「神の箱の帰還」 牧師 藤掛順一
・ 旧約聖書:サムエル記上 第5章1節-6章14節
・ 新約聖書:ルカによる福音書 第24章13-35節
・ 讃美歌:2、457
神の箱が奪われた
私が夕礼拝の説教を担当する日には、旧約聖書サムエル記上からみ言葉に聞いておりまして、前回9月には第4章を読みました。そこには、イスラエルの民がペリシテ人との戦いに敗れて、神の箱を奪われてしまったということが語られていました。ペリシテ人とは、イスラエルがその王国形成期に戦った最も手強い他民族です。彼らとの戦いの中でイスラエルは、それまでのゆるやかな部族連合体から、中央集権的な王国へと変わっていったのです。そしてこのペリシテ人との戦いに勝利したことによって、あのダビデ、ソロモンの王国の繁栄がもたらされたのです。しかし今読んでいるあたりはまだ、勝利するどころか、ペリシテ人に完膚なきまでに打ち破られ、自分たちの陣営に迎えてあった、イスラエルの民にとって最も大事なものである「神の箱」を分捕られてしまうという有様でした。
神の箱とは、主なる神がイスラエルの民をエジプトでの奴隷状態から解放して下さり、約束の地カナンへと荒れ野を旅していた時に、シナイ山で与えて下さった十の戒め、つまり十戒を刻んだ二枚の石の板を収めた箱です。十戒は、単なる掟、戒めではありません。神はイスラエルを奴隷の苦しみから救い出し、その恵みを土台として彼らと契約を結んで下さいました。主なる神がイスラエルの神となり、イスラエルは神の民となって下さったのです。つまり主はこの契約において、「わたしはあなたたちの神となる」と約束して下さったのです。この契約の印として十戒が与えられました。ですから十戒は、これを守れば神によって救われる、という条件を語っているのではなくて、イスラエルの民が、自分たちをエジプトの奴隷状態から救って下さった主なる神の民であることを確認し、その救いの恵みの中で生きるための道しるべなのです。その十戒を入れた箱が神の箱です。これこそ、イスラエルの民にとって、主なる神が自分たちの神であって下さり、共にいて下さり、守り導いて下さることの印だったのです。そしてこの神の箱の純金でできた蓋の部分こそ、神の座したもうところであると考えられていました。それゆえに神の箱が聖所の中心に置かれ、そこに向かって犠牲が捧げられ、礼拝がなされていたのです。神の箱はイスラエルの民の信仰の中心であり、礼拝の中心でした。その神の箱を敵に奪われてしまったのですから、これはイスラエル始まって以来の不祥事、前代未聞の出来事だったのです。
イスラエルの民の二つの間違い
どうしてこのようなことになってしまったのでしょうか。普段はシロという町の神殿に安置されていた神の箱がなぜ戦場の真ん中にあったのでしょうか。それはイスラエルの人々が、ペリシテ人と戦うに際して、主なる神に共にいてもらって、守ってもらって、その神の力を借りて敵を打ち破ろうとしたからです。つまり、自分たちの力に余る強い敵との戦いだから、神さまにも出陣していただこうとしたのです。しかしこのことは二重の意味で大きな間違いでした。第一に、神の箱を担いで来れば主なる神に出陣していただけると思ったことが間違いでした。神の箱は確かに神の座しておられる所と言われていましたが、それは神がその箱に付属していて、その箱を担いで来れば自動的に神を担ぎ出すことができるということではありません。神の箱とそこに収められている十戒の板は、先ほど申しましたように、神がイスラエルの民と結んで下さった契約を指し示しています。神はその契約において、民と共にいて下さり、守り導いて下さるのです。主なる神がイスラエルの神であるというのは、イスラエルの民の所有物になったということではありません。神の箱は御神輿やご神体とは全く違うのです。神の箱を担ぎ出せば神を担ぎ出すことができると思ったところに、彼らの第一の大きな間違いがあったのです。
そしてこのことは第二の、さらに深刻な間違いから生じたことです。それは、神を、自分たちの思いや願い、必要を満たすために担ぎ出そうとしたことです。主なる神が自分たちの神であり、自分たちは神の民だというのは、契約において与えられた恵みです。それは、神を自分たちの願いの実現のために利用することができるということではありません。それでは、主なる神も、イスラエルの周辺の国々の民が拝んでいる偶像の神々と変わらない存在となってしまいます。主なる神は、神の像を造ることを十戒において固く禁じていました。だからイスラエルには偶像はありませんでした。しかし彼らがここでしたことは、生きておられる神を自分たちの必要に応じて担ぎ出すことができる神、つまり偶像としてしまうことだったのです。イスラエルの民はこのように二重の意味での過ちを犯しました。その結果、戦いに無惨に敗れ、神の箱を奪われてしまったのです。つまり彼らの期待したように主なる神は守ってくれませんでした。主はむしろ彼らを敵の手に渡し、敗北させたのです。
