主日礼拝

かつてと今

「かつてと今」 伝道師 川嶋章弘

・ 旧約聖書:詩編 第32編1-11節
・ 新約聖書:ガラテヤの信徒への手紙 第1章18-24節
・ 讃美歌:12、130、522

18-24節の文脈
 ガラテヤの信徒への手紙は、パウロがガラテヤ地方の諸教会の人たちへ送った手紙です。パウロがこの手紙を書いたのは、ガラテヤの諸教会が信仰の危機にあったからです。具体的には、彼らが神さまから離れ、キリストの福音から福音ならざるものに乗り換えようとしていたのです。パウロがかつて彼らに伝えたのは「律法なき福音」でした。それは、救いが行いによるのではなく、キリストの十字架によって実現したということです。ところがパウロがガラテヤの諸教会から去ってから、「ある人々」がやって来ました。彼らはキリストの十字架による救いを否定したわけではありません。彼らがガラテヤの諸教会の人たちに伝えたのは、救われるためには、キリストの十字架だけでは十分でないということです。主イエス・キリストが罪の赦しのために十字架で死んでくださったこと。このキリストの十字架による救いでは足りない、救われるためにはそのことに加えて律法を守ること、つまり行いも必要だと、彼らは主張したのです。彼らによって、ガラテヤ諸教会の人たちは揺れました。もちろんキリストの十字架による救いは信じている。でも、救われるためには「行い」も必要なのではないか。そのように考えるようになったのです。おそらく彼らは、このことによって、自分たちがキリストの福音から福音ならざるものへと乗り換えているという自覚はなかったでしょうし、それほど大きな問題だと考えていなかったでしょう。しかしパウロは、このことが「福音の真理」を捻じ曲げ、教会を破壊する信仰の危機であると気づいていました。だから彼はこの手紙をガラテヤの諸教会に向けて書いたのです。福音とは何か、そのことをパウロは彼らになんとか伝えようとしていたのです。
 そのことをパウロが彼らに伝えるために、まずパウロがはっきりさせなければならないことがありました。それは、彼がガラテヤ諸教会の人たちに告げ知らせた福音は「人によるものではない」ということです。彼は、復活した主イエスに出会い、救われ、ただ神の恵みによって使徒として召され、異邦人へ福音を告げ知らせる使命が与えられました。パウロが去った後、ガラテヤ諸教会にやって来た人たちは、またその人たちから影響を受けたガラテヤ諸教会の人たちは、パウロが使徒であることや復活した主イエスに出会ったことを否定していたわけではありません。ここでも彼らが主張したのは、パウロが使徒であるのは、復活した主イエスに出会ったことによるだけでなく、それに加えてエルサレム教会の権威によるものであるということです。つまり、彼が使徒とされたのは、主イエス・キリストによる救いと神の召しだけでなく、エルサレム教会の人たちが認めたから、彼らの「お墨付き」があったから、と考えていたのです。この主張に対して、パウロは断固としてNOを突きつけます。そのことが1章11節から語られているのです。13-14節では、パウロの回心より前のことが語られていました。15-16節前半では、パウロの回心と召命が語られ、16節後半-17節では、パウロの回心と召命直後のことが語られていました。そこには次のように書かれています。「わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。」このような文脈の中で、本日の箇所は語られているのです。
 本日の箇所に入る前に、少し立ち止まって考えておきたいことがあります。それは、11節から語られているのは、パウロという一人の伝道者の歩みであって、そのことをこの箇所を読むことによって私たちは学ぶのではないということです。私たちはパウロの歩みを知ることによって、福音とは何か、主イエス・キリストによる救いとはどういうことかを告げられ、その福音と主イエス・キリストによる救いによって生かされている恵みに与るのです。このことを心に留めて、本日与えられたみ言葉へと目を向けていきたいのです。

