夕礼拝

この町には、わたしの民が大勢いる

「この町には、わたしの民が大勢いる」 伝道師 乾元美 

・ 旧約聖書:エレミヤ書 第1章4-8節
・ 新約聖書:使徒言行録 第18章1-17節
・ 讃美歌:7、516、77

<わたしの民>
 「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲ってあなたに危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
 主が幻の中でパウロに語られた言葉です。パウロは主イエスこそ救い主であると人々に語り、主イエスを信じて洗礼を受け、救われるようにと、各地で伝道してきました。パウロといえば、迫害にもめげず、困難にも立ち向かう、とても大胆で勇敢な姿を聖書から知ることが出来ます。
 しかし、今日のところでは、パウロが恐れていたこと、福音を語るのを止めようとしていたこと、黙ろうとしていたことが分かります。
 そのようなパウロに主は、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな」と命じられます。それは、もっと頑張れ、そんなことでめげるなと、パウロをただただ叱咤激励しているのではありません。主がこのように命じられるのには理由があります。それは、「わたしがあなたと共にいるから」。そして、「この町には、わたしの民が大勢いるから」です。

 パウロはキリストの福音を語り続けなければならない。それは、まだ福音を聞いていないけれど、主なる神が選び、神の民とされる者がこの町に大勢いるからだ、というのです。主は、救われる者をすでに選んでおられます。そして、その者たちがまだ福音を聞く前から、「わたしの民」と呼んでおられます。
 救いを求めている者にとって、このことは大変な喜びとなるでしょう。わたしが主を知る前から、主はわたしをご存知でした。わたしがキリストのことを知る前から、キリストはわたしの罪のためにご自分の命を捨て、わたしの十字架の血による罪の赦しを信じなさい、造り主であるあなたの神のもとに帰りなさいと、招いて名前を呼び続け、「あなたはわたしの民なのだ」と言って下さっているのです。

 そして、それらの者がキリストの福音を聞くために、パウロに、そして先に救いにあずかった教会連なる者たちに、恐れるな、キリストの福音を語り続けよ、と言われるのです。
 これは、教会が伝道するにあたって、とても心強い言葉です。神自らが、すでに救われるべき神の民を選んでおられ、そこにわたしたちの口を通して、手を通して、神の恵みを届けようとなさるのです。救いは主ご自身のみ業です。しかし主は、わたしたちをご自分のみ業に参与させて下さいます。
 主が先立って働かれますから、わたしたちは恐れることなく、語ることが出来ます。この地にある教会を通して、教会に連なる人々を通して、神は、神の民として呼んでおられる横浜の人々にキリストの福音を語ろうとしておられるし、すでに選んだ者を招いて、救いにあずからせようとしておられるのです。
 今も変わらない、神自らが先立ち、そして教会と共になさって下さる伝道の業について、今日の聖書の箇所から共に聞いてまいりましょう。

<コリントの町と、アキラとプリスキラ>
 パウロという人が、キリストの福音を宣べ伝えるために伝道旅行をしています。今日出て来るのは、コリントという町です。この町は当時ローマの属州アカイアの首都で、豊かな商業都市でした。また、女神アフロディーテの神殿があって、大勢の神殿娼婦がおり、道徳的には乱れた町であったことで有名です。

 パウロはその町にやってきて、ポントス州出身のアキラとプリスキラというユダヤ人夫婦に出会いました。彼らはローマからやってきたとあります。当時のローマ皇帝クラウディウスが、ユダヤ人にローマから退去するように勅令を出したからです。これは、クレストゥスの扇動によってユダヤ人の暴動があったため、と記録に残っています。おそらくクレストゥスとはクリストス、つまりキリストのことです。ローマでキリストを信じるユダヤ人と信じないユダヤ人が争ったため、すべてのユダヤ人が追放となったのでしょう。

 パウロは、この夫婦の家に住み込んで、一緒にテント造りをしていたとあります。パウロはかつてユダヤ教のファリサイ派の律法学者、つまり神の律法の専門家であり、指導者でした。彼らは、神の律法を食い扶持にするのはいけない、ということから、生活するために職業訓練を受けていたようです。パウロはテント職人でもありました。それで、平日はアキラ、プリスキラ夫妻とテントを造り、安息日には「ユダヤ人の会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた」、つまりユダヤ人たちに、十字架にかかって死に、復活したイエスこそ、旧約聖書で預言されている救い主、メシアだと語っていたのです。