神の箱による災い
本日の箇所はその後の話です。戦いに勝ったペリシテ人たちは、奪い取ったイスラエルの神の箱を、自分たちの神ダゴンの神殿に持って行きました。この神の箱こそ、このたびの戦さにおける最大の戦利品です。当時の戦いは、それぞれの民が拝む神どうしの戦いであると考えられていました。ですから戦いに負けたということは、その民の神が相手の民の神に負けて屈服したことを意味します。イスラエルの神である主が、ペリシテの神ダゴンに敗れ、屈服した、その目に見える証拠が、分捕られた神の箱です。ペリシテ人たちはそれをダゴンの前に、ダゴンへの捧げものとして奉納して勝利を祝ったのです。ところが翌朝になってみると、ダゴンの像は神の箱の前にうつぶせに倒れていました。うつぶせに伏すというのは、神を拝む姿勢です。ですからこれはダゴンが主なる神の箱を拝んでいる、という構図です。人々はどうしたんだろうといぶかしがりつつダゴンの像を元のように立たせました。ところが次の朝になると、ダゴンはまた倒れ伏しており、今度はその頭と両手が切り取られて別の所にあったのです。この出来事は、ダゴンが全く無力な偶像に過ぎないことを明らかにしています。それに加えて、5章6節には「主の御手はアシュドドの人々の上に重くのしかかり、災害をもたらした」とあります。はれ物を生じさせる病気が起ったのです。また6章5節を読むと、「大地を荒らすねずみ」の災いもあったことが分かります。はれ物とねずみによる災厄がペリシテの人々に下ったのです。これはねずみによって感染するペストだったのではないかと考える人もいます。いずれにせよ、神の箱が置かれたアシュドドの町の人々は大きな災いを受けたのです。それでその箱を別の町に移しましたが、そこでも同じ災いが起りました。そのためにペリシテの人たちの間に、5章11節に語られているような声が起ったのです。「イスラエルの神の箱を送り返そう。元の所に戻ってもらおう。そうすれば、わたしとわたしの民は殺されはしないだろう」。
神の箱の帰還
6章に入ると、ペリシテの祭司と占い師たちがこの人々の声に対してどうしたかが語られています。彼らは、自分たちに襲いかかっている災いである「はれ物」と「ねずみ」の模型を、ペリシテの領主の数に合わせて金で造り、神の箱とその模型を車に載せ、6章7節にあるように、「まだ軛をつけたことのない、乳を飲ませている雌牛二頭」をその車につなぐように命じました。乳を飲ませている雌牛を子牛から引き離して車に?ぎ、子牛は小屋に戻したのです。その上で、その雌牛が車をどこへ引いて行くか、成り行きに任せるように言いました。その雌牛に引かれた車がイスラエルの民の町であるベト・シェメシュへと向かうならば、9節にあるように、「我々に対してこの大きな災難を起こしたのは彼らの神だ。もし、その方向に上って行かなければ、彼らの神の手が我々を打ったのではなく、偶然の災難だったのだということが分かる」と言ったのです。ここにはペリシテの祭司や占い師たちの思惑が見て取れます。彼らは6章の始めの方では、この災いはイスラエルの神のゆえに起っているので、神の箱を、賠償の献げ物を添えてイスラエルに帰す必要があると言っています。しかしそれは人々がそう思っていることを受けてのことで、彼らの本心としては、戦いに負けたはずのイスラエルの神が災いを下しているなどということを認めたくはないわけです。それで彼らは、雌牛の引く車に神の箱と献げ物を載せ、雌牛がそれをどちらに引いていくかによって、誰がこの災いを下しているのかを確かめようと言いました。まだ軛をつけたことのない、しかも子牛に乳を飲ませている牛を子牛から引き離して車につないだら、牛たちは嫌がり、また子牛のもとに戻ろうとするに決まっています。彼らはそれを見越してこのようにしているのであって、雌牛が子牛たちのいる元の牛舎に戻ろうとするのを人々に見せて、この災いはイスラエルの神によるのではなくて、偶然の災難だったのだと人々を納得させようとしたのです。戦いに勝った自分たちの神ダゴンが、負けたイスラエルの神に屈服するなどということは彼らには堪え難いことだったのです。
このようにお膳立てが整えられて、雌牛たちの引く車が放たれました。すると全く予想に反して、12節「雌牛は、ベト・シェメシュに通じる一筋の広い道をまっすぐに進んで行った。歩きながら鳴いたが、右にも左にもそれなかった」のです。ベト・シェメシュはイスラエルの町です。雌牛たちは自分たちの小屋へ帰ろうとせず、イスラエルの地へとまっすぐに進んで行ったのです。「歩きながら鳴いたが」というのは、雌牛たちが自分の思いとは違う方向へと何かの力によって歩まされていて、そのために嫌がって鳴いたのだとも考えられます。本当は子牛たちのところに戻りたかったのに、神の力によってイスラエルの方へと歩まされたのです。こうして神の箱はイスラエルの地に帰って来ました。ベト・シェメシュの人々はそれを見て喜び、神の箱を載せて来た車を薪にして、引いて来た雌牛を焼き尽くす献げ物として主にささげ、主なる神を礼拝しました。
