創立記念

神さまと隣人を愛する

「神さまと隣人を愛する」  牧師 藤掛順一

・ 旧約聖書: 申命記 第6章4-5節
・ 新約聖書: マタイによる福音書 第22章37-39節
・ 讃美歌:351、280、386、67

教会の誕生日
 今日は、この横浜指路教会の創立記念日、やさしく言えばお誕生日です。この教会のお誕生日をお祝いする礼拝を、子供からお年寄りまで、皆が一緒にしているのです。毎年9月の第二の日曜日にこの創立記念日礼拝をしています。今年はそれが今日、13日なわけですが、実はこの9月13日こそがこの教会が生まれた日、だから今日がまさに教会のお誕生日なのです。今から135年前の1874年(明治7年)の9月13日にこの教会は生まれました。その場所はここではありません。今のマリンタワーの近くに「人形の家」がありますが、その裏あたりのところにあった、ヘボンという人が病院を開いていたその家で、毎週日曜日に礼拝が行われていました。その礼拝の中で、7月には10人の人が、イエス様を信じる人になるしるしである洗礼を受けました。そして9月13日の礼拝でも7人が洗礼を受けました。この17人に、他で洗礼を受けたもう一人が加わって、合わせて18人によってこの教会は誕生したのです。その中のほとんどは、13歳から17歳の若者でした。今なら、中学生から高校生の、教会学校の生徒ですね。そういう若い人たちが、イエス様を信じる信仰を言い表して、この教会のもとを築いたのです。指路教会を最初に築いた人たちはそういう若者たちだったということを、私たちは覚えておきたいと思います。そして今日の礼拝でも、二人の方が洗礼を受けてこの教会に加えられます。135年前の教会の誕生の日にも行われた洗礼が、今日も行われる。これはとても意味深いことだと思います。

ヘボン来日150年
 ヘボンという人が開いていた病院でこの教会が生まれたと言いましたが、このヘボンというお医者さんがアメリカから日本に来たのが、今からちょうど150年前、1859年のことです。今横浜は「開港150年」のお祝いで賑やかですが、150年前に横浜の港が初めて開かれたその年に、ヘボンさんは、病気の人の治療をすることを通して、神様の恵み、イエス様による救いを日本の人たちに伝えようと思ってやって来たのです。その時日本はまだ江戸時代です。イエス様を信じる教えは「キリシタン」と呼ばれていて、禁止されていました。日本人がこの教えを信じていることが分かると、捕まえられて、殺されてしまったりするような時だったのです。ヘボンさんはそういう日本に来て、病気の人たちをただで治療しながら、日本語を勉強して英語と日本語をつなぐ辞書を造り、聖書を日本語に翻訳しました。また奥さんも英語を教えたり、そういうことによってだんだんに日本人と親しくなりながら、イエス様のことを伝えていったのです。そして15年後の明治7年に、ヘボンさんのもとで勉強していた若者たちを中心に、この教会が生まれたのです。ですからヘボンさんこそこの教会の生みの親です。私たちは今年、ヘボンさんが日本に来て150年になることを記念していろいろな催しをしています。そして今日は、この教会の創立135年を記念してこの礼拝を守っているのです。

ヘボンは何故日本に来たのか?
 このヘボンさんのことについてもっと考えていきたいと思います。ヘボンさんはアメリカ人です。お医者さんになり、人々の病気の治療をしていました。でもそれと共に、まだイエス様を知らない外国の人たちにイエス様による救いを伝える働きをしたい、とも考えていました。それで結婚してすぐ、26歳の時に、奥さんのクララさんと二人で、シンガポールへ、その後今の中国に渡りました。今ならば、世界のどこへでも飛行機で飛んでいけますが、この頃は全部船での旅です。何か月もかけて、アメリカから東へ東へと地球を半分以上回ってシンガポール、そして中国へ行ったのです。アメリカでの生活とは全然違う外国での生活はとても大変だったのでしょう。五年後に、病気になってしまって、アメリカに帰らなければならなくなりました。アメリカに帰ったヘボンさんはニューヨークで病院を始めました。腕のよいお医者さんとして有名になり、大きな病院の院長先生になりました。とてもお金持ちにもなりました。でもヘボンさんの心の中にはいつも、やはり外国へ行ってイエス様のことを伝えたいという思いがありました。そのように思っている時に、それまで鎖国と言って外国人を受け入れなかった日本がいよいよ港を開こうとしている、ということを聞きました。ヘボンさん夫妻は、大きな病院や立派な家、別荘や家財道具の一切を売って、日本に行くことにしたのです。そのようにして150年前、44歳だったヘボンさんと40歳だったクララさんはこの横浜にやって来たのです。
 ニューヨークで、大きな病院の院長さんとして人々から尊敬され、喜ばれていて、豊かな生活をしていたヘボンさん夫妻が、それらのすべてを捨てて、言葉も分からない、イエス様の教えが禁止されている日本にまで来たのは何故なのでしょう。そうすることによって何か得をすることがあったのでしょうか。何もありません。むしろ自分の財産を注ぎ込んで、病気の人たちをただで治療していったのです。お金儲けのためではありません。では、そういうことをすれば人々がほめてくれる、という名誉のためでしょうか。確かに、病院などが整っていない外国へ行って人々の治療をしたり、イエス様の教えを伝えることは尊い大切な働きとして人々に尊敬されることではあります。でも考えてみてください。この頃はテレビもラジオもありません。電話もありません。何か月もかかって着く手紙でしか情報を伝えることができないのです。だから、ヘボンさんが日本でどんな働きをしているかをアメリカの人たちは直接見たり聞いたりすることはできません。誰も見ていない所での働きなのです。ニューヨークの大病院の院長さんをしている方がよっぽど、人々に認められ尊敬される名誉なことです。だから、ヘボンさんは自分の名誉のために日本に来たのではないのです。ヘボンさんが日本に来た理由はただ一つです。それは、神様と隣人を心から愛していたからです。

