夕礼拝

つながれている者も解き放たれている者も

2026年3月22日 夕礼拝
説教題「つながれている者も解き放たれている者も」

列王記下 第14章1〜29節 
マタイによる福音書 第16章13〜20節

北王国と南王国の並立
 月に一度私が夕礼拝の説教を担当する日には、旧約聖書列王記下を読み進めていて、本日は第14章を読みます。列王記のこのあたりには、ダビデ王の下で確立し、その子ソロモン王の下で最も繁栄したイスラエル王国が、ソロモン王の死後、北王国イスラエルと南王国ユダとに分裂して、二つの王国が並立している時代のことが語られています。本日の第14章の前半には、南王国ユダの王アマツヤの治世のこと、アマツヤが北王国の王ヨアシュに戦いを挑んで負けたことが語られており、そして23節からの後半には、北王国イスラエルにおけるヨアシュの子ヤロブアムの四十一年間の治世のことが語られています。南北両王国の歩みが並行して語られているので、よく読まないと、今どっちの国の話なのか、こんがらかって分からなくなってしまいます。

良い王と悪い王
 ただ列王記は、それぞれの王の治世の始まりの所に、その王についての評価を語っています。列王記の著者の目から見て、この王は良い王だったのか、悪い王だったのかを語っているのです。14章3節には、南王国ユダの王アマツヤについて、「彼は父祖ダビデほどではなかったが、父ヨアシュが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。ただ聖なる高台は取り除かず、民は依然として聖なる高台でいけにえを屠り、香をたいていた」とあります。先祖ダビデほどではなかったし、問題もなかったわけではないが、おおむね良い王だった、と言われているわけです。ここにも語られているように、彼の父であったヨアシュについても同じ評価がなされています。アマツヤの父ヨアシュと、彼が戦いを挑んだ北王国の王ヨアシュとが同じ名前なので、これもこんがらがる要因の一つです。このアマツヤに対して24節には、北王国の王ヤロブアムについての評価がこのように語られています。「彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を全く離れなかった」。ネバトの子ヤロブアムとは、ソロモンの息子レハベアムの時に、イスラエルの十の部族をダビデ王朝から離反させ、北王国イスラエルを建国してその最初の王となった人です。ヤロブアムによる王国の分裂の結果、南王国にはユダとベニヤミンの二部族のみが残されたのです。しかしユダはダビデ、ソロモンの子孫であるダビデ王朝の下にあり、そこにはエルサレムがあって、ソロモンが築いた神殿がありました。イスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放し、彼らと契約を結んでご自分の民として下さった主なる神を礼拝する場所が、ユダ王国のエルサレムにあったのです。「ネバトの子ヤロブアムの罪」と言われているのは、北王国の人々の心がこのままではエルサレムから離れることなく、北王国の存在が危うくなることを危惧したヤロブアムが、主なる神を礼拝する場所を北王国の中に設けるために、金の子牛の像を二体造り、自らの王国の中のベテルとダンとに置いて、「これがあなたたちをエジプトから導き上った神である」と言った、ということです。つまり彼は「自分のために刻んだ像を造ってはならない」という十戒の第二の戒めを破って、主なる神の像を造り、北王国の人々にその偶像を拝ませたのです。北王国の歴代の王たちは、エルサレム神殿がある南王国ユダと対抗して国をまとめるために、この「ネバトの子ヤロブアムの罪」を受け継ぎ、それを離れませんでした。14章で王となった「ヨアシュの子ヤロブアム」は、小見出しにあるように「ヤロブアム二世」と呼ばれていますが、彼も、北王国の王たちが言わば構造的に受け継いでいるこの罪を離れず、金の子牛の像を主なる神として礼拝するという、主の目に悪とされることを行ったのです。彼の父ヨアシュ王も同じだったことが13章に語られていました。つまり北王国イスラエルの王は基本的に皆、「主の目に悪とされることを行った」とされているのです。それに対して南王国ユダの王は、主の目にかなう正しいことを行ったとされている人が多いのです。今どちらの国の王のことが語られているのかを見分ける一つの目印はそれです。

