説教題 「アブサロムの反逆」 牧師 藤掛順一
旧約聖書 サムエル記下第15章1-37節
新約聖書 ルカによる福音書第19章37-44節
苦しみの人ダビデ
私が夕礼拝の説教を担当する日には、旧約聖書、サムエル記下よりみ言葉に聞いています。本日は第15章を読みます。15章から19章にかけてのところには、ダビデ王の息子アブサロムが、父であるダビデ王に背いて反乱を起こしたことが語られています。ダビデはそのために一時エルサレムから、ヨルダン川の東側のマハナイムという所に逃げなければなりませんでした。ダビデが晩年に体験した大きな苦しみの話がここから始まるのです。ダビデの生涯は苦しみの連続でした。彼は少年の時に神に選ばれて油を注がれ、イスラエルの王となることを約束されましたが、そのためにサウル王に命を狙われ、逃げ回らなければなりませんでした。その苦しみを経てようやく全イスラエルの王となりましたが、後は平穏な余生、というわけにはいきませんでした。彼自身が大きな罪を犯して、そのために苦しみましたし、先月読んだ13、14章には、息子アブサロムが兄アムノンを殺す、という息子たちの間での殺人の悲劇が起ったことが語られていました。さらに今度はアブサロムに背かれて殺されかけたのです。ダビデは旧約聖書を代表する信仰者ですが、それはダビデが信仰深く、それによって平穏な人生を歩んだということではありません。彼は罪と苦しみに満ちた生涯を歩んだのです。その罪と苦しみの中で、神とどう関わって生きたか、というところに、彼の信仰があるのです。そのことを、この物語において見つめていきたいのです。
アブサロムの反逆
アブサロムが父ダビデに対して反逆を企てるようになった理由ははっきりとは語られていません。先月読んだように彼は、妹タマルを陵辱した異母兄アムノンを殺しました。そのためにダビデの怒りをかって亡命を余儀なくされ、ようやく帰還を許されても、二年間ダビデの前に出ることすら許されませんでした。そのために父ダビデを憎むようになったのかもしれません。しかし先月も申しましたが、アムノンとの事件には、王位継承をめぐる争いという面もあります。アブサロムは野心と行動力のある、また14章25節以下に語られていたように、大変魅力的な人物でした。人をひきつけるものがあったのです。そういうことを自覚した彼が、イスラエルの王となろうという思ったとしても不思議はありません。彼はその野心を、自分の力と策略で実現しようとしたのです。
人々の心を盗み取ったアブサロム
その第一歩として彼がしたのは、1節の、「戦車と馬、ならびに五十人の護衛兵を自分のために整えた」ということでした。つまり自分の私兵、親衛隊を作ったのです。それと並んで彼は、2節以下のことをしました。「アブサロムは朝早く起き、城門への道の傍らに立った。争いがあり、王に裁定を求めに来る者をだれかれなく呼び止めて、その出身地を尋ね、『僕はイスラエル諸部族の一つに属しています』と答えると、アブサロムはその人に向かってこう言うことにしていた。『いいか。お前の訴えは正しいし、弁護できる。だがあの王の下では聞いてくれる者はいない。』アブサロムは、こうも言った。『わたしがこの地の裁き人であれば、争い事や申し立てのある者を皆、正当に裁いてやれるのに。』」。このことの背景は、イスラエルの王は裁判官をも兼ねていたということです。いろいろな争い事の裁定を求める人々が、国の各地から王のもとにやって来たのです。アブサロムはその人々に、「あなたの言い分は正しい、もっともだ」と言って心を掴み、「私が裁く立場なら、つまり私が王になれば、あなたの願い通りの裁きをしてやれるのに」と言うことによって、6節の言葉によれば「イスラエルの人々の心を盗み取った」のです。このことにはもう一つの意味もあると思われます。2節に、アブサロムが、王の裁定を求めてやって来た人々の出身地を尋ねて、「イスラエル諸部族の一つに属しています」と答えた人にあのように語ったとあります。この「イスラエル諸部族」というのは、後に南王国ユダと北王国イスラエルに分裂していった、その北イスラエルの諸部族のことだとも考えられるのです。ダビデはユダ族の出身であり、その地盤はイスラエルの南部です。彼はまずユダ族の王となり、サウル家の王を擁立しようとした他の部族との戦いに勝って全イスラエルの王となりました。だから北の諸部族はダビデが王であることを快く思っていないという面があるのです。アブサロムはその北の諸部族の人たちに自分を売り込み、ダビデに敵対する地盤を得ようとしたのではないか、とも考えられるのです。
