主日礼拝

聖書は何を語るか

「聖書は何を語るか」 牧師 藤掛 順一

・ 旧約聖書; 詩編、第119編 105節-112節
・ 新約聖書; 使徒言行録、第17章 1節-15節
・ 讃美歌 ; 59、153、536

 
テサロニケへ
 今私たちは主日礼拝において、使徒言行録の中の、いわゆるパウロの第二回伝道旅行のところを読み進めています。初代の教会の最大の伝道者となったパウロは、三回にわたって大伝道旅行をしました。その第二回において、パウロらは初めてギリシャに足を踏み入れ、今日の地理的区分において「ヨーロッパ」と呼ばれる地域にキリストの福音が初めて伝えられたのです。ギリシャにおける最初の伝道地はフィリピでした。そのフィリピでの伝道の様子と、パウロらが受けた迫害、またその迫害の中で起こったすばらしい恵みの出来事のことが16章に語られていました。本日から17章に入ります。パウロらの一行はフィリピを旅立ち、さらに西へと向かい、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いたと1節にあります。その位置関係については、聖書の後ろの付録の地図の8「パウロの宣教旅行2、3」を見ていただきたいと思います。ギリシャにおける第二の伝道地となったのがテサロニケでした。前のフィリピが、ローマ帝国の退役軍人たちが入植して立てた町だったのに対して、このテサロニケは、ギリシャの北部、マケドニア州の州都です。いよいよ本格的にギリシャでの伝道がなされていったのです。

先ずユダヤ人に
 しかしパウロがこの町を第二の伝道地として選んだのは、ただ大きな町だったからではありません。「ここにはユダヤ人の会堂があった」と1節にあります。この町にはユダヤ人たちがかなりの数住んでおり、それゆえに会堂があったのです。前のフィリピには会堂はなかったようです。それゆえにパウロらは、安息日に、ユダヤ人たちの祈りの場所を捜したのです。テサロニケには会堂があったのでそれを捜す必要がありませんでした。このように先ずユダヤ人のコミュニティーに入って行ってそこで伝道していくというのが、パウロの伝道の通常のあり方でした。そのことは2節の、「パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き」というところにも示されています。パウロはユダヤ人以外の異邦人にキリストの福音を宣べ伝える「異邦人の使徒」として立てられ、遣わされているという自覚を持っていましたが、その彼の伝道はこのように先ずユダヤ人たちに対して語りかけることから始められていたのです。それは、主イエス・キリストがこの世に来られる以前に、神様の民としての歴史を担ってきたのはユダヤ人であり、神様の救いは彼らにおいて示され、現わされてきたからです。主イエスによる救いはこのユダヤ人たちの歴史と無関係に突然与えられたものではありません。神様の救いの歴史は、ユダヤ人たちの先祖であるアブラハムからずっと続いてきており、それが主イエス・キリストにおいて新しく展開し、今や異邦人をも加えて進展しているのです。先ずユダヤ人たちのところへ行って伝道することには、ここで語られる救いが、ユダヤ人の歴史を受け継ぐものであることを明らかにするという深い意味があるのです。

