「彼はわたしの病を担った」 伝道師 岩住賢
・ 旧約聖書:イザヤ書第53章1-12節
・ 新約聖書:マタイによる福音書第8章14-17節
・ 讃美歌:17、326
イエス様がわたしたちの重荷、病、労苦、罪、そのすべてを担ってくださいました。だから今わたしたちは生きています。そして、神様の前で礼拝することができています。そして、イエス様に従って、安心して仕えて歩むものに変えられています。
本日共に読みましたマタイによる福音書8章14節の最初には、「イエスはペトロの家に行き」と書かれています。そのペトロの家はどこにあったかというと、8章5節に出てきた、カファルナウムという町です。この町は、ガリラヤ湖の北の岸辺の町です。ここは部下が病にかかっていてイエス様に救いを求めたあの百人隊長がいた町です。そのカファルナウムの町にあるペトロの家にイエス様はいかれました。するとそこには、ペトロのしゅうとめ、つまりペトロの妻の母親が熱を出して寝込んでいました。イエス様はそのしゅうとめの様子をご覧になって、その手に触れられた。すると熱はさっと引いていき、しゅうとめは元気になった。そして起き上がり、イエス様をもてなした。そのようなことが、14節、15節で語られています。
・百人隊長の家には入らなかった
この14節と15節は、8章5~13節に出てきた百人隊長の部下を癒やした話と見比べると、ある面白いことに気付かされます。イエス様は、百人隊長の部下の癒やしを成し遂げてくださったのですが、その部下のいる百人隊長の家には、行きませんでした。それは百人隊長がイエス様に「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」といったからでした。この百人隊長の言葉の意味は、自分こそが、イエス様の屋根の下、つまりイエス様の権威の下に入らなければならないものだから、イエス様に従うべき私の下に来ていただくことはできませんということで、これは彼の信仰告白でありました。イエス様はその告白を受け、百人隊長の家にはいかず、御自身の御言葉によって、部下を癒やされました。今日の箇所では、イエス様はペトロの家に入っています。ペトロがイエス様の休息場所、宿としてうちを使ってくださいといったのか、イエス様がペトロの家に行きたいと申し出たのか。そこらへんは、聖書が描いていない部分なのでわかりません。しかし、ペトロは、あの百人隊長の言葉を聞いていたであろうから、ペトロがイエス様を自分の家に招くということがどういうことなのか、わかっても良いと思いますが、このときペトロはイエス様が家に来てくださるということが、一体どういうことなのかはわかっていなかったのではないかと思います。おそらく、ペトロは、「百人隊長は異邦人だから、ユダヤ人が待望していたメシアであるイエス様を、家に招くことができないといったのだろう。自分はユダヤ人、しかも弟子だからイエス様を家に招くことができる」と思っていたのではないかと思います。しかし、実際は、百人隊長もペトロも、同じ人であり、同じ罪人であり、イエス様を自分の家に招くことのできるものではないのです。ここで、イエス様がペトロの家に入ったということを、聖書はさらっと書きますが、実際は、本来人の権威の下にいるべき方ではないイエス様が、身をかがめるといいますか、へりくだってくださって、ペトロの家に入ってきてくださっているのです。これは、この世界に神であるイエス様が来てくださった、それも罪を持っているわたしたちと同じすがたになってきてくださったという受肉と自己謙卑の出来事と共通しています。
・ペトロのしゅうとめ
さらに、2つの物語を見比べてみると見えてくることがあります。それは、百人隊長は部下の病の癒やしを、イエス様に懇願して癒してもらいましたが、今回のペトロのしゅうとめの癒やしでは、ペトロも、そしてしゅうとめ本人も、イエス様に癒やしを求めるということをしていないのに癒やされたということです。イエス様は8章にでてくる重い皮膚病や百人隊長の信仰を見て、願いを聞き、癒やしをお与えになっていました。しかし、このペトロのしゅうとめの信仰や願いは口にしておらず、さらにはペトロがもしイエス様が家来ることは当然と考えていたとするならば、イエス様に称賛された百人隊長の信仰とはまったく逆である、ペトロの勘違いと傲慢さだけが明らかになっている所で、癒やしをなさってくださったのです。ここでは、ペトロの考えや意志やペトロのしゅうとめの意志を超えて、イエス様御自身の決断、それは、誰かに求められたのではなく、イエス様のご自分のご意志により、へりくだってくださり、ペトロの家に入ってくださり、苦しんでいるしゅうとめに出合い癒やすという一方的な決断によって、しゅうとめは救われたのです。
