主日礼拝

平和、畏れ、慰め

「平和、畏れ、慰め」 牧師 藤掛 順一

・ 旧約聖書; イザヤ書、第40章 1節-11節
・ 新約聖書; 使徒言行録、第9章 23節-31節
・ 讃美歌 ; 13、127、411

 
使徒言行録の面白さ
 先週の主の日には特別伝道礼拝が行われました。礼拝後のお茶の会で、ある他教会員の方がこんなことを言っておられました。「自分はこれまで、使徒言行録はつまらない書物だと思ってきた。しかし今、毎週の説教で使徒言行録の話を聞くのが楽しみだ」。私はこの言葉を感謝してお聞きしました。使徒言行録は、本当は決してつまらない書物ではありません。新約聖書にもし使徒言行録がなかったら、どんなに内容が貧しくなってしまうだろうかとすら思います。しかしまた確かに使徒言行録は、その本当の面白さ、あるいは私たちの信仰の養いとなるメッセージを聞き取ることが出来にくい書であると言えるかもしれません。本日も、使徒言行録の面白さをご一緒に体験できればと願っています。

回心後のサウロ
 今私たちが読んでいるのは第9章の、サウロの回心の場面です。キリスト信者たちを迫害し、教会を撲滅しようとしていたサウロが、主イエス・キリストと出会い、180度の転換を遂げ、迫害のために来たダマスコの町で、逆にイエスこそキリスト、救い主であると宣べ伝える伝道を始めたという衝撃的な出来事が起ったのです。本日の23節以下は、そのようにして回心したパウロのその後の歩みを語っています。22節に語られていたように、ダマスコの町で、ユダヤ人たちを相手に、イエスこそメシア、即ち神様がお遣わしになった救い主キリストであることを力強く論証したサウロは、ユダヤ人たちから、裏切り者として憎まれ、命を狙われるようになりました。彼らはサウロを殺そうとして、昼も夜も町の城門で見張っていたのです。そういう陰謀があることを知ったサウロは、夜の間に、籠に乗って町の城壁づたいにつり降ろされてダマスコを脱出しました。25節には、「サウロの弟子たちは」とあります。サウロの伝道によって、ダマスコの町に既にサウロの弟子たちが生まれていることに驚かされます。しかしもしかしたらこれは、本当はもっと後の出来事だったのかもしれません。コリントの信徒への手紙二の11章32節以下に、パウロ自身が同じエピソードを語っているところがありますが、そこでは、パウロを捕えようとしていた人はユダヤ人たちではありません。使徒言行録の著者は、後に起ったこの出来事を、サウロの回心直後に、ダマスコのユダヤ人が彼を殺そうとした時の出来事としてここに持って来たのかもしれないのです。しかしいずれにせよ、180度の回心をして迫害者から伝道者になったサウロは、ユダヤ人たちから裏切り者として憎まれるようになったことは確かです。

使徒たちとサウロ
 このようにしてダマスコを逃れたサウロは、エルサレムに来ました。それは、主イエスの弟子たちの仲間に加わるためでした。ステファノの殉教の死をきっかけとして、エルサレムで大迫害が起こり、多くのキリスト信者たちはあちこちに散らされて行きましたが、使徒たち、つまり主イエスの12人の弟子たちはエルサレムに残っていた、ということが8章の1節に語られていました。サウロはその使徒たちの仲間に加わろうとしたのです。しかし26節には、「皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた」とあります。当然のことです。ステファノの殉教の時、サウロは直接手は下さなかったまでも、彼を石で撃ち殺す人々の上着を預かっていたのです。そしてその後の迫害では、まさに中心になってキリスト信者たちを捕え、教会を荒らし回ったのです。そのサウロが、「回心しました、仲間に入れてください」と言って来たところで、そう簡単に歓迎できるわけはありません。こいつは教会の内情を探りに来たスパイではないか、と疑いの目で見られても仕方がないのです。話は少しそれますけれども、明治の始め、日本に初めてのプロテスタント教会がこの横浜に誕生した頃にも、そういうスパイがいたことが知られています。洗礼を受けて教会員になった人の中に、政府が派遣したスパイがいて、その人々が教会の様子を政府に報告した報告書が、当時の教会の様子を知るための貴重な史料になっているのです。サウロもそのように、教会を迫害する目的で、わざと信者になったふりをしているのではないか、と疑われたのです。
 このような窮地に立ったサウロを、使徒たちに紹介し、彼の回心が本物であることを請け負って仲間に入れるように執り成しをた人がいました。それはバルナバです。バルナバはサウロのダマスコへの道での主イエスとの出会いと回心、そしてダマスコで彼がいかに大胆に伝道をしたかを使徒たちに告げたのです。そのおかげでサウロは仲間に入ることができ、使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった、と28節にあります。

