「主の恵みの年を告げる」 伝道師 川嶋章弘
・ 旧約聖書:イザヤ書 第61章1-4節
・ 新約聖書:ルカによる福音書 第4章14-30節
・ 讃美歌:206、406
ガリラヤ宣教の始まり
ルカによる福音書を大きく分けると、六つから七つに分けられると考えられています。第一部が、イエスの誕生物語と彼の少年時代を語っていた1章1節から2章51節まで、第二部が、イエスの宣教への準備を語っていた3章1節から4章13節までです。前回この第二部を読み終えました。そして本日から第三部に入ります。第三部はガリラヤでのイエスの宣教が語られていて、4章14節から9章50節まで続きます。先取りしますと、第四部はエルサレムのへの旅が語られている9章51節から19章28節までで、ルカ福音書で最も長い部分です。その後、エルサレムでの宣教を語った第五部、受難・復活物語を語った第六部と続きます。受難物語と復活物語を分けるならば、前者が第六部、後者が第七部となります。
さて本日の箇所は、ガリラヤでの宣教の始まりを語っている第三部の最初の部分です。その核となっているのは、16節以下のイエスの故郷ナザレでの物語で、その前の14、15節は、第三部への導入であり、また第二部から第三部への移行部分です。つまり14、15節が、第二部と第三部の橋渡しとなっているのです。この橋渡しによって、荒れ野からガリラヤへ、イエスが誘惑を受けることから宣教することへと移っていくのです。また「イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた」と14節にあります。ガリラヤの諸会堂でその聖霊の力が働き、その地方一帯にイエスの評判が広く行き渡り、「イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた」とあるように、イエスは好意的に受けとめられたのです。16節以下の物語は、このような文脈において語られているのです。
ナザレの会堂で
16-30節で語られているのは、イエスの故郷ナザレの会堂での礼拝です。ガリラヤでの宣教の初めに、故郷ナザレでの礼拝が語られている。これはルカ福音書に極めて特徴的なことです。マルコ福音書では、ガリラヤでの宣教の初めに、「イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた」とあります。マタイ福音書ではもう少し詳しく語られていますが、その終わりに「イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた」とあります。イエスの故郷ナザレでのエピソードもよく知られていますが、マルコとマタイ福音書ではガリラヤ宣教の半ばに、イエスが故郷ナザレに帰られたことが語られています。しかしルカは、ガリラヤ宣教の初めに、故郷ナザレでのエピソードを語るのです。
16節に「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった」とあります。「いつものとおり」とは「習慣にしたがって」ということです。イエスの時代にはまだ教会はありませんから、会堂とはユダヤ人の会堂のことです。イエスにとって、安息日に会堂で礼拝するのは、習慣であり、あたり前のことだったのです。ある方が、キリスト者とは日曜日に礼拝する者だ、と仰っていたことがあります。これはもちろん正しいのですが、現代の私たちを取り巻く状況を考えると、あまり軽々しく言えないとも私は思います。様々な理由によって、どうしても日曜日に教会に来て礼拝を守ることができない、そのような方たちが多くいるからです。ですから私たちは、そのような方たちのために執り成し祈ることなくして、クリスチャンとは日曜日に礼拝する者だ、と言うことはできないのではないでしょうか。いずれにしても、キリスト者が日曜日に礼拝を守るように、イエスはユダヤ教の習慣にしたがって、安息日に会堂で礼拝を守っていたのです。ルカ福音書では、イエスが安息日に会堂におられたことが6章6節や13章10節にも記されています。またイエスは、4章44節にあるように「ユダヤの諸会堂に行って宣教され」ました。ですからイエスは安息日を蔑ろにしていたわけではありません。このことは、本日の箇所から始まるイエスのガリラヤ宣教の物語を読み進めていく中で、心に留めておきたいことです。
この礼拝で、イエスが聖書を朗読しようとしてお立ちになると、預言者イザヤの巻物が渡されました。イエスの時代には新約聖書はまだありませんでしたから、この「聖書」とは私たちの聖書で旧約聖書と呼ばれている部分です。当時聖書は、私たちが手にしているような本ではなく巻物でした。両手に持って広げ、片方の手でくるくると巻きながら読んだようです。旧約聖書は長いので一つの巻物にはとてもできません。ですから創世記の巻物、出エジプト記の巻物、エレミヤ書の巻物というように分かれていたのでしょう。その中のイザヤ書の巻物がイエスに渡されました。それを開くと「次のように書いてある個所が目に留まった」とあります。イエスが朗読されたのはイザヤ書第61章1、2節のみ言葉です。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」本日の旧約箇所と読み比べてみると分かりますが、ルカが引用しているイザヤ書のみ言葉は、私たちが手にしている旧約聖書のイザヤ書のみ言葉とまったく同じというわけではありません。
「今日」実現した
