主日礼拝

主の日の礼拝の恵み

「主の日の礼拝の恵み」 牧師 藤掛 順一

・ 旧約聖書; 詩編、第30編 1節-13節
・ 新約聖書; 使徒言行録、第20章 7節-12節
・ 讃美歌 ; 1、149、481 聖餐式 78
・ 聖歌隊 ; 163-10

 
トロアスで

 使徒言行録第20章7節以下には、パウロが、三階の窓から転落して死んでしまった一人の青年を生き返らせた、という奇跡が語られています。その奇跡が行われたのは、トロアスという町です。その場所は聖書の後ろの付録の地図の8「パウロの宣教旅行2、3」で見ていただきたいのですが、小アジア、今日のトルコの北西、エーゲ海に面した港町です。この町は、パウロの伝道旅行において大変大事な意味を持っています。第二回伝道旅行でパウロは自分の願いや計画に反してこの町へと導かれ、そしてそこで、一人のマケドニア人、つまりギリシャの人が助けを求めている夢を見たのです。そこに神様の導き、ご命令があることを確信した彼は、エーゲ海を渡ってギリシャで伝道しました。主イエス・キリストの福音がヨーロッパに伝えられていく一つの道がそこに開かれたのです。トロアスは、パウロがヨーロッパへと伝道の足を伸ばす、その出発点となったのです。本日の箇所に語られているのは、パウロの第三回伝道旅行におけることです。この伝道旅行で彼は、エフェソで三年間伝道し、その後再びギリシャを訪れ、特にコリントに三か月滞在した後、エルサレムへと向かおうとしています。最初は船で直行しようとしたのですが、ユダヤ人たちの間に彼を暗殺しようとする陰謀があることが分かったので、予定を変更し、陸路ギリシャを北上してフィリピから船でトロアスに着いたのです。そこまでのことが20章6節までに語られていました。その6節には、パウロらはそこに七日間滞在したとあります。その滞在の最後の日、いよいよ明日はトロアスを出発しようとしている日にこの出来後は起こりました。

死者の復活の奇跡

 この日、トロアスに住むキリスト信者たちが、パウロの話を聞くために集まっていました。翌日にはここを去るということもあって、彼の話は夜中まで続いたのです。この集会が行われていたのは、「階上の部屋」だったと8節にあり、そこは「三階」だったことが9節から分かります。このあたりの家は皆平屋根で、その二階の屋上に作られた屋上の間、つまり三階の部屋で集会が行われていたようです。その窓のところに腰掛けてパウロの話を聞いていた青年が、パウロの話が長々と続いたので、つい眠り込んでしまい、三階の窓から下に転落してしまったのです。人々が慌てて降りていって抱き起こしてみると、既に死んでいました。しかしパウロは彼の上にかがみ込み、抱きかかえて「騒ぐな。まだ生きている」と言ったのです。この言葉を読むと、人々は死んでしまったと思ったけれども、実は気を失っていただけで、パウロはそれを冷静に見極めたのだ、というふうにも感じられます。然しここに語られているのはそういうことではありません。この青年は本当に死んでしまったのです。三階から落ちて即死だったのです。パウロが「まだ生きている」と言った、その言葉は直訳すれば「彼の魂は彼の内にある」です。彼は、死んでしまった青年を抱き上げて、そのように宣言したのです。その宣言によって、この青年は生き返ったのです。死者の復活という奇跡が、パウロによって行われたのです。  同じようなことがペトロによっても行われたことが、使徒言行録の9章36節以下に語られていました。ヤッファという町で、タビタという女性の弟子をペトロが生き返らせたのです。本日の話はこの話と対になっていると言うことができます。使徒言行録はおおむね、前半はペトロの伝道活動、後半はパウロの伝道活動を語っています。その後半の主人公であり、もともとは教会を迫害していた者が180度転向して伝道者となったパウロによっても、ペトロと同じように、死者を復活させるすばらしい奇跡が行われたのだ、ということをこの話は語っていると言えるでしょう。また旧約聖書にまでさかのぼれば、死者を復活させる奇跡は偉大な預言者エリヤやエリシャによってなされています。従ってこの話は、パウロを、ペトロとのみでなく、エリヤやエリシャとも並び立つ者として位置づけようとしている、とも言えるでしょう。けれども私たちがここで見つめるべき一番大事なことは、この話が、マルコによる福音書第5章35節以下の、主イエスが一人の少女を生き返らせた奇跡の話とよく似ているということです。先週木曜日に行われた「週日聖餐礼拝」においてちょうどその箇所を読んだのですが、会堂長ヤイロの娘が病気で死んでしまった、そこへ到着した主イエスは、泣いている人々に、「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ」と言われたのです。この主イエスのお言葉は、パウロの「騒ぐな。まだ生きている」と重なり合います。そして主イエスは少女の手を取り、生き返らせたのです。これも、死んだように見えたけれども実はまだ息があった、という話ではありません。少女は本当に死んでしまったのです。しかし主イエスは「子供は死んだのではない。眠っているのだ」と宣言なさり、その宣言の通りにその子を生き返らせたのです。この主イエスによる奇跡と同じことが今、パウロによってなされた、ということをこの話は語っています。それは、パウロを主イエスと並ぶ者とするためではありません。パウロは、主イエス・キリストの僕として、主イエスによる救いの知らせ、福音を宣べ伝えています。主イエスの使者として立てられ、遣わされて伝道をしているのです。そのパウロを通して、主イエス・キリストご自身の、死んだ者をも生き返らせる恵みのみ業が繰り返されているのです。死にも勝利する主イエスのみ業が、人々の間で再び現実となっているのです。そういう意味で、この青年の復活の奇跡は、パウロの行なった奇跡というよりも、ヤイロの娘を復活させて下さった主イエスが、パウロを通してここでも働いて下さった、ということなのです。

