夕礼拝

父の家にいる

「父の家にいる」 伝道師 川嶋章弘

・ 旧約聖書:詩編 第84編1-13節
・ 新約聖書:ルカによる福音書 第2章39-52節
・ 讃美歌:140、504

ナザレへ帰る
 前回までルカが語る主イエス誕生の物語を読んできました。本日の聖書箇所の最初、39節には「親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った」とあります。ヨセフとマリアは、律法に定められた通り幼子イエスに割礼を施し、また母マリアの清めの期間が終わると献げものを献げ、幼子を主に献げるために神殿に連れていき、そこでシメオンとアンナに出会ったのでした。この間、おそらくヨセフとマリアと幼子はベツレヘムに滞在していたのでしょう。しかし主の律法で定められたこれらのことを終えた彼らは、自分たちの町であるナザレへと帰ったのです。

たった一つのエピソード
 主イエス誕生の物語に続けて、ルカが語っているのは12歳の主イエスの物語です。誕生が語られたと思ったら、次は一気に12歳に飛んでしまっているのです。ルカによる福音書に限らず、福音書は主イエスのご生涯を記しています。主イエスの誕生から十字架の死と復活までを語っているのです。しかしそうであったとしても、福音書が主イエスの伝記であると考えるのは間違っています。マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書は内容においても共通するところが多く共観福音書と呼ばれています。しかしどの福音書も主イエスの伝記ではありません。マルコによる福音書は、主イエス誕生の物語がなく洗礼者ヨハネが悔い改めの洗礼を宣べ伝えたところから始まります。またマタイによる福音書には、主イエス誕生の物語がありますが、それに続いて語られているのは洗礼者ヨハネについてであり、そのヨハネから主イエスが洗礼を受けたことが語られているのです。主イエスの公の生涯はヨハネから洗礼を受けたことで始まるとされます。ルカによる福音書3・23節によれば、そのとき主イエスはおよそ30歳でした。つまりマルコは主イエスを30歳から語り始めていますし、マタイは主イエスの誕生を語るものの、その次に語るのはマルコと同じように30歳の主イエスです。すべての福音書の中でルカによる福音書の本日の聖書箇所の41節以下だけが、12歳の主イエス、少年イエスについて語っているのです。主イエスがお生まれになってから30歳になるまでのたった一つのエピソードがこの物語なのです。ですから福音書は主イエスの伝記とはいえません。もし伝記であれば、0歳から30歳までのエピソードが一つしか書かれていないということはないでしょう。歴史上の有名な人物の伝記であれ、あるいは個人の人生の足跡を語るにしても、子どもの頃のエピソードにまったく触れないということは考えにくいことです。もちろん大昔の人物であれば子どもの頃の資料がないとか、大人になってから著名になったのであれば子どもの頃についてはよく分からない、ということもありえます。主イエスもそうだったのでしょうか。そうではないようです。新約聖書がまとめられていく時代に、主イエスの少年時代のエピソードについて語られている資料がいくつもありました。けれどもそれらは、福音書を書いた人たちには取り上げられなかったのです。それは、福音書が主イエス・キリストの伝記ではなく、福音を宣べ伝えるものだからにほかなりません。マルコによる福音書の冒頭1・1節には「神の子イエス・キリストの福音の初め」とあります。「神の子イエス・キリストの人生の初め」ではないのです。福音書を書いた人たちは、公の生涯を始めた後の主イエスのお言葉と御業を通して福音を語りました。そしてその福音の中心は受難物語にほかなりません。このことをしっかり捉えていないと、ルカが語る少年イエスの物語を誤って読んでしまうことになります。ここで語られているのは、公の生涯を始める前の主イエスの30年間からピックアップされた一つのエピソードではありません。あるいは少年イエスが迷子になった微笑ましさとか、怒るのも無理のない両親に対して言い返した少年イエスの生意気さとか、そのようなことを描いているのではないのです。福音書は、最初から終りまで「神の子イエス・キリストの福音」について語っています。ルカが語っている少年イエスの物語において、告げられている福音に私たちは目を向けていきたいのです。

