夕礼拝

救いを待ち望む

「救いを待ち望む」 伝道師 川嶋章弘

・ 旧約聖書:詩編 第49編1-21節
・ 新約聖書:ルカによる福音書 第2章22-38節
・ 讃美歌:136、180

律法の定めにしたがって
 前回の聖書箇所の最後、21節には「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた」とありました。生まれてから八日目に割礼を施すのは旧約聖書の律法に定められていたことです。また本日の聖書箇所の最初、22節の前半には「モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき」とあります。さらに23節にも「主の律法に…書いてあるからである」とあり、24節にも「主の律法に言われているとおりに」とあります。つまり22-24節で、お生まれになった御子が律法の定めにしたがったことが言われているのです。なぜ神さまの独り子がわざわざ律法の定めにしたがう必要があったのでしょうか。お生まれになった御子はイスラエルの民の救い主であるだけでなく、すべての人の救い主です。民族や国家といった境界を越えてすべての人に救いをもたらすお方です。そのようなお方が一つの民に与えられた律法にしたがったことに、私たちは少なからず違和感を覚えます。私たちが生まれたとき、法律にしたがって出生届を役所に提出するのと大して変わらないようにさえ思えるのです。しかしルカは「モーセの律法」ないし「主の律法」という言葉を繰り返し語っています。ルカはお生まれになってから、御子があくまでも律法にしたがって歩まれたことを語っているのです。ここでルカが言及しているのは律法の二つの規定です。その二つの規定が混ざって語られているために、22-24節は分かりづらくなっています。

清めの期間
 一つの規定は、レビ記12章にある出産についての規定です。男の子が生まれた場合、生まれてから八日目にその子に割礼を施し、母親は出血の汚れの清めのために40日間、家に留まります。これが22節で言われている「清めの期間」です。私たちにとって出血の汚れの清めは時代錯誤な考えのように思えますが、このことについてある人は「汚れ」という言葉を使ってはいるが、出産休暇と考えたら良いと言っています。「清め」もなにか特別に清められるというより、出産休暇から日常生活へ戻ることだと言うのです。そのように考えれば、レビ記の規定はあながち時代錯誤と言わなくても良いかもしれません。22節の難しさはこのレビ記の規定そのものにあるというより、「清めの期間が過ぎたとき」に続いて「両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った」と述べられていることにあります。ここで言われていることはレビ記の出産の規定とは関係ありません。この規定は子どもを産んだ母親に対するものであり、割礼を施すことを除けば生まれてくる子どもに対するものではありません。むしろレビ記の出産についての規定は22節の後半と23節を飛び越して24節に続いています。24節に「主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった」とあります。これは、出産した母親の清めの期間が終わると、母親は二羽の山鳩または二羽の家鳩を祭司のところへ持って行き、祭司が贖いの儀式を行うことによって母親が清められると、レビ記に定められていたからです。ではレビ記の出産についての規定に挟まれて、22節の後半と23節ではなにが述べられているのでしょうか。

初子の奉献
 そこで述べられているのは、ヨセフとマリアが幼子イエスを主に献げたことです。それは、23節にあるように「主の律法に『初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される』と書いてあるから」ですが、そのことは出エジプト記13章2節では次のように述べられています。「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。」この律法にしたがって、ヨセフとマリアは幼子イエスを主に献げたのです。しかしこのことのために、幼子イエスがその場にいる必要はありません。さらに言えば、レビ記の出産の規定においても、出エジプト記の初子の奉献の規定においても祭司がいるところであればどこでも行えたのであり、わざわざ幼子イエスをエルサレム神殿へ連れて行く必要はなかったのです。ですからルカが22-24節で、幼子イエスが律法の定めにしたがったと繰り返し語っているのは、律法の規定を厳密に幼子イエスに当てはめるためではなく、幼子イエスがエルサレム神殿へ来たのは律法の定めによるのだ、ということを強調するためです。それは、25節以下で語られる神殿での幼子イエスとシメオンの出会い、あるいはアンナとの出会いの場面設定のためだけではありません。律法の定めにしたがったことを強調することによって、神さまの独り子が真の人となられたとはどういうことかを語っているのです。