主の日の礼拝において

 そして本日の箇所を読む上で見過ごしてはならない大事なことは、この出来事がいつ、どのような場において起ったのか、ということです。そのことが7節の始めに語られています。それは「週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると」というところです。週の初めの日、それは日曜日です。日曜日に、人々はパウロのもとに集まったのです。それは「パンを裂くため」でした。「パンを裂く」という言い方は、最初の教会の集会の様子を語る言葉として第2章42節にも出てきました。そこには「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」とあります。パンを裂いて共に食べることは、教会の集まりの一つの中心をなしていたのです。そのことは、パウロが書いたコリントの信徒への手紙一の第11章からも分かります。パウロはそこで、教会の人々が集まって共に食事をすることについての教えを語っています。その教えの中に、私たちが礼拝において聖餐にあずかる時にいつも読まれる言葉が出てくるのです。主イエスが最後の晩餐において弟子たちにパンと杯を分け与え、「私の記念としてこのように行いなさい」と言われたことを告げる言葉です。この後の聖餐においてもそこが、「聖餐制定のみ言葉」として読まれます。つまり最初の教会の人々が、パンを裂くために集まったことには、今日の私たちの礼拝における聖餐の持つ意味が含まれていたのです。「パンを裂くために集まった」とは、聖餐にあずかるために集まったということだと理解してよいのです。

説教と聖餐

 しかしこの集会の様子を読んでいると、実際にパンを裂いて食べたのは11節になってからです。それまでは何がなされていたかというと、パウロの話が夜中まで続いていたのです。また11節を読むと、パンを裂いて食べた後もパウロは、夜明けまで長い間話し続けたのです。夜が明ければいよいよトロアスを立って遠くエルサレムへと出発する、もう二度とこの町の人々に会うことはないだろう、という思いの中でパウロは、主イエス・キリストの福音について、あのこともこのこともと、沢山のことを語ったのでしょう。つまり、この集会において最も多くの時間を費してなされているのは、パウロの話です。それは人々との話し合い、相談などではなくて、9節に「パウロの話が長々と続いた」とあるように、語ったのはもっぱらパウロです。つまり、パウロが説教を語ったのです。この集会は、パウロの説教と、パンを裂いて共に食べることから成っているのです。その食事は聖餐の意味をも持っているわけですから、説教と聖餐がこの集会の中心だったと言ってよいでしょう。それは今日私たちが守っている礼拝と根本的には同じです。教会のごく初期から、このように、週の初めの日である日曜日に、説教と聖餐を中心とする礼拝が行われていたのです。週の初めの日とは、主イエス・キリストの復活の日です。それゆえにこの日は「主の日」と呼ばれるようになりました。主イエスを信じる人々は、主の日に共に集まり、説教によってみ言葉を聞き、パンを裂いて共に食べる、そういう礼拝を行なっていたのです。本日の箇所に語られている死者の復活の奇跡は、この主の日の礼拝の中で起ったのです。

