「過越の食事」 牧師 藤掛順一
・ 旧約聖書: 出エジプト記 第12章1-20節
・ 新約聖書: ルカによる福音書 第22章1-13節
・ 讃美歌:19、280、457
主イエスを殺そうとする者たち
ルカによる福音書は第22章からいよいよ、主イエスの受難、十字架の死の話になります。2節に、祭司長たちや律法学者たちが、主イエスを殺そうと考えていたとありますが、そのことは既にこれまでにも繰り返し語られていました。例えば19章45節以下の、エルサレム神殿に入った主イエスがその境内で商売をしていた人々を追い出したという出来事においても、47節に、祭司長、律法学者、民の指導者たちがイエスを殺そうと謀ったとありました。ユダヤ人の指導者たちの間には、主イエスに対する殺意がふくれあがっていたのです。しかしそれを実行に移すことはなかなかできずにいました。本日の2節に「イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた」ありますが、それは、殺したいのだがどうしたらよいのか、なかなかそれを実行に移す機会がなくて困っていた、ということです。なぜそれを実行できなかったのか、その理由はその後に語られている「彼らは民衆を恐れていたのである」ということです。民衆を恐れるがゆえに、主イエスに手を出すことができなかったのです。それは19章の時も同じでした。「イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである」とありました。主イエスは民衆に人気があったのです。そのことは21章の終わりの38節にも語られていました。「民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た」のです。エルサレムに来られて以来主イエスは、毎日神殿の境内で教えておられました。そこは祭司長、律法学者ら、主イエスを殺そうと思っている人々の本拠地、お膝元です。なぜそんな所でわざわざ、と思ったりもしますが、しかしそこは同時に多くの民衆が集まる所であり、その人々が喜んで主イエスの話を聞いている限り彼らも手を出せない、そういう意味では最も安全な場所でもあったのです。民衆の支持を失うことを恐れている指導者たちは、彼らの面前で主イエスを捕えることができなかったのです。
ユダの手引きによって
そういう前提を確認することによって、3節の「しかし」という言葉の意味がはっきりします。主イエスをどうやって捕えたらよいか考えあぐねていた祭司長や神殿守衛長のもとに、主イエスの十二人の弟子の一人であった、イスカリオテと呼ばれるユダが行って、主イエスを彼らに引き渡す相談をもちかけたのです。それは6節にあるように、「群衆のいないときにイエスを引き渡そう」という相談です。彼らは喜んで、ユダに金を与えることに決めました。イエスの側近であるユダの手引きがあれば、民衆の見ていない所でイエスを捕えることができる、そしてこの時ユダヤを支配していたローマ帝国の総督ピラトに引き渡してしまえば、後はピラトがローマの権力によってイエスを殺してくれるだろう、かねてから願っていながら実現できずにいたイエスの抹殺がこれによって可能になる、と彼らは小躍りして喜んだのです。このように、弟子の一人であるユダの裏切りによって、主イエスの十字架の死への動きが俄に加速していったことがここに語られているのです。
過越祭、除酵祭
そのように主イエスの受難の話に具体的に入っていくのに際して、ルカが1節で確認しているのは、「過越祭と言われている除酵祭が近づいていた」ということです。この祭が近づいてくると共に、主イエスの受難への動きが加速していったことを、これはルカのみならず他の福音書も皆語っています。主イエスの十字架の死は、過越祭ないし除酵祭の時に起ったのです。これは単にそういう時期に起ったという季節感を示すための記述ではありません。この祭の持っている意味が、主イエスの受難、十字架の死と深く結びついているのです。それを知るために私たちは先ずここで、「過越祭と言われている除酵祭」という祭について確認しておかなければなりません。この祭が行われるようになった起源とその意味を語っているのが、本日共に読まれた旧約聖書の箇所、出エジプト記の第12章です。その2節にこうあります。「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい」。つまり過越祭ないし除酵祭が行われるこの月が、イスラエルの民の新年、正月と定められたのです。