聖書の朗読が終わると、「イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られ」ました。そのイエスに、会堂にいるすべての人の目が注がれます。この後、イエスが開口一番なにを語るのだろうかと、すべての人が注目していたのです。そのような注目を浴びながらイエスは語り始めました。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」原文の順序に従って訳すならば「今日、実現した、この聖書の言葉は、あなたがたが耳にしたとき」となります。文章の最初に「今日」とあり、そのことが強調されているのです。ルカ福音書において、この「今日」という言葉は特別な言葉です。なぜならこの言葉は、神の救いの力が明らかにされた「時」を表すために使われているからです。たとえばイエスの誕生物語において、天使は羊飼いたちに告げました。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」また徴税人ザアカイの物語において、イエスは言われました。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」そして十字架上において、隣の犯罪人が「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言ったのに対して、イエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われたのです。ですから「今日」この聖書の言葉が実現するとは、神の救いに関わることです。「実現する」とは「満たす」ことであり、「成就する」ことです。イエスは、「今日」イザヤの預言が成就したと言われたのです。
では、イザヤの預言の成就とは具体的にはなにが実現したのでしょうか。朗読された聖書のみ言葉に目を向けると、18節の最初に「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである」とあります。この預言は、3章22節の出来事、すなわち聖霊がイエスの上に降り「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえたあの出来事において実現したのです。あの出来事において、イエスは聖霊によって油を注がれ、キリスト、すなわち救い主とされたからです。そしてそれは「貧しい人に福音を告げ知らせるため」とあります。「貧しい人」と言われると、私たちは「貧しい人」を経済的に捉えがちです。しかしそれは、ルカ福音書の世界に現代の世界の価値観を持ち込んでしまっているのです。ルカ福音書において、「貧しい人」とは単に経済的に抑圧されている人々だけでなく、より広く社会から排除された人たちをも含んでいます。言い換えるならば、「貧しい人」とは、共同体の周縁ないし外にいる人たちのことでもあるのです。ここでは共同体としてユダヤ人共同体を考えて良いと思います。油注がれた方、キリストは、ユダヤ人共同体から排除された人たち、ユダヤ人共同体の外側にいる人たちにも福音を告げ知らせる、と言われているのです。
18節の後半で告げられているのは、神がイエスを遣わしたこと、それによって「捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由に」することです。ルカの物語において、目の見えない人が視力を回復するのは身体的な事柄であるだけでなく、救いを経験することの比喩でもあります。シメオンは幼子イエスを抱き「わたしはこの目であなたの救いを見た」と神をたたえて言いました。またこの18節の後半で鍵となる言葉は「解放」です。「圧迫されている人を自由にし」とありますが、この「自由」は、「捕らわれている人に解放を」の「解放」と同じ言葉です。ここでは「解放」が強調されているのです。「捕らわれている人の解放」や「圧迫されている人の解放」は、もともとのイザヤ書の文脈では、イスラエル王国の滅亡によって捕らえられ国外へ連れて行かれた人たちの解放、いわゆる捕囚からの解放を語っていました。しかしルカがイザヤの預言の成就として「解放」を語るとき、そこでは主イエスによる罪の赦し、罪の力からの解放が語られているのです。「今日」イザヤの預言が成就したとは、まさに「今日」主イエスによる罪の赦しが実現したと語っているのです。
主の恵みの年を告げる
19節に「主の恵みの年を告げるためである」とあります。「主の恵みの年」と訳された言葉は、「主の喜びの年」あるいは「主の受け入れの年」という表現で、「喜び受け入れてくださる」ことを言い表しています。この表現で実際に意味されていた「年」とはどういう「年」でしょうか。レビ記25章には、まず七年ごとに土地に安息を与える「安息の年」の定めがあります。その七年を七回繰り返して四十九年経つと、次の五十年目が「ヨベルの年」と定められています。このヨベルの年について、レビ記25章10節に「この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である」とあります。ヨベルの年には、土地は元の持ち主に返され、借金は帳消しになり、自らを奴隷として売って借金を返していたユダヤ人たちは解放されました。つまりヨベルの年とは、解放の年です。「主の恵みの年」、「主が受け入れる喜びの年」とは、そのようなヨベルの年、解放の年のことを意味しているのでしょう。ですから「主の恵みの年を告げる」とは「解放」を告げることです。このことにおいて、19節は18節の後半と結びつきます。18節の後半で強調されていたのは「解放」でした。そしてその「解放」とは、ルカ福音書において、罪の力からの解放であり、主イエスによる罪の赦しでした。ですから「主の恵みの年を告げる」とは、ヨベルの年、解放の年の実現を告げ知らせることであり、罪の力からの解放の実現を、主イエスによる罪の赦しを、つまり救いの実現を告げ知らせることなのです。