律法の下に生まれた者として
 私たちが生まれたときに出生届を役所に届けるのは、生まれた国の規則に従っているからです。私たちは真空地帯に生まれたのではなく、特定の時代に、特定の国や民族に属して生まれてきました。それは、私たちが時代の制約の下に、自分が属する国や民族の制約の下に生まれてきたことを意味します。それが、人として生まれるということです。神の独り子であり、真の神である主イエス・キリストが真の人となってくださったということは、主イエスもまた特定の時代に、特定の国や民族に属して生まれたことにほかなりません。ルカが、律法の規定の厳密さにこだわらず、しかし生まれてきた御子が律法の定めにしたがったと強調するのは、主イエスがユダヤ人として律法の下に生まれたことを告げるためです。律法の下に生まれてくださったことによって、主イエスは律法の支配の下にいた私たちとまったく同じ者となってくださいました。真の神である主イエス・キリストが私たちと同じ人となってくださり十字架に架けられ死んでくださったことによって、私たちは律法の支配から解放されたのです。このことをガラテヤの信徒への手紙4章4節以下でパウロは次のように述べています。「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。」つまり神さまは、律法の支配下にある私たちを贖い出し神の子とするために、御子を律法の下に生まれた者として遣わしてくださったのです。幼子イエスが神殿でシメオンと出会うだけなら、あるいはアンナと出会うだけなら、律法の定めにしたがってと語らなくても良かったでしょう。22-24節は25節以下の場面設定であるだけでなく、そこにおいてルカは神の独り子が律法の下に生まれてくださったと示すことで、主イエス・キリストによる律法の支配への勝利をすでに見据えているのです。

シメオン
 さて25節にシメオンが登場します。36節にはアンナが登場しますが、シメオンについて語られている部分のほうがアンナについて語られている部分よりずっと長いにもかかわらず、シメオンがどのような人物であったかはアンナほど明らかではありません。しばしばシメオンは老人であったと言われます。確かにそのように読むのが自然かもしれません。しかしアンナが明らかに高齢であったと書かれているのに対して、シメオンの年齢は定かではありません。またアンナは女預言者と呼ばれていますが、シメオンについては預言者とも祭司とも書かれていません。ただ「エルサレムにシメオンという人がいた」と書かれてあるだけです。シメオンは特別な地位や身分のある人物ではなかったのではないでしょうか。エルサレムでごく普通に暮らしていた人物だったのです。そのようなシメオンについて、ルカは次のように語ります。「この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。」ルカがシメオンについて語っているのは、聖霊なる神さまがシメオンと共にいたということです。そしてシメオンはイスラエルの慰められるのを待ち望んでいました。そのシメオンに聖霊なる神さまは「メシアに会うまでは決して死なない」と告げていたのです。これは、シメオンは高齢で死期が近いけれどキリストに会うまでは決して死ぬことはない、なんとか生きながらえることができるということではないでしょう。そうではなく、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいたシメオンには約束が与えられていたのです。それが「メシアに会うまでは決して死なない」という聖霊なる神さまの言葉です。この約束が与えられていたからこそシメオンは待ち望むことができたのです。シメオンが聖霊に導かれて神殿に入っていくと、ヨセフとマリアが幼子イエスを神殿へ連れて来たところに出くわしました。聖霊の働きによってシメオンと幼子イエスとの出会いが起こったのです。