ペトロのしゅうとめということは、ペトロの嫁の母です。わたしは、ペトロの嫁の母にまで、癒やしが及ぶということに驚きを覚えました。ペトロの嫁の母というのは、ペトロからすれば血の繋がっていない親族です。ペトロにとっては自分の妻と出会うことがなければ、他人であった人です。イエス様がペトロの家に入ってくださった。つまり、イエス様がペトロと出会い、ペトロがイエス様を信じ従うようになった時、血の繋がっていない自分の隣人、血は繋がっていないが愛すべき一人の対象を癒してくださったのです。わたしをこの所を黙想している時に、ペトロと自分を重ね合わせて考えていました。私は、私の妻のお母さんのことを思いました。私の妻のお母さんはまだクリスチャンでありません。私の妻の家は、妻以外はクリスチャンではありません。ですから、わたしたちは、わたしの妻の家の人々がイエス様を信じ、救いに入れられていることを確信できますようにと、いつも祈っています。わたしが、この時のペトロと自分を重ね合わせた時にあることを神様から気付かされました。それは、私の妻の母親も、さらには、私の妻の家の一人ひとりを、イエス様はしっかり見つめてくださっているということです。イエス様はペトロの家に来て、ペトロのしゅうとめを御覧になっておられました。わたしがペトロと同様に何もわかっていないで、「イエス様共にいてください、私の家を来て私の家を導いてくださいと」、ある意味恐れ多きことを祈り願っていた時に、また祈り願う前から既にイエスは私の家、つまり私に関係している人々の間に来ていてくださり、御覧になっていてくださるということを知ったのです。私と関係している人々が今はまだクリスチャンではないということで、見捨てられているということは決してないということを知ったのです。イエス様は御覧なってくださっているのです。ペトロは、イエス様に願っても、頼んでもいなかったのに、イエス様は、イエス様の方からしゅうとめと近づいてくださいました。しゅうとめ本人もイエス様に近づこうとしているわけではなかったんです。求めることをしていないし、従うと告白もしていないいるしゅうとめに対して、苦しんでいるしゅうとめに対して、イエス様は手を伸ばし、しゅうとめの手に触れてくださいました。伸ばされていないしゅうとめの手に、イエス様が手を伸ばし触れてくださったんです。そうして、しゅうとめは癒やされました。だから、わたしの妻の母にも、妻の家の一人ひとりにも必ず、イエス様は手を伸ばしてくださると確信しました。「救いの範疇に確実に入れられている。だから、なおも、わたしの妻の家の人々がイエス様を信じ、救いに入れられていることを確信できますようにと」求め続けよう、あの百人隊長のようにイエス様に求めようと思います。
ペトロの嫁の母は、癒やされた後に、直ぐに起き上がってイエス様をもてなし始めました。これまで、イエス様との関わりがなかったしゅうとめが、イエス様に触れられて癒やされたのだとわかった時、イエス様に仕えるものに、変えられたのです。わたしたちも、わたしたちのまわりのものも、イエス様が一方的に伸ばしてくださった手に触れられて、救われたのです。ここで「起き上がって、イエスをもてなした」という「起き上がって」ということばは、死者の中から復活するという意味でも用いられる言葉です。罪に支配されて滅びに定められた者、つまり生きていてもやがて死ぬ死者であるわたしたちが、イエス様に出会い、触れられ、滅ぶのでなく、生きるものに変えられたのです。このしゅうとめは、自分自身に起きたことを受け止めた時、信じてもいなかった、イエス様に今までなにをしてきたでもないわたしが、癒やされたということを知った時に、イエス様をもてなしたいと素直に思いました。わたしたちも、同じです。