主日礼拝

手で造ったものは神ではない

「手で造ったものは神ではない」 牧師 藤掛 順一

・ 旧約聖書; エレミヤ書、第10章 1節-16節
・ 新約聖書; 使徒言行録、第19章 21節-40節
・ 讃美歌 ; 37、151、492、洗礼67、聖餐式75
・ 聖歌隊 ; 24

 
壮大な志
 パウロは第三回伝道旅行において、約三年間、エフェソの町に滞在して伝道をしました。使徒言行録がパウロの第三回伝道旅行について主に語っているのはこのエフェソ伝道のことです。そのエフェソ伝道の終わり、しめくくりが本日のところです。本日の箇所の最初のところ、21節には、パウロがこの後の歩みについて与えられた決心が示されています。「このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、『わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない』と言った」。「ローマも見なくてはならない」というのは、勿論、ローマへ見物に行きたいということではなくて、そこでもキリストの福音を宣べ伝える、伝道する、ということです。当時の世界の中心であった、ローマ帝国の首都ローマでの伝道の志を彼は与えられたのです。しかし彼の志はそれだけではありませんでした。ローマの信徒への手紙の中で彼はその志を語っています。この手紙は、この後マケドニア州に渡り、さらにその南のアカイア州に行った、それは具体的にはコリントに行ったということですが、そのコリントで、まだ会ったことのないローマの教会の人々に、ローマ訪問の志を告げ、自己紹介のように、自分が宣べ伝えている福音をまとめて書いたものです。その15章22~24節にこうあります。「こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです」。「もうこの地方に働く場所がない」と言っています。パウロはこれまでの三回の伝道旅行で、ローマ帝国の東側の各地に、伝道の拠点となる教会を生み出してきました。その働きはこれで一応一区切りがついたと考えているのです。今後は、ローマを訪ね、さらにそこからイスパニアに向けて送り出してもらいたい。イスパニアというのは今日のスペインです。つまりパウロは今や、ローマをも越えて、帝国の西の果てであるスペインへの、壮大な伝道の志を与えられているのです。
 ところでローマへ、そしてイスパニアへ直行するには、今いるエフェソから西へとまっすぐに向かえば近いのです。しかし彼は、このまままっすぐにローマに渡ろうとはしていません。21節にあったように、一旦マケドニア州、アカイア州、つまりギリシャに渡り、それから東のエルサレムに行こうとしています。エルサレムに行ってからローマへ向かうという大きな回り道をしようとしているのです。何故彼は今エルサレムに行こうとしているのか。そのことについては、後日改めて考えていきます。本日は、彼がそのような大きな回り道をしようとしているということを指摘するだけに止めておきます。

聖霊による決心
 本日むしろ目を止めたいのは、21節の「決心し」という言葉です。マケドニア、アカイアを経てエルサレムに行き、さらにその後でローマへ、そしてイスパニアへまでも行くということを彼は「決心した」のです。これは簡単に読み過ごしてしまいがちな言葉ですが、以前の口語訳聖書ではこうなっていました。「パウロは御霊に感じて、マケドニヤ、アカヤをとおって、エルサレムへ行く決心をした」。「御霊に感じて」という言葉が口語訳にはあったのです。ここの原文を直訳すると「霊において決心した」となります。その「霊」を神様の霊、聖霊ととれば、口語訳のように「御霊に感じて決心した」となるし、パウロ自身の霊、魂ととれば、自らの心において決心した、という意味になるのです。そのどちらにも訳せるということが、ここを理解する上で大事です。つまりパウロがここでした決心は、ただ彼が自分の今後の歩みを、自分の夢や希望に基づいて勝手に計画したということではないのです。むしろ彼は日々の祈りの中で、神様が自分に与えておられる使命を深く考え、み心を求めていたのです。そのような祈りの中で、聖霊の導きによって、このような決心が与えられたのです。聖霊の働きや神様の導きというのはそのようにして与えられるものです。つまりそれはある日突然天から声があって、「お前はこうしなさい」と示される、というようなものではないのです。聖霊の働きによる神様の導きは、私たちが、自分の使命、歩むべき道について、真剣に考え、み心を求め、祈りながら決断していく、そこにおいて与えられるものです。ですからそれは自分で決心したとも言えるし、御霊に感じてそうした、とも言えることなのです。

