「最も激しい試みの時にも」 牧師 藤掛順一
・ 旧約聖書: 詩編 第46編1-12節
・ 新約聖書: ルカによる福音書 第23章50-56節
・ 讃美歌:301、533、57
東日本大震災から一年
本日は3月11日、昨年の今日、午後2時46分、東日本大震災が起こりました。あの日、大津波が町を押し流していく恐しい映像を私たちはテレビを通して、ほぼリアルタイムで見ていました。数日間停電になった被災地の人たちよりも私たちの方が、何が起っているのかを先に知ることができたのです。押し流されていくあの町の中に生きた人間がいる、それはとても信じられないような恐ろしい現実でした。この津波に伴って起きた福島第一原子力発電所の事故を含めて、戦後最大の災害の中で私たちはこの一年を歩んできました。親戚や知人が被災地にいる人は勿論、たとえそうでなくても、この出来事によって私たちの心は深く痛み、悲しみと不安の中でこの一年を歩んできたと言えるでしょう。原発事故のことを考えると、私たちの世代が、今後何十年、いや何百年にわたる苦しみと不安そして重い課題を後の世代の人々に遺すことになってしまったことに深い悔恨の思いを抱かざるを得ません。後の人々は私たちのことを、「彼らのおかげで我々は自分には何の責任もないとんでもない苦しみを背負わされている。彼らは何をしていたのか」と言うでしょう。本当に申し訳ないと思います。国や電力会社の責任は勿論しっかり問わなければなりませんが、2011年3月11日を少なくとも大人として生きていた全ての者が、このことへの責任を覚え、これからどうすべきかを考えなければならないと思うのです。
この大きな災害、苦しみの中でこの一年、私たちは被災した人々また教会のために何かをしたいと願ってきました。そのための献金にも励んできました。それぞれのつながりの中でいろいろなことをしてきました。何かをして支え助けたい、しかし何をすればよいか分からないしできない、というはがゆい思いをしてきた方も多いと思います。今自分に何ができるのか、何をなすべきなのか、を模索してきた一年だったとも言えます。そのことはこれからも続いていくでしょう。大事なことは、その思いを失わないことだと思います。被災地において求められる支援は時と共に変化していきます。その歩みを見守りつつ、その時その時に、自分たちに出来ることを息長くしていくことが大切でしょう。
この災害の中で、もはや神など信じられない、神はいないのだ、我々はもはや神になど頼らずに生きていかなければならない、と語った人もいます。そのような言葉の背後には、実は神を求めずにはおれない人間の切実な思いがあることも感じます。そしてこのような問いがうずまく中で、幸いなことにと言うか驚くべきことにと言うか、いやそれが当然なのだと思いますが、被災地の教会の人々、牧師たちは、このことによって決して信仰を失ったり、語るべき言葉を失ったりはしていない、ということを私たちは知らされています。むしろこの災害によって全てを失ったことによってかえって、本当に必要なものが見えてきた、本当に頼るべき方は主なる神様だということがはっきりと分かった、という信仰者の声を私たちは聞いています。あの地震が起った時、東京神学大学では卒業式が行われていました。その日に卒業して新たに伝道者となった人の一人は、石巻の教会に赴任が決まっていました。若い新卒の伝道者が、いきなり被災地の教会の主任者としての責任を負うことになったのです。この一年、本当に大変な経験をいろいろしてきたと思います。しかし今彼は、今こそ福音をこの地の人々に宣べ伝え、伝道することが教会の使命であるという確信をもってたくましく歩んでいます。被災地の教会がそのように、自らも苦しみを背負いつつ、キリストの福音にしっかりと立ち、その福音を宣べ伝えるという、教会のみがすることができ、教会にしかすることができない働きを担いつつ、苦しみ悲しみの中にある隣人と向き合っている、私たちはその歩みを覚えて祈り、支えていきたいと願うものです。
主イエスの苦しみを覚えつつ