それは、イスラエルの民が新しく歩み出す、という重大な出来事がこの月に起ったからです。その重大な出来事とは、それまで奴隷として苦しめられていたエジプトからの解放です。出エジプト記はその出来事を語っているのです。主なる神様によって遣わされたモーセは、主なる神様がエジプトに下す数々の災いを告げ、イスラエルの民の解放を要求しました。しかしエジプト王ファラオはなかなか解放を認めませんでした。最後に行われたみ業、このことによってイスラエルの民はエジプトの奴隷状態から解放された、その決定的なみ業がこの12章に語られているのです。そのみ業とは、エジプト中の初子、最初に生まれた男の子を、人も家畜も含めて、神様が全て撃ち殺すということです。それまで様々な災いを体験しても頑なにイスラエルの解放を拒んでいたファラオも、この決定的な災いによってついに屈服したのです。そしてこの恐ろしいみ業を行なうに際して主なる神様は、イスラエルの民に、それぞれの家で小羊を屠り、その血を家の入り口の柱と鴨居に塗るようにお命じになりました。その血の印がイスラエルの民の家の目印となって、神様はその家を何もせずに通り過ぎたのです。そのようにして、エジプトの全ての初子が撃ち殺されたのに、イスラエルの民の中には一人も死んだ者はいなかったのです。この出来事によって、イスラエルの民のエジプトからの解放が実現したのです。小羊の血の印によって神様がイスラエルの民の家を通り過ぎる、それが「過越」です。そのことによってエジプトの奴隷状態からの解放という救いが与えられたことを記念して、この月がイスラエルの正月と定められ、「過越祭」を行うことが定められたのです。そこでは、小羊が屠られ、その血が家の入り口の柱と鴨居に塗られます。そしてその小羊の肉と、その他いくつかここに定められているものを、家族みんなで食べる、それが「過越の食事」です。この過越の食事を共に食べることによって、主なる神様の大いなるみ業によってエジプトの奴隷状態から解放された、その救いを思い起こし、感謝し、主なる神様の民としての自覚を深める、それが過越祭です。そしてその過越祭は除酵祭をも伴うものであることがやはりこの12章の17節以下に語られています。過越祭から七日の間、酵母を入れないパンを食べるというのが除酵祭です。なぜ酵母を入れないパンを食べるのか。それはこの12章の39節に語られています。そこにはこうあります。「彼らはエジプトから持ち出した練り粉で、酵母を入れないパン菓子を焼いた。練り粉には酵母が入っていなかった。彼らがエジプトから追放されたとき、ぐずぐずしていることはできなかったし、道中の食糧を用意するいとまもなかったからである」。過越の出来事によって恐れを抱いたファラオは、イスラエルの民を解放すると言うよりもむしろエジプトから追放したのです。そのために彼らは急いで出発しなければならなかった、酵母を入れてパンを発酵させている時間がなかったのです。そのことを記念するために酵母を入れないパンを食べるのです。ですから除酵祭も、過越祭と同じく、主なる神様によるエジプトの奴隷状態からの解放を記念し、感謝し、その救いを与えて下さった主なる神様の民としての自覚を深めるために行われるのであり、この二つの祭は分ち難く結びついているのです。
主イエスこそ過越の小羊
この過越祭と除酵祭が、主イエス・キリストの十字架の死とどのように結びついているのか、そのことは、主イエスが弟子たちと過越の食事を共になさったことを語っているこの後の所、14節以下を読むことによって、つまり来週の礼拝においてはっきりと示されていきます。しかし本日も少し先取りする形でそれを見ておきたいと思います。結論から言えば、主イエスこそ、私たちのために屠られた過越の小羊であられる、ということです。過越の小羊は、イスラエルの民がエジプトから解放され、神様の民として新しく生き始めるために犠牲となって殺されます。この小羊の死によって、神様による救いのみ業が実現するのです。それは主イエス・キリストの十字架の死によって、罪の奴隷であった私たちが解放され、救われたことと重なります。私たちは生まれつき罪に支配され、その奴隷となっている者です。生まれつきの人間は決して自由な者ではありません。罪の支配は巧妙であって、私たちに、自分が自由な者であり自分の力で生きているかのように思い込ませているのです。自由な者だと錯覚している私たちは、私たちに命を与え、様々な賜物を与えて養い導いておられる神様のことを見つめることなく、感謝することも、まして従うこともなく生きているのです。