主日礼拝

主イエスは生きておられる

「主イエスは生きておられる」  牧師 藤掛順一

・ 旧約聖書; 詩編、第16編 1節-11節
・ 新約聖書; 使徒言行録 、第25章 13節-27節

 
廊下の名画

 使徒言行録の最後の方、22章から26章には、パウロが語ったいくつかの演説あるいはやりとりが記されています。パウロは、エルサレムの神殿で、ユダヤ人たちのリンチによって殺されそうになったのを、ローマの守備隊によって保護され、ローマ軍の囚人となりました。その経緯の中で、いろいろな場所で、いろいろな人々に対して、自分の信仰を語り、証しする機会を与えられたのです。最初は、神殿で捕えられ、連行されていく途中で、ユダヤ人の群衆たちに向かって、階段の上から語った演説です。それが22章1~21節にあります。次はエルサレムの最高法院におけるやりとりで、それは23章1~6節です。その次はローマ帝国ユダヤ総督の駐在地であるカイサリアに護送されてから、総督フェリクスの前での裁判の席での演説、これは24章10~21節です。またその後、フェリクスとその妻ドルシラの前でも信仰のことを語る機会があったことが24章24節以下に語られていました。そして次は二年経ってから、新しく総督として着任したフェストゥスの前で再開された裁判の席でのやりとりが25章6~11節にあります。このように、捕えられ、囚人となったパウロは、様々な場面で、いろいろな人々の前で、信仰の証しをする機会を得たのです。使徒言行録の著者は、これらのことによって、パウロの宣べ伝えていたイエス・キリストの福音を明らかにしようとしているのでしょう。そして、その一連のパウロの演説の最後のしめくくりとも言えるものが、26章にあります。それは、フェストゥスのもとを訪ねてきたアグリッパ王とベルニケの前での演説です。この26章の演説は、これまでパウロがあちこちで語ってきた演説、証しの言葉の集大成とも言えるものです。彼は22章に続いてここでも、自分がイエス・キリストと出会い、迫害する者から信仰者、そして伝道者へと変えられた、そのいきさつを語っています。本日ご一緒に読む25章13節以下には、この26章の演説、証しが語られるに至ったいきさつが書かれています。12節までのフェストゥスの前での裁判の場面から、26章の演説への橋渡しをしている箇所であると言えます。そういう意味では、本日の箇所は、言ってみれば部屋から部屋へ移動するための廊下のような所です。じっさいここには、パウロの言葉は一言もありません。登場人物は、総督フェストゥスとアグリッパ王とベルニケのみです。このような廊下のような箇所は、さっさと通り過ぎてしまえばよいのかもしれません。しかし、そこが聖書の聖書たる所以です。この廊下にも、私たちを立ち止まらせるものがあるのです。言ってみれば、廊下の壁にもすばらしい名画がかけられているのです。本日はその名画をご一緒に鑑賞したいと思います。