申命記的歴史家
 列王記はこのように、両王国の王たちを「良い王」と「悪い王」の二色に色分けしています。その良いと悪いの判断の基準は、申命記第28章に語られていた、主なる神による祝福と呪いの約束です。主なる神は、イスラエルの民が、四十年の荒れ野の旅を経ていよいよ約束の地カナンに入って行こうとしている時に、あなたがたが主のみ言葉に聞き従い、十戒をはじめとする主の戒めを守って歩むならば、彼らに多くの子孫を与え、豊かな実りをもたらして繁栄させ、敵から守り、祝福を与えて下さる、とおっしゃいました。それに対してもしあなたがたが主のみ言葉に聞き従わず、主の戒めを守らないなら、飢饉や疫病が起こり、敵に攻め滅ぼされるという呪いが与えられる、とおっしゃったのです。列王記はこの主の約束の言葉に基づいて王たちを判断しています。主の戒めを守り、偶像を退け、主のみを礼拝するように国を導いた王は良い王、反対に偶像を造ってそれを拝むように国を導いた王は悪い王とされているのです。このように、申命記を基準として王たちの良し悪しを判断しているので、列王記を書いた人のことを「申命記的歴史家」と呼びます。

愚かな王アマツヤ
 しかし、「申命記的歴史家」によって「良い王」とされた人が、王として賢明で、良い政治を行い、それによって国が繁栄した、ということでは必ずしもありません。この14章に語られている南王国ユダの王アマツヤも、北王国イスラエルの王ヨアシュを挑発して、戦争を起したことが8節以下に語られています。彼はエドム人との戦いに勝利したことに気を良くしてこの戦いを仕掛けたようですが、なぜ北王国のヨアシュと戦おうとしたのでしょうか。8節には彼が、「イスラエルの王、イエフの孫でヨアハズの子であるヨアシュに」使いを送って「来るがよい。戦いを交えよう」と言わせたとあります。北王国の王ヨアシュは「イエフの孫」だったわけですが、イエフは、クーデターによって前の王を殺して北王国の王となった人です。そしてアマツヤの祖父で南王国の王だったアハズヤは、このクーデターの時に、イエフによって殺されたのです。つまりアマツヤにとってヨアシュは、祖父を殺した仇(かたき)の孫です。アマツヤはこのことの復讐をしようとしたのだと思います。わざわざ「イエフの孫であるヨアシュに」と言われていることがそれを示していると言えるでしょう。祖父の仇を孫で晴らすというのですから、何とも執念深い人です。ところがその前のところ、5節以下には、このアマツヤが、父であるヨアシュに謀反を起して殺した家臣たちを殺したが、その子供たちは殺さなかったことが語られています。それは「父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定められない。人はそれぞれ自分の罪のゆえに死に定められる」という主の掟に従ったからだ、とあります。つまりアマツヤは、父を殺されたことに対しては主の掟に従って本人のみに復讐したが、祖父を殺されたことに対してはその孫にまで復讐しようとしたのです。彼の思いとしては、復讐する相手が生きていれば本人に対して復讐し、もう死んでしまっていればその子孫に対して復讐するのだ、ということなのでしょうが、それは「人はそれぞれ自分の罪のゆえに死に定められる」という主の掟に反することです。つまり彼は主の掟に本気で従おうとしているのではなくて、それを自分の都合によって適用したり無視したりしているのです。
 アマツヤの挑発を受けた北王国の王ヨアシュは、皮肉をこめた例えをもって、「そんなことをしていると自分の国が危うくなるぞ」と警告しましたが、アマツヤは聞き入れずに戦いを仕掛け、結果コテンパンに打ち負かされてしまいました。彼自身も捕虜となり、エルサレムの城壁も破壊され、主の神殿と王宮の宝物も奪われてしまったのです。つまりアマツヤは、申命記的歴史家によっては「比較的良い王」だったと評価されていますが、国の統治者としては全く思慮に欠ける愚かな人で、ユダ王国を危機に陥れたのです。そして彼は最後には、父ヨアシュと同じく、家臣の謀反によって殺されてしまったと19節にあります。

優れた王ヤロブアム二世
 それに対して、ヨアシュの後を継いで北王国の王となったヤロブアム二世ですが、申命記的歴史家によって「主の目に悪とされることを行った悪い王」とされているこの人は、北王国イスラエルに空前の繁栄をもたらした大変優れた王だったようです。彼が四十一年間王位にあったと23節に記されていることがそれを物語っていますし、25節には彼が「レボ・ハマトからアラバの海までイスラエルの領域を回復した」とあり、28節にも「ユダのものとなっていたダマスコとハマトをイスラエルに復帰させた」と語られています。これらが具体的にどのようなことだったのかはよく分かりませんが、彼の統治の下で北王国イスラエルは安定と繁栄を得たことは確かです。このように、列王記が語っている良い王、悪い王という評価と、国の統治者としての力量や手腕とは全く別であり、良い王の下では国が繁栄し、悪い王の下では衰退した、ということには全くなっていません。むしろ良い王の下で国が危機に陥り、悪い王の下で繁栄しているという現実が語られているのです。