神による裁きと赦し
この神の箱の帰還の話は何を語っているのでしょうか。イスラエルは戦いに負けたけれども、主なる神がペリシテの偶像ダゴンに負けたわけではない。主なる神はむしろダゴンを打ち破って自らイスラエルへと帰って来た。そういうことでしょうか。表面的にはそういう話であるわけですが、ここにはもっと深いメッセージが込められていると思います。先ず第一に気づかされるのは、本日読んだ第5章そして6章と、前回の第4章との大きな違いです。5章以下では、神の箱はまことに大きな力を発揮しており、主なる神の勝利が示されています。ところが前回読んだ第4章では、神の箱は何の力も発揮していません。神の箱を陣営に迎えたのに、イスラエルはペリシテに打ち破られ、神の箱はペリシテ人たちに奪い去られてしまったのです。戦いの時には全く力を発揮しなかった神の箱が、負けて分捕り品になった途端に大きな力を発揮しているのです。どうせなら、戦いの時に力を発揮してペリシテ軍を打ち破ってくれればよかったのに、と思います。そうはなっていないところに、この話の大事なメッセージがあるのです。つまりイスラエルが戦いに敗れ、神の箱が奪われたのは、主なる神が弱かったからでも、力を発揮できなかったからでもなくて、主なる神ご自身がそうなさったのです。それは、イスラエルの民に、先程申しましたあの間違いを悟らせるためでした。神の箱を持って来れば神の守りや助けを得ることができると思った、その間違いです。神は一つの箱に縛り付けられているような方ではなくて、自由な主であることをイスラエルの民に示し、自分たちの願望を叶えるために神を利用しようとした彼らの傲慢を打ち砕くために、主はあの戦いにおいてイスラエルを敗北させられたのです。4章で神の箱が何の力も発揮しなかったのはそのためです。他方5章以下の、神の箱がペリシテ人に奪い去られてしまったという状況は、先程も申しましたように当時の人々の感覚からすれば、イスラエルの主なる神がペリシテの神ダゴンに敗北し、屈服した、と思われる状況です。ペリシテ人は勿論、イスラエルの民もそう思わずにはおれない現実の中で、主なる神は、ご自分こそまことの神であることをお示しになったのです。そして主はご自身の力で、神の箱をその本来あるべき所に、つまりイスラエルの民の中に戻されたのです。5章以下の神の箱の帰還の話は、主なる神がイスラエルの民との契約を再確認し、「私はイスラエルの神である」と再び宣言して下さった、ということを語っているのです。つまりこの一連の話には、主なる神の、ご自分の民イスラエルの罪に対する裁きと赦しが語られています。神の箱が奪われたことはイスラエルに対する神の裁きであり、その帰還は赦しの恵みなのです。
神が恥辱を受け、勝利した
この神の裁きと赦しという視点からもう一度この話を振り返ってみたいと思います。神の箱が奪われたことはイスラエルの民の罪に対する主なる神の裁きでした。民はこの裁きによって大きな苦しみを受け、恥辱を被りました。しかし、このことによって最も大きな恥辱を受けたのは主なる神ご自身であると言うべきです。人々の目から見たらこのことは、主なる神がダゴンに負けて、ダゴンの捕虜になり、ダゴンの神殿でさらし者にされてしまった、ということなのです。丁度、士師記に出て来たサムソンが、やはりペリシテ人に捕えられて目をえぐられ、神殿でさらし者にされたのと同じことです。主なる神のイスラエルの民への裁きは、主ご自身がこのような苦しみ、恥辱を受けることにおいてなされたのです。主はイスラエルの民に苦しみを与えて懲らしめ、その罪を悟らせようとなさるその時に、ご自身が最も大きな苦しみと恥辱を負われたのです。そして主なる神は、この苦しみと恥辱の中から、神としての力によって立ち上がり、敵に勝利して、神の箱をイスラエルの民のもとへと帰還させました。それは主が、イスラエルの民の罪を赦して下さり、彼らと結んだ契約を再確認して、ご自分がイスラエルの神であるともう一度宣言して下さったという救いのみ業でした。この救いは、全く主ご自身の力によってなされました。イスラエルの民が神の箱を奪還したのではありません。イスラエルの人々は戦いに負け、神の箱をも奪われたことに茫然自失し、絶望していたのです。その間に、主ご自身が力を発揮して、神の箱を本来あるべき所に戻されたのです。ここに、偶像の神と生きておられるまことの神との違いが示されています。偶像の神は、自分で自分を助けることができません。倒れ伏したダゴンは人に立たせてもらわなければ立ち上がることすらできないのです。しかし主なる神は、苦しみと恥辱の中からご自分で立ち上がり、敵に勝利してイスラエルの民のもとに戻って来られたのです。