登場人物紹介

 この名画を観賞するために、先ず、ここに登場する人々のことを知っておきたいと思います。まずフェストゥスですが、これは、24章27節から登場している、最近着任したばかりの、ローマ帝国のユダヤ総督です。本日の所に初めて登場するのは、アグリッパ王とベルニケです。このアグリッパ王は、ヘロデ・アグリッパ2世と呼ばれる人で、父親はヘロデ・アグリッパ1世です。ヘロデ・アグリッパ1世は使徒言行録12章に出て来た「ヘロデ王」のことです。そこには、この人が十二使徒の一人ヤコブを剣で殺し、さらにペトロをも監禁したことが語られていました。この人の最後の様子も12章の終わりに語られています。彼のご機嫌を取りたい人々が、彼の演説を聞いて、「神の声だ。人間の声ではない」などと歯の浮くようなお世辞を言った時に、神に栄光を帰すことをしなかったために、天使に打たれて死んでしまったのです。このヘロデ・アグリッパ1世は、主イエスがお生まれになった時のあのヘロデ大王の孫です。ですから本日の所のアグリッパ2世はヘロデ大王のひ孫になります。彼は、父が死んだ時17歳でした。本来なら父の後を継いでユダヤの王となるところですが、当時のユダヤは実質的にはローマ帝国の支配下にありました。ローマ皇帝は、まだ17歳のアグリッパ2世に任すのは荷が重すぎると判断し、ユダヤを総督の統治下に置いたのです。つまりアグリッパ2世はローマ帝国によってユダヤを取り上げられてしまったのです。その後何年かして彼はようやくユダヤ王の位を認められ、本日の箇所においては王として登場しているわけですが、それは全てローマ帝国の許可によることです。実質的な支配権はローマ帝国の総督の方が握っているのです。本日の冒頭の13節で、彼が新総督フェストゥスに敬意を表するためにカイサリアに来た、と語られていることの背後には、このような事情があります。ユダヤの王でありながら、新しく着任したローマの総督に挨拶に行かなければならない、そういう立場にアグリッパ2世は置かれているのです。そしてこの後もアグリッパは、ローマ帝国に終始、尻尾を振り続けました。それによって彼は三十数年間王座に留まり、天寿を全うしました。彼の生涯は、ローマ帝国のご機嫌を取り続けることによって自分の地位を守る、という歩みだったのです。
 さて、このアグリッパ王と共に、ベルニケという女性が登場しています。この人はアグリッパ2世の妹です。ある人と結婚していたのですが、夫の死後兄と共に住んでいました。そして、ここでもそうであるようにいつも兄と行動を共にしていたのです。それでこの二人はいわゆる近親相姦の関係にあるのではないか、と噂されていました。彼女は後には、二代にわたるローマ皇帝の妾になっています。ちなみに、24章24節に出てきた、フェストゥスの前の総督フェリクスの妻ドルシラは、彼女の妹です。つまり、アグリッパ2世とベルニケとドルシラは、いずれもアグリッパ1世の子供であり、兄と二人の妹なのです。前に申しましたようにドルシラも、夫を捨ててフェリクスと結婚した人でした。彼らは皆、倫理的にかなり問題のある人々だったのです。 廊下の壁  さてこのアグリッパ王とベルニケが、フェストゥスを表敬訪問し、カイサリアに滞在している間に、フェストゥスはパウロのことを話しました。するとアグリッパ王は、「わたしも、その男の言うことを聞いてみたいと思います」と言いました。それでフェストゥスは翌日その場を設けます。フェストゥスとアグリッパ王とベルニケの前に、パウロは引き出されたのです。フェストゥスがこのような場を設けたのは、皇帝に上訴したパウロをローマに送るに際して、総督として報告書を書き送らなければなりませんが、彼は着任早々でユダヤ人の宗教問題にうといので、アグリッパ王に一緒に取り調べてもらって、何を書き送ったらよいかを決めよう、という意図であったことが26節以下に語られています。そういう事情で、パウロは、フェストゥスとアグリッパ王とベルニケの前で証しをすることになったのです。以上が本日の箇所に語られていることのまとめです。この中のどこにいったい名画などあるのか、と思われますが、今までのことはこの廊下のような箇所の、言わば壁に当たることです。この壁は決して美しい壁ではありません。むしろ汚い、醜悪な壁であると言わなければならないでしょう。この世の権力を握っている者たちが、自分の地位を守ろうとして、より強い者の顔色を伺う姿がここにあります。またそのような権力欲としばしば結びついている、性倫理の乱れもあります。そういう人間の罪、醜さがこの壁を覆っているのです。

名画

 しかし先ほど申しましたように、この壁には、すばらしい名画がかけられています。それは何でしょうか。この名画は、それをかけた人自身も全く意識していないものです。私たちも下手をすれば見過ごしにして通り過ぎてしまうかもしれません。その名画とは、総督フェストゥスが、パウロの問題について自分の判断、考えを述べている言葉の中にあります。フェストゥスは、ユダヤ人らが、パウロを死刑にすべきだと訴えてきたので取り調べたのです。しかし彼はパウロに、死刑に当たるような罪を認めることはできませんでした。そのことが18節までに語られています。そしてフェストゥスは、パウロの問題の核心を19節でこう言い表しているのです。「パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです」。フェストゥスにとってこれは、「これだけのことに過ぎない」ということであり、ローマ帝国の総督である自分が口を出すような問題ではない、ということです。しかしこれは私たちの信仰にとっては、まことに大事な、根本的な事柄です。フェストゥスはここで無意識の内に、パウロが宣べ伝えていた信仰の本質を言い当てているのです。ユダヤ人たちがパウロを訴えているのは、「死んでしまったイエスとかいう者のこと」についてです。そしてパウロは、「このイエスが生きていると主張している」のです。「死んでしまったイエスという者が生きていると主張している」つまり主イエスの十字架の死と復活です。ユダヤ人の宗教問題には全く知識も関心もない総督フェストゥスが、パウロの宣べ伝えている信仰の中心をこのようにはっきりと言い当てているのです。このフェストゥスの言葉こそ、廊下のような本日の箇所の、人間の罪や汚れに満ちた醜悪な壁にかけられているすばらしい名画なのです。

