「主の栄光に導かれ」 牧師 藤掛順一
・ 旧約聖書: 出エジプト記 第40章1-38節
・ 新約聖書: マルコによる福音書 第15章33―39節
・ 讃美歌 : 22、392
退屈な、読みにくい箇所
私が夕礼拝の説教を担当する日は、旧約聖書からみ言葉に聞いています。2003年の9月にこの教会に着任してすぐに、創世記の最初から読み始めました。今9年目を歩んでいるわけですが、本日をもって出エジプト記を読み終えることになったわけです。出エジプト記は、前半は、エジプトで奴隷とされていたイスラエルの民が、主なる神様によって遣わされたモーセに導かれて脱出する、という物語です。エジプト王ファラオがイスラエルの解放を頑なに拒んだために様々な災いが下されたこと、最後にいわゆる「過越」の出来事によってエジプトを出ることができたこと、しかしそれも束の間、前には海が立ち塞がり、後ろからはエジプトの戦車部隊が追って来るという絶体絶命の危機において、海の水が分かれて道が出来、向こう岸に渡ることができたことなど、手に汗握る物語となっています。イスラエルの民が荒れ野を旅していき、シナイ山において主なる神様が彼らと契約を結んで下さった、というあたりまではそのように物語として大変面白く読めます。ところが後半に入ると、物語的な要素が次第に少なくなり、読んでいて退屈に感じられてくる、ということを誰もが体験するのではないでしょうか。出エジプト記は本日の40章までですが、まん中の20章に、シナイ山において主が十戒を与えて下さったことが語られています。そのあたりからは、神様の律法、掟を語る部分のウエイトが非常に大きくなっていくのです。32~34章は、モーセが山の上で十戒を授かっている間に、麓で待っていた民が、金の子牛の像を造り、それを神として拝む罪を犯したことと、それによって生じた一連のことを語っているやはり物語的な所ですが、そこを除いた残りはほぼ、神様からの命令の言葉となっていて、正直言ってかなり退屈です。旧約聖書を通読するに際して、ここを乗り切れるかが一つの山となるのです。
中でも25章以下には、「幕屋」と呼ばれるものの建設についての指示が語られています。そこに置かれるべき備品一つ一つの寸法や形、材質までもが事細かに指示されています。また幕屋そのものの大きさ、構造、どのような部品でどのように建てるかという手順などが語られています。先ほど朗読した第40章、最後の章は、この幕屋が、イスラエルの民がエジプトを出てから二年目の最初の月の一日に建設されたことを語っています。この幕屋の建設をもって出エジプト記は閉じられているのです。この幕屋の形や大きさについての指示は、何を言っているのかよく分からないという印象を与えます。新共同訳聖書は、小見出しを細かくつけたりしてここをずいぶん苦心して訳しており、口語訳よりも大分分かりやすくなったと思いますが、それでもやはりイメージをつかむのはなかなか困難です。そういう文章を延々と読むのはまことに苦痛であるわけで、それでこの箇所は退屈な、読みにくいものとなっているのです。
神の臨在の幕屋
しかしこの幕屋はイスラエルの民の歩みにおいて大変重要な意味を持っています。この幕屋が何のために建てられるのかを語っているのは25章8節です。そこで主なる神様は「わたしのための聖なる所を彼らに造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう」と語っておられます。それを受けて、幕屋に関する細かい指示が語られていくのです。つまりこの幕屋は、主なる神様がイスラエルの民の中に住んで下さるためのものです。神様が共にいて下さる、という恵みがこの幕屋によって与えられるのです。ですからこの幕屋は40章2節にあるように「臨在の幕屋」と呼ばれるのです。主なる神様が民の間に臨在して下さり、共にいて下さり、イスラエルの民が主なる神様の民として歩むための中心がこの幕屋なのです。具体的にはそこで神様への礼拝がなされます。神様が臨在して下さるがゆえに、そこで神様を礼拝することができる、そういう場所としてこの幕屋がイスラエルの民の真ん中に建設されるのです。
幕屋の構造
