2024年7月7日
説教題「何の権威で」 副牧師 川嶋章弘
出エジプト記 第17章1~7節
ルカによる福音書 第20章1~8節
受難週のある日
しばらく時間が空きましたが、ルカによる福音書の続きを読み進めていきます。本日から第20章に入ります。19章28節以下では、いわゆる主イエスのエルサレム入場が語られていました。この日から主イエスの地上のご生涯の最後の一週間、「受難週」の歩みが始まります。ですから本日の箇所の冒頭にある「ある日」とは、受難週のある日、ということです。私たちが受難週と聞いて思い起こすのは、主イエスが苦しみを受けられ、十字架に架けられ、死なれたことではないでしょうか。この福音書で言えば、22章以下で語られていること、つまり主の晩餐やゲツセマネの祈り(もっともルカ福音書ではゲツセマネという地名は記されず、オリーブ山とだけ記されていますが)、ユダの裏切りと主イエスの逮捕、主イエスへの尋問、あざけりや侮辱、そして主イエスの十字架の死を思い起こすのです。そのような私たちにとって、本日の箇所は少々期待外れかもしれません。ここでは苦しみを受けられた主イエスのお姿が語られているのではなく、ご自分に敵対する者たちと論争し、問答するお姿が語られているからです。受難週っぽくない、そんな風にすら思うのです。しかし本日の箇所だけでなく、20章全体で主イエスは論争し、問答し、たとえを語っておられます。ですからこのような主イエスのお姿も、主イエスの受難週の歩みを思い起こすときに、見逃してはならない大切なお姿なのです。このことを心に留めて、本日の箇所を読み進めていきたいと思います。
宮清め
本日の箇所の直前では、主イエスが神殿の境内で商売をしていた人々を追い出された、いわゆる「宮清め」の出来事が語られていました。神殿の境内で商売をしていた人々というのは、お土産を売ったり、飲み物や食べ物を売ったりしていたのではありません。神殿に礼拝に来た人たちが、礼拝するために必要な犠牲としてささげるための献げ物を提供するために商売をしていたのです。当然、この人たちは、神殿を管理していたユダヤ教の宗教指導者たちの認可のもとで商売をしていました。ですから主イエスが神殿で商売をしていた人たちを追い出されたことは、宗教指導者たちの認可を踏みにじる行為でもあったのです。それゆえ彼らは主イエスに対して怒りと殺意を抱き、主イエスを殺そうと企てました。「宮清め」の出来事が語られた直後、47節で、「毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが」と言われている通りです。「祭司長、律法学者、民の指導者たち」が、ユダヤ教の宗教指導者たちです。彼らは主イエスを殺そうとしましたが、48節に「どうすることもできなかった」とあります。「民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていた」ためです。
何の権威で
しかしそれで宗教指導者たちは諦めたわけではありませんでした。本日の箇所の冒頭1節にこのようにあります。「ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、言った」。47節にあったように、主イエスは毎日神殿の境内で教えておられました。この日も神殿の境内で、「民衆に教え、福音を告げ知らせておられると」、そこへ、「祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に」、つまり先ほどと同じユダヤ教の宗教指導者たちが、主イエスに近づいて来たのです。そして彼らは主イエスにこのように問いました。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか」。ここで「何の権威でこのようなことをしているのか」の「このようなこと」とは、一つには主イエスが神殿の境内で教えておられたことです。もう一つには、先ほどお話しした、主イエスが神殿の境内で商売をしていた人たちを追い出したことです。彼らは、この両方をひっくるめて、「何の権威でこのようなことをしているのか」と主イエスに問うたのです。そして「何の権威で」と問うことは、「誰がその権威を与えたのか」と問うことに結びつきます。それゆえ彼らは、続けて「その権威を与えたのはだれか」とも問うたのです。彼らは自分たちだけが神殿の境内で人々に教え、また商売することを認める権威を持っている、と考えていました。それなのに自分たちには何も言わずに、主イエスが勝手に神殿の境内で人々に教えたり、商売をしていた人たちを追い出したのです。それは彼らにとって許し難いことだったのです。ですから彼らは、主イエスが「何の権威でこのようなことをしているのか」、「その権威を与えたのはだれか」を、本当に知りたいと思っていたのではありません。この問いかけには、むしろ権威を与える者がいるとしたら、それは自分たちしかいない、という彼らの思いが表れているのです。
