「恵みにゆだねられて、出発」 伝道師 乾元美
・ 旧約聖書:詩編 第22編28-32節
・ 新約聖書:使徒言行録 第15章36-16章5節
・ 讃美歌:204、536
<神の御業の伝道>
前回までの聖書箇所で、「エルサレム会議」と呼ばれる出来事を聞いてきました。これは、キリスト教の福音や伝道に関わる、とても重要なことが確認された教会の会議です。
それは、救いは、ただ主イエスの恵みによって救われるということ、人間の条件や、行いや、努力によって救われるのではないということです。わたしたちは、父なる神が遣わしてくださった主イエスが、十字架と復活の御業によって、わたしたちの罪を赦し、永遠の命を与え、終わりの日の復活を約束して下さった、その恵みをただ受け取ること、ただ主イエスを信じることによって救われます。ですから、この救いは、主イエスを信じる者すべてに与えられます。
このことが教会の会議で確認されて、使徒言行録の後半は、パウロを中心にキリストの福音が異邦人へ、ヨーロッパへ、世界へと伝えられていく様子が語られていきます。そうしてやがて、この日本にも福音が伝えられました。わたしたちも、民族も、文化も、立場も何も関係なく、ただ主イエスの恵みによって、救いに与ることが出来るのです。
さて、後半の伝道旅行の始まりは、36節にあるように、パウロが「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか」と提案したことから始まりました。パウロの旅の目的は、はじめから海を越えてヨーロッパまで伝道をすることだったのではありません。最初は、かつて自分たちが訪れ、福音を語り、信じる者が起こされた町の様子を見に行く、という目的だったのです。しかし、後を読んでいくと、そのような人間の思いや計画を超えて、聖霊が導きを与え、世界へとパウロたちを赴かせたことが分かります。
「地の果てまで すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り 国々の民が御前にひれ伏しますように。」神のみ心は、地の果てまですべての人が、主イエスによって救いに与り、神の民となることです。神は、人の思いや力を大きく超えて、そのみ心に従って、教会を通して、またわたしたち一人一人を通して、救いの御業を行ってくださるのです。
しかし、用いられる一人一人は欠けがあり、弱く、力のない者です。誰も、人として完璧な人はいませんし、いつも状況が全て整っているとも限りません。計画通りにいかないこともあるし、意見の違いも起こります。しかし、そのようなわたしたちが、共に神の恵みだけを頼りにする時、聖霊の助けを求め、主イエスだけがわたしたちの頭であることを信じて歩もうとするとき、神は、人の弱さも、欠けも、失敗も、すべてをご自分のご計画の中において下さり、神がなそうとしておられることに、用いて下さるのです。
今日、共にお読みした、旅立ちの場面におけるパウロとバルナバの決裂、そしてテモテとの出会いも、そのような神の導き、聖霊のお働きの中に、人間の歩みや教会の業が置かれている、ということがよく表されているのです。
<バルナバとの別れ>
15:36~41は、パウロが、「さあ、これまで伝道した町に行って、兄弟たちを訪問して様子を見に行こう」、と提案して出発しようとした時に、これまで共に行動し伝道してきたバルナバと意見が対立して、別れて出発することになったことが書かれています。そのきっかけは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くか、行かないか、ということでした。
このマルコという人物は、使徒言行録の12:12で、エルサレムでペトロが投獄されていた時に、教会の人々が祈るために集まっていたのが「マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家であった」と書かれています。そして、その後、パウロとバルナバがアンティオキア教会からの支援物資をエルサレム教会に持って来た時、帰りにマルコをアンティオキアに連れて帰った、とあります。さらに、コロサイの信徒への手紙(4:10)には「バルナバのいとこマルコ」と書かれていて、バルナバとマルコは血縁関係だったようです。
そしてパウロとバルナバは、13章にあったように、伝道のためにキプロス島に旅立った時、このマルコと呼ばれるヨハネを助手として連れて行きました(13:5)。しかし旅の途中で、マルコは一行と別れてエルサレムに帰ってしまったのです(13:13)。
