主日礼拝

神の言葉を信じる

「神の言葉を信じる」 伝道師 矢澤 励太

・ 旧約聖書; 士師記、第6章 11節-24節
・ 新約聖書; ヨハネによる福音書、第4章 43節-54節
・ 讃美歌 ; 445、58、44

 
1 礼拝に来始めた時、最初に信仰の道に入った時、私たちは神を信じることで何か利益があるかもしれない、具体的な目に見えるいいことがあるだろう、思うに任せぬ人生がうまくいくようになるかもしれない、そんな期待や望みを持っているかもしれません。けれども、実際に洗礼を受けて、教会生活を始めてみると、どうもそうでもない。思い通りに行かないことがたくさんある、ひょっとするとそういうことがかえって増えたかもしれない、自分の信仰はどうなんだろうか。そんな不満や心配が湧き起こってくることがあります。けれどもそこを通って深まっていく信仰の成熟、信仰の深まりがあることを、今日登場する役人は示しています。

2 二日の後、主イエスはサマリアの町を出発して、ガリラヤへ向かわれました。この二日間とは、40節からも分かるように、主イエスがサマリヤのスカルという町に滞在された期間です。そもそもこの旅は、主イエスがユダヤを去り、再びガリラヤへ向かう旅でした。主イエスが洗礼者ヨハネよりも多くの弟子たちをつくり、その弟子たちが洗礼を授けているということが、ファリサイ派の人々の耳に入った時、主はいったん身を引かれ、故郷のガリラヤに退かれたのでした。主イエスはご自分の時、十字架にかかり、わたしたちの罪をお引き受けになり、担われるべき時があることをご存知でした。その時が来るまでは、いたずらにファリサイ派の人々と衝突することを避けたのです。
そのようにして退いてやってきた故郷のガリラヤですが、主イエスはここでも本当の安息は得られないことをご存知でした。「イエスは自ら、『預言者は自分の故郷では敬われないものだ』とはっきり言われたことがある」(44節)。ヨハネがここでわざわざ、主イエスがかつてこうおっしゃったことがある、と思い出したように記しているのはなぜでしょうか。まさにこれから起こる出来事が、主イエスを本当の意味で敬っているとは言えないものであったからではないでしょうか。ところが、私たちのそうした思いとは裏腹に、ガリラヤの人たちは主イエスを歓迎したのです。表面上の振る舞いを見れば、彼らは主イエスを敬っているように見えるのです。よく私たちのところに来てくださった、と言って喜んで迎えているのです。彼らもエルサレムに上って、ユダヤ教の祭りである過越祭という祝いの時を過ごしてきました。その時、主イエスが多くのしるしと不思議なわざを行われたのを目の当たりにしたのです。彼らは自分たちの地元から出たこの若者のことを大いに誇りに思ったことでしょう。ユダヤ中から多くの人々が集まる所で、数々のしるしや不思議なわざを行われる主イエスを見て、ガリラヤの人々は、故郷の名声を上げてくれる誇らしい人物が出た、といって喜んだのです。ちょうど地元から大物の政治家や有名な歌手が出ると、地元の期待はその人にかかり、町にはその人の銅像が立ったりするのと同じ感覚ではないでしょうか。
 そう考えると、このガリラヤの人々の思い、主イエスの迎え方も、理解できる気がします。私たちにも納得できる感覚でしょう。けれども逆に言うなら、この主イエスの故郷の人々は、それ以上には主イエスを理解できなかったということでもあるのです。自分たちの故郷の名を揚げてくれる人、自分たちの願いをかなえ、地元の困った問題を解決してくれる有り難い人、自分たちが誇りに思える地元の有力者、その程度の意味でしか主イエスを受け入れることができなかった。それ以上には主イエスを受けとめることができない。それ以上のお方として主イエスを受け入れることができない。それがガリラヤの人々の姿だったのです。それゆえに、2章の23節から25節において、主イエスについてこう語られていたのでした。「イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである」。

