夕礼拝

神の家に招かれて

「神の家に招かれて」 伝道師 矢澤 励太

・ 旧約聖書; 歴代誌下、第7章 11節-22節
・ 新約聖書; ルカによる福音書、第2章 41節-52節

 
序 福音書の中には主イエスがお生まれになった時の様子や主イエスが神の国をどのように宣べ伝えられたかについて詳しく記されています。けれども、主イエスがどのように少年時代をお過ごしになったのか、主イエスがどのようにお育ちになったのかを語る部分はほとんどありません。そうした中で、今日の聖書の箇所は、主イエスが12歳の頃にあった出来事を記している、大変めずらしいところです。

1 当時のユダヤ教には三つの大きなお祭りがありました。その中でも大変重んじられた祭りは過越祭です。これはイスラエルの民が神によってエジプトから救い出されたことを祝うものです。イスラエルの民はエジプトに寄留していた時代に、過酷な支配に苦しめられ、厳しく追い使われていました。その中で民の叫び訴える声をお聞きになり、主はモーセをお立てになり、遣わされたのでした。再三にわたるイスラエルの民とエジプトの王ファラオとの交渉の末に、主の裁きが下されます。主の使いがエジプト人の長子と家畜の初子を滅ぼして廻ったのです。その中で、イスラエル人の家だけは、主の使いが過ぎ越してくださったのでした。ただエジプト人のみが長子と家畜の初子を失い、これをきっかけとしてついに、イスラエルの民はエジプト脱出に成功したのでした。それ以来、イスラエルの民は3月末から4月初め頃になると、あの時そうしたように、小羊を屠って焼き、種なしパンと共に食してあの日の出来事を祝ってきたのです。モーセはあの主の使いによる過越しが行われようとする際、イスラエルの民にこう言っています、「あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。また、主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入ったとき、この儀式を守らねばならない。また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と」(出エジプト12:24-27)。
 この主の律法に従って、主イエスもまた、両親に伴われてエルサレムへ上ったのでした。ところがその帰り道で大変なことが起こります。少年イエスがエルサレムに残っておられるのに気づかず、両親は一日分の道のりを行ってしまったというのです。子供が道連れの中にいるものと思って、一日分の道のりを行ってしまうということなど、いったいあるのかとわたしたちは思わされます。けれども、この当時、都への上り下りがどのように行われていたかを知れば、事情はよく分かってきます。当時、都へ行ったりそこから戻ったりする際には、同じような目的を持つ人たち同士の間で一つのパーティー、一つの集団を作って、出かけていたのです。このようにキャラバンを組んで皆で出かければ、旅の計画を立てたり、実行したりする際の手間や費用が節約できたのでしょう。大勢で移動しますから、途中予想される危険から身を守ることができる利点もあったでしょう。
 しかしながら、皆で移動していることの安心感からか、両親はそばに子供が見えなくても、子供はキャラバンの少し後ろの方に混ざって一緒についてきているものと思い込んでいたようです。その日の旅路を終えて、夜の野営の準備をすることになって、やっと主イエスがついてきておられないことに気づいたのでした。
 両親はどんなに気が動転し、あわてふためいたことでしょうか。一日という時間の経過のうちに、子供に何か大変なことが起こっているかも分かりません。親と離れた子がどれほど不安になって泣き叫んでいるか分かりません。わたしは幼い頃、山奥の旅館で行われた教会の集会に出席するため、親に連れられていったことがありました。プログラムが始まる前の時間に、母や姉たちとまわりの散策に出かけました。ところが道端の草花に気を取られているうちに、家族とはぐれてしまったのでした。その時の不安といったら大変なものです。いくら歩き回ってみても人影が見当たらないのです。次第に日も暮れてきて周囲も暗くなってきます。泣きたくなって顔がゆがんだ表情を浮かべていたことを今でも思い出します。道端の家の人に助けを求めて、何とか旅館に戻ることはできましたが、その時の心細さは大変なものでありました。