主の憐れみによって
 このような現実を、列王記の著者である申命記的歴史家はどのように見ているのでしょうか。それが示されているのが26、27節です。こう語られています。「主は、イスラエルの苦しみが非常に激しいことを御覧になったからである。つながれている者も解き放たれている者もいなくなり、イスラエルを助ける者もいなかった。しかし、主はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言われず、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである」。これは、ヤロブアムが「レボ・ハマトからアラバの海までイスラエルの領域を回復した」ことを受けて、それについてのコメントです。つまり、主の目に悪とされることを行った「悪い王」であるヤロブアムの下で、北王国イスラエルが繁栄し、勢力を増したことについて、申命記的歴史家はこのように捉えているのです。
 主なる神を金の子牛の像にして拝むという「ネバトの子ヤロブアムの罪」を離れずに歩んでいる北王国イスラエルは、基本的に、主の怒り、裁き、呪いの下にあります。その罪を離れて悔い改めない限り、この国は滅びへと向かっているのです。申命記的歴史家はそのことを見つめています。そしてそれは、ヤロブアム二世の治世が終わった二十数年後には現実となります。アッシリアによって北王国イスラエルは滅ぼされてしまうのです。そのように北王国は、彼らの罪に対する主なる神の怒りによって基本的には滅亡へと向かっています。しかしそのイスラエルが一時、ヤロブアム二世の治世の下で力を盛り返し、繁栄しているのです。それは、主なる神が、イスラエルの苦しみが非常に激しいことを御覧になり、憐れんで下さったからです。主なる神は、「自分のために刻んだ像を造ってはならない」という戒めを破り、金の子牛の像を拝んでいる北王国の人々に対して怒っておられ、そのような罪は主の呪いと滅びを招くと、これまでにも再三警告しておられます。しかしそれは、罪を犯した者は即滅ぼされる、ということではありません。主なる神にとって、北王国も南王国も含めたイスラエルの民は、この世の多くの民の中からご自分が選び、エジプトでの奴隷の苦しみから解放し、契約を結んでご自分の民として、約束の地を与えた人々です。主はイスラエルを、ご自分の民として大切に思い、慈しんでおられるのです。イスラエルが、主なる神と契約を結んだ主の民として、主のみを礼拝し、主の戒めに従って歩み、祝福に至ることを主は心から願っておられるのです。しかし今、北王国イスラエルは、彼らをエジプトの奴隷の苦しみから救って下さった主なる神を裏切って、自分のために金の子牛の像を造り、主のみ心に反する罪に陥っています。そのことに激しく怒りつつ、しかし主はそれでもなお、イスラエルの民を憐れみ、イスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言われない。つまりイスラエルを滅ぼしてしまおうとは思っておられないのです。そのみ心によって主は、「ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われた」のです。ヤロブアムは「主の目に悪とされることを行い、ネバトの子ヤロブアムの罪を全く離れなかった」人でしたけれども、そのヤロブアムを主は、イスラエルへの慈しみのみ心によって、イスラエルを救うために用いて下さったのです。同じようなことは先月読んだ13章にも語られていました。ヤロブアムの祖父であるヨアハズも、「ネバトの子ヤロブアムの罪」に従って歩んだ人であり、主の怒りによってイスラエルはアラムという外国に攻められ、苦しめられていました。主はイスラエルの苦しみを御覧になって、「一人の救い手」を与えてその危機から救って下さったということが、13章の5節に語られていました。その主のみ心は13章23節にこう語られていました。「しかし、主はアブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約のゆえに、彼らを恵み、憐れみ、御顔を向け、彼らを滅ぼそうとはされず、今に至るまで、御前から捨てることはなさらなかった」。主なる神は、イスラエルの民の最初の先祖であるアブラハム、イサク、ヤコブと契約を結んで、彼らをご自分の民として下さいました。主はその契約にどこまでも忠実であろうとしておられ、その契約のゆえに、イスラエルの民を見捨てることをなさらず、彼らに何度も助けをお与えになったのです。この主の恵み、憐れみのみ心が14章にも示されています。ヤロブアム二世の下での北王国の繁栄を、申命記的歴史家はそのように捉えているのです。