キリストの十字架と復活を指し示している
主なる神によるこの裁きと救いを見つめる時私たちは、この神の箱の話と、主イエス・キリストの十字架と復活が重なり合っていることに気づきます。主イエス・キリストの十字架は、私たちの罪に対する神の裁きです。主イエスは十字架の上で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。それは罪人である私たちが神に裁かれ、見捨てられなければならない、その裁きにおいて私たちが発するはずの絶望の叫びです。しかしその神の裁きを、その絶望を、神の独り子であり、人間となって下さったまことの神である主イエス・キリストが、私たちに代って受けて下さったのです。神の裁きを神ご自身が引き受け、その苦しみを背負って下さったのです。この点で、神の箱が奪われたことと主イエスの十字架の死とは重なり合います。そして父なる神は、主イエスを死者の中から復活させ、罪と死の力に勝利して新しい命を与えて下さいました。それは神がご自身の力で神の箱をイスラエルの民のもとに帰されたことと重なり合います。どちらも、人間の力や努力によることでは全くなくて、ただ神の力によって実現したことです。本日共に読まれた新約聖書の箇所はルカによる福音書第24章の、復活された主イエスが、エルサレムからエマオへと向かっていた二人の弟子たちにお姿を現されたというところです。この二人の弟子は、主イエスこそイスラエルを救って下さる方だと期待をかけていました。しかしその主イエスが十字架にかけられて無惨に殺されてしまった、その失意と絶望の中で彼らはエルサレムを離れて行こうとしていたのです。彼らはこの朝既に主イエスの復活の知らせを聞いていましたが、それを信じることができず、エルサレムから離れて行こうとしていたのです。その彼らの傍らに、復活した主イエスが近づいて来て、共に歩んで下さいました。彼らは最初はそれが主イエスであることが分かりませんでしたが、主イエスは彼らに聖書を説き明かし、救い主キリストは苦しみを受けることを通して栄光に入ることが聖書に語られていることを示して下さったのです。神の箱の帰還と同じように、神の恵みの死に対する勝利による主イエスの復活も、人間が失意と絶望の中にいる間に、神の力によって成し遂げられたのです。サムエル記が語っている神の箱の話は、神の裁きと救いを描いており、それは主イエス・キリストの十字架と復活において神が私たちの罪を裁くと共に赦して下さった救いの出来事を指し示しているのです。
神の御前に立つことができる者
ですからこの神の箱の話は、イスラエルの民がペリシテ人に対して、自分たちの神である主こそが生きておられるまことの神だ、と誇るための民族主義的な話ではありません。神の箱が自分の力で帰って来た、メデタシメデタシとはならないのです。先程朗読した所の続きの6章19節以下には、雌牛の引く車に乗って帰って来た神の箱を迎えたベト・シェメシュの人々が、主によって打たれ、五万人のうち七十人が死んだことが語られています。ベト・シェメシュの人々はイスラエルの民です。主なる神の民であるはずの人々が主なる神によって打たれたのです。それは「主の箱の中をのぞいたからである」と19節にあります。神の箱の中をのぞくというのは、主なる神ご自身とその契約の恵みを畏れかしこむのでなく、興味の対象としてのぞいて見る、ということです。つまり彼らは主なる神を畏れかしこむ礼拝の心を失っていたのです。そのことに対して主は怒られたのです。このことを体験したベト・シェメシュの人々は20節でこう言っています。「この聖なる神、主の御前に誰が立つことができようか」。これこそが、神の民であるイスラエルが常に失ってはならない思いなのです。イスラエルがペリシテに敗れたのは、この思いを失い、主なる神を自分たちの必要な時に担ぎ出して利用しようとする罪に陥ったからでした。その罪を主はお裁きになり、しかしその裁きの中でもなおイスラエルの神であり続けることを示して下さったのです。つまり、主の御前に立つことが到底出来ない民を、赦して御前に立たせ、もう一度礼拝ができるようにして下さったのです。主イエス・キリストの十字架と復活によって神が私たちに与えて下さった救いもこれと同じです。私たちも元々は、主のみ前に立つことなどできない罪人です。その私たちの罪に対する裁きを独り子主イエス・キリストが代って受けて下さり、十字架にかかって死で下さったことによって、神は私たちを赦して下さいました。また主イエスを死者の中から復活させて下さったことによって、私たちにも新しい命を与えて下さり、神の御前に立って礼拝をすることができる神の民として下さったのです。