主日礼拝

キリスト者とは

「キリスト者とは」 牧師 藤掛 順一

・ 旧約聖書; イザヤ書、第43章 1節-7節
・ 新約聖書; 使徒言行録、第11章 19節-30節
・ 讃美歌 ; 276、280、396
・ 奉唱  ; 42

 
アンティオキア教会
 本日の聖書の個所、使徒言行録第11章19節以下には、アンティオキアという町に教会が誕生したことが語られています。このことは、教会の歴史において、大きな転機となった特筆すべき出来事でした。どのような転機となったのか。それについては三つのことをあげることができます。まず第一に、このアンティオキア教会は、ユダヤ人でない、異邦人を主なメンバーとして成立した最初の教会である、ということです。第二は、このアンティオキア教会が、パウロの伝道旅行の根拠地となった、ということです。初代のキリスト教会における最大の伝道者パウロは、本日の所ではまだ「サウロ」という名前ですが、彼は三度にわたって大伝道旅行を行ない、各地に教会を築きました。そのパウロを伝道旅行に送り出したのはこのアンティオキア教会だったのです。アンティオキア教会は、パウロの伝道によって、アジアからヨーロッパにかけての多くの教会を生み出す母体となったのです。第三のことは、このアンティオキアにおいて、キリストを信じる者たちが初めて、「キリスト者」と呼ばれるようになった、ということです。英語で言えば「クリスチャン」という言葉です。それは「キリスト教徒」を意味する言葉として日本語としても定着しています。日本語で表現すれば「キリスト者」です。キリスト信者をそう呼ぶことがこのアンティオキアで始まったのです。アンティオキア教会はこの三つのことにおいて、大変重要な役割を果たしました。本日は、このアンティオキア教会の誕生と成長の様子を見ていきたいと思います。

散らされた人々の伝道
 先ず、アンティオキアという町について知っておかなければなりません。その位置は、聖書の巻末にある付録の地図の7「パウロの宣教旅行1」を見ていただきたいと思います。地中海の東の南北に走る海岸線が西に90度折れる直前のあたりにアンティオキアがあります。この町は当時、ローマ帝国シリア州の首都であり、ローマ、エジプトのアレクサンドリアに次ぐ、ローマ帝国第三のマンモス都市で、その人口は80万人にも上っていたと言われます。そのことからわかるように、この町は商業、貿易の中心であり、様々な民族の人々が暮らす国際都市でした。つまり、異邦人を主たるメンバーとする教会が生まれるには最も条件が整った町だったのです。けれども、だからといってそう簡単にこの教会が生まれたわけではありません。19節にこうあります。「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」。ここで話は第8章に戻ります。「ステファノの事件をきっかけにして起った迫害」というのは8章1節の後半に語られていたことです。このようにあります。「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った」。そしてその後の4節には「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」とあり、この迫害によってエルサレムから散らされて行った人々が各地で伝道をしたことが語られていました。その一環として、フィリポのサマリア伝道や、エチオピア人の宦官への伝道があったわけですが、別の人々が、ユダヤから地中海沿岸を北へと進んでフェニキアへと、さらにキプロス島にも渡り、そしてシリアのアンティオキアへと伝道をしていったのです。このように彼らは、迫害によってエルサレムから追われるという苦しみを、逆に新たな伝道の機会として積極的に用いていきました。教会の歴史にはよくこういうことが起こります。迫害が逆に伝道の進展へとつながるのです。それは教会が神様の力によって、聖霊の働きによって導かれ歩んでいることの印であると言えるでしょう。
 ところで、ステファノの殉教をきっかけにして迫害を受けたこの人々は、ギリシャ語を話すユダヤ人たちです。ユダヤ本国でなく外国で生まれ育ち、当時のこの地域の共通語であったギリシャ語を話すユダヤ人である彼らは、本国生まれのユダヤ人たちよりも視野が広く、諸民族との交流もおのずから多かったので、いろいろな地域で伝道をしていきやすかったのです。けれども、その彼らも、当初は19節の終わりにあったように、「ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」のです。視野の広い彼らにしてもやはりユダヤ人です。ユダヤ人のみが神様の民であり、救いにあずかる者だ、という意識は彼らの中にも根強くあったのです。ですから、アンティオキアがどんなに国際都市であっても、だから異邦人にも神の言葉を語り、伝道していこう、ということには、なかなかならないのです。ユダヤ人が異邦人への伝道に踏み切るのがいかに大変なことであるか、を私たちは10章から11章前半にかけて、ペトロのコルネリウスへの伝道において見てきました。そこに語られていたのと同じ困難がここにもあったのです。
 しかし、アンティオキアに来た人々の中には、何人かの、勇気をもって新しい伝道に積極的に挑戦し、新しい道を切り開いていこうとする人々がいました。そのことが20節に語られています。「しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた」。キプロス島や、キレネ、それはアフリカの、エジプトの西、今のチュニジアのあたりですが、それらの地方の出身者が、アンティオキアにおいて、「ギリシャ語を話す人々」にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせ始めたのです。ここに「ギリシャ語を話す人々」とあるのは「ギリシャ人」のことです。以前の口語訳聖書ではそうなっていました。「ギリシャ語を話す人々」というと、先程の「ギリシャ語を話すユダヤ人」という意味にもとられかねませんが、ここは文脈から言って、それまではユダヤ人以外には伝道をしていなかったのが、この人々が「ギリシャ語を話す人々」にも語りかけ、伝道していった、ということなのですから、ユダヤ人でない異邦人でギリシャ語を話す人々に、という意味です。異邦人への伝道が、この人々によって、アンティオキアにおいて始まったのです。