この幕屋がどのようなものであったかを言葉で語るのは、聖書の記述と同じでなかなか大変なのですが、その概要をつかんでおきたいと思います。幕屋とは要するにテントです。支柱または壁が、布または毛皮で作られた幕を支えている、という構造です。この幕屋は平面図にすれば、東西に長い長方形をしています。外側には、幕で囲まれた庭があります。本日の40章8節に「周囲には庭を設け、庭の入り口に幕を掛けなさい」とあるのがそれです。入り口は東側です。その庭の大きさは、東西約45メートル、南北約22.5メートルです。その庭の中に、「聖所」と呼ばれる幕屋があります。その大きさは東西13.5メートル、南北4.5メートルで、入り口はやはり東側です。その聖所の奥、つまり一番西側は、至聖所と呼ばれる部分で、本日の3節の「あなたはそこに掟の箱を置き、垂れ幕を掛けて箱を隔て」というのがその至聖所のことです。そこには「掟の箱」が置かれているのです。その箱についての詳しいことが25章10節以下に語られていました。そこに示されているように、「掟の箱」の中には、十戒を記した二枚の石の板が収められています。そしてその箱の蓋の部分のことを「贖いの座」と言います。そこには一対のケルビム、それは翼のある天使のような怪物のような存在ですが、それが向かい合って翼を広げています。そして25章22節にはこう語られています。「わたしは掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、わたしがイスラエルの人々に命じることをことごとくあなたに語る」。つまりこの至聖所にある「掟の箱」の蓋である「贖いの座」こそ、主なる神様がご自身を現し、語りかけて下さる場なのです。
至聖所とその手前の部分、聖所とは幕によって隔てられています。この幕については、26章31~33節に語られています。その幕によって、聖所と至聖所とが隔てられているのです。その隔ての幕の手前の部分、聖所の中には、供えのパンを置くための机と、七本に枝分かれした燭台、そして香を炊く祭壇が置かれます。そこは祭司たちがパンを供え、ともし火を灯し、香を炊くという祭儀を行う場所です。40章4、5節にその机と燭台と祭壇のことが語られています。そして聖所の外の東側、つまり庭の入り口から聖所の入り口までの間には、6、7節にあるように、「焼き尽くす献げ物の祭壇」、つまり動物を焼いて神様に捧げるための祭壇と、清めのための「洗盤」とが並べられているのです。聖所に入ることができるのは祭司だけであり、その他の民はこの庭において神様を礼拝するのです。こういう「臨在の幕屋」が建てられたことが、40章17節以下に語られているのです。
礼拝の場
さらにここには、その幕屋で祭儀を行う祭司として、アロンとその子らが聖別されたことが語られています。アロンの一族が、イスラエルの祭司となり、臨在の幕屋での、犠牲をささげたり、供えのパンをささげたりする儀式を司る者とされたのです。このようにして、イスラエルの民において、主なる神様のご命令に従って、神様を礼拝する場所と、そのために仕える奉仕者とが整えられたのです。出エジプト記の後半はそのことを語っているのです。ですから、いささか退屈に思われる所ではありますが、イスラエルの民の、主なる神様の民としての歴史においては大変大事なことがここには語られているのです。
神殿と幕屋
この臨在の幕屋は、後にエルサレムに建てられる神殿の原型となりました。ソロモン王によって建てられた神殿の構造は、今申しました幕屋の構造とほぼ同じです。つまり神殿においても、掟の箱が置かれる至聖所と聖所とが幕によって隔てられ、聖所には供えのパンの机と燭台と香を炊く祭壇が置かれ、その外に犠牲の動物を捧げる祭壇と洗盤が置かれたのです。しかし大きさは、ソロモンの神殿の方が長さにして二倍、面積では四倍になっています。臨在の幕屋を大きくしたものとして神殿が建てられたのです。しかし聖書の研究が明らかにしたのは、事実はむしろ逆であって、神殿をコンパクトにしたものとして臨在の幕屋についての記述が生まれた、ということです。つまり、臨在の幕屋についてのこれらの記述が書かれたのは、イスラエルの歴史のずっと後の時代、バビロン捕囚の時代であると考えられるのです。その時代、ソロモン王が建てた最初の神殿も既に破壊されてありません。イスラエルが主なる神様の民として歩むための拠り所が失われてしまっているのです。その原因はイスラエルの人々が神様に背き、カナンの地の偶像の神々を拝むようになってしまったことにあります。自らの罪によって生じた民族の滅亡の危機の中で、イスラエルの民は、カナンの地に入る前の、主なる神様に導かれて荒れ野を歩んでいた時代のことを、苦しかったけれどもまだ罪に汚れておらず純粋だった時代として理想化していったのです。そしてその荒れ野の歩みにおいて、ソロモンの神殿のミニチュア版である臨在の幕屋が主のみ心に従って建てられ、そこで民は主を礼拝しつつ歩んでいたのだ、という話が生まれ、そこに民族のルーツを見出し、神の民としての再出発の拠り所としようとしたのです。ですから、この幕屋をもとにして後に神殿が建てられたのではなくて、既に失われた神殿を懐かしみつつ、この幕屋の話が語られていったのです。
神の民の理想像