<伝道への参加>
 さて、パウロにはシラスとテモテという仲間がいます。途中で別れてしまったので、アテネという町で落ち合って、その後、パウロはシラスとテモテをマケドニア州に派遣したと考えられています。マケドニア州とは、これまで伝道して教会が誕生した地域で、フィリピ教会やテサロニケ教会があります。そして5節に「シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると」とあるように、このコリントの町で再びパウロと合流したのでした。

 二人がやってくると、パウロは御言葉を語ることに専念した、と書かれています。それは、シラスとテモテが、マケドニア州の教会、つまりフィリピの教会から援助のための金品を預かってきたからです。これはただ単に、フィリピの教会が、お世話になったパウロが生活に困っているだろうから、金品を贈って助けてあげた、ということではありません。
 パウロの生活を支えるということは、パウロはそれによってより多くの時間を御言葉に専念するために使い、キリストの福音をより多くの者に宣べ伝えることが出来ます。それは、ますます神の救いのみ業が進められていくということです。そうして、フィリピの教会の人々もまた、パウロたちと共に伝道の業を担い、共に神の救いのみ業に仕えているのです。ですから、これらの贈り物は、個人的なパウロへの援助として贈られたのではなく、神への献げものであり、フィリピの人たちの献身のしるし、献金なのです。

 パウロがフィリピの教会に宛てて書いた、フィリピの信徒への手紙には、4:15に「フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかには一つもありませんでした」と述べています。そして、その贈り物のことを、パウロは「それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです」と述べています。

 フィリピの教会は、コリントという自分たちとは直接関係ない地域の、顔も知らない人々への伝道活動のために、パウロに献金や物品を贈って、参与していきました。献金は自分たちの教会の中で幾らでも使うことができます。
 しかし、彼らは、福音が遠いコリントの地で宣べ伝えられることが必要だと思えば、喜んでそのために献金や品物を献げ、「地の果てまでキリストを証ししなさい」「すべての民をわたしの弟子にしなさい」という主イエスのご命令に、教会をあげて従っていったのです。
 このような広い視点はとても大切です。自分たちのことだけでなく、神が成そうとしておられる御計画をしっかりと見ることです。自分たちの満足や安泰を求めるのではなく、世の中の一人でも多くがキリストの救いを知り、教会に一人でも多くの者が加えられていくこと、それこそが、教会全体の喜びであり、また神が喜ばれることであると知ることです。
 またそのために、フィリピの教会では、実際に現地で御言葉を語って奉仕するパウロたちのために、祈りがささげられたでしょうし、ますます神のみ心、ご計画に従うことを求めて、御言葉にもよく耳を傾けたことでしょう。そのようなところに、聖霊はますます豊かに働いて下さり、教会は主イエスの体として、主のみ心に従って活き活きと動き、また信仰もますます豊かにされていくのだと思うのです。
 わたしたちもそのようにわたしたちの教会が為すべき伝道の業と、また他の地域の教会の伝道にも協力していくという、広い視点を持つことが出来ればと思います。神の大きな救いのご計画をしっかりと見つめて、その神の御業に仕えていきたいのです。

<人々の反発とパウロの恐れ>
 さて、御言葉に専念できるようになったパウロは、コリントの町に住む、同胞のユダヤ人たちに「メシアはイエスである」と力強く証しした、とあります。しかし、ユダヤ人たちは反抗し、口汚くののしったのです。

