主日礼拝

教会の広さと狭さ

「教会の広さと狭さ」  牧師 藤掛順一

・ 旧約聖書: 申命記 第30章15-20節
・ 新約聖書: コリントの信徒への手紙一 第16章5-24節
・ 讃美歌; 22、393、573

 
今後の計画
 本日をもって、コリントの信徒への手紙一の連続講解説教を終えます。前回、ペンテコステの礼拝においては、22節の「マラナ・タ」という言葉に絞ってみ言葉に聞きました。本日は、5節以下の全体を見ていきたいと思います。この5節からが、この手紙の結びの部分です。
 5~12節には、パウロのこれからの計画が語られています。8節にあるように、パウロは今エフェソにいます。パウロは3回に亘る大伝道旅行をしましたが、今はその第3回目の途上にあります。使徒言行録第19章によれば、第3回伝道旅行において、パウロはエフェソに2年以上留まって伝道をしました。エフェソはいわゆる小アジア、今のトルコの西のはじにあり、エーゲ海を挟んでギリシャと向かい合っています。パウロはこの町で伝道をしながら、第2回伝道旅行において彼が土台を据えたギリシャの諸教会とも連絡を取り合い、その中のコリント教会の様子を特に心配してこの手紙を書いたのです。そして彼は、この後ギリシャの諸教会を訪れたいと願っています。5節に「わたしは、マケドニア経由でそちらへ行きます」とあるのはその思いです。マケドニアはギリシャの北部です。エフェソから小アジアを北上し、エーゲ海の北を回っていわゆるバルカン半島に入り、先ずマケドニアの諸教会を訪ね、それから南下してギリシャの南部、アカイア州の中心都市であるコリントを訪ねる、そういう計画を彼は抱いているのです。そして、コリントではじっくりと滞在して教会の人々と語り合いたい、と願っています。7節にその願いが語られています。「わたしは、今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない。主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています」。パウロがこのように思うのは、私たちがこれまでこの手紙で読んできたように、この教会には、信仰の上でも、生活においても、様々な問題や対立があったからです。それらのことをふまえてこの手紙を書いたパウロは、一刻も早くコリントへ行って、教会の人々に直接語りかけたいと思っているのです。

主の開いて下さった門
 けれども8、9節には、その思いとは違うことが語られています。「しかし、五旬祭まではエフェソに滞在します。わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるからです」。「五旬祭」とはペンテコステです。それは春の終りから夏の始めの時期です。この手紙が書かれたのがいつごろの季節かはわかりませんから、「五旬祭まで」というのがあとどのくらいの期間なのかはっきりしませんが、いずれにせよパウロは、今すぐにはコリントに向けて旅立つことはできない、と言っているのです。コリントの教会のことを思えば、すぐにでも向かいたいところだが、今はそれができない、それは何故かというと、「わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるから」です。「自分の働きのために大きな門が開かれている」というのは、このエフェソでの、またエフェソを拠点とした小アジア地方での伝道において、まだまだ多くの実りが得られそうだ、ということでしょう。つまり、自分の働きが生かされる場がここにある、ということです。だから今はこの場を離れることができない、と彼は言っているのです。「わたしの働きのために大きな門が開かれている」というところにはそのように、自分の賜物が豊かに用いられて成果をあげることができる場がここにある、という感じがするわけですが、しかしそこには同時に「反対者もたくさんいるからです」とあります。パウロがなおしばらくエフェソに滞在しようとしているのは、よい働きの場があり、成果をあげることができそうだからというだけではなくて、「反対者たち」による妨害があるからでもあるのです。つまりパウロは決して、エフェソに留まった方が楽に伝道ができて能率も上がる、と考えてここに留まろうとしているのではないのです。エフェソに留まることは、多くの反対者たちに囲まれる困難な戦いの場に身を置くことです。彼はその困難の中に敢えて留まろうとしているのです。そして、その困難の中にこそ「わたしの働きのために大きな門が開かれている」と言っているのです。しかしそれは、困難な課題を克服することによってこそ栄光がある、という英雄的な悲壮な覚悟ではありません。彼はそこに、神様の導きを見ているのです。「大きな門が開かれている」。その門を開いて下さっているのは神様です。自分が困難を克服して門をこじ開けようと言っているのではありません。主なる神様が門を開いて下さっているから、困難はあってもその門を通って行こうとしているのです。パウロはこれまで常にそのように歩んできました。彼はしばしば、自分がこうしようと思っていた計画の変更を余儀なくされてきたのです。そのことを彼は主の導きと信じて、主がこのことを禁じて、他のことを自分に命じておられるのだと受けとめ、その導きに従って予定を変更しつつ歩みました。第2回伝道旅行においても、そのように主によって道を変えられることによってギリシャに渡り、その結果コリントに教会が生まれたのです。全ては主の導きでした。主が禁じられた道を捨て、主が開いてくださった門を通って歩んできたのです。エフェソになおしばらく留まろうとしているのもそういうことです。彼はその後の計画も全て主に委ねています。7節に「主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したい」と言っているのはその思いの現れです。それは無計画、無責任だと批判する人もいるかもしれませんが、それがパウロの伝道旅行だったのです。

