2026年2月22日 夕礼拝
説教題「滅亡への道」 牧師 藤掛順一
列王記下 第13章1〜25節
ローマの信徒への手紙 第5章15〜21節
北王国と南王国、共に主なる神の民
月に一度私が夕礼拝の説教を担当する日には今、旧約聖書列王記下を読み進めていて、本日は第13章です。先月も同じことを申しましたが、列王記は、ダビデの下に確立したイスラエル王国を、その子ソロモンが受け継いだところから始まり、ソロモン王の死後、その国が北王国イスラエルと南王国ユダとに分裂したこと、その両王国がどのような王たちの下でどのように歩んだか、そして北王国イスラエルがアッシリアによって滅ぼされ、残った南王国ユダもついにバビロニアによって滅ぼされて、いわゆるバビロン捕囚が起ったところまでを描いています。今読んでいるのは、北王国イスラエルと南王国ユダが並行して存在していた時代のことですが、本日の第13章には、北王国イスラエルにおける、ヨアハズとその子ヨアシュという二代の王たちの治世のことが語られています。13章1節に「ユダの王、アハズヤの子ヨアシュの治世第二十三年に、イエフの子ヨアハズがサマリアでイスラエルの王となり、十七年間王位にあった」とあります。このように、南北それぞれの国の王の即位が、もう片方の国のどの王の治世の何年目だった、という記述が繰り返されていくのが列王記の特徴で、それによって北王国イスラエルと南王国ユダの歩みが織りなされるように語られているのです。南北に分かれてはいても、どちらも同じ主なる神の民なのだ、という思いがそこには現れています。
ヤロブアムの罪を離れなかったヨアハズ
さてこの1節で北王国イスラエルの王となったヨアハズは、イエフの子でした。イエフは、クーデターを起こして前の王ヨラムを殺して北王国の王となった人です。南王国ユダにおいては基本的にダビデの子孫による「ダビデ王朝」が続いていますが、北王国では、前の王が家臣によって殺されて新たな王朝が興る、ということがしばしば起っています。イエフから始まったイエフ王朝の二代目の王がヨアハズです。そのヨアハズについて2節は「彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪に従って歩み、それを離れなかった」と語っています。ネバトの子ヤロブアムは、ユダ族とベニヤミン族以外の十の部族をダビデ王朝から離反させて、北王国イスラエルを建国し、その最初の王となった人です。そのことは列王記上の第12章に語られていました。「ヤロブアムの罪」とは、その12章25節以下に語られていることです。ヤロブアムは金の子牛の像を二体造り、北王国内のベテルとダンとに置いて、人々にこう語ったのです。28節です。「あなたたちはもはやエルサレムに上る必要はない。見よ、イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神である」。つまりヤロブアムは、北王国の人々が、ユダ王国の首都であるエルサレムの神殿に行かなくても主なる神を礼拝することができるようにするために、金の子牛の像を作って、これが主なる神だと言ったのです。それは十戒の第二の戒め、「自分のために刻んだ像を造ってはならない」に違反する罪です。北王国イスラエルはその最初の王ヤロブアムの時から、この罪の下にあったのです。北王国の歴代の王たちは、ヤロブアムの罪を受け継ぎ、それを離れませんでした。エルサレム神殿がある南王国ユダと対抗して国をまとめるためにはそれが必要だったからです。だから、クーデターによって王朝が変わっても、この「ヤロブアムの罪」は受け継がれていったのです。
主なる神の怒り
主なる神は、ヨアハズも犯しているこの「ヤロブアムの罪」に対して怒っておられます。そのことが3節に語られています。「主はイスラエルに対して怒りを燃やし、彼らを絶えずアラムの王ハザエルの手とハザエルの子ベン・ハダドの手にお渡しになった」。ヤロブアムの罪を離れようとしない北王国イスラエルに対する主なる神の怒りは、この時代には隣国アラムによって示されました。アラムはイスラエルが北と東に国境を接する、今日で言えばシリアです。その王ハザエルと、その子であるベン・ハダドが度々イスラエルに攻めて来たのです。「主が彼らをハザエルとベン・ハダドの手にお渡しになった」というのは、イスラエルはアラムとの戦いに敗れた、それは主なる神のみ心によることだった、ということです。
主の憐れみと救い