ヤソン
 さてパウロらはテサロニケのユダヤ人の会堂で三回の安息日にわたって伝道をしたと2節にあります。そしてパウロらの語ることを聞いた人々の内のある者たちは信じて、彼らに従ったと4節にあります。その中には、「神をあがめる多くのギリシャ人や、かなりの数のおもだった婦人たち」がいたとも語られています。「神をあがめるギリシャ人」というのは、ギリシャ人で、ユダヤ教の教えに共感を覚え、会堂に出入りしてその教えを聞いていた人のことです。その人々の中には「おもだった婦人たち」つまり身分の高い町の有力者たちの婦人たちも少なからずいたのです。パウロらが語った福音を、これらのギリシャ人たちがむしろ喜んで聞き、信じるようになっていったのです。ところがユダヤ人たちは、5節にあるように、自分たちの会堂に出入りしていたギリシャ人たち、特におもだった婦人たちが、パウロの語ることを信じ、そちらに従うようになったのをねたんで、彼らを迫害しました。彼らは「広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した」のです。ここに突然「ヤソン」という人の名前が出てきています。6節にも「ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って」とあります。この「兄弟たち」というのは、信仰の兄弟たち、仲間たちという意味だと思われますから、ヤソンも、パウロの伝道によって主イエス・キリストを信じた仲間の一人だと考えられます。また7節にはユダヤ人たちが「ヤソンは彼らをかくまっているのです」と訴えている言葉がありますから、ヤソンがパウロらの一行を自分の家に迎え、滞在させて伝道の拠点としていたのだと思われます。フィリピにおいてはリディアという女性が果たした役割を、テサロニケではヤソンが果たしたのです。このヤソンはパウロの書いた手紙の中に一度だけ登場します。それはローマの信徒への手紙16章21節です。そこに「また同胞のルキオ、ヤソン、ソシパトロがあなたがたによろしくと言っています」とあります。「同胞の」というのは、出身地が同じである、という意味です。パウロとヤソンは同郷の人だったのです。ここから、ある人は想像力をたくましくして、パウロはこのテサロニケで幼なじみのヤソンに偶然出会ったのだ、と言っています。ヤソンは、旧友であり、今やキリストの福音の伝道者となっているパウロの勧めによってキリスト信者となり、自分の家をパウロらの宿として提供したのだ、というのです。これはもう想像の世界のことに過ぎませんが、しかし神様の不思議な導きを感じさせる心躍る楽しい想像です。教会における信仰の生活をしていく中で、私たちはこのような不思議な出会いや導きを感じさせられることがよくあります。私が約30年前の学生時代にこの指路教会で一年間礼拝を守っていた、ということもそのような不思議な導きの一つだと言えるでしょう。

べレアへ
 さてユダヤ人たちによるこのような騒ぎのために、パウロらはテサロニケに長く留まることができずに、ヤソンら兄弟たちに夜のうちに送り出されて、今度はべレアという町に行ったことが10節に語られています。ここでも彼らは先ずユダヤ人の会堂に入って同じように伝道を開始しました。11節には、このべレアのユダヤ人たちはテサロニケのユダヤ人より素直で、多くの者が主イエス・キリストを信じ、またここでもギリシャ人の上流婦人や男たちも少なからず信仰に入ったと12節にあります。ところが13節には、あのテサロニケのユダヤ人たちが、パウロがべレアで伝道していることを知って、わざわざ押し掛けて来て、ここでも群衆を煽動して騒ぎを起こさせたとあります。それでパウロはべレアにもいられなくなって、ギリシャを南下し、アテネに行ったのです。

ソパトロ
 べレアでの伝道の記述には、具体的な人の名前は出て来ません。しかし使徒言行録のもう少し先の20章4節には、このべレアで信者になったと思われる一人の人の名前が語られています。20章4節に「ピロの子でべレア出身のソパトロ」とあります。このソパトロを筆頭に名前が並べられている何人かの人たちは、第三回伝道旅行の終わりに、パウロが、生命の危険をも顧みずにエルサレムに上ろうとしている、そこに同行した人々です。つまりパウロの最も親しい協力者たちです。その筆頭にべレア出身のソパトロの名前があげられているのです。そしてこのソパトロは、先程のローマの信徒への手紙16章21節において、ヤソンに続いてやはりパウロの同胞とされている「ソシパトロ」と同一人物ではないかと考えられるのです。もしそうなら、このソパトロもヤソンと同じくパウロと同郷ということになります。やはり想像をたくましくするならば、パウロはテサロニケからべレアへ行く時に、ヤソンから同胞のソパトロを紹介され、彼のもとに身を寄せたのではないか、と考えられます。そのようにして、このソパトロの家がべレアでの伝道の拠点となったのではないだろうか、これもまた楽しい想像です。パウロとヤソンとソパトロの間にこのようなつながりがあったというのは想像でしかありませんが、しかしこれらの個所からはっきり言えることがあります。それは、パウロの伝道旅行、それによって多くの町々にキリストを信じる者たちの群れ、即ち教会が生まれたあのすばらしい伝道旅行は、決してパウロや彼に同行したシラス、テモテといった伝道者たちだけの働きによってなされたのではない、ということです。行く先々の町に、自分の家を伝道の拠点として、パウロらが去った後もその町の信者たちの中心となって伝道を続け、教会の核となっていった人が与えられたのです。フィリピにおいてはリディア、テサロニケにおいてはヤソン、べレアにおいてはソパトロ、これらの人々の働きによって、教会は次第にその地に根を下ろし、迫害に負けずに発展して行ったのです。使徒言行録はこれらの人々のことをもしっかりと見つめています。伝道は決して伝道者のみによってなされるのではありません。いやむしろ、パウロらはそれぞれの町に本当に短い期間しか滞在していません。テサロニケもべレアも、ほんの数週間、長くてもせいぜい数か月という感じです。後は、その期間に信じた人々がその地での伝道を続け、教会を守り育てていったのです。初代の教会における伝道は実はこのように信徒の人々が担っていたのだ、ということを私たちは知っておきたいのです。

