主日礼拝

心と思いを一つに

説教題「心と思いを一つに」 副牧師 川嶋章弘

エゼキエル書 第37章15-28節
コリントの信徒への手紙一 第1章10-17節

手紙の本文の始まり
 コリントの信徒へ手紙一を読み始めて、本日は1章10節以下を読み進めます。9節まではこの手紙の序文、手紙の宛先への挨拶の部分で、いよいよ本日の箇所から手紙の本文が始まります。とはいえ序文でコリント教会への挨拶と神への感謝が形式的に記されていただけかというと、そうではありません。序文においてすでにこれから本文で語ろうとしていることが意識されていたのです。序文の最後、9節で、「神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです」と言われていました。パウロは、コリント教会の人たちが、神の招きによってイエス・キリストとの交わりに入れられた、と語って手紙の序文を終えたのです。しかしコリント教会ではまさにこの「イエス・キリストとの交わり」にひび割れが起こっていました。イエス・キリストとの交わりに入れられたコリント教会の人たちの間に起こっていた分断を、パウロは手紙の本文の最初で取り上げているのです。それはどのような分断であったのでしょうか。

クロエの家の人たち
 11節にこのようにあります。「わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました」。クロエという女性については確かなことは何も分かっていません。パウロはこの手紙をエフェソで執筆しましたから、クロエはコリントかエフェソに住んでいたのだと思います。彼女自身がキリスト者であったかどうか分かりませんが、「クロエの家の人たち」、つまりクロエの家の奴隷ないし解放奴隷はキリスト者であったのだと思います。おそらくクロエの家の人たちはコリントとエフェソの間を行き来していて、エフェソにいるパウロに、コリント教会の人たちの間に争いがあることを伝えたのです。

分派争い
 その争いについて、12節でこのように言われています。「あなたがたはめいめい、『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』『わたしはケファに』『わたしはキリストに』などと言い合っているとのことです」。コリント教会の中に、パウロ派、アポロ派、ケファ派、キリスト派と呼べるような分派が生まれていたのです。「わたしはパウロにつく」とか、「わたしはアポロにつく」というのは、おそらくそれぞれの分派のスローガンであったのだと思います。教会の中で、「私たちはパウロに!」、「私たちはアポロに!」、「ケファに!」、「キリストに!」というスローガンを声高に掲げて、四つの分派が言い合っていたのです。では、これらの分派はそれぞれどのような分派だったのでしょうか。

アポロ派
 パウロ派については後回しにして、まずアポロ派について見ていきます。最初の説教のときにお話ししたように、パウロはいわゆる「第二伝道旅行」の際にコリント教会を立て、一年六か月の間コリントにとどまり、誕生したばかりの教会の歩みを導いた後、コリントを去りました。その後、パウロは「第三伝道旅行」へと赴き、エフェソ滞在中にこの手紙を書きました。コリントを去ってからおよそ二年後のことですが、その間に、コリントでは分派争いが起こり始めていたのです。パウロが去った後、コリントにやって来たのはアポロでした。彼については使徒言行録18章24節で、「アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家」と言われています。アレクサンドリアはエジプトの都市で、前3世紀には科学、文学、芸術の花が咲き誇り、前1世紀には100万人の人口を擁した大都市でした。また多くのユダヤ人たちが暮らしていて、旧約聖書のギリシア語訳、いわゆる「七十人訳聖書」もアレクサンドリアで翻訳されました。このような都市で生まれたアポロが、聖書の豊富な知識と巧みな弁論術を身につけていたとしても不思議ではありません。彼の知的に洗練され、聞き手に感銘を与える巧みで力強い語り方は、多くのコリントの人たちを魅了したに違いありません。アポロに魅了された人たちが、コリント教会の中で、「わたしはアポロについていく」と言うようになり、「アポロ派」が生まれたのだと思います。

ケファ派
 次にケファ派ですが、「ケファ」とはペトロのことです。使徒ペトロがコリントにやって来たことがあっても不思議ではありませんが、確かなことは分かりません。ただペトロ自身がコリントに来たかどうかにかかわらず、使徒の筆頭であったペトロを重んじようとした人たちが、コリント教会にいたのだと思います。またパウロは主に異邦人に伝道したので、ユダヤ人キリスト者にとっては、自分たちの代弁者はペトロという思いがあったでしょう。さらにいえばパウロやアポロが質の高い教育を受け、知的に洗練され、ギリシア語を流暢に話したのに対して、ペトロはガリラヤの漁師でしたから教育を受ける機会もなかったし、ギリシア語も話せなかったと思います。しかしだからこそペトロに惹かれる人たちもいたはずなのです。知的だけれどとっつきにくい人より、素朴な人に親しみを覚え、素朴な語り方に心を動かされることもあります。コリントに来たかどうかはともかくとして、素朴な人柄で、素朴に語り、ユダヤ人キリスト者の代弁者であり、使徒の筆頭であったペトロを重んじようとした人たちが、コリント教会の中で、「わたしはケファについていく」と言うようになり、「ケファ派」が生まれたのだと思います。