 パウロは服の塵を振り払い、「あなたたちの血はあなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く」と言って、そこ、つまりユダヤ人の会堂を去っていきました。服の塵を払うのは、強い抗議のしるしです。わたしはキリストの福音をあなたがたに伝えた。なすべきことはした。だから、もしあなたたちがキリストを受け入れないで滅びるなら、わたしにはその責任はない、ということです。
 そして、異邦人に向けて伝道することを宣言し、会堂の隣の家の「神をあがめるティティオ・ユスト」という人の家に移った、とあります。「神をあがめる」というのは、異邦人でありながら、ユダヤ教の教えに共感する人のことです。ですから、ユストもユダヤ人の会堂に出入りしており、そこでパウロが語る福音を聞いて、キリストを信じる者となり、パウロに協力するようになったのでしょう。会堂のユダヤ人たちが反抗するので、パウロはこの人の家に伝道の拠点を移したのです。
 しかし、ユストの家が会堂の隣であった、というのは面白いところです。ある人は、ペトロの説教が結局隣の会堂にまで聞こえていたんだろうと想像します。パウロは隣の会堂のユダヤ人たちも常に意識して、そちらにも聞こえるくらいの大声で語ったかも知れません。なぜなら、8節には会堂長のクリスポ、つまり会堂にいるユダヤ人たちの中でも中心的な人物が、一家をあげて主イエスを信じるようになったと書かれているからです。

 パウロがユダヤ人に厳しい言葉を投げつけたのは、心から同胞のユダヤ人たちが主イエスを信じて救いにあずかって欲しいと願っていることの裏返しでしょう。こうしてユダヤ人の会堂長の一家が神の福音を受け入れ、さらには、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた、とあります。

 パウロのコリントでの伝道は、ここへきて順調に実を結び始めました。
 しかし、ある夜、主は幻の中でパウロに「恐れるな。語り続けよ。黙っているな」と言われたのです。それは、パウロがコリントでキリストの福音を語り続けることを恐れ、黙ろうとしていたということです。これまで見て来たパウロの行動力、大胆な伝道、またどんな迫害にあっても、次の町へ行ってまた語り続ける姿は、勇敢な伝道者そのものです。しかし、後にパウロはコリントの信徒への手紙で、「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」と、この時のことを語っているのです。

 パウロの恐れ、不安とは何だったでしょうか。主は「わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はいない」と語られました。パウロは襲われ、危害を加えられることを恐れていました。これまでも、迫害されたり、石を投げつけられて死にかかったり、捕らえられて鞭打たれ、牢獄に入れられたり、逃げるように町を去らなければならないということがありました。それらはいつも、パウロの同胞のユダヤ人が、キリストを宣べ伝えるパウロに敵意を抱き、嫉妬し、扇動したり、実行したものでした。
 今回も、会堂長のクリスポ一家がキリストを信じたことで、ユダヤ人の反感が高まるのは必至です。御言葉が受け入れられれば受け入れられるほど、ユダヤ人のパウロへの敵意は増していきます。救われて欲しいと願っている大切な同胞に、ののしられ、敵意をぶつけられる。心が傷つくことです。そしていつまた迫害を受けるか、命を狙われるか、この町を去る時が来るか分からない。パウロはいつもそのような恐れや不安を抱えていたのです。

<神がなさる伝道の業>
 パウロがこれまで力強く伝道してきたのは、特別に、意志が強く、勇敢で、恐れを知らない人だったからではないのです。パウロは、自分の弱さも、臆病さも、不安も、よく知っていたのだと思います。
 そのようなパウロに、主が語りかけて下さいました。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」。
 パウロを罪から救い出して下さった主が、共におられ、パウロを守られます。そして、主がパウロを、コリントで御言葉を語る者として立て、パウロの語る福音を通して、この町にいるご自分の民に、救いを知らせようとしておられます。わたしの民が待っているから、福音を語りなさいと、パウロに命じられるのです。まだパウロの目には見えていない、これから福音を聞いて、救いを受け入れていく、将来の神の民を、主は最初からしっかりと目に留め、すでに捕らえておられるということなのです。あとはパウロが福音を語るのを待つばかりなのです。

 主イエスが、ヨハネによる福音書でこのように語っておられるところがあります。10:16で「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」。主イエスのもとの来るべき羊を、主イエスは囲いの外にいる時から見ておられ、導くと仰っています。この羊は、主イエスの声を聞き分けます。そうして、主イエスに導かれ、救い出されて、一つの群れに入れられるのです。
 主がなさる救いの業だからこそ、パウロ自身は、弱くても、臆病でも、不安でも、主にあって、主に依り頼んで、強く、大胆に、勇敢に、御言葉を語るのです。