救いを見る
 シメオンは幼子イエスを腕に抱くと神を賛美しました。その賛美が29-32節です。29節に「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます」とあります。彼はその理由を30節で「わたしはこの目であなたの救いを見たから」だと言っています。ここで注目したいのは、シメオンが「救い主」を見たとは言っていないことです。彼は「救い」を見たと言っているのです。神さまの救いそのものを見たのです。信じるとは、見えるものではなく見えないものを信じることだとしばしば言われます。ここでシメオンは、確かに自分の両目で幼子イエスを見ています。しかし彼は目に見える幼子イエスを見て、目に見えない神の救いを見たと言っているのです。誰もが幼子イエスを見てそこに神の救いを見ることができるわけではありません。そして神の救いを見ることができなければ「安らかに去る」ことはできません。シメオンは見えない神の救いを信じる信仰によって「安らかに去る」のです。「安らかに去る」とはどういうことでしょうか。「安らかに」とは「平和のうちに」ということです。ここで言う平和は、人の力によって作り出すものではありません。主イエス・キリストによる平和です。主イエスが十字架で死んでくださることによって神さまと人との関係が回復され、そのことによって神と人との間に実現する平和です。シメオンは神の救いを見て、十字架において主イエス・キリストによって打ち立てられることになるこの平和のうちに去ることができると言っているのです。このことは、シメオンが幼子イエスと出会った直後に地上の歩みを終えたということでは必ずしもないでしょう。しかしどんな人もいつか必ず地上の歩みを終えます。私たちの地上の歩みには、多くの苦しみがあり悲しみがあります。受け入れることなどできないと思える不条理な出来事にも幾度となく直面します。それは、私たちだけでなくシメオンも同じです。彼が生きた時代も決して平穏であったわけではありません。ローマ帝国の支配の下にあったユダヤで彼は困難な時代を生きたに違いありません。しかしそうであるにもかかわらず、神の救いを見て彼は平和のうちにこの地上から去ることができたのです。私たちはこの地上の歩みを終えるとき持っていたものをすべて失います。詩編49編18節には「死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず 名誉が彼の後を追って墓に下るわけでもない」とあります。しかしシメオンは持っていたものをすべて失ってなお平和のうちにこの地上から去ったのです。ルカは福音書と使徒言行録を通して、福音がユダヤ人から異邦人へと広がっていくことを語ります。31節でシメオンは「これは万民のために整えてくださった救い」だと言っています。「整える」とは「備える」ことです。ですからここで、シメオンが見た神の救いが、すべての人のために備えられた救いであると言われているのです。すべての人には、ユダヤ人でない人、つまり異邦人が含まれます。だから32節で神の救いは「異邦人を照らす啓示の光」であると言われているのです。ですからシメオンが語る言葉は、ルカ-使徒言行録を通して語られる神の救いが異邦人へと広がっていくことを先取りしていると言えます。しかしこのことは多くのユダヤ人にとって歓迎できることではありませんでした。ユダヤ人は自分たちだけの救い主を待ち望んでいたからです。けれどもシメオンが告げたのは、ユダヤ人だけでなく異邦人も含むすべての人の救い主です。それは、多くのユダヤ人にとって喜びであるどころか受け入れがたいことであったのです。

思いがあらわに
 34節に「シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った」とあります。そのまま読めばシメオンはマリアとヨセフを祝福し、マリアに祝福の言葉を告げたのだと私たちは思います。しかしシメオンがマリアに語ったのはイエスの受難です。主イエスは「反対を受けるしるしとして定められている」と言われています。また「多くの人の心にある思いがあらわにされる」とも言われています。ここで言われている「思い」とはなにか漠然とした思いではありません。むしろ明確な考えや意志を持つ「思い」です。主イエスはユダヤ人が期待した通りの救い主ではありませんでした。そのために彼らの心には失望が起こり、やがてそれは主イエスに対する敵意となります。彼らの思い通りにならない主イエスへの敵意です。その敵意が主イエスを受難の道へと歩ませるのです。このことは私たちにとっても他人事ではありません。私たちも思い通りになる神さまを求めるのです。どのようなことであれ自分の思い通りになってほしいという激しい思いに私たちは駆られます。私たちの心は自己中心的な思いで占められているのです。そして自分で自分の思いを実現することを求めます。そのような自己実現の願いに私たちはがんじがらめにされているのです。私たち自身がそのような者であるだけでなく、私たちが生きている社会が自己実現を求める強い圧力の下にあります。主イエスとの出会いはそのような私たちの心にある思いをあらわにするのです。