バルナバは、これからの伝道の旅に、このマルコを連れて行きたいと思いました。しかしパウロは、15:38にあるように「前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきではないと考え」ました。そして、二人の間で意見が激しく衝突したのです。
前回マルコがどうして途中で帰ってしまったのか、その理由は分かりません。
しかし、今回これから行こうとしている町々は、かつてパウロたちが伝道した時に、ユダヤ人たちに迫害されたり、石打ちにあって殺されかけたようなところです。パウロはそのような厳しい所に、途中で帰ってしまったようなマルコは耐えられないだろう、と考えたのかも知れません。
一方で、バルナバは「慰めの子」と呼ばれる人でした。パウロがエルサレムの教会に来た時も、他の使徒たちとの執り成しをしたりして、人と人の仲を取り持つような、配慮に満ちた人です。自分のいとこであった、ということもあるかも知れませんが、一度伝道の途中で帰ってしまったマルコに、もう一度機会を与えて、成長させたい、という思いがあったのかも知れません。ともかく、具体的な内容は分かりませんが、マルコを連れて行くか、行かないかを理由に、二人の意見は激しく衝突し、別行動をとることになったのです。
主イエスを信じる信仰の部分において一致をすることはとても重要なことです。しかし、考え方の違いや、関心の違いは、人間の間でどうしても生じてきます。パウロもバルナバも、どちらも伝道のこと、そしてマルコのことを真剣に考えた上での意見だったはずです。パウロはマルコに厳しすぎたかも知れません。そしてバルナバは、身内贔屓でマルコに甘過ぎたかも知れません。
そうして別行動することになってしまったパウロとバルナバですが、しかしその結果、この後マルコは、パウロが信頼を置く伝道者に成長していることを、聖書から読み取ることが出来ます。
マルコについて、テモテへの手紙二(4:11)で、パウロは「マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです」と書き、またフィレモンへの手紙(24節)では「わたしの協力者たち、マルコ、…」というふうに、好意的に書かれているのです。バルナバとマルコのその後の様子は使徒言行録には出てきませんが、バルナバがおそらくマルコをよく導いたのでしょう。マルコは伝道者として、豊かに用いられるようになっているのです。
パウロとバルナバの対立、別れは厳しい出来事だったかも知れませんが、しかしそれも主イエスの福音を宣べ伝えようとするところで起こった出来事です。そこにおいて神は、人の間で起こる対立や、意見の違いや、弱ささえも用いて、マルコと言う一人の伝道者を育て、救いの御業を推し進めて下さったのです。
このようにして、伝道のために二組がそれぞれ旅立っていくことになりました。バルナバはマルコを連れてキプロス島に行きました。前回の伝道旅行で、ここはマルコも一緒に訪れたところであり、人々とも顔見知りだったはずです。また、キプロス島はバルナバの故郷であり、親族のマルコも受け入れられやすく、行きやすい場所だったでしょう。
また一方で、パウロはシラスを選んだ、とあります。シラスはエルサレム教会で指導的な立場にあった人物であり、またローマの市民権を持っていました。これは、これから異邦人の地、ローマが支配する土地で、ローマ市民としての身分が保証されていることは、伝道活動のためにとても有利なことでした。
まさにそれぞれ適材適所のところが与えられ、しかも初めはパウロとバルナバ二人だったのが、結果、四人の二チームとなって、より幅広く活動できることになったのです。
意見が食い違って別れて行動することは、パウロにとってもバルナバにとっても辛く、悲しいことだったに違いありません。しかしどちらも、キリストの福音を宣べ伝える、という目的は同じでした。だからこそ不思議と、対立や別れたことさえも、神の御手の中で、伝道のために用いられて、人の思いを超えて、より豊かな伝道の業へと導かれていったのです。
<テモテとの出会い>
さて、そうしてバルナバ、マルコと別れ、シラスと共に、デルベ、リストラと訪れて行ったパウロですが、そこでとても大切な出会いが与えられました。これから共に伝道していくことになる、若いテモテです。
テモテがどういう人物であったかを見てみましょう。16:1には、「そこに信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった」とあります。