3 さて、ガリラヤのカナに来られた主イエスの下に、一人の王の役人がやってきました。彼は主イエスに会うために、長い道のりを延々と歩いてやってきたのです。地図上で調べてみますと、ガリラヤ湖の北側にあるカファルナウムから、やや内陸よりのカナまでは、約30キロメートルの距離があります。直線距離にしてそのくらいですから、実際の曲がりくねった道、砂漠や岩山の続く道を乗り越えて進んでいくなら、かなりの時間がかかったに違いありません。後にこの役人が家に着く途中で僕たちと出会った時点では、主イエスと別れてから丸一日たっていたことが分かります。ですから数日の道のりを歩いて、主イエスに会いに行ったのでしょう。
 この王の役人には、切実な願いがありました。それは病気で死にかかっている自分の息子を癒してほしいという願いです。「どうかカファルナウムまで下って来て、息子を癒してやってください!」、彼は主イエスにすがるようにして願ったのです。ここに至るまで、彼は息子が癒されるようにと、あらゆる手立てを尽くしてきたに違いありません。彼も王の役人です。権威の下にある人間です。権威の何たるかが分かっている、そのあたりのわきまえがある人間です。自分が一言命じれば、まわりの人々はその通りにし、思い通りのことが実現するのです。この度もこの役人はそうしたでしょう。地元の優れた医者に息子を診てもらい、栄養のつく食べ物があれば高くて珍しい食べ物でも、僕たちに命じて捜しに行かせたことでしょう。熱が引くように、大金を積んで、まじない師に助けを求めたこともあったかもしれない。けれども万策尽きて、もうどうしようもなくなったのです。権威を引き合いにして思い通りのことが実現してきた歩みが、ここで挫折したのです。どうにもできない力、死という闇の力にぶちあたった時、この役人がより頼んできた王の権威はなす術を持たなかったのです。
 その時、主イエスがユダヤからガリラヤに来ておられることを耳にした。この役人は前に主イエスがガリラヤのカナに来られ、さらにこの役人の家族が住んでいるカファルナウムに幾日か滞在されたことを思い出したに違いありません。2章の冒頭では、主イエスがガリラヤのカナで行われた結婚式に出席し、そこで水をぶどう酒に変えた奇跡が語られていました。その後12節に、主イエスが母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下り、そこに幾日か滞在されたことが覚えられているのです。このことを思い出した役人は、息子とその看病をする家族を残して、はるばる主イエスに会いに行くために30キロ近い道のりを出発したのです。最後の頼みの綱として主イエスにかけたのです。主イエスがあの時、カナで水をぶどう酒に変えられた、それと同じ不思議なわざを、自分の息子の上にも行って、その病を癒してほしい、これがこの役人の切実な願いでした。

