夕礼拝

備えられた救いの道へ

「備えられた救いの道へ」 伝道師 川嶋章弘

・ 旧約聖書:イザヤ書 第40章1-8節
・ 新約聖書:ルカによる福音書 第3章1-6節
・ 讃美歌:215、403

ルカ福音書第3章
 ルカによる福音書第3章に入りました。約三か月をかけて1章2章を読み終えたことになります。その中でも触れましたが、第1章には主イエスは登場しませんでした。第2章に入ってやっと主イエスの誕生が語られたのです。そして第2章の終りには12歳の主イエスの物語があり、そこで初めて主イエスご自身のお言葉が語られました。主イエスの公の生涯は、主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたときから始まるとされます。ルカによる福音書では、この第3章から主イエスの公の生涯が始まります。小説になぞらえるならば、1章2章がプロローグで、3章から本格的に物語が始まるのです。プロローグが終りいよいよ主役の主イエスが前面に出てくるのではないか、と私たちは期待しますが、ルカは3章で主イエスをむしろ後ろへ下げます。3章では主役の主イエスについて洗礼を受けたことが短く語られているだけで、主イエスご自身のお言葉はありません。ルカは主イエス誕生の前に、多くの言葉を費やして主イエスの登場しない1章を記しました。それは、主イエスの誕生に備えるためであったと言えるでしょう。ここでも3章は、4章の主イエスの本格的な登場に備えているのです。私たちは早く主イエスの物語を聞きたいと思います。3章を読み飛ばして4章に進みたいと思います。しかしルカはここで一旦立ち止まることを私たちに求めます。私たちは3章にしっかり留まって、そこで語られている御言葉に耳を傾けていきたいのです。

預言者ヨハネ
 さて、この3章の前半は洗礼者ヨハネの物語です。1、2章でも主イエスについて語られる前に、洗礼者ヨハネについて語られていました。ここでも主イエスの本格的な登場を前にして洗礼者ヨハネについて語られています。私たちはこの洗礼者ヨハネの物語からなにを聴き取るのでしょうか。洗礼者ヨハネは、主イエスの登場とともに消えていく人物です。ルカ福音書の4章以降にも洗礼者ヨハネが登場する物語がありますし、彼について触れられている箇所もあります。しかし3章1節から20節でヨハネについてはほとんどすべてが語られているのです。20節で領主ヘロデがヨハネを牢に閉じ込めたことが語られていますが、その後ヨハネはヘロデによって首をはねられます。ですから20節までで、ヨハネの生涯のほとんどが語り尽くされているのです。このように3章でその役目をほぼ終えてしまうヨハネが語ることに、私たちはなぜ耳を傾ける必要があるのでしょうか。主イエスのお言葉にだけ耳を傾けていれば良いように思えます。ここでヨハネが語りかけているのはユダヤ人です。8節でヨハネは「『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな」と語っていますが、そのような考えを持つのはユダヤ人だけです。旧約聖書はユダヤ人、つまりイスラエルの民を「かたくなな民」であると語ってきました。出エジプト記33章5節で主はモーセに次のように言われています。「『イスラエルの人々に告げなさい。「あなたたちはかたくなな民である。」』」イスラエルの人々は頑なな民であり、御言葉に聞き従わず主なる神さまに背きました。その彼らの頑なさを柔らかくするために、神さまは度々預言者をイスラエルの民に遣わしたと、旧約聖書は語っています。ヨハネもこの旧約聖書の預言者たちに連なる人物です。洗礼者ヨハネとしばしば呼ばれますが、預言者ヨハネと呼ぶことができますし、そのように呼んだほうが彼の働きに即しています。旧約聖書の預言者たちと同じ様に、彼はイスラエルの民の頑なさを柔らかくするために語ったのです。頑なな心では神さまの言葉を聞くことも受け入れることもできないからです。そのような心では、主イエスを受け入れることも迎え入れることもできないからです。頑ななのはイスラエルの民に限られたことではありません。ほかならぬ私たちこそ心を頑なにして神さまの言葉から耳をそむける者です。私たちが御言葉を聞くために、そして主イエスを受け入れ迎え入れるために、私たちの心も柔らかくされる必要があるのです。そのために私たちに語りかけられた言葉として預言者ヨハネの語ることに耳を傾けるのです。