驚きから軽蔑へ
イエスの言葉を聞いて、ナザレの人たちは皆「イエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて」「この人はヨセフの子ではないか」と言いました。このことが22節で語られていますが、この22節の前半と後半の関係は分かりにくいと言えます。それは、ナザレの人たちが、イエスが語る恵み深い言葉に驚き、彼を褒めたことと、彼らの「この人はヨセフの子ではないか」という発言との関係です。イエスが語る恵み深い言葉に、つまりイザヤの預言の成就が告げられたことに、ナザレの人たちは驚きイエスを褒めたにもかかわらず、その言葉を語るイエスという人に目を向けるやいなや、彼らは「この人はヨセフの子ではないか」、「この人は私たちとなにも変わりがないではないか」と思ったのです。「私たちとなにも変わりがないではないか」とは、イエスはナザレの人ではないか、私たちと同郷の者ではないか、あるいは私たちの身内のような者ではないかということです。彼らの中には、少年、青年時代のイエスを知っている者たちも少なくなかったでしょう。ですからイエスに対する親近感、身内意識があったとしても不思議ではありません。さらに「この人はヨセフの子ではないか」という彼らの発言は、より根本的な彼らのイエスへの無理解を明らかにしています。それは、彼らはイエスが神の子であると分かっていなかったということです。「ヨセフの子」という言い方は、同じナザレの出身の者であることを示しているだけでなく、同じ人間であることを示しているのです。会堂で聖書が朗読されイエスが「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と語ったこのとき、確かにイザヤの預言が成就し、神の恵みが告げられたのです。イエスが朗読した聖書には、三度「わたし」という言葉が出てきます。「主の霊がわたしの上におられる」「主がわたしに油を注がれたからである」「主がわたしを遣わされたのは」。この「わたし」が、神の独り子イエス・キリストを指し示しているのです。しかしナザレの人たちは、このことを受け入れることができませんでした。神の恵みが語られたにもかかわらず、その恵みに驚いたにもかかわらず、それを神の言葉として受け入れるのではなく、人の言葉として、それもよく見知った人の言葉としか思えなかったのです。私たちはナザレの人たちはなんて愚かなのだと思うかもしれません。しかし私たちもまた神の恵みに、いつも初めはああそうだと思うのです。それにお応えして感謝したいと思うのです。しかしそれが、人間の愚かな知恵によって一転して、なんだこんなことかと軽蔑するようになることが少なくないのです。22節は、ナザレの人たちのイエスの言葉に対する驚きが、一転してイエスに対する軽蔑となったことを語っているのです。それは彼らが、イエスは神の子であると分からなかったからであり、イザヤの預言の成就として神の恵みが語られ、神の救いが告げられたにもかかわらず、それを聞いても受け入れることができなかったからです。
神のみ業の自由
イエスは、ナザレの人たちのそのような心の動きをよくご存知でした。そして言われました。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」「医者よ、自分自身を治せ」ということわざは、古代でよく知られていたようで、他人にも施す行為を身内に施すことを拒んではならない、あるいは身内にとって益となることを拒みながら、他人に益となることをしてはならない、ということを意味します。この物語の直前にルカ福音書の第三部の導入として、イエスの評判がガリラヤ一帯に広まり、イエスが好意的に受けとめられていたことが語られていました。「カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが」とは、そのようなガリラヤ一帯に広まっていたイエスの評判を聞いていたということです。そして、故郷でないカファルナウムで評判となるようなことをしたのなら、故郷のナザレでも同じことをしてくれるに違いない、とナザレの人たちは思っていたのです。あなたの良い評判を聞いている。あなたは私たちと同じナザレの人だ。あなたのことも良く知っている。だから、ここ「ナザレ」でも評判となるようなこと、そのような「しるし」を行って欲しいと思っていたのです。イエスは自分たちの身内だから、自分たちの共同体の内側にいる者だから、当然、カファルナウムで行ったことをここでも行ってくれるに違いないと考えたのです。彼らは、イエスの言葉を、神の子の言葉として受け入れず、ヨセフの子の言葉としてしか聞かなかったのです。彼らのイエスに対する身内意識、イエスが自分たちの共同体の内側にいてあたり前という感覚は、彼らがイエスをヨセフの子としてしか見られなかったことによるのです。
