夕礼拝

奪われた神の箱

「奪われた神の箱」牧師 藤掛順一

・ 旧約聖書:サムエル記上 第4章1-22節
・ 新約聖書:使徒言行録 第20章28-32節
・ 讃美歌:155、457

ペリシテ人
 私が夕礼拝の説教を担当する日には、旧約聖書サムエル記上からみ言葉に聞いています。前回は五月でした。その時にも申しましたが、サムエル記には、イスラエルに王が立てられ、それまでの十二部族のゆるやかな連合体から中央集権的な王国となっていく、という大きな転換期のことが描かれています。そのような転換をもたらした一つの大きな要因は、外敵の存在でした。強力な敵によって国の存続が脅かされる中で、王のもとに一致団結して国を守る体制を確立することが必要となったのです。その敵とはペリシテ人です。この民族は既に士師記の後半から登場しており、イスラエルの民を苦しめ、支配するようになっていました。士師ギデオンが戦ったのも、サムソンが相手にしたのも、ペリシテ人でした。これらの士師たちはペリシテ人と戦って散発的な勝利を得ましたが、ペリシテ人がイスラエルを脅かしているという状態は基本的に変わっていません。ユダの西の地中海岸に住むペリシテ人との間は常に一触即発の状態が続いたのです。
 このペリシテ人は、元々この地に住んでいたのではなくて、移住して来た民です。どこから来たのかについては学者の間で説が分れていますが、とにかく彼らは外来の民なのです。その外来の民によってイスラエルを始めとするこの地の民に、それまではなかった新しい文明が持ち込まれました。それは鉄です。イスラエルが基本的にまだ青銅器文明の段階にあった時、彼らは鉄器文明を持っていたのです。それが彼らの軍事力を強大なものにしました。イスラエルがペリシテに対して常に劣勢に置かれていたのはそのためです。

敗戦の原因
 さて、本日の第4章の冒頭には、そのペリシテ人とイスラエルの戦いのことが記されています。イスラエルはペリシテに向かって出撃しましたが、打ち破られて四千人の戦死者が出た、と2節にあります。この敗戦の知らせを聞いたイスラエルの長老たちの言葉3節に語られています。彼らは、「なぜ主は今日、我々がペリシテ軍によって打ち負かされるままになされたのか」と問うたのです。かぜ自分たちは負けたのか、敗戦の原因は何か、という問いです。戦争に負けるという体験から、そういう問いが生まれます。またそうでなければならないでしょう。「なぜ私たちは戦争に負けたのか」ということを真剣に考えることから、敗戦後の新しい歩みは始まるのです。
 私たちの生きるこの国も、74年前に敗戦を体験しました。8月はそのことを覚える月です。あの敗戦において、この国もあの問いの前に立たされ、そこから戦後の歩みが始まったはずです。しかし私たちは、その問いをきちんと問い、その答えをちゃんと確認して歩んでいるしょうか。あの敗戦の原因を追及し、そこに至る歩みを徹底的に検証して、その反省の上に立った新しい国づくりをしてきたでしょうか。新しい憲法が制定され、民主国家となって歩んで来ましたが、その歩みの中で、この国のみならず諸国の多くの人々の命が失われる戦争に突入し、そして敗戦に至ったことの根本的原因についての検証と反省が欠けていたのではないでしょうか。それは今や、戦争や敗戦の体験を直接にはしていない私たち戦後世代の者たちの問題です。直接体験していなくても、この国の歩みを、特に明治以降の近隣諸国との関係の歴史をきちんと振り返り、悲惨な戦争と敗戦の原因がどこにあったのかを確かめ、それをこれからの歩みに生かしていくことは、今の時代を生きる私たちの責任です。しかし最近は、自分たちの歩みのどこかに問題があったのではないか、という真摯な問いと向き合おうとせず、自国の歴史をひたすら肯定し礼賛しようとするような言葉が声高に語られるようになっています。あの敗戦を、アメリカの物量に負けたのだとしか捉えないとしたらそれは、イスラエルの民がペリシテ人に敗けた原因を、こちらは青銅の武器しかないのにあちらには鉄の武器があったからだとしか考えないのと同じです。イスラエルの人々は、そんな浅薄な考え方はしませんでした。彼らは、先程の3節の問いにあったように、この敗戦を、武力や国力の違いによることとしてではなく、主なる神によることと考えたのです。主が我々を、ペリシテ軍に打ち負かされるままにされた、それが敗戦の原因だと考えたのです。これは、向こうには鉄の武器があったからとか、向こうの方が物量において優っていたから、ということよりもよほど深い、そして真実により近い捉え方です。サムエル記の前の時代のことを語っている士師記において、いやさらに遡って申命記にも語られていたことですが、イスラエルの民が敵に打ち負かされてしまうのは、彼らをエジプトにおける奴隷の苦しみから救い出し、荒れ野の旅を導き、カナンの地を与えて下さった主なる神を忘れ、主に従わなかったためです。つまり、敗北は神の怒りの現れであり、敗戦の原因は人間の力や物量の不足ではなくて、神との関係、神の前で正しく歩んでいるかどうかにあるのです。このたびのペリシテに対する敗戦もそうです。この時イスラエルは神の前にどのような状態にあったのでしょうか。そのことが2章12節以下に語られていました。神の箱、契約の箱の置かれている聖所シロの祭司エリは高齢で、その二人の息子たち、ホフニとピネハスが祭司の務めを行っていましたが、彼らは、人々が神に捧げる供え物を横領して私腹を肥やしていたのです。エリはそれを知りつつどうすることもできずにいました。人々も祭司たちのそのような悪行を見ながら何も言えずにいました。イスラエルはそのように、主なる神に顔向けできないような状態にあったのです。そのことこそがこのたびの敗北の原因でした。敗戦は神の怒りの現れだったのです。