信仰の主観面と客観面
 サウロがこのように主イエスの弟子たち、つまり使徒たちと仲間になり、よい関係を築くことができたことは、その後の教会の歩みに大変大きな意味を持つ出来事でした。そのことには、これから使徒言行録を読み進めていく中でしばしばふれていくことになります。使徒言行録の中心テーマの一つがそこにあると言ってもよいくらいです。しかし本日はまだ、そのことに触れるべき場面ではありません。ここではむしろこういうことを見つめておきたいと思います。サウロがダマスコへの道で主イエスと出会い、信仰者となり、伝道者となった、それは、サウロの個人的体験です。誰とも共有することはできない、自分の信仰の問題です。そういう意味ではこれは主観的な出来事です。それに対して、使徒たちの仲間に加わるということは、あのペンテコステの出来事によって誕生した、目に見える信仰者の群れとしての教会に加わることであり、客観的なことです。サウロが使徒たちの仲間に加わったというのは、サウロの主観的な信仰の体験が、目に見える教会の中に客観的に位置づけられたということです。別の言い方をすれば、使徒たちがサウロを信仰の仲間として認め受け入れたことによって、サウロの回心、信仰が、教会によって認知されたのです。教会の指導者である使徒たちは、主イエスの復活の直接の証人です。その使徒たちに認められたことによって、サウロが出会った主イエスが、使徒たちが証言している復活された主イエスと同じ方であることが明らかにされたのです。ここに、私たちの信仰の大切なポイントが示されています。信仰には、自分の信仰的体験あるいは確信という主観的な面と、教会においてそれが認知されるという客観的な面と、両方があり、それが一つになってこそ、本物の信仰となるのです。ちょっと難しいことを言っているようですが、皆さんが信仰者になる時のことを考えてみて下さればよいのです。自分はイエス様を信じる、イエス様こそ救い主だ、と心の中で思うだけで信仰者になるのではありません。その信仰を言い表わして、教会がそれを認め、洗礼を授けることを決めるのです。そのようにして洗礼を受けて初めて、正式な信仰者、クリスチャンになるのです。信仰の主観的な面と客観的な面が一つになるとはそういうことです。そのことは、神様の召しによって伝道者、牧師になる、ということにおいても同様です。例えば誰かが何か信仰的な体験をして、「自分は神様から召しを受けたから、明日から牧師になる」と言い出してもそれで牧師になれるのではありません。そのことが教会において、あるいは教会の群れにおいて正規の手続きを経て認められなければ、牧師にはなれないのです。その正規の手続きの中には、神学校で学ぶとか、教師試験に合格するとか、准允、按手を受けるということがあります。そのような手続きによって、本人に与えられた主観的な神様からの召しが、教会の事柄として客観的なものとなっていくのです。サウロがエルサレムに行って使徒たちの仲間に加わったということにはそれと同じような意味があります。主イエスと出会い、回心して信仰者になった、そして既にダマスコで伝道を始めたということからすれば、別に使徒たちの仲間にならなくても、自分でどんどん伝道していけばよかったとも言えるかもしれません。しかしそれでは、サウロの伝道は彼の個人的、主観的な信仰によることになってしまいます。そういう信仰では教会は成り立っていかないのです。使徒たちの仲間に入り、復活された主イエスが、全世界に出て行って福音を宣べ伝えよとお命じになった、その伝道命令を受けた教会の一員となることによって、サウロの伝道も主イエスの教会の伝道となる、少なくとも使徒言行録は、そういう考え方に立ってサウロの歩みをこのように描いているのです。

ガラテヤ書と使徒言行録
 少なくとも使徒言行録は、と申しましたのは、サウロ、後のパウロ自身が、回心後の自分の歩みについて、ガラテヤの信徒への手紙の第1章で語っていることと、使徒言行録の本日の個所とでは違いがあるからです。パウロ自身は、回心後エルサレムに昇ってはいないと言っています。こちらの方はパウロ自身の言葉ですから、その方が正しいのかもしれません。しかし問題は、ガラテヤの信徒への手紙と使徒言行録のどちらが正しいかではなく、それぞれが強調していることの違いでしょう。ガラテヤの信徒への手紙でパウロは、自分が使徒として立てられたのは、先輩の使徒たちの権威によってではなく、復活された主イエスご自身の任命によるのだ、ということを強調しています。それに対して使徒言行録は、サウロの伝道の働き、そしてそれによってあちこちに誕生していった異邦人たちの教会が、エルサレムの、使徒たちの教会、ペンテコステに聖霊の働きによって生まれた教会とつながっており、同じ教会なのだ、ということを強調しているのです。そのことを語るために、使徒言行録は回心後のサウロがエルサレムで使徒たちの仲間に加わったと言っているのです。

