夕礼拝

小さな種

「小さな種」  伝道師 長尾ハンナ

・ 旧約聖書: 詩編 126編1―6節
・ 新約聖書: マタイによる福音書 第13章31-35節
・ 讃美歌 : 268、412

驚くべき大きさに
 本日は御一緒にマタイによる福音書の第13章31節から35節の聖書の御言葉をお読みしたいと思います。本日は主イエスの語られた「からし種」と「パン種」のたとえです。
このマタイによる福音書第13章には、主イエスの語られた譬えが記されています。この話はまた、マルコによる福音書、ルカによる福音書においても語られています。本日の箇所は「イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。」と始まります。この導入の言葉はマタイによる福音書においてのみ記されています。マタイによる福音書ではこのようにユダヤ教の教師のような主イエスの風貌を描いていると見ることも出来ます。更にマタイによる福音書では、このからし種、パン種のたとえが一体誰に対して語られているかを明示します。このたとえが「彼らに」に語られていることをはっきりと示しています。この「彼ら」とは誰のことでしょうか。主イエスの弟子たちのことでしょうか、それとも群衆でしょうか。これを受けて34節以下には「イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ」とあります。はっきりと、「群衆」に語られたということが述べられています。そうしますと、31節の「彼ら」というのもまた「群衆」と考えて良いでしょう。主イエスは群衆にたとえを語られました。主イエスは「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」と語られました。からし種が蒔かれた場所はマタイでは畑、マルコは土、ルカは庭と言っていますが、それほど違ったことを言っているわけではありません。更に33節では主イエスは「別のたとえをお話しになった。」とあります。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」と語ります。31節では「天の国はからし種に似ている。」と語られました。この「からし種」というのは、本当に小さな、粉のような種です。そのからし種が成長すると、3、4メートルほどにまでなると言われています。どの野菜よりも大きくなるのです。そして空の鳥が枝に巣を作るほどになるのです。この「空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」と言われた場合に、この空の鳥とは一体何を指しているのでしょうか。ある説教者は「それは全世界の人々」のことを指していると言います。全世界の人々というのは、特にここでは、ユダヤ人も異邦人も含めた世界中の人々のことです。そこには全世界の人々の救い、天の国に宿る世界の救いの完成がそこに示されているというのです。エゼキエル書第17章22節から24節にはこのように述べられています。「主なる神はこう言われる。わたしは高いレバノン杉の梢を切り取って植え、その柔らかい若枝を折って、高くそびえる山の上に移し植える。イスラエルの高い山にそれを移し植えると、それは枝を伸ばし実をつけ、うっそうとしたレバノン杉となり、あらゆる鳥がそのもとに宿り、翼のあるものはすべてその枝の陰に住むようになる。そのとき、野のすべての木々は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、また生き生きとした木を枯らし、枯れた木を茂らせることを知るようになる。」主であるわたしがこれを語り、実行する。」とあります。ここで主イエスは「天の国」は小さな種が大きく成長するように全世界の人々の救いを含んで大きくなると語っております。

からし種、パン種
 また、主イエスの次の譬えでは「天の国はパン種に似ている。」と語られます。「パン種」とは小麦粉を発酵させ、ふっくらとしたパンにするパン酵母です。イースト菌のことです。「女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」とあります。その量は粉全体の量と比べれば、ほんの一握りの量です。それがパン生地に混ぜ合わされ、こねられ、寝かせられているうちに、生地全体が膨らんでくるのです。とろこで、この「パン種」というのは当時、一般には良くないことをさすたとえとして用いられていました。腐敗をも連想させるからであります。従って、パン種、イースト菌を入れないパンは過ぎ越しの祭りなどに用いられる清らかなパンであったわけです。また、主イエスご自身もマタイによる福音書第16章で6節以下では「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい」と繰り返し良くいない意味で言っております。このように一般的には良くない意味で用いられるパン種のたとえをここでいわば逆手にとって、積極的に良い意味で用いています。「サトン」というのは容量の単位で、聖書の後ろの方についている付録によりますと約12.8リットルですから、三サトンとは38.4リットル位ということになります。
当時の家庭の主婦が普通パンを焼く時に使用する粉の分量よりもはるかに大量です。ごく僅かなイースト菌でその何倍もの粉が膨らんで、大きなパンが焼けることは、その初めと終わりとを比べられ、驚くべきことです。この譬えでは、初めは小さくてもだんだん成長して大きくなるということよりも、むしろはじめのごく些細なものが、成長してみるとまことに巨大な木になるといった、最初と最後の驚くような対比が示されています。

