夕礼拝

聖霊の導きを信じる

「聖霊の導きを信じる」 副牧師 川嶋章弘

・ 旧約聖書:詩編 第139編7-12節
・ 新約聖書:使徒言行録 第16章6-10節
・ 讃美歌:

ペンテコステ
ペンテコステ(聖霊降臨日)を迎えました。私が夕礼拝で説教を担当するときにはルカによる福音書の連続講解説教をしていますが、本日は教会の暦に沿った聖書箇所からみ言葉に聴いていきたいと思います。と言っても、ペンテコステの出来事そのものではなく、いわゆる「パウロの伝道旅行」における出来事を見ていきます。ペンテコステに降った聖霊の導きによって教会がキリストを宣べ伝え、伝道していくことに目を向けていきたいのです。
さて、本日の箇所に入っていく前に、復活された主イエスが弟子たちに与えた約束を想い起したいと思います。十字架で死なれ復活された主イエスは40日にわたって弟子たちに現れた後、天に昇られましたが、その直前に弟子たちに約束を与えられました。使徒言行録1章8節にこのようにあります。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」。主イエスが天に昇られることによって、弟子たちは復活の主イエスを見ることができなくなりましたが、彼らはこの主イエスの約束を信じ過ごしていたのです。主イエスの昇天から10日目に、つまり主イエスの復活から50日目の五旬祭の日に、主イエスが約束した通り弟子たちの上に聖霊が降ります。これが2章1節以下で語られているペンテコステの出来事です。その4節には「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」とあります。弟子たちは聖霊に満たされ聖霊に導かれるままに語り始めたのです。なにを語ったのでしょうか。11節に「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」とあります。弟子たちは「神の偉大な業」を語りました。神さまが主イエス・キリストにおいて実現した「偉大なみ業」です。それは、神さまが主イエス・キリストを私たちのところへ遣わしてくださり、その十字架と復活によって私たちの罪を赦してくださったことにほかなりません。この「神の偉大な業」を、主イエス・キリストによる救いの良い知らせを、弟子たちは聖霊に満たされ聖霊に導かれるままに語ったのです。

アジアからヨーロッパへ
ペンテコステの後、聖霊を受けた弟子たちによって、主イエス・キリストによる救いの良い知らせ、つまり福音がエルサレムから広がっていきます。主イエスが約束された通り、福音は「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで」宣べ伝えられていくのです。使徒言行録の前半では、福音が「ユダヤとサマリアの全土」に広がっていくことが語られています。そして後半では、その福音がさらに「地の果てに至るまで」広がっていくことが語られているのです。ここでは「地の果て」はローマを意味しているかもしれません。使徒言行録の終り28章31節で、パウロがローマで「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」と語られているからです。使徒言行録はエルサレムからローマへ福音が広がっていくことを語っているのです。
「ユダヤとサマリアの全土」を越えて、福音が広がっていくために大きな働きをしたのがパウロでした。パウロの伝道によって異邦人の暮らす地域にも主イエス・キリストが宣べ伝えられ、多くの教会が建てられたのです。使徒言行録によればパウロは三回伝道旅行をしています。いわゆる「第一伝道旅行」では、パウロは同労者であるバルナバと共に小アジア、現在のトルコの東側で伝道しました。これに続く「第二伝道旅行」における出来事が、本日の箇所で語られています。本日の箇所でパウロは、小アジアの西の端にあるトロアスからエーゲ海を渡ってマケドニア州へ向かうことを決断します。エーゲ海を挟んで東側がアジア、西側がヨーロッパでしたから、この決断によって福音はアジアからヨーロッパへ渡っていくのです。この出来事こそ、福音が「地の果てに至るまで」広がっていくターニングポイントでした。しかしこの記念すべき出来事は、パウロの伝道が順調であったから実現したのではありません。むしろ伝道が行き詰まる中で起こったことなのです。

