主日礼拝

破れない網

「破れない網」 牧師 藤掛順一

・ 旧約聖書:詩編 第34編9-11節
・ 新約聖書:ヨハネによる福音書 第21章1-14節
・ 讃美歌:55、409

付け加えられた21章
 礼拝においてヨハネによる福音書を読み進めてきて、いよいよ最後の第21章に入ります。本日の箇所には、復活なさった主イエスが、ティベリアス湖、つまりガリラヤ湖の湖畔で弟子たちに現れたことが語られています。20章の舞台はエルサレムでしたが、ここでは場所がガリラヤ湖となっているわけです。シモン・ペトロが「わたしは漁に行く」と言ったので、何人かの弟子たちが共に舟に乗り込み、漁をしました。ペトロは元々このガリラヤ湖の漁師だったのです。しかしその夜はいくら網を打っても何もとれませんでした。夜明けに、岸に主イエスが立っておられました。弟子たちはそれが主イエスだと分かりませんでしたが、その人の「舟の右側に網を打ちなさい」という言葉に従ってもう一度やってみると、網にいっぱいになるほど魚が取れたのです。一晩中何も取れなかったのに、主イエスのお言葉に従ってやってみたら奇跡的な大漁になった、こういう話はルカによる福音書の第5章にもあります。本日の箇所はその話とかなり似ていると感じます。元々は同じ一つの出来事だったのが、別のルートで伝えられてきて、ルカによる福音書とヨハネによる福音書に違う仕方で用いられたのではないか、とも考えられます。先週申しましたように、ヨハネによる福音書のこの21章は、この福音書を書いた人ないしその教会において、後でつけ加えられたものだと考えられています。元々は20章の終わりまでだったところに、21章が書き加えられたのです。その書き加えにおいてこの奇跡的大漁の話が用いられたのでしょう。そうだとすると、この話がどのように用いられているかを見ることによって、そもそも21章がなぜ、何のためにつけ加えられたのかを知る手がかりを得ることができます。そういう意味でここは、ヨハネ福音書が書かれた頃にその教会で起っていたことを知るための手掛かりとなる、大変興味深い箇所なのです。

七人の弟子たち
 さてここに登場している弟子たちのことを先ず確認したいと思います。2節にそれが記されています。シモン・ペトロが真っ先に出てきます。そしてディディモと呼ばれるトマス、これは20章24節以下のあのトマスです。彼は主イエスの復活を、この目で見るまでは信じないと言っていましたが、主イエスと出会って、「わたしの主、わたしの神よ」と信仰を告白しました。次にガリラヤのカナ出身のナタナエルとあります。この人は1章45節以下に出て来た人で、主イエスに招かれて弟子となったフィリポから、ナザレのイエスこそ救い主だと聞かされても、最初は「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と疑っていましたが、主イエスと出会って、「あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と信仰を告白しました。この人がガリラヤの人であることは1章から分かりますが、カナの出身であることはここに初めて語られています。カナは主イエスが、水をぶどう酒に変えるという最初の奇跡、しるしを行った所です。「ガリラヤのカナ出身のナタナエル」という一言で、この福音書の最初の方に語られていたことがいろいろ思い起こされるのです。そして次にゼベダイの子たちです。それはヤコブとヨハネのことであると、私たちは他の福音書から知っています。そしてそのヨハネこそが、この福音書を書いた人だと言い伝えられているのです。さらにほかに二人の弟子がいたとあります。この福音書に出て来た人で考えればそれは、ペトロの兄弟アンデレと、ナタナエルを主イエスのもとに連れて行ったフィリポだろうか、と想像することができます。この人たちは皆ガリラヤの人であり、ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネはガリラヤ湖の漁師だったわけですから、この話の登場人物として相応しいわけです。