神の言葉が出来事となった
 預言者ヨハネになにが起こったのでしょうか。2節の後半に「神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った」とあります。預言者ヨハネに神の言葉が降ったのです。「神の言葉が降った」とは、直訳すれば「神の言葉が出来事となった」となります。今まで読み進めてきた1、2章は、マタイやマルコ福音書にはないルカ福音書だけの物語がほとんどでした。しかし3章以降語られる物語の多くはマルコ福音書を下敷きにしていたり、マタイ福音書と類似していたりします。これらを並行記事と呼びますが、ルカ福音書3章以降の物語を読むときには、マルコやマタイとの比較が大切であり、そのことによってルカがほかの福音書とは異なる独自の視点を持っていることが明らかになるのです。洗礼者ヨハネあるいは預言者ヨハネの物語は、ルカだけでなくマルコにもマタイにもあります。しかしルカ福音書はほかの福音書と比べてより詳しく記されていて長い物語となっています。2節でヨハネに「神の言葉が降った」つまり「神の言葉が出来事となった」と語られていますが、このように記しているのもルカだけです。このことは、預言者ヨハネの活動が彼自身の意志によるものではなく、ほかならぬ神さまの御心によるもの、神さまのご計画によるものであることを告げています。「神の言葉が出来事となった」とは、まさに神さまが働かれたことにほかなりません。その神さまに導かれてヨハネは活動します。彼の活動の主導権は彼自身にあるのではなく神さまにあるのです。ヨハネは神さまから言葉を与えられ、それを語るのです。預言者ヨハネの言葉そのものは本日の箇所に続く7節以下で語られています。本日の箇所でルカは、いつどこで「神の言葉が出来事となった」のかを語っているのです。

皇帝ティベリウスの治世の第十五年
 このことが起こったのは、「皇帝ティベリウスの治世の第十五年」であったと記されています。皇帝ティベリウスはローマの皇帝であり、彼の治世の第十五年とは、おそらく紀元後28-29年頃であったと考えられています。ルカは皇帝だけでなく、ほかの人物についても記しています。まずポンティオ・ピラトがユダヤの総督であったと述べられています。1章5節でクリスマス物語の冒頭には「ユダヤの王ヘロデの時代」と書かれていました。このユダヤの王ヘロデをヘロデ大王と呼びますが、彼が死ぬと彼の領土は息子たちに分割されました。ユダヤ地方は息子の一人アルケラオの領土となったのですが、彼が政治的に失敗したためにローマ皇帝は彼を追放し、この地方をローマ帝国の直轄としローマから総督を派遣しました。ポンティオ・ピラトは第五代目の総督です。続いて「ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主」とあります。このヘロデとは1章5節のヘロデ大王のことではなく、その息子ヘロデ・アンティパスのことであり、彼はガリラヤ地方の領主でした。そして彼の兄弟、つまりヘロデ大王のもう一人の息子フィリポはイトラヤとトラコン地方の領主であったのです。ここまではヘロデ大王が分割した領土について述べられています。しかし「リサニアがアビレネの領主」であったことは、ヘロデ大王とは関係ありません。アビレネはかなり北方であり外国と言ってもよいのです。最後に「アンナスとカイアファとが大祭司であった」とあります。大祭司は本来一人であるはずなのに、二人の名前が挙げられているのは不思議に思えます。実際の大祭司はカイアファでしたが、ローマ権力によって大祭司の職を辞めさせられたアンナスも依然として力を持ち続けていたので、二人の名前が挙げられていると言われます。このようにルカはとても丁寧に詳しくヨハネが登場した時代の支配者が誰であったかについて述べているのです。このことは、この時代の社会情勢、政治情勢が30年前のヨハネと主イエス誕生の時代とは大きく異なっていることを示しています。ヘロデ大王がユダヤ人の王であったときには、曲がりなりにもユダヤ人は一つであったといえるでしょう。ガリラヤからユダヤまで旅をして住民登録ができたのは、一つの国だったからです。しかし今や一つだった国は分割され、ローマ帝国の直轄となった領土すらあるのです。そしてユダヤ教の大祭司ですらローマ権力の意向によって交代させられることもあったのです。ヨハネと主イエスが誕生してから30年後の世界は、分断によってより混乱した時代、より混沌とした時代となっていたのです。