 これはわたしたちも同じです。キリストの福音を宣べ伝える伝道の業は、わたしたちの意志や、実力や、努力によって成し遂げたりするのではありません。もしそうであるならば、自分の力や、勇気や、強さが必要なら、わたしはここで御言葉を語ることが出来ませんし、教会は、伝道をすることが出来ないでしょう。自分の力に頼るなら、弱く、臆病で、いつも不安なわたしたちは、何か困難があれば、すぐに語れなくなり、何も出来なくなるのです。
 しかし、すべての人のために救いの御業を実現して下さった主は、この伝道の歩みにおいても、必ず御心を実現して下さいます。
 「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」。
 こう言われる主が共にいて下さるから、この方が命じて下さるから、この方が救いを成し遂げて下さるから、わたしたちは祈りつつ、主に依り頼みつつ、強く、大胆に、勇敢に、御言葉を宣べ伝えることが出来るのです。わたしを救って下さった主イエスを証しし、伝道の業を行なっていくことが出来るのです。
 わたしたちの教会が福音を伝えなければ、誰がこの地にいる、すでに選ばれている神の民に、福音を届けるのでしょうか。そして、主に耳を開かれて、福音を受け入れる者が現れた時に、わたしたちは、その者に主がずっと働きかけてこられ、この教会へと導き、福音と出会う日を備えておられたことを知るのです。そこに同胞となる神の民を見出し、神と共に喜ぶのです。神はこの喜びを共に分かち合って下さるために、わたしたちを救いの御業に用いて下さるのではないでしょうか。

 さて、11節には、その後パウロが一年六か月もの間、コリントに留まって人々に神の言葉を教えた、とあります。パウロは主と共に、また支え、祈ってくれている教会の兄弟姉妹と共に伝道したのです。また12節以下には、ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行ったという出来事が書かれています。パウロが恐れていたことが起こったのです。しかし、ここでガリオンという地方総督は、このユダヤ人たちの訴えをまったく取り上げませんでした。そのため、18節にあるように、パウロはなおしばらくの間コリントに滞在することが出来たのです。
 神はパウロと共にいて、実際このようにしてパウロを守り、コリントの町にいるご自分の民に、パウロを通して福音を聞かせられました。そして、キリストを信じる者とならせ、神の一つの群れに多くの者が加えられたのです。

<神の民・神に召し集められた群れ>
 みなさんがはじめに教会に来たのは、自分で来ようと思ったのかも知れませんし、家族に連れられたり、教会に通っている友人に誘われたり、聖書や讃美歌への関心とか、建物に興味があったとか…そのような理由だったかも知れません。
 しかし、実は、主が、あなたはわたしの民だから、わたしのもとへ来なさいと、呼んで下さっていたのです。一人一人を、愛をもってお造りになった神が、救いにあずからせようと一人一人を選び、キリストの十字架による罪の赦しを与え、神のもとに立ち帰るように。新しい命を得て、神と共に生きる者となるようにと招き、人を遣わし、教会へ導き、福音を聞かせて下さったのです。。

 この神の招きに応えてキリストを信じた者は、8節にあったように、洗礼を受けます。
 そして、洗礼を受けて、キリストと一つに結ばれた者は、今日も行われる聖餐にあずかります。ここで分けられるパンと杯は、キリストの体と血のしるしです。わたしたちは、聖餐において、復活して今生きておられ、天におられるキリストが、わたしたちと共にいて下さることを確かにされます。また、同じ一つのパンに与ることで、わたしたちが同じお一人のキリストによって罪を赦され、同じお一人のキリストの体に結ばれ、一つの神の民とされたことを覚えるのです。そして、いつか主が再び来られる日に、救いが完成され、兄弟姉妹と共に主に見(まみ)える神の国の食卓を、聖餐において垣間見ているのです。
 教会とは、神の民です。神に選ばれ、召し集められ、一つにされた群れです。この群れに、神に選ばれた者が一人一人加えられ、神を賛美し、礼拝する、ますます大きな一つの神の民となっていくのです。そしてまた、共に神の御業に仕えていくのです。「すべての民をわたしの弟子にしなさい」「この町には、わたしの民が大勢いる」。
 神が、わたしたちを選んで下さいました。どうか、一人でも多くの方が、キリストの救いを信じ、神の民に加えられていきますように。

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