そのことから分かるのは、この臨在の幕屋を中心として、そこにおいて主を礼拝しつつ歩むイスラエルの民の姿は、主なる神様の民が主と共に歩む姿の理想像として描かれているということです。主なる神様の民として、主が共にいて下さる恵みの中を生きるとはこういうことなのだ、という信仰がここに描き出されているのです。私たちは本日の箇所から、その信仰を読み取っていきたいと思います。主イエス・キリストによる救いのみ業を受けて新しい神の民として生きていく私たちも、その信仰を共有することができるのです。
その信仰が具体的に語られているのは、つまり臨在の幕屋を中心として生きる主なる神の民の歩みの理想像を描いているのが、40章の34節以下です。そこをもう一度読んでおきます。「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである」。
主の栄光の臨在
ここで先ず注目したいのは、臨在の幕屋が完成したら、雲がそれを覆ったということです。幕屋は主の指示に従って人間が建てるものですが、その組み立てが終わればそれで完成するのではありません。雲が覆うことによってこそ、臨在の幕屋は本当に完成するのです。雲は主の栄光を表すものです。雲が覆うとは、主の栄光が幕屋に満ちるということなのです。主なる神様は臨在の幕屋において、ご自身の栄光をもって民と共にいて下さるのです。しかしそのご臨在は、神社のご本尊のようにいつもそこにおり、そこに行けばいつでも神様を拝むことができ、願い事をすることができる、ということではありません。そこに満ちているのは主の栄光です。その栄光は雲に覆われていて、人間がこの目で見ることはできません。雲が主の栄光を表すのは、その栄光を人間の目から隠し、見えなくする、という意味においてなのです。つまり主の栄光は、人間がどこかに安置しておいて、都合のよい時に用いることができるようなものではないのです。むしろ人間は、主の栄光の前に立つことなど、本来出来ないのです。35節の「モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである」ということがそれを示しています。モーセですら、主の栄光の前に立つことはできないのです。臨在の幕屋が民の真ん中にあるというのは、この主の栄光と共に常に歩む、ということです。それは、神様がいつも一緒にいて下さるから安心だ、力強い、というのとはいささか違うことです。人間の目で見ることができない、自分たちの思い通りにはならない、栄光に満ちた主なる神様を畏れ敬いつつ、その神様を礼拝しつつ、主のみ心に従って生きる、それがここに描かれている神の民イスラエルの歩みの理想像なのです。
主の示しによる旅
そしてこの、主のみ心に従って生きる、ということが、36節以下においてさらに具体的に示されています。「雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した」とあり「雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった」とあります。彼らは今、神様が約束して下さった乳と蜜の流れる地、約束の地に向けて荒れ野を旅しているのです。その旅の途中のシナイ山において、主なる神様との契約を結び、それに伴って十戒を初めとする律法が与えられ、臨在の幕屋の建設も指示されたのです。しかしこのシナイが目的地ではありません。さらに旅は続くのです。その旅においていつ出発し、どこへ向かい、どこに滞在するかの全ては、これまでも、そしてこれからも、主なる神様がお示しになるのです。これまでは、雲の柱、火の柱が彼らを導いてきました。そのことは13章21節に語られていました。臨在の幕屋が出来てからは、幕屋を覆っている雲が幕屋を離れて昇ることが出発の合図です。そして次の滞在地は幕屋を離れて昇った雲が留まる所です。そこに宿営し、次に雲が昇るまではそこに留まる、イスラエルの民はそのようにして、主の栄光のしるしである雲に導かれて荒れ野を旅していったのです。
ポータブルな礼拝所
このこととの関連で注意しておかなければならない大事なことは、この旅路において、幕屋は、出発のたびに分解されて運ばれて行った、ということです。幕屋の構造が事細かに語られていますが、それはどういう部品をどう組み立てて幕屋を建てるかを示すことによって、出発の時には分解して持ち運び、次の宿営地で再びそれを建てることができるようにしているのです。幕屋の中に置かれるものも全てそのように運んでいくことができるようになっています。「掟の箱」にも、それを担いで運んで行くための棒が付けられているのです。つまり臨在の幕屋は、いつでも分解して移設することができる、ポータブルな聖所です。臨在の幕屋が民の荒れ野の旅において共に移動していくことが、主なる神様が彼らと共に歩んで下さることの印となったのです。
