主日礼拝

謙遜と大胆

「謙遜と大胆」 牧師 藤掛 順一

・ 旧約聖書; エレミヤ書、第1章 4節-10節
・ 新約聖書; 使徒言行録、第20章 13節-27節
・ 讃美歌21;7、355、536、聖歌隊 166-2

 
ミレトスへ

 礼拝において、使徒言行録を連続して読んで参りまして、第20章まで来ています。本日の箇所の前半、13節から16節には、パウロとその一行が、トロアスという町からミレトスという町へと船旅をした、その道すじが語られています。パウロらは今、いわゆる第三回伝道旅行の途上にあります。その旅も終わり近く、今彼らは16節にあるように、エルサレムへと向かっています。聖書の後ろの付録の地図の8「パウロの宣教旅行2、3」をいつも見ていただいていますが、12節までのところには、小アジア、今日のトルコの西北、エーゲ海に面する港町トロアスにおける出来事が語られていました。そのトロアスから船出し、小アジアの岸づたいに南下して、ミレトスまで来たのです。使徒言行録のこのあたりの記述は、「わたしたちは」という言い方になっています。使徒言行録を書いたのはルカによる福音書を書いたのと同じルカという人だと言われていますが、彼はパウロの伝道旅行に一時期同行していたらしいのです。実際ここに語られている船旅の行程はかなり細かい記述になっています。 パウロが船に乗り込んだのはアソスからだったとか、どことどこに寄港し、どの島の沖を通ったなどということは、同行した人でなければ書けないことだと言えるでしょう。16節にある、パウロが、五旬祭、即ちペンテコステまでにはエルサレムに着いていたいと思っていたので、旅を急いでいたということもその一つです。

パウロの遺言

 このように先を急いでいたので、エフェソには寄らないで旅を続けることにしていた、ということが16節の前半に語られています。このことが、17節以下の話の前提となっているわけです。ミレトスは、地図で見ていただけばわかるように、エフェソの近くです。エフェソの最寄の港がミレトスだったのでしょう。先を急ぐパウロは、ミレトスに着くと、エフェソに使いをやって、その町の教会の長老たちを呼び寄せたのです。そしてその長老たちに対して語った長い説教が18節以下に語られています。パウロは第三回伝道旅行の前半において、このエフェソで約3年間伝道しました。そのことが31節に語られています。3年というのは、パウロが一つの町に滞在して伝道した、最も長い記録です。パウロとエフェソの教会との間には深い結びつきがあったことが想像されます。パウロは、エルサレムへと向かう旅の途中、エフェソに最も近いミレトスに着いた時に、エフェソの教会の長老たちに、遺言をしたいと思ったのです。遺言というのは決して大げさな言い方ではありません。22 、23節にはこう語られています。「そして今、わたしは、”霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」。また25節にも「そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています」とあります。もう二度とエフェソの人々に会うことはない、とパウロは覚悟しているのです。今生の別れです。その別れに際して、ぜひともこれだけは伝えておきたい、ということが18節以下の説教に語られています。そういう意味でこの説教は、まことに鬼気迫るものがあります。私たちの信仰にとって、また教会にとって、とても大切なことがここに語られているのです。パウロの告別説教とも呼ばれるこの説教を、3回に分けて読んでいきたいと思います。

長老たち

 まず最初に、この説教が語られた相手のことを考えておきたいと思います。この説教を聞いたのは、エフェソの教会の長老たちです。長老という言葉は、原語では「プレスビュテロス」です。この言葉は私たちが受け継いでいる教会の制度である「長老制度」を表す「プレスビテリアニズム」の元となった言葉ですので、私たちの教会に立てられている長老と同じ長老がエフェソの教会にもいた、と考えがちかもしれません。けれども、この長老たちを今の私たちの教会の長老と重ね合わせてしまうことには無理があります。そもそもこの当時はまだ、教会における指導者の体制が確立していませんでした。「牧師、長老、執事」という職務の区別などまだなかったのです。28節では、この長老たちに対してパウロが、聖霊はあなたがたを教会の監督者に任命なさったと語っています。この「監督者」は原語では「エピスコポス」です。この言葉から、もう一つの教会制度である監督制度を表す「エピスコパリアニズム」が生まれたのです。監督制度というのは、監督(エピスコポス)が教会の指 導の責任者となる制度です。つまりここには、後の教会制度においては全く違うものを意味することになった「プレスビュテロス」と「エピスコポス」という言葉が、同じ人々を指す言葉として用いられているのです。ですからここに出てくる長老たちは、まだ牧師、長老、執事、あるいは監督という職務が生まれる以前の、教会の指導者たちです。この人々が負っていた働きが次第に枝分かれしていって、牧師、長老、執事という職務が生まれたのです。また、その牧師たちの中に特に「監督」と呼ばれる者が生まれていったのです。ですからこの「長老たち」を私たちは、今日の長老よりもずっと広い意味で、およそ教会の指導者全てを含むものとして見つめなければなりません。要するにこの説教は、教会の指導者は教会をどのように指導すべきなのかを語っているのです。それは、教会とはどのような群れなのか、ということでもあります。ですからこの説教は、長老さんたちだけでなく、私たちの誰にとっても大切なことを語っているのです。