エフェソでの騒動
 さて、23節以下には、パウロがこれらのことを思い巡らしている間にエフェソで起った一つの出来事、騒動のことが語られています。「そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった」のです。主イエス・キリストを信じる信仰のことが、「この道」と言い表されています。それは使徒言行録の一つの特色ですが、その意味については後でふれることにして、先ず、ここで起った騒動を見ていきたいと思います。24~27節をもう一度読んでみます。「そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。『諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう』」。ここを理解するためには、エフェソのアルテミス神殿のことを知らなければなりません。アルテミスは女神の名です。ギリシャ、ローマの神話ではディアナ、英語読みすればダイアナと呼ばれる、美しく奔放な狩猟の女神のことを指すのが本来のようです。しかしエフェソにおいて祭られていたのは、このギリシャの女神が小アジアのいわゆる地母神、豊穣の女神と結びついたもので、その姿は、18の乳房を持つ、いささかグロテスクなものでした。エフェソにはこのアルテミスの大神殿があり、それは当時、世界の七不思議の一つとされていたほど壮大なものでした。その大きさは間口43メートル、奥行き103メートルで、有名なアテネのパルテノン神殿の四倍の大きさです。そこに、直径1.8メートル、高さ16メートルの大理石の円柱が100本立ち並んでいたと言われます。つまりこのアルテミス神殿は当時の世界最大級の大神殿であり、27節に「アジア州全体、全世界があがめるこの女神」と言われているのもあながち誇張ではないのです。エフェソはこの神殿の門前町として栄えていました。ここに出てくるデメトリオらの銀細工師たちは、この大神殿の銀細工の模型を売って多大な利益を得ていたのです。ところがこの人たちが、パウロの三年に及ぶ伝道によって危機感を抱くようになりました。それはパウロが「手で造ったものなどは神ではない」ということを盛んに宣べ伝えていたからです。パウロが直接女神アルテミスを「あんなものは神ではない」と言って批判していたのかどうかははっきりしませんが、しかし彼はたとえば17章のアテネでの伝道においてこのように語っています。17章24、25節です。「世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです」。エフェソでもこれと同じようなことが語られていったことは間違いないでしょう。このような伝道が、デメトリオらには、自分たちの仕事への重大な妨害と写ったのです。

福音の影響力
 キリストの福音が宣べ伝えられることによって、ある種の仕事をしている人々との間に衝突が起る、ということは現実に起こります。私が前にいた富山県のある町で、明治の半ばごろに実際にあったことですが、町の仏壇仏具商や遊郭の経営者たちが、教会になぐり込みに来たのです。その町は特に仏壇仏具の製造が盛んな所でしたから、その人々にとってはキリスト教の伝道は自分たちの仕事への直接の妨害と感じられたのでしょう。そこに遊郭の人も加わっていたことが興味深いところです。明治以来、日本においてキリスト教は、いわゆる廃娼運動の担い手でした。キリストの福音が宣べ伝えられるところには、遊郭通いを罪として退ける風潮が生じていったのです。そのような運動が実を結び、今日日本に公娼制度はなくなりました。しかし現実にはどうでしょうか。先日テレビで、日本は国際的な人身売買の主要な到着地となっていることが報じられていました。多くの国々から、少女たち、女性たちが売られてきて、日本で売春を強要されているのです。タイの女性捜査官が日本にその実態調査に来て、視察したのはこの横浜です。ということはここのすぐ近くを見ていったということでしょう。その人は、「これが先進国と言われる日本の現実なのか」とショックを受けていました。それを見ていて、私は日本人として本当に恥ずかしく思いましたが、さらに、この横浜で、キリストの福音を宣べ伝える使命を与えられている者としての責任を痛感させられました。本来ならば、私たちが福音を宣べ伝えることによって、それらの商売が影響を受け、それで金儲けをしている人々が、営業妨害だと言ってどなり込んで来るぐらいのことが起らなければならないはずなのです。そうなり得ておらず、教会は教会としてここにあるけれども、そのすぐ傍には全く別の世界が、何の影響も受けずに存在しているという現実を、私たちは決してよしとしてしまってはならないでしょう。