その結果、自由だと思っている私たちを、実は神様に背き逆らう罪が支配しています。その罪の支配の現れとして私たちは、神様が共に生きるべき者として与えて下さっている隣人を、愛し、受け入れ、良い関係を築いていくことができず、憎しみの思いを抱き、心ない言葉をはき、傷つけ、苦しめるようなことばかりをしてしまうのです。そこに、私たちが罪に支配され、その奴隷となってしまっている現実があります。そして私たちはその罪の奴隷状態から、自分の力で抜け出すことができません。そもそも自分が罪の奴隷になっていることに気付くことすらなかなかできないのです。イスラエルの民がエジプトの支配から自らを解放することができなかったように、罪の支配は私たちをがんじがらめに縛り付けています。そこからの解放は、神様の力、み業によってしか実現しないのです。そのために神様は、独り子イエス・キリストを遣わして下さいました。まことの神であれる主イエスが、私たちと同じ人間となって下さり、私たちの全ての罪を引き受け、背負って、十字架にかかって死んで下さったのです。イスラエルの民の初子の代わりに過越の小羊が死んだように、主イエス・キリストが私たちの身代わりになって死んで下さったのです。この主イエスの十字架の死によって、私たちの過越が実現し、罪の奴隷状態からの解放、罪の赦しの恵みが神様によって与えられたのです。イスラエルの民がエジプトの奴隷状態から解放された、過越の出来事を中心とするその救いは、主イエス・キリストによって私たちが罪の奴隷状態から解放され、赦しを与えられる、その救いを先取りし、予告し、指し示していたのです。
祭司長や律法学者たちの思いを超えて
主イエスの十字架の死が、過越祭ないし除酵祭の時に起ったということは、それゆえに大変意味深いことです。イスラエルの民は、過越祭、除酵祭を守りつつ、主なる神様によるこの救いの出来事を記念し、感謝し、それにあずかる民として歩んできました。これらの祭が先取りし、予告し、指し示していた救いが、主イエスの十字架によってこそ実現、完成したのです。それゆえに、主イエスの十字架は、過越祭、除酵祭の時にこそ起るべきことだったのです。祭司長や律法学者たちは、なんとかして主イエスを殺してしまおうと思っていましたが、民衆を恐れていたので手が出せませんでした。過越祭、除酵祭の時というのは、多くの民衆がエルサレムに集まって来る時です。だからこの祭の間はまずい、それが終わってから何とかしよう、と彼らは考えていたのです。そのことはマタイ、マルコ福音書にははっきり語られています。ルカには彼らのそういう言葉は出てきませんが、「彼らは民衆を恐れていたのである」ということから必然的に出てくるのは、過越祭、除酵祭が終わったら、ということなのです。それゆえに、3節の「しかし」が大きな意味を持っています。ユダが手引きを申し出たことによって、民衆の見ていない所でイエスを捕える可能性が生まれたのです。その結果、この祭のさなかに、主イエスの十字架の死が実現していったのです。主イエスの十字架は祭司長や律法学者たちの思いの実現でしたが、しかし彼らのもともとの思いにおいては、それは過越祭、除酵祭の後に起るべきことだったのです。ところが、彼らの思いに反してと言うか、思いがけない仕方で、この祭の間にそれが実現することになったのです。
サタンの策略を超えて
そのきっかけを作ったのがイスカリオテと呼ばれるユダでした。ユダの裏切りによって、主イエスは過越祭、除酵祭のさなかに十字架につけられることになったのです。このユダは聖書を読む人々の間に古来様々な興味を引き起こしてきました。ユダについて語っている書物は大変多く、他のどの弟子よりも関心を持たれていると言ってもよいでしょう。ユダはなぜ主イエスを裏切ったのか、その思いは何だったのか、ということから始まり、先ほど申しましたことからすれば、ユダの裏切りによって主イエスが過越祭、除酵祭の間に十字架につけられるという意味深い出来事が実現したのだから、ユダはむしろ救いの出来事のための功労者ではないか、という問いも生じます。後には「ユダの福音書」というのも書かれて、ユダこそ実は主イエスの最も信頼していた弟子であり、主イエスがユダに命じて自分を裏切らせ、十字架の死が実現するようになさったのだ、ということが語られたりもしました。しかし教会が正典として受け入れた文書、つまり私たちが「聖書」として読んでいる諸文書においては、ユダのことは大変控え目にしか語られていません。つまり聖書は、ユダのことにそう深い関心を寄せてはいないのです。ルカはこの福音書の続きである使徒言行録の第1章で、ユダの悲惨な死を語っていますが、それだけです。