このように北王国は彼らの罪に対する主の怒りのゆえにアラムによって苦しめられていたわけですが、4節には、「しかし、ヨアハズが主をなだめたので、主はこれを聞き入れられた。主はイスラエルが圧迫されていること、アラムの王が彼らに圧迫を加えていることを御覧になったからである」とあります。ヨアハズ王が主なる神をなだめたので、主はイスラエルを憐れんで下さったのです。さらに5節には「主はイスラエルに一人の救い手を与えられた。イスラエルの人々はアラムの支配から解放されて、以前のように自分たちの天幕に住めるようになった」とあります。この4、5節がどういう出来事を語っているのかは分かりません。ヨアハズ王が主なる神をなだめたことは語られていないし、主が与えて下さった「一人の救い手」が誰のことなのかも分かりません。このことについての一つの捉え方を後で述べますが、とにかくここには、主がイスラエルの罪に対してお怒りになり、アラムを用いて苦しみをお与えになったけれども、同時に憐れみと救いをも与えて下さったことが語られているのです。
悔い改めないイスラエル
しかし次の6節にはこうあります。「しかし彼らは、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの家の罪を離れず、それに従って歩み続けた」。主なる神が怒りつつも憐れみによって救い手を与えて下さったにもかかわらず、北王国イスラエルはヤロブアムの罪を離れることなく、その罪を犯し続けたのです。主なる神の憐れみによる救いに応えて悔い改めることをしなかったのです。6節の後半には「サマリアにはアシェラ像が立ったままであった」ともあります。アシェラはバアルと並んで古代のパレスチナにおいて拝まれていた偶像の神です。それを北王国イスラエルに持ち込んだのはアハブ王でした。列王記上の16章32、33節には、アハブが北王国の首都サマリアにバアルの神殿を建て、アシェラの像を造ったと語られています。ヤロブアムは金の子牛の像を主なる神として拝ませることによってイスラエルの人々に、「自分のために刻んだ像を造ってはならない」という十戒の第二の戒めに違反する罪を犯させたわけですが、アハブは、主なる神ではない異教の神々をイスラエルに持ち込むことによって、十戒の第一の戒め「あなたには私をおいて他に神があってはならない」に違反するさらに大きな罪をイスラエルの人々に犯させたのです。そのアハブの子であるヨラムを殺して王になったのが、ヨアハズの父イエフでした。つまりアハブの時代とこの時ではもう王朝が違います。しかし王朝が代ってもヤロブアムの罪が続いてきたのと同じように、アシェラ像をはじめとする異教の神々を拝む罪もなお続いているのです。それらの罪に対する主なる神の怒りによってイスラエルはアラムの王たちに攻められ、打ち負かされたので、ヨアハズ王の軍勢は騎兵五十騎、戦車十台、歩兵一万しか残されなかった、と7節にあります。主の怒りによって北王国の戦力はそこまで弱体化したのです。しかしこれは、主の憐れみと救いを語っていた4、5節と矛盾しています。ヨアハズの治世についての記述にはこのような混乱があるのです。
ヨアシュ王
さてこのヨアハズが死んで、その子ヨアシュが王となりました。10節に「ユダの王ヨアシュの治世第三十七年に、ヨアハズの子ヨアシュがサマリアでイスラエルの王となり、十六年間王位にあった」とあります。ここには二人のヨアシュが出てきます。ヨアハズが北王国の王となった時の南王国の王もヨアシュでした。12章によれば彼は7歳で王になり、四十年間ユダの王でした。なので北王国においてヨアハズが王となった時にも、その子ヨアシュが王になった時にも、ユダの王はヨアシュだったのです。北王国と南王国の王がどちらもヨアシュだった時が、ほんの短い間でしたがあったのです。
ヨアハズの後を継いで北王国の王となったヨアシュについて、11節にはこう語られています。「彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を全く離れず、それに従って歩み続けた」。父ヨアハズについてとほとんど同じことが語られています。彼もヤロブアムの罪から離れることなく歩み続けました。主なる神は彼の罪に対してもお怒りになり、アラムによってイスラエルを圧迫させました。先ほどの3節に「主はイスラエルに対して怒りを燃やし、彼らを絶えずアラムの王ハザエルの手とハザエルの子ベン・ハダドの手にお渡しになった」とありましたが、ヨアハズの時代にはハザエルが、その子ヨアシュの時代にはハザエルの子ベン・ハダドがイスラエルを苦しめた、ということのようです。つまりこの13章は、ヨアハズの時代とヨアシュの時代をひとまとめにして語っているのです。金の子牛の像を主なる神として拝んだヤロブアムの罪と、バアルやアシェラなどの異教の神々を拝んだアハブの罪が犯され続けており、その罪に対する主なる神の怒りによって、隣国アラムの王たちの攻撃を受け、苦しめられている、ということにおいて、この二人の王の時代はひとまとめにされているのです。
エリシャを見舞ったヨアシュ
