夕礼拝

油注がれた王

説 教 「油注がれた王」牧師 藤掛順一
旧 約 列王記下第9章1-37節
新 約 ルカによる福音書第24章25-27節

イエフによるクーデター
 月に一度私が夕礼拝の説教を担当する日には、旧約聖書列王記下を読み進めており、本日は第9章を読みます。ここには、イスラエル王国において起こった政権交代のこと、もっとはっきり言えば王の家臣がクーデターを起こして王を殺し、新たな王となったことが語られています。そのイスラエル王国というのは、ダビデ、ソロモンの下での統一王国がソロモン王の死後、南ユダと北イスラエルに分裂して生まれた北王国イスラエルのことです。北王国イスラエルにおいては、このようなクーデターによる王朝の交替がしばしば起こりました。この9章で殺された王はヨラムですが、その父はアハブ、その父つまりヨラムの祖父はオムリでした。このオムリが、自分の主君であった前の王ジムリを殺して王となったのです。実はそのジムリも、主君を殺して王となったのですが、彼の天下は七日間しか続かず、家臣だったオムリに殺されたのです。つまり、ジムリがクーデターを起こしたけれども、その混乱の中でオムリがジムリを殺して王になった、ということです。そのようにして成立したオムリ王朝は孫のヨラムまで続きましたが、この9章においてやはり家臣であったイエフのクーデターによってヨラムは殺され、今度はイエフ王朝が誕生したわけです。南王国ユダにおいては、基本的にダビデの子孫によるダビデ王朝が続きましたが、北王国イスラエルにおいては、このようなクーデターがしばしば起こり、王朝が何度も交替しているのです。

主なる神のみ心による王朝の交替
 この王朝交替に、主なる神の預言者エリシャが深く関わっていたことが、この9章の始めのところに語られています。エリシャが、若い預言者を、ヨラム王の将軍たちが集まっているところに遣わして、その中の一人であるイエフの頭に油を注がせて、「主はこう言われる。わたしはあなたに油を注ぎ、あなたをイスラエルの王とする」と言わせたのです。油を注ぐことは、主なる神がその人を大事な務めへと立て、任命することのしるしです。つまりこの若い預言者は、エリシャの命を受けてイエフに、主なる神があなたをイスラエルの王として立てる、と告げたのです。イエフがそのことを仲間の将軍たちに伝えると、彼らもイエフが王となることを受け入れて、「イエフが王になった」と宣言しました。こうしてイエフによるクーデターが始まったのです。つまりこのクーデターは、エリシャが若い預言者を通してイエフに主なる神のご意志を告げたことによって始まったのです。
 イエフをイスラエルの王とする、という主なる神のご意志は、エリシャの前の預言者であるエリヤに既に示されていました。そのことが列王記上の第19章15節以下に語られていました。先月第8章を読んだ時にもそのことに触れましたが、エリヤはこの時主なる神から、三人の人に油を注ぐことを命じられたのです。第一の人は、イスラエルの隣国であり、しばしばイスラエルと戦っていたアラムのハザエルという人です。この人に油を注いでアラムの王とせよ、と主はお命じになったのです。そこには、主なる神のご支配がイスラエルのみでなく、隣国にも、つまり世界全体に及んでいることが示されています。第二の人が、本日の箇所でイスラエルの王となったこのイエフです。そして第三の人はエリシャです。エリシャに油を注いで、自分の跡を継ぐ預言者とするようにと主なる神はエリヤにお命じになったのです。そのように、三人の人に油を注いで、二人を王として、一人を預言者として立てる、という主のみ心をエリヤは受けたのですが、エリヤが実際に油を注いだのはエリシャだけでした。ハザエルとイエフに油を注いで、アラムとイスラエルの王とするという主なる神のみ心は、エリヤの後継者となった預言者エリシャの下で実現したのです。そのことが、列王記下の8章と9章に語られています。エリシャがハザエルに油を注ぎ、それによって促されたハザエルが主君を殺してアラムの王となったことが第8章に語られていました。そしてイエフに油が注がれ、彼がやはりクーデターによってイスラエルの王となったことがこの第9章に語られているのです。いずれの王朝交替も、主なる神が預言者を通してお告げになったみ心の実現だったのです。

