夕礼拝

神を正しく恐れる

6月11日(日) 夕礼拝
「神を正しく恐れる」 牧師 藤掛順一
・サムエル記下第6章1-11節
・使徒言行録第17章16-34節

神と人間によって油を注がれたダビデ
 私が夕礼拝の説教を担当する日には、旧約聖書サムエル記下よりみ言葉に聞いております。前回、5月には、ダビデがサウルの死後、まずユダ族の、そしてついには全イスラエルの王となったことを読みました。ダビデが全イスラエルの王として即位した場所は、第5章の3節にあるように、ヘブロンです。そこは彼がユダ族の王となり、根拠地としていた所でした。そこに、全イスラエルの各部族の長老たちがやって来て、ダビデを王とする契約を、主なる神の前で結んだのです。「長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした」とあります。もうずいぶん前に、神によって、サムエルを通して油を注がれ、王となるべく定められていたダビデが、イスラエルの長老たち、つまり人間によっても油を注がれて、ようやく正式に王となったのです。ここには大事なことが示されています。神がある人を選んで、ある務めにお立てになる、その時に、このように神によってと人間によっての二つの油注ぎが行われるのです。神による油注ぎ、それは神がその人を選び、お立てになるという神のみ業であり、その人と神との間のことですから、他の人が口出しできないことです。ある人が、神の召しを受けて伝道者となることを決心する、という時に起っているのもそういうことです。その決断は、その人と神との間の事柄ですから、他の人がどうこう言えることではありません。しかし、神からの召しを本人が信じて決心すればそれで伝道者になれるわけではありません。それは、伝道者になるためにはいろいろと勉強しなければならないことがある、ということでもありますが、もっと大事なのは、本人に与えられた神の召し、つまり神による油注ぎが、教会において、つまり人間たちによっても確認され、承認されて、人間によっても油を注がれる、即ち公に任職されるという手続きです。本人が神の召しを信じるだけではなくて、教会も、人々も、そのことを信じて受け入れることによって初めて、その人は伝道者として立てられるのです。それは伝道者、牧師だけのことではありません。長老や執事、あるいは教会学校の教師などの務めにおいても同じです。ある人が、「自分は神さまの召しを受けたから今日から長老になる、執事になる、教会学校の教師になる」と言ってもそれは認められません。選挙で選ばれるなどによって、その召しが人々によっても確認され、教会によってその務めに任じられるということを経なければ、その務めを行うことはできないのです。ある人が神に召されて教会における務めに立てられるためには、そのように、神と人間の両方による油注ぎが必要なのです。ダビデはまさにそういう手続きを経て、イスラエルの王となったのです。

エルサレムを首都とする
 5章4、5節には「ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した」とあります。ダビデの王としての統治は四十年に及びましたが、最初の七年半はヘブロンでユダを治め、その後三十三年間、エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治したのです。つまりダビデは全イスラエルの王となった時、根拠地をヘブロンからエルサレムに移したのです。そのことが、5章6節以下に語られています。そこには、ダビデがエルサレムを攻めて占領し、自分の町としたことが語られています。つまりエルサレムは、元々はイスラエルの民の町ではなくて、6節にあるようにエブス人の町でした。そこを、イスラエルの王となったダビデが攻め取って自分の町とし、次第に大きな町へと築き上げていって、今日のエルサレムが生まれたのです。ダビデがエルサレムをわざわざ攻め取ってそこに根拠地を置いたのは、彼が、これから先のイスラエル王国全体の統治のことを考えたためであると言われます。つまり、イスラエルはようやくダビデのもとに一つの王国となったわけですが、その実態は、ダビデという偉大な指導者のもとに各部族が集まり、それぞれがダビデを王として受け入れたという、いわゆる「同君連合」、つまり、同じ王様をいただいていることによって一つの国である、という状態だったのです。ダビデが王であるうちはその体制が維持されていくでしょうが、次の代になったらどうなってしまうかわかりません。王国の体制としては不安定な状態なのです。そのためにダビデは、イスラエル王国を堅固なものとするためにいろいろ努力しました。その一つが、エルサレムに都を定めたことでした。つまり国の統治の中心を、それまでどこの部族の町でもなかったエルサレムに移すことによって、イスラエルのどの部族にも受け入れられる新しい首都を築いたのです。もしも彼がユダ族の王として即位したヘブロンでイスラエル全体の王であり続けたなら、それはどうしても、ユダ族の下に諸部族が支配されているということになります。それを避けて、イスラエルが新しく、一つの王国となったことを示すために、ユダ族の領域の中にありながら、ユダ族の町ではなかったエルサレムが選ばれたのです。
 このようにしてエルサレムはダビデの町となり、イスラエルの首都となりました。ダビデはこの町に城壁を築き、王宮を建て、首都として整備していきました。5章10節には、「ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられた。」とあります。12節にも「ダビデは、主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を高めてくださったことを悟った」とあります。エルサレムにおいて、ダビデの王としての権威は高まっていったのです。