しかしヨアシュの治世の中に、ある特別なことが語られています。それは預言者エリシャの死です。死の病を患っているエリシャのもとに、ヨアシュ王が訪れたことが14節以下に語られています。死を目前にしているエリシャに会いに来たヨアシュは、「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と言って泣きました。列王記下第2章12節には、これと同じことをエリシャが、火の馬に引かれた火の戦車に乗って天に上って行ったエリヤに対して叫んだことが語られていました。エリヤは、先ほどの、イスラエルにバアルやアシェラを持ち込んだアハブ王とその妻イゼベルの治世において、主なる神の預言者としてアハブたちと対決しました。バアルの預言者四百五十人にエリヤが一人で勝利したことも語られていました。エリシャは、主なる神によってこのエリヤの後継者として指名されたのです。だからエリシャにとってエリヤは「わが父」と言うべき人だったわけですが、イスラエルの人々にとってもエリヤは、イスラエルが主なる神の民として歩むために、戦車や騎兵にまさる力をもって戦った人だったのです。エリヤが主なる神によって天に上げられ、エリシャが預言者としての務めと力を受け継いだことによって、今やエリシャが、イスラエルにとって、「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と呼ばれるような存在となっています。エリシャが、アラムとの戦いにおいてイスラエルを救う働きをしたことがこれまでの所に語られていました。だからヨアシュ王にとってもエリシャは、「わが父よ」と頼る存在だったし、どんな戦車や騎兵よりも力強い助け手だったのです。先ほどの7節に、イスラエルの軍隊が、「騎兵五十騎、戦車十台、歩兵一万しか残されなかった」とありました。アラムとの戦いで消耗した北王国イスラエルには、もはや戦車や騎兵はほとんど残っていません。そんな中で、預言者エリシャの存在こそが、戦車や騎兵にまさる力なのです。そのエリシャが病によって死のうとしている。ヨアシュ王はそれを嘆いて「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と言って泣いたのです。
ヨアシュに示された勝利
死の床においてエリシャはヨアシュに、弓と矢を取らせ、二つの象徴的なことをさせました。一つは、東側の窓を開けてそこから矢を射ること、もう一つは地面に矢を射ることでした。第一の、東に向けて射られた矢については17節に、「主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを撃ち、滅ぼし尽くす」と言われています。つまりこれは、主なる神がヨアシュに、アラムに対する勝利を与えて下さることを象徴的に表すものでした。第二の、地面を矢で射なさいというエリシャの言葉によってヨアシュは、三度射てやめました。エリシャは怒って、「五度、六度と射るべきであった。そうすればあなたはアラムを撃って、滅ぼし尽くしたであろう。だが今となっては、三度しかアラムを打ち破ることができない」と言いました。つまり、ヨアシュが地面を射た回数によって、東の窓から射られた矢によって示されたアラムへの勝利が何度与えられるかが示されたのです。ヨアシュは三度射るだけでやめてしまったので、アラムに対する勝利も三度まで、ということになりました。22節以下に語られているアラムとの戦いの経緯においてそのことが現実となりました。ヨアシュは父ヨアハズがハザエルに奪われた町々をベン・ハダドの手から奪い返しましたが、そのように勝利を得ることができたのは三度までだったのです。
エリシャこそ主が与えて下さった救い手
ここで、先ほどの5節をもう一度見たいと思います。そこに、主なる神がイスラエルに一人の救い手を与えて下さり、それによってアラムの支配から解放して下さったと語られていました。ヨアハズ王の治世にそういうことがあったことはどこにも語られていません。これはむしろその子ヨアシュがアラムを三度破り、奪い取られた町々を取り返したことを指していると考えた方がよいと思います。5節の「イスラエルの人々はアラムの支配から解放されて、以前のように自分たちの天幕に住めるようになった」というのは、ヨアハズではなくてヨアシュの勝利によってもたらされたことだったのです。ヨアハズの治世の記述には混乱がある、それはヨアハズの治世とヨアシュの治世がごっちゃになっているということです。それは先ほど申しましたように、この二人の治世がひとまとまりとして見つめられているために生じたことでしょう。では5節のあの「一人の救い手」とは誰でしょうか。アラムに対する三度の勝利は、エリシャによって示されたものです。ヨアシュが「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と呼んだエリシャこそ、主が遣わして下さった「一人の救い手」だったのだと言えるでしょう。その救い手エリシャが死に臨んで最後に、三度の勝利をイスラエルの王にもたらしたのです。