契約の箱を担いで来させる
 イスラエルの長老たちは、この敗戦を単なる技術や物量の問題としてではなく、主なる神によってもたらされたことと考えた、そこまでは正しく深い見識を持っていました。しかしそこで彼らが考えた対策は何だったのでしょうか。3節後半にそれが語られています。「主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう」。敗北は神によってもたらされた、というところまでは正しかったのです。しかし彼らは、神がここにおられなかったから負けたのだ、神がここにいて下さりさえすればこんなことにはならなかったはずだ、だから神をここに連れて来よう、と思ったのです。そのために彼らは、主の契約の箱をシロの聖所から陣営に担いで来させました。主の契約の箱とは、モーセがシナイ山で主なる神から授かった、十戒を刻んだ石の板二枚を収めた箱です。その箱の蓋の部分は純金で出来ていて、左右にケルビムと呼ばれる天使というか怪物のようなものが翼を広げています。この契約の箱の蓋の部分は「贖いの座」と呼ばれており、そこに主なる神がご自身を現されると考えられていました。4節に「ケルビムの上に座しておられる万軍の主」とあるのはそのことを言っています。契約の箱を担いで来ることによって、主なる神を連れて来ることができる、と彼らは考えたのです。契約の箱と一緒に、それに仕える祭司であるホフニとピネハスも陣営にやって来ました。これでいよいよ、主なる神を陣営に迎えることができた。イスラエルの軍勢の士気は大いに高まりました。5節に「主の契約の箱が陣営に到着すると、イスラエルの全軍が大歓声をあげたので、地がどよめいた」とあります。イスラエルの長老たちが敗北の反省から導き出した結論はこれだったのです。

神がいてくれれば戦いに勝てる?
 ここには注目すべき点が二つあります。一つ目は、彼らが、主なる神が一緒にいて下さりさえすれば戦争に勝てると思っている、ということです。その神の前で自分たちが今何をしているか、神との関係がどうなっているか、ということは問題にせず、とにかく神は自分たちを守ってくれる、助けてくれる、戦いに勝利させてくれる、と思っているのです。私たちはこれを、何と勝手な、と笑うことはできないでしょう。神は自分に良いことを、自分の思い願っているに良いことをしてくれるはずだ、という思いは私たちにも根強くあります。だから、何か悪いこと、つらく苦しいこと、願っていたのとは違うことが起こると、すぐに神なんていないと思ったり、少くともここにはいてくれないと思ってしまうのです。でもそれでは、いつも自分の思い通りの良いことが続いていないと神を信じることができない、ということになります。神を信じているのにどうして悪いこと、つらいことが起こるのか、これでは信じていても何にもならないではないか、と思ってしまうのです。それは、イスラエルの人々が、神がいて下されば戦いに勝つことができる、と思ったのと同じことです。