マリアとヨセフも、子供が今そんな状態にあるに違いないと思い、躍起になって主イエスを探し始めたのです。親類や知人の間を探し回りつつ、ついにエルサレムまで引き返してきます。さらに三日間探しつづけた果てに、やっと両親が主イエスを見出した場所はエルサレムの神殿でありました。しかも主イエスはそこで両親を探して、不安な表情に顔をゆがめて、泣き叫んでおられたのではなかったのです。少年イエスは神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられたのです。何という落ち着きようでしょうか。何という心の平静さでしょうか。なんという不思議な光景でしょうか。三日間も迷子であった少年が実に生き生きと、神殿の中で神についての話を聞いたり、質問をしたりしているのです。これは普通の子供にはあり得ないことです。
けれども、両親には主イエスが神殿におられることの意味がまだ分かりませんでした。ですから懸命に探し回ってきた自分たちの心配をよそに、あまりにも落ち着き払って、神殿でやりとりしている主イエスを見て、親の思いが裏切られていると感じたのでしょう。いらだちや腹立たしささえ覚えたでしょう。そこでマリアはきつく主イエスを責め、しかる調子で言っています、「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して探していたのです」(48節)。この母親の言い分は、わたしたちにとって十分よく理解できる、もっともなものです。
ところが、この母の言葉に対する主イエスのお返事がさらに驚くべきものであります、「どうしてわたしを探したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」(49節)。これはまことに意外な答えです。どう受け止めていいのか躊躇する言葉です。わたしが見当たらないとすれば、いるであろう場所は簡単に検討がつくはずのことではないか、わたしの父の家である神殿にいるに決まっているではないですか、というのです。それは「当たり前」のことだというのです。そのことを知っていれば、わたしがどこにいるのかとあわてふためいて探すことなどなかったはずではないですか、神殿にいるとすぐ分かったはずではないですか、というのです。
主イエスはこのようにして、家族や親戚といった血のつながりによる結びつきをいったんは拒否されます。血縁関係のみに依り頼んでいては見えてこないことがあるのです。主イエスは肉を取ってこの世に来られた神の子です。このことは、人間の思いや情のつながり、あるいは親の息子に対する願望や期待、そういったものを延長していった先に見えてくる事柄ではないのです。主イエスが父なる神の子であること、父なる神とのこの上ない交わりに生きる独り子なる神であること、それゆえに父と一体の神であること、それは神ご自身がわたしたちに教えてくださらなければ、わたしたちには分からないことなのです。主イエスが成長された後にも、母と兄弟たちが主に会いに来たことがありました。その時も主イエスは群衆に囲まれて話をしておられました。「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」という知らせをお聞きになった時、主イエスはおっしゃいました、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」(8:19-21)。主イエスの御言葉は、わたしたちをこの世の地縁・血縁から解き放ち、今わたしたちの世界に入ってきてくださり、目の前にいるこのお方がどなたであり、何をしに来られたのかを知るようにと、促してくださるのです。
牧師・伝道者を養成する東京神学大学は、東京の三鷹にあります。そのすぐ隣には国際基督教大学があります。この大学はキリスト教主義の大学ですが、直接伝道者養成には携わらず、一般大学と同じで誰でも入学して学ぶことができます。けれどもその隣にある神学大学はキリストに仕え、生涯教会に仕える思いを与えられたキリスト者のみが、学ぶ場所です。この二つの学校の間を結ぶ森の中の小道があります。基督教大学の学生で神学大学の存在を知っている人は、その道を「出家の道」と呼び習わしてきました。それはこの世界のもろもろのしがらみを越えている世界に、あの小さな小道は通じているのだ、という感覚からつけられた名前なのでしょう。地縁や血縁で知りうる世界ではなく、その世界で苦しむ人間の悩みの中にやってきてくださった神を見上げて、その導きに従って歩む、そういう道へと、あの小道は続いているのです。

