主日礼拝

パウロの悲しみと喜び

「パウロの悲しみと喜び」 牧師 藤掛 順一

・ 旧約聖書; 詩編、第126編 1節-6節
・ 新約聖書; 使徒言行録、第20章 1節-6節
・ 讃美歌 ; 18、158、528 聖餐式 76
・ 聖歌隊 ; 24

 
第三回伝道旅行の終わりに
 本日与えられている聖書の箇所、使徒言行録第20章1?6節には、パウロが、いわゆる第三回伝道旅行において、約3年に及ぶエフェソの町での活動を終えてこの町を出発してからたどった道が語られています。この町を出発することによって、第三回伝道旅行はいよいよしめくくりに入っていきます。パウロがエフェソを立った後のことについてどのような計画を持っていたかは、既に19章21節に語られていました。そこには「このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、『わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない』と言った《とあります。これは前にも申しましたように、ローマ帝国の東側での活動をしめくくり、今度は、首都ローマと、さらにその西側での伝道にとりかかろうということです。しかしこれまでの伝道活動をしめくくるに当たって、パウロは今、一旦エルサレムに行こうとしているのです。なぜ今エルサレムに行く必要があるのか、そのことについては、本日はまだ触れないでおこうと思います。もう少し先へ読み進めたところでそのことをお話しすることになるでしょう。いずれにせよ、このエルサレム到着までが、第三回伝道旅行です。  さて、今パウロらがいるエフェソは、小アジア、今日のトルコのいちばん西、エーゲ海に面する地域にあります。聖書の後ろの付録の地図の8「パウロの宣教旅行2、3《でその位置を確認していただきたいと思います。今読んだ19章21節によれば、このエフェソから、マケドニア州とアカイア州を通ってエルサレムに行こうと決心した、とあります。マケドニア州、アカイア州というのは今日のギリシャです。エフェソからは、エーゲ海を渡った西側になります。つまり、エルサレムとは反対の方角です。パウロは、エフェソからエルサレムへ向かうに際して、一旦反対の方角へと廻り道をしたのです。その廻り道のマケドニア、アカイアでの歩みを語っているのが本日の20章1?6節です。1節でパウロは、エフェソやその地域の教会の人々を呼び集めて励まし、別れを告げてマケドニア州に出発しました。そして2節に、「この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励まし《たとあります。マケドニア州でパウロが伝道し、教会が生まれていたのは、フィリピ、テサロニケ、ベレアといった町々です。それらの町の教会を巡って励ましを与えたのでしょう。そしてギリシャに来て、そこで三か月を過ごしたと2?3節にあります。このギリシャとは、アカイア州のことであり、具体的にはコリントのことです。そして3節後半にあるように、そこからシリア州に向かって船出しようとした、つまりエルサレムに行くために船で地中海を東に横断しようとしたところが、彼に対するユダヤ人の陰謀があることがわかった、それはおそらくパウロが船に乗ろうとするところで彼を暗殺しようという計画があることがわかったということでしょう。それで計画を変更し、再びマケドニア州へと陸路北上し、フィリピから船でトロアスに着いたのです。トロアスの位置も地図で確認していただきたいと思いますが、小アジアの北西の町であり、パウロらは第二回伝道旅行においてここからギリシャへと渡ったのです。このトロアス到着までが本日の箇所に語られているパウロの歩みです。本日の箇所にはそれ以上のことは語られていません。マケドニアやアカイアにおいてパウロがどのようなことを語って教会の人々を励ましたのか、などについて使徒言行録は沈黙しており、ただパウロらの辿った道と、誰が同行したかが語られているのみです。そういう意味ではここはあまり面白くない、内容的にも特に見るべきものがない箇所であるように感じられます。けれども、使徒言行録には語られていませんが、実は、本日のところが語っている時期というのは、パウロの生涯において大変波乱に富んだ時であり、その歩みの中で彼は、深い悲しみと、また大きな喜びを体験しているのです。本日はそのことを、パウロ自身の書いた手紙と読み合わせつつ、ご一緒に見ていきたいと思います。