さらに5節には、「彼に近づいて礼をする者があれば、手を差し伸べて彼を抱き、口づけした」とあります。ここは聖書協会共同訳では「誰かがアブシャロムに近寄ってひれ伏そうとすると、アブシャロムは手を差し伸べて彼を抱き、口づけをした」と訳されています。王子なのに威張らない、気さくでで庶民的な人だ、という印象を人々に与えたのです。
アブサロムはこのように人心を掌握する準備をした上で、ついに旗揚げしました。7節には、それは彼が四十歳になった年の終わりのことだったとありますが、ここの原文は「四十年が経って」であり、新共同訳はそれを「四十歳の終わり」と理解してこう訳したわけですが、これは「四年の終わり」が間違って四十年と書かれたのではないかと考える学者も多くいます。そうするとこれは、アブサロムが四年の間着々と準備した上で事を起こした、ということかもしれません。口語訳も、聖書協会共同訳もそのように訳しています。
周到な計画
アブサロムがダビデに反旗を翻したのは、ヘブロンにおいてでした。ヘブロンはダビデがユダの王として即位した所であり、アブサロムが生まれた町です。アブサロムはそこで、自分が王となると宣言したのです。ここにも彼の周到な計画があります。ヘブロンはダビデにとっても地元ですが、ダビデはここでユダの王となった後、イスラエル全体の王となったことによって、エルサレムに新しい首都を築いてそちらに移ったのです。ヘブロンの人々には、ダビデ王が自分たちのもとを去って別の町を首都にしてしまった、という思いがあったのだと思います。アブサロムはヘブロンで王となると宣言することによって、ヘブロンの人々のその思いを利用して支持を得ようとしたのです。つまりアブサロムは、自分の出身部族であるユダ族とその中心地であるヘブロンを大切にする姿勢を示しつつ、それと共に、ダビデ王にあまり好意的でない北の諸部族の支持をもとりつけようとしているのです。彼の反乱はそういう綿密周到な計画に基づくものでした。彼はそういうことができる、有能な人だったのです。
さらに彼の周到さは、蜂起するに当ってイスラエル全部族に密使を送り、角笛の音を合図に、「アブサロムがヘブロンで王となった」と言わせたことにも現れています。今のように、遠くで起った出来事も瞬時に伝わるような時代ではありません。彼は前もって密使を送ることによって、自分の蜂起を国中に一斉に知らしめ、全イスラエルの人々を動かそうとしたのです。彼の思惑は当りました。ヘブロンのアブサロムのもとには、彼を支持する人々が次第に集まってきたし、全イスラエルの人々の心がアブサロムに移り始めたのです。さらにアブサロムは、12節にあるように、ダビデの顧問であったギロ人アヒトフェルという人を自分のもとに迎え入れました。この人はダビデの宮廷の重鎮の一人であり、ダビデとの個人的なつながりも深い人です。どういうつながりかというと、23章24節以下にある、ダビデの三十人の勇士たちのリストの34節に、「アヒトフェルの子エリアム、ギロ人」とあります。ダビデのもとには多くの外国人の部下がいましたが、その一人であるエリアムの父親がこのアヒトフェルなのです。そして彼の息子エリアムの名前は11章3節にも出てきます。そこにはこうあります。「ダビデは人をやって女のことを尋ねさせた。それはエリアムの娘バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻だということであった」。つまり、エリアムはダビデがウリヤから奪って妻としたバト・シェバの父なのです。ですからアヒトフェルはバト・シェバの祖父です。ダビデの勇士エリアムは、自分の娘を、同じ三十人の勇士の一人であるウリヤのもとに嫁がせていたのでしょう。そのバト・シェバをダビデが奪って妻としたことによって、アヒトフェルはダビデの妻の祖父となり、ダビデの顧問となったのです。アブサロムのもとに、ダビデの顧問でもあり親戚にも当る老練な重鎮が加わったことは、アブサロムを支持する者の層の厚さを示す事であり、宣伝効果も抜群です。それだけでなく、実際このアヒトフェルは、この後の17章を読むと、ダビデを滅ぼすための最も効果的な策をアブサロムに進言しています。アブサロムがその進言を退けたのでダビデは救われました。もしもアヒトフェルの進言が入れられていたなら、ダビデの命運は尽きていたでしょう。そういう優れた人物がアブサロム側に加わったのです。
主のみ心に委ねて