若い伝道者を尊重せよ
 さて10節以下には、テモテのことが語られています。テモテは彼が第2回伝道旅行の途中、小アジアのリストラの町で出会った若い信仰者で、パウロは彼を伝道旅行に伴い、弟子として育てていたのです。主の導きによってなおしばらくエフェソに留まるパウロは今、このテモテをコリントに先に遣わそうとしています。そしてそれに際して、コリント教会の人々に、若い伝道者テモテをしっかりと受け入れ、相応しく応対するように求めているのです。11節には「だれも彼をないがしろにしてはならない」とあります。前の口語訳では「だれも彼を軽んじてはいけない」となっていました。若い伝道者を、その若さのゆえにないがしろにしたり軽んじてはならない、それは、ともすればそういうことが起ったということでしょう。若い伝道者を尊重するとは、ちやほやして下へも置かぬ接待をするということではありません。10節で彼は「わたし同様、彼は主の仕事をしているのです」と言っています。伝道者を尊重するというのは、その負っている主の仕事、口語訳では「主のご用にあたっている」、そのことを尊重することです。主のみ言葉を宣べ伝え、教会を導くという主のご用にあたっている、そこにおいて、テモテも私も同じなのだ、いろいろの点で未熟さのある若い者であっても、その負っている働きのゆえに彼を尊重しなさい、とパウロは諭しているのです。そのことによって彼が求めているのは、一伝道者への処遇の問題ではなくて、教会が、主のみ言葉を尊重し、それに従っていくということなのです。

兄弟アポロ
 12節には、もう一人の伝道者、アポロのことが語られています。アポロも、以前にコリントで伝道した人の一人です。そしてこの手紙の初めの方にあったように、コリント教会には、パウロ派、アポロ派という派閥、グループが出来てしまいました。アポロはその一つのグループにかつがれてしまったのです。パウロはここで、自分とアポロの間にはそんな対立関係はない、ということを語っています。パウロにとってアポロは「兄弟アポロ」です。そして彼はアポロに、コリントに行くようにとしきりに勧めています。彼がアポロと対抗してパウロ派の勢力拡大を願っているならばそんなことを勧めるはずはありません。またアポロの方も、そのように勧められても、今コリントへ行く意志は全くないのです。それは、アポロも、自分がコリントへ行くことによって、派閥対立を煽るようなことになってはいけないと思っているということでしょう。つまりパウロはここで、自分もアポロも、派閥の頭としてかつがれることを喜んでいないのだから、コリント教会の人々もおかしな内部対立をやめて、主のみ言葉に聞き従うことにおいて一致してほしい、と語っているのです。