エフェソでの3年間
 さてそもそもパウロは何故、エルサレムへと向かう前にマケドニア、アカイアへと廻り道をしたのでしょうか。そのことを考えるためには、パウロの3年に及ぶエフェソでの活動を、使徒言行録とは別の角度から見てみなければなりません。前にも申しましたが、この3年に及ぶエフェソ滞在中にパウロは、今日私たちのもとに残されている何通かの手紙を書いたと思われるのです。それは、コリントの信徒への手紙一と、同じく第二の手紙の多くの部分、ガラテヤの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、フィレモンへの手紙、そして説は分かれるところですがコロサイの信徒への手紙です。つまりパウロのエフェソでの3年間の活動は、エフェソの町での伝道に限られていたのではなく、広い地域に及んでいたのです。パウロは、自分がこれまでの伝道旅行で基礎を据えた諸教会のことを常に心にかけ、情報を集め、必要に応じて手紙を書いて指導、激励していたのです。エルサレムに向かう途中でマケドニア、アカイアへと廻り道をしたのも一つにはそういう諸教会への心遣いのゆえです。そして、これらの地域の諸教会の中で、パウロが最も気にかけ、ぜひ訪問したいと思っていたのは、コリントの教会でした。先ほど申しましたように、ギリシャで三か月滞在したというのは、コリントに滞在した、ということだと思われるのです。何故彼はそれほどにコリント教会のことを気にかけていたのでしょうか。

パウロとコリント教会
 コリント教会は、パウロが第二回伝道旅行において1年6か月この町に滞在したことによって誕生しました。そのことは使徒言行録18章に語られています。パウロ自身も、コリントの信徒への手紙一の4章15節でこう言っています。「キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです《。そのように、パウロの伝道によってこの教会は生まれたのですが、パウロとコリント教会のその後の関係は必ずしも円滑ではありませんでした。コリントは当時の交通の要衝だったことから、様々な人々がやって来て、いろいろな影響を教会に与えました。その結果この教会はかなり混乱し、いくつかのグループが出来て対立し合うようにもなったのです。パウロはこの教会のことを心配して、エフェソ滞在中の3年間に少なくとも四通の手紙を書き送ったと考えられます。その内の二通目がおそらく、「コリントの信徒への手紙一《です。この手紙よりも前にもう一通手紙が書かれていたことは、この手紙の5章9節に「わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが《とあることから分かります。その手紙は残されていませんが、「みだらな者と交際してはいけないと書いた《ということから分かるように、信仰者としての生活における具体的な注意を与える手紙だったと思われます。今残されている「第一の手紙《にも、コリント教会からの、信仰生活についてのいろいろな質問に答えているところがあります。この手紙を読むと、コリントの教会が、当時のコリントの町全体の、爛熟し、頽廃した風潮の影響を受けて、倫理的にも問題の多い教会となっていたことが分かります。しかしこの手紙が書かれた頃までは、コリント教会からパウロに信仰生活に関する問い合わせが来ていたわけですから、両者の関係は比較的良かったと言うことができます。ところがその後、コリント教会は急速に変っていきました。パウロが語った福音を否定し、パウロを使徒として認めないような人々がやって来て、教会がその人々に引きずられていってしまったのです。そのような事態の中でパウロは、今日の「第二の手紙《の一部分を書きました。その中で彼は、コリント教会の人々にこのように語りかけています。「第二の手紙《の7章2?4節を読んでみます。「わたしたちに心を開いてください。わたしたちはだれにも上義を行わず、だれをも破滅させず、だれからもだまし取ったりしませんでした。あなたがたを、責めるつもりで、こう言っているのではありません。前にも言ったように、あなたがたはわたしたちの心の中にいて、わたしたちと生死を共にしているのです。わたしはあなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな苦難のうちにあっても喜びに満ちあふれています《。これを読むと、パウロに対して心を閉ざしつつあるコリントの人々に、彼がなお期待をもって語りかけていることがわかります。