十二歳になったとき
 41節冒頭に、「両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした」とあります。旧約聖書には「年に三度、すなわち除酵祭、七週祭、仮庵祭に、あなたの神、主の御前、主の選ばれる場所に出ねばならない」と定められていました。ここで言われている除酵祭は過越祭の一部と見なされ、過越祭にはエルサレムへ巡礼することが定められていたのです。ルカは「毎年エルサレムへ旅をした」と語っていますが、毎年の巡礼がどのようなものであったかについては触れていません。ただ主イエスが12歳になったときのエルサレム巡礼についてだけ語っています。それは、ユダヤ人にとって12歳が特別な年齢だったからです。ユダヤ人は12歳になると「律法の子」と呼ばれ、律法に対して責任を持つようになりました。つまり一人前になるのです。このことから主イエスがこの世へ来られた目的が明らかにされているといえます。律法を通して示されている神さまに対する責任を果たそうとせず、それどころか神さまに背き、反逆し、罪を犯し続けていた私たちを神さまは救われようとしました。そのために、神さまは独り子をこの世へと送られたのです。主イエスが12歳になったときのことをルカが語るのは、そのことによって、主イエスが人として律法の下に生まれてくださり、律法に対する責任を果たすことのできない私たちの代わりに、私たちの律法に対する罪をすべて背負ってくださったことを告げるためです。そして、それは十字架において成し遂げられたのです。律法の下で、苦しみ、嘆き、呻いている私たちのところまで身を低くしてくださり、私たちと同じ律法の下に生まれてくださったからこそ、私たちをこの苦しみ、嘆き、呻きから主イエスは解き放ってくださったのです。

エルサレム巡礼
 さて、イエスの12歳のときのエルサレム巡礼において事件が起こります。ガリラヤからエルサレムへ行くときにはなにもありませんでした。例年通りエルサレムへと行き、過越祭でにぎわっているエルサレムで祭りの期間を過ごしたのです。祭りが終り、エルサレルムからガリラヤへ帰ることになりました。ところが主イエスはエルサレムに残られたのです。そのことを彼の両親は気がつきませんでした。彼らは「イエスが道連れの中にいるものと思い」主イエスがいないことに気がつかなかったのです。そんなことがあるだろうか。いくら毎年の旅であるとはいえ、我が子がいないことに気がつかないことがあり得るだろうか、そのように私たちは思います。あるいは両親が、我が子のことをしっかり見ていないのは無責任であり、現代ならば親の監督不行き届きと言われたことでしょう。しかし私たちは当時と現代の違いについて知っておく必要があります。ここで語られているエルサレムへの巡礼は、ヨセフとマリアとイエスだけの旅ではありませんでした。44節の終りに「親類や知人の間を捜し回った」とありますが、ヨセフとマリアと少年イエスは、ガリラヤのナザレに暮らす親類や知人と一緒にエルサレムへ巡礼したのです。かなりの人数であったでしょう。イエスと同世代の者たちもいたかもしれません。いずれにしても当時のエルサレム巡礼は、ある程度まとまった人数で行われていたのです。詩編120-134編は、標題と呼ばれる1節に「都に上る歌」と記されています。巡礼者は、エルサレムへ向かうときもエルサレムから帰るときも、この「都に上る歌」を一緒に歌いつつ旅したのではないでしょうか。ですから、エルサレムからガリラヤへ帰るときに、ヨセフとマリアが主イエスと一緒にいなかったことそれ自体が問題であったというわけではありません。問題はヨセフとマリアが主イエスはエルサレルムからガリラヤへ帰る自分たちの「道連れの中にいる」に違いない、と思っていたことです。これはヨセフとマリアの危機意識が足りなかったということではありません。そうではなくここで彼らは、自分たちの考えや思いの中に主イエスを押し込めてしまっていたのです。このことこそ彼らが陥ってしまった誤りなのです。少年イエスは、ヨセフとマリアにとって最も身近な存在であったに違いありません。飼い葉桶における誕生から12歳にいたるまで、彼らは我が子イエスと共にナザレで暮らしてきました。自分たちは我が子のことを分かっているはずだと思っていたとしても不思議ではありません。さらに言えばこの子は自分たちの子、自分たちのものだと、どこかで思っていたかもしれません。私たちはこのことをヨセフとマリアも親ばかだ、などと言って済ませるわけにはいきません。ほかならぬ私たちこそ主イエスを自分たちの期待に応えてくださるお方だと、自分たちの思い通りになさってくださるお方だと、どこかで思っているのです。自分たちの期待や思いの中に主イエスを押し込んでしまっているのです。ヨセフとマリアが陥った誤りは、私たちがしばしば陥る誤りでもあるのです。