第二伝道旅行の計画変更
第二伝道旅行でパウロたちはまず、第一伝道旅行で訪れた町々へ行きました。その町々には第一伝道旅行の際に彼らによって建てられた教会がありました。パウロたちは教会を訪ね、教会の人たちを導き、励まし、力づけたのです。本日の箇所の直前5節には「こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった」とあります。彼らの働きによって教会の信仰が強められ、日ごとに主イエス・キリストを信じて教会に加わる人が増えていったのです。
順調に進んでいた第二伝道旅行ですが、その計画を変更しなければならない事態が起こりました。そのことが本日の箇所の6-8節で語られています。当初の計画では、第一伝道旅行の際に建てられた教会を訪れた後、パウロたちはそのまま西に進んでエフェソに向かう予定であったと思われます。しかし「アジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられた」ために、計画を変更してより北寄りのルートである「フリギア・ガラテヤ地方を通って行った」のです。そしてミシア地方の近くに着くと、そこからさらに北のビティニア州に向かおうとしました。しかしここでも「イエスの霊」、つまり聖霊が許さなかったために再び計画を変更して、ビティニア州には向かわず「ミシア地方を通ってトロアスに下った」のです。パウロたちは小アジアの西の端にある港町トロアスにたどり着きます。目の前にはエーゲ海が広がっています。彼らはアジアとヨーロッパの境目に立ったのです。トロアスでパウロは幻を見ました。その幻の中で「一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』と言ってパウロに願った」のです。この幻を見たパウロは、「すぐにマケドニアへ向けて出発する」ことにしたのです。

聖霊の働きによる
このようにパウロは二度計画を変更しなければなりませんでした。その具体的な理由はこの箇所ではなにも語られていません。ほかの聖書箇所から推測することはできますが、それについては後で触れることにします。大切なことは、どのような理由であったとしても使徒言行録がこのことを「聖霊から禁じられた」、「イエスの霊がそれを許さなかった」と語っていることです。つまりこの計画変更は「聖霊の働きによる」と言っているのです。み言葉を語ることなしに伝道は進みません。でも、それができない。パウロたちはアジア州の人たちにも、ビティニア州の人たちにも福音を伝えたかったはずです。「ビティニア州に入ろうとした」の「入ろうとした」は、一回だけ挑戦したというより、繰り返し挑戦したというニュアンスを持っています。なんとかしてビティニア州の人たちに福音を届けたかった。でも、それができない。彼らは自分たちの伝道に行き詰まりを感じ、先の見えない不安の中にあったに違いありません。なぜ、こんなことになったのか、と問わずにはいられなかったはずです。しかし使徒言行録はそのように伝道が行き詰まる事態を、計画の変更を余儀なくされる事態を「聖霊の働きによる」と受けとめ語っているのです。なぜなら聖霊の働きによって伝道はなされるからです。しばしば私たちは自分たちが伝道をしている、自分たちの働きによって伝道が進んでいると思いがちです。本来、神さまのみ業である伝道を自分たちでコントロールしようとし、コントロールできると錯覚するのです。だから逆に伝道が行き詰まると、すぐに自分たちのあれが良くなかったこれが良くなかった、あれを変えなくてはこれを変えなくてはと考えてしまいます。しかしそれは私たちが第一にすべきことではありません。伝道の行き詰まりに直面するとき、私たちはなによりもまず、伝道が自分たちの力によってではなく聖霊の働きによってなされることに目を向けるのです。私たちの目には伝道が停滞しているように思えるときも、教会の伝道は聖霊の導きのもとにあり続けます。使徒言行録が「聖霊の働きによる」と受けとめ語っているのは、このことを見つめているからなのです。

なんのために計画を立てるのか
けれども伝道が聖霊の働きによるとは、私たちが伝道のために計画を立てなくて良いということではありません。伝道の停滞に直面するとき、これまでの伝道計画を振り返ったり、その変更を考えたりしなくて良いということではないのです。パウロたちも伝道旅行に備えて綿密な計画を立てたに違いありません。それは、行き当たりばったりの旅行を避けるためだけではありません。自分たちが主イエス・キリストによる救いを異邦人に宣べ伝えるために召され、遣わされていると信じていたからです。神さまから与えられた使命を真剣に受けとめているからこそ、その使命を担っていくための計画をしっかり立てたのです。私たちの教会が、教会の営みについて計画を立てていくことの根本にも同じことがあります。計画を立てないと長期的にやって行けなくなる。そういうことが確かにあります。でもそれだけではない。それだけではいけない。神さまが私たちの教会をこの地に立ててくださり、この地に救いを宣べ伝える使命を私たちの教会に与えてくださいました。私たちはその使命を真剣に受けとめ、その使命を担っていくためにこそ懸命に計画を立てていくのです。