今生きている主イエス

 しかもこれが名画であるのは、「死んでしまったイエスとかいう者が復活した」と言われているのではなくて、「このイエスが生きていると、パウロは主張している」と言われている点です。パウロが主張していることは、正確に言えば、主イエスが復活した、ということではありません。「復活した」というなら、それは過去の出来事となります。今日の私たちから見れば、主イエスの復活はほぼ二千年も前の、大昔のことです。それは時が経つにつれてますます遠い過去の出来事となっていくのです。しかしパウロが語っているのは過去の出来事ではありません。主イエスは今生きておられる、とパウロは主張しているのです。復活したけれども今はどこにいるのか分からない、のではなくて、復活して、今、生きて私たちと共にいて下さる主イエスをパウロは証ししていたのです。パウロの信仰は、今、生きて共におられる主イエスとの交わりです。彼は、過ぎ去った過去の人である主イエスについての知識を得たのではなくて、今生きて自分に働きかけ、語りかけてこられる主イエスと出会ったのです。この、「主イエスは生きておられる」ということが、私たちの信仰の要であり中心です。そのことをはっきりと示しているがゆえに、この言葉はすばらしい名画であると言うことができるのです。

罪の赦しの恵み

 十字架につけられて殺され、そして復活した主イエスが、今、生きて私たちと出会い、共にいて下さる、このことのゆえに私たちは、主イエスが十字架の死によって私たちの全ての罪を贖い、赦しの恵みを与えて下さっていることを確信することができます。今主イエスが生きて共にいて下さるのでなければ、主イエスの十字架による罪の赦しの恵みは不確かです。主イエスが私たちの全ての罪を背負って十字架にかかって死んで下さったという話は、話だけならば、人間が勝手に考え出した、都合のよい理屈かもしれないのです。つまり主イエスの十字架による罪の赦しの恵みは、単なる知識として知らされただけなら何の力もないのです。復活して今も生きておられる主イエスが私たちに出会い、私があなたの全ての罪を背負って十字架にかかって死んだのだ、だからあなたの罪は既に赦されているのだ、と語りかけて下さることによってこそ、その主イエスとの交わりに生きることによってこそ、私たちはその恵みを本当に知り、その恵みによって生かされるのです。

復活の希望

 さらに、復活した主イエスが、今、生きて出会い、共にいて下さるがゆえにこそ私たちは、自分自身の復活をも信じ、待ち望むことができます。パウロは、一連の演説、証しの中で繰り返し、「自分は死者が復活するという望みを抱いているのだ」と語ってきました。死者が復活する。それは、私たちはいつかこの地上の生涯を終わり、肉体の死を迎えるけれども、その死が私たちの歩みの終わりなのではなくて、死を超えた彼方に、神様が新しい命と体を与えて下さる時が来る、ということです。そこに私たちの希望がある、とパウロは言っているのです。このこともまた、今生きて語りかけて下さる主イエスがおられなければ、単なる絵空事、荒唐無稽なおとぎ話でしかないでしょう。私たちは誰でも皆、必ず死ぬ時が来ます。その死をどう迎えるかが人生最大の問題です。この人生最大の問題に対処するために、私たちは、死んだらどうなるのか、という死後の世界のことを知りたいと願い、それをあれこれ思い描き、考えます。そして、天国、パラダイスに行けるのだとか、あるいは極楽浄土に往生するのだ、と考えるのです。けれども、私たちが思い描く死後の世界は、私たちが勝手に想像しているだけのことであって、本当のところは誰にも分かりません。私たちの思い描く死後の世界がリアルであればある程、それは人間が自分の願望によって造り出した絵空事だと言うべきなのではないでしょうか。つまり、死後の世界のことを知ることによって、死をどう迎えるかという人生最大の問題に対処することはできないのです。しかし、死んでしまったけれども復活し、生きておられる主イエス・キリストが今共にいて下さり、語りかけて下さるならば、そこには本当の希望があります。なぜなら、私たちのために十字架にかかって死んで下さり、そして私たちの先駆けとして復活して今生きておられる主イエスとの交わりの中で死を迎えることができからです。そこでは私たちは、主イエスを復活させた神様が、私たちをも復活させ、もはや死ぬことのない新しい命と新しい体を与えて下さるという希望を与えられるのです。いつか必ず死を迎える私たちを本当に支え、希望を与えるのは、死後の世界についての知識ではありません。死んでしまったけれども復活して今も生きておられる主イエス・キリストとの交わりこそが、生きている時も、死に臨んでも、私たちを本当に支え、生かし、希望を与えるのです。

