夕礼拝

神の訪れの時

「神の訪れの時」 副牧師 川嶋章弘
旧約聖書 イザヤ書第56章1-8節
新約聖書 ルカによる福音書第19章41-48節

エルサレムに近づき、都が見えたとき
 ルカによる福音書19章を読み進めて、本日は41節以下から終わりまでを読みます。その冒頭に「エルサレムに近づき」とあります。先週見たように、19章28節以下ではいわゆる主イエスの「エルサレム入場」が語られていました。この日から主イエスの地上のご生涯の最後の一週間、「受難週」の歩みが始まります。この主イエスのエルサレム入場は、すべての福音書で語られていますが、ルカ福音書は、ほかの福音書とは異なる語り方をしている、ということも先週お話ししました。ルカ福音書は、「なつめやしの枝」(口語訳では「しゅろの枝」)を持ち、「ホサナ」と叫んで、主イエスを迎える群衆の姿を一切語っていません。それはそこに群衆がいなかったということではありません。39節では「すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって」と言われていますから、ファリサイ派の人たちはもとより、群衆も主イエスの周囲にいたのです。しかしルカ福音書は群衆の姿には触れず、弟子たちにスポットを当てています。37、38節にあったように、群衆ではなく弟子たちの群れが、「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光」と神様を賛美した、と語っているのです。見方を変えれば、ルカ福音書は、主イエスのエルサレム入場において、群衆が沈黙していたことを暗に示していると言えます。

 弟子たちが神様を賛美したのは、「イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき」であった、と37節で語られていました。エルサレムの東の方にケデロンの谷があり、さらにその東側にオリーブ山があります。本日の箇所の冒頭では「エルサレムに近づき、都が見えたとき」と言われています。オリーブ山を降る途中で、ケデロンの谷の向こうにエルサレムが見えたのでしょうか。あるいはオリーブ山を降って、ケデロンの谷も越えて、小高い丘の上にあるエルサレムへ登っていくときに、前方にエルサレムが見えたのでしょうか。いずれにしも「エルサレムに近づき、都が見えたとき」、主イエスは「その都のために」泣かれたのです。

主イエスの涙
 主イエスが泣かれるお姿を、主イエスが涙を流されるお姿を、ルカ福音書が語っているのはここだけです。それだけに私たちは戸惑いを覚えます。主イエスの涙をどう受けとめてよいのか分からないのです。後で見るように45節以下には、神殿の境内から商売をしていた人々を追い出す、荒々しい主イエスのお姿が語られています。しかし私たちは涙を流したり、荒々しく人を追い出したりする主イエスの感情的なお姿をうまく思い浮かべられません。怒ったり泣いたり、主イエスにも人間らしいところがあるのだな、と思うだけで終わってしまいかねない。しかしそれで良いはずがありません。私たちは主イエスの怒りを、涙するほどの悲しみを受けとめていきたいのです。

エルサレムのための涙
 ルカ福音書は、主イエスが「都のために」、つまりエルサレムのために泣いた、と語ります。それは、ご自分がこれからエルサレムで十字架に架けられて死なれることを思い、悲しくなって泣いた、ということではありません。そうではなくエルサレムが滅びようとしていることを思って、涙を流されたのです。43-44節では、エルサレムの滅びがこのように告げられています。「やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう」。「やがて時が来て」と言われる、その「時」とは、紀元70年と考えられています。ユダヤ人はローマの支配に反逆しましたが、紀元70年にローマ軍はエルサレムを包囲し、制圧しました。「お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ」と言われていますが、「地にたたきつける」という言葉には、「地面まで平らにする」という意味もあります。お前を、つまりエルサレムを地面まで平らにしてしまう、と言われているのです。実際、紀元70年にローマ軍によってエルサレムの建物は、いくつかの塔を除いてなぎ倒され、エルサレムは平らにされたそうです。

平和への道をわきまえなかった
 そのようにエルサレムが滅びることになる理由は、どこにあるのでしょうか。42節では、「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない」と言われています。つまりエルサレムが滅びる理由は、エルサレムが、そしてエルサレムの人たちが、「平和への道」をわきまえていなかったことにある、と言われているのです。「平和への道」の「平和」とは、38節で弟子たちが「天には平和」と賛美した、その「平和」です。天の父なる神様の救いのご計画が、その独り子イエス・キリストによって実現するという「平和」を、エルサレムの人たちはわきまえていなかった、知らなかったのです。「しかし今は、それがお前には見えない」とも言われていました。直訳すれば、「今はお前の目から隠されている」となります。心の目に覆いがかかっていて、主イエスによって実現する平和が隠されていたので、エルサレムの人たちはその平和を知らなかった、その平和を信じて、その恵みに与ろうとしなかったのです。