父親は、この書き方から見て亡くなっていたと考えられますが、母親はユダヤ人で、キリストを信じる者でした。テモテへの手紙二(1:4)に「その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています」とパウロが述べています。祖母、母親はユダヤ人で、テモテは幼いころから聖書に親しんでいました。そしてこの祖母と母親は、使徒言行録の14章以下にある、パウロが一回目の伝道旅行でリストラを訪れた際に、主イエスの福音を信じてキリスト者となったのでしょう。そこは迫害が起こった地ですが、彼女たちは信仰を守り続けたのです。テモテも主イエスを信じる者となり、その地の兄弟たち、教会の人々の間で評判が良かった、とあります。主イエスの救いの恵みがしっかりと根付き、良い弟子がそこに備えられていたのです。
<ユダヤ人の手前、割礼>
そして16:3に「パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである」とあります。パウロはこのテモテを伝道に連れて行きたいと思いました。そこで、テモテにユダヤ人の手前、割礼を授けた、とあります。
ここで、前回までの割礼の議論を聞いてきた方は、あれ?と思うかも知れません。
前回までのエルサレム会議は、ユダヤ人でキリストを信じた者の中から、異邦人も割礼を受けて、ユダヤ人にならなければいけない、と主張する者がいたことが発端でした。割礼とは、ユダヤ人が選ばれた神の民のしるしとして、生まれて八日目に受ける儀式ですが、異邦人も割礼を受けることによってユダヤ人になることが出来ます。
そして、ユダヤ人たちの一部が、異邦人が救われるためには、主イエスを信じるだけではなくて、割礼を受けてユダヤ人になることも必要だ、と言い出したのです。
会議の結論は、割礼は救いに必要がない、人が何か条件を満たすことや、行いによって救いを得られるのではなく、ただ主イエスの恵みのみによって、主イエスを信じる信仰のみによって救われるのだ、というものでした。
それでは、パウロはどうして今になってテモテに割礼を授けたのでしょうか。
この割礼は、救いのために授けられたのではありません。救いは主イエスの十字架と復活を信じることによってのみ、与えられるものだからです。これは絶対に揺るがないことです。
しかし、パウロはこれからの、キリストの福音を宣べ伝えていく伝道のことを考えて、テモテに割礼を授けたのです。先ほどお読みしたように、テモテの母親はユダヤ人で、父親はギリシア人でした。本来、ユダヤ人は異邦人と結婚しませんが、結婚した場合には、その子はユダヤ人として割礼を受けることが出来たそうです。しかし、テモテは割礼をこの時まで受けていなかったということなので、他のユダヤ人からは、異邦人のように扱われることになってしまいます。そうすると、町々のユダヤ人の会堂に入って語ることが出来ないのです。
パウロは、まず新しい町に入った時には、ユダヤ人の会堂に入って主イエスの福音を語っていました。異邦人への伝道を担っていくといっても、ユダヤ人のことを蔑ろにしたのではありません。むしろ、パウロもユダヤ人であり、同胞のユダヤ人たちが主イエスを救い主と信じて救われることを、誰よりも心から願っていたのでした。ですから、テモテが割礼を受けてユダヤ人から認められるようになることで、異邦人を見下しているユダヤ人たちがテモテを軽んじることを避け、福音に耳を傾けさせるチャンスを増やすことが出来ます。そして割礼を受けていれば、テモテもユダヤ人の会堂に堂々と入って、そこで主イエスのことを説教することが出来ます。
一人でも多く、主イエスの救いに招くためには、パウロは何だってするし、何にでもなろうとするのです。それは、ただ主イエスの恵みによって救われる、という福音に立っているから出来ることです。揺るがない、主イエスの十字架と復活の恵みにしっかりと立っているならば、自分がそこで確かに生かされているならば、神が望んでおられること、つまりすべての者を救う、というみ心が実現するために、福音を伝えようとする相手に合わせて、自分を変えることも出来るし、何にでもなることが出来るのです。
パウロが、コリントの信徒への手紙一(9:20)で「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです」と語り、そして「すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします」と述べている通りなのです。
