夕礼拝

分かれ争う民

説 教 「分かれ争う民」牧師 藤掛順一
旧 約 列王記上第12章1-33節
新 約 コリントの信徒への手紙一第6章1-11節

王国の分裂
私が夕礼拝の説教を担当する日には、旧約聖書からみ言葉に聞いていて、今は列王記上を読んでいます。列王記は、ダビデの息子ソロモンがイスラエルの王になったところから、その王国がバビロニアによって滅ぼされ、多くの人々がバビロンに捕囚となるまでの、つまりイスラエルの王国としての歴史を、歴代の王たちの事跡を語るという形で描いています。ダビデが基礎を据えたイスラエル王国は、その子ソロモンの時代に、最も盛んな時期を迎えました。けれどもソロモンの死後、王国は南北に分裂してしまうのです。イスラエル統一王国はソロモンまでで、それ以後は、北王国イスラエルと南王国ユダとして、それぞれ別の歩みをなし、両者はしばしば対立し合うようになります。そして北王国イスラエルはアッシリアによって滅ぼされ、南王国ユダもその二百年ほど後に、バビロニアによって滅ぼされるのです。最も栄えていたソロモンの王国があっけなく分裂していった、そのいきさつが本日の第12章に語られているのです。

シケムの集まり
さて、11章の最後の43節に、「ソロモンは先祖と共に眠りにつき、父ダビデの町に葬られ、その子レハブアムがソロモンに代わって王となった」とあります。ソロモンが死んでその子レハブアムが王となった。それは当然のことのようにも思われますが、事はそう簡単ではなかったことが12章の1節から分かります。「すべてのイスラエル人が王を立てるためにシケムに集まって来るというので、レハブアムもシケムに行った」。当時のイスラエルは十二の部族の連合体でした。そのイスラエル全体の王となるためには、各部族の承認が必要だったのです。あのダビデも、最初はユダ族の王となり、後から他の諸部族も彼を王として受け入れたので全イスラエルの王になったのでした。ソロモンはその王国を受け継ぎ、ダビデ王家に権力が集中する中央集権的な体制を築いていきました。しかし各部族の独立意識はまだ根強く残っていて、ソロモンの中央集権的な政治に対する反発もかなりあったのです。それゆえに、ソロモンの死後、その子レハブアムが王となることも、各部族の承認を受ける必要があった、それがこのシケムにおける集まりの意味です。そしてこのシケムの集まりの結果、ユダ族とベニヤミン族以外の北の十部族は、レハブアムを王として認めず、袂を分かってしまったのです。レハブアムは南のユダとベニヤミンのみの王となり、これが南王国ユダとなりました。北の十部族は別の王を立てて北王国イスラエルとなったのです。

レハブアムの失敗
シケムの集まりが決裂して王国が分裂してしまった原因はレハブアムにあった、ということを12章は語っています。シケムに集まった諸部族の人々は、最初からレハブアムを王として認めない、と言っていたわけではありません。ただ彼らは、レハブアムに一つのことを願ったのです。その願いを適えてくれるなら、あなたを全イスラエルの王として受け入れましょうと言ったのです。その願いが4節です。「あなたの父上はわたしたちに苛酷な軛を負わせました。今、あなたの父上がわたしたちに課した苛酷な労働、重い軛を軽くしてください。そうすれば、わたしたちはあなたにお仕えいたします」。ソロモン王は、国民に過酷な労働、軛を負わせました。そのことは、例えば第5章の27節以下に、神殿の建設のためのレバノン杉の調達などのために、イスラエル全国から三万人が徴用されてレバノンに送られたというところに現れています。またその後の29節には、ソロモンには荷役の労働者が七万人、山で石を切り出す労働者が八万人いたとも語られています。これらは全て徴用、つまり命令によって労働に駆り出された人々です。それだけではなく、中央集権的国家の建設のために、多くの税金が科されたことも伺えます。「ソロモンの栄華」と呼ばれる経済的繁栄の陰で人々は過酷な負担に苦しんでいたのです。王の代替わりに際して人々がレハブアムに求めたのは、その負担の軽減だったのです。