私たちへの問い

 総督フェストゥスは、パウロが宣べ伝えている信仰の、即ち私たちが受け継いでいる福音の要、本質をこのようにはっきりと言い表したのです。それゆえに19節の言葉は、人間の罪に満ちた醜悪な廊下の壁にかけられた、すばらしい名画であると言うことができます。私たちはこの名画の前に足を止めて、これをしっかりと見つめたいのです。しかしこの名画は、その前にただ佇んで鑑賞しているだけでは済まされません。この名画は私たちに問いかけています。私たちの信仰もこのようになっているか、という問いです。信仰のことなど何も知らない、関心もない人が、私たちの話を聞いて、あるいは信仰の生活を見て、このフェストゥスと同じ思いを抱くだろうか。「この人は、死んでしまったイエスとかいう者のことを信じている。そして、このイエスが生きていると主張しているのだ」、私たちを見た人が、そのように思うような信仰の生活を私たちは送っているだろうか。それは言い換えれば、私たちの信仰が、十字架にかかって死に、復活して、今も生きておられる主イエス・キリストとの交わりとなっているだろうか、ということです。 礼拝において  主イエスは生きておられる。十字架の死から復活した方として今私たちと出会い、共にいて下さる。そのことを私たちは、この礼拝において体験します。礼拝において、今生きておられる主イエスの命に触れるのです。主イエスからの語りかけを受け、それに応えていく、その交わりに生きるのです。そのことが、日々の生活の様々な場面においても、そこで直面するいろいろな困難や苦しみ、悲しみにおいても、そして死に直面する時にも、私たちを支え、生かし、希望を与えるのです。それゆえに私たちは毎週の礼拝において、生きる支えを得ているだけでなく、自分の死への備えをしているのです。いつか必ず死を迎える私たちを、本当に支え、希望を与えるのは、死後の世界の知識ではなくて、生きておられる主イエス・キリストとの交わりだと申しました。この交わりに生きることこそが、死への備えなのです。本日は、共に読まれる旧約聖書の箇所として、詩編第16編を選びました。その8節に、「わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし、わたしは揺らぐことがありません」とあります。この「主」を、主イエス・キリストと読めば、それが、生きておられる主イエスとの交わりに生きる信仰の言葉となります。この8節は、昨年のクリスマスに洗礼を受け、今月の初めに天に召されたYさんが、病床において、死の迫り来る床において、繰り返し味わい、慰めを与えられていた箇所です。主イエスが自分の目の前にいて、見つめていて下さる、また右にいて、支えていて下さる、その交わりこそが死への備えであり、そこにこそ、「わたしは揺らぐことがない」という歩みが与えられるのです。そしてその主イエスとの交わりは、礼拝において主イエスの命に触れることによってこそ与えられるのです。

名画を描いたのは誰?

 もしも私たちが、生きておられる主イエスとの交わりなしに歩むならば、私たちは、自分の人生を支えるものを、拠り所を、自分で探し出すか、造り出さなければなりません。この世の様々な力関係の中でそれをしていこうとする時、私たちはこの世に飲み込まれるのです。本日の箇所のアグリッパ王の姿はその典型です。彼は、時の権力者におもねり、そのご機嫌をとりながら、自分の地位を守る、いわゆる世渡りに生きているのです。そしてそのように自分より強い者、権力ある者にへつらって生きる者は、逆に自分より下の者、弱い者に対しては尊大になり、威丈高になるのが常です。要するに、相手によって態度ががらりと変わってしまうのです。それはまことに醜い、また弱い人間の姿です。それに対して、パウロの姿、その歩み、生き方、言葉には、一貫性があります。基本的な軸がしっかりとしており、ぶれないのです。それは、パウロが、今も生きて共におられる主イエス・キリストを知っているからです。主イエスとの交わりが、彼の人生を支える拠り所となっているからです。このパウロの姿に触発されて、フェストゥスはあの19節の言葉を語りました。あのすばらしい名画を描いたのです。しかし実はこの名画は、フェストゥスが描いたのではありません。パウロが描いたのでもありません。生きてパウロと共におられ、彼を支え、導き、希望を与えておられる主イエス・キリストこそが、この名画の本当の作者です。その主イエスが、今、私たちとも共におられ、生きて語りかけ、働きかけておられます。礼拝において、主イエスの命に触れ、主イエスとの交わりに生きるならば、私たちも、私たちの人生も、主イエスが筆をとって描いて下さる絵のカンバスとなるのです。私たちは罪にまみれた、しみだらけのカンバスかもしれません。しかし生きておられる主イエスは、そのような私たちの人生に筆をふるって、すばらしい名画を描いて下さるのです。

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