道者パウロとテサロニケの教会との間にあったこの信頼関係を、私たちの間でも打ち立てていきたいというのが私の願いです。伝道者と教会との間の信頼関係は、自然に生まれ、維持されるものではありません。それを妨げ、破壊しようとする力が、教会の内外に渦巻いているのです。伝道者、牧師の側が教会員の信頼を損なうことをしてしまうこともあります。また教会員が、伝道者、牧師に対して、本来その務めとは違うことを求めてしまい、その求めが叶えられないといってつまずいてしまうということも起こります。どちらの側にも、信頼関係を損なっていく要因があるのです。そういう現実の中で、お互いに努力して、幸福な信頼関係を築いていきたいと願っています。そのためにも、このテサロニケの信徒への手紙一はよい導きを与えてくれると思うのです。
神の選びと招き
さてパウロはこの1節で、差出し人の名に続いて、宛先である教会のことを語っています。「父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ」。これが宛先です。ここに、パウロが教会というものをどのように理解し、見つめているのかが示されています。教会は、「父である神と主イエス・キリストとに結ばれている」ものだというのです。「結ばれている」というのは、もとの言葉は「中にある」という意味です。「父なる神と主イエス・キリストとの中にある」が直訳です。以前の口語訳聖書はこれを「父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ」と訳していました。どのように訳すにせよこれは、教会が、単なる人間の集まり、同じ志や思想を持つ者たちが集まって作っている団体ではないことを示しています。人間が集まって、我々は教会だ、と宣言すればそこに教会ができるのではないのです。教会は神様のみ業によって存在しているものです。父なる神様が、その独り子イエス・キリストのもとに私たちを集めて下さり、キリストの十字架による罪の赦しと、復活による新しい命にあずからせて下さり、キリストによって私たちにも、神様を「天の父」と呼ぶことを許し、神様の家族として下さる、その恵みによってのみ、教会は存在しているのです。「父である神と主イエス・キリストとに結ばれている教会」というのはそういうことです。そのことを私たちの側から言うならば、私たちが教会に連なっているのは、私たちの意思によることであるよりも、神様のご意思、神様が私たちを選び、招いて下さったことによってなのだ、ということです。私は自分の意志で教会に来たし、自分で決意して洗礼を受けた。私が教会に加わっているのは自分の意思によるのだ、と思っている方もいるでしょう。それは勿論その通りです。けれども、信仰者としての歩みを重ねていくにつれて分かって来ることは、自分のそのような意思や決断よりも先に、神様の選びと召しがあったということです。神様が先に自分のことを選び、自分の名前を呼んで、招いていて下さったからこそ、礼拝に集うことができたのだし、信仰を告白して洗礼を受けることもできたのです。それは私自身の実感でもあります。私は牧師の子として生まれ、教会で育てられてきました。そのことに私は、神様の特別な選びと招きがあることを感じたのです。その選びと招きがなければ、私は主イエスを信じる信仰を得ることなどなかったろうし、まして牧師となることもなかっただろうと思います。主イエスを信じようと意思し、牧師になろうと決意したのは確かに私自身ですが、その前に神様の選びと招きがあったからこそそういう意思や決意が与えられたのです。このことは、牧師の子供や、いわゆるクリスチャンホームに生まれた人のみの話ではなく、信仰者の誰にでも、いや、今日初めて教会の礼拝に来たという人をも含めて、今この礼拝に集っている全ての人々について言えるのではないでしょうか。私たちが礼拝をすることができるのは、神様が私たちを選び、招いていて下さるからなのです。テサロニケ教会の人々も、神様の選びと招きによって信仰を与えられたのです。決してパウロの巧みな弁舌に引かれて集まったのではありません。彼らが信じ、結びついているのは、伝道者パウロにではなく、父である神と主イエス・キリストになのです。教会は、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているものです。だからこそ彼らは、パウロが去った後も教会に留まり、迫害や苦しみに遭いつつも、父なる神様を信じ、主イエス・キリストと共に歩むことができているのです。