昨年の3月11日は、主イエス・キリストの十字架の苦しみと死を覚えつつ歩む受難節(レント)に入って三日目の金曜日でした。昨年のレントの期間を私たちは、多くの人の命が失われたことを覚えつつ、またその地の人々が今直面している苦しみ悲しみ嘆きに思いを寄せつつ、そして原発事故がこれからどうなっていくのかという恐怖、不安の中で、それら全てのことを主イエス・キリストの苦しみと死とに重ね合わせつつ歩みました。今年は、レントに入って三回目の主の日としてこの日を迎えました。今年の場合には、主イエス・キリストが私たちのために十字架にかかり、苦しみと死を引き受けて下さることによって私たちの罪を赦し、救いを与えて下さったことを覚えつつ、その中で震災のこと、被災地の人々、教会のことを覚えて祈っています。私たちは、このたびの震災のような出来事が起った時、自分たちの、あるいは隣人の、具体的な苦しみ悲しみの現実の中で、主イエスの十字架の苦しみと死を思い、見つめます。また逆に、主イエス・キリストの十字架の苦しみと死を覚えることの中で、自分たちが、また隣人たちが今かかえている苦しみや悲しみや不安を見つめていくのです。それは主イエス・キリストを信じる信仰者に与えられている大きな恵みであると言うことができます。私たちは、苦しみ悲しみ嘆きを体験する時、その中で主イエス・キリストの十字架の苦しみと死とを見つめ、神様の独り子である主イエス・キリストが、自分の苦しみ、悲しみ、嘆き、不安を共に背負い、担っていて下さることを知らされるのです。また隣人の苦しみ悲しみ嘆きを見つめる時に、その真ん中に、十字架にかかって死んで下さった主イエス・キリストがいて下さり、自らその苦しみ悲しみ嘆きを共に背負って下さっていることを信じてその人に寄り添っていくことができるのです。それは何と幸いなことでしょうか。
主イエスの埋葬
主日礼拝においてルカによる福音書を読み進めてきまして、今ちょうど、主イエスの十字架の死の場面に来ています。レントの期間に読むのに丁度相応しい箇所にさしかかっているのです。先週の礼拝において、主イエスが息を引き取られた場面を読みました。本日ご一緒に読む50節以下は、小見出しにありますように、主イエスが墓に葬られたという所です。アリマタヤ出身のヨセフという人が、総督ピラトのところに出向き、主イエスの遺体を引き取ることを願い出て許可され、十字架の上で死んだ主イエスを取り降ろし、亜麻布で包み、まだ誰も葬られたことのない、岩に掘った墓に納めたのです。それは彼自身が手に入れていた墓だったのでしょう。このヨセフはユダヤ人の議員の一人だったとあります。その議会において、主イエスを死に当たるものとしてピラトに訴えることが決議されたのです。しかし彼は「善良で正しい人」で、その決議には同意していなかったとあります。つまり議会の中でおそらく彼一人が、主イエスの十字架に反対したのです。彼は「神の国を待ち望んでいた」と51節にあります。神の国、神様のご支配の完成を救いとして待ち望んでいたがゆえに、彼は主イエスの十字架に反対したのです。つまり主イエスこそ、神の国、神様のご支配という救いをもたらして下さる方だと信じていたのです。しかし結局議会のあの決定を阻止することはできませんでした。それで彼はせめて主イエスの遺体を丁重に葬ろうとして、総督ピラトと交渉し、自分の新しい墓に主イエスの遺体を埋葬したのです。
この埋葬は急いで行われました。遺体を丁重に葬る場合には、香料と香油を塗り、そして布に包んで埋葬するのです。しかし主イエスの埋葬においては香料や香油を塗ることができませんでした。それは54節にあるように、安息日が始まろうとしていたからです。先週読んだように、主イエスは午後3時ごろに息を引き取られました。ユダヤの暦では一日は日没から始まります。ですから主イエスが息を引き取られてから、翌日の安息日、つまり土曜日が始まるまでの間は、午後3時から日没までの数時間しかなかったのです。安息日が始まってしまうと、埋葬などの仕事をすることができません。また、旧約聖書の律法には、木にかけられて死んだ人の遺体を翌日までそのままにしておいてはいけない、という掟があります。それゆえにヨセフは急いでピラトと交渉し、許可を得て主イエスを十字架から取り降ろし、亜麻布に包んだだけで埋葬したのです。
このヨセフの行為は大変勇気のある大胆なことだと言えるでしょう。ユダヤ人の議会も、また民衆も、主イエスを十字架につけることで一致していたのです。そのような中で、それに反対し、処刑されたイエスの肩を持つようなふるまいをするのは大変なことです。ユダヤ人たちから白い目で見られ、議員としての地位を失ってしまうかもしれません。つまり彼は、自分の社会的生命を危険にさらしてまで、主イエスの遺体を丁重に葬ろうとしたのです。彼が心から主イエスを愛していたことが分かります。けれども私たちはそこに、主イエスを愛する人間の愛の限界をもまた示されます。これほど主イエスを愛していた彼も、その十字架の死を阻止することはできなかったし、死んでしまった主イエスを復活させることも勿論できないのです。人間にできることは、悲しみ嘆きつつ、主イエスの遺体を丁重に葬ることまでなのです。