それから三年後
 18節冒頭に「それから三年後」とあります。「それから三年後」とは、パウロが復活したキリストと出会い、神によって召され、異邦人に福音を告げ知らせる使命を与えられ、アラビアに退き、そしてそこからダマスコに戻ってきてから「三年後」ということです。「それから」という言葉は、どうということのない言葉のように思えます。しかしパウロは、この言葉を1章18節-2章1節で三回繰り返して使っています。18節の「それから」、21節と2章1節の「その後」です。パウロは自分の歩みを語るとき、この言葉によって自分の歩みが新たなステップへと進んだことを示しているのです。パウロの人生の一つの区切りを示している言葉と言っても良いかもしれません。この箇所を通して、私たちはパウロという一人の伝道者の歩みが新たなステップへと進んでいったことを知らされるのです。
 パウロと同じように、私たちのキリスト者としての歩みにおいても、新たなステップへと進んでいくということがあります。それは、単に時間的であるだけでなく、信仰的な変化を伴うことも少なくありません。もちろん私たちにとって決定的な変化は、洗礼を授かり、主イエス・キリストに結びつけられ、神の子とされたことです。しかし自分の信仰者としての歩みを振り返るとき、小さいことから大きいことまで信仰における変化に気づかされるに違いありません。それは人との出会いであるかもしれません。ある人との出会いによって、その人の信仰者としての姿勢から影響を受けることがあるでしょう。あるいはそれはライフイベントであるかもしれません。入学、卒業、就職、結婚、子どもが与えられること、あるいは自分や親しい人が病になること、死による別れ、そのような人生における出来事を通して、私たちの信仰は、あるときは励まされ、あるときは揺さぶられ、変化していくものではないでしょうか。しかし私たちの決断によることであれ、そうでなく降って湧いたようなことであれ、大切なことは、このような一つ一つの出来事が神さまのご計画の下にあり、その中で私たちの信仰は変えられていくということです。私たちがしばしば一喜一憂し、ときに激しく翻弄されるときも、神さまのご支配の下にあり、神さまこそ私たちが頼るべき隠れがであり、揺らぐことのない砦なのです。
 パウロがダマスコに戻ってから三年間どのように過ごしていたのか、彼はなにも語っていません。三年の間、彼はなにをしていたのだろうかという疑問が湧きます。ダマスコで福音を宣べ伝えていたのかもしれません。使徒言行録の第9章には、回心したパウロが「あちこちの会堂で『この人こそ神の子である』とイエスのことを宣べ伝えた」とあるからです。しかしガラテヤの信徒への手紙と使徒言行録にはところどころに食い違いがあり、この使徒言行録第9章に語られていることが、必ずしもダマスコでの空白の三年間の出来事であるとは言えないのです。ある人は、この三年間パウロが特に何もしていなかったのではないかと言っています。何もせず、ただひたすら神さまと向き合う日々を送っていたのではないか。神さまと一対一の時間を過ごしていたのではないかと言うのです。そしてそのような時間が私たちの信仰生活においても大切であると言っています。しかしいずれにしても想像に過ぎません。もちろんあれこれ想像することで、そこから与えられることも少なくありません。けれどもパウロがこの三年間について沈黙している、そのことそのものに注目しても良いのです。パウロがなにをしていたのかが大切なのではないのです。少なくともパウロはそのことをガラテヤ教会の人たちへ伝えようとは思わなかったのです。はっきりしていることは、「それから三年後」というみ言葉から私たちが受けとめることは、この沈黙の三年間においてもパウロの歩みが神さまのご計画の下にあったということです。そしてパウロがダマスコに戻って三年後に、神さまは彼に行くべき道を示されたのです。パウロの決断に先立って、神さまが示した新たなステップへと彼は進んでいくのです。