神様を愛する
 神様を愛している。それはただ「神様のことが好きだ」ということとは違います。神様は、私たちのために独り子のイエス様をこの世界に遣わして下さったのです。そのイエス様が、神様に逆らってばかりいる私たちの罪を全て背負って十字架にかかって死んで下さったのです。イエス様の十字架の死によって神様は私たちの罪を赦して下さいました。それだけでなく、神様は十字架にかかって死んだイエス様を復活させて下さいました。それは、私たちにも、死の力を乗り越える新しい命を与えて下さるという約束を与えて下さるためです。神様はこのようなすばらしい救いの恵みを与えて下さったのです。その神様に「ありがとうございます」と感謝すること、それが「神様を愛している」ということです。ヘボンさん夫妻も、このイエス様によって与えられた神様のすばらしい恵みを心から感謝していたのです。そして、イエス様が、神様のこのすばらしい恵みを、全世界の人たちに伝えなさいとお命じになった、そのご命令を自分たちも実行しよう、と思ったのです。神様を本当に愛する人は、神様のご命令に従います。神様が望んでおられることを自分もしようと思うのです。ヘボンさんたちもそう思って、はるばるこの日本にまで来て、この指路教会の基を築いてくれたのです。

日本人を愛する
 でも、ヘボンさんたちが心から愛していたのは、神様だけではありません。やっと外国人が行くことができるようになった日本に最初にやって来て、勿論一度も会ったことのない日本の人々を心から愛して、病気の人たちをただで治療し、悪口を言ったり邪魔をしたりする人々も多い中で、イエス様による神様の恵みを根気強く、熱心に教えたのです。150年前に、44歳で日本に来たヘボンは、77歳になってアメリカに帰るまでの33年間を、日本人のために、またこの指路教会のために捧げてくれたのです。それはつまり、日本人のために命を捧げてくれたということです。ヘボンさんは、私たち日本人を、命を捧げてくれるほどに心から愛してくれたのです。

神様と人々を愛する
 このことは、ヘボンさんが神様を心から愛していたことと切り離すことはできません。神様を本当に愛している人は、人々をも心から愛するようになるのです。人々のために自分の命を捧げるようになるのです。それはイエス様が、私たちのために命を捧げて、十字架にかかって死んで下さったことを知っているからです。そのイエス様に感謝し、イエス様を愛しているからです。イエス様を愛している人は、イエス様が自分のためにして下さったように、人々のために自分の力を、時間を、人生を、捧げていくのです。

十戒が教えていること
 教会学校ではこの九月から、礼拝で、十戒についてのお話を聞いています。来週からは、十戒の一つ一つの教えについてのお話を聞くことになっています。十戒は、主の祈り、使徒信条と並んで、教会が大切にしてきた神様のみ言葉です。教会学校の礼拝では、十戒を毎週みんなで唱えています。大人の皆さんにもぜひ十戒を心に留めていっていただきたいのですが、今日の礼拝のために与えられている「続明解カテキズム」の問答には、十戒が私たちに教えてくれることが二つにまとめられています。それは、神さまを愛することと隣人を愛することです。今日朗読されたマタイによる福音書の22章にも、この二つのことが最も重要な掟だというイエス様の教えが語られています。神様を心から愛することと、隣人を心から愛すること、聖書が私たちに教えているのはこの二つのことなのです。それは何か特別に難しい、厳しい掟や戒めではありません。これは神様に造られ、生かされている私たち人間の、ごく自然な、正常なあり方なのです。この正常な、ノーマルなあり方を失ってしまっているところに私たちの罪があるのです。イエス様は、私たちがこの正常な、自然なあり方を回復することができるように、十字架にかかって死んで下さり、復活して下さったのです。このイエス様による救いの恵みによって、私たちは、イエス様の父である神様を心から愛し、そして人々をも心から愛して生きる者となることができるのです。

隣人となる
 人々を愛することが、隣人を愛する、という少し難しい言葉で言い表されています。隣人というのは「お隣の人」ということです。でもそれは、自分の隣にいる人、よく知っている、親しい、仲の良い人のことだけを指しているのではありません。ヘボンさんたちは、イエス様を愛し、そのみ心に従って、はるばる海を渡って日本に来て、全然知らなかった、言葉も通じなかった日本人の隣人となってくれたのです。そのように私たちも、イエス様の恵みに押し出されて出かけていって、まだ知らない人、会ったことのない人、あるいは自分とは違う思いを持っている人、気が合わない、嫌いだと思っているような人の隣人になっていきたいと思います。神様が私たちに出会わせて下さる人々は皆隣人です。イエス様の恵みを豊かにいただくことによって、私たちは、神様を愛し、隣人を愛して生きる者になるのです。そのための導きとして十戒が与えられているのです。ヘボンさんの来日150年を記念し、ヘボンさんのもとで生まれたこの教会の創立135年をお祝いする私たちは、ヘボンさんに倣って、神様と隣人を心から愛する者になりたいと思います。

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