その埋葬を、主イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちが見届けたと55節にあります。この婦人たちは先週読んだ主イエスの死の場面の最後の所にも出てきていました。49節に「イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた」とありました。彼女たちは主イエスの十字架の死を遠くから見ていたのです。そして他の見物人が帰った後もそこにずっと留まっており、ヨセフが遺体を取り降ろすのも見ており、墓にまでついて行ってその埋葬を見届けたのです。56節には彼女らが、「家に帰って、香料と香油を準備した」とあります。それは、安息日が明けたらもう一度丁寧に埋葬をやり直すためです。彼女たちも主イエスを深く愛しており、主イエスの死を嘆き悲しみ、主イエスのために何かをしたいと心から思っているのです。しかし彼女たちにおいても、出来ることは、遺体に香料を塗り、丁重に葬るということまでなのです。
土曜日のこと
このように本日の箇所には、主イエスの遺体が墓に葬られたことが語られています。そして小見出しが入っているので分かり難くなっていますが、56節には後半があって、もう一つのことが語られているのです。それは「婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ」ということです。これは主イエスの埋葬が行われた後日が沈むことによって始まった土曜日、安息日の話です。主イエスの十字架の死は金曜日であり、復活は三日目の日曜日です。その間の土曜日のことが、56節後半に語られているのです。この日のことを語っているのは四つの福音書の中でルカのみです。主イエスの十字架の死の翌日の土曜日の登場人物はこの婦人たちだけなのです。彼女たちはその日、「掟に従って休んだ」とあります。これだと、普段の安息日と変わらず淡々と過ごしたように感じられますが、決してそんなことはないでしょう。彼女たちの心には、愛する主イエスの死への深い嘆き、悲しみ、絶望があったことでしょう。この安息日は、安息の日と言うよりも、主イエスの死を悼み、ひたすら喪に服す日となったのだと思います。翌朝一番に香料と香油を持って主イエスの墓に行く、そしてその遺体を改めて丁重に葬る、その予定だけが、彼女らの心の唯一の支えだったのだろうと思うのです。
東日本大震災による犠牲者のほとんどは、津波によって亡くなった方々です。それゆえに、一年経った今でも行方不明者が大変たくさんいます。遺体が流されてしまって見つからないのです。そういう中で、遺体が見つかったことを「よかった」と喜び合う、ということが起ったと聞いています。遺体が見つかれば、せめてそれを丁重に葬ることができる、それすらもできないという深い嘆き悲しみの中で、そのことがある喜びとなる、という現実があったのです。それはこの安息日、土曜日の婦人たちの思いと通じると言えるでしょう。
本日の箇所はこのように、主イエスの十字架の死と、三日目の日曜日の朝の復活との間の時のことを語っています。この「間の時」、主イエスを心から愛していた人々が、深い嘆き悲しみの中で遺体を墓に納め、さらに本格的に葬りをするために備えていたのです。主イエスの弟子たちはここに全く登場していません。彼らは皆逃げ去ってしまった、つまり主イエスを裏切ってしまったのです。それゆえに、人間が主イエスに対する愛をもってできる最後のことである埋葬に関わることができなかったのです。
陰府にくだり
しかし十字架の死と復活の間の埋葬のことを語っている本日の箇所に、何か積極的な意味はあるのでしょうか。そこで思い起こしたいのは、私たちが毎週礼拝において告白している「使徒信条」です。この信条を告白することにおいて、古来教会は、主イエスの十字架の死と復活との間にあることを見つめてきたのです。それは何か。「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり」。「死にて葬られ」、これが本日の箇所における埋葬のことです。その次に「陰府にくだり」とあります。この一言が、金曜日の十字架の死と埋葬、そして日曜日の復活、その間の土曜日のことを語っていると言えるのです。つまり人間の世界では、深い嘆き悲しみの中で主イエスの埋葬がなされ、またそれを丁重にやり直すための備えがなされているその時に、主イエスご自身は、陰府に降っておられたのです。陰府というのは、死んだ人の行く所です。十字架で死んだ主イエスは、死んだ者の所にまで行って下さったのです。そしてその陰府から、父なる神様の力によって復活させられたのです。古来教会はそのように信じ、告白してきました。十字架と復活の間の土曜日はこの「陰府にくだり」の日であると言えるのです。
言い難い不安と苦痛と恐れとによって
