主日礼拝

揺るがぬ人生

「揺るがぬ人生」 伝道師 矢澤 励太

・ 旧約聖書; 詩編、第69篇 1節-22節
・ 新約聖書; ヨハネによる福音書、第2章 13節-22節

 
序 その日、エルサレムでは近づく大きな祭りに備えて、町全体がざわめきのうちにありました。過越祭が始まろうとしていたのです。この祭りは、ユダヤ教が祝う三つの大きな祭りの中でも最も重要なものとして守られていたものです。イスラエルの民が神によってエジプトから救い出されたことを覚え、祝う祭りです。エジプト人の長子と家畜の初子を滅ぼした神の使いが、イスラエル人の家だけは「過ぎ越し」、それによってエジプトの国に決定的な打撃を与え、イスラエルの民のエジプト脱出をもたらしたのです。それ以来、さまざまな紆余曲折はあっても、イスラエルの民は基本的にはこの過越祭を、信仰の根源をなすエジプト脱出を祝うものとして忠実に守りつづけてきたのです。ニサンの月の14日、わたしたちの暦で言えば3月末から4月初め頃に、イスラエルの人々は小羊を屠って焼き、種なしパンとともに食してこの救いの出来事を祝ったのです。

1 12節からも分かるように、主イエスはこの祭りの直前まで、ガリラヤ地方のカファルナウムに滞在しておられました。この土地は、ガリラヤ湖の北西岸にあり、主のガリラヤ伝道の根拠地となった町です。主はこの町を「自分の町」(マタイ9:1、マルコ2:1)と呼び、とても親しみを覚えておられたようです。母や兄弟、また弟子たちと幾日か滞在することを望まれるような場所であったわけです。 ところが主はこの落ち着ける、居心地のよい場所に長く留まることをよしとはされませんでした。何かに駆り立てられるかのように、また特別な務めを負っている者であるかのように、主は弟子たちとエルサレムに上られたのです。13節はそのことを伝え、「ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた」と語っています。主イエスと弟子たちがエルサレムの丘にそびえ立つ神殿の境内に進み入ると、そこにはどんな光景が広がっていたのでしょうか。
神殿の境内には牛や羊や鳩が売られ、両替人たちはお金のやり取りに忙しくしています。牛がモーモー、羊がメーメーと鳴きわめいている声、鳩がのど下をゴロゴロ鳴らす音が境内いっぱいに鳴り響いています。両替人たちがお金の交換のためにジャラジャラと音を立てています。そこで買い物をしようとしている客たちと商人たちとのにぎやかな会話がガヤガヤと境内いっぱいに響き渡っています。動物が集まると生まれる特有のにおいが境内に満ちていたことでしょう。わたしはバングラデシュという国に行ったことがありますが、この国の地方に入っていくと、まるで昔の日本のような印象を受けます。道はぜんぜん舗装されていません。ただ草の生い茂る道にわだちができていて、そこだけ黄土色の土が顔を覗かせています。このわだちはリキシャという人力車(どうもこのリキシャという名称は日本の人力車から来ているようなのですが)が通ることによってできるものなのですが、そのリキシャを引いているのは体格のがっしりした牛なのです。この牛が落としていく排泄物があちらこちらにあるのです。またバジャールと呼ばれる市場に行ってみると、すごい人ごみです。商い人と客たちの間でけんかのような勢いで値踏み交渉がなされているのです。大変なやかましさです。おそらくこの日のエルサレム神殿も、これと似たような様子だったのではないでしょうか。それはバングラデシュの田舎町を訪ねる折にはそこに住んでいる人の息遣いが伝わってくる楽しい、愉快な光景であるかもしれません。けれども、もし神を礼拝する場所がこのような状態、ほとんど混沌とも呼べるような無秩序に支配されているとしたらどうでしょうか。そこで人は真実な礼拝を神に捧げることができるでしょうか。
このような光景を目の当たりにした時、主は縄をなって鞭を作り、それをしならせ、地面を打ちたたきながら、すべての羊や牛を神殿の境内から追い出し始めたのです。両替人たちの金をまき散らし、その腰掛を次々とひっくり返していったのです。主イエスと鞭、一見何と意外な、取り合わせでしょうか。しかしまた、ある意味では何と恐るべき取り合わせでしょうか。そこには激しい怒りと裁きの意味が込められているのです。主は叫ばれたのでした、「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない」(16節)。実際には、ここで売られていた牛や羊、鳩は神殿で犠牲を捧げるための動物たちです。また神殿に献金するには外国の貨幣を用いてはならず両替をする必要があったため、両替商が発達したのです。両方とも神殿の祭司階級たちが許可し、用意していたものだったのです。祭司や律法学者たちは一方では、律法を守っていれば神の祝福からもれることはないが、律法を守れなければ神の支配から排除されると民衆に教えていました。いわゆる律法主義です。けれども他方では613もあるといわれる規定に従えない人々の弱みにつけ込んで、犠牲を捧げ、献金をすれば祝福が保証されると教えていたのです。そしてそのための商売を認め、そこから得る収入で私腹を肥やしていたのです。主イエスはそのような真実の神礼拝を失い、騒がしさとこの世の営みに埋め尽くされて、とても神に祈るような場ではなくなってしまった神殿の堕落と腐敗に激しく憤られたのです。
この出来事はいわゆる主イエスの「宮潔め」と呼ばれるもので、すべての福音書が書き記しているものです。しかしヨハネ福音書における「宮潔め」は、少し違った趣を持っています。他の福音書には宮潔めに際して主イエスが引用された旧約聖書の言葉として、イザヤ書56章7節、「わたしの家は、すべての国の人の 祈りの家と呼ばれるべきである」との御言葉が記されています。そこでは異邦人の祈りための庭を、ユダヤ人たちが商売や両替のやかましさによって奪っている、その配慮のなさが問題とされていました。自分たちの礼拝のことしか頭になく、異邦の民の礼拝の場を台無しにしている自己中心なあり方を、主は非難されたのです。けれどもヨハネにおいては、弟子たちが主イエスの行動を目の当たりにして思い出した御言葉として、詩編の69篇10節が引用されています、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」。「あなたの家」、つまり神殿において、まことに人間が神を礼拝する者となること、そのことへの願い、熱意が自分の身を焦がすほどだ、と歌っているのです。この御言葉が引用されているもともとの詩編は、神を信じる信仰のゆえに、迫害を受けて苦しむ信仰者の苦悩を歌った歌です。弟子たちがこの御言葉を思い起こしたということは、この信仰ゆえに苦しむ義なるお方というのは、主イエス・キリストご自身にほかならない、ということを指し示しています。つまりもはや神殿においてまことの神礼拝が行われることに期待することなどできない、まことの神礼拝が回復されるためには、義しい者がいわれのない迫害に苦しみ、それによって罪にまみれた人間の神殿礼拝の姿が贖われ、救い出されなければならないことが語りかけられているのです。ヨハネにおいてはよりはっきりした形で神殿礼拝とそれに関わる祭りは否定され、新たにされなければないことが示されているのです。それらが目指していたまことの礼拝は、神の独り子が十字架に苦しむことによって、このお方が死の中から甦ることによって初めて、実現するのです。