「できないこと」にも聖霊の導きがある
しかしそのように計画を立てたとしても、パウロたちがそうであったように、必ずしも私たちの計画通りになるわけではありません。パウロたちが聖霊の働きによってみ言葉を語ることを禁じられたように、聖霊の導きは「なにかができること」によってではなく、「なにかができないこと」によって示されることがあるのです。今、私たちには「できないこと」がたくさんあります。特に伝道の計画をなかなか立てることができません。かつてのように多くの方々をお招きしての伝道礼拝やクリスマス讃美夕礼拝を行うことができずにいます。それは言うまでもなく「コロナ禍」のためです。しかしそうであったとしても、「コロナ禍」のために「できない」で終わらせるのではなく、「かつてのようにできないこと」に聖霊の導きがあると受けとめていきたいのです。「できないこと」をただ嘆くだけでなく、このことにも神さまのみ心がある、意味があると信じていきたいのです。パウロたちはアジア州やビティニア州でみ言葉を語ることができなかったとき、その意味がすぐに分かったわけではないでしょう。しかし彼らはアジア州でみ言葉を語れず、ビティニア州へ入れないことを通してトロアスへと導かれました。小アジアの西の端まで導かれたのです。そしてパウロが見た幻を通して、その幻に現れた一人のマケドニア人の言葉を通して、エーゲ海を渡ってトロアスからマケドニアへ向かうよう導かれました。アジアからヨーロッパへ大きな一歩を踏み出すよう導かれたのです。10節にはこのようにあります。「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである」。パウロは幻を見るとマケドニアへ向けて出発することを「すぐに」決断しました。その決断は、「マケドニア人に福音を告げ知らせるために」神さまが自分たちを召してくださっているという確信が与えられたからです。幻を見たからだけではないと思います。アジア州でもビティニア州でもみ言葉を語れなかったことが、その確信をより確かなものとしたのではないでしょうか。あちらでもこちらでも「できないこと」が続きました。「うまくいかないこと」の連続でした。しかしそのような歩みの先で神さまのみ心が示されたのです。そのときパウロは、できなかったこと、うまくいかなかったことにも意味があり、聖霊の導きがあったと受けとめたのです。そのように受けとめたからこそ幻によって与えられた確信がより確かなものとされたのです。私たちも今は、コロナ禍によって「できないこと」にどんな意味があるのか分かりません。しかし聖霊は「できないこと」を通して私たちを導いてくださり、その歩みの先で必ずこのことの意味を示してくださるのです。「コロナ禍」にあって、私たちは「できないこと」にも聖霊の導きがあると信じ、忍耐して歩んでいくのです。

罪によって聖霊の導きは妨げられない
聖霊の導きは「できないこと」だけでなく、私たちには失敗としか思えないようなことにもあります。少し時間を遡りますが、パウロは第二伝道旅行の初めから大きな挫折に直面しました。彼は第一伝道旅行と同じようにバルナバと一緒に第二伝道旅行を行う予定でしたが、誰を連れていくかでバルナバと衝突し、決裂することになります。15章39節には「意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって」とあります。結局二人は決裂し、別々に伝道することになりました。第二伝道旅行は二人の伝道者の衝突と決裂から始まったのです。それにもかかわらず、すでに見てきたようにこの第二伝道旅行において、アジアからヨーロッパへと福音が渡ります。聖霊の導きによって大きな一歩が、大きな実りが与えられていくのです。教会においても意見の衝突は起こります。ときには激しく衝突してしまうこともあるかもしれません。衝突や対立があって良いということではありません。できれば避けたほうが良いし、そのために私たちは互いに忍耐を持って接していく必要があるでしょう。それでも対立が起こることもあります。なぜなら私たちには罪があるからです。私たちの罪がそのような衝突や対立を引き起こしてしまうのです。しかしパウロとバルナバの衝突と決裂が示しているのは、私たちの罪によって聖霊の導きが妨げられることはない、ということです。私たちの罪にもかかわらず、聖霊は私たちを導いてくださり、教会を導いてくださり、伝道を進めていってくださるのです。