「涙の手紙《
 この三通目の手紙を書き送った後、彼はコリント教会を訪問したようです。そのことは使徒言行録には出てきませんが、「第二の手紙《の13章1節に、「わたしがあなたがたのところに行くのは、これで三度目です《とあることから分かります。一度目は勿論第二回伝道旅行における最初の訪問、そして三度目が、本日の箇所にある三か月の滞在です。その間に、二度目のコリント訪問があった、それは3年間のエフェソ滞在の間のことだったと考えるべきでしょう。しかし、この二度目の訪問はさんざんなものでした。彼はコリントの人々から受け入れられず、上当な扱いを受けて、すごすごとエフェソに戻らざるを得なかったのです。そのあたりの事情が、「第二の手紙《の2章1節にこのように語られています。「そこでわたしは、そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました《。二度目の訪問で受け入れられず、悲しい思いをしたので、再度訪問することには慎重にならざるを得ないパウロの心情がここに現れています。そして彼は、自分自身が悲しい思いをさせられたのに、「再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい《と、自分が彼らを悲しませたように書いているのです。そこにもパウロのコリント教会への心づかいが伺えます。そしてこの悲しみの中で彼は、四通目の手紙を書き送りました。その手紙のことが今の続きの2章4節にこう語られています。「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした《。「涙ながらに手紙を書いた《とあることから、この手紙は「涙の手紙《と呼ばれています。その主要部分が、「第二の手紙《の10章?13章であると考えられているのです。10章1?6節を読んでみます。「さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。わたしたちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に立ち向かうつもりです。わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています。わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての上従順を罰する用意ができています《。このように彼は深い悲しみと怒りを込めて第四の手紙を書き送り、もし今度もう一度行った時にも同じようなことが続いているようなら、その時は厳しい処置をするぞと警告しているのです。

テトスの派遣
 この「涙の手紙《を書き送ると同時に、パウロは同労者であるテトスをコリントへと先に遣わし、自分もその後を追うように、エフェソを出発してマケドニアへと向かったのです。それが本日の使徒言行録20章1節のエフェソ出発の場面です。つまり、この時、パウロとコリント教会との関係は、抜き差しならない重大な局面を迎えていたのです。パウロはコリントをもう一度訪れて、この教会に入り込んでいる間違った教えを説く者たちと対決しようとしています。この問題を解決しなければ、新たな伝道へと進んでいくことができないという思いでいるのです。この時彼の心は、コリントで待ち受けているであろう厳しい対立への恐れと、自分の伝道によって生まれた教会が間違った教えに傾き、自分を受け入れなくなってしまっていることへの深い悲しみで満ちていたことでしょう。そのようなマケドニアへの歩みの様子が、「第二の手紙《の2章12、13節に語られています。「わたしは、キリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主によってわたしのために門が開かれていましたが、兄弟テトスに会えなかったので、上安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました《。エフェソから北上してトロアスに着き、そこに伝道のよい機会が与えられていたにもかかわらず、コリントに遣わしたテトスからの報告を聞くまでは気が気でなく、早々にマケドニア州に出発したのです。

テトスとの再会
 このマケドニアで、彼はコリントから戻ってきたテトスと会うことができました。テトスがもたらした知らせは、パウロにとって予想外の大きな喜びでした。そのことが、「第二の手紙《の7章5?16節に語られています。その中の5節から11節の途中までを読んでみます。「マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずに済みました。神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。神の御心に適ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょう《。パウロが涙の内に書き送ったあの手紙によって、コリント教会の人々は悔い改めたのです。パウロが伝えている福音に再び心を開いたのです。パウロを批判していた人々はそれによっておそらくコリントを立ち去ったのでしょう。パウロはテトスからのこの知らせによってまさに天にも昇るような喜びを体験したのです。彼がマケドニア州で「言葉を尽くして人々を励まし《たと本日の箇所にありますが、その働きの原動力は、テトスによってもたらされたこの喜びだったと考えてもよいでしょう。