ペリシテ人を破る
 王国を揺るぎないものとするためにダビデが次に行なったのは、ペリシテ人を打ち破ることでした。そのことが5章17節以下に語られています。17節に「ペリシテ人は、ダビデが油を注がれてイスラエルの王になったことを聞いた。すべてのペリシテ人が、ダビデの命をねらって攻め上って来た」とあります。ダビデがイスラエルの王となったことを知ったペリシテ軍が攻めてきたのです。これには理由があります。ダビデはサウルに追われて逃げていた時、ペリシテの王のもとに身を寄せ、その傭兵隊長となり、ペリシテの王からツィクラグという町を与えられました。サウルが戦死したのはペリシテとの戦いにおいてでしたが、ダビデはペリシテ王の手下でありながらその戦いには加わらずにすみました。ですからこの頃はまだ、ペリシテ人との関係を明確にしないですんでいたのです。彼がヘブロンでユダの王となったことも、ペリシテ人たちは、ダビデがユダ族の長となったことによってユダ族もペリシテの傘下に入ったぐらいに思っていたのかもしれません。しかし全イスラエルがダビデのもとに結集し、彼を王としたとなれば、これは明らかに、ペリシテに対抗する敵となったということです。それでペリシテ人たちは、自分たちを裏切ったダビデを討ち取るために攻めてきたのです。王となったばかりのダビデは、早速強大な敵と直面しなければならなくなりました。これまで、士師の時代にも、サウルの時代にも、繰り返し戦い、しばしば打ち破られてきた敵です。最近では、サウルがその戦いに敗れて戦死したところです。そのペリシテ人を打ち破らなければ、王国の安定はないのです。
 この戦いに際してダビデは、5章19節にあるように、主に託宣を求めました。主なる神の指示を仰いだのです。神は、「攻め上れ。必ずペリシテ人をあなたの手に渡す」と言われました。そのみ言葉に従って出撃したところ、彼はペリシテ軍を打ち破ることができました。しかしペリシテ人たちはその敗北に懲りずにもう一度攻めてきました。ダビデは再び主に託宣を求め、主は今度は、先の戦いとは違う戦法で攻撃することをお命じになりました。ダビデはそのとおりにして、ペリシテ人を徹底的に撃ち滅ぼすことができたのです。このようにダビデは常に主なる神のみ心を求め、そのみ言葉によって歩むべき道を示されていきました。その結果、彼の王国の土台はますます固く据えられていったのです。