イエスの愛しておられた弟子
 この七人が舟に乗って漁に出たわけですが、ペトロが「わたしは漁に行く」と言うと、他の人たちも「わたしたちも一緒に行こう」と言ったとあり、シモン・ペトロが彼らの先頭に立っていることが示されています。その漁において一晩中全く魚が取れなかったのに、朝になって主イエスのお言葉に従って舟の右側に網を打つと、網を引き上げることができないほどの大漁となったのです。そのことが語られた後の7節に「イエスの愛しておられたあの弟子が」と突然語られています。七人の中に、「イエスの愛しておられた弟子」がいたのです。この弟子は、最後の晩餐の場面から登場しており、主イエスの十字架の死の時にもそこにおり、イースターの朝に主イエスの墓が空っぽであることを確認した人でもありました。この弟子が、この福音書を書いたヨハネだと考えられています。つまりゼベダイの子たちの一人ヨハネが、イエスの愛しておられた弟子だったのです。この人がペトロに「主だ」と言ったと7節にあります。岸辺に立っておられ、自分たち語りかけたその人が主イエスであることに、この弟子が真っ先に気づいて、ペトロにそれを教えたのです。

ペトロとの関係
 この「イエスの愛しておられた弟子」は、大抵このようにペトロとの絡みで登場しています。13章の最後の晩餐の場面でも、主イエスが「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」とおっしゃったので、ペトロが、主イエスのすぐ隣にいたこの弟子に、それは誰のことなのか尋ねるように合図した、とありました。18章には、主イエスが捕えられて大祭司の屋敷に連れて行かれた時に、ペトロとこの弟子がその中庭に入って様子を伺っていたことが語られていました。この弟子が手引きをしたことによってペトロもそこに入ることができたのです。20章には、マグダラのマリアから主イエスの墓が空であることを告げられた彼ら二人が、墓に向かって走り出したこと、この弟子の方が速く走って先に墓に着いたが、ペトロの到着を待って一緒に墓に入り、主イエスの遺体がないことを確認したとありました。このように、イエスの愛しておられた弟子は大抵ペトロと共に出て来ており、ある意味ペトロより優位に立っていたように語られています。主イエスの十字架の死の場面では、主イエスの母と共にその真下にいたのはこの弟子でした。主イエスは母に、彼を「あなたの子です」と言い、彼にはご自分の母を「あなたの母です」と言ったとあります。主イエスを三度「知らない」と言ってしまったペトロはそこにはいないのです。本日の箇所においても、岸辺にいるあの人が主イエスだ、と真っ先に気づいてペトロに教えたのは彼だったのです。
 このようにこれらの箇所には、この弟子がまさに主イエスに特別に愛されており、ペトロよりもより主イエスの近くにいたことが語られているわけですが、しかしそこには同時に、ペトロが弟子たちの筆頭であり、イエスの愛しておられたこの弟子も、ペトロを重んじていることが見て取れます。主イエスの墓に走って行って先に着いた彼が、ペトロが着くまでは墓に入らずに待っていた、ということにそれが示されているし、本日の箇所でも、「わたしは漁に行く」と言ったペトロに彼は従ったのです。そしてペトロは、「主だ」という彼の言葉を聞くと、上着をまとって湖に飛び込み、泳いで主イエスのもとに駆けつけましたが、この弟子は他の人たちと共に網を引いて舟で戻って来たのです。陸に上がってみると、炭火がおこしてあり、主イエスが「今とった魚を何匹か持って来なさい」とおっしゃいました。それを受けて11節には「シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった」とあります。つまり網を引き上げたのも、取れた魚を主イエスのもとに持って行ったのもペトロであると言われているのです。
 このように、「イエスの愛しておられた弟子」とシモン・ペトロの関係はとても微妙に描かれています。「イエスの愛しておられた弟子」がヨハネでありこの福音書を書いた人だとすれば、この福音書は、ペトロよりもむしろヨハネこそ主イエスに愛されていた弟子であり、最も主イエスの側近くにいて、信頼されていたのだ、と主張しているようにも感じられます。しかし同時に、この福音書も、ペトロが弟子たちの先頭に立っており、ペトロを中心として弟子たちの群れが歩んでいることを語っているのです。つまりペトロを意識し、ある意味対抗しつつも、決して対立してはいないのです。