神の訪れの時をわきまえなかった
 44節の終わりでは、このことが言い換えられて、「神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」、と言われています。「神の訪れてくださる時」は、直訳すれば「神の訪れの時」となります。天の神様の救いのご計画が主イエスによって実現するという「平和」をわきまえないことは、「神の訪れの時」をわきまえないことでもあるのです。そしてエルサレムが滅びることになる理由はこのことにあるのです。この箇所の文脈だけを考えれば、「神の訪れの時」とは、主イエスがエルサレムに入られた時、ということでしょう。主イエスがエルサレムに入られた先に、その十字架の死と復活による神様の救いのご計画の実現、主イエスによる平和の実現があります。その意味で、主イエスのエルサレム入場は、「神の訪れの時」なのです。それにもかかわらずその時に、エルサレムの人たちは、「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように」と賛美して主イエスを迎えませんでした。主イエスこそが、主の名によって来られる方であり、まことの王であることをわきまえていなかったのです。ルカ福音書は、群衆の姿に触れないことを通して、群衆の沈黙を暗に示すことによって、エルサレムの人たちが、「神の訪れの時」をわきまえていなかったことを示しているのです。

 このようにこの箇所の文脈だけを考えれば、「神の訪れの時」は、主イエスがエルサレムに入られた時、ということになります。しかし「神の訪れの時」は、主イエスのエルサレム入場に限定されるものではありません。むしろ主イエスがこの世に来てくださり、地上のご生涯を歩まれたその全体が、「神の訪れの時」と言うべきです。かつて洗礼者ヨハネの父ザカリアは主イエスの誕生について、「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた」(1章68-69節)と告げました。「救いの角」である主イエスの誕生において、主なる神様はご自分の民を訪れてくださった、と告げたのです。神様は、主イエスの誕生から、そのご生涯全体を通してご自分の民を訪れてくださいました。しかしエルサレムは、神の民であるユダヤ人は、その「神の訪れの時」をわきまえなかったのです。主イエスはそのことを思い、深く悲しまれ、涙を流されたのです。

私たちのための涙
 しかしそれだけであるならば、主イエスの涙は、私たちとは関わりのないものとなります。エルサレムが、ユダヤ人が「平和への道」をわきまえず、「神の訪れの時」をわきまえなかったので、紀元70年にエルサレムが滅ぼされたというだけなら、それは過去の歴史の出来事であって、今を生きる私たちには関わりがありません。しかし「神の訪れの時」は、主イエスが地上を歩まれた間に限られるものでもないのです。そうではなく「神の訪れの時」は、主イエスが十字架で死なれ、復活され、天に上げられてからも続いていて、今も神様は私たちを訪れてくださっているのです。そうであるならばエルサレムだけでなく、私たちも「神の訪れの時」をわきまえているかどうかが問われています。私たちは、今も神様が私たちを訪れてくださっているのに、その訪れに気づけない者、気づこうとしない者なのではないでしょうか。そのような私たちは、エルサレムがそうであったように、滅びへ向かっていると言わざるをえません。主イエスは「神の訪れの時」をわきまえず、滅びへ向かっている私たちを思い、深く悲しまれ、涙を流してくださっているのです。主イエスの涙は、滅びようとしているエルサレムだけでなく、滅びの道を歩んでいる私たちのための涙なのです。