主に仕える

 さて本日はこの説教の27節までを読むのですが、そこまでのところは大きく二つに分けることができます。前半は21節までです。ここは、パウロが、エフェソにおいて自分がどのように教会を指導してきたかを語っているところです。後半の22?27節には、パウロが現在置かれている状況と、これからの見通し、そこにおける決意が語られています。先ず前半から見ていきたいと思います。18?21節をもう一度読んでみます。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです」。ここに語られている、パウロがエフェソでしてきた働きは、 19節の終わりにある「主にお仕えしてきました」という一言に集約することができます。「主に仕える」、これが伝道者の働きの中心であり、同時に教会の、教会に連なる信仰者たちの歩みの根本です。礼拝も、主に仕えることです。礼拝のことを英語でサービスと言います。それは「奉仕」という意味です。神様に奉仕する、それが礼拝です。信仰者とは、礼拝において神様に奉仕し、主に仕える者なのです。また教会が世の人々にイエス・キリストの福音を宣べ伝えていくのも、主に仕えることです。またこの社会において、弱い者、貧しい者を支え、助ける奉仕をしていくのも、主に仕えることです。教会はこの「主に仕える」ということをいつもその活動の中心にしっかりと据えて歩まなければならないのです。

 しかし、何をすれば主に仕えることになるのでしょうか。私たちそれぞれが、「これが主に仕えることだ」と思うことをやっていけばよいのでしょうか。しかしその場合私たちは、「主に仕える」と言いながら、実際は自分のよいと思うこと、自分の確信や信念に従って行動しているのであって、それは実は主ではなくて自分の思いに仕えているだけ、ということにもなります。何をすることが主に仕えることなのか、はそんなに簡単な、自明なことではありません。パウロはそのことを意識しているがゆえに、自分がどのようにして主に仕えてきたかを語り、その私に倣って主に仕えるようにと教えているのです。私たちに求められているのは、「主に仕える」という漠然とした思いを抱きつつ、実際は自分のよいと思うことをしていくことではなくて、パウロが示した模範に従って主に仕えることです。主に仕えることにおいても、私たちは、まず自分の思いを打ち砕かれなければならないのです。

本当の謙遜

 パウロはどのような模範を示しているのでしょうか。第一には、19節の初めにある「自分を全く取るに足りない者と思い」ということです。ここは前の口語訳聖書では「謙遜の限りをつくし」となっていました。謙遜の限りをつくす、徹底的に謙遜であることが、パウロの示した模範です。徹底的に謙遜でなければ、主に仕えることはできないのです。そして謙遜であるとは、「自分を全く取るに足りない者と思う」ということです。私たち日本人は、古来、謙遜を美徳として受け継いできました。自分を表に出さず、奥床しくあることをよしとする思いが私たちにはあります。しかしそのような謙遜は、パウロがここで模範として示している謙遜とは違うものだと言わなければならないでしょう。日本人の「謙譲の美徳」における謙遜は、力のある者が、その力をひけらかすのでなく隠しておく、ということです。自分の能力をストレートに出さずに秘めておくところに美しさを感じるのが日本的感性です。それはそれで大事にしていきたいと思いますが、しかしそのような謙遜と、パウロがここで言っている「 自分を全く取るに足りない者と思う」こととは全く違うということをわきまえなければなりません。自分を表に出さず奥床しくしていよう、という思いは、裏を返せば、出しゃばって恥をかきたくない、ということであり、それは自分をより美しく、見栄えのよい者にしておきたいという自負や誇りの現れです。「謙譲の美徳」という言葉がそれをよく表しています。これは「美徳」なのです。謙遜という「美徳」を身につけて自分を誇ろうとしているのです。ですから、謙遜な者が、謙遜でない者のことを心の中で蔑み、馬鹿にする、という屈折したことが起ります。しかしパウロがここで示している謙遜は、「自分を全く取るに足りない者と思う」ことです。それは、自分の思いが、自分が「これがよい」と思うこと、自分が「これこそ主に仕えることだ」と思うこと、それらの自分の思いの全てが、取るに足りない無価値なものだと知ることです。そのことを知ることによって私たちは、主なる神様のみ言葉にしっかりと聞き、それに従っていくことができるようになります。そのようにして、 自分の思いにではなく、主に仕えることができるようになるのです。「主に仕える」と言いながら、結局は自分の思いに仕えてしまうことが起こるのは、本当の意味での謙遜を知らないからです。自分が取るに足りない無価値な者であることを、口ではそう言いながら、本当はそう思っていないからです。その証拠に、「私のような者はとても駄目です。何も出来ない者です」と謙遜なことを言っている人に、「本当にそうですね。あなたは駄目な人で、何もできませんね」などと同意したらどうなるでしょう。二度と口をきいてもらえなくなります。あるいは逆に自分が謙遜してそういうことを言っている時にそんなふうに人に言われたらどうですか。「あいつは私を馬鹿にしている。二度と口をきくもんか」と思うのです。謙遜にまで現れる人間の誇りはすさまじいものです。そのような誇りを打ち砕かれて、自分がよいと思ったこと、自分の考えなど取るに足りない無価値なものだ、だからまず神様のみ言葉を聞いて、神様が示して下さることに聞き従おう、という本当の謙遜に生きることによってこそ、 私たちは主に仕える者となることができるのです。

