夕礼拝

逃れの町

「逃れの町」  牧師 藤掛順一

・ 旧約聖書:民数記 第35章1-34節
・ 新約聖書:ヘブライ人への手紙 第9章23-28節  
・ 讃美歌:327、449

約束の地を目前にして  
 私が夕礼拝の説教を担当する日は、旧約聖書の民数記からみ言葉に聞いて来ましたが、本日をもって民数記を終わります。民数記は、モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民が、神様が約束して下さった乳と蜜の流れる地カナンに向かって荒れ野を旅していく様子を描いています。本日ご一緒に読む第35章は、前回、つまり先々週の夕礼拝で読んだ箇所と同じく、荒れ野の旅がいよいよ終わりに近付いてきた頃のことです。先々週に読んだのは、22章から24章にかけての話でした。その最初の所、22章の1節にこう語られていました。「イスラエルの人々は更に進んで、エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野に宿営した」。本日の35章の1節はこうなっています。「エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野で、主はモーセに仰せになった」。つまり、22?24章と35章は同じ場所が舞台となっているわけです。そしてこれを新共同訳聖書の後ろの付録の地図の2、「出エジプトの道」において見てみますと、「エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野」というのはこの地図の右上、エジプトから出たイスラエルの民の歩みを記した点線の最後の所の矢印のあたりです。荒れ野の旅がいよいよ終り、約束の地に入ろうとしているのです。それは具体的には「ヨルダン川を渡る」ということです。「ヨルダン川の対岸」と言われているのはその東側のことですが、そこは「モアブの平野」、つまりモアブ人の支配地です。そのモアブ人の王バラクが、著名な魔術師、占い師であるバラムを招いてイスラエルの民を呪わせようとした、という話を前回読みました。イスラエルの民は、このモアブの平野を通過して、ヨルダン川を東から西に渡り、約束の地に入るのです。そしてその地で最初に攻め滅ぼしたのがエリコの町でした。そのことは「ヨシュア記」の最初の所に書かれています。それはまだ先の話ですが、「エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野」と語ることによって、ヨルダン川を渡って約束の地に入る、その直前まで来ていることが意識させられているのです。

ヨルダン川を渡るにあたっての命令  
 この時点で、主なる神様がモーセを通してイスラエルの民にお与えになった命令がこの35章に語られているわけですが、この35章は33章50節以下の命令の続きです。33章50、51節も、35章の冒頭と同じようにこうなっています。「エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野で、主はモーセに仰せになった。イスラエルの人々に告げてこう言いなさい」。そしてこの50節の前にある小見出しは「ヨルダン川を渡るにあたっての命令」となっています。ここから先、民数記の終わりまでの所に語られていくのは、ヨルダン川を渡り、約束の地に入ろうとしているイスラエルの民に、これから何をなすべきかを教えておられる主のみ言葉なのです。そこで先ず、33章50節から34章にかけての所を簡単にまとめておきたいと思います。先ず、約束の地に入ったなら、その地の住民を全て追い払い、全ての石像や鋳造つまり偶像を壊し、異教の祭壇をことごとく破壊することが命じられています。先住民を全て追い出せというのは、今日の私たちの感覚からすると人道に悖る行為ですが、その意図していることは、彼らの拝んでいる神々や偶像礼拝の祭儀が少しでもイスラエルの民に影響を及ぼしてはならない、ということです。「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」という十戒の第一の戒めを、約束の地での新しい生活の土台とすべきことが先ず命じられているのです。そして次に語られているのは、イスラエルの十二の部族の間で、くじを引いて、それぞれがどの地に定住するのかを決めなさいということです。それぞれの部族が受け継ぐ地のことが「嗣業の土地」と呼ばれています。くじを引いてそれぞれの部族の嗣業の土地を決めるのです。その土地分配の責任者として、祭司エルアザルと、モーセの後継者に指名されているヌンの子ヨシュアが立てられたことと、くじを引くべき各部族の指導者の名前も34章に語られています。このように約束の地をどのように分配するかが指示されているのです。約束の地の分配は、各部族の間の力関係で決まるのではなくて、くじを引いて決めるのです。「くじ」というのは神様のみ心を知るための手段です。それぞれの部族は、主なる神様から、嗣業の土地を与えられるのです。