主イエスを捜す
 エルサレムからガリラヤへと一日分の道のりを進んだところで、両親は主イエスがいないことに気がつきました。そして親類や知人の間を捜し回り、それでも見つからなかったのでエルサレムへと戻りました。先ほど申した通り、エルサレム巡礼は親類や知人も一緒でしたから、主イエスを捜すに際して、まず両親が親類や知人の間を捜したのは自然なことのように思えます。しかしここにも彼らの主イエスは自分たちのそばにいるに違いないという思いが表れているのです。彼らは、自分に近い者の間に主イエスがいるに違いないと思っていました。しかし彼らは主イエスがどのような方であるのか、何者であるのか分かっていなかったのです。だからこそまったく的はずれなところを捜し回ったのです。49節で主イエスは彼らに言われています。「どうしてわたしを捜したのですか。」私たちも主イエスを、あるいは主イエスによる救いを自分の近いところに捜します。それは、私たちが主イエスを捜すとき、主イエスは自分たちに似た者だ、自分たちに近しい者だとしか考えられないからです。しかし主イエスは、そのような私たちにとって、まったく思いがけないところにおられるのです。確かに主イエスは律法の下に生まれ、私たちと同じ人となってくださいました。しかしそれは私たちの期待に応えるためでもなければ、私たちの思いを満足させるためでもありません。それどころか主イエス・キリストは、自分の期待や思いや欲に縛られ、罪を犯し、罪に捕らえられ、苦しみ嘆き呻いている私たちの姿を、私たちの現実をあらわにします。なによりもキリストの十字架において、私たちの罪はまったく弁解の余地なく明らかにされるのです。しかし、それゆえにこそ主イエスはそのような私たちの近くに来てくださったのです。私たちの思いを満たすためではなく、私たちを罪から救うために来てくださったのです。

神殿におけるイエス
 三日の後、ヨセフとマリアは主イエスが神殿の境内にいるのを見つけます。一日分の道のりを行ったところからエルサレムへと戻るのに三日かかったのは、それだけ彼らが一生懸命我が子を捜したからでしょう。ようやく見つけてみれば、一生懸命捜した我が子は、神殿の境内で「学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりして」いたのです。しかしこのことは、主イエスが学者たちと議論するほど優れていたとか、学者たちと対等に論じ合うほどの特別な才能を持っていたとか、並みいる学者たちを言い負かしたか、そういうことを語っているのでは決してないのです。「学者たちの真ん中に座り」とありますが、この「座る」という言葉は、神の言葉の教えを聞く姿勢を意味します。10・39節で「マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた」とありますが、この「座って」とほぼ同じ言葉です。つまり主イエスは「神殿の境内で学者たちの真ん中に座り」神の言葉の教えに耳を傾けていたのです。そして耳を傾けるだけでなく、そのことについて学者たちに質問もしていたのです。ここで語られているのは、神の言葉の教えが語られているその真ん中に主イエスがおられたことです。それは、少年イエスは神に関わりのあることに結ばれていたことを意味します。

