主日礼拝

福音の真理

「福音の真理」 伝道師 川嶋章弘

・ 旧約聖書:レビ書 第26章3-13節
・ 新約聖書:ガラテヤの信徒への手紙 第2章1-10節
・ 讃美歌:13、472、403

その後十四年たって
 パウロはガラテヤの信徒への手紙1・11節で、「兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません」と言っていました。また12節で「この福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされた」と言っています。つまりパウロがガラテヤ教会の人たちに告げ知らせた福音が「人によるものではない」とは、それが「キリストの啓示による」ということです。このことをガラテヤ教会の人たちに分かってもらうために、パウロは13節以下で、これまでの自分自身の歩みを述べているのです。13~17節では、かつて自分はユダヤ教徒として教会を迫害していたけれど復活されたキリストと出会い、神さまから召しを与えられ、「キリストの福音」を異邦人に告げ知らせる使徒とされた、と語られていました。そしてこの召命が与えられてから三年後に、パウロがエルサレムに上ったことが18~20節で語られています。それは、ケファ、つまりペトロと知り合いになるためでした。また、ほかの使徒には誰にも会わなかったけれど、主の兄弟ヤコブにだけは会ったとも語られています。ペトロと知り合いになることにせよ、主の兄弟ヤコブにだけ会ったことにせよ、これらのことはどちらかと言えばプライベートな側面の強い出来事であったと言えます。ペトロやヤコブを中心としたエルサレム教会を公式に訪れたのではなく、個人的にペトロのところに滞在し、またヤコブとも会ったことが伺われるからです。このエルサレム訪問を終えて、パウロはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。
 それから十四年後のことが本日の箇所で語られています。1節には「その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました」とあります。18節でパウロは復活のキリストと出会ってから三年後にエルサレムに上ったとありましたから、それから十四年後、つまり復活のキリストと出会ってから十七年後に、再びパウロはエルサレムに向かったのです。18~20節で語られていたパウロのエルサレム訪問がどちらかと言えばプライベートな性格が強かったのに対して、2章1~10節で語られている十四年後の訪問は、明らかに公の訪問でありました。そしてここで語られていることは、初代教会の歩みにおいて大きな出来事であり、しばしば「使徒会議」あるいは「エルサレム会議」と呼ばれます。この使徒会議についての報告が、本日の箇所だけでなく使徒言行録第15章1~29節にもあります。しかしガラテヤの信徒への手紙と使徒言行録では、重なり合うところもありますが、異なっているところも少なくありません。ですからここでは、使徒言行録の報告を参照しつつ本日の箇所でパウロが述べていることに目を向けていくことにします。

使徒会議の発端
 使徒会議が開かれる頃までに、キリスト教会には中心的な教会が二つありました。それがエルサレム教会とアンティオキア教会です。聖書の付録聖書地図8「パウロの宣教旅行2、3」にアンティオキアとエルサレムが載っていて、両教会の位置関係が分かります。パウロは1節で、どこからエルサレムへ向かったか述べていませんが、使徒言行録によればアンティオキアから向かったと考えられます。しかもただアンティオキアからエルサレムへ行ったというのではなく、パウロはバルナバと共にアンティオキア教会の代表者としてエルサレム教会の代表者と会議を行うためにエルサレムへ向かったのです。なぜ両教会の代表者が会議を行う必要があったのでしょうか。そのきっかけについては使徒言行録15・1、2節に記されています。それによれば、エルサレム教会からある人たちがアンティオキア教会にやって来て、異邦人でキリスト教信仰に入る者に割礼を施すことを要求したため、教会に混乱が生じ、この事態を収拾するために使徒会議が開かれることになったのです。本日の箇所の9節に「ヤコブとケファとヨハネ」とありますが、彼らを中心とするエルサレム教会の代表者とパウロとバルナバを中心とするアンティオキア教会の代表者による会議が行われました。さらにそこに、パウロが4節で「偽の兄弟たち」と呼んでいる人たちが介入してきたようです。この人たちとアンティオキア教会にやって来た人たちとが同一人物かどうかは分かりませんが、同じ考えを持っていたのは確かです。彼らはキリスト教信仰に入る異邦人は割礼を受けなければならないと考えていたのです。当時、彼らの考えは特殊というわけではありませんでした。エルサレム教会には割礼を受けていない異邦人の信徒はいなかったようです。しかしパウロを中心とするアンティオキア教会は、異邦人は異邦人のままで割礼を受けることなくキリスト教信仰に入ることができると考えていましたし、実際そのような異邦人キリスト者が生み出されていたのです。その内の一人が、パウロとバルナバがエルサレムに連れて行ったテトスです。彼はギリシア人、つまり異邦人であり割礼を受けていませんでした。パウロとバルナバは、割礼を受けていない異邦人キリスト者の証人として、テトスを連れて行ったのではないでしょうか。アンティオキア教会にとって、エルサレム教会からやって来た人たちの要求を飲むことは到底できませんでした。ですから、パウロとバルナバをエルサレム教会に派遣し、その指導者たちと話し合い、彼らの理解を得ようとしたのです。