これから異邦人の世界で伝道をするとき、それぞれの地にいるユダヤ人もまた福音を聞き、受け入れることが出来るように。そして、主イエスに救われたなら、異邦人もユダヤ人も、分け隔てなく、共に主イエスの前で一つになることが出来るように。テモテの割礼は、そのような伝道のため、教会のための配慮があってのことだったのです。
さて、テモテはパウロにとってなくてはならない同労者となりました。聖書に収められているパウロのいくつかの手紙、第二コリントや、フィリピ、コロサイ、テサロニケの信徒への手紙などには、テモテの名前が共同差出人として書かれています。また、テモテへの手紙一でパウロは「信仰によるまことの子テモテへ」と呼びかけ、また他の手紙では「彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者」と紹介しており、テモテへの特別な愛情と心からの信頼が伝わってきます。
神は、パウロにかけがえのない伝道の同労者、しかも、ユダヤ人にも異邦人にも伝道するのに適任な人物を選び、出会わせて下さり、これからの旅に伴わせて下さったのです。
<神の恵みにゆだねて>
このような特別な出会いが与えられることを、バルナバと決裂した時のパウロは想像もしなかったと思います。マルコをめぐるバルナバとの対立は、これから旅を始めるにあたって出足を挫くような、心が萎えるような出来事であり、大きな打撃だったでしょう。しかし、そこにシラスが与えられ、テモテが与えられ、神は共に働き、祈り、支え合う仲間をパウロに与えて下さいました。マルコのことも、バルナバを通して成長させ、共に主に仕える者として下さいました。これは聖霊の導きによることです。
15:40には、パウロは「兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した」とあり、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけたこと。そして16:5にはシラス、テモテと共に町をめぐり、「こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった」とあります。今回、「聖霊」という言葉は出てきませんでしたが、この「日ごとに人数が増えていった」という表現は、使徒言行録でこれまでにもペンテコステから始まり、2章、6章、9章と、聖霊の豊かな働きの後に、必ず教会の人数が増していった、つまり、主イエスを信じる者がたくさん起こされたということが記されています。ですから、今回のパウロとバルナバの出来事、そして、シラスやテモテとの出会いも偶然などではなく、教会の祈りによって、神の恵みにゆだねられた中での、聖霊の導きであったということが、明らかなのです。
わたしたちにおいても、自分の信仰生活の中で、また教会の歩みの中で、困難や失敗、挫折を経験したことがない人などいないでしょう。困難や、苦しみや、悲しみの真っただ中にある時、そして失敗や、対立が起った時、その時は、どうしてこんなことになってしまったのだろうかと思います。
しかし、わたしたちが何も出来なくても、神は何でもできるお方です。互いに助け合い、愛し合い、配慮し合うことは必要ですが、それでも足りないわたしたちの弱さも、失敗も、神は御自分のご計画に、用いることがお出来になります。わたしたちは後になって振り返り、ああ、あの大変な出来事を通して、確かに神が働いて下さり、導いて下さり、今の自分になくてはならない恵みが与えられたのだ、と知ることが出来るのです。
主イエスの福音に生かされ、自分たちの思いではなく、神のみ心を求め、聖霊の働きを祈り求めて歩むとき、神はそのようなわたしたちの弱さも、失敗も、すべてをご自分の恵みの中に置いて下さるのです。わたしたちは伝道のために、すべての状況を完璧に整えたり、絶対に間違いのない計画を立てたりすることは出来ません。それに、救いのみ業は神ご自身がなさることです。わたしたちは主イエスの恵みによってしか救われないのです。しかし、神は、わたしたちを召し出し、その素晴らしい救いの御業に関わらせて下さいます。わたしたちが自分を神にお献げし、恵みにすべてをおゆだねするとき、神は必ず、わたしたちの拙い業を、喜んで豊かに用いて下さり、そして、必要な助け手、共に歩む仲間を与えて下さり、祝福の内に救いの御業を前進させて下さるのです。
本日は聖餐にあずかります。この復活の主イエスとの交わりの食卓に、神は地の果てまで、すべての人を招こうとしておられます。わたしたちはこの恵みにあずかった者として、今度はその神の招きを一人でも多くの者に伝えるために、主の恵みに全てをおゆだねして、出発して行きたいのです。