イエスは主である
 この人々は何故、あのユダヤ人と異邦人との厚い壁を乗り越えて伝道をすることができたのでしょうか。そのヒントは、「主イエスについて福音を告げ知らせた」という言葉にあると思います。ここは直訳すれば、「主イエスを宣べ伝えた」です。その「宣べ伝えた」という言葉が、「福音を宣べ伝えた」という意味なのです。ですから説明的に訳すならば、「主イエスを宣べ伝えることによって福音を宣べ伝えた」ということです。彼らは、主イエスを、つまり、イエスこそ主である、ということを語ったのです。彼らの心を満たしていたのは、「イエスは主である」という確信でした。イエス・キリストこそ私たちの主であられる、そのイエスの主としてのご支配を彼らは深く感じていたのです。そしてそのご支配は、ユダヤ人のみではなく、全ての人々に、異邦人にも及んでいる、主イエスのご支配の外にいる者は一人もいない、そう信じたから、彼らは異邦人にも、「イエスこそ主である」と語っていくことができたのです。ここに、伝道の本質に関わる真理が示されています。伝道を可能にするのは、相手にいかに神様を、キリストを信じさせるか、というテクニックではありません。大切なことは、この人もまた、主イエス・キリストのご支配の下にある、と信じることです。神様のご支配がこの人にも及んでいると信じることから、勇気ある、新しい伝道が生まれるのです。およそ、教会が生まれ、成長していくところにはこの信仰が息づいています。私たちの横浜指路教会もそうでしょう。ヘボンにせよルーミスにせよ、彼らが幕末や明治初年の、全くの異教国である日本に伝道に来たのは、ここもまた主なる神の支配される地であり、この国の人々もキリストのご支配のもとにあると信じていたからです。伝道を支えるのは、この信仰なのです。この信仰に固く立つことによって、教会は、新しい伝道の業に、勇気をもって取り組んで行くことができるのです。

主のみ手の助け
 しかし、21節に語られていることも見落としてはなりません。「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった」。アンティオキア教会の誕生と成長は、主なる神様が共にいて助けて下さったことによるのです。ここは直訳すると「主のみ手が彼らと共にあった」となります。「イエスこそ主である」という信仰によって、勇気をもって伝道をしていくところに、主イエスがみ手を添えて下さるのです。伝道の実りを生み出すのは私たちの力ではなく、主のみ手です。主のみ手のお働きが即ち聖霊のお働きでもあります。私たちは、伝道のためにいろいろと計画を立て、それを実行していきますが、そこにおいて、聖霊のお働きを求め、私たちの思いや計画を主のみ手に委ねていくことが大切です。自分の力で何かができると思ったり、逆に自分の力ではとても無理だ、何もできない、と思うことはいずれも、人間の思い上がりです。主のみ手が働いて下さるなら、何の力もないちっぽけな私たちを通して、主のみ業が行なわれるのです。アンティオキア教会の礎を据えた人々は、名前も残っていない、特に大伝道者だったわけではない、普通の信者たちです。しかし彼らが主イエスのご支配を信じて勇気をもって伝道していったことによって、そこに主のみ手が働き、多くの異邦人たちが、信じて主に立ち帰った、つまり悔い改めて主イエスを信じ、教会に加えられたのです。