レハブアムはこの願いに対して、三日後に返事をすると言って、その間に側近の者たちと相談をしました。まず、父ソロモンに仕えていた長老たちに相談したところ、彼らはこう進言しました。7節です。「彼らは答えた。『もしあなたが今日この民の僕となり、彼らに仕えてその求めに応じ、優しい言葉をかけるなら、彼らはいつまでもあなたに仕えるはずです』」。イスラエルの王たる者は、むしろ民に仕える者、民の僕となるべきだ、そうすれば、民もあなたに仕え、あなたの王権は揺るがないものになる。これは、「人の上に立とうとする者はむしろ仕える者となれ」という主イエスのお言葉ともつながる教えです。しかしわざわざ主イエスを持ち出さなくても、これは新政権が人々の心をつかむための常識です。前政権の時よりも国民の負担を軽くすることによって、人々に「今度の政権の方がよい」という思いを持たせ、先ずは政権の基盤を安定させてから、だんだんに独自の政策を打ち出していく、というのが政治のイロハです。長老たちの進言は、政権の交代において留意すべき常識的なことを語っているのです。ところがレハブアムは、この長老たちの進言を喜びませんでした。そして、「自分と共に育ち、自分に仕えている若者たち」に相談したのです。彼らはこう言いました。10、11節です。「彼と共に育った若者たちは答えた。『あなたの父上が負わせた重い軛を軽くせよと言ってきたこの民に、こう告げなさい。『わたしの小指は父の腰より太い。父がお前たちに重い軛を負わせたのだから、わたしは更にそれを重くする。父がお前たちを鞭で懲らしめたのだから、わたしはさそりで懲らしめる』』」。レハブアムはこの勧めに従ってその通りのことを人々に語り、その結果、人々の離反を招いたのです。

自尊心
なんと愚かなことか、と私たちは思います。こんなことを言えば、人々の心が離れてしまうことは目に見えているではないか、何故そんな簡単なことに気づかないのか、と思うのです。けれどもこのレハブアムの愚かさは決して他人事ではないと思います。第三者が客観的に見たらなんと愚かな、と思うけれども、当事者にはそれが見えない、わからない、ということが多々あるのです。レハブアムが長老たちの進言を退け、若者たちの言葉を受け入れたのは、偉大なソロモン王の子として、父の権威を引き継ごうとして必死だったからでしょう。彼が居丈高になったのは、父ソロモンよりも軽く見られてしまうことへの恐れのゆえです。お父さんは偉大だったが、息子はそれほどでもない、と見られ、軽んじられることを彼は恐れたのです。そういう思いでいる彼にとって、民に対して謙遜な王であれという長老たちの進言は、人々に軽く見られ、弱腰だと馬鹿にされ、今度の王は自分たちの思い通りになる、と思わせてしまうことになる、と思えたのです。そして逆に若者たちの無謀な、愚かな進言の方が、自分の威光を人々に知らしめることになるように思われたのです。つまりこの愚かな決断をもたらしたのは、彼の自尊心であり、実力が伴わないのに父と同じ偉大な者になろうとするプライドです。そういう自尊心、プライドにとりつかれるときに、第三者から見れば分かりきったことが見えなくなり、愚かな間違いを犯してしまう、それが私たちの現実なのではないでしょうか。国家の指導者たちのそういう間違いによって、戦争が起こることを、現代の私たちも体験しているのです。

ネバトの子ヤロブアム
王国の分裂の原因となったのはこのようなレハブアムの愚かさ、自尊心でした。けれどもそれだけではありません。そこにはもう一人の人物の存在があったのです。ネバトの子ヤロブアムです。この人のことは既に第11章に語られていました。それによれば、彼はエフライム族の出身で、ソロモン王のもとで、有能さを買われて労役の監督に任命されていましたが、ソロモンに背いて指名手配になり、エジプトに逃げていたのです。つまり彼はソロモンの時代から、反体制運動の中心にいた人物でした。ソロモンの死とともに彼はイスラエルに戻り、ソロモンの課した労役の軽減を求める人々の中心となりました。シケムの集まりにおいてレハブアムに、民を代表してあの願いを語ったのはこのヤロブアムだったのです。つまりシケムの集まりにおいて民は烏合の衆としてレハブアムに対したのではなく、ヤロブアムという指導者のもとに結集していたのです。それゆえに、レハブアムがあのような愚かな答えをした時に、北の十部族は直ちに一致団結してレハブアムのもとを去り、ヤロブアムを王として立てて北王国イスラエルを設立することができたのです。ヤロブアムがいなければ、このようにまとまった行動はとれなかったでしょう。レハブアムの愚かさと共に、このヤロブアムによって、イスラエルは二つの王国に分裂したのです。
このヤロブアムは、主なる神が選び、立てた人物であったということが11章に語られていました。神はアヒヤという預言者を通して、ヤロブアムに、あなたがイスラエルの十二の部族の内十部族をダビデ家から引き裂いてその王となる、ということを告げたのです。それは、ソロモンが主なる神を忘れ、外国の神々を拝むようになったことに対する神の怒りによることでした。まことの神を捨てて偶像の神々を拝むようになったソロモンの罪への裁きとして、イスラエル王国は分裂したのです。ヤロブアムはそのために立てられ、用いられたのです。王国の分裂は、根本的には、レハブアムの愚かさのゆえでも、ヤロブアムの指導力のゆえでもなく、主なる神のみ心によることだったのだと列王記は語っているのです。