4 ところがどうでしょう。こうしてはるばる、何日もかけて主の下にやってきた役人の願いに対して、主はこうお答えになったのです。「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」(48節)。なんという冷たさ、なんというそっけなさでしょう。「よし、分かった、急いであなたの家に行こう!」、これがこの役人が期待していた主のお答えであり、おそらく私たちも期待するお答えではないでしょうか。けれども、主は私たちの期待通りにはお答えにならないのです。役人はなおも言います、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」(49節)。「イエス様、何をごちゃごちゃおっしゃっているんですか、息子が死んじゃいますよ、早く来て下さいよ」、半分泣きそうになりながら、主イエスにしがみつく役人の姿が目に浮かびます。この役人がはるばる主イエスのもとにやって来たからには、彼も主イエスを信じていたには違いないのです。けれども、主イエスはここで信じているその内容、信仰の質を問うておられるのです。この役人が想像している救いとは、自分の息子のところに、主イエスが直にやって来てくださり、息子の上に手を置いて、熱を引かせ、癒してくださることでした。主が一緒に来てくださり、息子に手で触れてくださり、「治れ、生きよ!」、そうおっしゃってくださる。そこで息子が目覚め、熱が引き、きょとんとした様子でひょっこり起き上がる、そういった姿を想像に描き、その通りに主イエスを従わせようとする信仰、それがこの役人の一番最初の信仰だったのです。自分の思い描いた仕方での救いを、主がそのとおりに行ってくださることにこだわったのです。もしその通りに主イエスが癒しをなさったのなら、役人と主イエスとの関係はそれ以上には深まらなかったでしょう。そこで本当の出会いは起こらなかったでしょう。主イエスはせいぜい困った時に助けてくれた恩人程度の受けとめ方しかなされなかったでしょう。
 私たちの信仰も時としてこのような、「しるしを求める信仰」に陥ります。ある牧師はそのような信仰を「瀬踏みの信仰」と表現しました。この川は浅いか深いか、渡りきることのできる川か、橋はかかっていないのか、なければ川を渡るための渡り石がどこかに置かれていないか、そんな風にいちいち詮索し、確かめながら歩もうとする信仰のあり方です。いちいち神様は、私にとって本当に祝福の神様か、ということを確かめようとする。もし少しでも自分の思い描く祝福の神と異なる姿を神が示そうものなら、ああ、なんてひどいことを神様はなさるのだろう、もう駄目だ、つまずいた、信じる意味なんてない、教会にとどまる意味がない、そう言って挫折してしまう。そのようなしるしや不思議な業に信仰の拠り所を見出そうとするあり方を、主イエスは拒まれるのです。
 そうではない、と言ってそれに代わって主が与えられたのは何だったでしょう。「帰りなさい。あなたの息子は生きる」(50節)。この御言葉です。神の言葉です。この世のどんな権威も太刀打ちできない、父なる神の権威に基づいた言葉です。この力強い神の言葉に打たれた時、この役人の信仰に質的な変化が起こったのです。それは、「神の御心に自分の思いを重ね合わせていく信仰」です。「なぜ、ここまで来ながら、主をお連れしてカファルナウムの家に行けないのだ」、と歯ぎしりしたくなるような思いから、「主よ、ただあなたがくださった御言葉により頼みます。どうか御心をなしてください。あなたの御心を私の心が受け入れることができるようにしてください」、そのように祈る場所を心の中につくりだす信仰です。「帰りなさい。あなたの息子は生きる」、この言葉をいただいた役人は、主イエスの「言われた言葉を信じて帰って」行きました。49節では、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」、と叫んで、自分の思いにこだわっていたあの役人が、です。49節と50節は他の行と同じ間隔しか置かれていませんが、霊的に見るなら、この二つの節の間には、ものすごい開きがある、と言わなければなりません。あるいは、50節は今日の箇所全体のうちで、立体的に盛り上がって見える、と言ってもいいでしょう。この二つの節の間に、自分の納得できない思いを、しかし神の御言葉に重ね合わせていこうとする、役人の祈りの戦いが横たわっているのです。
 私はこの説教の準備をしていて、私の伯父のことを思い出さずにはおれませんでした。以前は、牧師である父親に、「神様、神様、言うんなら見せてみろっていうんだ!神がいるなら見せてみろ!」、そう言って怒鳴り、その意味ではしるしを求めていた伯父でした。けれども病を与えられ、床に伏せることも出てきた今、私が送った礼拝説教の録音テープを聞いてくれます。電話で「テープ聞いてるよ。所々よくわかんねぇところもあるけどな。でもありがとうよ」、そう言ってくれます。この伯父も、神の御言葉に自分の思いを重ね合わせていこうとする祈りの戦いを始めかけているのかもしれない、そう思うのです。
 私たちの教会が神奈川連合長老会という教会の交わりを通して深い結びつきの内にある、浦賀教会は先ごろ、長く慣れ親しんだ地を離れ、主の導きを祈り求めつつ、新たな伝道の地を求めて歩み出す決断をいたしました。そこに至る経緯は決して容易なものではなかったことをうかがっています。そこにも、自分たちが今の場所に留まりたいのかどうかではなく、神が今教会に、何を望んでいらっしゃるのかを深く尋ね求めようとする、祈りの戦いがあったのです。「あなたの御心を私たちの心としてください。そうできるようにどうかお助けください」という祈りの戦いがあったのです。