聖書は何を語るか
 さて以上が、本日の個所に語られている、テサロニケとべレアでの伝道の有り様ですが、次にその伝道の内容に目を向けていきたいと思います。パウロらは何を、どのように宣べ伝えたのでしょうか。もう一度、2、3節を読んでみたいと思います。「パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、『メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた』と、また、『このメシアはわたしが伝えているイエスである』と説明し、論証した」。彼は「聖書を引用して論じ合」ったとあります。直訳すれば「聖書に基づいて論じ合った」です。つまり、聖書に何が書いてあるか、聖書は何を語っているか、を論じたのです。この場合の聖書は私たちで言うところの旧約聖書です。まだ新約聖書は書かれていません。「聖書」と言えば、ユダヤ人たちが信仰の土台としていた旧約聖書のことです。その旧約聖書が本当に語っていることは何なのかを明らかにすることが、パウロの伝道でした。ユダヤ人たちのコミュニティーにおいて先ず伝道を始めたのはそのためでもあります。旧約聖書を代々受け継ぎ、それに基づいて生きているのがユダヤ人です。その彼らに、旧約聖書において神様が指し示し、約束しておられたことは何だったのかを告げることからパウロの伝道は始まったのです。

神様のご計画
 旧約聖書において神様が指し示し、約束しておられたこと、それは先ず第一に、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」ということです。「メシア」と訳されているのは「キリスト」という言葉です。口語訳聖書では「キリスト」となっていました。それは名前ではなくて、神様がイスラエルの民に遣わすと約束して下さっていた救い主を意味する称号です。その救い主は、必ず苦しみを受け、そして死者の中から復活する、ということが旧訳聖書に約束されていたのだ、とパウロは語ったのです。「必ず」というのは、「そうなる運命にある」ということではなくて、もっと積極的に、「それが神様のみ心である」ということです。神様は、私たち人間の罪を赦して救いを与えて下さるために、救い主が人間の罪を全てその身に負って苦しみを受け、殺され、そして復活することをみ心の内に決意しておられたのです。神様の救いは、人間が自分の罪を自分の力で努力してぬぐい去り、清くなることによってではなくて、神様の遣わして下さる救い主が、人間の身代わりとなって死に、そして復活して下さることによって与えられる、そのように神様が決意なさったのです。聖書には、その神様のご決意、言い換えれば私たち人間に対する限りない愛が語られ、示されています。旧約聖書において神様が指し示し、約束しておられたこととしてパウロが語った第一のことはこれです。