教会の二つの流れ
 ここに、この福音書が書かれた頃の教会の事情が現れています。そしてこの21章が付け加えられたのもその事情によることだと思われるのです。最初の頃の教会は、使徒たち、つまり主イエスの弟子であり、復活した主イエスによって遣わされた人たちを中心として形成されていきました。その中心的な指導者は、弟子の筆頭だったペトロでした。ペトロのもとに主イエスを信じる者たちが集まり、教会が形造られていったのです。ペトロ自身は紀元六十四年頃に、皇帝ネロの迫害によってローマで殉教しましたが、その後もペトロの信仰を受け継ぐ教会が育っていきました。その中からマルコによる福音書が生まれ、それを下敷きとしてマタイ、ルカ福音書も書かれました。しかしこのペトロの教えを受け継ぐ群れとは別に、ヨハネを指導者とし、その教えを受けている教会もありました。ヨハネの兄弟であるヤコブは早くに殉教の死を遂げましたが、ヨハネはかなり高齢になるまで生きたようです。そのヨハネの教えを受けた教会は、ペトロの教えを受けた教会とは違った仕方で、主イエスの教えやみ業を語っていったのです。その群れにおいてまとめられていったのがヨハネによる福音書でした。この福音書には、他の三つの福音書とはかなり違う記述があります。主イエスのみ業やお言葉も、この福音書にしか語られていないものが多くあります。その違いはそういう事情から来ているものです。しかし様々な違いはあっても、神の独り子であられる主イエス・キリストが人間となってこの世を生きて下さり、私たちの罪を背負って十字架にかかって死んで下さったことによって罪の赦しを実現し、復活によって私たちにも復活と永遠の命の希望を与えて下さった、という主イエスによる救いの根本は同じです。同じキリストによる救いの知らせ、つまり福音が、別の角度から語られているのです。ですからヨハネによる福音書と他の福音書の間にある違いは、そして他の三つの福音書どうしの間にもいろいろな違いがあるわけで、つまり四つの福音書の違いは、一人の主イエス・キリストのお姿と、その主イエスによる根本的には同じ救いの福音を、それぞれが別の角度から見つめ、描いていることによる違いとして受け止めるべきものです。様々な角度から語られることによって、主イエスのお姿が、そしてその救いの恵みが、生き生きと、立体的に浮かび上がって来るのです。

合流して一つとなった教会
 さてヨハネの教えを受けた教会とペトロの教えを受けた教会は、それぞれ異なった特色を持ちつつ、ある意味では対抗しながら歩んでいましたが、ヨハネの教えを受け継ぐ教会には、紀元2世紀になった頃に、当時流行していた間違った教えが入り込んで来て、その教えの影響を受けた人々が教会から分かれて出て行ってしまうということが起ったようです。そのことは、この教会において成立した「ヨハネの手紙」を読むと分かります。その内容にはここでは触れませんが、間違った教えの影響を受けて弱体化してしまったこの教会は、ペトロの教えを受け継ぐ教会と合流し、合体していったものと思われます。ペトロの教えを受け継ぐ教会とヨハネの教えを受け継ぐ教会が一つとなっていったのです。ヨハネ福音書に21章が付け加えられたのは、この合流が起ったことを受けてではないかと考えられます。ペトロの信仰を受け継ぐ人々と、ヨハネの信仰を受け継ぐ人々が、それぞれの特色を持ちつつ、キリストの教会として今や一つとなって歩んでいる、そのことがこの21章に語られているのです。
 そのことをはっきりと示しているのが、11節の「シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった」という文章です。取れた魚が153匹だったという数が語られています。この153というのは象徴的な意味のある数であると指摘されています。1から17までの数を順に足していくと153になります。また1の3乗(1×1×1)は1、5の3乗(5×5×5)は125、3の3乗(3×3×3)は27、それを足すと153となります。つまり153は、非常に調和の取れた、秩序ある、安定した数なのです。そこに、合流合体した教会の一致、調和、安定が象徴されていると思われるのです。またここには「それほど多くとれたのに、網は破れていなかった」ともあります。網が破れていない、そこにも、教会が分裂せず一致していることが象徴されています。世界史を学んだ人は、教会の分裂を意味する「シスマ」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。その「シスマ」の元になっているのがこの「破れる」という言葉なのです。つまりこの153匹の魚が入った網は、ペトロの信仰を受け継ぐ教会にヨハネの信仰を受け継ぐ教会が合流して一つのキリストの教会として一致し、分裂することなく歩んでいる姿を象徴的に現しているのです。そしてそれが、21章が付け加えられることによって完成したヨハネによる福音書のメッセージです。この福音書には、他の三つの福音書にはない独自な視点で主イエスのみ業と教えが語られています。この福音書にしかないエピソードもいろいろあります。主イエス・キリストによる救いが独特の仕方で語られているのです。しかしそれは、他の三つの福音書に語られている主イエスのみ業や教え、そしてそこに語られている救いと矛盾したり対立するものではありません。主イエス・キリストが頭である一つなる教会が、神の救いの恵みを様々な角度から証ししている、その証しの豊かさがそこにあるのです。付け加えられた21章はそのことを語っています。つまりこの21章は蛇足ではなくて、他の福音書との一致がそこに示されている、なくてはならないものであり、21章が加えられることによってヨハネ福音書は完成したのです。