商売をしていた人々を追い出す
 それにしても「神の訪れの時」をわきまえずに生きるとは、どのように生きることなのでしょうか。このことが、45、46節を通して示されていきます。主イエスはエルサレムに入ると、「神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始め」ました。すべての福音書が、主イエスの「宮清め」と言われるこの出来事を語っています。ただルカ福音書は、最も簡潔にこの出来事を語っているので、その情景を思い浮かべにくいところがあります。神殿の境内で「商売をしていた人々」がいたわけですが、その様子は、日本の神社の参道に多くの屋台が軒を連ねているのとは違います。ルカ福音書が土台にしたマルコ福音書では、このように語られています。「イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された」(11章15節)。ですから「商売をしていた人々」とは、両替人や鳩を売る者のことです。両替人がいたのは、おそらく外国から来た巡礼者が、自分の国の硬貨を両替するためでした。また鳩を売る者たちがいたのは、巡礼者が犠牲としてささげるための鳩を買うためでした。本来であれば羊を献げ物としてささげることになっていましたが、経済的に余裕がない場合は、羊の代わりに鳩を献げ物として良い、と律法で定められていたのです。羊を献げ物として持ってこれない、あるいは買うことができない巡礼者は、鳩を売る者から鳩を買って、それを献げ物としてささげたのです。外国から来た巡礼者の中には、まず自分の国の硬貨を両替して、それから犠牲としてささげるための鳩を買う人たちがいたのではないでしょうか。このように神殿の境内で商売をしていた人々というのは、お土産を売ったり、飲み物や食べ物を売ったりしていたのではありません。神殿に礼拝に来た人たちが、礼拝するために必要なものを提供するために商売をしていたのです。この人たちは、巡礼者が神殿で礼拝するのを助け、支えていたと言っても良いのです。そのような人たちを、主イエスは神殿の境内から追い出されました。ですからそれは、ただ荒々しい行動というだけでなく、理不尽な行動のようにも思えるのです。

祈りの家
 主イエスがこのような理不尽にも思える行動を取られた理由は、46節の主イエスのお言葉から受けとめる必要があります。主イエスはこのように言われました。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした』」。「こう書いてある」というのは、旧約聖書に書いてあるということです。主イエスはここで旧約聖書の二つのみ言葉を引用しています。一つが、「わたしの家は、祈りの家でなければならない」で、これは、共にお読みしたイザヤ書56章7節のみ言葉の引用です。このみ言葉は、どのような文脈で語られているのでしょうか。イザヤ書56章1節以下は、ユダヤ人ではない異邦人の救いが語られています。3節でこのように言われています、「主のもとに集って来た異邦人は言うな、主は御自分の民とわたしを区別される、と」。主なる神様は神の民であるユダヤ人と自分たち異邦人を区別される、と異邦人は言ってはならない、と言われています。神様は異邦人というだけで、異邦人とユダヤ人を区別されるお方ではないのです。神様が求めておられることは、別にあります。それが、6節で「主のもとに集まって来た異邦人が 主に仕え、主の名を愛し、その僕となり 安息日を守り、それを汚すことなく わたしの契約を固く守るなら」、と言われています。神様が求めておられるのは、神様のもとに集まって来た異邦人が神様に仕え、神様を愛し、神様の僕となり、安息日を守ることなのです。それは、一言でいえば、心からの礼拝をささげるということです。異邦人が心からの礼拝をささげるとき、神様はユダヤ人と異邦人を区別されることはなく、同じ救いに与らせてくださるのです。主イエスが引用したのはイザヤ書57章7節の最後の言葉、「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」ですが、主イエスのお言葉そのものには、「すべての民」という言葉はありません。しかしここで主イエスがこのみ言葉を引用して見つめておられるのは、心からの礼拝をささげるときに神殿は祈りの家となる、ということでしょう。ただ形だけ整えて羊や鳩を献げ物としてささげても、心からの礼拝をささげることにはなりません。それでは、神の家である神殿は祈りの家とならないのです。

強盗の巣
 主イエスが引用したもう一つのみ言葉が、「ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした」で、これはエレミヤ書7章11節のみ言葉の引用です。このみ言葉が語られている文脈に目を向ければ、神様はエレミヤを通して「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々」(7章2節)に語りかけています。つまり神殿に来て礼拝する人たちに向けて語られているのです。そして「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない」(4節)と告げられ、「しかし見よ、お前たちはこのむなしい言葉に依り頼んでいるが、それは救う力を持たない。盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、知ることのなかった異教の神々に従いながら、わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来てわたしの前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる」(8-11節)と告げられています。「主の神殿、主の神殿、主の神殿」と言って礼拝に来るけれど、それは形だけで、普段の生活では神様のみ心を求めようともせず、神様の忌むことばかりしているではないか。それなのに神殿に来て礼拝をして「救われた」と言うのは、神の家である神殿を強盗の巣窟にすることだ、と言われているのです。神殿に来さえすればそれで大丈夫という形だけの礼拝を、エレミヤを通して神様は退けておられるのです。