レビ族の特異性  
 これらのことが語られた上で、本日の35章に入ります。その2節にこう語られています。「イスラエルの人々に命じなさい。嗣業として所有する土地の一部をレビ人に与えて、彼らが住む町とし、その町の周辺の放牧地もレビ人に与えなさい」。それぞれの部族が受ける嗣業の土地の一部を、レビ人に与えるように、という命令です。レビ族は、イスラエルの部族の一つですが、くじによって土地を得る十二の部族には入れられていません。彼らには嗣業の土地は割り当てられないのです。それはどういうことなのかはこの民数記の第18章に語られていました。レビ族は、モーセとその兄弟アロンの出身部族です。そしてアロンは、聖所で犠牲を献げたりする祭儀を司る祭司として立てられました。祭司職はアロンの家系が担うべきことが18章の1節にこのように語られています。「主はアロンに言われた。『あなたとあなたの子ら、ならびにあなたの父祖の家の者らは、共に聖所に関する罪責を負わねばならない。また、あなたとあなたの子らは、共に祭司職に関する罪責を負わねばならない』」。このアロンの子が先ほどのエルアザルなのです。そしてこのアロン家の祭司の手助けをし、もろもろの祭儀の補助をする者として、レビ族の人々が立てられたことが2節にこう語られています。「あなたの同族、すなわちあなたの父祖の部族であるレビ族の者たちをも用いて、身近な助け手とし、あなたとあなたの子らと共に掟の幕屋の前で仕えさせなさい」。このように、レビ族はイスラエルの民の間で祭司及びその補助者としての務めを与えられたのです。そしてこのレビ族の生活は、他の部族の人々が神様にささげる献げ物によって支えられるべきことが21節に語られています。「見よ、わたしは、イスラエルでささげられるすべての十分の一をレビの子らの嗣業として与える。これは、彼らが臨在の幕屋の作業をする報酬である」。イスラエルの人々が礼拝において献げるものの十分の一がレビ族の嗣業であり、それによって彼らの生活は支えられるのです。それゆえにレビ族は「嗣業の土地」を持つことはできません。そのことが23、24節にこのように語られています。「レビ人のみが臨在の幕屋の作業をし、その罪責を負わねばならない。これは、代々にわたって守るべき不変の定めである。彼らは、イスラエルの人々の間では嗣業の土地を持ってはならない。わたしは、イスラエルの人々が主にささげる献納物の十分の一をレビ人に彼らの嗣業として与えるからである。それゆえ、わたしは彼らに、イスラエルの人々の間では嗣業の土地を持ってはならない、と言ったのである」。  
 このようにレビ族はイスラエルの中で特異な部族です。一言で言えば彼らは祭司の部族なのです。他の十二の部族はそれぞれ嗣業の土地を与えられて生活していきますが、レビ族だけは土地を持たず、他の部族が神様にささげる献げ物の十分の一によって生活していく。それは彼らが祭司として、主なる神様と人々との間に立ち、礼拝、祭儀を司ることへの報酬です。レビ人が祭儀を司り、神様と民との間に立って執り成しをすることによって、イスラエル全体が神の民として歩むことができるのです。このレビ人の存在の意味ということが35章の大事なテーマとなります。

レビ族の町  
 さてレビ族の役割について18章に語られていたことは、イスラエルの民が、契約の箱を安置している臨在の幕屋を中心として荒れ野を旅していることを前提としていました。しかしいよいよその旅は終わりに近づき、約束の地カナンに入り、そこに定住することが迫ってきています。約束の地に入り、それぞれの部族が嗣業の土地を得た時には、レビ人たちはどこで生活をすることになるのか、そのことを語っているのがこの35章なのです。先ほどの2節に語られていたのは、それぞれの部族が、自分たちの嗣業の土地の中のいくつかの町をレビ人に与えて、彼らの住む町とせよ、ということです。またその町の周辺の放牧地もレビ人に与えよと言われています。このことによって、カナンの地に定住した後は、レビ人は十二の部族の中に分散して町を持ち、住むようになるのです。そこには、荒れ野を旅している間と、約束の地に定住してからでは、レビ人の果たす役割あるいはイスラエルの民における位置づけが変わっていくことが見つめられています。臨在の幕屋を中心として旅をしている荒れ野においては、臨在の幕屋における祭儀を司るレビ人の位置づけははっきりしていたわけですが、約束の地に入り、広い地域に各部族が分れて住むようになると、レビ人の果たす役割も変って行くのです。どのようにそれが変って行くのかを示しているのが、この35章に語られている「逃れの町」についての教えなのです。

