主日礼拝

神を知る

「神を知る」 牧師 藤掛 順一

・ 旧約聖書; イザヤ書、第46章 5節-13節
・ 新約聖書; 使徒言行録、第17章 16節-34節
・ 讃美歌 ; 14、140、401、78

 
広場で
 本日の聖書の個所、使徒言行録第17章16節以下には、パウロの第二回伝道旅行における、ギリシャのアテネでの伝道の様子が語られています。このアテネでの伝道は、パウロの通常の伝道の様子とは
かなり異なったものとなったようです。17節の前半に、「会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ」とあるのは、パウロの通常の伝道の姿です。ユダヤ人たちの会堂に先ず行って、そこで、主イエスこそ旧約聖書に預言されている救い主であると語っていくのです。しかし17節後半には、「また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた」とあります。これは、これまでのいくつかの町々での伝道にはなかった、初めて見る姿です。このパウロの姿を、今日の私たちの社会にそのままあてはめて考えると、道行く人々をつかまえては声をかける、モルモン教の宣教師のようなイメージを抱いてしまうかもしれませんが、これはそういうことではありません。「広場」とあるのは、原語のギリシャ語では「アゴラ」という言葉で、「集まる」という言葉から来ています。広場、アゴラはギリシャの市民たちが集会をする場所でした。その集会において、町の指導者が選ばれたり、政治的な事柄が決定されたりしたのです。古代ギリシャの都市国家における直接民主制ということを私たちは歴史で習いますが、その舞台となったのがこのアゴラ、広場でした。このアゴラがローマの言葉、ラテン語では「フォルム」であり、それが英語の「フォーラム」という言葉になりました。フォーラムは最近は日本語としても定着してきています。何かのテーマについて集まって話し会う場のことをフォーラムと言っています。そのもとになっているのがアゴラ、広場という言葉です。この広場に立って人々に自分の主張、意見を語ることは、当時のギリシャの社会においてごく自然なことであり、マス・メディアのない当時の正統的かつ有力な伝達手段だったのです。そういう意味でパウロは、このアテネの町に最も即した、相応しい仕方で伝道をしていったということが言えます。伝道において、語ることは一つ、主イエス・キリストによる救いの恵みです。しかし,それをどのように語り、どのように人々に伝えるかは、置かれた状況や、人々の生活、習慣、文化などによっていろいろと違ってくるのが当然です。パウロはこの町の特質を見抜き、この町に最も適した仕方で伝道をしていったのです。特にこのアテネという町は、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど、私たちが一行も読んだことがなくても名前だけは知っている有名な哲学者のいた、ギリシャ哲学の輝かしい歴史を担っている町です。18節にもあるように、この町には哲学者たちが多くいたし、また21節に「すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである」とあるように、町全体の雰囲気に、哲学的、宗教的な議論を喜ぶところがあったのです。そのような町だったからこそパウロは、ただユダヤ人の会堂で語るのみではなく、町の広場で、そのような人々の中に積極的に飛び込んで行ったのです。

偶像に憤慨して
 しかし彼がアテネでこのような積極的な伝道をしていったのは、この町ではそれが有効だと考えたからだけではなかったことが、最初の16節から分かります。「パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した」。ここに「二人」とあるのは、シラスとテモテのことです。パウロはべレアでのユダヤ人たちの妨害を逃れてギリシャを南下してアテネに来たのですが、共に伝道していたシラスとテモテよりも先にアテネに入っており、そこで二人の到着を待っていたことがその前の14、15節から分かります。ですからパウロは当初、同僚二人の到着を待ってからこの町での伝道をしていこうと考えていたようです。ところが、連れを待ちつつアテネを見て廻っているうちに、彼は「憤慨した」のです。これは直訳すると「彼の魂が彼の内で揺り動かされた」となります。心の内に、いても立ってもいられないような気持ちが湧き起こってきたのです。それは、この町の至るところに偶像があるのを見たからです。当時のアテネには神々の像が沢山あったらしく、ある人は皮肉まじりに「アテネでは人間に会うよりも神々に会うことの方が多いだろう」と言ったと伝えられています。そういう状況を見てパウロは憤慨しました。それは自分の気持ちを傷つけられて腹を立てたということではなくて、ここでこそ本当の神様を宣べ伝えなければ、という強い使命感を与えられたということです。今私たちが生きているこの社会も、ある意味でこのアテネと同じだと言えるでしょう。まことの神でない様々なものが人々を捕え、支配しています。目に見える神々の像だけでなく、いろいろな占いのたぐいもそうだし、自分の喜びや平安だけを求め、人のことを顧みない生き方も、自分の思いが通らないとすぐにキレて暴力に訴えてしまうような忍耐を知らない風潮も、あるいは愛国心の名のもとに自己を絶対化していく思い、テロリズム、そういった様々な偶像が私たちを取り囲んでいます。そのようなことを日々目にしている私たちは、パウロが抱いた憤慨を覚えているでしょうか。ここでこそまことの神様を宣べ伝えなければ、という強い使命感、情熱に揺り動かされる信仰的感受性を持っているでしょうか。パウロは、二人の同僚の到着を呑気に待っていられるような状況ではない、と思ったのです。それと同じ状況に私たちもあるのではないでしょうか。