啓示による
 このような経緯があって使徒会議は開かれることになったわけですが、アンティオキア教会における話し合いによって、パウロとバルナバのエルサレムへの派遣が決定されたことは間違いありません。テトスを連れて行くことも、その話し合いの中で決定されたことだと思われます。けれどもパウロは、2節で自分たちが「エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした」と言っています。人間の話し合いによって決まったことを、パウロは人間の決めたこととしてではなく、神の決定として、神が示してくださった御心として信じ受けとめていたのです。
 私たちも教会の営みにおいて様々なことを話し合い判断し決定しています。教会のあらゆる集会において、小さなことから大きなことまで人間の話し合いによる決定が繰り返されています。このような営みの中で、しばしば私たちは判断し決めることばかりに一生懸命になってしまいます。しかしどのような集会であれ、なにを決めるにしても、私たちがなによりも大切にしなくてはならないのは、神の御心が示されることを祈り求めることです。この祈りによって、私たちは人間の話し合いを経て決められたことに神の御心が示されている、と信じるのです。さらに教会の会議や集会でなにかを決めるときだけでなく、私たちの日々の歩みにおいても同じことが言えるでしょう。私たちは日々多くのことを選びながら歩んでいます。選んでいるという意識を持たないようなこともあれば、非常に悩んで決めるということもあるでしょう。今日の夕飯を決めるのに、あるいは明日着る服を選ぶのに、神の御心を求めて祈る、というのは行き過ぎかもしれません。しかし私たちの人生には、悩んで迷ってそれでも決めなくてはならないということが少なくないのです。そのとき私たちはなによりも神の御心が示されることを祈り求めるのです。私の友人がある奉仕を担ってほしいと頼まれことがありました。この友人は「一晩祈って考えさせてください」と答えたそうです。なにかを決めなくてはならないとき私たちが祈ることができるというのは大きな恵みです。たとえそのとき祈っても神の御心が分からないまま決めなくてはならなかったとしても、後から振り返ったとき、そこに御心が示されていたと気づかされることもあるのです。使徒会議を行うためにパウロは多くの労力を費やしたに違いありません。しかしそこにはいつも神の御心を求める祈りがあったのではないでしょうか。だからこそパウロは人間の話し合いについては一切語ることなく、「啓示によってエルサレムに上った」とだけ伝えているのです。

使徒会議の成果
 さて、2節後半から使徒会議がどのように進められたか、その経過について述べられていますが、まずこの会議の話し合いの結果、なにが決まったのかに目を向けたいと思います。このことは9節に次のようにまとめられています。「ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。」つまりエルサレム教会はユダヤ人への伝道を担い、アンティオキア教会は異邦人への伝道を担うことになったのです。「一致のしるしとして右手を差し出した」とありますが、「一致のしるし」は「交わりのしるし」とも訳せます。エルサレム教会とアンティオキア教会に「一致」と「交わり」が成立し、両教会が協力していくことが決まったのです。さらに10節に「ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしも心がけてきた点です」とあります。ここで言われている「貧しい人たち」とは、エルサレム教会のユダヤ人たちのことです。ですからこのことは、両教会の協力の一環として、異邦人教会がエルサレム教会へ献金することが決められたことを意味しているのです。この献金については、ほかのパウロの手紙でも語られていて、パウロがこの決定を忘れることなく心がけてきたことが分かります。
 このような決定が使徒会議でなされたわけですが、私たちにとってこの決定は歴史的に多少関心が持てるとしても、今の自分たちには大して関係がないように思えます。しかしこの会議は、初代の教会の歩みにおいて重大な意味を持っていただけでなく、私たちにとっても大きな意味を持っているのです。キリスト教はユダヤ教の中から生まれてきました。ユダヤ人の中でイエス・キリストを救い主と信じる群れが生まれていったのです。ところがアンティオキア教会を中心として、異邦人でイエス・キリストを救い主と信じる群れが起こされていったのです。それによって混乱が起こり使徒会議が開かれましたが、その決定によって、それまではユダヤ教の中にあったキリスト教が、その枠から抜け出して異邦人へと開かれたキリスト教として歩み出したのです。それはもちろんユダヤ人にはもう伝道しないということではありません。ユダヤ人と異邦人の両方に、つまり全世界の人々に伝道していく、ということです。この決定がなければ、キリスト教はユダヤ教の一派であり続けたかもしれません。この決定がなければ、世界の国々に福音が伝わることはなかっただろうし、私たちも福音を受け取ることはなかったでしょう。今、私たちは、国籍も性別も身分も関係なく主イエス・キリストを信じ救いに与ることができます。しかしそれは、最初から当たり前だったのではなく、異邦人へ伝道していくという大きな決定があったからです。私たちはこの決定の延長線上にいると言えます。ですからこの使徒会議の決定は、今私たちが礼拝していることと直接結びついているのです。