バルナバの派遣
 さてこのようにアンティオキアに異邦人を中心とする教会が生まれたことがエルサレムの教会に伝わり、そこから使者が遣わされました。そのことが22節以下に語られています。エルサレム教会はバルナバをアンティオキア教会に派遣したのです。バルナバがアンティオキアに来てしたことが23節にこのように語られています。「バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた」。バルナバは、異邦人にも福音が宣べ伝えられ、彼らが信じて主に立ち帰り教会に加えられている様子を見て、それを「神の恵みが与えられた」こととして喜んだのです。これは何でもないことのようですが、実はとても重大なことです。バルナバは、エルサレムの、使徒たちを中心とするユダヤ人の教会からの使者として来たのです。その彼が、異邦人を中心とするアンティオキア教会をどのように見て、何を語るかは、ユダヤ人の教会と異邦人の教会の今後の関係を左右します。もしも彼が、異邦人たちが多数加わっているアンティオキア教会の有り様を喜ぶことができず、異邦人は神様の民に加えられるべきではない、このような群れはまともな教会ではない、という思いを抱いたとしたら、エルサレムのユダヤ人たちの教会と、アンティオキアの異邦人を中心とする教会は共に歩めなくなります。そうなったら、ユダヤ人の教会は狭い民族主義的な教会となり、異邦人の教会はユダヤ人に与えられた神様の民としての歴史、具体的には旧約聖書というルーツを持たない全くの新興宗教となって、いずれも衰え滅びていってしまったでしょう。しかしバルナバはアンティオキア教会の様子を、「神の恵みが与えられた有様」として見て、喜んだのです。異邦人にも主イエスの福音が伝えられ、彼らがそれを信じて主に立ち帰ったことを神様の恵みのみ業として感謝したのです。このことによって、エルサレム教会とアンティオキア教会はよい関係を築き、主イエスを信じる者の群れとして共に歩むことができるようになったのです。

慰めの子
 このバルナバについて、24節には「立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」と語られています。既に読んだ4章の36節にもバルナバのことが出てきていました。そこによれば、バルナバというのはあだ名で、彼の本名はヨセフです。使徒たちからバルナバと呼ばれていたのです。その意味は「慰めの子」です。そのようなあだ名が自然につくような人だったのです。「慰めの子」、その慰めという言葉は、励ましとも勧めとも訳せる言葉です。つまりバルナバは、人を慰め、励まし、勧めるという豊かな賜物を与えられていた人だったのです。「聖霊と信仰とに満ちていた」というのは具体的にはそういうことです。彼がアンティオキアに来てしたこともまさにその賜物によることでした。彼は異邦人たちが多く加わっているこの教会の有り様を、それまでの常識によって、神の民の本来のあり方と違うと言って裁くのではなく、そこに、神様の新しい恵みのみ業を見て喜んだのです。人を慰め、励まし、勧めを与えることはこのようにしてなされます。つまり、相手の欠点や弱さ、あるいは自分の考えや従来の常識と違う点を見つめてそれを批判したり裁いたりするのでなく、むしろ相手に与えられている神様の恵みを見つめ、それを共に喜ぶということにおいてこそ、人を慰め、励まし、勧めを与えることができるのです。バルナバはそういうことができる人でした。エルサレム教会が彼を遣わした、その人選はまことに適切だったのです。

主から離れないように
 彼はアンティオキア教会の人々に、「固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧め」ました。この「勧める」があの「慰めの子」における「慰め、励まし、勧める」と同じ言葉です。彼はこの勧めをもって、アンティオキアの人々を慰め、励ましたのです。その内容は、「主から離れることのないように」ということです。イエスこそ主である、という福音を聞いて信仰者となった彼らに、固い決意をもってその主イエスのもとにしっかりと留まり続けることを勧めたのです。これはまことに適切な勧めです。主イエス・キリストを信じて教会に加えられた異邦人たちが、その主のもとにしっかり留まり続け、主イエスによる神様の民としての生涯を全うしていくことこそが、今アンティオキア教会でなされている新しい伝道、異邦人を中心とする新しい教会の形成が真実に神様の恵みのみ業であったことを証明するのです。教会においてなされる新しい伝道の試み、新しい課題への挑戦が、一時の人間の感情の燃え上がりによってパッと燃え上がったがじきに消えてしまって尻切れとんぼになってしまうとしたら、それは単なる人間の業であり、神様のみ業ではないのです。教会は、伝道は、継続されることが大事です。私たちの信仰も、一時熱心に燃え上がることよりも、信仰を持ち続けること、生涯主のもとに留まり、信仰者であり続けることが大事です。そのことによってこそ、力強い伝道が、証しがなされていくのです。