わたしたち自身が、イエス様の救いを信じる、またイエス様対して何かしたわけではないのに、2000年程前のあの十字架の出来事によって、一方的に罪赦され、癒され、滅びで終わるはずの定めから解き放ち、永遠の命に与ることのできるという真の癒しと救いを、既に与えられているのです。しかし、それを受け止めるということがなければ、そのことを信じるということがなければ、何も意味がありません。ペトロのしゅうとめが手を触れられて熱が引いたのに、「そんなことありえない、信じられない」と思っていたのならば、起き上がるということはなかったでしょう。わたしは、本当にこの方に触れられて癒やされたのだと確信したから、彼女は起き上がったのです。ここにいるわたしたちも、イエス様に既に触れられています。しかし、それを信じていないのならば、まだ寝たきりと同じ状態なのです。信じて受け止めたものは、このしゅうとめと同じように、本当に一方的に無償で救ってくださったイエス様に対して、感謝ともてなしをするのです。イエス様のためのもてなしというのは、どんなものであったかは、ここでは語られません。このもてなしは、命をささげて、イエス様に着いていくとか、また全部を捧げてなにかをしたということではないでしょう。おそらくイエス様や弟子たちの食事の準備をし、その寝床を整えた、あるいは彼女は、16節に語られている夜遅くまで病気に苦しむ人々を癒しておられるイエス様に、食べ物や飲み物を差し出したということかもしれません。一杯の水を差し出しただけかもしれません。もてなしというイエス様に仕える働きは、そのようにごく身近な、小さなことの中にもあるのです。その彼女の働きは、主イエスに仕えその働きを支えることで、苦しんでいる多くの人々の癒しのためにも仕える者となることができました。
今わたしたちが、そのようなイエス様に仕えた人々の働きを通して、小さなもてなしをした人の支えを通して、イエス様のみ言葉に触れ、イエス様と出会い、イエス様を信じ、その救いにあずかることができました。今度はわたしたちが、イエス様に仕える者となっていく番です。そのもてなしの方法は人によって様々です。しかし、どんな小さな事柄であっても、イエス様はそれを受け止めてくださり、かつイエス様のなさりたいことのために用いてくださいます。わたしたちの小さな献身も奉仕も、わたしたちの小さな献金も、イエス様は決して無駄にされないのです。わたしたちが神様に献げるすべては、イエス様は救いのために、神様の栄光ために必ず用いてくださります。
・わたしたちの日常的な病が癒やされている下にはイエス様の苦しみがある
本日の箇所の最後の節に、旧約聖書のイザヤ書の引用が書かれています。そのイザヤの言葉というのが、本日共に読みました旧約聖書の個所、イザヤ書53章です。その4節の前半「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに」という言葉がここに引用されています。このイザヤ書53章は、「苦難の僕の歌」と呼ばれているところです。そこには、神様から遣わされた「主の僕」が、人々の苦しみや病を、また人々の背きの罪を身に負って、苦しめられ、裁かれ、殺される。そのことを通して、人々の罪が代わって償われ、赦しが与えられ、神様の救いが実現していく、ということが歌われています。つまりこの主の僕は、人の病を担い、人の罪を背負って、人の身代わりとなって苦しみと死を受けるのです。その主の僕の姿が、この引用によって、この一日全体のお姿と重ね合わされています。この一日というのは、イエス様が山上に登られて山上の説教を語られるところも含まれている長い一日です。8章に登場した重い皮膚病の人、百人隊長の部下、ペトロのしゅうとめ、そして夕方にきたたくさんの病人と悪霊に憑かれているもの、それらの苦しんでいる人々一人一人と徹底的に関わり、癒しを与えられるイエス様、そのために夜更けまで奮闘されるイエス様のそのお姿をここで、イザヤ書の苦難の僕と重ね合わせているのです。その苦難の僕の最後は、人々の病や罪を自分の身に負って苦しみを受け、殺されてしまうのです。