アンナ
 36節にアンナという女預言者が登場します。アンナは非常に年をとっていたとはっきり記されています。彼女は若くして結婚し、七年間夫と共に暮らしたものの夫に死に別れ八十四歳になっていました。若くして結婚するとは何歳ぐらいを意味するのかはっきりしませんが、10代半ばぐらいだったとすれば彼女は60年間ずっと寡婦(やもめ)として過ごしたのです。その彼女が幼子イエスと出会い、「エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した」のです。彼女は早くして夫と別れ、怒涛のような時代を寡婦として過ごしてきました。その生涯は苦しみに満ちたものであったでしょう。しかしそのような歩みにおいてすら彼女は神殿を離れず昼も夜も神に仕えていたのです。エルサレムの救いを待ち望んでいたのは、ほかならぬアンナ自身であったに違いありません。

救いを待ち望む
 シメオンはイスラエルの慰められるのを待ち望みました。アンナはエルサレムの救いを待ち望みました。この二人は自分の願いを実現することではなく、神の救いが実現することを待ち望んだのです。どれほど時代が混乱していたとしても、どれほど時間が過ぎたとしても、ただひたすら神の救いを待ち望みました。この姿にシメオンとアンナの信仰が表れています。待ち望むこと。それは私たちの信仰において大切な姿勢です。けれども私たちが生きている現代において、待つことは人気のあることではありません。多くの人は待つことが時間の無駄だと考えています。私たちは待ちたいと思わないし、待つことができません。いつも絶えずせわしなくしています。私たちはなぜ待てないのでしょうか。それは、私たちの心を恐れが支配しているからです。待っていてはほかの人から遅れてしまう。待っていては自己実現などできない。だから立ち止まってはだめだ。もっと動き回らなくてはだめだ。そのような恐れに駆り立てられているのです。なによりも私たちは神さまの御業が実現するのを待つことができません。神さまの御業の実現を待つのではなく、自分でなんとかしようと思うのです。自分でなんとかできると思うのです。しかし神さまの救いを信じるとは、シメオンとアンナのように神さまの救いを待ち望むことにほかなりません。私たちはすでに主イエス・キリストの十字架による救いが実現したことを告げられています。私たちはまさに主イエス・キリストの十字架において神の救いを見たのです。しかしその救いは今なお完成したわけではありません。ルカがシメオンとアンナについて語ったのは、ルカが福音書を書いた時代にキリスト者たちの間に動揺があったからだと思います。復活して天に昇られたキリストがすぐ来てくださると思っていたのに、なかなか来てくださらない。本当にキリストは再び来てくださるのだろうか、そのような不安と動揺があったのです。それは私たちが抱いている不安と動揺でもあります。本当にキリストは再び来てくださるのか。いつ来てくださるのか。いつまで待たなくてはならないのか。この世にあってそのような嘆きと呻きを持って歩んでいる私たちに、シメオンとアンナの姿は救いの完成を忍耐強く待ち望むことを示しています。終りの日にキリストが再び来られ、神さまの支配が完成することを待ち望むようにと私たちを励ますのです。私たちにはいつキリストが再び来てくださるのか分かりません。しかし私たちには希望が与えられています。主イエス・キリストの十字架と復活によって救われ、キリストと結ばれ、終りの日にキリスト共に復活し永遠の命に与る、その希望が与えられているのです。たとえ終りの日が来る前に地上の歩みを終えるとしても、私たちはその希望によって主イエス・キリストによる平和のうちに地上から去っていくことができます。死を恐れることなく、時代の混乱に惑わされることなく、復活の希望をしっかり見据えてキリストの救いが完成するのを待ち望むのです。先が見えない時代にあっても、私たちは安心して、ただひたすらキリストが再び来てくださるのを待ち望みつつ歩むことができる恵みの中に入れられているのです。

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