2 主イエスによって日常の営みをかき乱され、商売あがったりに追い込まれたユダヤ人たちは、逆上しながら叫びます、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」(18節)。「お前がこんなことをする権威はどこにあるのか、それを奇蹟によって証明しろ」、と迫っているのです。そこで与えられる言葉ははっきりと神殿礼拝を否定しています。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(19節)。それは主ご自身の体のことだったとヨハネは証します。わたしたちがもしまことの礼拝ができるとすれば、本来神に真実な礼拝を捧げることなどできない、反逆の子であるわたしたちが、まったくの汚れなき小羊、主イエス・キリストの苦しみによって贖い出され、神の子とされる恵みに与かったからにほかならないのです。
 わたしたちの人生は、いつも不安という爆弾を抱えているような歩みです。いつ、何が起きるかわかりません。安心できる、安定した生活を築くためにあくせくしている姿が日々のわたしたちだと言ってよいでしょう。それこそが「幸せ」の意味だ、ほとんどの人はそう思っているのではないでしょうか。「揺るがぬ人生」を築き上げるには、老後まで安心できるだけのお金を蓄えなければならない、安定した職業を選ばなければならない、いい職に就くためによい学歴を積まねばならない、パートナーも将来の見通しがつく人を選びたい、大きな地震にも耐えられるマイホームを造らなければならない、子供によい教育を与え、よい学校に入れたい、そういったことに頭を悩ませ、日々の営みに追われているうちに、年をとり、本当に人生を確かなものとする礎を見出さないまま、最後は死の支配の前にすべての目論見を砕かれ、敗れ去っていくのが大方の人生ではないでしょうか。それは認めたくないことかもしれません。あからさまに言って欲しくないことかもしれません。商売人や両替人たち、また彼らからマージンを吸い上げていた神殿の支配階級が、真実を語る主イエスに逆らい、主を迫害したように、つきのけ拒絶したい現実、直面したくない事実かもしれません。しかし主イエスの十字架の光が明らかにするのは、こうしたまことの神礼拝に生きることを知らない人生は、結局は建っているように見えても、いずれ崩れ去っていく神殿のようなものだ、という裁きを照らし出すのです。しかしまた同時に、このお方を通してのみ、わたしたちの人生はまことの「揺るがぬ人生」へと建て上げられるという恵みをも照らし出すのです。キリストと結ばれ、永遠の命に生き始める恵みの礎を堅くされた人生です。
エルサレムの神殿自体も、「建っては崩れる」ような歩みを繰り返してきました。紀元前10世紀に、あのソロモン王によって建てられたエルサレム神殿は、紀元前6世紀初めにバビロンによって打ち壊され、国家は滅亡し、イスラエルの民は捕らわれて異教の地へ連れ去られたのです。その後、この世紀の末に、捕らわれの地から帰ってきたユダヤ人の手によって第2神殿が建てられましたが、これも紀元1世紀にローマ帝国によって打撃を受けました。主イエスの時代に建っていた神殿は、ヘロデ大王が修復工事を始め、さらに「異邦人の庭」を増築して当代随一の壮麗な神殿に仕上げたものだったのです。しかしこの神殿もユダヤ人の反乱を鎮圧したローマ軍によって再び破壊されたのでした。ヨハネ福音書が書かれたと言われる1世紀末には、もはや見る影を残していなかったのです。
わたしたちの人生も、それぞれに目論見を持ち、思い思いの神殿を建てようとする歩みかもしれません。けれどもそれはあのエルサレム神殿のように、ついには完成しない、出来たかと思えばすぐ崩れ去ってしまう、実に危うい人生なのではないでしょうか。ところがこのような「自分にとっての理想」という神殿を築き上げようとする誘惑はなかなか強いものなのです。あの鳩や牛の販売人、あるいは両替商も初めは神殿の一番奥で行われる神礼拝に仕える思いで、その商いに当っていたのかもしれません。ところがいつしかその商いそのものの方が大事なこととなり、神をあがめ、礼拝することなどそっちのけになってしまったのです。耳をふさぎたくなるようなやかましさで、異邦人のための祈りの場を台無しにしたのはもちろん、自分たちの営みが本来仕えるべき、神殿の奥での神礼拝すら第一の事柄ではなくなってしまったのではないでしょうか。日々の営みに押し流されて、「御顔こそ、わたしの救い」という告白を失ってしまったのではないでしょうか。現代のわたしたちも、本当の人生の礎をないがしろにし、本質的でないところで人生という相撲を一生懸命にとっていはしないでしょうか。礼拝の始まる前にも、礼拝の最中にも、自分の独り言、自分で建てようとこだわっている神殿の造営計画が思いの中に忍び込んできて、まことの神礼拝を邪魔してはいないでしょうか。とりあえず日々食い、飲み、おしゃれな衣服をまとい、比較的安定した人生を送ることが優先してしまってはいないでしょうか。自分中心の人生設計を立て、その実現のために汲々とする人生では、いつしかあの神殿と同じような変遷を辿ることが明らかなのではないでしょうか。