神が福音を委ね、また使徒とする
 このように私たちにとっても重要なこの使徒会議の決定は、単に人間の話し合いの結果ではありません。パウロは異邦人伝道を担当し、ペトロはユダヤ人伝道を担当するという役割分担を話し合って決めた、ということではないのです。使徒会議においては、神の働きにこそ目が向けられ、両教会がそれを確認し、そして先ほど述べたことを決めたのです。このことは7、8節から分かります。7節には「ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されている」とあります。「任されている」とは「委ねられている」ということです。そして「委ねて」いるのは神にほかなりません。神がペトロに割礼を受けた者への福音を委ね、同じ神がパウロに割礼を受けていない者への福音を委ねたのです。また8節には「割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけた」とあります。ここでも神がペトロをユダヤ人への使徒としてくださり、同じ神がパウロを異邦人への使徒としてくださったことが語られています。神がパウロとペトロに福音を委ね、またパウロとペトロを使徒としたのであり、このことを両教会が会議において確認したのです。「一致のしるし」として、あるいは「交わりのしるし」として彼らは握手をしましたが、この「一致」や「交わり」は人間の話し合いによって「一緒にやりましょう」とか「交わりを持ちましょう」ということになったのではありません。そうではなく「イエス・キリストを死者の中から復活させた父である神」が彼らに福音を委ね、彼らを使徒としてくださったことによって「一致」と「交わり」が与えられたのです。ですから使徒会議の決定によって異邦人への伝道の道が開かれたのは、人間の話し合いを通して神の御心が行われたからです。神の御心によって、神のご計画によって、福音はユダヤ人へ、異邦人へ、そして世界中の人々へ、私たちへと伝えられてきたのであり、そのためにパウロもペトロも用いられたのです。

無駄に走っているのでは
 さて、使徒会議の発端とその成果について見つめてきました。しかしここでもう一度思い起こさなければならないことがあります。それはこの使徒会議の報告が、ガラテヤ教会の人たちへの手紙に書かれてあるということです。パウロはこの手紙で単に使徒会議の報告をガラテヤ教会の人たちへ伝えようとしているのではありません。このことを通して彼らへ伝えたかったメッセージがあるのです。
 それが示されているのが2節後半です。2節後半に「わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました」とあります。彼が異邦人に宣べ伝えている福音とは「律法から自由な福音」です。もし異邦人キリスト教徒が割礼を受けることになれば、「割礼なしの福音」つまり「律法から自由な福音」を伝えたことが無駄になってしまうと考え、パウロはエルサレム教会にこの「律法から自由な福音」を伝えることを認めるよう求めたのです。その結果はすでに述べた通りですが、パウロは「律法から自由な福音」が本当の福音であるかどうか確信を持てなくて、エルサレム教会の意見を求めたのでもなければ、エルサレム教会に異邦人伝道の許可を求めたのでもありません。そうではなく神がパウロに「律法から自由な福音」を委ね、その福音を異邦人へ告げ知らせるために彼を使徒として立てたことを確認することを求めたのです。
 しかしこの手紙においてパウロは「自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないか」とガラテヤ教会の人たちに語っています。それは、パウロがかつてガラテヤの人たちに「律法から自由な福音」を伝え、それによって教会が生まれたのに、彼が去った後、彼らはこの福音から離れ律法の支配の下へ戻ろうとしていたからです。もし彼らがパウロが告げ知らせた福音から離れてしまうのであれば、パウロの働きは無駄になってしまいます。パウロはこの「走る」という言葉をほかの箇所でも使っています。フィリピの信徒への手紙2・16節では「こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう」と語っています。ここでもパウロが走ったことが語られていますが、テサロニケの信徒への手紙二3・1節には「主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように」とあり、直訳すれば「主の言葉が走り、あなたがたのところでも、またあがめられますように」となります。ここでパウロは「主の言葉」が走ると言っています。パウロが走るのは「主の言葉」が走るためなのです。あるいは「主の言葉」が先立って走るからパウロも走るのです。ガラテヤ教会に「主の言葉」が走るためにパウロは走りました。それが無駄になるかもしれないということは、パウロのしたことが骨折り損のくたびれ儲けになるということよりも、「主の言葉」が無駄になってしまうことです。パウロはガラテヤ教会の人たちがそういう状況に陥っていることを伝えたいのです。