聖書を語る伝道
 そして第二のことは「このメシアはわたしが伝えているイエスである」ということです。救い主が苦しみを受け、死者の中から復活することによって救い主としての務めを果たして下さるという神様のみ心、ご決意が、主イエス・キリストにおいて、その十字架の死と復活において実現した、パウロはそのことを、聖書に基づいて説明し、論証したのです。それがパウロの伝道の内容でした。つまり彼の伝道は、何か目新しい、人々を驚かせるような思想を語ることでも、あるいは「このように生きなさい」という処世訓、倫理や道徳を語ることでもなく、聖書が語っていることを明らかにし、あくまでも聖書に基づいて語り、論じ、説明し、それ以外のことは語らない、という伝道だったのです。彼はそのように聖書を語ることによって、神様の救いの約束が主イエス・キリストにおいて実現していることを宣べ伝えようとしたのです。それは決して華やかな伝道ではありません。人の心を熱狂させ、大向こうをうならせるような教えではあり得ない、むしろ大変じみな、見栄えのしないことです。けれども、この聖書に基づく、聖書のみを語る伝道が、何人かの人々の心を着実に動かしたのです。「それで、彼らのうちのある者は信じて」とあります。この「信じて」は口語訳聖書では「納得がいった」と訳されていました。彼らは、パウロの語る聖書の解き明かしを聞いて、「本当にそうだ」と納得したのです。彼らは、パウロの思想に共鳴を覚えたのではありません。聖書に語られていることに、本当にその通りだ、と頷いたのです。彼らを納得させたのはパウロではなくて、聖書だったと言うべきでしょう。
 その中の多くの人はギリシャ人だった、ということに注目したいと思います。ユダヤ人ではない彼らにとって、聖書は全く外国の書物です。勿論このギリシャ人たちはユダヤ人たちの会堂に出入りし、その教えを聞いていたのですから、旧約聖書に触れ、親しんでいた人々です。然し聖書の背景であるユダヤ人の歴史や文化、またユダヤの地の気候風土は彼らには全く見知らぬ世界です。また今日の私たちのように、例えばエルサレムがどんな所かを写真やビデオで見るということもありません。つまり彼らは、旧約聖書に語られている世界とは全くかけ離れた世界を生きているのです。そのギリシャ人たちの多くが、聖書の語るイエス・キリストによる救いに納得し、信じたのです。そして彼らよりもずっと聖書の背景に詳しく、その伝統に生きてきたはずのユダヤ人たちが、納得せずに激しく反対し、パウロらを迫害したのです。そういう不思議なことが起っています。しかしまさにこれが聖書の持つ力であり、聖書に基づく伝道がなされるところに起ることなのです。皆さんはひょっとしてこんなふうに思っていないでしょうか。「聖書は遠い外国の、しかもとても古い書物だから、日本人であり、現代を生きる私たちにはなかなか分からない、理解することが難しい」。細かい一つ一つの事柄においては確かにそういうこともあるでしょう。しかし聖書が本当に語ろうとしていること、パウロがここで宣べ伝えた、救い主イエス・キリストの十字架の苦しみと死と復活とによる神様の救いの恵みに関してはそんなことは全くありません。民族的、文化的な背景や知識、たとえば聖書の舞台となった場所に実際に行ってみたことがあるかどうか、というようなこととは全く関係なく、私たちは聖書の語る主イエス・キリストの福音を理解し、納得し、信じることができます。この福音によって生かされることができます。そしてこの福音が分かることこそ、聖書が分かることです。逆に、聖書を古代の文献としてどんなに学び、研究し、語られていることの背景についての知識をどれだけ蓄えても、福音が分からなかったら、聖書が分かったことにはならないのです。