荒れ野で
 そのような時代にどこで神の言葉がヨハネに降ったのでしょうか。それは「荒れ野」であったと記されています。ここで「荒れ野」とは地理的な場所を示しているだけではありません。荒れ野は食べるものも飲むものも尽きて生き続けることが困難な場所でした。人はそこでは頼るべきものが何もなく、深い孤独を味わい絶望するしかないのです。クリスマス物語から30年後のより混沌とした時代にあって世界は「荒れ野」であったと言えます。そして私たちの生きる世界も「荒れ野」であるに違いありません。食べるもの飲むものは有り余るほどあり、物質的には繁栄しているのに、この世界はますます混沌として向かうべき方向を見失っているように思えます。そのような世界の中で、多くの人が生きづらさを感じているのです。たとえ大勢の人でにぎわう都会の喧騒の中にいたとしても深い孤独を味わい、自分は一人ぼっちだと感じるのです。技術の進歩によってかつてより便利になり快適になったにもかかわらず、私たちの生きる世界で、多くの人が生きることに積極的な意味を見いだせないでいます。この世界で生き続けることに絶望しているのです。この世界は苦しみや悲しみで溢れています。言葉にならない嘆きや呻きの叫びが響き渡っているのです。けれどもそのような荒れ野のただ中で神の言葉が降ったのです。そこにおいて、神の言葉が出来事となったのです。

荒れ野と呼ぶべき世界を作り出す者は?
 1、2節で、ルカが当時の世界の政治的な支配者や宗教的な支配者の名前を詳しく挙げているのは、この支配者たちに荒れ野と呼ぶべき世界を作り出していた責任があったからでしょう。当時のユダヤ人にとって大祭司の影響力はとても大きいものでした。またいつの時代も政治家の責任は重いものです。彼らが傲慢になり与えられた権力を正しく用いず責任を果たさないならば、社会はたちまち混乱し腐敗するに違いありません。私たちが生きている世界においても、この世界が荒れ野であることの責任が支配者にあることは否定できません。だからといって私たちは支配者を批判し、政治が悪いから今の社会は駄目なのだ、と批評家目線で世界を眺めていれば良いのでしょうか。まるで自分たちは被害者であるかのように、権力を持つ者たちを批判していれば良いのでしょうか。ルカは、驕り高ぶっている権力者たちを批判しています。彼らはその地位から引きずり降ろされるだろうとマリアの賛歌でも歌われていました。けれどもルカは、荒れ野と呼ぶべき世界を作り出している責任が支配者だけにあるとは語っていません。本日の聖書箇所に続く7節以下で、群衆や徴税人や兵士が「わたしたちはどうすればよいのですか」とヨハネに尋ねています。群衆や徴税人や兵士は権力を持つ者たちではなく、権力によって支配される者たちです。そのようなごく普通の人たちが、荒れ野のような世界にあって「わたしたちはどうすればよいのですか」と問うのです。それは、彼らもまた世界の混乱や腐敗と無関係ではないからです。ルカは、支配する者と支配されている者を区別して、この世界が荒れ野であると語っているのではありません。私たちもこの世界に対して傍観者であってはならないのです。なぜなら私たち一人ひとりがこの世界を荒れ野にしている張本人だからです。私たちの世界が荒れ野であることの根本は、私たち一人ひとりの心が荒れ野であることにほかなりません。私たち一人ひとりの心が荒れ果て頑なであることこそ、私たちは見つめる必要があるのです。

荒れ野のままであり続けない
 そのような荒れ野で、神の言葉がヨハネに降りました。「そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」と3節にあります。それは預言者イザヤの預言の成就であると言われ、4~6節でイザヤ書40章3~5節の御言葉が引用されています。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」マタイとマルコ福音書にもヨハネの物語があると申しました。その物語でどちらもイザヤ書40章の御言葉を引用しています。しかし引用しているのは40章3節のみで4、5節の御言葉は引用されていません。本日の聖書箇所で言えば5、6節の御言葉です。マタイとマルコが引用しなかったイザヤ書40章4、5節をルカが引用したのは、そこにルカの伝えたいメッセージがあるからです。このイザヤ書の預言は、捕囚によって外国に連れ去られていた者たちが、その罪を赦されてエルサレムへ帰ってくることを告げています。外国からエルサレムへ帰還する者たちが歩む道、つまり主の道を整えよと告げているのです。彼らは主の道を歩んで捕われの地からエルサレムへと帰還するのです。この預言が、神の言葉がヨハネに降ったことにおいて成就したのです。そうであるならば、荒れ野はもはや荒れ野のままであり続けることはできません。「谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり」とあります。荒れ野は平らにされるのです。そしてそこは主のところへ帰還する救いの道となるのです。生きることに積極的な意味を見いだせない荒れ野を、生き続けることに絶望してしまう荒れ野を、神さまは救いへいたる道へと変えてくださるのです。希望にいたる道へと変えてくださるのです。嘆きや呻きの叫びが響き渡っている荒れ野のような世界で神さまの救いの御業がまさに始まっているのです。