命がけで礼拝を守る

 ところで、その奇跡のことを見つめる前に、このような転落事故が何故起ったのか、ということを考えてみたいと思います。転落したのはエウティコという青年ですが、彼は、三階の部屋の窓に腰掛けてパウロの説教を聞いていて、居眠りをして転落したのです。私たちはこのことを、「説教中に居眠りすることはこの時代からあったのだ」と読んで自分を慰めていてはなりません。これはそんな呑気な話ではないのです。先ほど申しましたように、この集会は主の日、日曜日の教会の集会、礼拝です。しかしこの礼拝は、夜行われています。三階の部屋に、たくさんのともし火をともして行われているのです。そしてそれが夜中になり、さらには夜明けまで続いたのです。何故私たちが今しているように日曜日の午前中ではなくて夜なのでしょうか。それは、昼間は多くの人が仕事をしていたからです。日曜日はこの時まだ休日ではありません。日曜日が休日になったのは、もっとずっと後、紀元4世紀になってからです。それまでは、主の日の教会の礼拝は、世間の人々が皆仕事をしている時間に、あるいはこの場合のように、仕事を終えた後の夜に行われていたのです。つまり、ここに集まっている人々の多くは、昼間働いた上で夕方になって集まって来たのです。エウティコもそうだったのでしょう。一日の仕事を終えた後、教会の集会に来て、長々と続くパウロの説教を聞いていたのです。つまりこの人々は、私たちが休日である日曜日の朝に礼拝を守っているのとは比べものにならない厳しいコンディションの下に置かれているのです。その中で、エウティコは、襲ってくる睡魔と必死に戦ったのでしょう。彼が窓のところに腰掛けていたのも、そのためだったのではないでしょうか。多くの人が集まり、たくさんのともし火が灯っている部屋の空気は眠気を誘うものだったと思います。だから新鮮な空気を吸って睡魔を追い払おう、また、三階の窓という大変危険な場所に座っているという緊張感によって目を覚ましていよう、と彼は必死の努力をしたのです。しかしそのような必死の努力にも関わらず、ついに居眠りをし、転落してしまったのです。呑気な話ではない、というのはそういうことです。私たちがここに見つめなければならないのは、疲れた体に鞭打ちつつ、み言葉をしっかりと聞こうと必死に努力している人の姿です。言い換えれば、命がけで主の日の礼拝を守ろうとしている信仰者の姿です。エウティコは、以前の口語訳聖書では「ユテコ」と訳されていました。そしてそれは私たちの教会の青年会の機関紙の題です。青年ユテコの名を受け継ぐ青年会の諸君は、この、疲れた体に鞭打って命がけでみ言葉を聞き、礼拝を守ろうとしたエウティコの思いを受け継ぐ者であって欲しいと願うものです。間違っても、「説教中の居眠りは初代教会からの伝統である」などと居直ってはなりません。

日曜日は何故休日か

 青年会のことを申しましたが、このことは私たち全ての者がしっかりと受け止めるべき大事なことです。私たちは今、主の日、日曜日を、社会の休日として持っています。ともすれば私たちは、日曜日は休日だから教会へ行って礼拝をする、ぐらいに思ってしまうことがあります。しかしそれは順序が逆です。教会は日曜日が休日だからその日に礼拝を行ったのではありません。日曜日休日は、キリスト信者たちが、様々な困難、妨げ、迫害の中で、この日に礼拝を守り続けた、その何百年におよぶ努力の結果として勝ち取られたものです。このエウティコのように、疲れた体に鞭打って命がけで主の日の礼拝を守った多くの先達たちのおかげで、キリスト信者が礼拝を守っているこの日が休日になったのです。日曜日がもともと休日だったのではなくて、教会が日曜日に礼拝を守っていたから、その日が休日になったのです。そのおかげで私たちは今、休日である日曜日に礼拝を守ることができているのです。そのことを忘れてはなりません。日曜日はせっかくの休みなのに、それを教会の礼拝のために使うのはもったいない、という思いがもし起るならば、それは話が逆なのです。私たちの信仰の先達たちが、命をかけて、主の日の礼拝のために勝ち取ってくれたせっかくの日曜日休日を、他のことのために用いてしまうのは何ともったいないことか、私たちはそのように考えるべきでしょう。