滅亡への道を歩むイスラエル
列王記下の第13章にはこのように、北王国イスラエルにおける、ヨアハズとヨアシュという二代の王の治世のことが語られています。彼らは、北王国がいわば構造的に受け継いでいるヤロブアムの罪に従って歩み続けました。異教の神を拝む罪も犯され続けていました。主なる神はこれらの罪に対して激しくお怒りになり、イスラエルをアラムの手に渡されたので、彼らの王国はアラムに蹂躙され、人々は苦しみに陥りました。しかしここには同時に、主なる神がそのイスラエルの人々の苦しみを御覧になって、憐れに思い、預言者エリシャを救い手として与えて下さったことも語られています。深い罪に陥っているとはいえ、彼らも主なる神の民なのです。エリシャは主なる神の預言者としての生涯の最後に、ヨアシュ王に「主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢」を放たせ、奪い取られた町々を取り返すことができるようにしました。これらのことは、主なる神が、イスラエルをご自分の民として憐れみ、恵みと救いを与えて下さったということです。主はご自分の民の罪に対してお怒りになり、苦しみをお与えになるけれども、その中でなお彼らを慈しみ、救いを与えようとして下さっているのです。しかし北王国イスラエルの王たちと人々は、6節に語られていたように、その慈しみや救いを受けながらも、悔い改めて主なる神に立ち帰ろうとはしませんでした。そのようにして、北王国イスラエルは滅亡への道を歩んでいったのです。預言者エリシャは、主なる神のみ言葉によってイスラエルを養い、導く父のような存在であり、戦車や騎兵にまさる主なる神の力がイスラエルを守って下さることを示している人でした。そのエリシャの死は、主なる神による導きと守りがもはや失われてしまったことを象徴していたのです。
滅亡への道を歩んでいる私たち
イスラエルの民は、主なる神によって選ばれ、召し集められた神の民でした。北王国イスラエルと南王国ユダとに分裂しましたが、そのどちらも主にとってご自分の民だったのです。北王国イスラエルはその始まりから、自分のために偶像を造るヤロブアムの罪の中にあり、主なる神以外の神を拝む罪にも陥っていきました。主はご自分の民の背きの罪に対して激しくお怒りになります。しかしその怒りの中でも憐れみをもって語りかけ、救いを与え、彼らの悔い改めを待っておられました。にもかかわらず彼らは主の恵みと憐れみに応えようとしませんでした。それはそのまま私たち自身のことだと言わなければならないでしょう。主なる神の憐れみによる救いを繰り返しいただいているのに、罪から離れようとしない、離れることができない、それが私たちであり、私たちも「滅亡への道」をまっしぐらに歩んでいると言わなければならないのです。
独り子イエス・キリストによる救いをかみしめながら
しかし主なる神はそのような私たちのために、ご自分の独り子であるイエス・キリストをこの世に遣わして下さいました。そして主イエスは、罪から離れることができずにいる私たちの罪をご自分の身に引き受け、それを全て背負って、私たちに代って苦しみを受け、十字架にかかって死んで下さいました。神の子でありまことの神である方が、罪人である私たちの身代わりとなって苦しみと死を引き受けて下さるという、あり得ない、驚くべき救いのみ業がなされたのです。共に朗読した新約聖書、ローマの信徒への手紙第5章18節はそのことを、「一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになった」と言い表しています。その「一人の人」とは勿論主イエス・キリストです。先週の水曜日からレント、受難節に入りました。4月5日のイースター、復活祭に向けて、私たちは、この一人の人主イエス・キリストの苦しみと死を覚え、それによって神さまが私たちに与えて下さった救いをかみしめていきます。主なる神が、あり得ない、驚くべき救いのみ業をこの自分のためにして下さったことを見つめていくのです。神はどうしてそんなことをして下さったのか。それは、それ以外の仕方では私たちは救われようがないからです。私たちは、どんなに憐れみをもって諭されても、自分で悔い改めて罪から離れることはできずに、滅亡への道をまっしぐらに歩むしかないのです。イスラエル王国の歴史がそれを証明しています。だから主なる神は、独り子イエス・キリストという一人の人の十字架による救いを実現して下さったのです。私たちが滅亡への道を離れ、救いへの道を歩むためにはそうするしかないからです。そんな義理は全くないのに、神は、独り子の十字架の死と、そして復活による救いを与えて下さったのです。神の憐れみと慈しみ、愛はそこまで深いのだ、ということをかみしめながら、私たちはこの受難節を歩んでいくのです。