「この道」
 そのように思うにつけ感じさせられるのは、エフェソにおけるパウロの三年の伝道がいかに大きな影響力を発揮したか、ということです。銀細工師たちが危機感を覚えて騒動を起こすほどに、キリストの福音はこの町で影響力を持ったのです。つまりそれだけ、人々の生活が変えられていったのです。いかに壮麗なものであっても、人間の手で造られた神殿に祭られる手で造られた神は本当の神ではない、本当の神様は天地万物を造り、私たちに命を与え、導いておられる方なのであって、この方を信じ、礼拝することの方が、手で造られた神を拝むよりもすっと幸いなことだ、ということが、人々の心に深く浸透し、人々の生活が具体的に変わってきたのです。そのようなことが起ったのは、イエス・キリストを信じるところには、手で造られたものを神として拝むよりもずっと幸いな、神様と共に生きる喜ばしい生き方が、歩みが、道があることが、信仰者たちによって明らかにされたからです。キリストを信じる信仰のことが「この道」と言われていることの意味はそこにあります。主イエス・キリストを信じ、その十字架による罪の赦しと復活による永遠の命の約束を信じることは、一つの道を歩んでいくことなのです。信仰は、何か難しい哲学的な真理を学んで悟るとか会得することではありません。主イエス・キリストによって開かれ、主イエスが先立って歩んで下さっている道を、その後に従って歩んでいくことです。その道を歩むことによって、私たちの日々の具体的な生活が変わってくるのです。銀細工の神殿の模型を喜んでいた人が、もうそういうものを求めなくなるのです。遊郭に通い、女性の体を金で買って欲望を満たしていた人が、もうそういうことをしなくなるのです。信仰者一人一人が、そのように、主イエスの恵みによって生きる新しい道を、それぞれの置かれた所で具体的に歩み始め、そのような喜ばしい生き方を具体的に示していく時に、社会を変えていくような力が生まれていくのです。

手で造られた神の本質
 デメトリオが仲間たちを煽動するために語ったことの中心は27節の、「これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう」ということです。ここで彼は、偉大な女神アルテミスとその神殿の威光を問題にしています。しかし彼の本心が、「このままでは我々の仕事の評判が悪くなり、商売が上ったりだ」ということにあるのは明らかです。つまり彼が女神アルテミスの名を語りつつ本当に考えているのは、自分の利益を守ることです。また、彼の煽動によって多くの人々が騒ぎだし、一団となって野外劇場になだれ込み、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫び続けたわけですが、彼らも、女神アルテミスを大切にしているように見えて、結局のところは、自分たちの町の誇りや名誉、つまり自分の誇りや名誉を傷つけられたと怒っているのです。つまり、この騒ぎを起している人々が本当に神としているのは、自分の利害、自分の名誉、誇りなのです。そしてそれこそが、人間が「手で造ったもの」を神とすることの本質です。手で造った神々とは、人間の欲望や誇りの投影です。パウロはフィリピの信徒への手紙の第3章19節で、自分の腹を神としている人々のことを厳しく批判していますが、まさに、手で造られた偶像の神々は、自分の腹を神とする人間の思いが生み出しているのです。従って、この「手で造られたもの」は、具体的ないわゆる偶像のみを指しているのではありません。それらは、私たちの心の中にある様々な欲望、自分の誇りや名誉を満足させようとする思いの投影なのですから、そういう思いや欲望に翻弄されて生きることの全体が、「手で造られたものを神とすること」なのです。