涙を流しながら

 このような真実の謙遜は、19節の続きにある「涙を流しながら」ということとつながります。パウロは真実な謙遜によって主に仕えてきました。その歩みは涙を流しながらの歩みなのです。それは具体的には、その後に語られている、「ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも」という、妨害、迫害の苦しみによる涙です。そのような苦しみを甘んじて受け、涙を流しつつそれに耐えることこそ、主に仕える者の姿です。主に仕えることの中で私たちが流す涙にはいろいろなものがあるでしょう。パウロが受けたような直接の迫害による涙ばかりではありません。自分の信仰を周囲の人々に理解してもらえない悲しみの涙もあれば、自分がいっしょうけんめいにしたことが誤解され、曲解され、真意を受けとめてもらえないくやし涙、自分の奉仕が正当に評価されない悲しみの涙、いわれのない中傷や無責任なうわさ話によって心を傷つけられる涙もあります。そして大事なことは、パウロが、涙を流しつつ、それを耐え忍んできたということです。怒りを爆発させて相手と事を構 えようとはしなかったのです。「自分を全く取るに足りない者と思う」という本当の謙遜は、怒りを抑え、涙を流しつつ耐える姿にこそ現れます。怒りは、たとえどんなに正当な理由があったとしても、「謙遜」とは対立するものです。ヤコブの手紙の第1章20節に「人の怒りは神の義を実現しないからです」とあります。怒りに任せてしたことは決してよい結果を生まないのです。それは、怒りによる行動は結局自分の思いに仕えることになるからです。涙を流しつつ耐える謙遜によってこそ、私たちは主に仕えることができるのです。

大胆に語る

 このように謙遜の限りをつくして主に仕えてきたパウロは、エフェソの教会において、人の言いなりになって我慢をしていたのではありません。主に仕える彼の姿のもう一つの側面が、20、21節に示されています。それは、役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、伝え、教えてきた、という姿です。ここには、大胆に語るパウロの姿が示されています。主に仕えることは、このように、語るべきことを大胆に語る、ということでもあるのです。そうでなければ指導者として立つことはできません。本日共に読まれた旧約聖書の箇所、エレミヤ書第1章4節以下は、主なる神様によってエレミヤが預言者として立てられた場面ですが、神様は若者であるエレミヤに、人々を恐れることなく、私が命じることをすべて語れと言っておられます。神様によって立てられた指導者は、語るべきことを大胆に語らなければならないのです。パウロは大胆に何を語ったのでしょうか。それは、教会の人々の「役に立つこと」です。口語訳聖書では「益になること」となっていました。教会の人 々の益になる、つまり彼らの信仰が成長し、心から主に仕える者となっていくために役に立つ言葉を、パウロは大胆に語ったのです。そのような言葉は、本当に主に仕えている人にしか語ることはできません。自分の思いに仕えている者、自分の感情、怒りに身を任せてしまう人には、人の役に立つ、信仰の益になる言葉は語れないのです。自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、苦しみや試練を忍耐していくことができる人、つまり本当の謙遜に生きている人こそ、人を生かし、成長させる言葉を大胆に語ることができるのです。