2 ただこのことは、わたしたちが地縁や血縁関係を否定し、無視するということでは決してありません。キリスト者は肉親との関係を否定するのではありません。明治の時代に、井上哲次郎という哲学者が『教育と宗教の衝突』という本を著して、キリスト教は肉親との関係を軽視して親孝行をしない、罰当たりな宗教だ、と強く批判し、論争を巻き起こしたことがありますが、主イエスはそのようなことを教えておられるのではないのです。ナザレに帰った主イエスは両親に仕えてお暮らしになり、「知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」(52節)と言われています。主イエスは父なる神とのこの上なき交わりに生きる独り子なる神としてこの世に来られた「まことの神」です。しかし同じようにまた、罪をほかにしては、間違いなくわたしたちと同じようにして「まことの人」としてこの世を歩まれ、人間として成長し、両親に仕えて、生涯を辿られたのです。ですからわたしたちが味わうすべての悩みや苦しみ、試練や困難も、このお方の知らないものはありません。すべてをご存知の方が、今、この時のわたしたち不安や苦しみ、思い煩いも数えいれて、すべてを引き受け十字架におかかりになってくださっているのです。そしてその恵みに生きて、主イエスにつながる神の子として歩むよう招かれていることを、わたしたちは知るのです。そのような歩み方こそ、実は最もふさわしい、神の前にある人間の歩み方なのです。このキリストのものとされて歩む人生の中で、血縁や地縁も新しくとらえなおされるのです。肉にある家族や親戚、それはこの恵みに満ちた歩みへと招かれていることを伝えるべき愛する兄弟姉妹です。礼拝に生きることこそ、神の前に生きる人間の、まことの生き方であることを証し、伝えるべき人々です。もし家族や親戚に、わたしたちの信仰をまだ理解してくれていない人がいて、その人がわたしたちの信仰によって先祖からの墓が粗末にされたり、地縁や血縁が無視されたりする、という不安を持っているのなら、祈りと忍耐をもってその疑いを晴らすよう努めることが大切でしょう。しかしそれにもまして、礼拝に生きることこそ、まことの幸いの道であることに、その人の心の目が開かれるよう、わたしたちは祈り求めていきたいと思います。

結 かつてソロモンが主の神殿と王宮を完成した時、主はその神殿を聖別し、おこに主の名をとどめると仰せになりました。けれどももしイスラエルの民が神に背を向け、主の掟と戒めとを捨て、他の神々に仕え、ひれ伏すなら、神はその神殿を御前から投げ捨てるとおっしゃいました。そのお言葉のとおり、神に反逆して歩むことしかできなかった人間の罪は裁きを受け、主の神殿は抜き取られてしまいました。しかしその裁きは主イエスの十字架に極まり、罪のない神の独り子がすべての罪を担われる恵みとして現れました。そして復活された主のからだが、まことの神の神殿となったのです。もはや人間の造った神殿ではなく、救い主のからだ、つまり教会が神の建てたもうた神殿です。わたしたちはこの神の建てたもうた神殿に招かれて、礼拝の恵みに与かることをゆるされているのです。礼拝は、助けを捜し求めていたわたしたちが実は既に、神に捜し求められていたことを知る出来事です。今はすべてのことをとにかく「心に納めている」しかないマリアにも、主の十字架と復活、昇天の後に、今日の出来事の意味が明らかにされたのです。捜していた親たちは、実は神によって捜されていた、既に神の神殿に招かれていたのです。わたしたちもまた、神に選ばれ捜されていた存在です。主イエスのおられる場所がそのまま父なる神のおられる場です。キリストのからだなる教会が、父なる神がまことに、豊かに、確かに臨んでくださる場です。この礼拝に生かされて、わたしたちは肉にある兄弟姉妹にも、愛と尊敬と忍耐と祈りをもって「礼拝に生きる民」としての証しをなすようにと遣わされているのです。

祈り 主イエス・キリストの父なる神様、あなたが建てたもうたまことの神殿、キリストのからだなる教会にわたしたちを招いてくださいます大いなる恵みに感謝いたします。どうか神殿に留まることを通して、ご自身が父なる神と等しい神の子であることを現された主イエスがまた、今わたしたちをも憐れんでくださいまして、神と人とに愛され、仕える歩みへと導いてください。肉にあるわたしたちの思いも言葉もあなたが清め、別ち、用いてください。何よりもわたしたちの恐れと悩みのすべてを、過越祭のまことの犠牲となられた神の子がご存知でいてくださり、担ってくださっていることを深く覚えさせてください。その恵みにまことに生きる神の民としてください。
 教会の頭なる主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。

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