「神の国を宣べ伝える」 伝道師 川嶋章弘
・ 旧約聖書:詩編 第145編1-21節
・ 新約聖書:ルカによる福音書 第4章38-44節
・ 讃美歌:51、361
三つの出来事
本日の聖書箇所、ルカによる福音書第4章38-44節は三つの出来事を含んでいます。第一に、イエスがシモンのしゅうとめを癒やされたこと、第二に、イエスが多くの病人を癒やされたこと、第三に、自分たちから離れないで欲しい、とイエスに願う群衆と、しかしそこから離れていくイエスが語られています。このように本日の箇所は三つの出来事に分けることが出来ますが、だからといってこれらがそれぞれ独立したばらばらの話である、というわけではありません。本日の箇所は、31節から始まる一つのまとまりの中で語られているからです。このことは、31節で、イエスが故郷ナザレからカファルナウムにやって来た、と語られていて、本日の箇所の最後、44節で、イエスがカファルナウムを離れてユダヤの諸会堂に行った、と語られていることから分かります。カファルナウムにやって来たイエスが、カファルナウムから去っていく、その間に起こった出来事が31-44節で語られているのです。ですから本日の三つの出来事だけでなく、前回共に耳を傾けました31-38節も含めて一つのまとまりとして語られているのです。
さらに31-44節で語られている出来事は、時間で言えば、長くても一日、つまり24時間の間に起こったと言えます。31-38節で語られていたのは、カファルナウムの会堂における安息日の出来事でした。安息日は、私たちの曜日で言えば、金曜日の日没から土曜日の日没過ぎまでで、その安息日の日中、つまり土曜日の日中にカファルナウムの会堂で礼拝が守られ、そしてその礼拝でイエスが権威ある言葉を語られたのです。この礼拝から続いて、半日から一日の間に起こったことが本日の箇所で語られているのです。
もう一つ目を向けたいのは、このカファルナウムにおける出来事が、マルコによる福音書1・21-39節にも「ほぼ」同じように語られている、ということです。福音書にはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネとありますが、マルコによる福音書が一番初めに書かれたと考えられています。そしてルカによる福音書の著者ルカは、このマルコ福音書を用いてルカ福音書を記した、と考えられているのです。著者ルカは、福音書の初めに「わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています」と記していて、この多くの人たちがすでに書いたものの一つがマルコ福音書ではないか、と推測できます。先ほど「ほぼ」同じように語られている、と申しました。「ほぼ」同じですから、「完全に」同じということではありません。そこには違いがあります。私たちは、マルコ福音書との違いに目を向けることで、ルカ福音書だけが語ろうとしているメッセージに気づかされるのです。
会堂からシモンの家へ
安息日にカファルナウムの会堂で礼拝を守ったイエスは、「会堂を立ち去り、シモンの家にお入りになった」と38節にあります。この38節と39節で、第一の出来事が語られています。シモンとはシモン・ペトロのことです。ここでは、まだシモン・ペトロがイエスの弟子であるとは語られていません。シモン・ペトロがイエスの弟子となる、このことは本日の箇所のすぐ後、5章で語られています。後にイエスの十二人の弟子の中で、一番弟子となるペトロの家にイエスは安息日の礼拝後にやって来たのです。シモン・ペトロの家には、シモンのしゅうとめがいて高い熱に苦しんでいました。「しゅうとめ」ですから、シモン・ペトロの妻の母、つまり義理の母ということです。ペトロが結婚していて妻がいたことは、パウロがコリントの信徒への手紙一9・5節で「わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか」と語っていることからも窺い知ることができます。ここでケファと呼ばれているのがペトロのことですから、パウロはペトロのように信者である妻を連れて歩く権利はないのか、と言っているのです。本日の箇所ではシモン・ペトロの妻は登場しません。もちろんまだ信者であったわけでもありません。ペトロと同じように彼の妻も、十字架で死なれ復活した主イエスに出会うことによって、主イエスこそ私の救い主、と信じる者とされたのだと思います。この妻が、自分の母が高い熱に苦しんでいた、この場に一緒にいたのか、あるいはいなかったのかは分かりません。けれども主イエス・キリストを信じる者とされた後、ペトロの妻は、自分の母がイエスによって癒やされたこの出来事を思い起こしていたに違いありません。あのとき、イエスは私の大切な母親を癒してくださった。そこにすでに主イエスの救いのみ業が指し示されていたのだ、と信じたのではないでしょうか。