イズレエルへ
 さてイエフと仲間の将軍たちが「イエフが王になった」と宣言したのは、ラモト・ギレアドにおいてでした。それはヨルダン川の東の「ギレアドの地」で、この時将軍たちは、先ほどのハザエルが率いるアラムとの戦いのためにそこに集まっていたことが14節から分かります。そして15節には、イスラエルの王ヨラムはこの時、戦いで負った傷の治療のために、イズレエルに戻っていたと語られています。イズレエルはヨルダン川の西、北王国イスラエルの中心部分にある町で、そこには王の宮殿がありました。ヨラム王がそこで療養していた間に、イエフはラモト・ギレアドで謀反を起こし、自分が王となることを宣言したのです。そしてそれを実現するために、彼は軍勢を率いてイズレエルへと向かいます。イエフの軍勢がものすごい勢いで近づいて来るのを、イズレエルの見張りの者が発見しましたが、その軍勢が何のために来たのか、ヨラム王には分かりませんでした。しかしイズレエルに到着したイエフは、ヨラムの「イエフ、道中無事だったか」という問いに、22節で、「あなたの母イゼベルの姦淫とまじないが盛んに行われているのに、何が無事か」と答えました。これによってヨラムは、イエフが謀反を起こしたことを知り、その場から逃れようとしますが、イエフの放った矢に心臓を射抜かれて死にました。こうしてイエフのクーデターは成功し、彼が名実共にイスラエルの新たな王となったのです。

アハブとイゼベルの王朝への主の裁き
 さてこの22節に、「あなたの母イゼベルの姦淫とまじないが盛んに行われているのに」とあります。これが、イエフがクーデターを起こした理由ないし大義名分です。ヨラムの父はアハブ王であり、その妻、つまりヨラムの母がイゼベルです。アハブとイゼベルは、北王国イスラエルの歴史において最悪の王と王妃とされている人たちです。イゼベルが、その出身地であるシドンで祀られていた偶像の神バアルをイスラエルに持ち込み、アハブもそれを積極的に応援して、首都サマリアにもバアルの神殿を築いたのです。そして彼らはバアルの預言者たちを重んじて、主なる神の預言者を迫害しました。そういう中で、エリヤが、450人のバアルの預言者と一人で対決して勝利したことが列王記上18章に語られていました。しかしそれで大勢が変わったわけではなく、エリヤは逃げ出さなければならなくなったのです。アハブが死んでその子ヨラムの代になっても、母イゼベルはなお健在で、バアル崇拝はイスラエルにおいて盛んに行われ続けていたのです。「あなたの母イゼベルの姦淫とまじないが盛んに行われている」というのはそのことを言っています。イエフは、このバアル崇拝をイスラエルから一掃するためにクーデターを起こしたのです。それこそが、彼が油を注がれた時に主なる神から示されたみ心でした。7節に「あなたはあなたの主君アハブの家を撃たねばならない。こうしてわたしはイゼベルの手にかかったわたしの僕たち、預言者たちの血、すべての主の僕たちの血の復讐をする」とあります。主なる神は、偶像の神バアルをイスラエルに持ち込み、主の僕たちを迫害しているアハブとイゼベルの王朝を裁き、滅ぼすために、イエフに油を注ぎ、イスラエルの王としてお立てになったのです。

 さらに、ヨラムがイエフによって殺され、その遺体が捨てられたのは、イズレエル人ナボトの所有地だった、と21節、25節にあります。それは列王記上21章に語られていた出来事を受けてのことです。アハブ王とイゼベルが、イズレエル人ナボトが所有していたぶどう畑を手に入れようとしましたが、ナボトに断られたので、彼に無実の罪を着せて殺し、その所有地を自分のものにしたのです。そのナボトの所有地だったところで、アハブの子であるヨラムに主の裁きが下ったのです。それはヨラムへの裁きと言うよりも、神の民であるイスラエルを大きな罪へと引き込んだアハブとイゼベルの王朝への裁きであり、主がイエフを用いてその王朝を滅ぼした、という出来事だったのです。

 またこの9章の最後のところには、イゼベルの悲惨な最後のことが語られています。それも、イズレエル人ナボトを殺した罪に対して、列王記上21章23節において主がエリヤに告げたことの実現でした。エリヤに告げられた、イゼベルの数々の罪に対する主の裁きが、エリシャの時代になって、イエフによって実現したのです。
 このように、イエフによるクーデターと、それによる、アハブとイゼベルに代表される王朝の滅亡は、主なる神のみ心によることでした。イスラエルに偶像の神バアル崇拝を持ち込み、主なる神の預言者たちを迫害し、無実の者を陥れてその財産を奪うという罪を重ねてきたこの王朝が、主の裁きによって滅ぼされたのです。主なる神のそのみ心はアハブ王とエリヤの時代に既に示されていましたが、エリヤの後継者エリシャの時代になってついにそれが実現したのです。主はそのためにイエフに油を注いで彼をイスラエルの新たな王としてお立てになったのです。