イエスは、さらに言われました。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」ここで言う「預言者」とは、神さまから遣わされて神の言葉を預かった者のことです。しかしナザレの人たちは、イエスをヨセフの子としてしか見ていません。ですから、神さまから遣わされた預言者としてイエスを歓迎することなどできなかったのです。この「歓迎する」という言葉は「主の恵みの年」と訳されている「主の受け入れの年」の「受け入れる」と同じ言葉です。「主の恵みの年」、「主の受け入れの年」を告げるとは、主イエスによる罪の赦しを伝えることでした。しかしナザレの人たちは、この主イエスによる罪の赦しを受け入れることができなかったのです。
イエスは続けて旧約聖書の二つの物語を語ります。しかしこのことによって、事態は収まるどころか、ナザレの人たちの怒りに油を注ぐことになります。ナザレの人たちはこの二つの物語に慣れ親しんでいたはずです。子どものころから繰り返し聞いていた物語だったのではないでしょうか。エリヤの物語では、多くのやもめがいたのにユダヤ人でないシドン地方のサレプタのやもめだけが救われたことが語られ、エリシャの物語では、多くの重い皮膚病を患った人がいたのにユダヤ人でないシリア人ナアマンだけが救われたことが語られています。つまり預言者エリヤもエリシャも自分の身内ではなく、イスラエル共同体の外にいる人たちを救ったことが語られていたのです。この物語によって、自分の身内ではなく、ナザレの外にいる人たちに、共同体の外にいる人たちにこそ神のみ業がなされることを、「しるし」が行われることを、イエスは暗に言われているのです。ナザレの人たちは、自分たちが慣れ親しんだ物語によって、あなたたちには神の恵みは、救いは与えられないのだと言われたのです。ナザレの人たちの怒りが激しくなったとしても不思議ではありません。しかし神の救いは、身内と他人、ナザレの中と外、ユダヤ人共同体の内と外を簡単に越えていくのです。「貧しい人に福音を告げ知らせる」とは、神のみ業の自由を告げているのであり、人が定めた境界をたやすく越えて福音が告げ知らされることなのです。
立ち去られ、その先へ
「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」とイエスは言い、さらに「確かに言っておく」と言ってからエリヤとエリシャの物語を語りました。そのことによって、会堂にいたナザレの人たちの怒りは爆発し「総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした」のです。イエスの言葉に対するナザレの人たちの驚きは、イエスに対する軽蔑へと変わり、そしてついにはイエスに対する殺意へと変わるのです。このイエスに対する殺意の根本は、火に油を注ぐようなイエスの話にあるのではなく、ヨセフの子として生まれたイエスが、神が遣わした救い主であると信じられないことにあります。そしてこの殺意がイエスを十字架へと歩ませるのです。ガリラヤ宣教の始まりにおいて、すでに故郷ナザレはこの殺意で溢れたのです。ナザレの人たちの殺意に直面して、「しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られ」ました。そしてここからイエスのガリラヤ宣教は始まるのです。イエスは立ち去りました。そして先へ行かれたのです。ルカ福音書第三部の最初のこの物語は、ナザレの人たちの殺意に直面したにもかかわらず、イエスが先へ行かれたこと、つまり神のみ業の前進を描いています。そして第四部の最初9章51節でも「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」とあり、この「向かう」が「立ち去る」と同じ言葉なのです。第三部の最初と同じように第四部の最初でも、ルカは神のみ業の前進、神の救いの物語の前進を描いていくのです。
「今日」神の救いを聞き、受け入れる
ガリラヤ宣教の初めに、会堂の礼拝で神の恵みが確かに語られました。ルカ福音書において、成人したイエスが、イザヤ書の朗読を除いて初めて発した言葉は「今日」です。「今日、この聖書の言葉は実現した」とイエスは言われました。この「今日」は、私たちがこの礼拝でみ言葉を聞いている「今日」でもあります。「今日」この夕礼拝で、確かに私たちは神の救いが実現したことを聞いているのです。しかし私たちもまた、ナザレの人たちと同じように、そのイエスによる救いに対してあまりにも鈍感であるかもしれません。イエスによる救いを聞いても、その救いによって生きることができないでいるのです。愚かな知恵によって、私たちはイエスによる救いに対して疑いを抱き、また無関心にすらなるのです。しかし今、この礼拝に主イエス・キリストが臨んでくださり、共にいてくださいます。そして「今日」この世界に、この地に、私たちに、神の救いが実現したことが、主イエスによる救いが、主の恵みの年が告げられました。罪に捕らわれていた私たちに罪からの解放が告げられ、主の救いを仰ぎ見ることのできなかった私たちに、主の救いの経験が与えられ、罪の支配に押しつぶされそうになっていた私たちに自由が、解放が告げられたのです。私たちは、告げられた主イエスによる救いを聞きそれを受け入れ、信じることへと招かれています。そのとき私たちになにも起こらないということはありえません。私たちは主イエスによる救いを聞き受け入れることで、新たにされるからです。私たちは語り出すのです。まさに「今日」「主の恵みの年」を告げ知らされた私たちが、「今日」「主の恵みの年」を告げ知らせる者となるのです。