神を連れて来る―偶像礼拝
 注目すべき第二のことは、彼らが、契約の箱を担いで来ることによって神を連れて来ることができる、と考えていることです。契約の箱の蓋、贖いの座の上に主は座しておられる、だからその箱を担いで来れば主ご自身を連れて来ることができる、というわけです。この箱の中に収められている十戒には、「あなたは刻んだ像を造ってはならない」という掟があります。イスラエルの民はそれに従って、主なる神の像を作ってそれを拝むことはありませんでした。しかしここで彼らがしているのは、偶像を造って拝むのと同じことです。偶像というのは、人間が持ち運ぶことができる神です。人間が好きな所に安置して、いつでもそこで拝むことができる神です。ここでは契約の箱がそういう偶像の働きをしてしまっています。その箱を担いで来ることによって、神を担いで来ることができるというのは、その箱が偶像になってしまっているのです。このことも私たちと無関係ではありません。私たちはイスラエルの民と同じように、何かの像を造ってそれを拝むことはしないかもしれません。しかし彼らがしたのは、自分たちが神のみ前に出るのではなくて、神を自分たちのところに連れて来ようとした、ということです。自分たちが悔い改めて神との関係を正すのではなくて、神を自分たちの思いや願いのために用いようとしたのです。それが偶像礼拝の本質であり、私たちも同じようなことをしているのではないでしょうか。神を、自分の思いや願いをかなえてくれる方として見つめ、そういう神を信じようとする、そのことによって自分は少しも変えられていかない、正されていかない、それは偶像を拝んでいるのと同じなのです。

奪われた神の箱
 契約の箱の到着によって、イスラエルの士気は大いに高まりました。その歓声を聞いたペリシテ人たちは大いに恐れました。しかしこのことは逆にペリシテ人たちにも、9節にあるように、「ペリシテ人よ、雄々しく男らしくあれ。さもなければ、ヘブライ人があなたたちに仕えていたように、あなたたちが彼らに仕えることになる。男らしく彼らと戦え」という思いを与えることになったのです。再び戦いが行われ、イスラエルは徹底的に打ち破られました。戦死者は先の戦いの四千人に対して今度は三万人、二人の祭司ホフニとピネハスも戦死しました。そして神の箱、契約の箱もペリシテ人たちに奪われてしまいました。その知らせを聞いたエリもその場に倒れて死にました。彼が倒れたのは、イスラエルが敗北したことを聞いたからでも、二人の息子ホフニとピネハスが死んだことを聞いたからでもありません。神の箱が奪われたことを聞いたとたん、彼は倒れたのです。イスラエルが主なる神の民として歩んできた、その中心にあった神の箱、契約の箱、主なる神が民と出会って下さる場であり聖所の中心であった神の箱、契約の箱が敵の手に奪われてしまったのです。19節以下には、ピネハスの妻がこのことを聞いて「栄光はイスラエルを去った。神の箱が奪われた」と言いつつ出産において死んだことが語られています。まさにこれは、栄光がイスラエルを去った、イスラエルが神に決定的に見捨てられてしまったと思われる、前代未聞の出来事だったのです。

サムエルの言葉は全イスラエルに及んだ
 ところで、今私たちが読んでいるのはサムエル記です。サムエル記は、サムエルという人の生涯とその働きを中心としてイスラエルの民の歩みを語っています。前回、五月に読んだ第3章には、少年サムエルが神からの語りかけを受け、預言者として立てられたことが語られていました。しかし本日の第4章にはサムエルは登場しません。その名が出て来るのは冒頭の1節のみです。そこには「サムエルの言葉は全イスラエルに及んだ」とあります。ここは、新共同訳聖書の段落の区切り方からも分かるように、3章の、サムエルが預言者として立てられたことを語っている所からの続きの文章です。3章19節以下にはこう語られていました。「サムエルは成長していった。主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認めた。主は引き続きシロで御自分を現された。主は御言葉をもって、シロでサムエルに御自身を示された」。これに続いて「サムエルの言葉は全イスラエルに及んだ」という4章1節が語られているのです。この1節は一見、その後に語られていく戦いと敗北の話とは何の関係もないように思われます。しかしそうではありません。ペリシテとの戦いにおいてイスラエルが徹底的に敗北し、神の箱が奪われる、という出来事が起こる前に、サムエルの言葉が全イスラエルに及んだと語られていることには大きな意味があるのです。サムエルの言葉、それはサムエル自身の考えではなくて、神がサムエルに語らせた、神の言葉です。神のみ言葉がサムエルを通してイスラエル全土に及んでいたのです。そのみ言葉は何を語っていたのか。それは第3章でサムエルが主なる神と出会った時に示されたことでしょう。つまり、祭司エリの息子たちの悪行を神が怒り、裁きを与えようとしておられるということです。サムエルを通して、イスラエルの民が今陥っている罪への神の怒りを告げる警告が既にイスラエル全土に及んでいたのです。イスラエルの人々がその警告をきちんと聞いていたなら、つまりペリシテとの戦いよりも前に先ず自分たちの姿勢を正し、悔い改めて悪を取り除いていたなら、今陥ったような決定的な敗北に陥らずにすんだはずなのです。最初のあの敗北は、サムエルによる警告の言葉を聞こうとしない彼らへの神からの第二の警告、懲らしめによる警告でした。その時点で「なぜ主は今日、我々がペリシテ軍によって打ち負かされるままにされたのか」という問いに直面した時に、預言者サムエルが語っている主の言葉を聞き、敗北の深い原因に思いを致して、悔い改めて主との関係を正したなら、こんなことにはならなかったのです。しかし彼らはその時も神の言葉を聞いて悔い改めるのでなく、むしろ神を自分たちのために連れて来て利用しようとしたのです。その結果があの大敗北でした。この敗北は、全イスラエルに及んでいた預言者サムエルの言葉、神の言葉を聞かなかったために起ったのだ、ということを冒頭の1節は示しているのです。