素直に御言葉を受け入れるとは
 さてパウロらはべレアでも、全く同じようにユダヤ人の会堂に入って伝道しました。11節には、「ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ」たとあります。べレアのユダヤ人たちはパウロらの語ったことちゃんと受け止めたのです。しかし「素直に御言葉を受け入れる」とはどういうことなのでしょうか。パウロらが語ったことを何でも鵜呑みにした、ということでしょうか。そうではありません。11節の後半には、「非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」とあります。そしてそのような人々のうちの多くの者が信じたと12節につながっているのです。「そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」、これが、素直に、そして熱心に御言葉を受け入れた者の姿です。毎日聖書を調べ、パウロの語った福音が本当にその通りか、つまり聖書が本当にそう語っているのかどうかを調べていく、これが信仰における素直さ、熱心さなのです。パウロは先程申しましたように、聖書が語っていることを解き明かし、そこに救い主の苦しみと死と復活による神様の救いの実現が約束されており、その約束が主イエス・キリストにおいて実現したことを語ったのです。そのパウロの解き明かしを聞いた人々は、パウロが語った救いの知らせ、福音を、自分でも聞き取ろうとして、日々聖書を開き、真剣に読んでいったのです。そのようにして彼らは信仰を与えられていったのです。もしも彼らが、「パウロ先生の説教はすばらしい。この説教を聞けば信仰が養われる。来週もパウロ先生の説教を聞きに来よう」と思うだけで、自分で聖書を読もうとしなかったらどうでしょうか。パウロ先生が次の町に行ってしまったとたんに、彼らの信仰は補給を断たれてたちまち干上がってしまったでしょう。それでは、パウロの語ったみ言葉を素直にちゃんと聞いたことには全くならないのです。神様のみ言葉を本当に聞くためには、勿論礼拝において、聖書の解き明かしである説教を真剣に聴くことが第一です。しかしそのことは、私たち一人一人が、日々聖書に向かい、礼拝において解き明かされた神様からのメッセージを自分でも確かめ、味わい、深くそれを受け止め、生活の中でみ言葉を体験していく、という歩みを生み出すのでなければ、本当にみ言葉をしっかりと聞いて生きることにはならないでしょう。それは何も、一人一人が毎日聖書研究をせよ、ということではありません。大切なのはそのような勉強ではなくて、聖書が私たちに語っていること、独り子イエス・キリストの十字架の死と復活によって神様が私たちの罪を赦して下さり、恵みの下で新しく生きる者として下さっているという救いの知らせ、言い換えるならば神様の愛の知らせ、喜びのおとずれ、福音を、しっかりと聞きながら生きて行くということです。その福音を私たちに語りかけてくれるものはこの世に聖書以外にはありません。聖書は神様が私たちに宛てて情熱を込めて書き送って下さった愛の手紙です。ラブ・レターです。私たちはこのラブ・レターを毎日読み返して、神様の愛を確かめつつ生きるのです。神様が情熱を込めて書き送って下さったこの聖書に、私たちも情熱をもって向かい、そこに語られていることを聞き取っていくのです。

聖書への情熱
 私たちの教会の創立者であるヘボンは、幕末の日本に来て、日本語の言葉を一つ一つ集めて、辞書を作りました。それは、聖書を日本語に翻訳するためです。聖書こそ、日本の人々に神様の救いの恵みを示し、その恵みに生きる喜びを与える、聖書こそ日本の人々にとって本当に必要なものだという確信と情熱によって彼は歩んだのです。私たちはヘボンのこの聖書への情熱を受け継ぐ群れでありたいのです。私たちの信仰が、聖書への情熱に満たされ、聖書が何を語るかを真剣に聞き取ろうとして聖書に向かっていく信仰となるならば、そのことによって、私たちの、この世の様々な事柄、思想であれ宗教であれ政治的主張であれ、それらを見分ける目が養われていくのです。美術品などを鑑定する仕事の基本的な修行は、本物を、本当によいものだけを数多く見ることだと言います。そうすることによって、偽物を見分ける目が養われるのです。偽物を見た時に、これは何かおかしい、と感じることができるようになるのです。聖書は、まさに本物です。神様が私たちに、ご自身の愛を知らせるために、情熱を傾けて語りかけておられるみ言葉です。この聖書のみ言葉こそ、私たちの道の光、私たちの歩みを照らす灯です。聖書が何を語るかを聞き取ろうと、情熱をもって聖書に向かっていくことによって、私たちの目は養われ、偽物にまどわされることがなくなります。独り子の命をすら与えて下さる神様のまことの愛を知り、その愛に生かされ、その愛に生きる者とされていくのです。

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