神の恵み
そのテサロニケ教会の人々に、パウロは「恵みと平和」を祈っています。教会に、そこに連なる人々に「恵みと平和」があるとはどういうことでしょうか。彼らが苦しみや迫害に遭わず、平穏無事に、喜んで楽しく生きることができる、ということでしょうか。もしそうなら、パウロの願いは叶えられているとは言えません。テサロニケの教会の人々もまた信仰による大きな苦しみを受けたことは1章6節に語られています。苦しみがないことが恵みではないのです。それでは恵みとは何でしょうか。パウロがこの言葉を使う時、多くの場合に意味されているのは、全く相応しくない者に与えられる神の恩恵、ということです。それを受けるのに相応しい清さや正しさや慈悲深さを持つ人に恩恵が与えられたとしても、それは「恵み」とは言わないのです。全く相応しくない者に与えられるからこそ、「恵み」なのです。恵みが教会にあるとは、この、全く相応しくない者に与えられる神様の恩恵が教会に、私たちに豊かに注がれ、またそのことがしっかり自覚されていくということでしょう。私たちがもし、自分はこれだけ頑張って神様に仕え、よいことに励んでいる、だからこういう恵みがあってよいはずだ、と思っているとしたら、神様の恵みというものが全く分かっていないし、そこには恵みはないのです。恵みが私たちの上にあるとは、私たちがそのような思いを捨てて、自分には全く相応しくない恵みが神様から与えられていることを覚えて感謝するようになることです。先程申しました、神様の選びと招きを覚えるというのもそれと同じことです。神様がこの私を選んで、招いて下さっている、それは、この私が何か神様に招かれるに相応しい立派な、優れた者である、ということではありません。全く相応しくない、選ばれ、招かれるに足るものは何もないのに、神様が、ただ恵みによってこの私を選び、招いて、教会に連ならせて下さっているのです。神様の選びを信じるというのは、この恵みを信じることと同じです。先程私は、自分の生まれや育ちに神様の選びと招きを感じていると申しました。それは私が選ばれたエリートであるとか、神様の招きを受ける程優れた者だということでは全くありません。むしろ私は、神様が私を牧師となるように選び、招かれたのは、私のような人間は牧師にでもしておかないと信仰が維持できないと思われたからだと思っています。一週間別の仕事などさせておいたら、私のような者はすぐに神様のことを忘れて、もう戻って来なくなってしまう。その点教会員の皆さんは、一週間の生活を終えてちゃんと礼拝に戻って来られる、それは大したことだと私は真面目に思っています。これは変な謙遜で言っているのではありません。要するに、神様の選びというのは、牧師であれ一般信徒であれ、相応しくない者が選ばれ、招かれてそれぞれの恵みにあずかっているのだ、ということです。教会に招かれている私たちは皆、主イエス・キリストの十字架と復活による罪の赦しと新しい命という、私たちには全く相応しくない驚くべき恵みにあずかっているのです。このことを、どれだけはっきりと、自覚的に受け止めることができるかに、神様の恵みが本当に私たちのものとなるかどうかの鍵があるのです。
平和
そして、この恵みが本当に恵みとして受け止められるところには、平和が与えられます。私たちは神様に対しても、隣人に対しても、自分の当然の権利を主張しようとすることによって、平和を失うのです。争いや対立が生じるのです。神様に対しても私たちはそのように争い、怒り、自己主張をします。しかし恵みが本当に恵みとして、全く相応しくない自分に注がれている恵みであることに気付くならば、私たちは神様との間に平和を得ることができるのです。隣人に対しても同じです。自己主張と自己主張がぶつかり合って私たちは対立し、争います。しかしお互いが、神様から恵みを受けていること、それに相応しい自分だからではなく、全く値しないのに大きな恵みの中に置かれていることを覚えるならば、そこには和解への、平和への糸口が与えられていくのです。恵みと平和はこのように結び合っています。この手紙を読んでいくことによって、その内容をさらに具体的に示されていくことができるでしょう。
これから聖餐にあずかります。主イエス・キリストが、私たちのために十字架にかかり、肉を裂き、血を流して、私たちの罪の赦しを成し遂げ、父である神と主イエス・キリストとに結ばれて生きる者として下さった恵みを味わうのです。全く相応しくない私たちを招いてこの聖餐の食卓に着かせて下さる恵みに感謝しつつ、教会の新しい一頁をご一緒に築き上げていきたいと思います。