イエスに「頼む」
「シモンのしゅうとめが高い熱に苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスに頼んだ」とあります。ここで言われている「人々」が誰なのかは語られていませんが、人々の中にシモン・ペトロは含まれていたでしょうし、ペトロの妻も含まれていたかもしれません。いずれにしてもシモンのしゅうとめが高熱で苦しんでいることに心配し、心を痛めていた彼女と親しい人たちが、イエスに「頼んだ」のです。マルコ福音書は、同じ場面で「人々は早速、彼女のことをイエスに話した」と語っています。しかしルカ福音書は、「話した」ではなく、より強い表現で「頼んだ」と語っているのです。このように語ることによってルカ福音書は、シモンのしゅうとめの高熱による苦しみだけでなく、彼女のすぐそばにいる人たちの苦しみを、大切な人を助けてほしいという切実な願いを見つめているのです。
その苦しみと願いをイエスは受けとめてくださいます。イエスが彼女の「枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り」彼女は癒やされたのです。「熱を叱りつける」とは不思議な表現です。マルコ福音書ではそのようには語られていません。しかしルカ福音書では一連のカファルナウムの出来事の中で「叱る」という言葉が三回使われているのです。35節では、安息日のカファルナウムの会堂で、イエスが悪霊に「『黙れ。この人から出て行け』とお叱りに」なったと語られていました。また41節には「イエスは悪霊を戒めて、ものを言うことをお許しにならなかった」とありますが、この「戒める」が「叱る」と同じ言葉です。つまりイエスは悪霊を叱るのと同じように熱を叱ったのです。このときシモンのしゅうとめが何歳であったのか正確には分かりません。しかし当時の社会において、彼女は高齢であったでしょうから、高熱は彼女に死をもたらしたかもしれません。イエスは死をもたらすかもしれない高熱を、その力を叱ったのです。そして彼女をその力から解放したのです。それはイエスが悪霊を叱るときに起こったことでもあります。悪霊とは神さまの支配に逆らう力だ、と前回申しました。言い換えるならば、悪霊は罪の支配によって死をもたらす力なのです。イエスは悪霊に取りつかれた人たちを、その悪霊を叱ることによって、死をもたらす力から解放したのです。
癒しに応えて
熱が去り、死をもたらす力から解放されたシモンのしゅうとめは「すぐに起き上がって一同をもてなした」とあります。マルコ福音書ではイエスがシモンのしゅうとめの手を取って起こされたと語られていますが、ルカ福音書では彼女は自分で起き上がった、しかもイエスのみ業が行われると「すぐに」起き上がって一同をもてなしたと語られています。つまりルカ福音書では、主イエスのみ業に応える彼女の姿に焦点が当てられていると言えます。「もてなす」とは「仕える」ことです。イエスの癒しのみ業に応えて、彼女はイエスとそこにいた人たちに仕えたのです。このことは、主イエスによる救いに与った者がその救いに応えることを指し示しています。主イエスの十字架による救いによって罪の支配と死の力から解き放たれた者は、その救いのみ業にお応えして、神さまと隣人とに仕える者とされるのです。
病気で苦しむ者を抱えている人