このイエス様の苦しみとわたしたちは、決して無関係ではありません。イエス様はわたしたちの病も担ってくださっています。ここで言われている病というのは、風や病気という肉体的な病のことだけではありません。わたしたちすべての人が持つ罪の結果である死という逃れられない病、死という病がもたらす恐怖、死がもたらす離別、孤独、それらすべてのことを、イエス様はわたしたちのために、わたしのためにかわりに負ってくださったのです。この17節の「病を担った」の「担った」という言葉は、「運び去る」という意味を持っています。つまり、わたしたちの死という病をイエス様が一人で担い、運んで、わたしたちの元から去ったのです。わたしたちが背負うべき、死という病をイエス様は、一人で抱え、わたしたちの元から去られたのです。孤独となられ、そしてすべての人の病を負ったイエス様は、お一人で十字架まで歩き、その病を持ったまま死なられたのです。ここで最も根本的で重要な意味での病は、死ということでしょう。しかし、この病ということは、決してわたしたちの肉体的な病、それは風邪であったり、体の不調であったり、または、心の病、精神的な病も、このイエス様のになった病と無関係ではないでしょう。
・すべての恵みの下にイエス様の苦しみの業がある
わたしたちは、神様から、日々の糧を与えられていることも、守られていることを感謝します。または時に大きな病からの回復、特に自分の手に終えないような大きな病からの癒しの時は感謝するかと思います。しかし、わたしたちはもっと、小さな病のことについても、神様に感謝できるのではないかと思います。わたしたちは、小さな風邪であったりすれば、自分の自己治癒の力で治ったとか、薬の力で治ったとか、そう思っています。しかし、実は、自分の体の力で病が治った背景には、神様がその体を創造してくださったということがあります。さらに言えば、イエス様が十字架におかかりになってくださらなければ、人と神様の関係は回復されず、肉体的な病や精神的な病を癒やすということすらもなかったのではないかと思います。つまり、神様が独り子を世に送って犠牲にしてくださるような愛がなければ、わたしたちが今、小さな病が癒やされるということもなかったのです。愛がなかったのならば、つまり救おうと神様が思わなければ、わたしたちは滅びですから、神様にとってその小さな病を癒す必要などはないのです。今わたしたちが、肉体的や精神的な病が癒やされということが起きるこのことも、その根本には、イエス様の犠牲があるのです。つまり、わたしたちは、日常の小さな病が癒される、ケガがなおる、そのような小さなことに対して感謝できるのです。その小さな病の癒やしを通して、イエス様の犠牲を思うことができるのです。
・イエス様はわたしたちの病くをわたしたち以上に知っていてくださっている
イエス様御自身が、わたしたちの小さな病も大きな深刻な病も、味わってくださいました。ですからイエス様が誰よりも、病のことを知ってくださっています。イエス様は、わたしたちの病の姿を見て、わたしたちよりもその深刻さを気付いてくださっています。わたしたちが病に掛かっているかどうかもわかない時でも、イエス様はわかってくださっています。わたしたちは、死という病を知っているようで、目をそむけています。そのわたしたちの病気の状態が深刻であり、重たいということを、わたしたちよりもイエス様が感じられています。そのわたしたちの死という病に対して、イエス様が覚悟と決意をもって今手を伸ばしてくださっています。そして触れてくださっています。その死の病を担って運び去ってくださっています。
今からわたしたちは、聖餐の恵みに与ります。ここには、イエス様が十字架で流された血と裂かれた御自身の体が表わされています。つまりイエス様の死が示されています。わたしたちの病のために、流された血と裂かれた肉が象徴的に示されて、さらにそれをわたしたちが食すことで、今もなお、わたしたちの病のために、イエス様が十字架にかかってくださったということを、再確認することができます。さらにこの聖餐を通して、今もなお、わたしたちはイエス様のこの犠牲によって、自分の病が癒やされているという恵みを知ることができます。さらに先にある死という病を終わりの日に完全に癒され、復活するという恵みが約束されていることを、体で味わうことができます。今日与えられる御言葉と聖餐を通してイエス様の十字架と復活の恵みに感謝し、この感謝をもって、一週間の旅路を歩んでまいりたいと思います。