神の箱をエルサレムに運び上げる
 イスラエル王国の基礎を固め、それを揺ぎないものとするためにダビデがしたもう一つのことがあります。それが先ほど読んだ第6章1節以下に語られていることです。ここには、ダビデが、神の箱をエルサレムに運び上げようとしたことが語られています。2節に、「ケルビムの上に座す万軍の主の御名によってその名を呼ばれる神の箱」とあります。それは、モーセが主なる神から授かった十戒を刻んだ石の板を収めた箱であり、その蓋の上には、ケルビムと呼ばれる、天使のような怪獣のようなものが向かい合って翼を広げた姿がありました。この神の箱の蓋こそが、「贖いの座」と呼ばれており、主なる神が人間と出会われる場であると言われていました。この神の箱のことは、サムエル記上の4~7章にかけて語られていましたが、その後は出てきていませんでした。その4~7章には、イスラエルの人々が、ペリシテとの戦いにおいて、当時シロという所に安置されていた神の箱を戦場に担ぎ出し、それによって神の助けを得ようとしたこと、しかしその戦いに敗れ、ペリシテ人に神の箱を奪われてしまったことが語られていました。ペリシテ人は勝ち誇って戦利品である神の箱を自分たちの神ダゴンの神殿に置きましたが、朝になると、ダゴンの像が神の箱の前にうつぶせに倒れていたのです。そういうことが繰り返され、またその箱が置かれた町の人々に災いが下されたりしたので、ペリシテ人は恐れて、この箱をイスラエルに返すことにしました。そのようにしてイスラエルに戻された神の箱は、キルヤト・エアリムという町に置かれたと7章1節にあります。神の箱はそれ以来ずっとそこに置かれていたのです。その後王となったサウルは、この箱には全く関心を払わなかったようです。しかしダビデはその箱に目をつけました。彼はこの神の箱をエルサレムに運び上げ、そこに安置しようと考えたのです。そのために彼は精鋭三万を引き連れて行きました。「バアレ・ユダ」から出発したとありますが、それはキルヤト・エアリムの別名であると考えられます。ダビデは、イスラエル王国の安定には、首都を整え、ペリシテの脅威を取り除くことだけでなく、宗教的な中心を設けることが必要だと考えたのです。主なる神の民であるイスラエルが国としてまとまるためには、主なる神への礼拝の中心地が首都エルサレムに置かれる必要がある。そのために、神の箱をエルサレムに安置しようとしたのです。

ウザの死
 けれども、神の箱をエルサレムに運び上げる途中で、恐しい出来事が起りました。神の箱を載せた車を牛に引かせて、ウザとアフヨという兄弟がその傍らで車を御していったのですが、ある所で牛がよろめいて神の箱がすべり落ちそうになったので、ウザはとっさに手を伸ばしてそれを押さえ、落ちるのを防いだのです。大切な神の箱が落ちて壊れたり、傷ついたりしてはならない、と思って箱を押さえ、落ちるのを防いだウザは当然のことをした、と私たちは思います。ところが主なる神はこのウザの行為に対して怒りを発し、彼はその場で神に打たれて死んだのです。これは衝撃的な話です。神さまそれはちょっとひどすぎるんじゃないですか、とつまずきを覚えずにはおれません。いったい神は何故こんなことをなさるのでしょうか。このウザの死は私たちに何を語りかけているのでしょうか。

神への恐れ
 一つ確かなことは、この出来事によって、神の箱に対する恐れの思いが全ての人々に生じたということです。先ほど申しましたように、この神の箱がしばらくの間ペリシテ人の手に渡っていたのは、イスラエルの人々が戦場にそれを担ぎ出して、神の助けを得ようとしたからです。つまり彼らは神の箱を、ひいては神ご自身を、お神輿のように、自分たちの願いを叶えるために担ぎ出したのです。神を自分たちのために利用しようとしたのです。それは、神に対する恐れを欠いたことでした。ダビデが神の箱をエルサレムに運び上げようとしていることにも、それと同じ思いがあると言えるでしょう。神の箱を、即ち主なる神ご自身を、自分の王権の基盤を固めるために利用しようという思いがダビデの中にはあったと思います。ウザが撃ち殺された出来事は、そのようなダビデに、神の箱に対する、即ち主なる神に対する、恐れを呼び起こしました。9、10節にあるように、このことによってダビデは、神の箱をエルサレムに、自分のもとに運び入れることを一旦やめにしたのです。神の箱をエルサレムに安置して、王国の首都を礼拝の中心地とすることは、イスラエルの国を揺るぎないものとするためには有効なことです。しかしそこに、主なるへの恐れの思いが抜け落ちてしまうなら、つまり神を人間の目的のための手段にしてしまうような思いがあるなら、それは滅びを招くことになる、この出来事はダビデにそういう警告を与えたのです。