自分の権威と力を脅かされた人たちの姿
権威を持っているということは、力を持っているということです。ユダヤ教の宗教指導者たちは、その権威のゆえに、人々を従わせる力を持っていました。神殿の境内で商売する人たちに認可を与え、あるいは認可を取り下げる力を行使できたのです。彼らにとって、神殿は自分の権威と力を振りかざせるところであり、自分たちの縄張り、自分たちの城にほかなりませんでした。ところがそこに主イエスがやって来て、彼らの権威と力を脅かしたのです。彼らは自分たちの権威が蔑ろにされ、自分たちの縄張り、自分たちの城が荒らされたと思ったに違いありません。だから彼らは主イエスを受け入れようとせず、主イエスの権威を認めようとせず、主イエスを殺そうと企てたのです。「何の権威で」と問い、「その権威を与えたのはだれか」と問う宗教指導者たちの姿は、自分の権威と力を脅かされた人たちの姿でもあるのです。
自分の権威と力を振りかざせる場所
私たちはこのような宗教指導者たちの姿が、主イエスの受難週の歩みの中で明らかにされていることをしっかり受けとめる必要があります。なぜなら自分の権威と力を守り、それを脅かす者を排除しようとする人たちこそが、主イエスを十字架に架けたからです。それは指導者だけが、主イエスを十字架に架けたということではありません。むしろ私たちは誰もが、この宗教指導者たちの姿に自分たちの姿を見るべきなのです。私たちは指導者であるかどうかにかかわらず、自分の権威と力を振りかざせる場所を持っています。自分の思い通りになる場所、自分の縄張り、自分の城を持っているのです。上司と部下という関係の中で権威と力を振りかざすことがあるかもしれません。先輩と後輩という関係の中で、親子、夫婦、兄弟という関係の中で、ある特定の人たちのグループの中で、自分の力を振るうことができる、自分の思い通りにすることができる、ということがあるかもしれません。あるいは自分の世界の中にだけ閉じこもって、そこで自分の力を振りかざすということもあるでしょう。いずれにしろ私たちは誰もが、宗教指導者たちにとっての「神殿」と同じような場所を持っているのです。自分の縄張り、自分の城を持っていて、そこで自分の力を振るって、自分の思い通りに生きようとしているのです。
救いに与った後も
私たちは主イエスによる救いに与った後も、なおそのように生きてしまいます。すでに神様の救いの恵みの内に生かされているにもかかわらず、自分の縄張り、自分の城を守り、そこで自分の思い通りに生きようとしてしまうのです。共にお読みした出エジプト記17章1-7節では、出エジプトの救いの出来事によって、エジプトでの奴隷生活から救い出されたにもかかわらず、イスラエルの人たちが自分の思い通りに生きられないことに不平を抱いている姿が語られています。エジプトから導き出された先の荒れ野で飲み水がなくて、喉が渇いて仕方なくなると、イスラエルの人たちは、「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか」と不平を言いました。なぜ自分たちをエジプトから救い出したのか、つまりエジプトにいたほうが良かった、と言っているのです。エジプトでは奴隷であっても飲み水に困ることがなかったのかもしれません。それなのに今は、飲み水すら自分の思い通りにならない。奴隷生活から解放されてもそれが我慢ならないのです。同じように私たちも救われてなお、自分の思い通りにいかないことに不平不満を募らせてばかりいます。救いの恵みに感謝して生きるよりも、なんとかして自分の思い通りに生きようとしているのです。
自分の権威を主イエスの権威と対立させる
そのような私たちのところへ、主イエスがやって来られます。そして主イエスは、自分の縄張りで、自分の城で、自分の力を振るって、自分の思い通りに生きようとする私たちを脅かすのです。だから私たちも、ユダヤ教の宗教指導者たちと同じように、自分の権威や力を守ろうとして主イエスを受け入れようとせず、主イエスの権威を認めようとせず、主イエスを拒んでしまいます。そこに主イエスを十字架に架けて殺した、私たち人間の罪が明らかにされているのです。主イエスが来てくださり、出会ってくださるとき、私たちは主イエスを喜んで迎え入れるよりも、自分の権威が蔑ろにされ、脅かされたように感じ、自分の権威を主イエスの権威と対立させてしまうのです。
天からのものか人からのものか