しかし主イエスがこのように陰府にまで、死者の国にまで降って下さったということにはどのような意味があるのでしょうか。それによって私たちにどのような恵みが与えられるのでしょうか。そのことを、求道者会で学んでいる『ハイデルベルク信仰問答』はこのように語っています。問44「なぜ『陰府にくだり』と続くのですか」という問いへの答えです。「それは、わたしが最も激しい試みの時にも次のように確信するためです。すなわち、わたしの主キリストは、十字架とそこに至るまで、御自身もまたその魂において忍ばれてきた言い難い不安と苦痛と恐れとによって、地獄のような不安と痛みからわたしを解放してくださったのだ、と」。ここに語られているのは、十字架にかかって死んだ主イエスが、陰府という特別な場所に行ってそこで何かをなさった、ということではありません。「陰府にくだり」という使徒信条の言葉は、主イエス・キリストが、十字架の死において、「言い難い不安と苦痛と恐れ」を、言い換えれば「地獄のような不安と痛み」を、肉体においてのみならず魂において引き受け、忍んで下さったことを語り示しているのだ、ということです。つまり言い換えれば、神の独り子、まことの神であられる主イエスが、天から降ってきて私たちと同じ人間になり、私たちの罪を全て背負って十字架の苦しみと死とを引き受けて下さった、その主イエスの徹底的なへりくだりを言い表しているのが、「陰府にくだり」という言葉なのだ、ということです。そして主イエスがこのように「言い難い不安と苦痛と恐れ」を受けて下さったことによって、私たちが、「地獄のような不安と痛み」から解放される、そういう救いが実現したのです。私たちがそのことを、「最も激しい試みの時にも」確信するために、主イエスが陰府にくだられたことを使徒信条は語っている、それが『ハイデルベルク信仰問答』における「陰府にくだり」の解説なのです。
深い嘆きと悲しみと絶望の土曜日
私たちはそこから、ルカによる福音書が、金曜日の主イエスの十字架の死と、日曜日の復活との間の土曜日、安息日のことを語っていることの意味をも受け止めていくことができるのではないでしょうか。この土曜日、安息日は、深い嘆きと悲しみと絶望の日です。主イエスを心から愛し、ガリラヤからはるばる従って来ていた婦人たちが、主イエスの十字架の死を嘆き悲しんでいます。復活の喜びはまだ与えられていません。彼女たちは亡くなった主イエスのために何かをしたいと心から願っていますが、出来ることはその埋葬を見届けることだけであり、せめて丁重に、心をこめて、その遺体をもう一度埋葬し直すことだけを唯一の望みとしてこの一日を過ごしたのです。それは望みとは言えないような望み、絶望に支配されている中でのせめてもの喜びであり、それは津波に流されて亡くなった人の遺体が見つかってよかったという全然よくはない、喜びとは言えない喜びに通じるものだと思います。この言い難い地獄のような苦しみ悲しみ嘆きを、主イエス・キリストが、苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に降ったことによって、ご自身の身に背負い、担い、引き受けて下さったのです。
最も激しい試みの時にも
東日本大震災から一年の記念の日である今日、被災した人々の苦しみの現実はなお変わっておらず、復興への歩みはまだまだ始まったばかりである所が多いという現実の中で、そして特に福島第一原発の事故とそれによって大量の放射性物質に汚染されてしまった地域では、復興や再建どころか、放射能をどう取り除いたらよいかも見えていないという現状の中で、私たちは、主イエスの十字架の死と復活の間の土曜日に、使徒信条で言えば「死にて葬られ、陰府にくだり」という告白に深く心を向け、そこから簡単に「復活の喜び」に移ってしまうのでなく、ある意味でそこにじっと留まりつつ歩みたいと思います。それは、人間に出来ることの限界を知り、そこにしっかり留まるということでもあります。人間が努力して出来ることもあるけれども、どうしても出来ないこと、自分の力には余ることもまたあるのです。そこにおいては、私たちは自分の限界をわきまえ、その嘆きや悲しみの中にじっと留まらなければなりません。神の独り子であられる主イエス・キリストが、十字架の苦しみと死とにおいて、「言い難い不安と苦痛と恐れ」とを耐え忍んで下さったことは、私たちが自分の限界を知り、その悲しみの中に留まることによってこそ見えてくるのだと思います。そこにおいてこそ、主イエスが「言い難い不安と苦痛と恐れとによって、地獄のような不安と痛みからわたしを解放してくださった」ことを、「最も激しい試みの時にも」確信する、そういう信仰が与えられていくのだと思うのです。