キリスト派
 「キリスト派」については確かなことはなにも分かりません。しかしパウロやアポロやケファといった指導者を退けて、指導者なしに直接、霊的にキリストから啓示を受けていることを誇るようなグループであったのかもしれません。「あの人たちはパウロに従っている、あの人たちはアポロに、あの人たちはケファに、でも私たちはただキリストだけに従っているのだ!」というように主張していたのではないかと思います。一見正しいように思えるこの主張も、直接、霊的にキリストから啓示を受けていると言う人たちの間でしばしば起こることは、自分にとって都合の良いキリストだけを見てしまうことなのです。

パウロ派
 さて後回しにしていた「パウロ派」についてです。後回しにしていたのには理由があります。それは、おそらくこのパウロ派というのは、パウロがコリント教会を立てたときに生まれたグループではないからです。パウロ派という最古参のグループがあって、後からアポロ派やケファ派やキリスト派が生まれたのではないのです。むしろ事態は逆であったのではないでしょうか。正確な経緯は分かりませんが、パウロが去った後にアポロがやって来て、その弁舌に魅了されて「アポロ派」が生まれ、また使徒の筆頭であったペトロを重んじる「ケファ派」が生まれ、さらには「キリスト派」も出てくる中で、その反動として、自分たちの教会の創設者であり、誕生したばかりの教会を一年半に亘って導いてくれたパウロをこそ重んじるべきだ、パウロにこそ従うべきだという人たちが出てきたのです。その人たちが「わたしはパウロにつく」というスローガンを掲げて、「パウロ派」という分派を作ったのです。しかしパウロ自身は、アポロやケファを支持するグループがある中で、自分を支持するグループが出来て良かったとは、微塵も思っていませんでした。だから彼はパウロ派に対しても、ほかの派と同じように厳しい眼差しを向けています。パウロ派の人たちは、自分たちはパウロを重んじている、パウロを支えていると思っていたかもしれません。しかし分派を作っていること自体が、パウロの思いとまったく正反対のことをしていたのです。

教会には人間の罪が満ちている
 コリント教会の中では、このような分派争いが起こっていました。まだ教会が分裂していたわけではありませんが、分裂の危機にあったことには違いがありません。だからこそパウロは、この手紙の最初に、コリント教会の人たちの間に分断が起こっていたことを、キリストとの交わりにひび割れが起こっていたことを問題として取り上げたのです。
 私たちは、教会においてこのような分派争いが起こることに心を痛めます。私たちの社会では学校でも職場でも派閥のようなものがあり、互いに競ったり、足を引っ張ったり、妬んだり、悪口を言ったり、ということがあります。だからこそせめて教会では、そのようなことが起こらないでほしい、と思うのです。しかし聖書は、教会にはその誕生のときから分派争いがあったとはっきり告げています。分派争いを起こすような人間の弱さと欠けと罪に満ちていたことを隠そうとしないのです。そこまではっきり書かないで、教会の理想的な姿だけを記していれば、もっと多くの人が教会は素晴らしいと思ったかもしれないとも思います。けれども聖書は、旧約聖書も新約聖書も、そのような私たちの思いを打ち砕いて、私たち人間の罪をはっきりと示しているのです。誕生したばかりの教会にも、そして私たちの教会にも弱さと欠けと罪が満ちています。私たちの教会に分派争いがあるとは思いません。ただそれでも仲の良い人たち、気が合う人たちが集まるグループはあるでしょう。そのようなグループは、人が集まれば自然にできるものであり、それ自体が悪いことではありません。しかし仲の良い人たちのグループの中に閉じこもって、ほかの人たちと関わりを持たなくなったり、ほかのグループの悪口を言ったりしてしまうようになるなら、私たちの間にも争いがある、と言わざるを得ないのです。