ネバトの子ヤロブアムの罪
 しかしこのことは、イエフが主なる神に忠実に従う王として歩み、彼によって北王国イスラエルが主なる神のもとに立ち帰って、正しい道を歩んでいった、ということではありませんでした。次の第10章には、イエフがバアルの神殿を破壊し、バアルに仕える者たちを皆殺しにしたことが語られています。そして10章28節には「このようにして、イエフはイスラエルからバアルを滅ぼし去った」とあります。けれども次の29節にはこうあります。「ただ、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪からは離れず、ベテルとダンにある金の子牛を退けなかった」。ネバトの子ヤロブアムというのは、ソロモン王の子レハブアムに反旗を翻して王国を分裂させ、北王国イスラエルの最初の王となった人です。彼は、北王国の人々が南王国のエルサレムに行かなくても神を礼拝することができるようにするために、金の子牛の像を造って、ベテルとダンに置いたのです。つまり北王国の結束のために、十戒の第二の戒めを破って神の像を造り、王国の統治のために神への礼拝を利用したのです。北王国イスラエルは、この「ネバトの子ヤロブアムの罪」によって始まり、その罪を受け継いでいるのです。イエフは、バアル崇拝を一掃した、という点では主なる神のみ心に従いましたが、このヤロブアムの罪から離れることはありませんでした。それゆえに、イエフ王朝の成立は、イスラエルが悔い改めて主なる神に立ち帰り、新しく歩み出した、ということにはなりませんでした。10章32節にはこう語られています。「このころから、主はイスラエルを衰退に向かわせられた。ハザエルがイスラエルをその領土の至るところで侵略したのである」。イエフによってバアル崇拝は一掃されても、イスラエルは結局衰退に向かっていったのです。それは先ほどのアラムの王ハザエルの侵略によってだと語られていますが、その根本には、金の子牛の像を造り、神への礼拝を人間のために利用している罪に対する主なる神による裁きがありました。この罪によってイスラエルは滅亡へと向かっていったのです。

イズレエルにおける流血
 そしてさらに見つめておくべきなのは、このイエフによって、まことにおびただしい人々が殺されたことです。本日の9章には、彼のクーデターによって、ヨラム王とその母でありアハブの妻だったイゼベルが殺されたことが語られていました。それに加えて、この時ヨラムを見舞いに来ていた南王国ユダの王アハズヤも、このクーデターに巻き込まれて殺されたことが語られています。9章で命を失ったのはこの三人です。しかし次の10章に入ると、イエフは、アハブの七十人の子どもたちを皆殺しにしています。さらに首都サマリアにおいても、アハブの一族を殺して全滅させています。前の王朝の血を引く者たちを皆殺しにするということは、古代の王朝の交替においてよくなされたことではあります。彼はさらに、ユダの王アハズヤの身内の者たち四十二人をも殺した、と10章12節以下に語られています。そして先ほども述べたように、バアルの預言者、バアルに仕える者、バアルの祭司を集めて皆殺しにしました。イエフによっていったい何人の人が虐殺されたのか分かりません。そういうことを受けて、ホセア書第1章4節にはこう語られています。「その子をイズレエルと名付けよ。間もなく、わたしはイエフの王家にイズレエルにおける流血の罰を下し/イスラエルの家におけるその支配を断つ」。イエフのイズレエルにおける流血はこのように人々の記憶に残り、後々まで語り継がれていったのです。

主に用いられる者も罪人
 イエフは主なる神によって油を注がれてイスラエルの王となり、主のみ心を行いました。しかしそのイエフも、イスラエルが衰退し滅びていくことを食い止めることはできませんでした。それは彼自身も多くの罪を負った人だったからであり、その罪のゆえに彼はおびただしい人々を虐殺したのです。主なる神によって油を注がれて王となった人によってこのような大量虐殺が行われた、という事実は私たちをとまどわせます。しかしそこに、私たちがしっかり見つめておかなければならないことが示されていると思います。私たちは時として、神のみ心を行う使命を与えられ、神によって立てられます。そのようなことを自覚する時に私たちは、示された神のみ心を行うために熱心に努力し、励みます。しかしそのように信仰に基づく熱心さをもって神に仕え、神のみ心を行っていく時に、私たちが忘れてはならないことがあるのです。それは、主によって用いられている自分もまた罪ある人間なのだ、ということです。主のみ心に従って、それを実行するために熱心に努力することは正しいことであっても、そこで私たちがする判断や具体的に行うことは、必ずしも正しいわけではないのです。そこには罪がまつわりついており、意図は正しくてもしていることは間違っている、ということがいくらでも起こるのです。それが罪人である私たち人間の現実なのだ、ということを私たちはしっかり知っておかなければなりません。そのことを見失ってしまうと、主なる神に従って正しいことを熱心にしていこうとする中で、多くの人を虐殺してしまうような恐しいことが起こるのです。イエフの話は私たちにそういう教訓を与えていると言うことができるでしょう。