あなたの父、わたしの父
 主イエスを見つけて母マリアは言いました。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」新共同訳では「お父さん」となっていますが、直訳すれば「あなたの父」となります。つまり「あなたの父とわたしも心配して捜していた」と言ったのです。するとイエスは「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と言われました。ここでも「自分の父の家」と訳されていますが、直訳すれば「私の父の家」です。つまり、「あなたの父」ヨセフが心配して捜していた、というマリアの言葉に対して、「私の父」は神さまであってヨセフではないと主イエスは言っているのです。確かに母マリアは聖霊によって身ごもったのであり、主イエスの父はヨセフではありません。しかしそれにしてもこの主イエスの言葉は、マリアとヨセフの心配を踏みにじるような心無い言葉のように思えます。「心配して」と訳された言葉は「痛みを経験する」ことを意味します。マリアとヨセフは痛みを経験するほどに心配して我が子を捜したのです。そのような両親の想いを主イエスは踏みにじったのでしょうか。そうではありません。ここで見つめられているのは、私たちが主イエスを捜し主イエスに近づいたとき、主イエスが、自分が考えている方とはまったく異なる方であることに気づかされるということです。マリアは、生まれてくる子どもが「神の子」であることを天使から告げられていました。それにもかかわらず、彼女は自分の考えている姿の中に我が子を押し込めてしまっていたのです。「なぜこんなことをしてくれたのです」という言葉は、マリアのそのような想いを表しています。しかし主イエスは私たちの想いをはるかに超えておられます。「どうしてわたしを捜したのか」という言葉こそ、私たちが思いもしなかった、考えもしなかった主イエスとの出会いを表す言葉なのです。

父の家にいる
 主イエスは「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と言いました。ここで「自分の父の家」とは神殿を意味します。しかし原文では「家」という言葉はありません。直訳すれば「私の父の事柄の中に」となります。もう少し分かりやすく訳せば、「わたしがわたしの父に関わりのあることの中にいるのは当たり前だ」となります。このように訳すのはめずらしいことではありません。そのこともあってか、聖書協会共同訳では本文で「自分の父の家にいる」と訳しつつも、欄外に二つの別の訳として「父に属する者たちの間にいる」と「父の仕事に携わっている」を記しています。これらの諸訳に目を向けつつ、ここで本当に見つめるべきことはなにかを問わなくてはなりません。それは一つには、少年イエスが神さまを「私の父」と呼んでいることです。12歳はユダヤ人にとって一人前の年齢です。この言葉において、少年イエスはご自分がどのような方であるか、何者であるかをはっきりとお示しになっているのです。すなわち主イエスは神の子にほかならないのです。もう一つは、「当たり前だ」という言葉が「定められている」を意味することに示されています。マルコによる福音書8・31節で「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」とありますが、この「なっている」が「当たり前だ」と同じ言葉です。つまり「そうなるはずである」、「そうなるべきである」ことを意味しています。主イエスが多くの苦しみを受け十字架で死なれ、三日後に復活したのは神のご計画、神の定めでした。同じように、主イエスは自分の父の家に、あるいは自分の父に関わりのあることの中にいるはずであり、いるべきであり、それは、神のご計画であり神の定めなのだと言われているのです。主イエスが神の子であるとは、なにか動きのない決まり文句のようなものではありません。主イエスがいつも父なる神さまとの関わりの中に、交わりの中にいるということです。主イエスが神さまの独り子として父なる神さまの救いのご計画の道を歩まれているということなのです。少年イエスがマリアに語ったことは、このことにほかなりません。

父なる神の恵みの真ん中で
 このことがヨセフとマリアには分かりませんでした。ルカによる福音書で主イエスが最初に語ったお言葉が「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」です。このお言葉はマリアとヨセフにだけでなく、私たちにも向けられています。そして私たちもまたこの言葉の意味が分からないのです。なぜなら私たちは主イエスを見失い、主イエスを捜し、主イエスに出会ってみたら、自分が思っていたのとは、期待していたのとはまったく異なる主イエスに出会い、驚き砕かれるからです。マリアとヨセフは心の痛みをもって砕かれたに違いありません。それでも主イエスはナザレに帰り、なおご自分のことが分からない両親に仕えてお暮らしになりました。私たちはすでに主イエスが神の子であると知っています。それにもかかわらず、しばしば主イエスを見失い、自分の思いや期待に沿った主イエスを捜しては、主イエスに「どうしてわたしを捜したのか」と言われる者に違いありません。しかしそのような私たちにも主イエスは仕えてくださり、そのような私たちを救うために十字架で死なれたのです。「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた」という言葉と「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」という言葉に挟まれてこの物語はあります。主イエスは父なる神さまの恵みの真ん中で育たれました。神の子として、父なる神さまとの交わり中で歩まれたのです。私たちもまた主イエス・キリストに結ばれ、父なる神さまの恵みの真ん中へと入れられています。神さまとの豊かな交わりの中で私たちも育まれ歩んでいくのです。

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