主の日の礼拝の恵み

 主の日の礼拝を命がけで守る、と申しました。それは何かものすごく厳しい戒めを語っているように思われるかもしれませんが、決してそうではありません。エウティコにせよ、この礼拝に集っていた多くの人々にせよ、決して、戒めを守らなければならないという義務感で礼拝に集っていたのではありません。彼らは皆、自分から、喜んで集まって来たのです。それだけの価値が主の日の礼拝にはあるからです。命をかけても守りたい恵みがそこで与えられるからです。本日の話は、その、主の日の礼拝の恵みを示し、語っているのです。パウロは、転落して死んだエウティコを抱きかかえて、「騒ぐな。まだ生きている」という、主イエスのお言葉とも重なる宣言を語りました。そしてまた上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けました。つまり礼拝はまだ続いている、その礼拝の中で、エウティコの復活が起ったのです。主イエス・キリストが、あのヤイロの娘を、「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ」と宣言してよみがえらせて下さった、その恵みのみ業が、主の日の礼拝の中で繰り返されたのです。主イエスご自身が、主の日の礼拝において私たちと出会って下さり、ねんごろに語りかけて下さり、そして恵みのみ業を行なって下さったのです。主の日の礼拝とは、そのようなことが起る場です。礼拝において私たちは、福音を、すなわち主イエス・キリストによる救いの宣言を聞きます。主イエスが私たちの全ての罪を背負って十字架にかかって死んで下さったこと、その主イエスの十字架の死が、私たちの罪の赦しのための身代わりの死だったこと、そして父なる神様が、死の力を打ち破って主イエスを復活させ、私たちにも、神様の恵みの中で生きる新しい命を与えて下さっていることを示され、世の終わりには主イエスと同じ復活の命と体とを与えて下さるという約束を与えられます。そしてみ言葉によるその恵みの宣言に加えて、聖餐のパンと杯にあずかります。それらによって、私たちのために十字架にかかり、肉を裂き、血を流して罪の赦しを与え、復活して新しい命を獲得して下さった主イエスご自身が、私たちに臨み、語りかけ、交わりを持って下さるのです。私たちを新しく生かして下さるのです。それが主の日の礼拝において起ることです。三階から転落して死んでしまったエウティコの姿は私たちの姿を象徴しています。神様に対しても隣人に対しても罪を繰り返し、人を傷つけながら自分自身も深く傷つき、弱り、癒されることができずにいる死んだような私たちを、主イエスはみ手に抱きかかえて下さり、「騒ぐな。まだ生きている」「彼の魂は彼の内にある」と宣言して下さるのです。それは私たちがまだ死んでいない、まだ息があるということではなくて、「私が、十字架の死と復活によって実現した新しい命をあなたに与え、あなたを新しく生かす」という宣言です。その宣言によって、死んでいる私たちが生き返るのです。新しく生かされるのです。生まれつきの私たちが全く知らなかった、主イエス・キリストの恵みにより、神様の祝福の下で生きる、新しい命が与えられるのです。そのことが、まさにこの主の日の礼拝において起っているのです。その新しい命は、主イエス・キリストの復活にあずかる命です。肉体の死に打ち勝つ永遠の命です。私たちは礼拝において、永遠の命を生き始めるのです。

大いなる慰め

 12節に、「人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた」とあります。主の日の礼拝において、このような大いなる慰めが与えられるのです。この「慰め」という言葉は、本来は「かたわらに呼ぶ」という意味の言葉です。悩み、苦しみ、悲しみが本当に慰められるのは、主イエスの父なる神様が私たちをかたわらに呼んで下さり、語りかけて下さり、主イエスの十字架と復活による新しい命を与えて下さることによってです。そのことが、主の日の礼拝において私たちに起るのです。今私たちは、主イエスの父なる神様によってこの礼拝へと招かれ、そのかたわらへと呼び集められています。そして、主イエスによって、自分の力では決して得ることのできない、また人間が決して与えることのできない大いなる慰めを与えられるのです。この慰めのゆえに、私たちは主の日の礼拝を命をかけて守るのです。主の日の礼拝は、義務として仕方なく守るようなものではありません。それは、そのためにどんな犠牲を払ったとしても、それを補って余りある神様からの豊かな恵みを与えられる時、死んでいる私たちが新しい命を与えられ、永遠の命を生き始める時、人間が決して与えることのできない大いなる慰めの時なのです。そして私たちは、主の日の礼拝において、詩編第30編の詩人と共に、主に心からの賛美を歌うのです。その5、6節。

「主の慈しみに生きる人々よ、主に賛美の歌をうたい、聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。ひととき、お怒りになっても、命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」

また12、13節

「あなたはわたしの嘆きを踊りに変え、粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。わたしの魂があなたをほめ歌い、沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、主よ。とこしえにあなたに感謝をささげます」。

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