神を守ろうとする冒涜
 ダビデにとってこの出来事はこのような意味を持っていましたが、当のウザにおいてはどうだったのでしょうか。神の箱は人間が直接手をふれることが許されていないものです。彼はその禁を破ったために撃ち殺されたのでした。しかしそれは神の箱を守るためでした。守ろうとして触れたことで撃ち殺されてしまうのは理不尽だと私たちは感じます。しかし、神の箱を守る、とはどういうことでしょうか。神の箱は、先ほど読んだように「ケルビムの上に座す万軍の主の御名によってその名を呼ばれる神の箱」です。つまり万軍の主なる神ご自身と等しい存在なのです。それを人間が守るとはどういうことでしょうか。ペリシテ人に奪われた神の箱がイスラエルに戻って来たのは、イスラエルの人々がそれを奪い返したからでしょうか。そうではありません。神の箱は、それ自身の力で、ペリシテ人たちに恐れを抱かせて、言ってみれば自分で戻って来たのです。神の箱を守ったのは人々ではなくて、主なる神ご自身だったのです。神の箱を、つまり神を、人間が守ろうとするというのは、実はとんでもない思い上がりなのです。それは言い替えれば、神を、人間が守らなければならない存在へと貶めている、神に対する冒涜なのです。

人に仕えてもらう必要のない神
 そのことを語っているのが、先ほど共に読んだ新約聖書の箇所、使徒言行録第17章16節以下の、パウロのアテネでの説教です。パウロは、アテネの町のいたるところに偶像の祭壇があり、その中には「知られざる神に」と刻まれたものまであるのを見て、「あなたがたが知らずに拝んでいる方をお知らせしよう」と言って、天地万物をお造りになったまことの神のことを語りました。その中で彼はこう言っています。24節以下です。「世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです」。生けるまことの神は、人間が手で造った神殿にお住みになる方ではない。つまり、人間に家を建ててもらう必要はないのです。「また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません」。人間が神の不足を満たさなければならないとか、人間の助けがないと神が困る、ということはないのです。人間が不足を満たしたり、助けなければならないのは、偶像です。生けるまことの神をそのようなものにしてしまうことは、神を冒涜することだとパウロは言っているのです。私たちも、それと同じことを知らず知らずのうちにしてしまうことがあります。「神のため」と思ってしていることが、実は神を人間の助けを必要とするものへと引き下ろしてしまっている、ということがあるのです。例えば、聖書に書いてあることは現代の人々にはとても受け入れられないから、この部分は省いた方がよいとか、教会のこの教えは納得されにくいから、もっと分かりやすい教えに変えた方がよい、などと思うことは、自分を神より賢い者として、自分の知恵で神を助けてやろうとしてしまっているのです。あるいは、信仰者である自分が立派な人になることによって神が栄光を受ける、その反対に自分が立派でないと神に恥をかかせてしまう、などと思うのもそれと同じだと言えるでしょう。いずれも、人間が神を助けたり、栄光を与えたり恥をかかせたりすることができると思っている、それは神を、人間の助けを必要としている偶像と同列に置いてしまう、神への冒涜なのです。

神を正しく恐れる
 ウザの話は私たちに、神を恐れるべきことを教えています。私たちは神を、懐にしまっておいて必要な時にだけ取り出して頼りにできるお守りのように捉え、自分の願いをかなえるために神を利用するようなことをしてはならないのです。そのようなことに対して神はお怒りになります。しかしこの話は同時に、人間が神を助けたり、その不足を補うようなことはできないことをも教えています。神を恐れるというのは、自分のために神を利用するのでなく、自分が神のために何かをしなければならない、ということではないのです。では神を恐れるとは何をすることなのでしょうか。それを使徒言行録17章が教えています。神は、人間によって助けられるような方ではなくて、むしろ、「すべての人に命と息とその他すべてのものを与えて下さ」っている方なのです。そのことを見つめることこそ、私たちのなすべきことです。神が私たちに与えて下さっているのは、命やその他生きて行くために必要な全てのものだけではありません。神はその独り子イエス・キリストを与えて下さり、その十字架の死と復活とによって、私たちの罪を赦して、ご自分の愛する子として下さっているのです。このことを見つめて、この神の救いの恵みに感謝して、神のみ前にひれ伏して礼拝しつつ、神と共に生きていく、それこそが、神を正しく恐れて生きることです。それによってこそ私たちは、神を冒涜することなく、心から敬って、喜んで神と共に生きることができるのです。

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