ここに、主なる神様の民であるイスラエルの歩みの理想像が描かれています。神の民は本来、主の導きによって地上を旅していくのです。地上のどこかに定住し、そこに根を下ろしてしまうのではなくて、主の示しによってすぐに旅立ち、次の所へと移動していく、それが主に従う民のあるべき姿です。その旅路において、主の栄光が満ち、主を礼拝することのできる場を持ち運んでいくことが許されている、そのようにして、主が共にいて下さる恵みが示されているのです。この荒れ野の旅のあり方こそ、イスラエルの最も純粋な姿としてここに描かれています。主なる神様を信じ、主の民として生きる信仰者は、この世に定住し、そこに根を下ろすのではなく、常に旅人として生きるのです。目的地は、神様が約束して下さっている神の国、救いの完成です。そこに向けて、荒れ野のようなこの世を、主の導きによって旅していくのです。その旅路において滞在する一つ一つの場所において、主はその都度、礼拝の場を整え、与えて下さるのです。そこに、主が共に歩んで下さっているしるしがあります。そういう意味で、礼拝の場というのは私たちの信仰において本質的に移動可能な、ポータブルなものであると考えるべきです。どんなに立派な教会堂が建てられていても、それが私たちの信仰の拠り所なのではありません。そこでしか主を礼拝できない、などということになってはならないのです。エルサレムに立派な神殿を建てたイスラエルの民は、その神殿があるから神が共にいて下さると考えるようになっていってしまいました。その結果、神殿は破壊され、礼拝の場を失うことになってしまったのです。主の示しがあればいつでもその地を出発し、新たな地で主を礼拝していく、それが主の民の本来の生き方なのです。
聖所と至聖所を隔てる垂れ幕
このように臨在の幕屋を中心として荒れ野を旅していくイスラエルの民の姿に、主なる神様の民の理想像が描き出されており、それは私たちの信仰の歩みにも通じるものであるわけですが、先ほど、主の栄光が幕屋に満ちたためにモーセすらそこに入ることができなかったことを見ました。罪ある人間は本来、主のみ前に出ることはできないのです。幕屋が雲に覆われたことが示しているように、主の栄光を直接見ることもできないのです。イスラエルの民の歴史において最も純粋だった時代においてもそうだったのです。そのことは聖所と至聖所が幕によって隔てられていることにも現されています。掟の箱が置かれた至聖所には、大祭司のみが、年に一度だけ、民全体の罪の贖いの儀式のためにしか入ることはできなかったのです。栄光に満ちた神様と、罪ある人間の間にはそのような断絶があり、神様にやたらに近付くことはできない、そんなことをすれば滅ぼされてしまう、というのがここに描かれている神様と人間の関係なのです。その断絶の象徴が、聖所と至聖所を隔てる垂れ幕です。そのことを理解する時に、本日共に読まれた新約聖書の箇所、マルコによる福音書第15章33節以下の、主イエス・キリストの十字架における死において起った出来事の意味が分かるのです。主イエスが十字架の上で息を引き取られた時、38節にあるように、「すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」のです。この「神殿の垂れ幕」こそ、至聖所と聖所とを隔てている幕です。罪ある人間は栄光の神のみ前にのこのこと出ることはできない、その断絶を表していた幕です。それが真っ二つに裂けた、それは、神様の独り子である主イエスが私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さったことによって、罪の赦しが与えられ、私たちが、滅びの恐れなしに主なる神様のみ前に立つことができるようになったということです。私たちの罪のゆえに神様との間にあった断絶が、主イエスの十字架の死による赦しという神様の恵みによって解消され、私たちは主のみ前に出て、その栄光のお姿を見ることができるようになったのです。その栄光のお姿とは、十字架につけられて死に、そして復活なさった主イエス・キリストのお姿です。そこにこそ、神様の栄光が輝いているのです。主イエス・キリストの十字架と復活によって、私たちはもはや恐れることなく主のみ前に出て礼拝をささげ、主と共に歩むことができるのです。イスラエルの民の歴史において、最も純粋だったとして理想化されている荒れ野の歩みにおいてすら与えられていなかった礼拝を、神様は独り子イエス・キリストによって私たちに与えて下さっています。私たちは主イエス・キリストの十字架と復活による救いの恵みの中で、主を礼拝しつつ、主と共に、荒れ野のようなこの世を、神の国を目指して旅していくのです。