結 神殿の一番奥には、大祭司のような限られた人しか入ることを許されない「至聖所」と呼ばれる場所がありました。人間はそこで、直接その場に臨まれる神と相対することができたのです。神殿に象徴される旧約聖書の伝統が新たにされ、完成されるということは、主イエスというお方を通して、わたしたちは場所や建物に縛られることなく、生ける神と直接相見えることを許されているということなのです。今、ここに、御霊において臨んでおられる神と出会うことができます。主イエスという「至聖所」において、わたしたちは神と出会うことができるのです。そこで神の裁きと恵みに与かるのです。礼拝に生きる人生、神をまことに神とする人生、「キリストのからだ」である教会に生きる人生、それこそがまことの「揺るがぬ人生」なのです。先日御許に召された姉妹も、若き日にキリストのものとされ、激動の時代の最中、「揺るがぬ人生」を与えられて歩む幸いを与えられました。わたしたちもキリストと共に罪に死に、キリストと共に永遠の命に生かされる時、「揺るがぬ人生」を確かにされているのです。

祈り わたしたちの人生は、建っては崩れることを繰り返し、最後は死の支配の前に屈服するようなもろく、悲惨なものでしかありません。どうかこの人生の空しさを深く思わせ、キリストにある、まことの「揺るがぬ人生」を歩ませてください。わたしたちの日々の営みもすべて、霊とまことをもってあなたを崇め敬うことに仕えるための営みであることを深く思わせてください。死を打ち滅ぼす主イエスの命の恵みに与かり、神のものとされて歩むことの幸いに生きる者とならせてください。
わたしたちの人生のまことの支配者なる、主イエス・キリストの御名によって祈り、願います、アーメン。

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