慰めの子バルナバ
 さて、サウロを使徒たちに紹介し、間を取り持ったバルナバに目を向けたいと思います。この人は既に4章36節に登場していました。そこによれば、バルナバというのはあだ名で、本名はヨセフであり、キプロス島出身のユダヤ人レビ族の人でした。彼は自分の畑を売って、その代金をそっくり教会に献金したのです。そのように信仰の深い人でしたが、それだけではなく、彼が「バルナバ」というあだ名によって呼ばれていたことがその人となりを表わしています。「バルナバ」とは「慰めの子」という意味です。「慰めの子」というあだ名で呼ばれるくらい、この人は、自分自身が真実の慰めを知っていた人だったのでしょう。本日は共に読まれる旧約聖書の個所として、イザヤ書第40章の1節以下を選びましたが、そこにある「慰めよ、わたしの民を慰めよ」という神様からの語りかけを、彼は自分に対するみ言葉として深く聞いていたのでしょう。神様からの慰めを受けて生きることが私たちの信仰です。そういう意味では、信仰者は誰でも皆、バルナバ、慰めの子であり得るのです。そして本日の個所に示されているのは、神様からの真実の慰めを受けて生きている者は、人にも慰めを与えることができる、ということです。バルナバはここで、サウロと使徒たちとの間の執り成しをしました。もともとは迫害する者と迫害を受ける者という敵対関係にあった彼らです。使徒たちの中には、サウロを恐れ、あんなやつが仲間に入るなんてとんでもない、と思う人がいたでしょう。サウロの方にも、自分はもう回心して主イエスに従う者になっているのに、何故それを認めてくれないのか、という思いがあったでしょう。その両者の間に真実の和解をもたらしたのです。それはバルナバが、両者に対して、慰めを与えることができたということです。慰めを受けることによって、人は心を開くことができます。相手を受け入れることができます。バルナバはサウロの回心の出来事とその後の彼の伝道の様子を説明したと27節にありますが、使徒たちが心を開いてサウロを受け入れたのは、この説明を聞いて納得したからと言うよりも、バルナバの熱心な勧めに心動かされ、慰められたからだと思うのです。百の理屈を並べても動かない心が、一つの慰めの言葉によって動くということがあります。バルナバは、そのような慰めの言葉を語ることができた人だったのです。このバルナバのように、周囲の人々に慰めと和解をもたらすことができる人がいる教会は本当に幸いです。私たちはともすると、自分の周りに争いや対立ばかりを引き起こしてしまうのです。しかし、私たち信仰者は皆、主イエス・キリストによる神様の慰めを受けている者です。つまり私たちは本当は皆、周囲に慰めと和解をもたらすバルナバ、慰めの子であることができるはずなのです。
まとめの文章
 そして本日の最後の31節は、教会の様子を語るまとめの文章となっています。「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」。使徒言行録にはいくつか、このようなまとめの文章があるのです。前回のまとめの文章は、6章7節です。「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った」。このまとめと、31節のまとめとを比べてみると、教会のすばらしい成長の様子がわかります。6章では、神の言葉が広まっている範囲はエルサレムに限定されているのに対して、ここでは、ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方に広がっているのです。この成長をもたらしたのは、ステファノの殉教の死であり、それをきっかけにして起った迫害によって信者たちが散らされていき、その行く先々で伝道をしていったことです。その代表がフィリポです。またサウロが、迫害する者から伝道者へと変えられたことによって、教会の危機は一転して伝道の好機となったのです。
 このまとめの文章が、教会の様子として語っていることを見ていきたいと思います。「平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」とあります。この中の、「基礎が固まって」という言葉は、「家を建てる」という意味です。教会という家が、信者の数においても、内容においても、次第にしっかりと建て上げられていっていることが見つめられています。その、教会の建設において、大切なこととして見つめられていることが三つあります。「平和を保ち」ということと「主を畏れ」ということと、「聖霊の慰めを受け」ということです。平和と畏れと慰め、それが教会の建設、成長、発展に不可欠な要素なのです。

