2026年9月13日
説教題「衝突の先に」
箴言 第16章1~8節
使徒言行録 第15章36節~16章5節
第二回伝道旅行
使徒言行録15章を読み進めています。本日の箇所36節からは、いわゆるパウロの「第二回伝道旅行」について語られています。聖書の後ろに聖書地図がありますが、その11「パウロの第一次および第二次宣教旅行」を見ると、すでに見た「第一回伝道旅行」の行程が緑色の線で、そしてこれから見ていく「第二回伝道旅行」の行程が赤色の線で描かれています。ひと目見ただけで分かるのは、第二回伝道旅行が第一回伝道旅行より、はるかに大規模な伝道旅行であったことです。第一回伝道旅行は、小アジア(現在のトルコ)の東南部における伝道でした。しかし第二回伝道旅行は、小アジア全体、さらにはエーゲ海を越えて、マケドニア州やアカイア州といったギリシアにおける伝道となります。当時、アジアとヨーロッパの境目はエーゲ海でした。ですから第二回伝道旅行において、パウロたちがエーゲ海を越えて伝道したことは、キリストの福音が初めてアジアを越えてヨーロッパへ伝わったことにほかなりません。まさに歴史的な出来事がこの伝道旅行において実現したのです。
当初の目的
このように歴史的な出来事に至る第二回伝道旅行ですが、当初から、第一回伝道旅行よりはるかに大規模な伝道の計画が立てられていたわけではありませんでした。36節でパウロはバルナバにこのように言っています。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町にもう一度行って、きょうだいたちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか」。つまりパウロはバルナバに、第一回伝道旅行で福音を宣べ伝えたすべての町にもう一度行って、それぞれの町に誕生したばかりの教会を訪ね、そのメンバーがどのようにしているかを見て来よう、と提案したのです。第一回伝道旅行によって誕生した教会は、生まれたばかりの教会で、しかもいつ迫害を受けてもおかしくない厳しい状況の中にあったからです。このように当初、第二回伝道旅行の目的は、「伝道」というより「牧会」であったといえるかもしれません。まだ主イエスのことを知らない人たちに福音を届けることよりも、すでに福音を聞き、主イエスを信じ、キリスト者となった人たちを励まし、力づけることにあったのです。しかしそうであったにもかかわらず、最終的には、先ほどお話ししたように、この伝道旅行において、福音がエーゲ海を越えてヨーロッパへと伝わるという歴史的な出来事が実現することになります。パウロの思いや計画を越えて、聖霊なる神がこの伝道旅行を導き、アジアを越えてヨーロッパへと福音を届けるという驚くべきみ業を行ってくださるのです。私たちはこれから使徒言行録を読み進める中で、その驚くべきみ業を目の当たりにしていくのです。
パウロとバルナバの衝突
ところがこの第二回伝道旅行は、最初から順調とは程遠いものでした。第一回伝道旅行で共に伝道した、パウロとバルナバが衝突し、その結果、バルナバは第二回伝道旅行に行かないことになったのです。パウロが、バルナバに第二回伝道旅行の提案をしたとき、当然、パウロは、第一回と同様、第二回もバルナバと一緒に伝道旅行に行くことを考えていたはずです。それなのに何故、パウロとバルナバは衝突したのでしょうか。
衝突の理由
37、38節にこのようにあります。「バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。しかしパウロは、以前パンフィリア州で自分たちから離れ、一緒に宣教に行かなかったような者は、連れて行くべきではないと考えた」。つまりバルナバとパウロは、マルコと呼ばれるヨハネを伝道旅行に連れて行くかどうかで衝突したことになります。この辺りの事情については、13章4節以下に記されている第一回伝道旅行を振り返っておく必要があります。バルナバとパウロ(当時はサウロと呼ばれている)は、アンティオキア教会から遣わされて、まずキプロス島に向かいました。13章5節には、二人がヨハネを助手としていたと記されています。コロサイの信徒への手紙4章10節によれば、ヨハネはバルナバのいとこであり、バルナバはキプロス島の出身ですから、いとこのヨハネもキプロス島の出身であったのかもしれません。伝道する土地に詳しいヨハネを助手として連れて行ったというのはありそうなことです。ところがキプロス島から船出しパンフィリア州のペルゲに到着すると、「ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった」と13節に記されています。その理由は何も記されていません。自分の故郷のキプロス島での伝道には乗り気であったけれど、小アジアでの伝道には乗り気でなかったのかもしれません。本日の箇所の「パウロは、以前パンフィリア州で自分たちから離れ、一緒に宣教に行かなかったような者は、連れて行くべきではないと考えた」とは、このことを指しています。