息子アブサロムが周到に準備して反乱を起し、多くの人々の心がアブサロムに傾いていった。その危機の中でダビデはどうしたでしょうか。彼はまず家臣たちと共にエルサレムを脱出します。14節でこう言っています。「直ちに逃れよう。アブサロムを避けられなくなってはいけない。我々が急がなければ、アブサロムがすぐに我々に追いつき、危害を与え、この都を剣にかけるだろう」。ヘブロンからエルサレムへはそう遠くはありません。ぐずぐずしていると、アブサロムの率いる軍勢が攻めて来て、逃げられなくなってしまう。しかしダビデがエルサレムを逃れようとしたのは、自分の身の安全のためだけではありませんでした。このままではアブサロムが攻めてきて我々に危害を加え、「この都を剣にかけるだろう」と言っています。エルサレムの町とその住民のことを彼は考えているのです。エルサレムは、彼がエブス人から攻め取り、イスラエルの首都とした町です。そこに、神の箱を迎え入れて、主なる神の都としたのです。その都が戦いによって破壊されてしまうことは避けたい、というのが彼の思いでした。そのことは24節以下に語られていることと結びつきます。エルサレムの東のキドロンの谷を渡って荒れ野へと逃れていくダビデたちの一行に、ツァドクをはじめとするレビ人たちが、神の箱、契約の箱を担いでついて来ていたのです。彼らは祭司です。神の箱と祭司が、逃げていくダビデの一行と行動を共にしているというのは、主なる神がダビデと共にいて下さることのしるしです。エルサレムからは逃げ出したが、主なる神はなお我々と共におられる、と主張するためには、神の箱と祭司たちが行動を共にしていることが大切なのです。しかしダビデは祭司たちにこう言いました。25節以下です。「神の箱は都に戻しなさい。わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう。主がわたしを愛さないと言われるときは、どうかその良いと思われることをわたしに対してなさるように」。「神の箱は都に戻せ」とダビデは言いました。これは一つには、先程のエルサレムと同じく、神の箱を戦いに巻き込むようなことがあってはならないということです。そしてもう一つは、神の箱を携えて逃げていくことで、言わば神を人質にとるようなまねはしない、ということです。ここに、ダビデの信仰者としての姿がはっきりと表されています。彼はこのせっぱつまった苦しみの中で、神を畏れ敬う心を失ってはいないのです。自分の苦しみを解決するために神を利用するのではなく、神のみ心に自分の歩みを委ねているのです。「わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう。主がわたしを愛さないと言われるときは、どうかその良いと思われることをわたしに対してなさるように」。これは、自分の苦しみの現実と、これからの運命を、主なる神のみ心に委ねている言葉です。今のこの苦しみも、主なる神のみ心によって与えられているものだ、そしてこれからも、主なる神のみ心こそが行われていく。それが自分にとって良いことであれ悪いことであれ、それを受け入れようと言っているのです。
このダビデの信仰が17節以下にも表れています。エルサレムを逃れていくダビデの一行につき従う人々の閲兵が、キドロンの谷にあった離宮のところで行われました。そこに、ガト人イタイという人が、六百人の家臣を連れて来ていました。しかしダビデは彼にこう言ったのです。「なぜあなたまでが、我々と行動を共にするのか。戻ってあの王のもとにとどまりなさい。あなたは外国人だ。しかもこの国では亡命者の身分だ。昨日来たばかりのあなたを、今日我々と共に放浪者にすることはできない。わたしは行けるところへ行くだけだ。兄弟たちと共に戻りなさい。主があなたに慈しみとまことを示されるように」。逃亡し、これからアブサロムの軍勢と戦わなければならなくなるであろうダビデです。味方の数は多ければ多いほどよいはずなのです。しかし、外国人で亡命者であるあなた方まで戦いに巻き込むことはできない、今は旗色が悪い私と共にいるよりも、「あの王」つまりアブサロムのもとに身を寄せた方が賢明だ、あなたは私に対して何の義理もないのだから…、と勧めているのです。自分の歩みを主なる神に委ねているからこそ、ダビデはこのように言うことができたのです。
知恵と力を尽して
このように、自分の運命を主に委ねているダビデですが、それは彼が何もしないでただ成り行きに任せていた、ということではありません。祭司たちを神の箱と共に都に帰らせたダビデは、祭司ツァドクとアビアタルに、彼らの息子たちを伝令として、アブサロムの陣営の様子をダビデに伝えるように命じます。つまり、祭司たちと神の箱をエルサレムに留まらせたことは、アブサロムの動向についての情報を得るためでもあったのです。そしてもう一人、アブサロムのもとに、言わばスパイとして送り込まれた人がいます。32節以下に出て来る、アルキ人フシャイです。彼もダビデと共に行こうとしたのですが、ダビデはむしろ彼にこう頼むのです。「わたしと一緒に来てくれてもわたしの重荷になるだけだ。都に戻って、アブサロムにこう言ってくれ。『王よ、わたしはあなたの僕です。以前、あなたの父上の僕でしたが、今からはあなたの僕です』と。