エクレーシア
 この人々は劇場になだれ込みましたが、そこで起っていることは32節にあるように、それぞれが勝手なことをわめき立て、「集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった」という状態でした。この32節で「集会」と訳されている言葉は「エクレーシア」です。それはまさに集会、集まった者たちの会、という意味なのですが、私たちはこの言葉のもう一つの訳語を知っています。それは「教会」です。初代の教会の人々は、自分たちの群れを神のエクレーシア、神様によって集められた者たちの集会、と呼んだのです。本日は、信仰告白として「日本基督教団信仰告白」を告白しましたが、その中に、「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集いなり」とあるのが、この「エクレーシア」という言葉の持つ意味を言い表しています。私たちは、神様の恵みによって、主イエス・キリストのもとに集められた一つのエクレーシア、集会なのです。私たちの集会は、エフェソの人々の集会のような、ある者はこのことを、他の者はあのことを、わめき立て、何のために集まったのかさえ分からないようなものとは違います。それは、私たちが、主イエス・キリストによって開かれ、示された一つの道を共に歩んでいくからです。自分の腹を、即ち自分の欲望や誇りを神とするのではなく、主イエス・キリストの父なる神様のみを神として、そのみ心に従っていく道を、主イエスの恵みの中で、主イエスと共に歩んでいく、その時に、教会は、無秩序な集会ではなくなり、この世に向かって、道を指し示す群れとなることができるのです。ここにこそ歩むべき道がある、この道を歩むならば、手で造られたものを、つまりは自分の欲望や誇りを神とするよりもずっとすばらしい、幸いな人生を生きることができるのだ、ということを、身を以て示していくことができるのです。そしてそこから、この社会を、世界を変えていくような流れが、うねりが、起っていくのです。 道を歩み出そう
 信仰とは、先ほども申しましたように、難しい真理を勉強して悟り、自分のものにすることではありません。主イエス・キリストによって示された道を歩いていくことです。別の面から言えば、自分の悩みや苦しみ、悲しみ、あるいは怒りやいらだちにあくまでもこだわり、そこに神様がどんな慰めを、救いを与えてくれるのかと、座り込んでお手並み拝見を決め込むことも信仰の正しいあり方ではありません。私たちは、主イエスに従って、示された道を歩き始めるのです。悩みや苦しみ、悲しみ、怒りやいらだちといったいろいろな重荷を背負ったままで、とにかく歩き始めるのです。それが、洗礼を受け、教会に加えられるということです。そのようにこの道を歩き始めた私たちを、主イエスは、私たちのために成し遂げて下さった十字架の死と復活による救いの恵みによって支え、強め、助けて下さいます。それが、毎週の礼拝において与えられるみ言葉であり、また本日共にあずかる聖餐の意味です。み言葉と聖餐は、私たちが、主イエスによって示された道を、主イエスに従って歩んでいく、その歩みを力づけ、支える天からの食物なのです。その食物に養われ、力づけられながら道を歩んでいくことの中で、様々な問題への解決も、あるいは苦しみ悲しみへの慰めや励ましも、与えられていくのです。つまり、この道を歩み始めることが、信仰において決定的に大事です。「千里の道も一歩から」という諺は信仰においてもあてはまります。とにかく一歩を踏み出し、歩き出すことがなければ、何も始まらないのです。パウロが、今日の感覚でも大変に長い距離の大伝道旅行をしたのも、彼が主イエスによって示された道を一歩一歩歩んでいった結果であって、その歩みの中で、先ほどのあのローマからさらにイスパニアにまでも足を延ばそうとする志も与えられていったのです。

 主イエスに示された道において、新たな一歩を踏み出していくこと、それが私たちに求められていることです。本年度の教会の主題「扉を開き、世に向かって宣べ伝える教会」もそのことを示しています。私たちそれぞれが心の扉を開き、そして教会の扉を開いて、世に向かって、様々な苦しみや悲しみ、また罪をかかえたこの社会に向かって、主イエス・キリストによって開かれた道をさし示し、ここに道がある、ここを共に歩もうと語りかけていく、そのような新しい一歩を私たちは踏み出していくのです。私たち自身がこの道を一歩一歩歩んでいくことによってこそ、主イエス・キリストの福音はこの社会においても力を発揮し、影響を与え、正義と平和を打ち立てていく力となることができるでしょう。

関連記事

TOP