さて、宗教指導者たちの問いかけに対して、主イエスは問いかけによってお答えになりました。それは問いには問いで返すという論争のテクニックではありません。私たちが主イエスに問いかけるとき、私たちは主イエスから問いかけられている、ということが見つめられているのです。主イエスが何の権威で、神殿の境内で教えたり、商売をしている人々を追い出したりしているのか、その権威を誰が与えたのかを問う中で、問うた人自身が、主イエスの権威をどのように受けとめているのかを問われるのです。だから主イエスは宗教指導者たちにこのように問い返されました。「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか」。「ヨハネの洗礼」と言われていることについては、後で見ることにします。ここで問われているのは直接的にはヨハネが悔い改めと罪の赦しを宣べ伝え、洗礼を授けた権威ですが、間接的には主イエスの権威です。主イエスの権威は天からのもの、つまり神様からのものなのか、それとも人からのものなのかが問われています。要するに、主イエスは神様の独り子であり、神様によって遣わされた救い主(メシア)であると信じるのか、それとも主イエスは模範とすべき偉人の一人であると見なすのか、ということです。主イエスの権威を問うことの中で私たちは、主イエスの権威が神様からのものであり、主イエスこそ神様の独り子であり、神様によって遣わされた救い主である、と信じるかどうかを問われているのです。
主イエスの権威の前に跪いて生きる
その問いかけに、信じます、と答えることが、自分の権威を手放して、主イエスの権威の前に跪いて生きることです。自分の縄張り、自分の城を主イエスに明け渡して、自分が力を振りかざすのでも、自分の思い通りに生きるのでもなく、主イエスが力を振るってくださるよう主イエスを主人として生きるのです。ちっぽけな権威や力ですら握りしめていたい私たちが、それを手放して、主イエスの権威の前に跪いて生きるのです。
死を恐れたから
それにしても、「ヨハネの洗礼」と言われているのは何故でしょうか。それは、宗教指導者たちの罪を、そして私たちの罪をよりはっきり示すためだと言えます。この福音書の7章29、30節にこのようにありました。「民衆は皆ヨハネの教えを聞き、徴税人さえもその洗礼を受け、神の正しさを認めた。しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、彼から洗礼を受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ」。民衆はヨハネの教えを聞き、徴税人さえもヨハネから洗礼を受け、神様の正しさを認めたけれど、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、つまりユダヤ教の宗教指導者たちは、ヨハネから洗礼を受けないで、自分たちに対する神様の御心を拒んだのです。宗教指導者たちがヨハネから洗礼を受けなかったのは、ヨハネの洗礼が天からのもの、神様からのものだと信じなかったからです。ですから彼らは、「ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか」という主イエスの問いに、「人からのものだった」と答えれば良いはずです。ところが実際は、そうではありませんでした。5~7節にこのようにあります。「彼らは相談した。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。そこで彼らは、「どこからか、分からない」と答えた」。ヨハネの洗礼が天から、神様から与えられた権威によるものだと答えれば、「なぜ、ヨハネを信じなかったのか」と主イエスに問い返されてしまうし、かといって、正直に「人からのものだ」と言えば、ヨハネを預言者だと信じ込んでいる民衆がこぞって、自分たちを石で殺すに違いない。そのように考えた宗教指導者たちは、結局、「どこからか、分からない」と答えを濁したのです。自分たちこそが神殿の境内で教えを語ったり、商売したりすることを認める権威を持っていると主張し、ヨハネが、そして主イエスが神様から権威を与えられていることを認めず、自分の権威を守ろうとしていたにもかかわらず、結局、「どこからか、分からない」と曖昧にしか答えられなかったのです。何故なのでしょうか。それは、民衆が自分たちを石で打ち殺すことを恐れたから、つまり死を恐れたからです。どれほど偉ぶってみせても、威張ってみせても、彼らは死の恐れから自由になっていなかったのです。自分の縄張り、自分の城で、いくら自分の力を振るって、自分の思い通りに生きてみても、死に対しては無力であったのです。自分たちこそが権威を持っていると主張していても、自分の命が危険に晒されると、彼らは自分の命を守るために、その主張を放棄して曖昧に答えたのです。