苦しみや悲しみにも聖霊の導きがある
使徒言行録にはパウロたちがアジア州でみ言葉を語れなかった具体的な理由はなにも書かれていないと申しました。しかしガラテヤの信徒への手紙4章13節に手掛かりがあるかもしれません。そこでパウロはこのように言っています。「この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました」。つまりパウロは自分の「体が弱くなった」ために、ガラテヤの人たちに福音を告げ知らせることができたと言っているのです。ガラテヤ教会は第二伝道旅行において建てられたと考えられています。ですからパウロたちが予定を変更して北寄りのルートを取り「フリギア・ガラテヤ地方を通った」のは、パウロの「体が弱くなった」からかもしれません。パウロは自分自身の病のためにみ言葉を語ることができなくなり、伝道の計画を変更しなくてはならなくなったのです。伝道者として自分の病のためにみ言葉を語れない、伝道の計画を変更しなければならないのは大きな苦しみであったに違いありません。伝道者に限らず私たちは誰もが病や老いによって、取り巻く環境の変化や直面する不条理な現実によって、自分の願いが妨げられ、人生の計画を変更しなければならないことがあります。けれどもそのような苦しみや悲しみも聖霊の導きのもとにあるのです。それは、病や老いや不条理な現実による苦しみや悲しみがあっても良いとか、あるのはしょうがない、ということではありません。そうではなく神さまは私たちの苦しみや悲しみをも用いてくださるということなのです。病がきっかけで計画を変更した先で、福音はアジアからヨーロッパへと渡り、大きな一歩が踏み出されました。私たちが順調なときにだけ聖霊の導きがあるのではありません。不調なときも、苦しみや悲しみのただ中にあるときも私たちは聖霊の導きから漏れることはないのです。共に読まれた旧約聖書詩編139編7節以下では、どこにいようとも、どんなときも神の霊から、つまり聖霊から私たちは離されないことが見つめられています。8-10節にこのようにあります。「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし 陰府に身を横たえようとも 見よ、あなたはそこにいます。曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも あなたはそこにもいまし 御手をもってわたしを導き 右の御手をもってわたしをとらえてくださる」。「天」や「陰府」や「海のかなた」は、空間的にどこにいてもということを意味します。しかしそれだけではないと思います。「陰府に身を横たえようとも 見よ、あなたはそこにいます」とは、どん底の苦しみの中にあっても、まさに死の苦しみを味わうようなときにも、神は共にいてくださり、御手で支えてくださり、聖霊が導いてくださるということなのです。

聖霊の導きを信じる
主イエス・キリストによる救いの良い知らせはアジアからヨーロッパへ渡りました。それは、紀元前4世紀にアレクサンダー大王(アレクサンドロス大王)がマケドニアから小アジアへ、つまりヨーロッパからアジアへ侵攻したのとは対照的です。アレクサンダー大王はヨーロッパからアジアへ渡り、武力によって広大な地域を支配しました。しかし彼が築いた帝国は、彼の死後たちまち分裂してしまいます。それに対して福音は、アジアからヨーロッパへ渡りました。武力によってではありません。聖霊の導きによってです。パウロとバルナバの衝突も、パウロの病も、み言葉を語ることができないことも、伝道の計画の変更も、すべて聖霊の導きのもとにあったのです。そしてそれらのことを通して、パウロたちがアジアの西の端まで導かれ、エルサレムから「地の果てに至るまで」、福音が宣べ伝えられていく決定的な一歩が実現したのです。アレクサンダー大王の支配とは異なり、福音は、その後2000年を越えて世界中に広がっていったのです。
ペンテコステに聖霊が降り教会が誕生しました。聖霊は私たち一人ひとりを導き、私たちの教会を導いてくださっています。私たちが陰府に身を横たえるような苦しみや悲しみのただ中にあるときも、教会の伝道が停滞しているように思えるときも、私たちと私たちの教会は聖霊の導きのもとにあり続けるのです。聖霊の導きによって救いのみ業が前進し、伝道が進められていくことを信じ、私たちは神さまから与えられている使命に仕えていきます。聖霊の導きによって主イエス・キリストによる救いの良い知らせをこの地に宣べ伝えていくのです。

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