逃れの町  
 6、7節に「あなたたちは、人を殺した者が逃れるための逃れの町を六つレビ人に与え、それに加えて四十二の町を与えなさい。レビ人に与える町は、合計四十八の町とその放牧地である」とあります。レビ人に与えられるのは四十八の町ですが、その内の六つが「逃れの町」とされるのです。「逃れの町」とは何か、ここには「人を殺した者が逃れるための逃れの町」とあります。そのことは10節以下でさらに詳しく語られています。「イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちがヨルダン川を渡って、カナンの土地に入るとき、自分たちのために幾つかの町を選んで逃れの町とし、過って人を殺した者が逃げ込むことができるようにしなさい。町は、復讐する者からの逃れのために、あなたたちに用いられるであろう。人を殺した者が共同体の前に立って裁きを受ける前に、殺されることのないためである。あなたたちが定める町のうちに、六つの逃れの町がなければならない。すなわち、ヨルダン川の東側に三つの町、カナンの土地に三つの町を定めて、逃れの町としなければならない。これらの六つの町は、イスラエルの人々とそのもとにいる寄留者と滞在者のための逃れの町であって、過って人を殺した者はだれでもそこに逃れることができる」。ここに語られているように、「逃れの町」とは、過って人を殺した者が、復讐する者から逃れて逃げ込むことができる町です。このことを理解するためには、殺人事件がどのように処理されたかを知らなければなりません。そのことが16節以下に語られているのです。それをまとめるとこのようになります。原則は、人を殺した者は死刑になる、ということです。「目には目を、歯には歯を」ということです。そして、殺された人の親族は、加害者に復讐し、殺しても罪にならないと語られています。それが先ほどの「復讐する者」です。しかし、あらゆる殺人事件において復讐が認められているわけではありません。その殺人が故意になされたのか、それとも誤って起ってしまったこと、つまり過失なのか、ということが確かめられなければならない、ということがここに語られているのです。故意に人を殺した者は必ず殺されなければなりません。しかしその判決は、必ず複数の証人の証言を得た上で下さなければならないとも言われています。一人だけの証言で人を死に至らせてはならないのです。問題は、誤って人を死なせてしまった、つまり過失による殺人の場合です。その加害者は、逃れの町に逃げ込むことによって、復讐する者から守られるのです。そのような町が約束の地の中に六つ設けられ、過失によって人を殺してしまった人は、親族に復讐される前に一番近くの逃れの町に逃げ込むことで守られるのです。その町に逃げ込んでも、裁判において複数の証人によってそれが故意の殺人であると断定されれば死刑になりますが、過失によるものと認定されたなら、逃れの町に留まっている限り、殺されることはないのです。しかしその町の外に出たら、復讐する者がその人を殺しても罪にはならない、と規定されています。逃れの町はそのように、過失によって罪を犯してしまった者が、そこに留まることによって死なずにすむための場所なのです。

レビ人の役割の拡大  
 レビ人に与えられる町の中の六つがこの「逃れの町」とされる、そこに、レビ人が約束の地においてイスラエルの民の中で果たしていく新しい役割が示されていると言えるでしょう。それは、罪人が赦されて生きるための執り成しをするという役割です。それは犠牲をささげる祭儀を司るという荒れ野の時代からの役割と別のことではありません。犠牲の動物をささげる祭司の働きも、神様と民との間に立って、民の罪の赦しのために執り成しをすることです。その祭儀によって、民は罪を赦されて生きることができるのです。逃れの町もその延長上にあります。レビ人が、罪人の赦しのための執り成しの働きを、約束の地に定住するイスラエルの民の間で果して行くために、彼らの町の中の六つが逃れの町に指定されたのです。荒れ野においては、臨在の幕屋における祭儀において為されていた執り成しが、カナンの地においては六つの町に拡げられ、イスラエルの民が定住する広い地の全域においてそれがなされていくのです。つまり約束の地に入ってからは、レビ人の役割が変わると言うよりも、より広い地域に拡大されていくのです。またここで、過失によって人を殺した人が逃れの町に留まらなければならないのは、時の大祭司が死ぬまで、とされていることにも注目しておきたいと思います。人々の罪の贖いをする中心人物が、アロンの後継者である大祭司です。大祭司の贖いによって、彼は罪の結果である死から守られているのです。その大祭司の死によって、彼の犯した罪の贖いが終わり、完全な赦しが与えられるので、その人は逃れの町を去り、自分の嗣業の土地に帰ることができるのです。このように、祭司であるレビ人の執り成しによって、死ななければならない罪人が生かされ、罪の赦しを与えられていく、レビ人はイスラエルの民の間でそのような働きをする民として立てられているのです。