譬えを用いて話される理由
 この2つのたとえは「天の国」はからし種、パン種に似ていると語っております。普通「たとえ」とは、話を分かりやすく、理解しやすくするための手段です。主イエスはたとえを用いて話されました。本日の箇所の少し前の第13章10節には主イエスが「たとえを用いて話す理由」が記されています。主イエスはなぜ譬えを用いて語られるのか、と問われました。その問いに対する答えが11節にあります。主イエスが「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである」と答えられました。ここでは、たとえで語るのは、難しいことを分かりやすく説明するためではありません。主イエスの譬え話しは分かる人には分かるが、分からない人にはますます分からなくなるということです。そこには隠された答えがあるということです。そのようにたとえ話自体が、事柄を明らかにする働きと同時に隠す働きを持っています。「天の国」の事柄がそのようなたとえ話によって語られるのは「天の国」それ自体が、隠されているものだからです。

天の国
 それでは「天の国」とは何を意味するのでしょうか。これは「神様のご支配」という意味の言葉です。神様のご支配が私たちの上に、この世界に確立するということです。神様の御支配が私たちの上に、この世界に確立するということが私たちの救いでもあります。「天の国」とは、神様の御支配、神様の救いということです。神様以外の支配ではなく、主なる神様の支配です。主イエスは「天の国」について語られるということは、神様の救いについて語っておられるということです。主イエスは本日の箇所で天の国、神の御支配とはこのようなもので、このように実現する、ということを語っておられるのです。主イエスは天の国、即ち神様の救いは、からし種のように、あるいはパン種のように私たちに与えられる、と言っておられるのです。「天の国」はからし種のように小さいが、やがては見上げるような木になると言われます。そして、パン種のように少量でも粉全体を膨らませていくように、天の国も大きくなるのです。しかし、この主イエスの語られたこの御言葉は実現したと言えるのでしょうか。天の国、神の御支配が現実のものとなっていると言えるでしょうか。天の国が、即ち神様のご支配が私たちの現実となるとはどういうことでしょうか。

隠されている
 天の国、神様のご支配、私たちの救いは、最初はからし種のように小さいものです。主イエスはそのような小さな種から天の国は始まるのだの言われるのです。それはただ最初は小さい、というだけのことではありません。主イエスはここで「天の国はパン種に似ている。」と言われました。パン種は粉に混ぜられると見えなくなってしまいます。どこにあるのかわからなくなるのです。隠されてしまうのです。33節に「女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると」とある、その「混ぜる」という言葉は、「隠す」という意味でもあります。パン種は生地の中に隠され、その隠されたものが全体を膨らませていくのです。天の国、神様のご支配もこのように隠されているものです。見えるものではないということです。主イエスは今隠されている神様のご支配が、着実に力を発揮して、私たちを、この世界を変えていく、天の国はそのような力を秘めたものなのだ、語っているのです。主イエスは本日の譬えを通して天の国は、神様のご支配は、今まだ隠されていることを語っておられます。その隠されていることを主イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られました。たとえを用いないでは何も語られなかったのです。そして、35節ではその理由を言われます。「それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」『わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる』」。と主イエスは言われます。「天地創造の時から隠されていたこと」それは天の国、神様のご支配、救いについてです。それらのことについて譬えを通して示されます。それは一番ふさわしい手段が、たとえ話だったからです。私たちにも天の国、神様のご支配、私たちの救いは、隠されています。私たちは地上の人間であります。天の国、神の御支配のことを理解することを私たちには出来ません。たとえでなければ、語れない内容の事柄なのです。マタイによる福音書では、この34節と35節において、他のマルコ、ルカにもない独自の資料を用いております。それは、詩編第78編2節に語られていることが実現するためであったと説明をしております。主イエス・キリストによる新約が旧約の預言の成就、実現だというのがマタイによる福音書の一貫した基本的な理解であります。そのような、マタイの理解がはっきりと示されています。直接で引用をされているのは、2節です。「わたしは口を開いて箴言を/いにしえからの言い伝えを告げよう わたしたちが聞いて悟ったこと/先祖がわたしたちに語り伝えたことを。 子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう/主への賛美、主の御力を/主が成し遂げられた驚くべき御業を。」主イエスがたとえをもって語られる驚くべき御業とは、「天の国」神の御支配なのです。主イエスが語られ、伝えておられることは、天の国のことは、すでに見ましたようにたとえなではなくては語れないような御業でした。天の国、神の驚くべき御業、神の御支配です。私たちの地上の歩みは、私たちのこの世の現実は悲惨な現実であります。私たちは新しい年を迎えました。昨年は大きな地震を経験しました。解決しなければ課題がたくさんあります。経済的にも政治的にも不安定な歩みをしております。人間の罪に満ちたこの世界において「天の国」神様のご支配など本当にあるのだろうか、思わざるを得ない現実であります。理解できない現実があります。私たちは自分の目の前の現実の事柄で精一杯です。