シモンのしゅうとめが癒やされた、という第一の出来事が語られた後、40、41節で第二の出来事が語られています。40節の初めに「日が暮れると」とあります。この言葉は、第一の出来事と第二の出来事を結びつけている大切な言葉です。第一の出来事は、安息日の礼拝後、つまり土曜日の日中に起こりました。「日が暮れると」とは、この土曜日の日没後に、つまり安息日が終わった後に、という意味です。安息日が終わると「いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た」のです。安息日には病人を運ぶことが禁じられていました。だから彼らは日が暮れてから病人たちをイエスのところへ連れて行ったのです。ここでも病気で苦しむ人たちだけでなく、病気で苦しむ人を抱えている人たちが見つめられています。病によって苦しみの中にある人の周りには、その人のことを愛し、大切に思っている人たちがいます。それは家族や友人であるかもしれませんし、そのどちらでもないかもしれません。いずれにしても自分の愛する人が、大切な人が病の中にあって苦しんでいるのを間近で見て、接して、なんとか助けたいと願っていたのです。病で苦しんでいる人を抱えている人たちの苦しみ、悲しみ、願いは、昔も今もなんら変わることはありません。この人たちは日が暮れるのが待ち遠しかったに違いありません。日が暮れたら、病人をイエスのところへ連れて行こうと、今か今かと待ちわびていたのです。病になったとき自分で病院に行くことはもちろん少なくありません。しかしその病が深刻であればあるほど、自分で病院に行くことができない、誰かに連れて行ってもらわなくてはならない、付き添ってもらわなくてはならないことがあります。病による苦しみに加えて、自分で病院に行くことができない苦しみもあるのです。時には、自分で病院に行くことができないのではなく、自分で病院に行くことを拒む、嫌がるという人もいるでしょう。しかしこの人を大切に思えば思うほど、その病について真剣に考えれば考えるほど、この人をなんとしても病院に連れて行かなくてはならない、医者のところに連れて行かなくてはならないと四苦八苦するのです。病人を抱えている人たちは、日が暮れるのを待ちながら、このように様々な苦しみや葛藤の中にいたのではないでしょうか。
一人一人に手を置いて
病にある人の苦しみを共有し、その癒しを願う人たちによって、病人たちはイエスのもとに連れてこられました。イエスは「その一人一人に手を置いていやされた」と語られています。他方マルコ福音書では「イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし」と語られています。マルコ福音書で見つめられているのは、イエスが「大勢」の人たちを癒やされたことです。しかしルカ福音書では「一人ひとりに手を置く」というイエスの癒し方に注目しています。ルカ福音書は、いろいろな病気で苦しんでいる人たちがいて、イエスがその人たちを一度に癒した、とは語っていません。そうではなく一人ずつ癒してくださったのです。「一人ひとりに手を置いて」とは、イエスが一人ひとりの病に向き合ってくださったことにほかならないのです。
私たちが生きているこの社会で、多くの病院は混雑しています。その原因は色々と考えられますが、原因が何であれ、病院に行ってみると、診察まで長い時間待合室で待たされ、やっと診察かと思うと、診察はあっという間に終わってしまい、その後会計やら処方やら待たされ、診察の時間の何倍もの時間を待つことに費やしたという経験がある方も少なくないでしょう。それでも時間は短かったとしても、その診察が「一人ひとりの病に向き合ったもの」であったならば、病院に来て良かったと思います。しかしそうではなく、まるで流れ作業のような診察であったとしたら、病にある人は、またその人に付き添ってきた人も深い失望を味わうのではないでしょうか。病にある人にとって、適切な診断と説明と同じくらい大切なのは、一人ひとりの病に向き合ってくれること、他ならぬこの私の病に向き合ってくれることなのです。
ルカ福音書は、「いろいろな病気で苦しむ者」をイエスが「一人ひとりに手を置いて」癒してくださったことを語っています。それは、私たちの誰一人として同じ病を抱えていないことをも意味します。より正確に言えば、たとえ病名は同じであったとしても、私たち一人ひとりが同じではなく異なるように、その病による苦しみは一人ひとり異なるということです。症状の重い、軽いは言えますし、急性の病もあれば慢性の病もあります。このような分類による区別や比較はできるとしても、病による苦しみそのものは比べることができません。病によるその人の苦しみは、その人だけの苦しみであり、ほかの人の苦しみと交換することもできなければ、比べることもできないのです。イエスは「一人ひとりに手を置いて」くださり、一人ひとりそれぞれに異なる苦しみと向き合ってくださり、癒してくださったのです。