お前はわたしのためにアヒトフェルの助言を覆すことができる。都には祭司ツァドクとアビアタルもいて、お前と共に行動する。王宮で耳にすることはすべて祭司のツァドクとアビアタルに伝えてほしい。また、そこには彼らの二人の息子も共にいる。ツァドクの息子アヒマアツ、アビアタルの息子ヨナタンだ。耳にすることは何でもこの二人を通してわたしのもとに伝えるようにしてくれ」。つまりこのフシャイは、ダビデを見限り、アブサロムについたように見せかけつつ、あの老練なアヒトフェルの助言を覆し、ダビデに有利な状況を作り出すために遣わされたスパイなのです。17章には、彼がその役割を見事に果たしたことが語られています。ダビデはこのように、エルサレムを放棄して荒れ野に逃れつつ、これからアブサロムが入ってくるエルサレムに、しっかりと自分の協力者を残しているのです。自分の歩みを神に委ねるというのは、何もしないで成り行きに任せることではありません。与えられている力と知恵を尽して精一杯努力するのです。その上で、これからのことを神のみ心に委ねるのです。それは、いわゆる「人事を尽して天命を待つ」というのと似ていると言えるでしょう。
嘆き悲しみ、涙を流しつつ
けれども、ここに描かれているダビデの姿には、「人事を尽して天命を待つ」という言葉では表現しきれないものがあります。30節にこう語られているのです。「ダビデは頭を覆い、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行った。同行した兵士たちも皆、それぞれ頭を覆い、泣きながら上って行った」。ダビデは神の箱という言わば「錦の御旗」を放棄して、神のみ心に身を委ねてエルサレムを逃れていこうとしています。また同時に信頼できる仲間をエルサレムに残し、アブサロムの動向を把握して対処するために最善を尽しています。そのように、人事を尽しつつ神のみ心に委ねているダビデですが、キドロンの谷を渡り、オリーブ山の坂道を上っていく彼の歩みは、深い嘆きに満ちた、涙の歩みなのです。「頭を覆い、はだしで」というのは、嘆き悲しみの姿です。息子に背かれ、命からがら落ち延びていかなければならないダビデは、このように深い嘆き悲しみの内に涙を流しているのです。それはもはや、「人事を尽して天命を待つ」という言葉に言い表されるような、落ち着き払った姿ではありません。ダビデは決して、神に信頼する信仰のゆえにどんな苦しみの中でも落ち着いて、余裕を持って生きていたわけではないのです。苦しみの中で、自分のできる精一杯の努力をしつつ、全てを主なる神のみ心に委ねつつ、しかし深く悲しみ嘆き、涙を流しつつ生きている、それが、旧約聖書を代表する信仰者であるダビデの姿なのです。つまり、神を信じて生きることは、「人事を尽して天命を待つ」というのとは違うのです。「人事を尽して天命を待つ」というのは、人間が獲得する一つの「境地、心持ち」ですが、私たちは、信仰によって、ある平安な境地を得るのではありません。苦しみ悲しみの現実の中で、右往左往しつつ、嘆き悲しみ涙を流しつつ、いろいろと手を尽して努力しつつ、全てを導いておられる神に自分の歩みを最終的には委ねて生きていくのです。
坂を下り、涙を流した方
ダビデが涙を流しつつ上っていったオリーブ山の坂道を、逆に下っていき、そしてエルサレムのために涙を流された方のことが、ルカによる福音書第19章37節以下に語られています。その方は、平和への道をわきまえず、神の訪れ、働きかけをわきまえない罪のゆえに、悲惨な事態に陥っていくエルサレムの人々のために涙を流しました。そしてその方は、エルサレムに入り、そこで捕らえられ、数々の苦しみと辱めを受け、十字架につけられて殺されました。ご自分の罪のゆえではなく、私たち人間の罪と、そこから生じる様々な苦しみ悲しみのために涙を流し、その赦しと救いのために死なれたのです。ダビデが、そして私たちが、人生の歩みにおいて体験する苦しみ悲しみ嘆きを、その涙を、この方、主イエス・キリストが、徹底的に坂を下り、十字架にかかって死ぬことによって担って下さったのです。私たちの人生も、今のこの世界も、罪に満ちており、苦しみ悲しみ嘆きに溢れています。戦争によって、災害によって、絶望の涙を流している人々が数えきれないほどいます。私たち一人ひとりの人生にも、頭を覆い、泣きながら坂道を上っていくような時があります。神の独り子主イエスは、その私たちのために、この世界のために、涙を流しつつ坂を下り、苦しみを受け、十字架にかかって死んで下さったのです。私たちはその主イエスを見つめつつ、自分のできる精一杯の努力をしながらもなお涙を流しつつ、その自分を担って下さる主イエスに自分の歩みを委ねて生きていくのです。