主イエス・キリストこそ
 私たちは主イエスの語られた「からし種、パン種のたとえ」という主の御言葉の中に神様の隠されたご支配が示されました。私たちは今、この主イエスの語られるたとえによって、神の国の秘密を示されたのです。この小さな、取るに足らない、目立たない種が、空の鳥が来て枝に巣を作るほど大きな木になるのです。このパン種が私たちの心という、またこの世界という、まことに頑なな粉を、やわらかく発酵させ、美味しいパンにしていくのです。そのために、からし種は蒔かれてその姿を失っていきます。パン種も粉の中に混ぜられ、隠されて、見えなくなります。どちらも、自らの姿を失い、消えうせていくのです。そのことを通して、大きな木が育っていき、おいしいパンが膨らんでいくのです。天の国、神様のご支配が進展していくのです。そしてこの神様のご支配は、やがていつか、鳥が巣を作るような大木となります。粉の全体を脹らませ、おいしいパンにします。そのことを、私たちはまだ見てはいません。私たちが目にしているのは、小さなからし種であり、ひとつまみのパン種なのです。しかしそれは天の国の、神様のご支配の種です。それは神様によって必ず、大きな木へと成長させられていくし、私たちの心とこの世界全体によい影響を及ぼしていくのです。そのことを信じることが信仰です。神様の御業を信じ、洗礼を受け、信仰者となるのです。
 本日の箇所で、マタイはこれらのたとえを語った相手を「群衆」とはっきりとは述べず、曖昧に「彼ら」としました。群集と弟子との境界線というのは固定されていないのです。
主イエスはここで分け隔てなく、誰にでもたとえを語られました。たとえを聞いて、「天後刻の秘密を」を聞き取れた者が弟子であり、信仰者ということです。聞き取らなければ群衆のままです。からし種は蒔かれ、その姿を失います。パン種も粉の中に混ぜられ、隠され、見えなくなります。その姿は主イエス・キリストそのお方を指し示しています。そのからし種、パン種とは主イエス・キリストそのお方そのものです。この罪に満ちたこの世界に、主イエス・キリストというからし種、パン種が蒔かれました。主イエスがからし種として、パン種としてこの世に蒔かれたというのは、ただこの世に来られたというだけではなくて、私たちのために来てくださったのです。人間を救うために、私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さるために来てくださったのです。天の国は、主イエス・キリストによってもたらされました。

この世へと
 本日、私たちは聖餐に与かります。私たちは聖餐に与かる時、天の国、主イエス・キリストによって成し遂げられた主イエスの十字架の御業を思い起こします。それは、神様の恵みのご支配であり、私たちための救いの御業です。私たち一人ひとりのために主イエスがからし種として、パン種として心に蒔かれたのです。そして、私たちは子の礼拝の場から、それぞれの1週間の生活へと、この世へと遣わされます。教会を一歩出た歩みは。主イエス・キリストなど意識せず、全く無視してそれぞれの思いで営まれているです。神様のご支配が隠されていて見えない世界であります。

関連記事

TOP