邪説
 私たちは神の言葉を心して聞かなければならない。本日共に読まれた新約聖書の箇所である使徒言行録第20章28節以下においてもそのことが語られています。使徒パウロが、エフェソの教会の長老たちに、私が去った後、教会の中に「邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れる」、そのことを常に警戒し、群れが惑わされないように気をつけてほしい、と言っているのです。「邪説」というのは、み言葉によって自らの罪を示され、悔い改めて、つまり自分が変えられて、主イエス・キリストによる赦しを神に求めていくのでなく、自分の願いをかなえ、自分の思う救いを与えてくれる偶像の神を求め、そういう神を連れて来て利用しようとするような教えです。そういう邪説が入り込むと、み言葉を心して聞こうとする正しい信仰の姿勢が崩されてしまうのです。イスラエルの民がここで陥った間違いは、教会においても、私たちの信仰の歩みにおいても起こることなのです。

敗北、失敗、挫折の中での神のみ業
 こうして神の箱はペリシテ人に奪われてしまいました。打ち負かされたイスラエルの民は神の箱を戦場に残して逃げ去ったのです。ペリシテ人はそれを戦利品として持ち帰り、自分たちの神ダゴンの神殿に、神への捧げものとして置きました。そのことは次の第5章に語られています。これは、当時の人々の感覚においては、ダゴンと主なる神が戦ってダゴンが勝った、ということを意味しています。当時の戦争はそれぞれの民の祀る神どうしの戦いであり、勝った方の神が負けた方の神よりも強かった、ということになるのです。ですから、神の箱が奪われたというのは、主なる神がペリシテの神ダゴンに敗れて捕えられ、辱めを受けた、ということなのです。普通ならそこでもう、主なる神は歴史から姿を消します。そのようにして無数の神々が消えていったのです。しかし、主なる神が歴史から消え去ることはありませんでした。この後5章以下に語られていくように、神の箱は不思議な力を発揮してイスラエルの人々のもとに戻って来るのです。そのことは次回に読みたいと思います。しかし、主なる神が歴史から消え去ることがなかったのは、神の箱が戻って来たからではありません。この出来事から数百年後には、イスラエルの人々の王国は滅ぼされ、エルサレムに築かれた神殿も破壊され、いわゆるバビロン捕囚が起り、神の箱は今度こそ全く失われてもう戻っては来なかったのです。それでも、主なる神の民イスラエルは歴史から消え去ることはありませんでした。神の箱は、主なる神がイスラエルの民を選び、ご自分の民として下さり、この民と共にいて下さり、守り導くと共にお裁きになる生ける神であられることの印として与えられたものでした。ですから問題は、神の箱があるかないかではないのです。生けるまことの神であられる主は、ご自分の民が戦いに負け、神の箱が奪われたりさらには失われたりしても、その中でなお民に語りかけ、導き、救いを与えて下さる方なのです。そこが、偶像の神との違いです。偶像の神は、民の敗北と共に力を失い、歴史から消え去っていくのです。しかし主なる神は、人間の敗北、失敗、それによる絶望の中でも、なお生きて働き、み業をなさる方です。私たちはそのことを新約聖書を通して示されています。ご自身の民に置き去りにされ、敵の手に落ち、辱めを受けている神の箱、私たちはそこに、十字架にかかって死なれた主イエス・キリストのお姿を重ね合わせることができます。神の独り子が捕えられ、死刑の判決を受け、十字架につけられて殺される、それは人間の目には敗北、失敗、挫折でしかない、絶望的な出来事です。しかしまさにそこにおいて、生けるまことの神が、私たち罪人のための救いのみ業、罪の赦しのみ業を行って下さったのです。私たちの歩みにおいても、神に背き逆らう罪に陥り、再三の警告にもかかわらず悔い改めることをせず、み言葉をないがしろにしてしまうようなことがあります。そのために、もはや望みはない、栄光は我々を去った、と言わざるを得ない事態に陥ることがあります。しかしその中でも、私たちはエリのように絶望に倒れる必要はないのです。私たちのために十字架にかかって死んで下さった、そして復活して下さった主イエス・キリストを見つめ、この方によって悔い改めと罪の赦しを与えられて、もう一度新たに歩み出すことができるのです。

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