ただこの翻訳は、少々きつい翻訳に思えます。「ような者は」とか「行くべきではない」という表現は原文にはありません。原文を直訳すれば、「しかしパウロは、パンフィリア以降、彼らから離れて働きのために同行しなかった者、これを連れて行かないのがふさわしいと考えた」となります。翻訳ではパウロがかなり感情的になっているように読めますが、原文からはむしろ第一回伝道旅行の途中で離脱した者は、連れて行かないのがふさわしい、とパウロが冷静に判断しているように受けとめられます。この伝道旅行の当初の目的が、第一回伝道旅行によって誕生した教会の人たちを訪ねることであったことを考えれば、第一回伝道旅行の途中で離脱した者に任せるのは適切ではない、とパウロが考えたのも不思議ではありません。
それに対してバルナバは、ヨハネを連れて行きたいと思っていました。それは、ヨハネが自分のいとこだから、という理由よりも、バルナバの性格によるところが大きいと思います。使徒言行録4章36節で最初に登場したとき、使徒たちから呼ばれていた「バルナバ」というあだ名が、「慰めの子」という意味である、と記されていました。そのあだ名の通り、バルナバは人を慰め、対立している人たちを和解に導き、また人の悪いところに目を向けるのではなく、良いところ、言い換えるならば神の恵みに目を向ける人でした。ヨハネにとって、理由は何であれ、第一回伝道旅行の途中での離脱は一つの失敗、挫折であったに違いありません。バルナバは、そのヨハネにもう一度チャンスを与えたい、そして伝道者として成長してもらいたい、と考えたのではないでしょうか。「慰めの子」らしいバルナバの考えであったと言えます。
パウロとバルナバの考えのどちらかが正しいということではないでしょう。目的にふさわしい伝道者に任せるべきだという考えもあれば、若い伝道者にチャンスを与え成長させるべきだという考えもあります。どちらかが正しいということではない。しかし互いに譲ることができませんでした。それぞれに自分の信念があったからかもしれません。それで、29節にあるように、「激しく意見が衝突し、彼らはついに別行動をとる」ことになったのです。
別の理由?
しかしそれだけが理由ではなかった、というより、本当の理由は別にあったと考えられることもあります。パウロがバルナバと衝突したのは、ヨハネが原因ではなく、実はバルナバが原因であったと考えるのです。その根拠と考えられているのが、ガラテヤの信徒への手紙2章11節以下です。ここではケファ、つまりペトロがアンティオキア教会に来たときに、パウロがペトロに対して面と向かって非難したことが語られています。その理由は、それまでは異邦人と一緒に食事をしていたペトロが、ヤコブから遣わされた人たちが来ると、その人たちを恐れて、異邦人との食事から身を引いたからです。そして13節にこのようにあります。「そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました」。ペトロと同じようにバルナバも異邦人との食事から身を引いた、と言われています。パウロにとってこのことは単に異邦人と一緒に食事をするかどうかの問題にとどまらず、福音の真理に関わる問題でした。ですからこのアンティオキアにおける出来事が原因で、第二回伝道旅行に出発する際に、パウロはバルナバと衝突した、と考えられることがあるのです。
ルカが語っていること
そうなのかもしれません。しかし私自身は、前回も同じことを申しましたが、使徒言行録の著者ルカが語っていることに、またこれまで語ってきたことにこそ目を向けるべきだと思います。使徒言行録は、これまでもパウロとバルナバの関係を語ってきました。その関係は、第一回伝道旅行よりも以前に遡ります。もともとパウロは、キリスト教会を迫害していました。キリスト者を捕まえ、殺してしまおうとしていたのです。しかしダマスコへ向かう途上で復活のキリストに出会い、キリスト者となり、また伝道者として立てられました。9章26節以下では、そのパウロがエルサレムの教会を訪ね、弟子の仲間に入ろうとしたことが語られていました。しかし誰もパウロを信じられず、むしろ恐れました。当然です。ついこの前までキリスト教会を迫害していたのに、急に仲間に入れてほしいと言われても信じられるわけがありません。そのとき、途方に暮れていたパウロを引き受けたのが、ほかでもないバルナバでした。「よし、私があなたの面倒を見よう」と言ってくれたのです。バルナバは、パウロを使徒たちのところへ連れて行き、パウロの身に起こったことを彼らに丁寧に説明しました。このバルナバの仲立ちによって、パウロは使徒たちに受け入れられ、弟子の仲間として認められたのです。それだけではありません。アンティオキア教会が誕生すると、エルサレム教会からバルナバが派遣されました。バルナバは異邦人キリスト者を中心としたアンティオキア教会に、神の恵みを見て喜びました。彼自身そこに留まり、アンティオキア教会に仕えましたが、さらに彼は、パウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキア教会に連れて来たのです。