哲学者たち
 パウロが広場で論じ合った人々の中に、エピクロス派やストア派の哲学者たちがいたと18節は語っています。いずれも当時のギリシャ哲学において盛んだった学派です。エピクロス派というのは、俗に「快楽主義」と呼ばれるもので、その言葉からすると、快楽を追求し、自堕落な生活を奨励する教えであるかのように思われますが、彼らが追求した「快楽」とは、バランスの取れた平穏な生活です。魂においても、そういう平穏を維持して生きることが追求されています。そのためには、この世の様々な俗事を超越して、何事にも煩わされずに生きることが理想とされるのです。そのような哲学においては、神々も、この世の事柄に関わらず、この世を超越して平穏を保っている存在として見つめられます。そういう神々の平穏を理想として、自分たちも平穏に生きることを追求するのです。他方のストア派における神々はこれとは正反対の存在です。この教えにおいては、神々はこの世の全てのものの中にいると考えられています。そういうのを汎神論と言い、一木一草の中に神・仏の存在を見るという日本的感覚とある意味で似ています。しかし日本の宗教性においては、それが非常に情緒的な自然との一体化につながるのに対して、ストア哲学においては、全てのものの中にいる神は、宇宙全体に働く普遍的精神、あるいは原理として見つめられ、この普遍的精神、原理を探し求め、自らをそれに合わせて整えていくことが追求されます。普遍的な原理に即して生きるところにこそ人間の幸福と平安があると考えられたのです。その結果ストア派においては、厳しく自己を律する倫理的な生活が追求されます。ですからストア派とエピクロス派では、その教える生活のあり方はある意味で正反対でした。しかし、人間が自らの思想、哲学によって神々のことを考え、そしてその思想に基づいて人間の本当の幸福、平安を追求するという点では同じでした。そして、アテネの町の至る所にあった偶像は、このような、神についての人間の思想、考え、哲学から生まれたものだったのです。

人間が造る神
 偶像というのは、人間が、自らの思想や感覚によって神々のことを考え、その姿を思い浮かべて造るものです。いろいろな偶像がありますが、共通しているのは、人間が、自分たちが見て知っているこの世界の何かや人間の姿に似せて、あるいはそこから類推して神や仏の姿を描き出している、という点です。本日共に読まれた旧約聖書の個所、イザヤ書第46章5節以下に、偶像を造る人間の様子が語られていますが、その5節に「お前たちはわたしを誰に似せ、誰に等しくしようとするのか。誰にわたしをなぞらえ、似せようというのか」とあるのはそのことを言っています。人間が、自分の知っている誰かあるいは何かに似せて、なぞらえて偶像を造るのです。つまり偶像は人間の考えや思いが造り出したものです。今日私たちを取り囲んでいる、目に見える形を持たない様々な偶像もそうです。それらは全て人間の心が造り出したものであり、その前に人々がひれ伏し、あるいはそれを大事に担いで生きているのです。パウロは、アテネの広場で哲学者たちと毎日論じ合い、またこの町の至る所にある偶像を見て、彼らがこのように、自分たちの思想によって神様のことをいろいろに考え、想像し、その像を造り、それを拝んでいることを見抜きました。そしてそのことによって心揺り動かされて、彼らに向かって語りかけたのです。

知られざる神に
 パウロがアテネの人々に語りかけていく糸口としたのは、彼らの哲学あるいは信仰から起ってきている一つの大変興味深い事態でした。23節の前半に「道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです」とあります。アテネの、様々な偶像の神々を祭る祭壇の中には、「知られざる神に」と刻まれたものもあったのです。いろいろな神様をお祭りしているけれども、ひょっとしたらまだ我々の知らない別の神様もおられるかもしれない。そういう神様にも粗相があってはいけない…ということでしょう。大変丁寧な、行き届いたことです。しかしこのことに現れているのは、多くの神々を祭るアテネの人々の信仰の根本にあるのは「恐れ」である、ということです。人間に会うよりも神々に会うことの方が多いと言われるぐらいに多くの神々を祭り、拝みながら、彼らの心には安心がないのです。まだ自分たちの知らない神が他にいて、その神の怒りをかうかもしれない、と恐れているのです。要するに彼らは、22節でパウロが皮肉を込めて言っているように、「あらゆる点において信仰があつい」者であり、多くの神々を祭りながら、少しも喜んでいないのです。平安を得ていないのです。まさにこのことは、人間が自分の思想、感覚によって神を考え、造り出していくところに必ず起ることです。自分が考え造り出した神を拝んでいるところには、平安はないのです。そこでは一つの神だけでは不十分に思えて、できるだけ沢山の神々を拝みたくなるのです。そしてどんなに多くの神々を拝んでも、やはり不安は残るのです。だから「知られざる神に」という祭壇も築きたくなるのです。