キリスト者の役割  
 いささか唐突かもしれませんが、イスラエルの民におけるこのレビ人の役割、位置付けは、現在のこの社会の中に私たちキリストを信じる信仰者が立てられている、その私たちの役割や位置付けとつながると言うことができると思います。私たちは、神様によって選ばれ、導かれてこうして教会に集い、礼拝を守っています。日本の各地の、また全世界のキリスト教会で、毎週日曜日に、同じように選ばれ導かれた者たちが礼拝をささげているのです。その礼拝に集っている信仰者たちは、ただ自分たちの幸いのために、自分たちが恵みをいただくためにのみ礼拝をしているのではありません。私たちはここで、世の多くの人々、神様を知らず、礼拝へと心を向けていない多くの人々の代表として神様を礼拝しているのであり、その人々の罪の赦しと、神様による恵みと導きを祈っているのです。そういう礼拝のために、私たちは世の多くの人々の中から神様によって選ばれ、召されて、この場に集っているのです。イスラエルの民においてレビ人が担っていた役割を、私たちキリスト信者が今、この社会において与えられているのです。この35章は、イスラエルの民の中にレビ人が存在していることの意味を語っているわけですが、それはとりもなおさず、この社会の中に私たちキリスト信者が存在していることの意味でもあるのです。

主イエスによる完全な贖い  
 レビ人は祭司の民でした。民の罪の赦しのための執り成しをすることが祭司である彼らの役割でした。レビ人が司る礼拝において、罪人が赦され、生きることができるようになるのです。しかし、人間がすることができる執り成しには限りがあります。それゆえに、レビ人による執り成しもはなはだ不十分なものでした。その執り成しは故意に犯された殺人には及ばないし、過失による殺人のみを、しかも逃れの町に留まっている限りという限定的な範囲の中でのみ救うものでした。そこに、人間による執り成しの限界が示されているのです。このレビ人による執り成し、罪の贖いは、神様が後に実現して下さる完全な執り成し、贖いを予告し、指し示しているものです。それは、神様の独り子、主イエス・キリストによる執り成し、贖いです。主イエス・キリストは、私たちの全ての罪を背負って十字架にかかって死んで下さることによって、私たちの全ての罪のための完全な贖いを成し遂げて下さいました。旧約聖書に語られている動物の犠牲による贖いを、ご自身の死によって完成させて下さったのです。本日共に読まれた新約聖書の箇所、ヘブライ人への手紙第9章23節以下はそのことを語っているのです。24節に「まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所」という言葉があります。これが、レビ人が仕えている臨在の幕屋の聖所、動物の犠牲が献げられている聖所です。それは「まことのももの写しにすぎない」ものだと言われています。レビ人が行っている執り成しの働きは、まことの執り成しの写しであり、不完全、不十分なものだったのです。しかし今や、神様の独り子イエス・キリストが、まことの大祭司として現れ、贖いを完成して下さいました。25、26節にこうあります。「また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自分をお献げになるためではありません。もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました」。大祭司は毎年、犠牲の動物の血を携えて聖所に入り、民の罪のための贖いをするのです。それは不完全なものであるゆえに、毎年繰り返されなければなりませんでした。しかし主イエス・キリストは、十字架にかかって死ぬことによって、神の独り子である御自身の命を犠牲として献げて下さることによって、私たちの罪を完全に取り去って下さり、完全な贖い、罪の赦しを与えて下さったのです。逃れの町に逃げ込んで命を守られてきた罪人が、大祭司が死ぬことによって赦しを与えられ、もとの生活に戻ることができる、と語られていたことは、まことの大祭司である主イエスの十字架の死によって私たちの罪の完全な赦しが与えられる、ということを指し示していると言うことができるでしょう。  
 私たちは、この主イエス・キリストによる完全な贖い、罪の赦しの恵みを信じ、その救いにあずかっています。その救いをいただいている者として神様を礼拝し、この救いに支えられて、世の人々のための執り成しをしていくのです。私たちは、レビ人がイスラエルの民の間でしていった不完全な執り成しとは全く違う、主イエス・キリストの十字架による罪の赦しに基づく執り成しを、世の人々のためにすることができます。主イエス・キリストの福音を宣べ伝えていく伝道は、私たちが世の人々のためにしていく執り成しの働きの中心です。このことを中心として、私たちは様々な働きと祈りとによって、罪あるこの世が神様の赦しにあずかり、新しくされ、命を与えられていくための業に励むのです。そのことによって、教会は、今日の社会における逃れの町となるのです。

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