シャーロームはどこに
 そしてもう一つ、この9章に何度も出てくる特徴的な言葉があります。それは「平和」と訳すことができる「シャーローム」という言葉です。しかし翻訳を読んでもその言葉は見つかりません。それは、シャーロームという言葉は、挨拶において常に用いられる言葉なので、「平和」と訳されることがないからです。例えば11節の、将軍たちの「どうだった」という言葉がシャーロームです。強いて訳せば「平和か」となります。また、17節、18節、19節に「道中無事」とあるのもシャーロームです。ヨラムは迫ってくる軍勢に使いを送って「平和か」と尋ねさせているのです。しかしイエフは「平和かどうかはお前と何のかかわりがあるのか」と言ったのです。そして22節でヨラムとイエフが対面した場面でヨラムが「イエフ、道中無事だったか」と尋ねたのも「イエフ、シャーロームか」という問いなのです。それに対してイエフは「あなたの母イゼベルの姦淫とまじないが盛んに行われているのに、何がシャーロームか」と答えたのです。さらに31節で、イズレエルにおいてイエフがイゼベルと対面した時、イゼベルが「主人殺しのジムリ、ご無事でいらっしゃいますか」と言いました。かつてジムリが主人を殺して王になったように、イエフが主人であるヨラムを殺したことを皮肉ってこう言っているわけですが、アハブの父オムリも主人であるジムリを殺して王になったわけですから、みんな同じ穴のムジナであるわけです。そしてこの「ご無事でいらっしゃいますか」がシャーロームです。王である自分の息子ヨラムを殺したイエフに対する言葉ですから、そのシャーロームは勿論皮肉でしかありません。「ご無事でいらっしゃいますか」は余りにも不自然な訳です。聖書協会共同訳はこの一連のシャーロームを「どうしたのか」と訳しています。その方が自然な訳ですが、シャーローム、平和、という言葉はますます見えなくなっています。このように翻訳は難しいわけですが、イエフのクーデターによって多くの人が虐殺されたというこの凄惨な出来事の中で、シャーローム、平和という言葉が何度も語られているということは、とても大事な、意味のあることだと思います。そしてこのシャーロームはいずれも「平和か」という問いの形で語られているのです。そこには、シャーローム、まことの平和はどこにあるのか、という問いがあると言えます。主なる神によって油を注がれた王が立てられ、主のみ心がなされましたが、そこにも人間の罪がなお満ちており、悲惨な虐殺が行われています。平和などどこにもない、むしろ罪に対する神の裁きによる衰退、滅亡に向かってまっしぐらに進んでいるのが目に見える現実なのです。それは今のこの世界の現実そのものであると言わなければならないでしょう。その悲惨な現実の中で、シャーローム、神によるまことの平和はいったいどこにあるのでしょうか。

油注がれた方であるキリストによって
 この話はその問いのみを投げかけており、答えを語ってはいません。しかしこの話には、主なる神が油を注いで王を立て、み心を行って下さることが語られています。主によって油を注がれた王は、本来、人間の思いを行うのではなく、主なる神のみ心を行い、主のご支配を実現していくのです。イエフを始めとする人間の王は、そのことをまことに不十分な仕方でしか行うことができません。人間の思いを行ってしまい、そのために悲惨な現実を生み出してしまうのです。主なる神は、そのような人間の現実の中に、ご自分の独り子イエス・キリストを遣わして下さいました。そのキリストとは、油を注がれた者、メシアを意味しています。主なる神はその独り子イエス・キリストを、油を注がれたまことの王として、また預言者として、さらに祭司として、つまり私たちのまことの救い主として立て、遣わして下さったのです。そして主イエスは私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さいました。その苦しみを経て、復活して栄光に入り、私たちの新しい命、永遠の命の先駆けとなって下さったのです。この救い主イエス・キリストこそが、シャーロームを、まことの平和を実現し、与えて下さるのです。新約聖書に語られているこのことを、このイエフの物語は遠くから指し示していると言えます。つまりここも、ルカによる福音書24章27節に「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された」と言われている箇所の一つであると言えるのです。神によるシャーローム、まことの平和は、私たちにおいてもなお、指し示されているもの、約束されているもの、待ち望むものです。しかし、油を注がれた方メシア、キリストである主イエスが既に来て下さり、その十字架の死と復活による救いを打ち立てて下さったのですから、私たちは希望をもって、その救いの完成を待ち望み、人間の罪と悲惨に満ちているこの現実の中を、忍耐して歩んでいくのです。

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