コリントでの喜びの三か月
 パウロはこのマケドニアから、今読んだところを中心とする五通目の手紙を早速コリント教会に書き送りました。このように、「コリントの信徒への手紙二《には、パウロがコリント教会に書き送った五通の手紙の内の、第三から第五までの少なくとも三通の手紙が寄せ集められ、しかも順番も前後してしまっているために、大変分かりにくくなっているのです。パウロはこの後コリントに到着し、三か月の間、再び彼に心を開いたコリント教会の人々と過ごし、まさにコリント伝道のしめくくりをしました。この三か月は、パウロにとって、まことに喜ばしい、充実した時だったことでしょう。そしてこの三か月のコリント滞在中に書かれたのが、「ローマの信徒への手紙《です。これから一旦エルサレムへ行き、その後訪ねたいと願っているローマの教会の、まだ会ったことのない人々に、自分が宣べ伝えている福音をまとめて語り、自己紹介をしている手紙です。パウロの宣べ伝えている福音の集大成とも言えるこの手紙は、使徒言行録においては、本日の箇所の中で書かれたのです。そしてそれを可能にしたのがコリント教会だったわけです。コリント教会が悔い改めてパウロを受け入れ、正しい福音に立ち帰らなかったならば、「ローマの信徒への手紙《も書かれることはなかったかもしれません。本日の箇所に語られている時期に起ったことは、パウロの生涯にとって波乱に満ちた出来事だったのみでなく、実にキリスト教会の歴史全体にとっても、大きな意味のあることだったのです。

神の悲しみと喜び
 内容的なことは何もないように見える本日の箇所ですが、そこに語られている歩みの中でパウロは、このように伝道者としての深い悲しみと、そして大いなる喜びを共に体験しました。このパウロの悲しみと喜びが、単にパウロ個人が人々に受け入れられたか、拒否されたか、ということであるならば、大した意味はありません。しかしこのパウロの悲しみと喜びはそのような個人的なものではないのです。これはそのまま、神様の悲しみであり喜びです。神様は、罪人である私たちのために、独り子イエス・キリストをこの世に遣わし、その十字架の死によって私たちの罪を赦し、永遠の命の約束を与えて下さいました。パウロは、その神様の大いなる愛、恵みの福音を宣べ伝えているのです。コリント教会の人々が、その福音を受け入れず、それを宣べ伝えるパウロを拒むならば、それはパウロを悲しませることであるのみでなく、主イエスを遣わされた神様を悲しませることなのです。独り子イエス・キリストの十字架の死が無駄になってしまうからです。しかしコリント教会がこのイエス・キリストの福音を受け入れ、悔い改めて神様に立ち返り、パウロをも受け入れたことは、パウロの大きな喜びであると同時に、神様がそのことを大いに喜んで下さっているのです。つまり教会は、そこに集う者たちは、伝道者の語る福音を受け入れるか拒むかによって、伝道者の悲しみと喜びの鍵を握っているだけでなく、神様ご自身の悲しみと喜びの鍵をも握っていると言うことができます。私たちが、神様の喜びと悲しみの鍵を握っている。それは、私たちが神様を喜ばせたり悲しませたりする力がある、ということではありません。そうではなくて、神様が、独り子イエス・キリストを遣わして下さったことによって、私たちにそのような大きな期待を抱いておられるということです。神様は大いなる思い入れをもって私たちを見つめておられるのです。これから聖餐にあずかります。聖餐は、神様が私たちにその独り子の命をすら与えて下さるほどに、私たちを愛して下さっていることの印です。ここに、神様が大いなる思い入れをもって、情熱をもって私たちと関わり、私たちの信仰を待っておられることの印があるのです。パウロが、コリント教会の人々の様子によって悲しんだり喜んだりしたように、神様も、今、私たち一人一人のことで、喜んだり、悲しんだりなさるのです。本日共に読まれた旧約聖書の箇所、詩編126編の5、6節に、「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる《とあります。伝道者は誰でも、この種蒔く人の涙と喜びを体験しています。しかし誰よりも先ず神様ご自身が今、涙と共に私たちに福音の種を蒔いていて下さるのです。私たちが福音を聞いて信じるなら、神様ご自身が、喜びの歌と共に刈り入れて下さいます。涙を流して私たちに福音の種を蒔き、私たちの信仰を待っていて下さる神様に、お応えしていこうではありませんか。そして私たちも涙を流して、福音の種を蒔いていこうではありませんか。その時私たちは、神様の収穫の喜びにあずかることができるのです。

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