エルサレムへ上る
 ダマスコから帰還して三年後、パウロはエルサレムへと向かいました。それは、ケファと知り合いになるためであったとパウロは語っています。ケファとは主イエスの一番弟子ペトロのことで、エルサレム教会の中心的な人物でした。そしてパウロはペトロのところに15日間滞在しました。ここでもパウロは多くのことを語っていません。なんのために彼はペトロと知り合いになろうとしたのか。あるいはパウロとペトロはどんなことを話したのか。これらのことをこの箇所からなにも知ることができないのです。しかしここでパウロが、ペトロを訪問したことについて詳しく語っていない理由は、ダマスコでの三年間について沈黙しているのと同じではありません。ダマスコでの三年間について、パウロはガラテヤ教会の人たちへ伝えようとは思いませんでした。伝える必要がなかったとも言えます。しかし彼がペトロ訪問について詳しく語っていないのは、語らないことでガラテヤ教会の人たちに伝えたいことがあったからです。最初にこの箇所が置かれている文脈について申しました。パウロがガラテヤ教会の人たちになんとしても伝えなければならなかったことの一つは、彼が使徒であるのは、復活したキリストと出会ったことにのみよるのであって、エルサレム教会の権威によるものでないということでした。ここでパウロがペトロ訪問について簡潔に語っているのは、彼が召され使徒とされたのは復活したキリストが出会ってくださったからであり、それがすべてであることをはっきりさせるためです。言い換えるならば、彼が使徒とされたのは、エルサレム教会の権威とは関係がないことをはっきりさせているのです。そのことは「十五日間彼のもとに滞在しましたが」という一文で、「彼のもとに」つまり「ペトロのもとに」と語られていることからも分かります。「ペトロのもとに」滞在したとは、公にエルサレム教会と関わりを持ったのではなく、プライベートにペトロを訪問したことを強調しているからです。さらにいえば「十五日間」も、正確な滞在期間を伝えているというより、ダマスコでの沈黙の三年間と比較して極めて短い時間であることによって、エルサレム教会との関係が薄いことを伝えようとしているのです。
 続く19節では「ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました」と語られていますが、ここでもパウロがガラテヤ教会の人たちへ伝えたかったのは、パウロがエルサレムへ行ったのはあくまでプライベートなものであるということです。主の兄弟ヤコブとは、主イエスの十二弟子の内の二人、すなわちゼベダイの子ヤコブとアルファイの子ヤコブではなく、主イエスの兄弟のヤコブのことです。彼は、十二弟子とは異なり主イエスの宣教に従ったわけではありません。むしろ主イエスを信じられなかった、その働きを冷ややかな目で見つめていたと言えます。しかし主イエスが十字架で死なれた後、弟子たちや母マリアと一緒に祈っていたことが使徒言行録に語られています。そして後に、彼もエルサレム教会の中心的な人物となっていったのです。パウロが主の兄弟ヤコブに会ったのは、彼がそのような人物であったからかもしれません。ほかの使徒には誰にも会わなかった理由は語られていませんが、このエルサレム訪問において、エルサレム教会との交流は公のものでなかったことを、パウロは強調しているのです。
 このように18、19節で、パウロは自分が使徒であるのは、エルサレム教会とは関係ないことをはっきりさせようとしています。しかしそれは、パウロがガラテヤ会の人たちの彼に対する誤解を解こうとした、あるいは批判に反論しようとしたことに留まりません。ここでも根本的に問われているのは、福音とは何かということです。パウロが復活したキリストによって使徒とされたことと、彼が告げ知らせている福音が「人から受けたもの」ではなく「神から受けたもの」であることは一つのことです。ですからここでパウロは自分が使徒とされたことについて語っている以上に、キリストの福音について語っているのです。ガラテヤ教会の人たちが、福音ならざるものへと乗り換えようとしている危機的状況にあって、福音とは、いかなる意味においても「人から受けたもの」ではなく、「神から受けたもの」であることを訴えているのです。

神が証明する
 パウロのガラテヤ教会の人たちへの強い想いは、20節で「わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません」と語られていることからも伝わってきます。「このように書いていること」とは、18、19節だけでなく、回心前について語っている13節から19節までのすべてでしょう。そこで自分が書いたことは嘘ではない、と語っているわけですが、重要なのは「うそをついているのではありません」の前に、「神の御前で断言しますが」とあることです。「神の御前で断言する」とは、「神が証明してくださる」ということです。どれほど言葉を費やしたとしても、ガラテヤ教会の人たちは分かってくれるだろうか。正確に受けとめてくれるだろうか。信じてくれるだろうか。そのようにパウロは感じていたのではないでしょうか。確かにパウロは、福音ならざるものへと道を踏み外していってしまっているガラテヤ教会の人たちへ厳しい言葉で語っています。しかし同時に、なんとしてもキリストの福音に留まってほしいという、彼らに対する強い想いがパウロにはありました。キリストの死を無意味にしないために。彼らの信仰が滅びてしまわないために。そのパウロの想いを知っていてくださるのは、神さま以外にはいません。パウロの語ったことを保証してくれるのは、神さましかいないのです。パウロが「神の御前で断言する」、つまり「神が証明してくださる」と語ったのはそのためです。このことは、パウロが語ったことの保証がパウロ自身にあるのではないということでもあります。それは神さまにあるのです。神さまが知っていてくださり、証明してくださり、保証してくださるのです。
 私たちもしばしば似た経験をします。たとえば私たちは「あなたを大切にしたい」という想いを持ちます。それを愛と言っても良いでしょう。私たちのそのような想いは、弱く、欠けがあり、ときに歪んでいることもあります。ですからどこまでいっても私たちの想いは不完全であると言えます。けれども私たちが「あなたを大切にしたい」という想いを持つとき、もう一つ別の難しさを覚えるのです。それは、私の想いを相手が分かってくれているか分からないということです。私の想いを正確に受けとめてくれているだろうか。私が愛していることをあなたは信じてくれているだろうか。そのような不安に陥るのです。しかしそのように不安になるとき、私たちは、相手が分かっていてくれているかどうかではなく、あるいは自分自身にですらなく、神さまにこそ自分の想いを委ねて良いのです。神さまは私たちの想いを知っていてくださいます。弱さがあり、欠けがある想いであったとしても、私たちの想いを、愛を保証し、証明するのは私たち自身ではなく、神さまなのです。