バルナバはパウロの賜物をよく理解していました。そしてそのパウロの賜物が、異邦人キリスト者を中心としたアンティオキア教会でこそ存分に用いられると確信して、タルソスまで彼を捜しに行ったのです。そしてパウロは、バルナバと共にアンティオキア教会で大きな働きをなし、第一回伝道旅行にも共に派遣され、小アジアの南東部に幾つもの教会をたてたのです。このように使徒言行録は、パウロの今があるのは、バルナバのお陰であることを語っています。バルナバがいなかったら、今に至るこれまでのパウロの歩みはなかったと言っても、言い過ぎではありません。パウロにとって、バルナバは命の恩人であり、かけがえのない恩師であり、また同志であったのです。
人間関係の破れ
そのような関係にあったパウロとバルナバが、しかしヨハネを連れて行くかどうかで激しく衝突し、結局、二人は別行動をとることになります。この後、使徒言行録においてバルナバが登場することはありません。使徒言行録の著者ルカは、深い悲しみを持ってこのパウロとバルナバの衝突と別れを記したに違いありません。いえ、パウロの深い悲しみを思ってこのことを記したに違いないのです。互いに自分の信念を貫くためであったとしても、大切な人間関係が壊れたことは確かです。そこにはやはり、人間の弱さや欠けがあり、そして罪があります。使徒言行録は、このパウロとバルナバの衝突と別れに、人間の罪とそれによる悲しみに満ちた人間関係の破れを見つめているのです。結局、バルナバはマルコ(ヨハネ)を連れてキプロス島に船出し、パウロはシラスを選び、第二回伝道旅行に出発します。その出発は、パウロにとって、かけがえのない恩師であり、同志であったバルナバとの関係が壊れ、別れるしかなかった、という深い悲しみと失意の中での出発、深い後悔の中での出発であったのです。
人間の弱さと欠けと罪に溢れた歩み
本日は9月13日であり、私たちの教会の創立記念日です。午前の主日礼拝は創立152周年記念礼拝として守りました。1874年(明治7年)に創立した私たちの教会は、152年に亘って歩み続けてきました。その152年に亘る歩みには、確かに信仰の先達たちの大きな働きがありました。私たちはその働きと志を覚え、しっかり受け継いでいかなくてはなりません。しかし同時に、その152年に亘る歩みには、人間の弱さや欠けや罪が溢れていた、とも言わなければなりません。パウロとバルナバの衝突と同じようなことが、大なり小なり、私たちの教会の152年の歴史の中でも起こってきたのです。戦後、1951年には教会の分裂をも経験しています。そこまで大きなことでなくても、共に奉仕を担ってきたのに、何かの出来事をきっかけとして人間関係が壊れてしまう、そのようなことは、教会で繰り返し繰り返し起こっていることです。あの人に傷つけられた、この人に傷つけられた、と互いに傷つけ合い、交わりを壊してしまうことが起こっているのです。そのことを思うとき、私たちは他人事としてではなく、自分たちのこととして深い悲しみを覚えると共に、自分たちの弱さと欠け、罪を深く覚えないわけにはいきません。私たちは神のみ業に仕えるどころか、しばしば自分たちの罪によって神のみ業を妨げてしまう、どうしようもない罪人なのです。
テモテとの出会い
しかし神は、そのような人間の罪に妨げられても、なおそのみ業を前進させてくださいます。そのことが16章1節以下で語られています。深い失意と後悔の中で、第二回伝道旅行に出発したパウロは、第一回伝道旅行で訪れたデルベ、リストラを訪ねました。そしてリストラにおいて、パウロはテモテと出会います。1節に、「信者のユダヤ人女性の子で、ギリシア人を父親に持つテモテという弟子がいた」と言われています。「信者」というのはキリスト者ということです。テモテの母はユダヤ人でしたが、おそらく第一回伝道旅行でパウロとバルナバが宣べ伝えた福音を信じ、キリスト者となったユダヤ人キリスト者でした。そのときテモテ自身もキリスト者になったに違いありません。パウロはこのテモテを第二回伝道旅行に連れて行くことにします。そしてテモテは、その後、パウロが最も信頼する弟子となり、やがて最も大切な同労者となっていくのです。パウロは自らが記した手紙において、テモテのことを「私の愛する子」(コリントの信徒への手紙一4:17)と呼び、また「私の協力者テモテ」(ローマの信徒への手紙16:21)と呼んでいます。失意と後悔の中で出発したパウロは、しかしリストラにおいて、生涯に亘る弟子となり同労者となるテモテとの出会いを与えられました。バルナバとの衝突の先に、失意と後悔の中での出発の先に、神はパウロにテモテとの出会いを備えてくださったのです。
なぜ、テモテに割礼を施したのか