サウロをアンティオキアへ
 バルナバがアンティオキア教会のためにしたもう一つの大事な働きは、タルソスにサウロを捜しに行き、彼を連れ帰って共に伝道したということです。9章の26節には、主イエスとの不思議な出会いによって回心し、迫害する者から伝道者となったサウロと、そのサウロの回心をなお疑いの目で見ていたエルサレム教会の使徒たちとの間を取り持ち、サウロが使徒たちの仲間になれるようにしたのがこのバルナバだったことが語られていました。ここにも、「慰めの子」としての彼の本領が発揮されています。慰めと励ましと勧めを与えることができる人は、それによって、人と人との間の和解のとりなしをもすることできるのです。またバルナバは、神様がサウロを、異邦人たちに福音を宣べ伝えるための器としてお選びになったことを知っていました。それで、アンティオキアに誕生した、異邦人を中心とする教会を見た時に、サウロに与えられた神様の賜物が生かされるのはここだ、と確信して、彼を連れて来たのです。人に与えられている神様の賜物を受け入れ、喜ぶことができる「慰めの子」であるバルナバは、その人の賜物が最も生かされる場を見出すこともできたのです。バルナバはそのように、人を本当に生かすことができる人でした。彼が「慰めの子」と呼ばれた所以がここにあるのです。このバルナバの的確な判断によって、アンティオキア教会は、パウロによる異邦人への伝道の拠点へと成長していくことができたのです。

異邦人とユダヤ人の一致
 そしてもう一つ、27節以下に語られていることもここで見ておきたいと思います。大きな飢饉が起った時に、アンティオキア教会の人々は、ユダヤに住む兄弟たち、つまり具体的にはエルサレム教会のユダヤ人信徒たちに、援助の品を送ったのです。それを携えてエルサレムに届けたのがバルナバとサウロだったと30節にあります。おそらくこのことも、バルナバの提案によることだったのではないかと思います。彼はこのことによって、アンティオキアの異邦人を中心とする教会と、エルサレムのユダヤ人の教会との間に、よい関係を、互いに助け合い、支え合う関係を築こうとしたのです。彼はそのように、エルサレムの教会とアンティオキア教会との一致の架け橋となろうと努めています。それは、慰めの子であるバルナバらしい働きです。そして彼はこの働きにサウロを伴っています。異邦人教会とユダヤ人教会の一致の大切さを、バルナバはサウロに身をもって教えようとしたのだと思います。後に異邦人の使徒となったパウロは、このバルナバからの教えを忠実に受け継いでいったのです。

キリスト者とは
 このアンティオキアで、キリスト信者たちが初めて「キリスト者」と呼ばれるようになりました。これはアンティオキアの人々が、教会に連なる信者たちのことを呼んだあだ名です。このあだ名が好意的な思いでつけられたのか、それとも悪意や軽蔑をもってつけられたのかははっきりしません。いずれにしても、アンティオキア教会の人々は「キリスト者」と呼ばれたのです。それはもっとあだ名的に訳せば、「キリストの輩、キリスト男、キリスト女」ということです。何故そのように呼ばれたのでしょうか。それは彼らが機会あるごとに、イエス・キリストのことを語ったからでしょう。あまりキリスト、キリストと言うので、「口を開けばキリストと言う連中」という意味で、「あれはキリスト男だ、キリスト女だ」と呼ばれるようになったのです。ここに、アンティオキア教会の人々の力強い活発な伝道の姿が伺えます。彼らの伝道は単純でした。要するに、「主イエス・キリスト」を宣べ伝えたのです。「イエスこそ主であり、救い主キリストである」と語り続けたのです。みんなから、「おまえはキリスト男だ、キリスト女だ」と言われるまで語り続けたのです。彼らはそのように呼ばれることを、むしろ喜びをもって受け止めました。「そうだ、私はキリスト男だ、キリスト女だ。この私のために主イエス・キリストが十字架にかかって死んで下さり、復活して新しい命を与えて下さった。私はこのキリストを信じ、その救いの恵みにあずかり、そのみ名を呼びつつ生きている。キリスト者と呼ばれるに勝る光栄はない」。そのようにして、信仰者たちも自らを「キリスト者」と呼ぶようになったのです。本日共に読まれた旧約聖書の個所は、イザヤ書第43章のはじめのところです。主なる神様はここで、イスラエルの民に、「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのものだ。わたしはあなたの名を呼ぶ」と語りかけておられます。神様が名を呼んで下さり、あなたはわたしのものだ、と言って下さる、それが救いです。そして神様は7節においてその救いにあずかる人々を、「彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者」と言っておられます。主なる神様のみ名によって呼ばれる者となること、それが救いにあずかることなのです。私たちが「キリスト者」であるということにおいて、この恵みが実現しています。私たちは、主イエス・キリストのみ名によって呼ばれる者とされているのです。そこに私たちの救いと、大いなる喜びがあります。キリスト者として生きるというのは、ある倫理的道徳的な規範を守って生きることではありません。「あの人は立派な人だ」と言われるような生き方をすることでもありません。キリストのみ名によって呼ばれる者として、主イエス・キリストによる罪の赦しの恵みを信じ、人々が私たちを、あれはキリスト男だ、キリスト女だ、キリストなしには夜も日も明けないやつだ、と言うに至るまで、その主のもとにしっかりと留まって生きることです。そこに、私たちの真実の喜びがあり、まことの慰めがあるのです。

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