悪霊を黙らせる
高い熱はシモンのしゅうとめを死にいたらしめたかもしれません。同じようにどのような病気であれ心身を弱らせ、究極的には死をもたらします。ですからイエスが病人を癒やされたことは、死をもたらす力である悪霊を病人から追い出すことでもあり、このことが41節で語られています。41節で「悪霊もわめき立て、『お前は神の子だ』と言いながら、多くの人々から出て行った。イエスは悪霊を戒めて、ものを言うことをお許しにならなかった。悪霊は、イエスをメシアだと知っていたからである」と語られています。イエスが病人を癒やされたことで、その人たちから悪霊が出ていきました。興味深いのは、そのとき悪霊が「お前は神の子だ」とわめき、それに対してイエスが悪霊を叱り、話すことを許さなかったことです。「お前は神の子だ」とは、「イエスは神の子である」ということであり、また悪霊はイエスがメシアであることも知っていました。このことは悪霊が、イエスとはどなたか、ということを正しく知っていたということです。正しいことを言っているにもかかわらず、イエスが悪霊を沈黙させたのはなぜでしょうか。たとえ悪霊であったとしても、「イエスは神の子」、「イエスはメシア」と言いふらしてくれたほうが、そのことを一人でも多くの人に伝えるためには良かったのではないかと思えます。しかしイエスはそのことをお許しにならなかったのです。それは、この悪霊の言葉が正しいとしても信仰をともなっていないからではないでしょうか。「イエスは神の子」、「イエスはメシア」という告白が、信仰なき告白であったのなら、その告白はむしろ神さまに対立するものでしかないのです。
離れていかないで
イエスが病人一人ひとりに手を置いて癒やされた、という第二の出来事が語られた後、42-43節で第三の出来事が語られています。42節の初めに「朝になると」とあります。第一の出来事は安息日である土曜日の日中に起こり、第二の出来事は土曜日の日没後に起こり、そして「朝になると」第三の出来事が起こったのです。「朝になると」イエスは人里離れた所へ出て行かれました。ここではなにも語られていませんが、人里離れた所でイエスは神さまに祈ろうとされたのかもしれません。5・16節では「イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた」とあります。しかし人々はイエスを捜し回り、イエスのところに来て、「自分たちから離れていかないようにと、しきりに引き止めた」と語られています。この人々の姿を見て、イエスを独り占めしようとするのは間違っている、と言うのは簡単です。しかしイエスが一人ひとりの病に、その病による苦しみに向き合ってくださり、病にある人は癒やされました。また病にある人の周りにいる人たちも自分の愛する人が、大切な人が癒やされ、その苦しみから解き放たれたのです。ですから人々がイエスに自分たちから離れていかないで、という想いを持ったのは自然なことではないでしょうか。「しきりに引き止めた」と語られていることからも、この想いの強さが分かります。想いの強さは、今まで味わってきた苦しみの大きさの裏返しです。苦しみが大きかったからこそ、自分たちの苦しみを癒してくださったイエスに対する、「離れていかないで」という想いも強く、切実なものだったでしょう。
神の国の福音を告げ知らせる
イエスは人々の想いを否定したのではありません。しかしイエスにはそのような想いを超えて行わなければならないことがありました。イエスは人々に「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ」と言われます。ここでイエスは「ほかの町にいる病気で苦しむ人たちを癒しに行かなければならない」とは言われませんでした。「ほかの町」に行くのは、そこにいる病気で苦しむ人たちを癒すためではなく、「神の国の福音を告げ知らせる」ためです。またここでイエスは「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせたい」とも言われませんでした。「告げ知らせねばならない」と言われたのです。「ねばならない」と言われているのは、このことが神さまのみ心、神さまの意志であるからです。