キリスト・イエスに得ている自由
 4、5節に「潜り込んで来た偽の兄弟たち」のことが語られています。彼らは異邦人がキリスト教信仰に入るためには、つまり救われるためには、割礼を受けなくてはならない、と主張していました。彼らの主張は使徒会議で退けられました。ここでパウロが「潜り込んで来た偽の兄弟たち」と言ったのは、パウロが去った後やって来て「救われるためには割礼が必要だ」とガラテヤ教会の人たちを惑わした者たち、キリストの福音を覆そうとした者たちのことだということを、この手紙を読んだガラテヤ教会の人たちは気づいたに違いありません。この「偽の兄弟たち」は「わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来た」と言われています。この「わたしたち」はパウロとバルナバあるいはテトスだけでなく、この手紙を読んでいるガラテヤ教会の人たち、そして私たちをも含んでいるのです。「私たちがキリスト・イエスによって得ている自由」とは、洗礼によってキリスト・イエスに結ばれたことによって与えられている自由であり、キリストの十字架によって与えられた自由であり、なにより「律法と割礼」からの自由であり、「人間の行い」からの自由です。私たちの救いは、律法を守るからでも、割礼を受けるからでもなく、つまり「人間の行い」によるのではなく、ただ神の恵みによるのです。偽の兄弟たちも、ガラテヤにやって来た人たちも、キリストの十字架によって勝ち取られたこの自由を付けねらっていたのです。私たちもキリスト・イエスに結ばれて与えられている自由が絶えず付けねらわれていることに警戒しなければなりません。「行い」によって救われるという誘惑に私たちは絶えず付けねらわれているのです。キリストによって与えられた自由を無駄にしてはなりません。この自由を失うとき、私たちは「行い」の「奴隷にされる」のです。

福音の真理にとどまる
 5節に「福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした」とあります。パウロは、偽の兄弟たちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい奴隷にしようとしたとき、片ときも屈服して譲歩しなかったのです。それは「福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっている」ためです。ここでパウロは「あなたがた」と言っています。この「あなたがた」は、この手紙を読んでいるガラテヤ教会の人たちであり私たちにほかなりません。パウロが使徒会議に介入した偽の兄弟たちに一切妥協しなかったのは、「福音の真理」がガラテヤ教会の人たちのもとに、そして私たちのもとにいつもとどまっているためです。私たちもまた「救いには行いも必要」という誘惑に一切妥協してはならないのです。
 「福音の真理」にとどまるとは、キリスト・イエスに結ばれて与えられている「行い」からの自由に生きるということです。私たちの「行い」や「功績」や「成果」が救いの条件であれば、私たちはそれを満たすために果てしなく頑張らなくてはなりません。それによって私たちの心は疲弊し、希望を失い、不安にならざるをえません。不安に怯えて生きるところに自由はありません。たとえ外見的にはなににも縛られていないとしても、私たちの心が縛られているところに自由はないのです。けれども私たちが「福音の真理」にとどまるとき、私たちはキリスト・イエスに結ばれて与えられている自由に生きることができるのです。キリストが罪に打ち勝ち律法の支配を滅ぼし私たちを救ってくださったゆえに、本当の自由が私たちに与えられたのです。この自由は、私たちの心を縛り、不安や恐れを抱かせるあらゆることから私たちを解き放つのです。「福音の真理」にとどまるところに、私たちの本当の自由と幸いがあるのです。

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