キリストは幾つにも分けられてしまったのか
 このような分派争いが教会に起こってしまうことは、よく言われるように、「教会も社会の縮図だから」、と言って済ませられることではありません。13節でパウロはコリント教会の人たちにこのように問いかけています。「キリストは幾つにも分けられてしまったのですか」。パウロは、教会に分派を作ることは、単に教会に分断をもたらすだけでなく、キリストを幾つにも分けてしまうことだ、と言っているのです。この手紙の12章で詳しく述べられているように、教会はキリストの体です。教会をばらばらにすることは、ただお一人の分けることのできないキリストをばらばらにすることなのです。どんな組織でも多かれ少なかれ分派争いのようなことは起こります。しかしだから教会でも起こってもしょうがない、と私たちは言えないと思うのです。「キリストは幾つにも分けられてしまったのですか」と問われるとき、私たちは何と答えるのでしょうか。もしこの問いかけにNOと答えられないとしたら、私たちはただお一人の分けることのできないキリストを、その体なる教会を引き裂いてしまっていることを真剣に受けとめなくてはならないのです。
イエス・キリストの名による洗礼
 13節の後半には、さらに二つの問いかけがあります。一つは「パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか」であり、もう一つは「あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか」です。先に後の問いかけについて見ておきます。この問いかけに対する答えもNOです。使徒言行録などを読むと分かりますが、初代の教会では「イエス・キリストの名によって」洗礼が授けられていました(使徒言行録2章38節)。当然、「パウロの名によって」洗礼が授けられたのではありません。「名によって」と訳されていますが、「名の中へ」や「名に入れて」とも訳せます。たとえ洗礼を授けたのがパウロであっても、パウロの名によって、パウロの名の中へ、パウロの名に入れて洗礼を受けたのではなく、イエス・キリストの名によって、イエスの名の中へ、イエスの名に入れて洗礼を受け、イエス・キリストとの交わりに入れられたのです。パウロによって洗礼を授けられたとしても、パウロのものとなったのではなく、キリストのものとなったのであり、パウロが彼ら彼女たちの主なのではなく、キリストこそが彼ら彼女たちの主なのです。

誰が洗礼を授けたかは問題ではない
 このことは私たちにもよく分かると思います。「あなたは〇〇牧師の名によって洗礼を受けたのですか」と問われれば、「そうではありません」と答えるでしょう。しかし13節に続けて、14節以下でパウロが語っていることは分かりにくいのではないでしょうか。14節でパウロは、自分がクリスポとガイオ以外には、コリント教会の人たちの誰にも洗礼を授けなかったことを神に感謝しています。そして15節で「だから、わたしの名によって洗礼を受けたなどと、だれも言えないはずです」と言っています。さらに16節では付け加えるようにして「もっとも、ステファナの家の人たちにも洗礼を授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません」とも言っています。ここでパウロが語っていることのポイントはどこにあるのでしょうか。なぜ彼は、クリスポとガイオ、そしてステファナの家の人たち以外に、コリント教会の人たちに洗礼を授けなかったことを神に感謝しているのでしょうか。すでにお話ししたように、たとえパウロがコリント教会のすべての人たちに洗礼を授けたとしても、それはパウロの名によるものではなくキリストの名によるものです。そうであれば洗礼を授けた人が少なくても多くても大して違いはないように思います。それとも、パウロは洗礼を重んじていなかったということでしょうか。もちろんそうではありません。パウロはこの手紙でもコリント教会の人たちが洗礼を受けていることを当然のこととして語っていますし(12章13節)、ローマの信徒への手紙6章では洗礼について丁寧に語っています。そのパウロが洗礼を軽んじていたはずはないのです。それにもかかわらず、洗礼を授けた人が少なかったことを神に感謝しているのは、誤解を生じさせる可能性が減ったからです。確かにパウロが洗礼を授けてもパウロの名によるのではなく、キリストの名によります。それでもパウロから洗礼を受けた人が、洗礼を授けたパウロを特別な存在と見なしてしまうという誤解が、自分とパウロが特別な関係にあると思ってしまうという誤解が起こりかねなかったのです。コリントという異教文化の都市では、儀式を司る人が神聖視されてしまう傾向があったのかもしれません。ですからパウロがここで語っていることのポイントは、洗礼を授けた人が少なかったので、そのような誤解を与える可能性が小さくなったということであり、そのことを神に感謝しているのです。コリント教会の人たちは「あなたは〇〇先生の名によって洗礼を受けたのですか」と問われたら、「いえ、キリストの名によって洗礼を受けた」と答えたのでしょう。しかしそのように答えながら、「私たちは〇〇先生から洗礼を受けた」と誇る人たちがいて、争っていたのです。それではイエス・キリストの名によって洗礼を受け、イエス・キリストとの交わりに入れられたことを、自ら壊してしまっています。キリストのものとなったのではなく、パウロやアポロのものとなったかのように振る舞っているのです。キリストを主とするのではなく、パウロやアポロを主としてしまっているのです。
 このようなことは私たちの教会でも起こることです。もちろん自分に洗礼を授けてくださった牧師を大切にすることは何も悪いことではありません。それでも私たちは忘れてはいけません。誰が洗礼を授けたかが問題なのではありません。イエス・キリストの名によって、キリストの権威によって洗礼を授けられ、キリストのものとされ、キリストとの交わりに入れられたことが決定的なのです。このことを忘れて、誰から洗礼を受けたかを比べたり、誇ったりするならば、それはただお一人のキリストを、その体なる教会を引き裂くことになるのです。