9・22節で「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて、殺され、三日目に復活することになっている」とイエスは弟子たちにご自分の死と復活を語られています。ここで「必ず」と訳されている言葉が、「ねばならない」と同じ言葉なのです。イエスの死と復活が神さまのみ心であり、意志であるように、「神の国の福音を告げ知らせる」ことも「必ず」行わなければならないことであり、神さまがイエスにお与えになった使命なのです。イエスの使命は、病にある人を癒し、その苦しみを癒すことではありません。ですからこの使命は、人々の想いとは異なり、その想いをはるかに超えたものであったのです。「神の国の福音を告げ知らせる」ためにこそ、神さまはイエスをこの世へと遣わされたのです。
ルカ福音書では「神の国」という言葉はここで初めて用いられています。私たちは「神の国」という言葉にどこか慣れてしまっているかもしません。しかしルカ福音書は4章の終わりまで「神の国」という言葉を使わず、やっとここで「神の国」という言葉を用いて語るのです。このようなルカ福音書の語り方に気づかされるとき、私たちはここで「神の国」という言葉に出会えたことに、もっと驚きと喜びを持って良いのです。「神の国」とは、神さまが支配するところであり、神さまのみ心が支配するところです。そして「神の国」は、主イエスの十字架と復活において実現するのです。「福音を宣べ伝える」とは、直訳すれば「喜びを告げる」となります。ですから「神の国の福音を告げ知らせる」とは、神さまが支配するところ、神さまのみ心が支配するところで生きる喜びを告げることなのです。
この「神の国」でこそ、まことの救い、まことの癒しが実現します。第一、第二の出来事において指し示されていたのは、この主イエスによる救いとそれによって実現する「神の国」にほかなりません。確かに「神の国」という言葉は第三の出来事の終わりまで語られることはありません。けれども主イエスの使命が病の癒しではなく、「神の国の福音を告げ知らせる」ことであるということは、第一、第二の出来事が第三の出来事と関係がない、ということではありません。シモンのしゅうとめの癒しにおいて、イエスの救いのみ業と救いに与った者の歩み、神さまと隣人とに仕える歩みが指し示されていました。このことこそ神さまのみ心であり、神の国において実現することです。神さまのみ心が支配するところで、神さまと隣人とに仕えて生きる喜びが与えられるのです。また、私たちの救いは、主イエスが「一人ひとりに手を置いて」くださることだと言えます。十字架と復活による救いは、それぞれに異なる苦しみ、悲しみ、痛みを抱えていた私たち一人ひとりに主イエスが向き合ってくださり、癒してくださり、私たちを捕らえていた死の力を滅ぼしてくださることにほかなりません。十字架と復活は一回限りの出来事です。しかしその救いは、一人ひとり異なる私たちに与えられるのです。そうでなければ、私たちは十字架と復活を自分に関わるリアルなこととしてなかなか受けとめられません。この出来事は、十字架と復活においてこそ、主イエスが私たち「一人ひとりに手を置いて」くださることを指し示しているのです。ですから「神の国」は、主イエスが私たち「一人ひとりに手を置いて」くださることによって実現すると言っても良いのです。
第一と第二の出来事において、人々はすでに主イエスによる救いと、「神の国」の実現を指し示されていました。しかしこのことは、あくまでも指し示されていただけで、実現したわけではありません。だから第三の出来事においてイエスは人々の「自分たちから離れていかないで」という想いを超えて、「神の国の福音を告げ知らせる」ためにほかの町へ、ユダヤの諸会堂へ出て行くのです。そしてその先に、主イエスの十字架と復活、また指し示されていた「神の国」の実現があるのです。すでに主イエスは私たち「一人ひとりに手を置いてくださり」、私たちを救いの恵みへと入れてくださっています。私たちは神さまのみ心が支配するところで生きる喜びを味わい始めているのです。そして救いの恵みの中で神さまと隣人とに仕える者へと変えられていくのです。なにより私たちも、イエスが告げ知らせた神の国の福音を、神の国に生きる喜びを、まだこの喜びを知らない人へと告げ知らせていかなければならないのです。
「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」