互いに仕え合うために
 このように、二人の同僚の伝道者のことを語るパウロの言葉は、コリント教会のための配慮に満ちています。その配慮はさらに15節以下にも継続していきます。15節には「ステファナの一家」について語られています。彼らは「アカイア州の初穂」であるとあります。アカイア州は、先程申しましたようにギリシャ南部の地域名で、コリントがその中心です。その初穂というのは、コリント伝道の最初の実りということでしょう。それは、必ずしも時間的に最初に洗礼を受けたということではないかもしれません。しかしこの一家は、「聖なる者たちに対して労を惜しまず世話をしてくれた」のです。「聖なる者たち」というのは信仰者たちのことです。この手紙の1章2節にあったように、洗礼を受けて教会のメンバーとなった者たちは皆「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々」なのです。その信仰者たちのために労を惜しまず世話をした、そういう奉仕において彼らは第一に記憶されるべき人々である、という意味で「初穂」と呼ばれているのでしょう。そういうステファナの一家の名があげられ、16節では「この人たちや、彼らと一緒に働き、労苦してきたすべての人々に従ってください」とあります。ここはこの翻訳だけで読むと、このように献身的に奉仕している人たちを尊敬し、従いなさいと言っているように感じられます。しかしここを原語で読むと、それとは違う意味が見えて来ます。まず「聖なる者たちに対して労を惜しまず世話をしてくれた」と訳されているところですが、ここを直訳すると「聖なる者たちへの奉仕に自分を任命した」となります。ステファナの一家は、信仰の兄弟姉妹に仕える奉仕の務めへと、自分たちを、自発的に任命したのです。つまり彼らは進んで務めを負って教会の人々に仕えているのです。そして16節には、そのような人たちに「従う」ことが勧められていますが、その「従う」という言葉も、実は今の「任命する」と基本的に同じ言葉なのです。「任命する」という言葉の頭に「下に」という字がつけ加えられたのがこの言葉です。つまりこの「従ってください」を説明的に訳せば、彼らの下に自分を任命しなさい、という意味になるのです。そこから見えてくるのは、パウロは、ステファナの一家の「奉仕」と、教会の人々が彼らに従うこととを、同じ事柄として捉えているということです。一方に立派な奉仕をしている偉い人々がいて、他の人々はその人たちを尊敬して従う、ということではありません。教会のために仕える奉仕者たちは、その務めに自分を任命し、自発的にそれを負っている。教会の人々もまた、その奉仕者の働きを喜び、感謝し、その人々を尊重するという働きへと、自分を任命する、そのようにして、お互いが仕え合い、奉仕し合う群れとなっていくことをパウロは願っているのです。教会は、誰かが誰かに奉仕する所ではなくて、互いに仕え合う群れです。教会の頭である主イエス・キリストは、十字架の苦しみと死による救い主の務めを自発的に負って下さり、徹底的に私たちに仕えて下さいました。そのキリストを主と仰ぐ私たちは、主がして下さったように、自分から互いに仕え合いつつ歩むのです。その自発的な奉仕を整えていくために「執事」という職務が生まれました。「聖なる者たちに対して労を惜しまず世話をしてくれた」というところは直訳すると「聖なる者たちへの奉仕に自分を任命した」となると申しましたが、その「奉仕」が「ディアコニア」という言葉であり、そこから「執事(ディアコノス)」という言葉が生まれたのです。ですから教会に執事職があるのは、執事という奉仕者が選ばれて奉仕をしていくためではありません。執事は、教会員の自発的な奉仕の先頭に立ち、そして教会員一人一人が、互いに自発的に仕え合う者へと育てられていくために選ばれているのです。

慰めを分かち合う
 17節を読むと、ステファナ、フォルトナト、アカイコといった人々が、コリント教会からエフェソにいるパウロを訪ねてきたことがわかります。彼らが、コリント教会の様子をパウロに伝え、また彼がこの手紙で答えているいくつかの質問を持って来たのでしょう。パウロは彼らの訪問を心から喜んでいます。しかもそれを、自分個人の喜びや慰めとしてではなく、18節にあるように、「わたしとあなたがたとを元気づけてくれた」という事柄として捉えているのです。つまりこの訪問によって、パウロとコリント教会の人々の信仰における交わりが深められ、それによって双方が元気づけられたのです。このことは、私たちが教会における兄弟姉妹の交わりとそこでの支え合いについて考える上で大切なことを教えています。ポイントは、信仰者の交わりは、「元気づける人と元気づけられる人、慰める人と慰められる人」という一方通行ではない、ということです。私たちは同じ信仰に生きる兄弟姉妹の間で、人を元気づけ、慰めることにおいて、自分自信もまた元気づけられ、慰められるのです。自分はいつも元気づけられ、慰められるばかりで、人を元気づけたり慰めることが少しもできない、などということはありません。表面的には、慰める人と慰められる人がいるように見えますけれども、実はそこで、どちらも神様からの慰めを受けているのです。信仰の交わりにおいて私たちは、神様からの慰めを分かち合うのです。ですからそこには常に双方向の関係があります。自分が人に慰めを与えてやるのだと思っている所では、本当に人を慰めることはできず、それはむしろ余計なお節介になってしまうでしょう。