レハブアムの悔い改め
十部族の離反を知ったレハブアムは、武力をもって彼らと戦い、全イスラエルを自らの下に従えようとします。そのためにユダとベニヤミンからえり抜きの戦士十八万を召集したと21節にあります。しかしそこに、シェマヤという神の人、つまり預言者が現れます。彼はレハブアムと、ユダ、ベニヤミンの人々にこう語ります。「主はこう言われる。上って行くな。あなたたちの兄弟イスラエルの人々に戦いを挑むな。それぞれ自分の家に帰れ。こうなるように計らったのはわたしだ」。このシェマヤを通して与えられた主なる神のみ言葉によって、レハブアムは軍を引き、イスラエルの民どうしの戦いは回避されました。このことはごく簡単に述べられていますが、深い意味を持っています。24節にあるように、シェマヤはレハブアムとユダ、ベニヤミンの人々に、「それぞれ自分の家に帰れ」と語りました。それによって「彼らは主の言葉を聞き、主の言葉に従って帰って行った」のです。ここに繰り返し用いられている「帰る」という言葉は、旧約聖書において大事な言葉で、「悔い改める」という意味をも持っています。「帰れ」とは「悔い改めよ」という呼びかけでもあり、「帰った」というのは「悔い改めた」ということでもあるのです。つまりここで、レハブアムに「悔い改め」が起ったと言うことができます。彼が十八万の大軍を召集してイスラエルと戦おうとしたのは、「わたしの小指は父の腰より太い」という、彼の自尊心による虚勢、軽く見られてたまるか、父よりも偉大な者になるんだ、という思いによってです。しかし彼は主の言葉、「こうなるように計らったのはわたしだ。兄弟イスラエルに戦いを挑むな」というみ言葉によって、その虚勢を捨てたのです。自分の権威をふりかざして人を従わせようとすることをやめたのです。そして、自分の身の丈に合った生き方に落ち着いたのです。それが彼の悔い改めでした。レハブアムのこの悔い改めによって、愚かで悲惨な戦争が回避されたのです。このような悔い改めが起こらないために、ウクライナにおいてもパレスチナにおいても、悲惨な戦いが終わらないのです。