主イエスの招きによる食事
 本日の箇所の後半に語られていることの意味もここから見えてきます。弟子たちが陸に上がってみると、主イエスが既に炭火をおこして下さっていて、そこで魚が焼かれており、パンも用意されていました。主イエスは「今とった魚を何匹か持って来なさい」とおっしゃって、彼らが取った魚をそこに加えて、そして「さあ、来て、朝の食事をしなさい」とおっしゃったのです。主イエスが備えて下さった食事に弟子たちは共にあずかったのです。ここにも、ペトロの信仰を受け継ぐ教会とヨハネの信仰を受け継ぐ教会が一つとなって歩んでいる姿が描き出されています。あるいは、教会が一つであり、分裂なく一致していることはどこに現れ、何によって見えるようになるのかがここに示されているのです。それは、主イエスが備えて下さった食事に共にあずかることにおいてです。13節には「イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた」とあります。これは、6章11節の「さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた」という言葉を思わせます。ここは、五つのパンと二匹の魚で五千人の人々を満腹にしたという主イエスの奇跡、しるしを語っているところです。このしるしは、そして復活した主イエスが用意し、招いて下さった本日の箇所における食事は、教会の礼拝において行われている聖餐を指し示しています。聖餐は、復活した主イエスが用意し、招いて下さっている食事です。洗礼を受け、主イエスの十字架と復活による救いにあずかり、主イエスと一つとされ、キリストの体である教会に加えられた者たちは、聖餐のパンと杯において、主イエス・キリストの体と血とにあずかり、主イエスと一つにされていることを体をもって味わい、体験するのです。この聖餐に共にあずかっていることに、教会が一つであり、分裂なく一致していることの目に見えるしるしがあるのです。教会が一つであるというのは、そこに集っている人々が同じことを考え、同じ活動をしているというような、人間的な結束や連帯によることではありません。洗礼を受けて主イエス・キリストと結び合わされ、み言葉によって養われつつ、聖餐おいてキリストの体と血とにあずかり、その救いの恵みを共に味わっている、そこにおいてこそ教会は一つであることができるのです。

聖餐において、教会は一つ
 聖餐は根本的には、復活した主イエスが私たちのために備えて下さっている食事です。しかしそこに、弟子たちのとった魚が加えられたことは、私たちの捧げるものが聖餐において用いられることを示しています。私たちは、主イエスを信じる信仰を言い表し、洗礼を受けることによって、自分自身を主イエスにおささげするのです。それによってこそ、聖餐は主イエスの恵みにあずかる食事となるのです。つまり復活の主イエスの恵みによる招きと、私たちの信仰の応答が相俟って、聖餐は豊かな祝福、恵みの時となるのです。12節後半に「弟子たちはだれも、『あなたはどなたですか』と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである」とあります。復活して生きておられる主イエスが今共にいて下さる、その満ち足りた祝福を弟子たちはこの食事においてはっきりと感じていたのです。主イエスが招いて下さり、私たちが信仰をもって応答しつつ聖餐にあずかる時に、私たちもこの祝福を味わうことができます。そしてそこでこそ、主にあって一つとされていることを体験するのです。聖餐を共に祝うところにこそ、キリストの教会が一つであることが示されるのです。本日は第一主日で、本来なら聖餐にあずかるはずの日ですが、今私たちはそれを奪われています。それは私たちの一致のしるしが奪われているということであり、分断の危機にさらされているということです。主イエスが再び聖餐へと招いて下さり、私たちが信仰によってそれに応えて、キリストの体である教会が一つである喜びを体験することができる日が早く来るように、共に祈り求めたいのです。

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