悔い改めと信仰

 パウロが語った「役に立つこと」、それは21節にあるように、「神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰」です。パウロは、神に対する悔い改めを語りました。あなたがたは神様に対して罪を犯している、神様に背いている、だから神様のもとに立ち帰り、赦しを求めなければならない、と悔い改めを求めたのです。それは人々にとって、決して耳に心地よい話ではありません。みんなが喜んで聞いてくれるような話ではありません。むしろ触れてほしくない、痛い所を突かれる話です。パウロはそのように、人々にとって耳の痛いことをも大胆に語ったのです。しかしそれだけではありません。同時に彼は、主イエスに対する信仰を語りました。神様の独り子イエス・キリストが、私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さった、それによって私たちの罪はもはや赦されている、その主イエスが復活して下さったことによって、神様の恵みを受けて生きる新しい命が私たちに差し出されている、主イエスを信じる者は誰でも、この命にあずかることができる。それが「 わたしたちの主イエスに対する信仰」です。パウロはこの福音を、喜ばしい知らせを語ったのです。パウロは、自分の思いや確信によってではなく、この主イエスに対する信仰によって生きているのです。この主イエスに対する信仰のゆえに、彼は「自分を全く取るに足りない者と思う」ことができるようになったのです。怒りに身を任せるのではなく、涙を流しながら苦しみを忍耐することができるようになったのです。つまり、本当の謙遜に生きることができるようになったのです。本当の謙遜は、生まれつきの性格として備わっているものではありません。パウロも、主イエスと出会う前は、謙遜とはほど遠い人でした。自分が正しいと思うことこそ神様に仕えることだと確信して、キリスト信者を迫害していたのです。自分は神様に仕えている立派な者だという誇りと自負に生きていたのです。涙を流しながら忍耐に生きるよりも、自分の力で事をなそうとし、敵対する者への怒りを爆発させて生きていたのです。しかし彼は、主イエス・キリストと出会ったことによって変えられました。このように傲慢な思 いで生きており、神様に仕える人々を迫害していた自分のために、主イエス・キリストが十字架にかかって、その苦しみと死とによって自分の罪を赦して下さった、その恵みに触れた時に、彼は、自分が全く取るに足りない無価値な者であることを素直に認めることができたのです。そして、自分の思いや考えに固執するのではなく、主なる神様から示されるみ言葉にしっかりと聞き、それに従っていこうという思いを持つことができたのです。つまり、本当に謙遜な者になることができたのです。そしてそのことによって、人々に悔い改めを求めていくこともできるようになったのです。信仰の役に立つ本当に必要なことは、言いにくいことでも大胆に語ることができるようになったのです。

自分へのこだわりと聖霊へのこだわり

 さて22節以下には、パウロの、これから先のことへの思いが語られています。今彼はエルサレムへと向かおうとしています。そこでどんなことがこの身に起るか分からない、投獄と苦難とが待ち受けていることだけは確かだ、しかしそれでもよい、と彼は言っています。24節です。「しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」。「この命すら決して惜しいとは思わない」、これは、「自分の思いに仕える」ことから完全に解放されている者の言葉です。「自分へのこだわり」から解放されていると言ってもよいでしょう。主イエスによる神様の恵みの前で本当に謙遜になる時、私たちはこのように、自分へのこだわりから解放されるのです。それに対して、私たちがもともと持っている謙遜は、いかに自分へのこだわりに満ちていることでしょうか。

 パウロがこのように、自分へのこだわりから解放されているのは、自分へのこだわりを捨てようと決意したからではなくて、別のものに捕えられたからです。22節に、「そして今、わたしは霊に促されてエルサレムに行きます」とあります。この「促されて」は、直訳すれば、「縛られて」という言葉です。パウロは、聖霊によって縛られ、捕えられてエルサレムへと向かおうとしているのです。それは言い換えれば、「聖霊へのこだわり」を持って生きているということです。聖霊によって、神様が自分をどのように導き、何をさせようとしておられるのか、そのことにこだわっていく時に、自分へのこだわりから解放されるのです。そこに、本当の謙遜があります。謙遜とは、自分はダメだと思うことです。自分はダメだと思うなら、そのダメな自分の思いにこだわることをやめて、神様の、聖霊のお働きにこだわり、それに身を委ねて生きるのです。そこに、本当に大胆な歩みが与えられます。パウロの大胆さが最も現れているのは26、27節です。「だから、特に今日はっきり言います。 だれの血についても、わたしには責任がありません。わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです」。私はもう神様から示された語るべきことを全て語ったのだから、後はあなたがた自身の問題だ、というのです。まことに自信に満ちた言葉です。しかしこれは自信ではありません。むしろ、自分の働きやその結果にこだわる思いを捨てて、ひたすら神様の、聖霊のお働きに身を委ねる本当の謙遜から、このような大胆な言葉が出てくるのです。これが、パウロが私たちに模範として示している、主に仕える生活です。私たちは、このような謙遜と、そこから生まれる本当の大胆によって主に仕える歩みへと招かれているのです。

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