形だけの礼拝
 このように主イエスは旧約聖書の二つのみ言葉を引用して、神様に仕え、神様を愛し、その僕として生きようとする心が伴わない、形だけの礼拝をすることは、神の家である神殿を祈りの家でなくし、むしろ強盗の巣にしてしまうことである、と示されたのです。主イエスが怒られ、荒々しく振る舞われたのは、この形だけの礼拝に対して怒られたからです。だから主イエスは、神殿の境内から商売をしていた人たちを追い出されたのです。
 そして形だけの礼拝こそ、「神の訪れの時」をわきまえずに生きることです。神様は礼拝において、私たちを訪れてくださいます。それなのに私たちが形だけの礼拝をするならば、「神の訪れの時」である礼拝をないがしろにしているのです。私たちの礼拝が形だけのものとなっていたら、私たちは「神の訪れの時」を知ることはできません。いくら礼拝の形を整えても、あるいは祈りの言葉を整えても、神様に仕え、神様を愛し、その僕として生きようとする心を持って礼拝に集わないならば、私たちは「神の訪れの時」をわきまえることはできないのです。そのことに対して主イエスは激しくお怒りになられるのです。

神の言葉にしっかりしがみつく
 47節の冒頭には「毎日、イエスは境内で教えておられた」とあります。47、48節は、20章1節以下と結びつくと考えることもできます。20章1節の冒頭に「ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると」とあるので、47、48節では、神殿での主イエスの「毎日」の様子が語られ、その後に20章1節以下で、「ある日」の神殿での出来事が語られている、と読むことができるからです。しかし47、48節は、その直前とも結びついて、福音が告げ知らされる礼拝こそ、「神の訪れの時」であるということをも示していると思うのです。47節の「毎日、イエスは境内で教えておられた」というのは、ただ単に主イエスが毎日、神殿の境内で教えを語られていたということではなく、20章1節で「福音を告げ知らせておられる」とあったように、福音を告げ知らせておられた、ということです。この主イエスが告げ知らせた福音に対して、「祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもでき」ませんでした。「民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていた」からです。「夢中になって」と訳されている言葉は、「しっかりしがみつく」という意味の言葉です。民衆は皆、主イエスが語る福音に、救いの良い知らせにしっかりしがみついていたのです。私たちも礼拝で語られる福音に、救いの良い知らせに夢中になって、しっかりしがみついていきたいのです。神様に仕え、神様を愛し、その僕として生きようとする心を持って礼拝に集うなら、私たちは礼拝で語られる神の言葉に、福音に夢中にならないはずがない、しっかりしがみつかないはずがないのです。そのような礼拝をささげることが、「神の訪れの時」をわきまえて生きることなのです。

神の訪れの時をわきまえて生きる
 確かに主イエスは、「神の訪れの時」をわきまえて生きることができない私たちに怒られます。形だけの礼拝になり、神様を愛する心を忘れ、福音にしがみつこうともしない私たちに怒られます。しかし同時に主イエスは、そのような私たちのために泣いてくださり、涙を流してくださいます。私たちを愛してくださり、私たちが滅びへ向かうことに心を痛められるのです。私たちが滅んでしまうことに深く心を痛められ、悲しまれ、涙を流してくださる主イエスが、エルサレムに入った週の金曜日に、十字架に架けられて死なれました。神様を愛することができない私たちを滅びから救うためです。主イエスの流した涙は、私たちのためであり、主イエスの涙するほどの悲しみと私たちに対する愛が、主イエスを十字架の死へと歩ませるのです。主イエスの十字架の死によって私たちは滅びから救われました。この主イエスの十字架の死によって実現した救いの良い知らせが、礼拝で告げ知らされているのです。「神の訪れの時」の「訪れ」とは、「見守り」とか「目配り」とも訳せる言葉です。礼拝で語られる救いの良い知らせを通して、神様が今も、私たちを訪れてくださり、いつも見守ってくださっていることが告げられているのです。この救いの良い知らせに、私たちはしっかりしがみついて礼拝をささげていきます。その中でこそ、私たちは主イエスの怒りと、涙するほどの悲しみと私たちに対する愛を受けとめることができるのです。その中でこそ、私たちは「神の訪れの時」をわきまえて生きることができるのです。

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