「ヨハネの洗礼」が取り上げられることで、宗教指導者たちのこの弱点が、罪が明らかにされています。そしてこの弱点と罪は、私たちの弱点であり罪でもあります。私たちも自分の縄張り、自分の城で、いくら自分の力を振りかざし、自分の思い通りに生きてみても、自分の命が危険に晒されると、たちまち死の恐れにとらわれてしまいます。私たちは自分の力で、死から自由になることはできないからです。
罪と死の支配からの自由
死からの自由、死の恐れからの自由は、主イエスこそが与えてくださいます。1節で、「イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると」と言われていました。主イエスが告げ知らせた福音とは、主イエスによる救いの良い知らせであり、罪と死の支配からの解放の良い知らせです。主イエスこそが、主イエスの権威こそが、私たちに罪と死の支配からの自由を与えます。それは、私たちが不老不死になるというようなことではありません。十字架で死なれ、復活され、永遠の命を生きておられる主イエスを信じることによって、世の終わりに私たちも復活させられ、永遠の命を生きるようになるのです。そこにこそ、死からの自由、死への恐れからの自由があります。主イエスの権威に跪く私たちに、主イエスは本当の自由を、罪と死の支配からの自由を与えてくださるのです。
主イエスから問われていることを真剣に受けとめる
宗教指導者たちの「どこからか、分からない」という答えに対して、主イエスは、「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい」と答えられました。主イエスは意地悪をして、このように言われたのではありません。彼らが真剣に主イエスの権威を問うたのではないことが明らかになったから、お答えにならなかったのです。彼らは主イエスの権威を問う中で、自分たち自身が主イエスの権威について問われていることを真剣に受けとめようとはしませんでした。そもそも主イエスの権威を問うよりも、自分たちにこそ権威がある、と主張したかったのです。そして自分たちの命が危険に晒されると思ったら、その主張を放棄して、曖昧な答えでごまかしたのです。それでは、主イエスの権威を真剣に問うことにはなりません。主イエスに問いかける中で、主イエスから主イエスの権威が神様からのものなのかどうかを問われていることを受けとめ、その答えを真剣に求めていく中でこそ、答えは与えられていくのです。主イエスに問いかけるとはそういうことです。私たちにとって、主イエスの権威を問い、主イエスが何者かを問うことは切実な問いです。しかし私たちは問うと同時に、問われている。そのことを真剣に受けとめ、その答えを真剣に求めていく歩みこそが、信仰を求めて生きる歩みなのです。
十字架の死において権威を示された
主イエスの権威に跪く私たちに、主イエスは本当の自由を、罪と死の支配からの自由を与えてくださいます。しかし私たちは主イエスの権威に跪こうとしない者に違いありません。自分の権威や力を振るえる自分の縄張り、自分の城を守ろうとして、主イエスの権威を拒んでしまう者なのです。そのような私たちに対して、主イエスは力を持って私たちを跪かせようとしたのでしょうか。ご自分の権威を、神様から与えられた権威を、力によって示され、ご自分を高くされることによって示されたのでしょうか。私たちが権威を示そうとするとき、私たちは力を誇示しようとしたり、自分をほかの人より高くしようとしたりします。主イエスも同じであったのでしょうか。そうではありませんでした。主イエスは力を手放し、まったくの無力となった十字架の死において、ご自分の権威を示されました。ご自分を私たちよりも低くされることによって、十字架の死に至るまで低くされることによって、ご自分の権威を示されたのです。十字架の死において、私たちの誰よりも無力となり、低くなってくださったことによって、主イエスはご自分の権威を示されたのです。そのことに目を向けることによってこそ、私たちは主イエスの権威に跪くよう導かれます。弱さと低さの極みまで降ってくださった主イエスこそが、主イエスだけが、私たちを救ってくださり、本当の自由を、罪と死の支配からの自由を与えてくださるのです。
これから私たちは聖餐に与ります。聖餐において私たちは、弱さと低さの極みで裂かれた主イエスの体と、流された主イエスの血に与ることを通して、主イエスの十字架と復活によって与えられている、罪と死の支配からの自由の恵みを味わいます。私たちは主イエスの前にへりくだり、その権威に跪いて、パンと杯に与り、救いの恵みに満たされ、真の自由を与えられ、新しい一週間へと遣わされていくのです。