福音を告げ知らせるため
 17節でパウロが「なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり」と言っているのも、洗礼を軽んじて、福音の説教を重んじているということではありません。異教社会にあって迷信的に誤解されかねない洗礼を授けるよりも、福音を告げ知らせるために遣わされた、と言っているのです。そして福音が正しく告げ知らされることによってこそ、洗礼における誤解も取り除かれていきます。その逆ではありません。キリストの十字架の死と復活による救いが正しく宣べ伝えられ、福音が正しく受けとめられることによってこそ、洗礼を受けてその救いに与り、キリスト共に死に、キリスト共に新しく生き始めることをも正しく伝えることができるのです。

キリストが私たちのために十字架につけられた
 福音を正しく受けとめるとは、13節の「パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか」という問いかけを真剣に受けとめることでもあります。この問いかけへの答えももちろんNOです。パウロではありません。イエス・キリストが私たちのために十字架につけられたのです。ほかの誰も、パウロもアポロもペトロも、私たちの代わりに、私たちの罪をすべて背負って、十字架で神の怒りを受けて死ぬことなどできません。ただ神の独り子イエス・キリストだけが私たちの代わりに、私たちの罪をすべて背負って、十字架で神の怒りを受けて死なれたのです。それほどまでにキリストは私たちを愛してくださったのです。コリント教会の人たちもこの問いかけにNOと答えたでしょう。しかしそれにもかかわらず「パウロにつく」、「アポロにつく」、「ケファにつく」と言い合っているのであれば、この問いかけを真剣に受けとめてはいません。キリストの愛を真剣に受けとめてはいないのです。それは、17節の言葉で言えば、キリストの十字架をむなしいものとしてしまっていることにほかならないのです。

心と思いを一つに
 分派争いが起こっているコリント教会の人たちへ、パウロは10節でこのように勧めています。「皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい」。「勝手なことを言わず」は、口語訳では「語ることを一つにし」と訳されています。自分勝手なことを言わないようにというより、同じ言葉を語りなさい、と言われているのです。それは、キリスト者は誰でも同じことを語るということではありません。「私はパウロに」、「私はアポロに」、「私はケファに」などと言うスローガンを捨て去って、「私たちは皆、キリストのもの」、「キリストこそ、私たちの主」と、共に告白しなさいということです。「仲たがいせず」とは、「分裂せず」という意味ですが、私たちが同じ言葉を語り、「心を一つにし思いを一つにして、固く結び合」うことによってこそ、私たちの教会は分裂することなく、一つのキリストの体である教会を築いていくことができます。この後、私たちは使徒信条を告白します。まさに私たちはこの使徒信条において同じ信仰の言葉を語り、同じ心、同じ思いになって、固く結び合うのです。キリストに対する信仰は一つだからです。私たちが同じ信仰の言葉を語り、心と思いを一つにし、固く結び合う信仰の一致の上にこそ、教会は立てられていくのです。
 キリストに対する一つの信仰は、キリストの十字架を見つめることによって与えられます。ほかの誰でもなく、神の独り子イエス・キリストが私たちのために、私たちの代わりに、私たちの罪をすべて背負って十字架につけられたことを見つめることによって与えられるのです。キリストの私たちに対する愛をしっかり見つめることによってこそ、私たちは同じ信仰の言葉を語り、心と思いを一つにして、それぞれの賜物を活かし合いながら、一つのキリストの体である教会を立て上げていくことができるのです。

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