悔い改めの洗礼
 私たち一人ひとりが抱えている荒れ野も平らにされる必要があります。私たちの頑なな心を柔らかくする必要があるのです。そのためにヨハネは悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。悔い改めとは神さまへの帰還です。神さまのところへ戻ることです。私たちは悔い改めによって、御言葉を拒み神さまに背いていた頑なな心を柔らかくされるのです。私たち一人ひとりが抱えている荒れ野が平らにされるのです。そのことによって神さまは私たちの内に救いと希望へいたる主の道を整えてくださいます。捕囚の民が主の道を歩んでエルサレムへ帰還したように、私たちも自らの内にある荒れ野の中に整えられた主の道を歩んで神さまのところへ帰還するのです。そして私たちの頑なな心が柔らかくされることによって私たちは御言葉に聞く者とされます。そのことによって、私たちは主イエスを受け入れ迎え入れる備えをすることができるのです。

罪の赦しを得させるために
 その悔い改めは罪の赦しに結びつきます。言い換えるならば、私たちは頑なな心を柔らかくされ神の言葉を聞くことで罪の赦しに与るのです。しかし私たちは自分自身の力で自分の心を柔らかくすることはできません。自分自身の努力で自らの内にある荒れ野を平らにすることはできないのです。それどころか、私たちは日々の歩みの中でますます自分の心を頑なにしてしまいます。神さまの御心を問うよりも、自分自身の不平不満や不安や心配ばかりに心を奪われてしまいます。神さまが与えてくださった隣人との関係においても、心を頑なにして相手を傷つけまた自分を傷つけ、人と人との関係を壊してしまいます。私たちは自らの内なる荒れ野を平らにするどころか、ますますでこぼこにしてしまうのです。私たちはただ悔い改めるしかありません。神のところへ戻るしかないのです。しかしそれは、頑張って努力して悔い改めるということではありません。罪の赦しは神さまの恵みによって与えられるけれど、悔い改めは私たちの頑張りによって与えられる、ということではないのです。悔い改めもまた神さまの恵みによって与えられるのです。私たちは自らの内なる荒れ野に目を向けるならば、私たちに悔い改める力すらないことに嫌というほど気づかされます。そのような私たちは神さまにすがるしかありません。どうか私たちが神さまのところへ戻ることができますように。どうか私たちに悔い改めをお与えくださいと祈るしかないのです。悔い改めが与えられることが罪の赦しに与ることに結びつくように、私たちの頑なな心が柔らかくされ、内なる荒れ野が平らにされ、そこに救いと希望への道が整えられることが、主イエスを受け入れ迎え入れることへと結びつくのです。悔い改めと罪の赦しがばらばらのことではなく一つのことであるように、私たちの頑なな心が柔らかくされ、内なる荒れ野が平らにされることと主イエスを受け入れ迎え入れることは一つのことなのです。

すべての人は、神の救いを見る
 悔い改めと罪の赦しによって与えられる神の救いは、ユダヤ人に限られたものではありません。「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」のです。ユダヤ人にとって神の救いを見るとは、あの律法この律法を守ることでした。もし律法を守ることで神の救いを見るのであれば、律法を知らない者たちは決して神の救いを見ることはできなかったでしょう。けれども「すべての人は、神の救いを見る」と告げられているのです。それは律法を守ることによってではなく、ただ悔い改めによってです。神さまに背き神さまから離れていた私たちが神さまのところへ戻ることによって、私たちは神の救いを見るのです。苦しみと悲しみがなお支配しているかのように見えるこの世界で、嘆きや呻きの叫びが響き渡るこの世界で、しかし私たちは確かに神の救いを見ているのです。私たちはこの主が備えてくださった救いの道を歩んでいくのです。

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