平和
 先ず「平和を保ち」です。これは単なる抽象的な平和ではありません。「ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち」とあります。ユダヤとガリラヤとサマリアは、お互いに隣り合っていながら、大変仲が悪かったのです。ユダヤ人は、ガリラヤのことは「異邦人のガリラヤ」と言って蔑み、サマリア人とは口もきかなかったのです。しかし今や、それらの地方のあちこちに教会が誕生し、平和を保っている、つまり、人間的な違い、対立が、信仰によって、主イエス・キリストを共に信じることにおいて、乗り越えられ、一つの群れとなっているのです。サウロがエルサレムの使徒たちの仲間になったことは、ダマスコで彼が伝道して生まれた教会と、エルサレムの使徒たちの教会が一つであることを示しているのです。様々な違いを持ちながら、主イエスにおいて一つであり、平和を保っている、それが教会なのです。

主を畏れる
 そしてこのような平和が実現していくために必要なのが、「主を畏れ」ということです。平和は、主なる神様を畏れ、尊ぶところにのみ実現します。何故ならば、私たちが自分の思いや考えに固執し、あくまでも自分の主張を通そうとするところに、争い、対立が生まれるからです。主を畏れるとは、自分の思いや考えよりも主なる神様のみ心を第一にする、ということです。自分が主であることをやめ、神様を主とし、自分は従となることです。サウロの回心において起ったのはまさにこのことだったのです。教会を迫害していた彼は、自分の思いに従って神様に仕え、自分の熱心さを生き甲斐としていました。しかし主イエス・キリストと出会ったことによって彼は、自分の思いや熱心が、神様に敵対するものだったことを知らされたのです。伝道者へと変えられた彼は、もはや自分の思いや熱心さに生きるのではなく、神様のみ心によって用いていただく「器」として生きる者となったのです。サウロの回心は、熱心さの向きが180度変わったということではなくて、自分が主人、主体として生きていた彼が、主人である神様に用いられる器、僕になったということなのです。主を畏れるとはそういうことです。そしてそれはサウロだけに起ったことではありません。10節以下に出て来たアナニアという弟子も、サウロに手を置いてその目を見えるようにせよという、自分の思いには反する神様の命令に従ったのです。彼もまた、主を畏れ、その器となったのです。また本日の個所でエルサレムの使徒たちが、バルナバの執り成しによって、疑いの思いを乗り越えて、サウロを仲間として受け入れたのも、主を畏れ、主のみ心に従ったからです。これらの信仰者たちが、主を畏れ、自分たちの思いよりも主のお命じになることを第一とし、主に用いられる器として歩んだことによって、教会は様々な違いを乗り越えて平和を保つことができたのです。

聖霊の慰め
 教会の歩みに不可欠な第三のことは「聖霊の慰め」です。「聖霊の」慰めとあるように、この慰めは聖霊の力による、神様が与えて下さるものです。それはイザヤ書40章がそうであるように、神様が、「慰めよ、わたしの民を慰めよ」と宣言して下さる慰めなのです。この宣言を聞いたイスラエルの人々は、バビロン捕囚という苦しみの現実の中にいました。しかもその苦しみは、自分たちの罪の結果でした。主なる神様を忘れ、ご利益を与えてくれる偶像の神々に心を向けた罪のゆえに、国を滅ぼされ、敵の国に捕囚となっているのです。目に見える現実には、何の慰めも見出せないような状態です。しかしその現実の中で、神様が、慰めを宣言し、彼らの罪が赦されることを告げて下さったのです。教会は、この慰めによって歩む共同体です。神様が、私たちに、「あなたの罪は赦された」という慰めを宣言して下さるのです。それは勿論、主イエス・キリストが私たちの全ての罪を背負って十字架にかかって死んで下さったことによることです。主イエスの十字架の死による罪の赦しこそが、聖霊の慰めなのです。サウロは、回心によって、この慰めに生きる者とされました。キリスト信者たちを迫害し、神様に激しく敵対していた彼が、その赦され難い罪を赦され、新しく歩み出すことができたのは、主イエスの十字架の死によってです。この慰めによって生かされた彼は、その慰めを宣べ伝える伝道者となったのです。聖霊の慰めを受けるとは、主イエスの十字架による罪の赦しの恵みに生かされることです。教会はこの慰めによって歩みます。その教会の一員とされている、あるいは、そこへと招かれている私たちは、「慰めの子」として生きることができるのです。

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