この世の現実を信仰の目で見つめる
 ここには、この世の目に見える現実をどのように捉え、見つめるか、という大事な問題が示されています。この世の目に見える現実として起っているのは、南王国ユダがアマツヤという愚かな王の下で危機に陥り、反対に北王国イスラエルはヤロブアム二世という優れた王の下で繁栄している、ということです。この二人の対照的な王を、主の戒めに従っているか、あるいは偶像を取り除かずに拝んでいるかということだけで評価して、アマツヤを良い王、ヤロブアムを悪い王としているのは、この世の現実を無視した、観念的であまりにも単純な評価だ、という感じがします。信仰だけによって人を判断している申命記的歴史家は、この世の現実とその中で生きている人間を正しく評価することが出来ていない、と思ったりするのです。しかしそれでは、この世の現実において力を持ち、繁栄している者こそが正しい、と評価されるべきなのでしょうか。列王記は、その繁栄は主なる神の憐れみによるのであって、その歩みは基本、滅亡へと向かっているのだ、と語っているのです。後の目から見れば、歴史はまさに列王記が語っているように動いていきました。北王国イスラエルは、主の憐れみによって一時繁栄を得ましたが、結局滅びていったのです。それは南王国ユダも同じです。金の子牛の像を造るという罪は犯さなかったとしても、主なる神との契約を大切にせず、主のみ心から離れていってしまったことによって、北王国の滅亡からおよそ150年後に、南王国ユダも滅びてしまったのです。南北両王国の歴史は、主なる神が、忍耐と憐れみによって彼らを支えて下さり、悔い改めて主なる神との契約に立ち帰ることを待っておられた歴史です。この主の忍耐と憐れみに気づかないなら、その歩みは滅びへと至るのです。列王記は、目に見えるこの世の現実の背後に隠されているこの神のみ心を、信仰の目によって見つめているのです。

つながれている者も解き放たれている者も
 信仰の目によってこの世の現実を見つめている列王記は、北王国イスラエルの人々が、ヤロブアム二世の下での繁栄の中で、深い苦しみに陥っていることを語っています。それが26節です。「主は、イスラエルの苦しみが非常に激しいことを御覧になったからである。つながれている者も解き放たれている者もいなくなり、イスラエルを助ける者もいなかった」。自分のための神である金の子牛の像を拝んでいるイスラエルの人々は、表面的な繁栄の中で、非常に激しい苦しみの中にあった、ということを列王記は語っています。その苦しみは「つながれている者も解き放たれている者もいなくなり」という苦しみだと表現されています。これはとても意味の深いことだと思います。自分のための神である偶像を拝んでいるところには、つながれている者も解き放たれている者もいなくなるのです。それは、自分が罪に繋がれており、罪に支配されてしまっていることを指摘されることがない代わりに、罪から解き放たれて本当に自由に生きることもできない、ということだと言えるのではないでしょうか。偶像の神は、私たちの罪を指摘しません。自分が罪に繋がれて滅びへと向かっていること示して、悔い改めを求めるようなことはありません。自分のための、自分に都合のよい神なのですから、そんなことはしないのです。自分に心地よいことだけを約束するのが偶像の神です。しかしそこには、罪の赦しもありません。罪に支配されている者が悔い改めてそこから解放され、神の子とされ、神の愛の中で生きるというまことの自由もそこにはありません。つまり偶像の下には、罪を示されることもなければ、救いもないのです。イスラエルの人々の苦しみが非常に激しく、彼らを助ける者もいなかった、と言われているのはそういうことなのはないでしょうか。目に見える繁栄の中で、しかし自らの罪を示されることなしに、そしてそこからの赦しと解放を与えられることなしに生きるのは、実は激しい苦しみであり、滅びへと向かう歩みなのです。それは他人事ではありません。私たちもまさに、表面的な繁栄、豊かさの中で、この激しい苦しみの中にいるのではないでしょうか。

主イエスの十字架の苦しみによって
 主なる神は、私たちの激しい苦しみを御覧になって、助ける者を遣わして下さいました。それが神の独り子、主イエス・キリストです。主イエスは私たちの罪を全て背負って十字架の苦しみと死を引き受けて下さり、私たちに罪の赦し、罪の支配からの解放を与えて下さいました。この主イエスと出会うことによって私たちは、自分が、そしてこの社会が、罪に繋がれ、支配されていることを示されます。繁栄と豊かさを得ているように見える歩みが、基本的に滅びへと向かっていることを示され、悔い改めを求められます。しかしそれと共に、神の独り子である主イエス・キリストが、十字架の苦しみと死とによって私たちの罪を既に赦して下さっていること、罪の支配から私たちを解き放って、神の子として新しく生きることができるようにして下さっていることをも示されます。主イエス・キリストは、十字架の死へと歩むことによって、私たちの激しい苦しみをご自分の上に引き受けて下さり、私たちを、罪を赦され解き放たれた者として生かして下さっているのです。

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