互いに挨拶を交わす
 さてパウロとコリント教会の交わりは、彼が今いるアジア州の諸教会とコリント教会との交わりへと広げられていきます。19、20節は、アジア州の諸教会からコリント教会への挨拶です。「よろしく」と訳されている言葉は「挨拶する」という意味です。挨拶は交わりの印です。パウロは、アジア州の諸教会とコリント教会の間に、海を越えて、主イエス・キリストによる一致と交わりを打ち立てようとしているのです。主イエス・キリストの教会はこのように、世界中に広がる諸教会の交わりの中に置かれているのです。しかし、海を越えて全世界へと広がっていくその交わりの土台は、共に礼拝を守っている群れにおける挨拶にあります。20節後半には、「あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい」とあります。共に集う一つの群れにおいて、お互いに挨拶を交わすことは私たちの信仰においてとても大切なことです。このことは、後に礼拝の順序に組み込まれていきました。礼拝の中で、そこに集っている者たちが互いに挨拶を交わすということがなされていったのです。そういう礼拝の歴史が今再確認されてきており、近くに座った人どうしが握手をし挨拶を交わし合うというプログラムが礼拝の中に組み込まれている教会が次第に増えてきています。それは、パウロがここで言っていることを実行しようとしているのです。礼拝の中での挨拶は、共に主イエス・キリストを礼拝することの中にこそ、私たちの一致と交わりの真実の土台がある、ということを目に見える仕方で表しています。隣の人には目もくれずにひたすら神様を礼拝し、礼拝が終ったらさて交わりの時を、というのは、一見、神様に集中する信仰的な姿勢のように思われますが、そこには、信仰が自分だけの事柄に留まり、礼拝後の他の人との関係においては信仰とは全く違う論理が働いてしまう危険が潜んでいます。要するに礼拝と生活とが分離してしまう危険です。むしろ私たちは、礼拝においてこそ、自分がここに共に集っている人々とどのような交わりに生きているか、「聖なる口づけによって互いに挨拶を交わす」ような交わりがそこにあるか、ということを常に振り返り、悔い改めを与えられていくべきなのではないでしょうか。礼拝こそ信仰者の交わりの土台であるというのはそういうことです。そして私たちの交わりがそのように礼拝を中心とする交わりがあればこそ、海の向こうの教会にまでその交わりは広げられていくことができるのです。

教会の広さと狭さ
 このようにパウロは、教会が自分たちだけで狭く固まってしまうことを戒めています。教会の中で小さなグループを作ってその中に閉じこもるのがよくないのは勿論のこと、一つの教会が自分たちの中だけで固まり、他に門戸を閉ざしてしまうこともよくない、教会は、広く全世界の諸教会との交わりに目を向けるべきなのです。パウロは、全世界へと広がっていくキリストの教会の広さを見つめているのです。そのようなパウロのまことに広い視野と、様々な違いを乗り越えていこうとする思いとを私たちはここからしっかりと学び取らなければなりません。
 そのことを見つめていく中で、22節の言葉は私たちをドキッとさせます。そこには、「主を愛さない者は、神から見捨てられるがいい」とあります。「神から見捨てられるがいい」は、別の訳し方をすれば「呪われよ」となります。一致と交わりをあれほど大切にしているパウロが、「呪われよ」という激しい、敵対的な言葉を語っていることに、私たちはとまどいを覚えるのです。けれども、まさにここにこそ、パウロが語っている全てのことを一つにまとめる扇の要のようなものがあるのです。教会が礼拝している主は、私たちの罪を背負って十字架にかかって死んで下さったイエス・キリストです。その主イエス・キリストを愛し、従っていくところに、教会の一致と交わりの土台があるのです。教会の一致は、人間どうしが折り合いをつけ、妥協して一致点を探ることによって得られる一致ではありません。教会の交わりは、人間の親しさや好き嫌いによる交わりではありません。そのようなものによって集まるのはむしろ「党派」です。キリストの体である教会は、主イエス・キリストの十字架と復活による救いの恵みを告げ知らせるみ言葉が語られ、その救いの印である洗礼が授けられ、そして洗礼を受けて群れに加えられた者が聖餐においてキリストの命によって養われていくところにこそ成り立つのです。そういう意味では、教会は主イエス・キリストというまことに狭い一点に立っているのです。しかし、扇の要が一点でしっかり止まっているからこそ、末広がりと言われるように先が大きく広がることができるように、教会も主イエス・キリストという狭い一点にしっかりと立つことによってこそ、まことに豊かな広さを持つことができるのです。この主イエス・キリストを愛し、従っていくという要をぼやかし、人間の思いにおけるつながりを持ち込もうとすることに対しては、教会ははっきりと「呪われよ」と宣言するのです。それは誰か他の人を呪うためではなくて、私たち自身が、主イエス・キリストを愛し、礼拝することにおける一致と、そこに与えられる本当の広さ、世界の諸教会へと広がっていく交わりに生きるためなのです。

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