この世界を造られた神
 パウロはそのことを糸口として、「あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう」と言いました。それは、「あなたがたがまだ知らないこういう神様もいるのだから、この神様も拝んだらいいよ」ということでは勿論ありません。パウロがここで示そうとしているのは、「あなたがたは、実は神様のことを何も知らずに、神でないものばかりを拝んでいるのだ。だからいつまでたっても満たされず、平安を得ることができないのだ」ということです。そして彼は、アテネの人々が全く知らない、生けるまことの神様を示していきます。それが24?26節です。「世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました」。生けるまことの神様は、世界とその中の万物とを造られた方だ。だから人間の手で造った神殿にはお住みにならない。人間があれこれ仕えてお世話をしなければ不足があるような方でもない。むしろ神様の方がすべての人に命を与え、それぞれの民族を造り出し、それぞれに配置し、その歴史を導いておられるのだ…。
これは、人間が自分の思想によって神様のことをあれこれ考えたり、何かに似せて像に刻むということとは全く反対のことです。人間が神様のことを考えたり、何かになぞらえて造ったりするのではなくて、神様が私たち人間を造り、導き、支配しておられるのです。つまり人間から神様へ、ではなく神様から人間へ、というのが正しい方向性であり、人間が神様を、ではなく神様が人間を、というのが正しいあり方だ、主語は人間ではなく神様なのだ、とパウロは語っているのです。

神を探し求める
神様がこの世界とその中の万物を造り、すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださり、いろいろな民族を造り出して地上に住わせ、その境界を定めて下さったことには目的があります。それは27節の「人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです」ということです。神様が私たちに命を与え、導いて下さっているのは、私たちに神様を探し求めさせるためであり、そして探し求めれば神様を見出すことができるようにして下さっているのです。つまりパウロは、私たちは正しく探し求めるならば、神様を知ることができるのだ、と言っているのです。正しく探し求めるならば、です。アテネの人々は、自分たちの優れた哲学によって神々のことを考え、知ろうとし、そしておびただしい偶像を造り出しました。しかし彼らの行きついた先は、「知られざる神に」だったのです。人間から神様へ、人間が神様を、という方向でどんなに頑張っても、最終的には神様は「知られざる」存在に留まるのです。そして不安、恐れから抜け出すことはできないのです。しかし、その方向が逆転して、神様から人間へ、神様が人間を、という方向性をもって生き始めるならば、つまり人間があれこれ考えて神様のことを知ろうとするのでなくて、神様がご自身を示して下さるみ言葉によって神様を見つめ、それによってこの世界や人間を見つめ直していくならば、私たちにとって神様は「知られざる」存在ではなくなります。得体の知れない恐ろしい存在ではなくなるのです。この方向転換によって、私たちは神様を知ることができるようになるのです。しかも、28節に引用されている言葉のように「我らは神の中に生き、動き、存在する」とか「我らもその子孫である」と言えるほどに、神様を身近に、また自分を愛し、生かし、支えてくれる存在として知ることができるようになるのです。この引用はどちらも、ギリシャの詩人の言葉です。パウロはギリシャ詩人のこれらの言葉を引用して、「あなたがたは一方でこのように歌いながら、他方で『知られざる神に』というのはおかしいではないか。あなたがたの詩人が歌っているような、神様との本当の近さ、親密さは、むしろ私の宣べ伝えている、世界とその中の万物を造られ、私たちに命を与え、導いておられる主なる神様を知ることによってこそ得られるのだ」と語っているのです。

悔い改める
人間の思想や感覚によって神様のことを考え、この世界の何かになぞらえて神々の像を刻んでいこうとする限り、神様はいつまでたっても「知られざる」存在のままです。アテネの人々のみでなく、生まれつの私たちは皆、まことの神様を知らないのです。神様について無知なのです。しかしいつまでも無知でいてよいのではありません。30節「神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます」。まことの神様を知るために、私たちは悔い改めることを求められているのです。悔い改めるとは、心の向きを変えること、心の方向性が反対になることです。つまり、人間から神様へ、人間が神様を、という方向が、神様から人間へ、神様が人間を、という方向へと変わること、自分が神様のことをあれこれ考え、いろいろなものから類推して神様のお姿を思い描いていくことをやめて、神様がご自身を示して下さっているみ言葉によって神様を知り、その恵みを知り、その恵みの下に置かれている自分を見出していくようになること、それが悔い改めなのです。