つまりルカは、ユダが主イエスを裏切り、その報酬として金を受け取り、最後は悲惨な死を遂げた、ということのみを語っているのです。そのような控え目な語り方の中で、ひときわ目立っている言葉が3節にあります。「しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った」。この「ユダの中にサタンが入った」ということは、ルカのみが語っているのです。この言葉によってルカは何を見つめているのでしょうか。それは、ユダの裏切りはサタン、悪魔の働きによって起ったということです。ユダの裏切りは、彼が金目当てに人を裏切る極悪人だったとか、主イエスに恨みを抱いていたとか、あるいはむしろ主イエスがローマの支配からイスラエルの民を解放する救い主として立ち上がるのを促すために裏切ったのだとか、そういうユダの心の中の思いによってではなく、サタンの力、働きによって起ったのだ、ということです。そういう意味ではそれはユダでなくてペトロでもヨハネでもよかったのだと言えるでしょう。そこから私たちが聞き取るべきことは、私たちの誰にでも同じことが起るということです。ユダのことを特別な悪人と考えてしまうことは、自分はユダほどの悪人ではない、という根拠のない安心感につながりかねません。しかしそれは違うのです。私たちの誰もが、サタンに支配されて主イエスを裏切る者となり得るのです。ルカは一方でそういうことを語ろうとしているのだと思います。しかし他方このことは、サタン、悪魔の力によって、あろうことか十二人の弟子の中から裏切る者が出て、主イエスが捕えられ、十字架にかけられて殺されてしまった、その悪魔の支配の現実の中で、主イエスが私たちのための過越の小羊として、まさにその過越祭、除酵祭のさなかに死んで下さるという救いのみ業が実現した、ということでもあります。神様の救いのご計画が、サタンの思い、力、策略をも用いて実現している、そのことをルカは語ろうとしているのです。
過越の食事を準備する
7節以下には、主イエスがペトロとヨハネとを遣わして、過越の食事の準備をさせたことが語られています。「どこに用意いたしましょうか」と問うた彼らに主イエスは、「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい」とおっしゃったのです。二人が行ってみると主イエスのおっしゃった通りのことが起ったと語られています。この箇所をどう読むかはいろいろと説があって、これを主イエスによる一つの奇跡として読む人もいます。しかし必ずしもそのように考える必要はありません。主イエスが前もってこの家の主人に連絡してあって、二階の広間を確保しておられた、その家へと弟子たちを案内する人の目印が水がめを運んでいる男だ、という取り決めがなされていた、と考えても差し支えないのです。大事なことは、主イエスご自身が、弟子たちと過越の食事を共にすることを願い、そのことを、奇跡によってであれ、事前の打ち合わせによってであれ、実行なさったということです。この食事を準備したのはペトロとヨハネですが、この過越の食事は主イエスご自身が弟子たちを招いてあずからせて下さったものだったのです。
主の食卓への招き
祭司長や律法学者たちの殺意と、しかし民衆を恐れる思いをも超えて、また弟子たちの中の一人を裏切らせるというサタンの残酷な意図と力をも用いて、神様は主イエス・キリストが過越祭、除酵祭のさなかに十字架につけられて死ぬという救いの出来事を実現しようとしておられます。それによって、これらの祭が先取りし、予告し、指し示していた救いを実現しようとしておられるのです。この父なる神様の救いのご計画が前進していく中で、主イエスご自身も、過越の食事を用意してそこに弟子たちを招いて下さっています。その食事において、これは来週読むわけですが、過越の小羊として十字架にかかって死んで下さった主イエスの救いにあずかり、また過越の小羊として流して下さった主イエスの血によって神様が結んで下さる新しい契約にあずかるための聖餐を定めて下さったのです。私たちはこれからその聖餐にあずかろうとしています。この聖餐の起原は、主イエスが弟子たちを招いてあずからせて下さった過越の食事にあります。主イエスは私たちのためにこの聖餐の食卓を整え、招いて下さっているのです。主イエスの招きに応えて洗礼を受け、聖餐にあずかりつつ生きるところにこそ、主イエスの十字架の死によって罪を赦され、その支配から解放されて、神様を愛し、そして隣人を愛して生きる道が開かれていくのです。