テモテとの出会いを語っているこの箇所には、少々不可解なことも語られています。3節でこのように言われています「パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を施した。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである」。つまりパウロは、テモテを第二回伝道旅行に連れて行くために、テモテに割礼を施したのです。少々不可解なこととは、このことです。もちろん割礼を施したのが救われるためではないのは、言うまでもありません。直前の15章のエルサレム使徒会議において、救われるためにはイエス・キリストを信じる信仰のみによるのであって、割礼は必要ない、と決定したのです。では、なぜテモテに割礼を施したのでしょうか。「その地方に住むユダヤ人の手前」と言われているので、その地方に住むユダヤ人の顔色を窺ったような印象を受けますが、そうではありません。原文を直訳すれば、「その地方に住むユダヤ人の故に」となります。パウロは、テモテの母がユダヤ人であり、ユダヤ人と異邦人の間に生まれた子どもはユダヤ人として扱い、ユダヤ人であれば割礼を受けたほうがよい、と考えたのではないでしょうか。パウロは救わるために割礼を受ける必要はないと主張しましたが、だからといって、ユダヤ人が割礼を受けることを軽んじていたわけではないのです。またパウロの伝道の戦略は、これまでも見てきたように、訪れた町々にあるユダヤ教の会堂から伝道を始める、というものでした。ユダヤ教の会堂に入り、ユダヤ人に伝道するためにも、テモテに割礼を受けさせた、という理由もあると思います。そのためにテモテに割礼を受けさせ、テモテがユダヤ人であることを、周囲のユダヤ人に認めさせたのです。「その地方に住むユダヤ人の故に」とは、このことを指しています。ここには、自身の手紙で、福音のために、「ユダヤ人には、ユダヤ人のようになりました」(コリントの信徒への手紙一9:20)と記したパウロの柔軟さが、福音を一人でも多くの人に届けるためのパウロの柔軟さが表れているのです。
衝突の先に
ともあれ、テモテとの出会いはパウロを大いに慰め、励ましたに違いありません。バルナバとの衝突と別れを経験し、深い失意と後悔の中で出発しましたが、その先で、神はパウロにテモテとの出会いを与えてくださいました。第一回伝道旅行において、リストラでの伝道はとりわけ困難を極めました。パウロが足の不自由な男を癒したのを見たリストラの人々は、バルナバを「ゼウス」と呼び、パウロを「ヘルメス」と呼んで崇め、いけにえを献げようとしたのです。何とかやめさせることができましたが、パウロは石を投げつけられ瀕死の重症すら負いました。伝道は失敗したかに思えました。そう思わずにはいられない状況でした。しかしなお神はそのような状況の中でもみ業を行い、パウロたちが語った福音を聞いて、イエス・キリストを信じる者たちを僅かであっても起こしてくださったのです。それがテモテの母であり、テモテです。そしてテモテは、2節にあるように「リストラとイコニオンのきょうだいの間で評判の良い人」として成長していました。困難を極めた状況の中でもキリスト者が起こされ、そのキリスト者が成長したことを目の当たりにして、パウロはどれほど慰められ、励まされたでしょうか。それは自分の努力や頑張りが報われたと思った、ということではありません。自分には失敗したようにしか思えない状況にあっても、なお神が伝道のみ業を進めてくださり、テモテというキリスト者が起こされたことに慰められ、励まされたのです。そうであるならば、バルナバとの衝突と別れが自分たちの弱さや欠け、罪によるものであったに違いないとしても、しかしなお神は、その衝突の先で、み業を行ってくださり、伝道を前進させてくださるに違いない、と信じることができたのです。深い失意と後悔が消えることはなかったとしても、テモテとの出会いを通して大きな慰めと励ましが与えられたのです。
153周年に向けて歩み出す
私たちの教会の歩みも、確かに人間の弱さと欠けと罪に溢れています。しかしそうであるにもかかわらず、本日の主日礼拝においても、三名の方が洗礼を受けられ、キリストによる救いにあずかり、この教会のメンバーとされました。それは、決して私たちの教会の手柄などではありません。それぞれに異なる歩みを経て、洗礼を受けられましたが、いずれの歩みも、神の驚くべきみ業と導きによるというほかありません。これまでの152年の私たちの教会の歩みには、パウロとバルナバの衝突と同じようなことが、大なり小なり起こってきたし、これからの歩みにおいても起こっていくに違いありません。その度に、私たちは深く傷つき、悲しみ、なによりも自分たちの罪深さに打ちのめされ、失意と後悔の中にうずくまり、立ち止まってしまうかもしれません。しかしそのような衝突の先で、そのような人間の罪によってもたらされる深い失意と後悔の先で、なお神はみ業を行ってくださり、伝道を進めてくださり、キリスト者を起こしていってくださるのです。私たちはたとえ衝突が起こるときも、深い失意と後悔に陥るときも、その先で神がみ業を行ってくださることに信頼して歩んでいきます。そのみ業を目の当たりにすることを通して、私たちが慰められ励まされることに信頼して歩んでいくのです。そのことにこそ信頼して私たちの教会は、153周年に向けて歩み出していくのです。