キリストの十字架と復活によって
神は、「今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます」。その「今」とはどういう時でしょうか。それが次の31節に語られています。「それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです」。今や神様が、この世を正しく裁く日をお決めになった。つまり神様の裁きが今や始まっているのです。裁きというのは、神様が、正しいことと間違っていることをはっきりさせること、何が神様のみ心であり、何がそうでないかが明らかにされること、そのようにして、神様のご支配がこの世に完成することです。その裁きは、「先にお選びになった一人の方によって」なされます。その一人の方とは主イエス・キリストです。主イエス・キリストが、私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さり、私たちへの神様の裁きを代わって受けて下さった、そして復活して新しい命、罪と死に打ち勝つ永遠の命の先がけとなって下さった、その主イエスの十字架の死と復活こそ、神様が既にお始めになっている裁きの確証であり、その裁きが完成する時に私たちが与えられる救いの確証なのです。神様は先にお選びになった一人の方、即ち神様の独り子であられる主イエス・キリストによってご自身を示して下さいました。神様がご自身を示して下さったみ言葉とは、この主イエス・キリストの十字架の死と復活とを語るみ言葉です。このみ言葉によってこそ、神様は私たちにとって「知られざる」方ではなくなり、私たちは神様のことを、本当に私たちを愛し、導き、育んで下さる方として知ることができるようになるのです。私たちは、自分の思想や感覚で神様のことをあれこれ考えていくことをやめて、神様が示し与えて下さったこのみ言葉、主イエス・キリストによって神様を見つめていく者となる、そういう方向転換、悔い改めによって、神様を知り、信じ、愛し、喜びをもって神様に仕える者となることができるのです。

神を知るために
パウロが主イエス・キリストの復活のことを語ると、ある者はあざ笑い、ある者は「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言って去っていきました。キリストの復活などということは、理性的で哲学的なアテネの人々にはとんでもない馬鹿げた話にしか思えなかったのです。それゆえに、最初はパウロの話に興味を持った人々も、復活のことを聞くと、多くの人は去って行ったのです。「ああもうこの話は聞く必要がない」と思われてしまったのです。それゆえに、パウロのこのアテネ伝道は失敗だった、勢い込んで語り始めたのはよかったけれども、結局は相手にされなかったのだ、と考える人もいます。しかしそうでしょうか。キリストの福音が語られても、このように無視されたり、反対されたり、さらには迫害を受けるということはどこにでもあります。アテネにおいてのみそうだったのではありません。私たちもまた、主イエス・キリストとその救いの恵みを少しでも人に宣べ伝えようとする時に、必ずこのようなことを体験するのです。無視されたり、馬鹿にされたり、「いずれまた」と体よくあしらわれたりするのです。それをいちいち「伝道の失敗」などと言っていたらきりがありません。むしろここでしっかり見つめるべきことは、34節に「しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた」とあることです。多くの人々から相手にされず、適当にあしらわれてしまったパウロでしたが、しかし彼が語ったみ言葉によって信じる人もいたのです。神様のみ言葉が語られる時には、必ずこのようなことが起こります。たとえ数は少なくても、それを受け入れ、信じて、悔い改める人が生まれるのです。もともとは自分の思想や感覚で神様のことを考え、思い描いており、その結果,神様を本当に知ることができなかった者が、方向転換して、神様が独り子イエス・キリストにおいてご自身を示して下さった、そのみ言葉によって神様と出会い、そのみ言葉が語る恵みを受け入れる人へと変えられるという、神様のみ業としか言いようのない奇跡が起こるのです。その奇跡が、今この礼拝に集っている私たち一人一人に、新たに起ろうとしているのです。神様は私たちに、今、悔い改めることを求めておられます。私たちはその求めにどう答えるのでしょうか。「いずれまた」と言って逃げてしまうのでしょうか。しかし「いずれは」と思っている間は、「いずれ」はいつまでたっても「いずれ」であって、「今」にはなりません。そして「いずれ」と言っている限り神様は私たちにとって「知られざる神」であり続けるのです。今という時を捕えて、悔い改め、独り子イエス・キリストの十字架の死と復活とによってご自身を示して下さっている神様を受け入れることによってこそ、私たちは神様を本当に知り、信じることができるのです。

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