5 癒された息子というしるしを見ぬままに、この役人は来た道を戻り始めました。当初は予定した主イエスを伴うことなく、です。しかし与えられた御言葉の確かさにだけ信頼して、です。その時、走って自分を迎えに来た僕たちを通して、役人は、神の恵みのご支配が、既に始まっていることを知るのです。カナの結婚の宴は、神の国の喜びの宴を先取りするものでした。今ここでも再び、神の恵みのご支配が始まっていることが告げ知らされます。この役人は床から起き上がった息子に、また看病していた母親やまわりの家族、僕たちに、主が御言葉において成し遂げられたこの恵みの御業を証ししたに違いありません。そしてそこに家族全体の信仰が生まれたのです。ここには書かれてはいませんが、恵みに打たれたこの家族たちは、この後、あの道のりを取って返して、主イエスにみんなで会いに行ったのではないでしょうか。感謝と喜びにあふれ、今始まっている神の恵みのご支配、御国の宴に与かったのです。しるしが得られたから信じたのではなく、御言葉において出会ってくださった神ご自身を信じたゆえに、そこに与えられた、息子の癒しというしるしをも喜ぶことができたのです。
 先ほどお読みいただいた旧約聖書の士師記に出てまいりましたギデオンには、主はギデオンの求めに応じて、犠牲の捧げ物を受け入れるというしるしを示してくださいました。けれども、今私たちに何よりも先に臨んでいるのは、十字架にかけられたキリスト、そこで私たちの罪の重荷を担いきり、甦ってくださったキリストです。御言葉においてご自身をお与えになる、キリストご自身です。この救い主から、すべてのしるしは受けとめられます。すべてのしるしはこの十字架と復活を指し示す限りでのしるしなのです。これと離れた形で、人間が自分の願う救われ方にひきつけて、しるしを信じる条件にしてしまう時、信仰は試練に堪えることのできない、簡単に倒れてしまうものになってしまうのです。
 言葉というのは一見、実に頼りないものです。人間の言葉は状況によっては虚しく聞こえてしまうものです。特に言葉が氾濫する現代ではなおさらそうでしょう。けれども、この役人が祈りの戦いの中で味わったのは、神の言葉、御言葉の確かさでした。まだそのしるしを見ていない、息子が癒された姿を見てもいない、けれども御言葉を信じるのです。御言葉においてまことに神がそこに臨んでくださり、どんな形でかはしらないけれども、とにかく最も良いようにしてくださる、そのことを信じて、神におゆだねするのです。そこに、「しるしを求める信仰」から、「主イエスの心に自らの思いを重ね合わせていく信仰」へと深められていく、信仰の成熟があるのです。このことは私たちの置かれた状況でこそ、よりはっきりします。私たちはあの役人のように、主イエスと直にお会いすることさえできません。私たちが受けることのできるのは、主イエスが、礼拝において与えてくださる、この御言葉です。この御言葉自身が力を奮い、ことを成し遂げてくださることを信じるのです。しるしや奇跡、不思議な業があるかないか、が問題ではありません。神がいつも私たちが願っているような祝福の神であるかどうかさえ、問題ではありません。神が私たちを御言葉のみに信頼する者へと、この礼拝においてつくり変えてくださること、そのようにして信仰を成熟したものへと深めてくださること、その恵みの出来事が今、ここで起こっていることが重大なのです。自分の思いに照らして神が本当に神であるかを審査するような、傲慢な思いから私たちを解き放ち、本当の意味で神をまことに神とする信仰、その信仰をこそ、神は私たちに今、与えようとしておられるのです。

祈り 主イエス・キリストの父なる神様、自分たちの思い描く想像の中に、あなたをおしこめようとする不信仰をたびたび積み重ねてしまう私たちです。自分の考えていたように振舞ってくださらないあなたに不満をぶちまけてしまう私たちです。思うに任せぬ人生を不愉快に思い、あなたのせいにしてしまう私たちです。どうか憐れんでください。ただ、御言葉をください。そしてあなたの御業を成し遂げてください。しるしを求める信仰ではなく、見ないで信じる信仰に生きる者とならせてください。しかしもしそこで、あなたが恵みのうちにもたらしてくださるしるしがあるのなら、それを共に喜び分かち合えることができますように。そのような分かち合いに生きる兄弟姉妹が、主のからだなるこの教会であることに感謝して、この祈りを主イエス・キリストの御名によって祈り、願います、アーメン。

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