ヤロブアムの罪
一方、主なる神のみ心によって北王国イスラエルの王となったヤロブアムはその後どうなったでしょうか。彼の心が不安に満たされていったことが26節以下に語られています。「今、王国は、再びダビデの家のものになりそうだ。この民がいけにえをささげるためにエルサレムの主の神殿に上るなら、この民の心は再び彼らの主君、ユダの王レハブアムに向かい、彼らはわたしを殺して、ユダの王レハブアムのもとに帰ってしまうだろう」。北王国イスラエルの最初の王になった彼は、その王国を失う不安に満たされたのです。それは、主なる神を礼拝する神殿がエルサレムにあり、北王国にはそれに代る場所がないからです。人々の心は、結局、神殿のあるエルサレムに向かい、そこを治めているレハブアムに戻って行ってしまうのではないか、自分の首を土産にレハブアムに忠誠を誓うようになってしまうのではないか、そう思うと彼は不安でいても立ってもいられなくなったのです。この彼の姿は、反体制指導者として民を代表してレハブアムに要求をつきつけた姿とは対照的です。権力は、それを得たとたんに、今度はそれを失うことへの不安をもたらす、ということでしょう。この不安によって彼は、とんでもない間違いを犯してしまったのです。28節「彼はよく考えたうえで、金の子牛を二体造り、人々に言った。『あなたたちはもはやエルサレムに上る必要はない。見よ、イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神である』」。「金の子牛」、それはイスラエルがエジプトを脱出して荒れ野を歩んでいた時、モーセが主なる神から十戒を授かるためにシナイ山に登っていた間に、モーセがなかなか戻って来ないために不安になった人々が、自分たちを導く目に見える神を求めて造ったものでした。主なる神の激しい怒りを招いたあのシナイにおける罪がここでもう一度繰り返されてしまったのです。しかも今度は二体の子牛が造られ、北王国のいちばん南のベテルと、いちばん北のダンに置かれました。またヤロブアムはあちこちの「聖なる高台」に神殿を設けました。人々が神々に犠牲をささげる場所を造ったのです。こうして、王であるヤロブアム自らの手によって、北王国に偶像の神々への礼拝、祭儀が導入されたのです。またヤロブアムは、レビ人でない者の中から祭司を任命したともあります。イスラエルにおいて、主なる神への祭司の務めは、レビ人つまりレビ族の者が負うということが律法に定められています。主はレビ族を祭司の部族としてお選びになったのです。それ以外の人を祭司にするということは、人間が勝手に祭司を立てるということです。また32節以下には、ヤロブアムが南王国ユダで行なわれている祭りに倣って、しかしそれとは別の月に祭りを行なったということも語られています。彼は第八の月の十五日に祭りを行なったのですが、これはユダでは第七の月の十五日に行なわれる「仮庵の祭り」を一月ずらしたものです。これらのことは、ヤロブアムが、北王国の人々のために、エルサレムの神殿を中心として行われているユダの祭りに似せた宗教的行事を行なったということです。それによって北王国の人々の心を、エルサレムに、ダビデ王家に向かわせないようにし、北王国の中で礼拝を行い、犠牲をささげ、祈ることができるようにしたのです。しかしそれは、彼が、自分の支配を安定させるために、勝手に神を作り出し、祭司を立て、礼拝や祭儀をもっともらしく整えたということです。北王国で行なわれる礼拝は、形においては主なる神への礼拝に似ていましたが、全てが人間の思いや都合による真似事、偽物の礼拝でしかなかったのです。このようにしてヤロブアムは、北王国イスラエルの信仰を、その最初の一歩において、間違った方向へと向けてしまったのです。主なる神に従い、仕えるという方向へではなく、神を人間の都合のために利用する、という方向へです。北王国は、このヤロブアムが定めた方向性、即ち罪を最後まで脱却することができませんでした。北王国が滅んだのはこの罪のゆえだったのです。北王国イスラエルがアッシリアによって滅ぼされたことは列王記下の17章に語られていますが、その21節以下には、その滅亡の理由がこのように語られています。「主がダビデの家からイスラエルを裂き取られたとき、このイスラエルの人々はネバトの子ヤロブアムを王としたが、ヤロブアムはイスラエルを主に従わないようにしむけ、彼らに大きな罪を犯させた。イスラエルの人々はヤロブアムの犯したすべての罪に従って歩み、それを離れなかった。主はついにその僕であるすべての預言者を通してお告げになっていたとおり、イスラエルを御前から退けられた。イスラエルはその土地からアッシリアに移され、今日に至っている」。北王国イスラエルは、ヤロブアムの罪のゆえに滅びたのです。その滅びへの第一歩が本日の箇所において踏み出されているのです。

分かれ争う民
主なる神の民であるイスラエルが、このように分裂し、争い合う関係になってしまう、それは悲しいこと、残念なことです。しかし世界の歴史は、また神の民イスラエルの歴史は、そして新しいイスラエル、新しい神の民である教会の歴史も、そして私たち一人一人の歩みも、いつもこのような分かれ争いに陥っていくものであることを私たちは思い知らされています。それは私たち人間の罪と愚かさによることです。本日共に読まれた新約聖書の箇所、コリントの信徒への手紙一の第6章でパウロは、コリントの教会の中で兄弟どうしの間に争いが起こっていることについて、あなたがたの中には兄弟の争いを仲裁できる者がいないのか、と嘆いています。そこでパウロは、私たち信仰者は、世を裁き、天使たちさえも裁く者だということを知らないのか、と言っています。それは傲慢なことを言っているのではなくて、私たちは、主イエス・キリストが私たちのために十字架にかかって死んで下さったことにおいて、私たちの全ての罪が裁かれ、そして赦されたことを知っているはずではないか、ということです。そういう者どうしの間で、どうしてなお裁き合い、争い合うのか、それは私たちのために裁きを受けて下さり、赦しを与えて下さった主イエスのみ心に反することではないか、とパウロは言っているのです。今この争いと憎しみによって引き裂かれてしまっている世界において、私たちが悔い改めて立ち帰るべきところは、主イエス・キリストにおいて実現した神による裁きと赦しです。そこに立ち帰ることによって私たちは、弱く罪深い自分が、主イエスによる赦しの恵みの中に置かれていることを見つめ、その喜びの中で、プライドや虚勢を捨てて、自分の身の丈に合った仕方で神に従って生きる者となることができるのです。無益な争い、戦いから抜け出して、平和を実現していく道はそこにこそ開かれるのではないでしょうか。

関連記事

TOP