シリアとキリキア地方へ
 21節冒頭に「その後」とあり、パウロの歩みは次のステップへと進んでいきます。そして「わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました」と語っています。シリア地方は、聖書の付録聖書地図の7「パウロの宣教旅行1」にあるアンティオキアを中心とする地方で、キリキア地方はタルソスを中心とする地方です。シリアおよびキリキア地方でのパウロの活動についても、詳しく語られていません。しかしパウロがこれらの地方で伝道していたことは間違いないでしょう。シリアおよびキリキア地方でのパウロの伝道の様子が、ユダヤの諸教会の人たちに伝わったことが22、23節で語られているからです。
 22節には「キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした」とあります。「顔見知りではありません」とありますから、ユダヤの諸教会の人たちは個人的にはパウロを知らなかったことになります。個人的には知らないパウロのシリアおよびキリキア地方での伝道の様子が、ユダヤの諸教会の人たちに伝わってきたのです。

かつてと今
 23節に「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と、ユダヤの諸教会の人たちが聞いたとあります。「かつて」パウロは、キリストを信じる者たちを迫害し、その信仰を滅ぼそうとしていました。そのことは、パウロ自身の言葉として13節で「わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました」と語られています。しかし「今」パウロは、そのキリストを信じる信仰を福音として告げ知らせているのです。十字架につけられた者が救い主であるはずがない、と教会を迫害しつづけてきたパウロが、キリストの十字架こそ救いであると宣べ伝えるようになったのです。「かつて」と「今」でパウロと神の関係は一変しました。「かつて」神に背いていた者が、「今」神に仕え、キリストの福音を告げ知らせる者となったのです。
 私たちも「かつて」神さまに背を向けて歩んでいました。神さまのみ心には目もくれず自分の思いや願いばかりを追い求めていました。自分の人生の主人公は自分自身だと思っていたのです。神さまに背いていた私たちは「かつて」罪の支配の下にあり、罪の奴隷でした。けれどもそのような私たちのために、神さまは独り子主イエス・キリストをこの世へと遣わしてくださったのです。そしてキリストは、私たちの罪をすべて背負って十字架にかかって死なれ、三日目に復活されたのです。このキリストの十字架と復活のゆえに、私たちは「今」罪の支配から解き放たれ、もはや罪の奴隷ではありません。私たちは「今」キリストに結びつけられ、キリストのものとされ、神さまに仕える者とされました。もはや自分の人生の主人公は自分自身ではなく、神さまとなったのです。「かつて」神さまに背を向けて歩んでいた私たちが、「今」神さまの方を向いて歩んでいる。パウロと同じように、「かつて」と「今」で私たちと神さまの関係も一変したのです。
 けれどもそのように私たちは信じているにもかかわらず、「かつて」と「今」で私たちと神さまの関係が一変したと、私たちは本当に受けとめられているでしょうか。確かに少しは変わったかもしれない、しかし一変したとまではとても言えないのではないか。そのように感じているのではないでしょうか。私たちは「今」なお「かつて」と同じように日々罪を犯しつづけています。神さまのみ心よりも自分の思いや願いを優先してしまうことばかりです。私たちの感覚からは、あるいは私たちの視点からは、「かつて」と「今」で私たちと神さまとの関係が一変したとは到底思えないのです。しかしそれにもかかわらず、神さまの眼差しにおいて、「かつて」と「今」で私たちと神さまの関係は確かに一変しているのです。私たちが「今」なお罪を犯しているとしても、罪はもはや私たちを決定的に支配することはありません。私たちは、主イエス・キリストによる救いによって、神さまの恵みの中へすでに入れられているからです。私たちの不確かさではなく、神さまの確かさにおいて、「かつて」と「今」で私たちと神さまの関係は一変したのです。私たちはなによりもこのことを信じるのです。このことを信じることによって、福音を告げ知らされた私たちが、「今」福音を告げ知らせる者とされていることに気づかされるのです。

神がほめたたえられる
 「かつて」教会を迫害していたパウロが「今」福音を告げ知らせていることを聞いて、ユダヤの諸教会の人たちが「わたしのことで神をほめたたえて」いたとパウロは24節で語っています。「わたしのことで神をほめたたえていた」と言われると、パウロが自分を誇っているかのように聞こえます。しかしここで言われているのは、神さまがパウロにおいて実現したことによって、神さまがほめたたえられるということです。大切なのは、パウロその人ではなく、「神さまがほめたたえられる」ことです。そしてパウロにおいて実現したことは、私たち一人ひとりにおいても実現したことにほかなりません。「かつて」と「今」で私たちと神さまの関係が一変したこと。このことが実現したことによって、神さまがほめたたえられるのです。私たちはすでに救われた者として、まだキリストに出会っていない人たちへキリストの福音を告げ知らせます。一人が一人へ。そして一人でも多くの人へキリストの福音を告げ知らせるのです。そのことによって私たちは神さまに栄光を帰するのです。神さまがほめたたえられる、なによりもそのために私たちは「今」神さまに仕える者とされているのです。

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